---
title: "五燈會元續略 · 燕京報恩寺萬松行秀禪師"
description: "五燈會元續略由明代高僧淨柱法師輯錄，是對佛教禪宗史書《五燈會元》的重要續作。該書編纂於明末清初，旨在補錄宋代以降禪門諸家機緣語錄與傳承法脈，內容涵蓋臨濟、曹洞等宗派祖師的行誼與開示。作為禪宗燈史承前啟後的關鍵文獻，它系統保存了宋至明代的禪宗史料，對研究禪法流變與宗門綱要有重要價值，被視為禪宗史傳中不可或缺的權威著作之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmczlnjk40uh3jj04gdeii3ta"
---

### 燕京報恩寺萬松行秀禪師

> 燕京報恩寺萬松行秀禅師

河內之解人也。姓蔡氏。出家於邢州淨土寺。禮贇公為師。後受具戒挑囊距燕歷潭過慶壽參勝默老人。教看長沙轉自己歸山河大地話。半載全無由入。默曰我。只願你遲會。一日有省。復看玄沙未徹語請益雪巖於磁之大明纔二十七日不覺伎倆已盡。留入記室。語言相契。徑付衣偈。尋歸淨土搆萬松軒以自適。寺內尊宿敦請住持。次住中都萬壽寺小參。昔有跨驢人問。眾僧何往。僧曰。道場去。人曰。何處不是道場。僧以拳歐之曰。者漢沒道理。向道場裏跨驢不下。其人無語。師曰。人人盡道者漢有頭無尾。能做不能當。殊不知却是者僧前言不副後語。汝既知舉足下足皆是道場。何不悟騎驢誇馬無非佛事。萬松要斷者不平公案。更與花判曰。喫拳沒興漢。茆廣杜禪和。早是不尅己。那堪錯怪他。道場惟有一。佛法本無多。留與闍黎道。護唵薩哩嚩。金章宗皇帝明昌四年。即南宋光宗紹熈四年也詔師於禁庭陞座帝親迎禮聞未聞法開悟感慨親奉錦綺大僧伽衣。內宮貴戚羅拜拱跪。各施珍愛建普度會。施利異常。連日祥雲聯綿天際。從此年豐謳歌滿路。承安二年丁巳詔師住大都之抑山棲隱禪寺。上堂。蓮宮特作梵宮修。聖境還須聖駕遊。雨過水澄禽泛子。霞明山靜錦蒙頭。成湯也展󳭪天網。呂望稀垂浸月鈎。試問風光甚時節。黃金世界桂花秋。閏四月旦日上堂。所謂道人者。不知月之大小。不知歲之餘閏。埜僧即不然。今年三百八十四日。前月大盡。此月小盡。即今閏四月一日辰末巳初。忽有個出來道。通疏伶俐知時按節。要且無道人氣息。埜僧以手掩鼻道近後近後作什麼聻道人氣息。珍重。贊湛然居士真曰。大悲千臂俱胝一指。錯認湛然手中拂子瞎。全真問。弟子三十餘年打疊。妄心不下。師曰。妄心有來多少時也。又曰。元來有妄心否。又曰。妄心作麼生斷。又曰。妄心斷即是。不斷即是。真禮拜而去。師問僧。洞山道龍吟枯木異响難聞。如何是異响。曰。不會。師曰。善解龍吟。問。明與無明其性無二。如何是無二之性。師曰。天曉不露。問。諸佛不出世。為甚麼却向王宮生。師曰。青山常舉足。曰。亦無有涅槃。為甚麼却向雙林滅。師曰。白日不移輪。問。撒手那邊底人。為甚麼不居正位。師曰。大功不宰。曰。回頭這畔底人。為甚麼不墮偏方。師曰。至化無為。問。向道莫去。歸來背父。如何得不背父去。師曰。切忌回頭。問。心心放下難。如何是放下底人。師曰。擔取去。問。是處是慈氏。無門無善財。為甚麼道瑠璃殿上無知識。師曰。折殿了相見。晚住報恩。退居從容菴。示眾。機輪轉處。智眼猶迷。寶鏡開時。纖塵不度。開拳不落地。應物善知時。兩刃相逢時。如何回互。示眾。去即留住。住即遣去。不去不住。渠無國土。何處逢渠。在在處處。且道是甚麼物。得恁麼奇特。示眾。動則埋身千丈。不動則當處生苗。直須兩頭撒開。中間放下。更買草鞋行脚始得。示眾。踢翻滄海大地塵飛。喝散白雲虗空粉碎。嚴徒立令猶是半提。大用全彰如何施設。示眾。向上一機鶴冲霄漢。當陽一路鷂過新羅。直饒眼似流星。未免口如匾擔。且道是何宗旨。師於孔老莊周百家之學無不俱通。三閱藏教。恒業華嚴。得法者一百二十人。壽八十一。

