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title: "出曜經 · 2"
description: "出曜经是姚秦时期著名译经师竺佛念所译的佛教经典，属于早期汉传佛教重要文献之一。该经主要阐述佛陀的教法，内容涵盖修行方法、因果业报、戒律规范等核心教义，具有鲜明的实践指导意义。竺佛念作为五世纪初重要译经家，其译文准确流畅，对佛教在中国的传播影响深远。出曜经不仅反映了早期佛教思想体系，也为研究中国佛教发展史提供了珍贵资料，在汉传佛教经典中占有重要地位，是了解原始佛教教义的重要参考典籍之一。"
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## 出曜經卷第二

> 『出曜経』巻第二

姚秦涼州沙門竺佛念譯

> 姚秦涼州沙門竺仏念訳

### 無常品之二

> 無常品 その二

「如河駛流， 往而不返， 人命如是，逝者不還。」

> 川の流れが速く、二度と戻らないように、人の命もまた同じ。過ぎ去った者は戻らない。

是時，彼比丘聞此語已，內自慚愧，解知一切萬物皆當歸死，無常變易不可久居，恩愛別離怨憎會苦，思惟無我無人無命，心意專正趣泥洹門，江水所漂蓋不足言，死河所溺永劫不解，當求方便去離駛流。爾時比丘聞佛切教，心開意解淡然無想，即於佛前離生死難成阿羅漢，三自稱善，快哉福報所願者得。爾時坐上無數眾生，聞此比丘成道果證，皆發無欲清淨之行，皆得須陀洹果。

> そのとき、その比丘はこの言葉を聞いて、心に深く恥じ入り、すべてのものはやがて死に帰すものであると悟った。無常であり変わりゆくものは長くとどまることができない。愛する者との別れは苦しく、憎む者と出会うことも苦しい。無我・無人・無命であると思いを巡らし、心をただ一つに正しく向けて涅槃の門へと進んだ。川の水に流されることなど問題ではない。死の川に溺れることは永遠の劫を経ても解けることがない。なんとかしてこの激流から離れるべきである。そのとき、比丘は仏の切実な教えを聞き、心が開け理解が澄み、淡々として何も思い描かなくなった。その場で仏の前で生死の苦しみを離れ、阿羅漢となった。三度、自ら善きかなと称え、なんとすばらしい福報よ、願いは成就した、と喜んだ。そのとき、座にいた無数の衆生は、この比丘が道を成し悟りの果を得たと聞いて、皆、欲望を離れた清らかな行いを起こし、皆、須陀洹果を得た。

所造功勞， 永世乃獲， 如杖擊水，離則還合。

> 積み重ねた功徳は、長くこの世で報われますが、それは水を杖で打つようなもので、杖を離せばすぐに元に戻ってしまうのです。

昔佛在毘耶離城甘梨園中。爾時眾多比丘觀見土界，國豐民盛所居平正，穀食豐賤縱情恣意，不隨法禁上下相慢各謂真正。爾時世尊愍彼愚惑，以種種方便導引法味，即集大眾告諸比丘：「夫為智者以譬喻自解，猶如地界水滿其中，東西南北地無空缺處，有一瞎鼈無數千劫不可稱計生長於水，有一薄板縱廣一肘唯有一孔，為風所吹，然彼瞎鼈經歷百歲一舉東看，風吹板在南方，云何比丘！彼瞎鼈者為值孔不？」對曰：「不也。世尊！」「復經百歲復得南看，風吹板復在西方。云何比丘！彼瞎鼈者為值孔不？」對曰：「不也。世尊！」「如是四方隅角亦復如是，云何比丘！彼瞎鼈者會當值孔不乎？」對曰：「不也。世尊！」時諸比丘白世尊曰：「此瞎鼈身會當與孔相值不耶？」世尊告曰：「此事極難，時乃有相值期耳。受畜生身復難，於此畜生求人復甚難。於此如是，比丘！人身難得，雖得為人值命促短，不類古人壽命無量。毘婆尸世尊出現於世，如來、至真、等正覺，自佛去世人壽七萬歲，復有佛出，名曰式棄如來、至真、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、世尊。彼佛去世後人壽六萬歲，爾時有佛，名曰毘舍浮如來、至真、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、世尊，出現於世。彼佛去世後人壽五萬歲，爾時有佛，名曰迦鳩留如來、至真、等正覺，十號句義出現於世。彼佛去世後人壽四萬歲，爾時有佛，名曰迦那迦牟尼如來、至真、等正覺，十號句義。彼佛去世後人壽二萬歲，有佛出世，名曰迦葉如來、至真、等正覺，十號句義。彼佛去世後人壽百歲，我今出世，名釋迦文如來、至真、等正覺，十號句義。比丘當知，極壽百歲出者無幾，壽百歲者時時乃有，是故說曰，所造功勞永世乃獲。古人積德，壽命無量眾行備具，亦無疾病凶疫惡氣，人壽八萬四千歲，時有三疾患：一曰所欲，二曰飢渴，三曰衰老。如今，比丘！五濁鼎沸，世人壽極短，四百四病纏裹人體。尊者馬聲亦作是說：

