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title: "法華文句記 · 釋囑累品"
description: "法華文句記由唐代高僧湛然撰述，是對智者大師《法華文句》的權威註疏。該作誕生於天台宗發展的關鍵時期，系統闡釋了《法華經》的教義精髓，包括判教理論、經文解讀與觀行方法。湛然通過此註確立了天台宗圓教思想體系，被譽為天台三大部註解之一，對漢傳佛教義學發展影響深遠，是研究天台宗與法華思想的重要經典文獻。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmczkmu6w0ja1jj04zcyhng5n"
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### 釋囑累品

> 嘱累品

釋此品，先辯他人判品前後，次今文正釋。初文者，慈恩、安國並令移之於〈勸發〉後，若在此中有八相違、十不可也。余雖管見，頗有稟承，每於聽筵忝蒙慈訓，垂示救旨深有所憑，近見秀公《法華圓鏡》，廣立難勢不越先規，今攢舊聞兼資後見，總別救之亦八不可。初總救者，〈出塔〉已後凡述多寶，皆云「塔中」不云「見佛」，若移在後無出塔處，一不可也。分身散後凡有所述，唯論佛塔不涉分身，若移在後佛無散處，二不可也。〈囑累〉文中佛散土穢，已下經文言不涉淨，若移在後無復穢處，三不可也。會本居地因塔升空，佛散出塔後文在地，若移在後無還地處，四不可也。〈囑累品後〉經既未盡，但述眾喜不云「而去」，若移在後須加「而去」，五不可也。〈勸發品〉後無復餘文，經既已終則云「而去」，若移在後須除而去，六不可也。本迹二門佛事既畢，須有所付，是有囑累，若移在後法無所歸，七不可也。囑累已後明乘乘人，弘經本事事須囑累，若移在後師弟參雜，八不可也。

> この品を解釈するにあたり、まず他人による品の前後配列の判断を論じ、次に現在の経文に基づいて正しく解釈する。最初の点について、慈恩や安国はこの品を「勧発品」の後に移動させるべきだと主張する。もしここに置くならば、八つの相違と十の不可点があるとされる。私は見識が浅いながらも、先師の教えを伝承しており、講席で慈恩の教えを幾度となく拝聴し、救いの旨を示された深い拠り所を得ている。近頃、秀公の『法華円鏡』を見ると、広く難点を立てているが、先人の規範を越えてはいない。そこで、かつて聞いた知識を集め、後日の見解も加え、総合的および個別的に救うこととし、さらに八つの不可点を挙げる。まず総合的な救いとして、「出塔品」以降、多宝仏について述べる場合、常に「塔中」と記し「仏を見る」とは言わない。もし後ろに移せば、塔から出る箇所がなくなる。これが第一の不可点である。分身の仏が散じた後、述べられるのは仏塔のみで、分身については触れない。もし後ろに移せば、仏が散じる箇所がなくなる。これが第二の不可点である。「囑累品」では仏が散り、土が穢れるが、それ以下の経文では清らかさに関わらない。もし後ろに移せば、穢れる箇所がなくなる。これが第三の不可点である。もともと地にいたものが塔によって空に昇り、仏が散じて塔から出た後は地に戻る。もし後ろに移せば、地に戻る箇所がなくなる。これが第四の不可点である。「囑累品」の後、経典がまだ終わっていないのに、ただ衆の喜びを述べて「而去（去り行く）」とは記さない。もし後ろに移せば、「而去」を加えねばならない。これが第五の不可点である。「勧発品」の後には残る文がなく、経典がすでに終わっているので「而去」と記す。もし後ろに移せば、「而去」を除かねばならない。これが第六の不可点である。本門と迹門の仏事がすでに終わったならば、付託すべきものがあり、これが囑累である。もし後ろに移せば、法の帰するところがなくなる。これが第七の不可点である。囑累の後には、教えに乗る人々を明かし、経典を弘める本来の事業について、必ず囑累が必要である。もし後ろに移せば、師と弟子が混ざり乱れる。これが第八の不可点である。

次別救者，具述元破一一救之。一云眾本相違者，準《正法華》及以隋朝崛多三藏《添品法華》中，此品並皆在於經末。救曰：《正》、《妙》二本譯人既異，所見各別，若令盡同此不可也。言《添品》者，準南山《內典錄》云：「崛多擅移〈囑累〉著後」，崛多既其擅改，法護未可為憑，《正》本既其居先，《添品》不名擅改，南山既斥添品，義當二本俱非。何者？羅什生雖龜茲，遍遊五竺，豈獨不見梵本《法華》？久居長安，豈不曾見法護所譯？而再譯不用者，當知法護非堪指南；若堪指南，何不文義咸依《正》本，若嫌後譯文義澆薄，則隋朝所譯彌薄於前，今依什譯理可準憑。故叡公云：「梵音錯者正之以天竺，秦言謬者正之以字義，不可譯者即而書之。」豈什公與四子頓爾無識，輒移一品安置經中？若不測旨歸，應仰之而已，何得以凡見斗尺量度大海虛空耶？

> 次に、個別の難問について答える。それぞれの論難を順に示し、それに対する答えを明らかにする。 第一の難問「複数の経典の間に異同がある」について。『正法華経』、また隋の時代の闍那崛多（じゃなくった）三蔵訳とされる『添品法華経』には、この「嘱累品」がどちらも経典の末尾に置かれている。これに対する答えはこうだ。『正法華経』と『妙法蓮華経』は訳者が異なり、それぞれの見解も違う。それゆえ、両者を全く同一にすることはできない。『添品法華経』について言えば、南山道宣律師の『内典録』に「闍那崛多が勝手に〈嘱累品〉を後ろに移動させた」とあるように、彼が独自に改変したのであれば、竺法護の訳を根拠にすることはできない。『正法華経』が末尾に置いていたとしても、『添品法華経』の改変が正しいとは言い難い。南山律師が『添品』を批判したということは、『正法華経』と『添品法華経』の両方が正しいとは認められないという意味である。 なぜそう言えるのか。鳩摩羅什（くまらじゅう）は亀茲国（きじこく）の出身だが、五インドを広く旅しており、梵本の『法華経』を見ていないはずがない。また長安に長く住んでいたのだから、竺法護の訳を見ていなかったはずもない。それにもかかわらず、彼が再訳する際に（竺法護の配列を）採用しなかったということは、竺法護の訳が模範とはなり得なかった証拠である。もし模範となるものなら、どうして文や意味がすべて『正法華経』に従っていないのか。もし後代の訳の文や意味が浅薄だと非難するなら、隋の時代の訳はそれ以前のものよりさらに浅薄である。ゆえに、鳩摩羅什の訳に従うのが合理的で信頼できる。 僧叡（そうえい）大師も次のように述べている。「梵語の誤りがあれば天竺（インド）の正しい発音に従い、漢語の誤りがあれば字義に基づいて正し、訳しようのないものはそのまま書き留めた。」鳩摩羅什とその四大弟子が全く無知で、勝手に一品を経典の中に移動させることなどあり得ようか。もしその深い意図が理解できなければ、敬虔に仰ぐべきである。どうして凡人の狭い見識で、大海や虚空を計ろうとするのか。