> 河内の出身で、姓は蔡氏。邢州の浄土寺で出家し、贇公を師と仰いだ。後に具足戒を受け、袋を担いで燕を経て潭州に至り、慶寿寺で勝默老人に参じた。長沙の「自己を転じて山河大地に帰す」という公案を学ぶよう指示されたが、半年経っても全く悟りを得られなかった。勝默は言った、「私はただ、あなたが遅く悟ることを願っているだけだ」。ある日、ふと悟るところがあった。さらに玄沙の「未徹」の語を学び、磁州の大明寺で雪巖に請益した。わずか二十七日で自分の技量が尽きてしまったのを感じ、記室に留められた。言葉が心にかなって、衣と偈を直接授けられた。やがて浄土寺に戻り、万松軒を建てて自らの楽しみとした。寺の尊宿たちが熱心に請うて住持となった。 次に中都の万寿寺に住した。小参で言った、「昔、驢馬に跨った人がいて、衆僧に問うた、『あなたたちはどこへ行くのか』と。僧が答えた、『道場へ行くのだ』と。その人が言った、『どこが道場でないということがあろうか』と。僧は拳でその人を殴って言った、『この男は分別がない。道場の中で驢馬に跨ったまま降りようとしない』と。その人は何も言えなかった」。師は言った、「誰もがこの男は頭があって尾がなく、良く言うだけで実行が伴わないと言う。しかし知るがよい、実はこの僧こそ前言と後言が一致していないのだ。あなたが足を上げ下ろすことすべてが道場であると知っているなら、なぜ驢馬に乗り馬を誇ることがすべて仏事であると悟らないのか。万松はこの不公平な公案を裁断しようと思う」。さらに判決を述べて言った、「拳を食らってつまらない男、愚かな禅僧よ。自分を慎むこともできずに、ましてや他人を誤って責めるとは。道場はただ一つ、仏法はもともと多くない。これを闍黎に告げよう。護唵薩哩嚩」。 金の章宗皇帝の明昌四年（南宋の光宗の紹熙四年にあたる）、師を宮中に招いて高座に上げ、帝は自ら出迎えて礼し、未だ聞いたことのない法を聞いて悟りを得て感慨し、自ら錦綺の大僧伽衣を奉じた。内宮の貴戚たちは列をなして拝み跪き、それぞれが珍しい愛蔵品を施して普度会を開いた。施しは並外れて多く、数日間にわたり吉祥の雲が天に連なった。この年から豊作となり、歌が道に満ちた。 承安二年丁巳、師は大都の仰山棲隠禅寺に住するよう詔を受けた。上堂して言った、「蓮宮を特別に梵宮として修め、聖境はまた聖駕の遊幸を待つ。雨が過ぎて水は清く、鳥は雛を浮かべ、霞が明るく山は静かで、錦が頭を覆う。成湯も天の網を広げたが、呂望は月にかかる釣り針を垂れることも稀だった。試みに問おう、風光はどのような時節かと。黄金の世界、桂花の秋」。 閏四月の朔日に上堂して言った、「いわゆる道人とは、月の大小を知らず、年の閏の余りを知らない。しかし野僧はそうではない。今年は三百八十四日、前の月は大の月、この月は小の月。今はまさに閏四月一日の辰の刻の終わり巳の刻の初めである。忽然と誰かが出てきて言うかもしれない、『明達で利口で、時節をよく知っている。しかし道人らしい気配がない』と。野僧は手で鼻を覆って言う、『近づけ近づけ、何をしているのか。道人らしい気配とは』と。珍重」。 湛然居士の真(肖像)を賛して言った、「大悲千臂の、倶胝一指。誤って湛然の手の中の払子と認めたのは盲目だ」。 全真が問うた、「弟子は三十余年、妄心を打ち消そうと努力してきましたが、どうしても消えません」。師は言った、「妄心はどれほどの昔からあるのか」。また言った、「元来妄心というものがあるのか」。また言った、「妄心をどうやって断つのか」。また言った、「妄心を断つのが正しいのか、断たないのが正しいのか」。全真は礼拝して去った。 師が僧に問うた、「洞山は『竜が枯れ木に吟ずる、異响は聞き難し』と言った。どういうのが異响か」。僧は「わかりません」と答えた。師は言った、「よく竜吟を解する者だ」。 問う、「明と無明、その性は二つではない。どのようなのが二つでない性か」。師は言った、「夜明けに露わにされない」。 問う、「諸仏は世に出現しないというのに、なぜ王宮で生まれるのか」。師は言った、「青山は常に足を挙げている」。さらに「涅槃もないというのに、なぜ双林で滅するのか」。師は言った、「白日は輪を移さない」。 問う、「あの世に手を放した人は、なぜ正位に居ないのか」。師は言った、「大功は主としない」。さらに「こちらに振り返った人は、なぜ偏った場所に落ちないのか」。師は言った、「至化は無為」。 問う、「道に向かうなら行くな、帰って来れば父に背く。どうすれば父に背かずに行けるか」。師は言った、「くれぐれも振り返るな」。 問う、「心心と放下するのは難しい。どのようなのが放下した人か」。師は言った、「担いで行け」。 問う、「至る所が慈氏であり、門がなく善財もいない。なぜ『瑠璃殿の上に知識なし』と言うのか」。師は言った、「殿を壊してから会おう」。 後に報恩寺に住し、退いて従容菴に隠居した。 示衆して言った、「機輪の回転する所、智眼はなお迷う。宝鏡の開く時、微かな塵も通らない。拳を開けば地に落ちず、物に応じて時をよく知る。両刃が相まみえる時、どのように回互するのか」。 示衆して言った、「去るならば留め、留まるならば遣わす。去らず留まらず。彼には国土がない。どこで彼に逢うのか。在々処々。さあ、これは何というものか、このように奇特であるとは」。 示衆して言った、「動けば身を千丈に埋め、動かなければ当処に苗を生じる。まさに両頭を撒き開き、中間を放下すべきだ。さらに草鞋を買って行脚して初めてよい」。 示衆して言った、「滄海を蹴りひっくり返せば大地は塵と飛び、白雲を喝し散らせば虚空は粉々になる。弟子を厳しく立たせることはなお半分の提唱に過ぎない。大用が全く彰される時、どのように施設するのか」。 示衆して言った、「上の一機は鶴が霄漢に冲するがごとく、当陽の一路は鷂が新羅を過ぎるがごとし。たとえ眼が流星の如くであっても、口が扁担の如くなるのを免れない。さあ、これは何の宗旨か」。 師は孔子、老子、荘子、百家の学問に通じないものはなく、三度蔵教を通読し、常に華厳を行じた。法を得た者は百二十人。享年八十一。