> 昔、仏は毘耶離城の甘梨園におられました。そのとき、多くの比丘たちは、この土地の様子を見て、国は豊かで民は栄え、住むところも平らかで、穀物も豊富で安く、思いのままに振る舞い、法の戒めに従わず、互いに軽んじ合い、それぞれ自分こそ正しいと思っていました。そこで世尊は、その愚かで迷っている人々をあわれみ、さまざまな方便で法の味わいへと導こうと、すぐに大衆を集めて比丘たちに告げられました。 「智者はたとえ話によって自ら悟るものである。たとえば、大地が水で満たされ、東西南北どこにも陸地の隙間がないとする。そこに一匹の盲いた亀が、数えきれないほどの長い年月、水の中で暮らしている。また、一枚の薄い板が縦横一肘ほどの大きさで、ただ一つの孔がある。それが風に吹かれている。その盲亀は百年に一度、一度だけ東を見るために顔を出す。すると風に吹かれた板は南にある。比丘たちよ、どう思うか。その盲亀は、その孔に巡り会えるだろうか。」 「いいえ、世尊。」 「また百年を経て南を見ることができたとしても、風に吹かれた板はまた西にある。比丘たちよ、どう思うか。その盲亀は、その孔に巡り会えるだろうか。」 「いいえ、世尊。」 「このように四方や隅々も同様である。比丘たちよ、どう思うか。その盲亀は、いずれその孔に巡り会えるだろうか。」 「いいえ、世尊。」 そのとき、比丘たちは世尊に申し上げました。「この盲亀の身は、いずれその孔に巡り会うことがあるのでしょうか。」 世尊は告げられました。「このことは非常に難しい。長い時を経て、ようやく巡り会うことがあるだろう。畜生の身を受けることもまた難しい。その畜生の身から人の身を求めることは、さらに非常に難しい。このように、比丘たちよ、人の身を得ることは難しい。たとえ人となっても、命は短く、昔の人々のように寿命が無量であることはない。毘婆尸世尊が世に現れ、如来・至真・等正覚となられた。その仏が亡くなられた後、人の寿命は七万歳であった。また仏が現れ、名を式棄如来・至真・等正覚・明行成就・善逝・世間解・無上士・道法御・天人師、号して仏・世尊と申された。その仏が亡くなられた後、人の寿命は六万歳であった。そのとき仏がおられ、名を毘舎浮如来・至真・等正覚・明行成就・善逝・世間解・無上士・道法御・天人師、号して仏・世尊と申され、世に現れた。その仏が亡くなられた後、人の寿命は五万歳であった。そのとき仏がおられ、名を迦鳩留如来・至真・等正覚、十号の句義とともに世に現れた。その仏が亡くなられた後、人の寿命は四万歳であった。そのとき仏がおられ、名を迦那迦牟尼如来・至真・等正覚、十号の句義とともに現れた。その仏が亡くなられた後、人の寿命は二万歳であった。仏が世に現れ、名を迦葉如来・至真・等正覚、十号の句義とともに現れた。その仏が亡くなられた後、人の寿命は百歳となり、私が今、世に現れ、名を釈迦文如来・至真・等正覚、十号の句義とともに現れたのである。比丘たちよ、知っておくがよい。百歳まで生きる者はごくわずかであり、百歳まで生きる者はたまたまいるだけである。だからこそ、こう説くのである。積んだ功徳は永い世を経てようやく報われる、と。昔の人々は徳を積み、寿命は無量で、多くの行いを備え、病気や疫病や悪気もなかった。人の寿命は八万四千歳で、そのときには三つの病があった。一つは欲、二つは飢えと渇き、三つは老いである。しかし今、比丘たちよ、五濁が沸き立つように満ち、世の人の寿命は極めて短く、四百四の病が人の体を包み纏っている。尊者馬声もまたこのように説かれた。」