二云經論相違者，《法華論》云：「修行力有五」，第五護法力中云「如〈普賢勸發品〉及後品」，後品即指〈囑累品〉也。救曰：《論》亦人譯，擅指何疑？況《論》雖西來，譯時既在《正法華》後，秖是譯者順《正法華》故，《正經》在西晉時譯，《論》在後魏時譯，如隋笈多見《正法華．藥草喻》後有一長行偈頌，及〈囑累〉在後，便以《正經》添於品內，及移〈囑累〉在〈勸發〉後，餘無所云，遂使後人云「添品法華」。故知譯者不妨隨見，《妙》、《正》二本同一梵文，乍可信羅什而寢於法護，安得釋《妙》本專以《論》為憑？秀云：言「後品」者，是《普賢觀經》，以同是普賢發起令依經修觀。又言「後品」者，既其不出名目，則似經度不盡，若不爾者，何不云「及囑累品」但言後耶？此亦是一見。然準天台判為結經，不云「在勸發品後」。

> 第二に、経典と論釈の間に相違がある点について見てみます。『法華論』には「修行の力に五種あり」と説かれ、第五の「護法の力」の箇所に「『普賢勧発品』および後品の如し」とあります。この「後品」とは『嘱累品』を指すとされています。 これに対して、ある師（救師）はこう反論します。「論もまた人の翻訳したものに過ぎません。勝手に指摘して疑う必要などあるでしょうか。ましてや、この論は西域から伝来したものですが、翻訳された時期は既に『正法華経』の後でした。単に訳者が『正法華経』に従ったに過ぎません。『正法華経』は西晋の時代に翻訳され、論は後魏の時代に翻訳されています。例えば、隋の笈多訳者は、『正法華経』の『薬草喩品』の後に一つの長行偈頌があり、また『嘱累品』が後にあるのを見て、『正法華経』の内容を品の中に加え、さらに『嘱累品』を『勧発品』の後に移動させました。その他は何も述べていません。これによって後世の人々が『添品法華経』と呼ぶようになりました。このことからも、訳者はそれぞれの見解に従って訳出するものであることがわかります。『妙法蓮華経』と『正法華経』は同じ梵文から出たものです。たまたま羅什訳を信じて法護訳を退けるのは、『妙法蓮華経』を解釈するのに専ら法華論を拠り所とすることはできないのです」。 秀師（ある学者）はこう述べます。「『後品』というのは『普賢観経』のことです。なぜなら、どちらも普賢菩薩が発起したものであり、経典に従って観法を修行させるためだからです。また『後品』と言うだけで、その名称を明らかにしていないのは、経典の内容が完全に訳出されていないことを示しているとも考えられます。もしそうでなければ、なぜ『および嘱累品』と明確に言わず、単に『後』と言うだけに留めたのでしょうか。これも一つの見解です。しかし、天台大師はこれを『結経（結びの経典）』と判じており、『勧発品の後にある』とは説かれていません。」

三、諸教相違，云：一切諸經並在經末，如何此經獨在於斯？救曰：例同諸經違妨更甚，即如《大品》中間有〈累教品〉，經末復有〈囑累品〉，不可一切皆兩處安。如《大寶積》四十九會，會會皆有付囑之文，豈令諸經一切皆爾？如《金剛經》問名問持乃在經中，不可一切悉令居中。《法華》開權顯本授聲聞記，豈令一切悉皆顯實？不類之例其數不一。

四云二事乖角者，分身若還此土復穢，準妙音被誡故知土穢，〈囑累〉中亦令多寶還歸，觀音不應施寶分二，分二即多寶未還，遣去既同不應乖角。救曰：秖由未還故寶分二，是故但云「一分奉多寶佛塔」，而不云「奉多寶佛」，故知事畢者去、有緣者住，於理何傷？若多寶在分身不合散者，經文但云「塔可如故」，如故秖是依初還閉；令初身散，即云「各還本土」，故知雖即令其塔還，聽餘經故塔閉而在，如塔未開時，但云多寶「於寶塔中出大音聲」。又云四眾聞寶塔中所出音聲，大樂說云「於其塔中發是音聲」。又佛告大樂說「是寶塔中有如來」等，故塔未開，大眾但云「多寶如來於寶塔中」；次塔開已，大眾皆云「見二如來在寶塔中」。若塔閉後，如〈藥王品〉末云「多寶如來於寶塔中」，妙音至此但上釋迦瓔珞以申問訊，次方問云「此久滅度多寶如來，在寶塔中來聽法不？」仍對釋迦申彼佛問云「安隱堪忍久住不？」當知塔閉住而未去。又云「唯願世尊示我令見」，豈二佛並坐乃云請見？又多寶佛於寶塔中告妙音言，秖云「汝為供養釋迦」等，不云「分身」，豈分身矚目而不供養？又妙音欲還但云「供養釋迦及多寶塔已」，不云「見佛」；到彼見淨華宿王，但云「供養釋迦及多寶塔」，亦不云「見多寶如來及以分身」。又文殊來時即云「頭面敬禮二世尊足」，囑累之後全無此文，故塔已閉、分身已散。若分身在，觀音施寶理應供養，不應但二。