「『諸患集為體， 為老死所伺，毒劍熾火逼， 萬患守營衛。』

> 諸々の苦しみが集まって体を成し、 老いと死に狙われている。 毒の剣と燃え盛る火に逼られ、 万の患いが守り囲んでいる。

「是故說曰：『所造功勞，永世乃獲；如杖擊水，離則還合。』如今，比丘！人命危脆不可久保，誰當貪慕願受此生？唯有凡夫無知之人願生三有。」時諸人民聞佛所說，皆發清淨不退轉行。

> そこでこう説かれています。「行った善行の報いは、遠い未来にこそ得られる。水を杖で打っても、杖を離せばすぐ元に戻るように。比丘たちよ、人の命はもろく儚く、長く保つことはできない。誰がこの生に執着し、願い求めるだろうか。ただ無知な凡夫だけが、迷いの世界に生まれたいと願うのだ。」この説法を聞いた人々は皆、清らかで揺るがない心を起こしました。

譬人操杖， 行牧食牛， 老死猶然，亦養命蟲。

> たとえば人が杖を手にして、 牛を追い、草を食べさせるように、 老いと死もまたそのとおり、 命を養う虫を飼っているようなものだ。

昔佛在摩竭國界羅閱城中，佛將阿難著衣持鉢，道見有人驅牛千頭，就其美草放烟瞻候。佛問阿難：「汝見有人驅放群牛不乎？」對曰：「唯然見之。」佛語阿難：「此群牛本有千頭，在外瞻守掌不牢固，為虎惡獸所見噉食死者過半，餘不覺知方相抵觸跳踉喚吼，傷其無智何乃甚哉？」佛語阿難：「眾生處世亦復如是，計於吾我不知非常，貪著五欲養育其軀，快心極意共相殘害。無常宿對卒至無期，曚曚不覺，何異於彼群牛者乎？雖好水草長養其膚，但促其命無益於己。」佛還精舍，以此因緣誡勵眾會四輩弟子，中有二百餘人聞法意悟，得六神通成阿羅漢。佛告比丘：「或有眾生應聞切教而得度者，或有眾生應聞妙智思惟分別而得度者，或有譬喻而得度者，或有愚闇趣聞一句便得度脫。應聞喻者，此偈則是。其義隨時料量而得度者，是故說曰，譬人操杖其事如斯。

> 昔、仏は摩竭国の羅閲城におられました。仏は阿難を連れて衣を着け鉢を持ち、道で牛を千頭追っている人に出会いました。その人は牛を美しい草のある所へ追いやり、煙を上げて見守っていました。仏は阿難に問いました。「あなたは人が牛の群れを追い放しているのを見ましたか。」阿難は答えました。「はい、確かに見ました。」仏は阿難に言いました。「この牛の群れはもともと千頭あったが、外で見守る者の管理がしっかりしていなかったため、虎や猛獣に食べられて死んだものが半分を超えた。残った牛はそれに気づかず、互いに角を突き合わせたり跳ね回ったり鳴き叫んだりしている。その無知さはなんと甚だしいことか。」仏は阿難に言いました。「生きとし生けるものが世に生きるのもまた同じである。我と我が物に執着して無常を知らず、五欲に貪り執着して身を養い、心の赴くままに互いを傷つけ合う。無常の宿業がにわかにやって来るのに、ぼんやりと気づかない。あの牛の群れと何が違うだろうか。良い水と草でその体を養っても、ただ命を縮めるだけで自分には何の益もない。」仏は精舎に戻り、この因縁によって集まった四衆の弟子たちを戒め励ましました。その中で二百余人が法を聞いて悟り、六神通を得て阿羅漢となりました。仏は比丘たちに告げました。「ある生きとし生けるものは、切なる教えを聞いて度される者もあれば、ある生きとし生けるものは、妙なる智慧を聞いて思惟分別して度される者もあり、ある生きとし生けるものは、譬喩によって度される者もあり、ある生きとし生けるものは、愚かで暗くとも一句を聞いてただちに度脱する者もある。譬喩を聞くべき者には、この偈がそれである。その義は時に応じて量り知って度される者もある。それゆえに説いて言う、人を譬えて杖を操るとはその事かくのごとし、と。