> 四つ目に、「二つのことが矛盾する」という点について。もしも分身の諸仏がこの娑婆世界にまだとどまっているなら、それは穢土であるはずで、妙音菩薩の時に戒めがあったことからも、この世界が穢土であることがわかります。『嘱累品』の中でも多宝如来を還そうとしています。観音菩薩が寶を施す時、二つに分けるのは適切ではありません。二つに分けるということは、多宝如来がまだ還っていないことを示します。もし派遣された者がみな同じなら、矛盾は生じないはずです。 これに対する答えはこうです。「まだ還っていないからこそ、寶を二つに分けたのです。だから経文には『一分を多宝仏塔に奉ず』とだけあって、『多宝仏に奉ず』とは言っていません。これにより、用事が終わった者は去り、縁のある者はとどまるという道理がわかります。それがどうして道理に反するのでしょうか？」 もし多宝如来がとどまっているのに、分身の諸仏が解散しないというのなら、経文にはただ「塔は元のままにせよ」とあるだけです。「元のまま」とは、ただ最初のように閉じることを指します。そして、分身を散じさせる時には、「各々本国に還れ」と言っています。だから、塔を還すよう命じても、他の経を聞くために塔は閉じたまま存在しているのです。塔がまだ開かれていなかった時のように、ただ「多宝如来が宝塔の中から大きな声を出した」とあります。 また、「四衆が宝塔の中から出る音声を聞いた」とあり、大楽説菩薩は「その塔の中でこの音声を発した」と言い、仏は大楽説菩薩に「この宝塔の中に如来がいる」と告げました。だから、塔が開かれる前は、大衆はただ「多宝如来が宝塔の中にいる」と言っていました。塔が開かれた後は、大衆はみな「二仏が宝塔の中にいるのを見た」と言っています。 もし塔が閉じられた後は、『薬王品』の終わりに「多宝如来が宝塔の中にいる」とあるように、妙音菩薩がここに来て、まず釈迦牟尼仏に瓔珞を捧げて問いかけ、次に「この久しく滅度した多宝如来は、宝塔の中で法を聞いておられるのですか？」と尋ねています。そして、釈迦牟尼仏に代わってその仏の問いを伝え、「安穏にお過ごしですか、よく堪えて長くおられますか？」と尋ねています。これによって、塔は閉じられたが、多宝如来はとどまっていて去っていないことがわかります。 さらに、「どうか世尊よ、私に示して見せてください」と言っていますが、二仏が並座しているのなら、どうして「見せてください」と請うことがあるでしょうか？また、多宝仏が宝塔の中で妙音菩薩に告げて、ただ「あなたは釈迦牟尼仏を供養しなさい」と言い、「分身の諸仏を」とは言いません。どうして分身の諸仏が目の前にいるのに、供養をしないのでしょうか？また、妙音菩薩が還る時には、ただ「釈迦牟尼仏と多宝塔を供養しました」と言い、「仏を見ました」とは言いません。彼の国に着いて、浄華宿王智仏に会った時も、ただ「釈迦牟尼仏と多宝塔を供養しました」と言い、「多宝如来や分身の諸仏を見ました」とは言いません。 また、文殊菩薩が来た時には「頭を地につけて、二尊の仏足を礼拝した」とありますが、『嘱累品』の後には、このような記述は全くありません。だから、塔はすでに閉じられ、分身の諸仏は解散したのです。もし分身の諸仏がまだいるなら、観音菩薩が寶を施す時、当然供養すべきであり、ただ二つに分けるだけではおかしいのです。

五、二命不齊者，何故？分身、多寶二俱唱散，去留不等，若云「但令塔閉云如故者」，何故《正本》云「還本土」？救曰：二命縱同，所緣各別。寶塔為聽經故來，分身為開塔故集，塔既已閉分身須散，經尚未畢故塔未還，分身既散土合復常，故前文云「為諸佛當來坐故，各淨八方」，況《正法華》云「可還本土」，自是法護所譯不正，豈判什本令從《正經》？若《正經》為正不應重譯，但云「如故」。若欲依《正經》，何不講《正》本？遍觀正本處處相違，及以妄誤前後非一，故不須以《正經》為準。

> 五、二つの命が等しくないのはなぜか。するには、分身と多宝如来の両方が共に散じ去ると説き、去る者と留まる者が等しくない。「ただ、塔を閉じて元のままにせよと言うのなら」、なぜ『正法華経』には「本土に還れ」とあるのか。これに対する答えは、二つの命は同じであっても、その因縁する対象はそれぞれ異なる。宝塔は経を聴くために来たのであり、分身は塔を開くために集まった。塔が閉じられた以上、分身は散じ去るべきである。経が未だ終わっていないので、塔はまだ還らない。分身が散じたので土は合わさり元に戻る。ゆえに前文に「諸仏が来て座するために、各々八方を清める」とあり、まして『正法華経』には「本土に還るべし」とあるが、これは法護の訳が正しくないからである。どうして鳩摩羅什の訳本を判じて『正法華経』に従わせるのか。もし『正法華経』が正しいなら再訳されるべきではないが、ただ「元の如く」とあるのみである。もし『正法華経』に依ろうとするなら、なぜ『正法華経』を講じないのか。『正法華経』全体を見れば、あちこちで矛盾しており、また誤りや前後が一致しないことが一度や二度ではない。したがって、『正法華経』を基準とする必要はない。

又問：

> また、次のように問われました。

釋迦出塔，塔何須閉？塔閉，分身何必須散？

> 釈迦が塔から出たならば、なぜ塔を閉じる必要があるのか？塔を閉じるならば、なぜ分身は散じなければならないのか？

答：

> お答えします。

多寶本願但云「以塔聽經」，若以我身示四眾者，令集分身，當知分身開塔故集，釋迦亦為開塔住空，住空故開塔，塔開故命坐，囑累故出塔，出塔故塔閉，塔閉故分身事訖，事訖故須散，故塔開閉分身聚散各有因緣，何須難言二命不齊？

> 多宝如来の本願には、ただ「塔をもって経を聴く」とあるのみです。もし私の身をもって四衆（僧・尼・優婆塞・優婆夷）に示そうとするならば、分身を集めさせねばなりません。知るべきです、分身は塔を開くために集まったのであり、釈迦もまた塔を開くために虚空に留まったのです。虚空に留まったからこそ塔を開き、塔が開いたからこそ坐を命じ、付嘱（大切な教えを託す）があったからこそ塔を出て、塔を出たからこそ塔は閉じられたのです。塔が閉じられたからこそ分身の役目は終わり、役目が終わったからこそ散じる必要があるのです。ゆえに塔の開閉や分身の集散には、それぞれに因縁があるのです。どうして「二つの命が一つでない」と難じることがありましょうか？

六、塔無還處者，分身諸佛令去咸歸，多寶佛塔迄至經末更無還處，若品在後即唱竟時還。救曰：經畢自還，何須求處？至〈勸發〉後一切大眾作禮而去，作禮雖不通於寶塔，而去遍該一切，多寶本願聽經故來，經若終後何慮不去？但慮塔無歸去之文，不憂土無復穢之語，若土後復穢，何得亦無人天來時？

> 六つ目の「塔の還る所なし」について。多くの仏が姿を変えて出現し、その後すべて元の場所へ帰る。しかし多宝仏の塔は経典の最後に至っても、塔が還ったという記述がない。もし後の方の品（章）にあれば、説法が終わった時に戻るはずである。救いの言葉としては「経典が終われば自然に還るのだから、わざわざその場所を求める必要はない」。『勧発』の後には、すべての大衆が礼拝をして去っていく。礼拝は宝塔には通じないが、「去る」という言葉はすべてに及んでいる。多宝仏の本来の願いは経を聞くために来たのであり、経典が終わればどうして去らないことがあろうか。ただ心配すべきは塔の帰る記述がないことではなく、土が再び穢れるという言葉がないことである。もし土が再び穢れるなら、どうして人や天人が来る時がないと言えるだろうか。

七云淨穢不同者，妙音被誡復非淨土，故知分身久已還國者，分身集日，那令侍者皆諸靈山？信諸山並無而猶有靈鷲，文殊海出亦云靈山忽有華現，故妙音來還依舊誡。救曰：經文炳然而讀者不見。《經》云「移諸天人置於他土，唯留此會眾」，故知土淨為安諸佛，靈山舊眾不移可然。準文殊來時，即云指靈鷲山住虛空中，妙音至時不云住虛空中，故知淨時處空復穢在地，今分身既散故一切皆穢。而沒却復穢之理，苦執靈鷲獨穢，妙音被誡具云誡土，不獨云山，故云「莫輕彼國土」等。故文殊、妙音二人來時，其理不等；欲令一例，此理難齊。

> 七つに、清らかさと汚れが異なることについて述べる。妙音菩薩が戒めを受けた時は、必ずしも清浄な国土ではなかった。それゆえ、分身の諸仏は久しく本国に帰っていたことが分かる。分身諸仏が集まった日に、なぜ侍者たちを皆霊鷲山に留め置いたのだろうか。諸々の山々は存在しないが、霊鷲山だけはなお存在すると信じられており、文殊菩薩が海から現れた時も「霊山に突然花が現れた」と言われている。したがって、妙音菩薩が来た時も、以前の戒めのままである。 救いの言葉：経文は明らかに記されているのに、読者はそれを見落としている。経典には「諸々の天や人を他の土地に移し、この会の衆だけを留めた」とある。ゆえに、国土が清らかであるのは諸仏を安置するためであり、霊鷲山の昔からの衆が移されなかったのは、道理にかなっている。文殊菩薩が来た時には「霊鷲山を指して虚空中に留まった」と記されているが、妙音菩薩が来た時には「虚空中に留まった」とは記されていない。したがって、清らかな時は虚空にあり、汚れた時は地上にあることが分かる。今や分身諸仏が散じたため、すべてが汚れた状態となった。しかし「汚れた状態に戻る」という道理を無視し、苦しみながら霊鷲山だけが汚れていると主張するのは誤りである。妙音菩薩が戒めを受けた時、戒めは明確に「国土に対して」であり、山だけを指すのではない。ゆえに「彼の国土を軽んじてはならない」などと言われている。したがって、文殊菩薩と妙音菩薩の二人が来た時、その道理は等しくない。これを一律に同じにしようとする試みは、道理が一致しないのである。

八云眾喜乖情者，〈囑累品〉令分身還，而塔不去，若非經末云「囑累」者，阿修羅等歡喜太早，既非聞法歡喜，乃是見客佛去以生歡慰，深可怪也。救曰：至此歡喜而嫌太早，三周之末各有歡喜，更早於此，何不怪耶？說〈壽量〉竟〈分別功德〉中云「聞佛壽無量一切皆歡喜」。今本迹俱畢，復聞〈隨喜〉事少功多，又聞〈法師〉聽持深效，又聞〈不輕〉能化所化現益後益，明弘經法無定常儀，又見釋尊現十神力授四結要，三摩付囑三反領受大事功畢，豈得不喜而云太早耶？當知是人訖至經末亦未歡喜，何能弘經令他喜耶？言喜客佛去者，移在後文更加塔去而生歡喜，復彌可怪。驗此一切皆以凡情測聖，徒攢筆語，舉一蔽諸。

> 八雲や多くの人々が、仏の心に背くような考えを持つことについて述べると、「囑累品」で分身を元の世界に帰らせているのに、塔は去らない。もし経典の末尾に「囑累」という言葉がなければ、阿修羅たちはあまりに早く喜んでしまうだろう。それは説法を聞いての喜びではなく、客仏が去るのを見て安堵し喜ぶことであり、まことに怪しむべきことだ。 これに対して、こう答える。ここで喜ぶことを「早すぎる」と非難するが、三周の説法の終わりにはそれぞれ喜びがある。それよりもさらに早い時期の喜びを、なぜ怪しまないのか。「寿量品」の説法が終わると、「分別功徳品」の中で「仏の寿命が無量であると聞いて、全ての者が喜んだ」とある。今や、本門と迹門の教えが共に終わり、さらに「随喜功徳品」で少しの行いでも大きな功徳があることを聞き、「法師品」で教えを聞き受けることの深い効能を聞き、「不軽品」で教化する側とされる側の現世の利益と後の利益を聞き、経典を弘める方法には決まった形式がないことを明らかにされた。また、釈尊が十種の神力を示し、四つの要法を結び授け、三度の摩頂と付嘱、三度にわたる教えの受け入れという大事が成就した。どうして喜ばずにおられようか。それを「早すぎる」と言うのは間違いである。 知るべきである。このような人は、経典の最後に至っても喜ぶことはないだろう。どうして経典を弘めて、他の人を喜ばせることができようか。「客仏が去るのを喜ぶ」と言うのは、後の文で塔が去ることに移り、それを見て喜ぶということで、さらにまた怪しむべきことである。 これらを検証すれば、すべて凡夫の心で聖なる心を推し量るものであり、ただ筆を費やして言葉を連ねるだけで、一事を挙げて他のすべてを蔽ってしまうものである。

又云：但是先施神力故見淨土，此土本穢，恐妙音見本土穢相而生譏毀，故佛誡之。非妙音至分身己還而土唯穢，如雖淨土猶見靈山，變不唯淨兼見穢故，上見下故。救曰：靈山是佛自留，故令大眾俱見，如來自云「淨土」，曲釋云「不唯淨」，佛言「皆令清淨」，乃云「本穢仍在」，若言上能見下於淨見穢，何不妙音於穢見淨，復能見穢，其心淨故故佛土淨？若猶見於穢，則知妙音心不淨故，而佛尚誡之。妙音見穢尚生譏毀，豈得名為上能見下耶？下生下想，非上人也；尚生譏毀，豈上人耶？

> さらにまた、次のように言われる。「ただ先に神力（じんりき）を施（ほどこ）して浄土（じょうど）を見せたのだ。この土（娑婆世界）は本来、穢（けが）れたものであるが、妙音菩薩（みょうおんぼさつ）が本土の穢れた相を見て、あざけり謗（そし）ることを恐れられたので、仏がそれを戒（いまし）められたのである。妙音菩薩が来てから、分身の諸仏が元の所に還（かえ）るまでは、土がただ穢れているだけというわけではない。例えば、浄土においてもなお霊山（りょうぜん）を見ることができるように、変化（へんげ）はただ浄（きよ）らかなのみではなく、同時に穢れをも見ることができるからである（上（じょう）が下（げ）を見るように）。 これに対して、こう救済（くげ）する。「霊山は仏が自ら留められたので、大衆（だいしゅう）が共に見ることができたのだ。仏は自ら『浄土』と言われたのに、曲（ま）げて解釈して『ただ浄らかなのみではない』という。仏は『皆（みな）を清浄（しょうじょう）ならしめる』と言われたのに、『もとの穢れはなお存在している』という。もし上（浄）が下（穢）を見ることができ、浄らかな中で穢れをも見ることができるというのなら、なぜ妙音菩薩は穢れた中で浄らかを見、さらに穢れをも見ることができなかったのか。その心が清浄であるがゆえに、仏の土は清浄なのである。もしなお穢れを見ているならば、それによって妙音菩薩の心が清浄でないことが知られる。しかも仏はなお戒められた。妙音菩薩が穢れを見て、なおあざけり謗るならば、どうして『上（浄）が下（穢）を見る』と名づけることができようか。下（穢）に対して下（劣）の想いを起こす者は、上（優）の人ではない。なおあざけり謗るならば、どうして上人（じょうにん）と言えようか。」