是日已過， 命則隨減， 如少水魚，斯有何樂？

> 今日もまた過ぎ去り、 命は刻々と減っていく。 水の少なくなった魚のように、 そこに何の喜びがあろうか。

佛告比丘：「夫人處世，所行不同所見亦異，一日過去人命隨減，雖壽百年臥消其半。」便與眾會而說此偈：

> ブッダは比丘たちに告げられた。「人々が世に生きる中で、その行いも見方もそれぞれ異なっている。一日が過ぎれば人の命はそれだけ減っていく。たとえ百年の寿命があっても、寝ている間にその半分は過ぎ去ってしまうのだ。」そして、集まった人々にこの詩を説かれた。

「夫人欲立德， 日夜無令空，日夜速如電， 人命迅如是。」

> 夫人よ、功徳を積もうと心に決めたなら、 昼も夜も空しく過ごしてはならない。 昼も夜も、電光のように速く過ぎ去り、 人の命もまた、これと同じほどに速いのだから。

時來會者觀察此義分別修行，日夜已過死緣難計，愚人依憑染著受有，當念勤加興勇猛心無失𨈬體，是故說曰：

> 時が来て集まった者は、この意味をよく観察し、それぞれに修行に励みなさい。昼も夜も過ぎ去り、死の縁は数えきれません。愚かな人は、執着にすがり、存在に染まっています。常に心に留め、ますます勇猛な心を起こして、この身を無駄にしてはなりません。それゆえにこう説かれました。

「是日已過， 命則隨減， 如少水魚，斯有何樂？」

> 今日という日はもう過ぎ、命もそれにつれて減っていく。水の少なくなった魚のようなものだ。そこに何の楽しみがあろうか。

汝等比丘當明此理，大海江河猶有枯竭，萬刃大魚曝脊在外，況是少水而不然乎？或有時溝㵎瀑雨溢滿，流疾趣下聲震四遠，彼岸人喚此不聞聲，此間人喚彼不聞聲。或時溝澗水盡無餘，四趣眾生雖受形分命則隨減，如少水魚斯有何樂？或有眾生壽命極長，諸天壽八萬四千劫，地獄壽一劫，畜生與地獄同壽，餓鬼壽命無有限量。如尊者滿願至時持鉢正服，入弗迦羅國。時有餓鬼倚城門立，比丘滿願問餓鬼曰：「汝今在此何所求索？」鬼報彼曰：「汝今見我耶？」比丘報曰：「我先見矣。」鬼復語曰：「我夫入城于今未還，故於此立，自待夫主耳。」比丘問曰：「汝夫入城為何所求？」時鬼報言：「今此城中有大長者患癰積久，今日當潰膿血流溢，夫主將來二人共食以濟其命。」比丘復問：「汝夫主入城經幾許時？」然彼城郭逼近江河，舉手指城語比丘曰：「此城於彼，此岸成敗以來今為第七，我夫入城經爾許時。」餓鬼受形壽不可稱亦無齊限，然人受形極壽百歲雖出無幾，是故說曰，如少水魚斯有何樂？故別說人不墮四趣。