次涉法師更加二難，總成十難，故云「十不可」。先破總敘，次翻二難。先破敘者，彼先敘云，什公安〈囑累品〉在〈神力品〉後，自是已來皆共信受。並云，移著此中善得經意，若在後者所列諸妨，略如向述。而云以義判文，正應安此；唯我唐代慈恩法師，不許斯義。法師又云：妙音被誡若是穢者，文殊海來何有靈山？秖云唯留此會，不云唯留靈山，當知內外俱淨，但是仍舊而說。又云：分身即是釋迦，若多寶全身亦與一分，釋迦分身唯與一分，若受多分者便是釋迦長受利養，修六和敬詎應然耶？故但與一分。又云：若囑累在此，如來起立不云更坐，分身佛去不應立送，受觀音施不應立受。又云：大眾皆喜唯少奉行，不應安此。又云：神力去穢未必全除，要若全除併之何處？何處淨土容此穢生？救曰：《正本法華》自西晉至唐都不行用，此《妙法經》後秦譯訖，四海盛傳天下仰止，況流行之處必藉冥加，冥加已遂安可議耶？況復受持應驗無量，普賢尚授以句逗而不責移品，況復爾後名僧繼踵碩學如林，共許〈囑累〉安著此中，豈至唐朝所見乖昔？然此經以常住佛性為咽喉，以一乘妙行為眼目，以再生敗種為心腑，以顯本遠壽為其命；而却以唯識滅種死其心，以婆沙菩薩掩其眼，以壽量為釋疑斷其命，以常住不遍割其喉，以三界八獄為大科形斯為小，以一乘四德為小義無可會歸，據斯以論諸例可識。言仍舊說者，妙音未曾於此生慢，若土猶淨滿中諸佛釋迦及塔眾又在空，神力所現十方通達，何須仍舊枉誡妙音？彼佛現見高下不平，而掩佛智能言土猶淨，而言釋迦不長受利順六和敬者，乃是令聖效凡。若言分身即是釋迦，釋迦開塔亦即分身，何須更集？若據應迹各別，為是分身恐釋迦偏多而不受，為是觀音恐諸佛多受而不與，若觀音不與乃表觀音施偏，何關六和少欲？若分身不受，應先施而後讓，何故但分為二分耶？故知令分二分表現表當，其義已圓；分身已去，其理善成，何須此難？若言不應立送分身，及立受施，縱品移在後免斯過者，受觀音施容可尚坐，摩頂之際仍立唱散，經後正當立送之咎，徒設謔並嘲調尊儀，於此《妙經》未成弘讚。若且順凡情，釋迦與分身齊肩，坐送便成疎闕，故立送客正當其儀。況立送立受何教所制？云送受不成，又云：已有眾喜唯少奉行不合安此，秖緣少奉行故不應在後。又云：何處淨土容此穢生者？何不問劫燒擔草不同灰燼，毛孔納海身不隨波，凡此諸釋並任己心，不順經文其例若是。

> 次に、法師はさらに二つの難題を加え、合わせて十の難題とし、故に「十不可」と言う。まず総論を破り、次に二つの難題を翻訳する。先に総論を破る。彼は先に述べて言うには、什公が〈嘱累品〉を〈神力品〉の後に置いたのは、それ以来皆が共に信受している。そして、これをここに移すことが経意に適っており、後に置くと様々な妨げがあることは、先に述べた通りである。そして、義をもって文を判定すれば、正しくここに置くべきだと言う。ただ我が唐代の慈恩法師だけが、この義を許さない。法師はまた言う、妙音が誡められたのがもし穢土であるなら、文殊が海から来たのに何の霊山があろうか。ただ「この会のみを留める」と言うだけで、「霊山のみを留める」とは言わない。内外共に清らかであり、ただそのまま説いているに過ぎないことを知るべきである。また言う、分身仏はすなわち釈迦であり、もし多宝如来の全身もまた一つの分身を与えるなら、釈迦の分身もただ一つの分身を与えるだけである。もし多くを受け取れば、釈迦が長く利養を受けることになり、六和敬を修める者としてどうしてそうであろうか。故にただ一つの分だけを与えるのである。また言う、もし嘱累がここにあるなら、如来は立ち上がってさらに座ると言わず、分身仏が去るのを立って送るべきではなく、観音の施しを立って受けるべきではない。また言う、大衆は皆喜びただ奉行が少ないだけで、ここに置くべきではない。また言う、神力が穢れを除くのは必ずしも全てを除くわけではなく、もし全てを除くならどこに併せるのか。どの浄土がこのような穢れた生を容れるのか。救って言うには、『正法華経』は西晋から唐に至るまで全く用いられず、この『妙法華経』は後秦で翻訳されてから、天下に広く伝わり敬われている。ましてや流行する所には必ず冥加があり、冥加がすでに成就したならどうして議することができようか。ましてや受持の応験は無量であり、普賢菩薩も句読を授けて品を移すことを責めず、その後も名僧が相次ぎ碩学が林のように多いのに、共に〈嘱累〉をここに置くことを許している。どうして唐の時代になって昔と見解が乖くことがあろうか。しかしこの経典は、常住の仏性を咽喉とし、一乗の妙行を眼目とし、再生の敗種を心腑とし、本の遠寿を顕すことをその命とする。ところが、唯識をもって種を滅ぼし心を殺し、婆沙の菩薩をもって眼を覆い、寿量をもって疑いを釈き命を断ち、常住が遍くないとして喉を切り、三界八獄を大科としてこれを小とし、一乗四徳を小義として会帰するところがないとする。これによって論じれば、諸々の例は識ることができる。なお「そのまま説く」と言うのは、妙音は未だかつてこの土に慢心を生じたことがない。もし土がなお清らかで満ちている諸仏、釈迦及び塔、衆がまた空中にあるなら、神力の現す所は十方に通達しており、何の必要があってそのまま妙音を誡めるのか。彼の仏は現に見るに高下が平らかでないのに、仏の智慧を覆い隠して土はなお清らかだと言い、釈迦が長く利養を受けず六和敬に従うと言うのは、聖聖人として凡夫に効わせることである。もし分身がすなわち釈迦であると言うなら、釈迦が塔を開くのもすなわち分身であり、何の必要があってさらに集めるのか。もし応迹がそれぞれ異なるなら、分身は釈迦が偏多く受けるのを恐れて受けず、観音は諸仏が多く受けるのを恐れて与えないのか。もし観音が与えないなら、観音の施しが偏っていることを表すだけで、六和の少欲と何の関係があろうか。もし分身が受け取らないなら、まず施しをしてから譲るべきであり、何の必要があって二分に分けるのか。故に二分に分けることは表現を表し道理に適い、その義はすでに円満である。分身が去ってから、その理はよく成就しており、何の必要があってこの難題を出すのか。もし分身を立って送り、施しを立って受けるべきでないと言うなら、たとえ品を後に移してこの過ちを免れたとしても、観音の施しを受ける時にはなお坐していてもよいかもしれないが、摩頂の際にはなお立って唱散しており、経の後は正に立って送る過ちに当たる。徒に戯れを設けて尊儀を嘲弄し、この『妙経』に対して未だに弘讃を成していない。もしひとまず凡情に従うなら、釈迦と分身は肩を並べており、坐って送れば疎隔の欠点が生じるので、立って客を送るのが正にその儀式に当たる。ましてや立って送り立って受けることが何の教えで制限されようか。送受が成立しないと言うのは。また言う、すでに衆喜ありただ奉行が少ないだけで、ここに置くべきでない。ただ奉行が少ないからこそ、後に置くべきでないのだ。また言う、どの浄土がこのような穢れた生を容れるのかと。なぜ劫の火が草を担ぐ者を灰燼とせず、毛穴が海を納めても身が波に従わないことを問わないのか。およそこれらの解釈は全て自分の心に任せており、経文に従わない例はこの通りである。

次別破第九第十者，第九佛無就座，難云：開塔蒙命釋迦入坐，閉塔還出亦宜復座，豈得立說下諸經耶？如《涅槃經》如來現臥還從臥起，如茶毘時從金棺起上升梵宮，梵宮下已還復本座，此亦應爾，何事不然？翻曰：若摩頂已理須復座，若言無文令佛常立者，如文殊答問竟無入海文，何故至此忽云海來？又云於海常說《法華》，常說之言應常在海，若本在海〈序〉不應列，何得復為彌勒釋疑？又說經竟，佛但令眾各散，元無更坐之文，佛應立送天龍八部，何但獨送多寶分身？立送分身其儀稍順，立送八部尊卑倍乖。又何不責云諸分身佛但令侍者齎華以宣問訊，及云彼某甲佛與欲開此寶塔，即云爾時釋迦見分身集與欲開塔，不見侍者至會說欲，欲應不成。〈法師〉與彼雖則稍親，黨理不黨親，古可依也。又何不責，教門皆云達多世世造惡，今忽說為佛師，復云與師記莂，顛倒不可具言。何不責龍女成佛太速？何不責聲聞成佛太遲？

> 第九と第十の疑問を個別に検討しよう。 第九の疑問は「仏が座に着かなかったこと」に関するものだ。反論としてこう言えるだろう。塔を開き、釈迦が入座を命じられた後、塔を閉じて出てこられた時には再び座に戻られるのが道理ではないか。なぜ立ったままで以降の諸経典を説かれたのか。例えば『涅槃経』では、如来が横たわった姿を示され、そこから起き上がられた。荼毘の際には金棺から立ち上がり梵天に昇り、梵天から下りた後には再び本来の座に戻られた。これも同じようにあるべきではないか。なぜそうしないのか。 これに対する答えはこうだ。もし摩頂されたのであれば、道理として座に戻られるべきである。しかし経典にその記述がないからといって、仏が常に立たれたままだったと主張するならば、例えば文殊が問答を終えた後に海に入ったという記述がないのに、なぜここで突然「海から来た」と言えるのか。また「海で常に法華経を説いていた」という言葉があるなら、常に説いていたのだから常に海にいたことになる。もし元々海にいたのであれば、『序品』に列席されるはずがなく、なぜ再び弥勒の疑惑を解くことができたのか。さらに経典の説法が終わった時、仏はただ皆に散会を命じられただけで、再び座に着かれたという記述はない。それならば仏は天竜八部を立ったまま見送るべきだったのに、なぜ多宝仏と分身の諸仏だけを見送ったのか。分身の諸仏を見送るのは立ったままであっても体裁が整うが、八部を見送るのを立ったまま行うのは、尊卑の関係に大きく反する。 また、こうも問うべきではないか。分身の諸仏は侍者に華を捧げさせて問い合わせさせ、また「某甲仏がこの宝塔を開くことを許可する」と言っただけである。しかしその時、釈迦は分身の諸仏が集まったのを見て塔を開こうとしたが、侍者が会に来て「開塔の許可」を伝えたという記述は見えない。許可がなければ開塔は成立しないはずだ。 『法師品』はこれらとやや近しい関係にあるが、道理を重んじるのであって身内を重んじるのではない。古来の解釈に従うべきである。 また、こうも問うべきではないか。教門では皆、提婆達多は世々代々悪を行ってきたと説く。ところが急に彼を仏の師であると説き、さらに彼に未来成仏の記別を与えたという。このような矛盾は言葉に尽くせない。また、龍女が成仏するのがあまりに速すぎるとは問わないのか。声聞が成仏するのがあまりに遅すぎるとは問わないのか。

第十眾無命坐，難云：佛處高遠眾人請接，今既還處地亦應命下勅令復坐，何容久立不賜安居，故知〈囑累〉定居經後。翻曰：凡假他力必須請加，若任自力不求他援，處空非己力所及，故請佛神通；還本任自力所能，故不待佛命。況本緣佛入塔故請在空，今佛從座起豈可安坐？故云益加恭敬曲躬低頭。佛既復座說法，時眾理應復座，無文之論義準應知。又眾若不起不坐，應仍在空，何故〈普門品〉中無盡意云「從座而起」，〈陀羅尼品〉初藥王從座而起，故知不可見略却就座，等文移品向後。又品題有囑累之說，令向後者，品內有囑累之義，亦應皆移。然囑累品題雖云囑累，品內但通云「我於無量阿僧祇，修習難得阿耨三菩提法，付囑汝等」，故神力品題雖云神力，品內云「為囑累是經故，乃以如來四法囑累上行」等也。故應先移〈囑累〉次移〈神力〉著〈囑累〉後。又〈囑累品〉初云「現大神力」，〈神力品〉內有囑累之言，是故二品俱移向後。若俱移向後，不可兩品重張，不可兩品前後，若有前後，還失最後。若言經文次第，不輕已後即合勸持，何事以神力而間雜之？寶塔慕覓宣弘之人，秖應次以〈持品〉續之，何得許以〈調達品〉間？若其品次不依羅什，理須一切並依《正經》，今經聲聞一萬二千，《正經》但有一千二百，歎聲聞德乃有一十一句，歎菩薩德則有二十八句，與《妙經》及《論》復不相關，何不咎《論》違《正法華》，而嫌《妙經》違《論》。又《正經》列名之中云「光世音」，「光」「觀」聲同，便即書之。後代何不依「光」釋義？寶掌菩薩離開為二，更加寶印首也。掌已是手，復加頭首離為二人；自在天子以大梵冠首，亦云「三萬天子俱」，即是迴梵文大梵字不盡。別序中不云說大乘經名無量義，直云說斯經已升座三昧，又闕無量義處三昧，不知爾前為說何經？為入何定？何不責《妙經》增加無量義耶？又放光但云「上至三十三天」，法護何事抑佛光明？《妙經》云「八百弟子」，《正經》云「十八人中」，凡云「如恒河沙」，一切皆云「如江河砂」。〈序品〉既爾，正宗之中錯不可數，何不依之而獨引〈囑累〉？是故《正經》並未可依。縱是什公所移，應見梵文深旨；若也漫移，何不安餘品後，而必著此中？使無如上諸妨，更移著後生諸妨耶？故使流行之處眾聖冥加。