> あなたがた比丘たちよ、この道理をよく理解しなさい。大海や大河でさえ枯れることがあり、大きな魚が背中を外にさらすこともあるのです。ましてや少しの水がそうならないはずがありましょうか。 あるときは溝や谷川が豪雨で溢れかえり、激しい流れが下へと向かい、その音は四方に響きわたります。しかし彼岸の人が呼んでもこちらには聞こえず、こちらの人が呼んでもあちらには聞こえません。またあるときは溝や谷川の水がすっかり尽きてしまえば、四つの世界に生まれた生き物たちは、形ある身を受けていても命はそれにしたがって減っていきます。少ない水の中の魚のように、そこに何の楽しみがありましょうか。 ある生き物たちの寿命はきわめて長く、天人は八万四千劫の寿命があり、地獄の生き物は一劫の寿命があります。畜生は地獄と同じ寿命で、餓鬼の寿命には限りがありません。 さて、尊者満願が托鉢のときになると、衣を正して鉢を持ち、弗迦羅国に入りました。そのとき、一人の餓鬼が城門にもたれて立っていました。比丘の満願が餓鬼に尋ねました。「あなたは今ここで何を求めているのですか」。餓鬼は答えました。「あなたは今、私が見えますか」。比丘は答えました。「さきほどから見ています」。餓鬼はまた言いました。「私の夫が城に入って、今だに戻りません。それでここに立って、夫の帰りを待っているのです」。比丘が尋ねました。「あなたの夫は何を求めて城に入ったのですか」。餓鬼は答えました。「この城の中に、長く癰を患っている大長者がいます。今日、その膿が破れて血が流れ出るはずです。夫は二人でそれを食べて命をつなごうとしているのです」。比丘はまた尋ねました。「あなたの夫が城に入って、どれほどの時間が経ったのですか」。この城は川に近く、餓鬼は手で城を指さして比丘に言いました。「この城ができてから、あちらの岸が七度目の世替わりを迎えるほどの時間が経っています。夫が城に入ってから、それだけの時間が経つのです」。 餓鬼は形ある身を受けており、その寿命は計り知れず、限りもありません。しかし人間は形ある身を受けても、最も長い寿命は百年にすぎず、あっという間に過ぎ去ってしまいます。それゆえにこう説くのです。「少ない水の魚のように、そこに何の楽しみがあろうか」と。したがって特に、人間は四つの世界に堕ちないのだと説くのです。

不寐夜長， 罷惓道長， 愚生死長，莫知正法。

> 眠れぬ夜は長く、疲れた道は長く、愚かな者の生死の迷いは長い。正しい法を知らないからである。

昔佛在舍衛國祇樹給孤獨園。佛告諸比丘：「有四夜，睡眠者少覺寤者多。云何為四？女與男想，睡眠者少覺寤者多；男與女想，睡眠者少覺寤者多；三曰盜賊，睡眠者少覺寤者多；比丘求定勤修正法，睡眠極少覺寤者多。三覺夜長，修正法比丘不覺夜長。罷惓，道長；愚，生死長。莫知正法！」佛在舍衛國祇洹阿那邠邸阿藍，有一梵志緣本宿世造立功業緣至應度，暫聞此偈愚生死長。然彼梵志多饒財寶僕從給使居業成就，所納妻室顏貌殊特與世無雙，女人姿容一以無闕。時，彼梵志內自思惟：「我宜往彼至如來所，當來諸佛為有幾乎？」梵志出城至祇洹精舍到世尊所，共相問訊在一面立，叉手合掌白世尊曰：「願欲所問，若見聽者敢自陳啟。」世尊告曰：「恣汝所問，如來為汝敷演其義。」梵志白曰：「云何世尊！於當來世，為有幾許等正覺耶？」世尊告曰：「將來世諸佛數如恒沙。」時彼梵志聞佛所說，瞻仰喜踊不能自勝，善心生焉。「當來諸佛數如恒沙，於諸佛所善修梵行，興功立德為福不惓。然吾處世饒財多寶，僕從給使居業成就，所納妻室顏貌殊特與世無雙，我依此業便當分檀布施，有所求索不逆人意。」爾時梵志聞佛教誡，戢在心懷，繞佛三匝舉手辭讓便退而去。爾時梵志行道未遠，復作是念：「我向所啟問將來佛，然吾退忘不問過去諸佛世尊，我今宜還至世尊所問過去佛。」梵志即還至世尊所，共相問訊在一面立，爾時梵志白世尊曰：「過去諸佛為有幾所？」佛告梵志：「過去諸佛數如恒沙。」梵志復前便自悲泣，並自舉聲而作是說：「愚處生死纏綿積久，恒沙諸佛吾不及覩，斯何苦哉？」復自投地宛轉自責：「斯由放逸，行不從本，使我退在處凡夫地，或在泥梨地獄畜生餓鬼長夜受苦，刀山劍樹火車爐炭，或伏雪山劫敗乃移，或處炙獄受痛無量。雖出為人值生邊地，有佛興世不值不覩。先有比丘教誨我言愚生死長，誠哉斯言！我今宜加精勤用意自歸如來，復待將來諸佛為乎？田業妻婦斯是外役，何必貪慕毀敗聖教？」爾時梵志叉手合掌佛前長跪白世尊曰：「唯然世尊！聽為道次得修梵行。」爾時世尊告諸比丘：「汝等將此梵志，教授威儀度為比丘。」比丘受教即度為沙門。在閑靜處思惟挍計修上人法，所以族姓子出家學道，剃除鬚髮著三法衣，以信堅固於家出家，修無上梵行，潔身受證以自娛樂，生死已盡梵行已立所作已辦，更不復受有，如實知之，已得為道，在無餘境得阿羅漢果。爾時世尊觀察此義思惟本末，亦使諸比丘速取滅度，為後眾生現其大明，然熾正法久存於世，重與梵志而說此偈：「不寐夜長，罷惓道長，愚生死長，莫知正法。」