> 第十の難「命坐無し」について： 仏は高遠な処に座し、人々が請うて引き寄せられた。今や既に地に還ったのだから、命じて再び座らせるべきであろう。どうして長く立たせて安座を与えないのか。ゆえに〈嘱累品〉は必ず経の後にあると知るべきである。 これに対する解説： 一般に他力に頼る場合は必ず加持を請うが、自力に任せるなら他者の援けを求めない。空中に在るのは自力の及ぶところではないので、仏の神通力を請うのである。地に還るのは自力の力の及ぶところなので、仏の命を待たない。まして本来、仏が塔に入ることに因んで空中に在ることを請うたのだ。今、仏が座を起たれるなら、どうして安座していられようか。ゆえに「益々恭敬を加え、曲躬低頭す」と説かれている。仏が再び座して説法されたなら、その時の大衆もまた再び座すべきである。「文なきも論あり」とは、義をもって推し量って知るべきである。 また、大衆がもし起たず座らなければ、依然として空中に在るはずである。どうして〈普門品〉の中に無尽意が「座を起つ」とあり、〈陀羅尼品〉の初めに薬王が座を起つとあるのか。ゆえに「略して就座」ということを見て、文を移して品を後ろにするのは誤りであると知るべきである。 また、品の題に嘱累の説があり、これを後ろに移すなら、品内に嘱累の義があるものも全て移すべきであろう。しかし、嘱累品の題は嘱累と言うが、品内には「我、無量阿僧祇において、難得の阿耨多羅三藐三菩提法を修習し、これを汝等に付嘱す」と通じて説かれている。また神力品の題は神力と言うが、品内には「この経を嘱累せんがために、四法をもって上行等に嘱累す」とある。ゆえに先ず〈嘱累品〉を移し、次に〈神力品〉を〈嘱累品〉の後に置くべきである。 また、〈嘱累品〉の初めに「大神通力を現ず」とあり、〈神力品〉内に嘱累の言がある。ゆえにこの二品は共に後ろに移すべきである。もし共に後ろに移すならば、二品を重ねて置くことはできず、二品の前後もありえない。前後があれば、最後が失われてしまう。 もし「経文の次第は、不軽品の後には直ちに勧持が来るべきであろう。どうして神力品が間に混ざるのか」と言うならば、宝塔が宣弘の人を求めたのだから、ただ〈持品〉を続けるべきであって、どうして〈調達品〉を間に許せようか。 もしその品の次第が羅什の訳に従わないなら、理の上では全て『正法華経』に依るべきである。しかし今の経では声聞が一万二千だが、『正経』では一千二百に過ぎない。声聞の徳を歎ずるには十一句あり、菩薩の徳を歎ずるには二十八句あるが、『妙経』や『論』とも関連がない。どうして『論』が『正法華』に違うことを咎めず、『妙経』が『論』に違うことを難じるのか。 また『正経』の列名の中に「光世音」とあり、「光」と「観」は音が同じなので、そのまま書いた。後代どうして「光」によって義を解さないのか。宝掌菩薩を離れて二とし、更に宝印首を加えた。掌はすでに手であり、更に頭首を加えて二人とする。自在天子は大梵を冠とし、「三万天子俱」とも言う。これは梵文の大梵の字を尽くしていないからである。別序の中に「大乗経名無量義を説く」と説かず、直に「斯の経を説き已って座に升り三昧に入る」と説き、また無量義処三昧を欠いている。それ以前に何の経を説き、何の定に入ったのか知らない。どうして『妙経』が無量義を増加したことを責めないのか。 また、放光については「上は三十三天に至る」とのみあり、法護は何の理由で仏の光明を抑えたのか。『妙経』に「八百弟子」とあり、『正経』に「十八人中」とある。凡そ「恒河沙の如し」と言うべきを、全て「江河砂の如し」と言う。〈序品〉が既にこのようであり、正宗の中には誤りが数えきれない。どうしてこれらに依らず、独り〈嘱累品〉だけを引くのか。ゆえに『正経』は全て依るべきではない。 たとえ羅什が移したとしても、梵文の深い旨を見るべきである。もし漫りに移すなら、どうして他の品の後に置かず、必ずこの中に置いたのか。以上の妨げがなく、更に後ろに移して諸々の妨げを生じさせるよりも、流布の処においては衆聖が冥に加護するのである。

次正釋品中亦具四悉，初世界中約得名以釋品，得名事別即世界。又「累」者連及也，字應單作；後人加口者，意言口囑，即義立也。言「煩爾」者，「爾」汝也。謂累汝後代，如帶累也。《左傳》云：「相時而動無累後人」，此是如來適時而化，示有謙詞。又令於三世傳法不絕，三世不同亦世界也。次為人者，此是後世宣布生善。次對治者，令後世受者使不失故，治其失惡故名對治。次第一義者，令後代人奉旨入住，入住即證真也。初兩字並在能付，次兩字皆在所付，三囑在能付、累在所付。

> この章の正式な解釈においても、四種の悉檀（世界・為人・対治・第一義）が備わっています。まず初めに、世界悉檀とは、章の名称の由来について説明したものです。名称が示す事柄にはそれぞれ違いがあるため、これを世界といいます。 また、「累」は「連続する」という意味で、本来は漢字一文字で表記すべきものです。後世の人々が「口」偏を加えたのは、「口頭で託す」という意味を表すためであり、これは便宜的に作られた字です。 「煩爾」について、「爾」は「あなた」を意味します。「あなたの世代に煩わせる、負担をかける」という意味です。 『春秋左氏伝』には、「状況を見極めて行動すれば、後世の人々に負担をかけない」とあります。これは、如来が時機に応じて教化し、謙虚な言葉を用いて示されたものです。 また、三世にわたって教えの伝承が絶えないようにせよ、という意味も含まれています。三世がそれぞれ異なることも、世界に当たります。 次に、為人悉檀とは、これらの教えが後世に宣布され、善を生じさせることです。 次に、対治悉檀とは、後世の受け手が教えを失わないようにするためのものであり、その過ちや悪を治めることから、対治といいます。 次に、第一義悉檀とは、後世の人々が教えに従い、真の悟りの境地に至ることです。悟りの境地に入るとは、真実を証得することです。 最初の二字はすべて、教えを託す側（能付）について述べています。次の二字はすべて、教えを受け継ぐ側（所付）について述べています。三つ目の「嘱」は託す側、「累」は受け継ぐ側に属しています。

次正付囑中釋三摩者，先約所表釋，所付不輕須以淺表深，故身口心三付方表慇懃。次約四悉者，即具事理。經言「現大神力」者，如來向現十種神力，已表當現四一益竟，而今復云現神力者，正表身口心三付故也。從座而起以如來一手一時遍摩，故名為大。有人引《大經》中內有弟子解甚深義，不為利養不生諍競，外有清淨檀越，佛法久住，若不爾者法不久住。此是彼經最後誡勸道俗弘通，亦捃拾之遺囑耳。不同今經乃是一期宣暢，他方欲散，現十神力囑累十方，佛親摩頂菩薩三受，表法懃懃。「佛之智慧」等者，取覺照邊屬一切智見畢竟空。「如來智慧為道種智」者，即取從因至果得道種名，道種從權，具如第一卷中悉以能契之行名為權也。「於如來室」至「如是明三智」者，即依座室三各具三智，秖是三一相即、三一互融，故一中具三，以此三事弘經益他，令他各得果地三智之用，故知室若無二弘誓不普，衣若無二法身不滿，座若無二惑破不周。「如是施主」下，結能施意，應云如是施主三法無闕自他不空，是施主故有大慈悲，自既入室令他入室；無慳吝故，自既著衣令地著衣；無所畏故，自既坐座令他坐座。亦可云無慳吝故施此三法，無所畏故說此三法，若施若說皆具慈悲，即入室三法也。「汝等」等者，汝等當學如來以此三法而流通之，以此三三應施一切。故《經》云「汝等即是眾生之大施主」，此明經之功用必具三三，況復所弘三三之法，方名令他得於所弘。「世尊勅」者，具奉行之，他人於此辯凡夫慳，引《成論》云，慳有五種，住處護他物稱讚法慳。法慳七報：一生生常盲，二生生愚癡，三生怨家中，四受胎或死，五為諸佛怨，六善人遠離，七無惡不造。若消此文，都不相關。且言如來若以小乘化，我則墮慳貪，勸弘法者捨凡夫慳，此消可爾。若直以此證，令佛同凡，深不可也。

> 次に、正式な付嘱の中で「三摩」を解釈する箇所について。まず、表すところに基づいて解釈する。付嘱されるものは軽々しく扱ってはならず、浅いもので深いものを表さねばならない。そのため、身・口・心の三つの付嘱をもって、ようやく懇切丁寧さを表すこととなる。 次に、「四悉」に基づいて解釈すれば、それは事と理の両方を具えている。経典に「大神力を現じたもう」とあるのは、如来がこれまで十種の神力をお示しになり、すでに「四一」の利益が現れることを表していた。そして、今再び神力をお現じになったのは、まさに身・口・心の三つの付嘱を表すためである。 座を立ち、如来の一手をもって一時にすべての菩薩の頂を摩でたもうゆえに、「大」と名づけるのである。ある人が『大般涅槃経』を引用して、「内に弟子ありて甚深の義を解し、利養のためならず、諍競を生ぜず。外に清浄なる檀越ありて、仏法久住す。もし然らずんば、法久住せず」と説く。これは同経の最後における、道俗への弘通の勧誡であり、また拾い集められた遺嘱にすぎない。今経のように、一期の説法が終わり、他方に散じようとする際に十種の神力をお現じになって十方に嘱累し、仏が直接菩薩の頂を摩で、菩薩が三度受けることによって、法への懇ろな思いを表すのとは異なる。 「仏の智慧」などとは、覚照の側面を取って一切智に属し、畢竟空を見ることをいう。「如来智慧を道種智と為す」とは、因から果に至って道種の名を得ることを取る。道種は権に従うものであり、詳しくは第一卷において、すべて能く契う行を以て権と名づけるのと同じである。 「如来の室において」から「是の如く三智を明かす」までは、すなわち座・室・衣の三つに依って、それぞれに三智を具えることをいう。これはただ、三つと一つが相即し、三つと一つが互いに融け合うのであり、よって一つの中に三つを具える。この三つの事をもって経を弘め、他を益し、他をしてそれぞれ果地の三智の用を得せしめる。ゆえに知るべし、室に慈悲の二がなければ弘誓は普遍せず、衣に二がなければ法身は満たされず、座に二がなければ惑破は周らざることを。 「是の如き施主」以下は、能施の意を結ぶ。本来は「是の如き施主は三法欠くること無く、自他共に空しからず。是の故に施主と為り大慈悲有り。自ら既に室に入り、他をして室に入らしむ。慳吝無きが故に、自ら既に衣を著け、他をして衣を著けしむ。畏れ無きが故に、自ら既に座に坐し、他をして座に坐らしむ。」というべきである。また、「慳吝無きが故に此の三法を施し、畏れ無きが故に此の三法を説く。施すも説くも皆慈悲を具う。即ち是れ室の三法なり。」とも解せる。 「汝等」などとは、汝等は如来のこの三法を学び、それをもって流通せよ。この三つの三法をもって、一切の者に施すべきである。故に経に「汝等は即ち衆生の大施主なり」とある。これは、この経の功徳が必ず三三を具えることを明かすものである。ましてや弘める所の三三の法は、他をして弘める所を得せしめて初めて名づけられるのである。 「世尊勅す」とは、具に奉行することをいう。他の者はここで凡夫の慳を弁じ、『成実論』を引いて「慳に五種あり。住処の慳、他物を護る慳、称讃の慳、法の慳。」と説く。法の慳には七種の報いがある。一には生生常に盲、二には生生に愚癡、三には怨家の中に生まれる、四には胎内で死ぬ、五には諸仏の怨と為る、六には善人遠離す、七には悪を作らざること無し。もしこの文を解消しようとしても、全く関わりがない。あえて言えば、如来がもし小乗をもって化すれば、我は則ち慳貪に堕ちるとあり、法を弘める者に凡夫の慳を捨てるよう勧める。この解釈ならば許せる。しかし、これを直接の証拠として、仏を凡夫と同じにするのは、全く許されないことである。