> 昔、仏は舎衛国の祇樹給孤獨園におられました。仏は諸々の比丘たちに告げられました。「四つの夜がある。眠りは少なく、目覚めていることは多い。四つとは何か。女が男を想うとき、眠りは少なく目覚めていることは多い。男が女を想うとき、眠りは少なく目覚めていることは多い。三つ目に盗賊、眠りは少なく目覚めていることは多い。比丘が定を求め勤めて正法を修めるならば、眠りはきわめて少なく目覚めていることは多い。三つの目覚めの夜は長い。正法を修める比丘は夜の長さを覚えない。疲れ果てれば道は長い。愚かならば生死は長い。正法を知ることはないのだ。」 仏は舎衛国の祇洹阿那邠邸の林におられました。一人の梵志がいて、過去世に功徳を積んだ縁により、教えを受ける時が来ていました。この偈をふと聞いて「愚かならば生死は長い」と知りました。しかしその梵志は多くの財宝と召使いを抱え、家業を成し遂げ、妻の顔かたちはこの上なく美しく世に並ぶものもなく、女性としての姿かたちに何一つ欠けたところがありませんでした。 そのとき、梵志は心の中で思いました。「私はあの如来のもとへ行くべきだ。来たるべき諸仏はどれほどおられるのだろうか。」梵志は城を出て祇洹精舎へ至り、世尊のもとに到り、互いに挨拶を交わして一方に立ち、両手を合わせて世尊に申し上げました。「お尋ねしたいことがあります。お聞きいただけましたら、恐れながら申し上げます。」世尊は告げられました。「思うままに問いなさい。如来があなたのためにその意味を説き明かそう。」梵志は申し上げました。「世尊よ、未来の世には、正しく目覚めた方々はどれほどおられるのでしょうか。」世尊は告げられました。「未来の世の諸仏の数は恒河の砂のごとくである。」そのとき梵志は仏の説かれたことを聞き、仰ぎ見て喜び躍り、自分を抑えきれず、善い心が生まれました。「未来の諸仏の数は恒河の砂のごとくであるとは。もろもろの仏のもとで清らかな行いをよく修め、功徳を積み福をなすことに倦むことはない。しかし私はこの世にあって財宝に恵まれ、召使いを抱え、家業を成し遂げ、妻の顔かたちはこの上なく美しく世に並ぶものがない。私はこの財をもって施しを行い、求める者あれば人の意に逆らわないようにしよう。」 そのとき梵志は仏の教えを聞き、心に深く刻み、仏の周りを三度巡り、手を挙げて辞を述べて退き去りました。そのとき梵志は道を行くこと遠からぬうちに、またこう思いました。「私は先ほど来たるべき仏についてお尋ねしたが、しかし退出して忘れ、過去の諸仏世尊についてお尋ねしなかった。今こそ世尊のもとへ戻り、過去の仏についてお尋ねしよう。」梵志はすぐに世尊のもとへ戻り、互いに挨拶を交わして一方に立ち、そのとき梵志は世尊に申し上げました。「過去の諸仏はどれほどおられるのでしょうか。」仏は梵志に告げられました。「過去の諸仏の数は恒河の砂のごとくである。」梵志はさらに進み出て、自ら悲しみ泣き、声を挙げてこう言いました。「愚かにも生死の世界に長く纏わりついて、恒河の砂ほどの諸仏に私はお会いできなかった。なんと苦しいことか。」また自ら地に伏して転げ回り自ら責めました。「これは放逸によるものだ。行いは本に従わず、私をして凡夫の地に退かせ、あるいは泥梨地獄・畜生・餓鬼にいて長く夜に苦しみ、刀の山、剣の樹、火の車、炉の炭、あるいは雪山に伏して劫が尽きてようやく移り、あるいは熱地獄にあって無量の痛みを受けた。人として生まれても辺地に生まれ、仏が世に興っても会えず見えない。先に比丘が私に『愚かならば生死は長い』と教えたが、まことにこの言葉は正しい。私は今こそ精進を加え心を用いて自ら如来に帰依すべきだ。どうしてまた来たるべき諸仏を待つのだろうか。田や家業や妻は外の務めであり、必ずしも貪り慕って聖教を壊すことはない。」 そのとき梵志は両手を合わせ、仏の前に長跪して世尊に申し上げました。「世尊よ、どうか道の次第を聞き、清らかな行いを修めることをお許しください。」そのとき世尊は諸々の比丘たちに告げられました。「あなたたちはこの梵志を連れて、威儀を教え、比丘として度しなさい。」比丘たちは教えを受け、すぐに沙門として度しました。閑静な場所で思惟し較べ計らい、上人法を修めました。族姓の子が出家して道を学ぶのは、髪と髭を剃り三法衣を着て、信をもって堅固に家を出て、無上の清らかな行いを修め、身を清めて証を得て自ら楽しむためです。生死はすでに尽き、清らかな行いはすでに立ち、なすべきことはすでになし終え、もはや存在を受けることはない、とありのままに知り、すでに道を得て、無余の境地にあって阿羅漢果を得ました。 そのとき世尊はこの意味を観察し本末を思惟され、また諸々の比丘たちをして速やかに滅度を取らせ、後の衆生のためにその大きな明かりを現し、正法を盛んにして久しく世に存続させようと、重ねて梵志にこの偈を説かれました。「眠らぬ夜は長く、疲れ果てれば道は長く、愚かならば生死は長い。正法を知ることはないのだ。」

非有子恃， 亦非父兄， 為死所迫， 無親可怙。

> 子に頼ることもできず、父や兄に頼ることもできない。死に迫られるとき、すがれる親しい者は誰もいない。

昔佛在摩竭國道場甘梨園北石室精舍中。時，有一男子將從嚴駕隨大導師入海採寶，餘小賈人以類相從，飲食𮩘樂施諸貧窮沙門婆羅門。以得入海採致珍寶，還至平岸共相娛樂，飲食歡𮩘日日不斷。時，彼一人飲食麤惡唯服󰉓而已，不改常儀，然復多財珍寶所獲無量。時，大導師語其人曰：「汝今處世饒財多寶少有比類，何為自困不肯食噉？夫人處世當行二業：一者廣施，二者自食。」彼人聞已心不納受，乃更懷恨漸生憂悴，語導師曰：「吾設食噉，無以濟彼妻婦男女。」後遇疾急，竟不至家，中道無常。彼大導師說斯偈曰：

> 昔、仏は摩竭国の道場、甘梨園の北にある石室精舎におられました。そのとき、一人の男が従者を連れ、立派な馬車に乗って大導師とともに海へ宝を採りに出かけました。他の小さな商人たちも仲間について行き、飲食や楽しみを貧しい人々や沙門、婆羅門に施しました。海に入って珍宝を採り、岸に戻ると、みんなで共に楽しみ、飲食して喜び合い、日々絶えることがありませんでした。しかし、その一人だけは粗末な食事をし、ただ腹を満たすだけでした。いつもの習慣を変えず、それでいて多くの財と宝を得て、その量は計り知れませんでした。そこで大導師がその人に言いました。「あなたは今、世にあって財も宝も多く、比べる者も少ない。なぜ自分を苦しめて食事を取ろうとしないのか。人は世に生きるなら二つの行いをすべきだ。一つは広く施すこと、二つは自分も食べることだ。」その人はこれを聞いても心に受け入れず、かえって恨みを抱き、次第に憂いに沈みました。そして導師に言いました。「私が食べてしまえば、妻や子たちを養うことができません。」後に急な病にかかり、ついに家に帰ることなく、道の途中で亡くなりました。その大導師はこの詩を唱えました。

「夫人慳貪， 貯聚財產， 念家怨讐，不覺命終。」

爾時世尊以天眼觀清淨無瑕穢，見彼導師興功採寶中道無常。爾時世尊以此因緣，觀察此義思惟本末，欲使諸比丘示現滅度，為後眾生現其大明，然熾正法久久於世。爾時世尊便說斯偈：

「非有子恃， 亦非父兄， 為死所迫，無親可怙。」

時諸大眾聞佛所說，心開意悟興功立德，拯濟窮乏持齋修戒，歲三月六未始有闕，四事供養，衣服、飯食、床座臥具、病瘦醫藥，須衣與衣須食與食，財寶七珍，金銀珍寶、車𤦲馬瑙、真珠虎珀，有求索者不逆其意，遠來久住經過人者皆悉供給，華香脂粉亦用給與無所悋惜。無數大眾厭患生死，除貪著意執信堅固，出家修道，修增上法無退轉意，各以次第成阿羅漢道。

千百非一， 族姓男女， 貯聚財產，無不衰喪。

眾生居世馳趣四方，貪求財貨興欲無厭，盛夏冒焰冬履嚴霜，飢寒勤苦艱難憂慮，萬失一獲猶用自慶，施心難果意不開悟，既自不食復不施人，雖饒寶貨與無不異。坐禪之人裝以七寶，雖目視之意不甘樂，以慳貪故流轉生死，從今世至後世。爾時世尊以天眼觀清淨無瑕穢，觀了眾生馳趣四方貪求財貨不顧後慮，皆為愚惑所見迷誤。世尊以此因緣尋究本末，為諸比丘導引法味，亦為將來眾生示現大明，然熾正法久存於世，三世諸佛盡見將護。爾時世尊於大眾中，而說此偈：

「千百非一， 族姓男女， 貯聚財產，無不衰喪。」

時世坐上數千萬人，聞佛所說，專意聽受，各隨所念成得果證。

常者皆盡， 高者亦墮， 合會有離，生者有死。

昔佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時有異梵志至世尊所，共相問訊在一面坐。爾時梵志白世尊曰：「願欲所問，若見聽者乃敢陳啟。」佛告梵志：「恣汝所問，如來當為敷演其義。」梵志白佛：「云何世尊！以何因緣，今世眾生轉微轉薄遂成減損，於人間世不見熾盛？」佛告梵志：「有三因緣，使眾生類轉微轉薄遂成減損，於人間世不見熾盛。云何為三？於是梵志！今世眾生貪欲無道、慳嫉堅固、習邪倒見。時彼眾生為此三事所見染污，風雨非時災害毒流，所種穀子各失時節，轉不成熟。若彼眾生所食之物或生或熟，饒諸疾疹疫氣縱橫，死者填路不可稱計，是謂梵志最初因緣，使今世眾生轉微轉薄遂成減損，於人間世不見熾盛。風雨非時災害縱橫，所種穀子失時不收，轉不成熟苗亦不生，人民飢饉餓死者眾，是謂梵志第二因緣，使今世眾生轉微轉薄遂成減損不見熾盛。復次梵志！如今國王貪欲無道、慳嫉堅固、習邪倒見，治化失度托境無厭，越界攻伐共相傷害，刀劍鉾箭共相斫射，殺者無數不可稱量，是謂梵志由三因緣使此生類災害橫起，飢饉餓死攻伐無道。」佛說此已告目連曰：「吾患脊痛還詣靜室，汝今專意與梵志論，兼與來會永除狐疑。」對曰：「如是世尊！」爾時世尊襞欝多羅僧、枕僧伽梨，右脇倚地，脚脚相累繫念在明。時，大目連：「汝今諦聽善思念之。」梵志對曰：「願樂欲聞。」目連以偈告曰：

「今觀此土境， 及諸眾菓樹，山河流泉源， 江海逝不停。昔人瞻固守， 今為斯所在？寧轉尊法輪， 示現天世人，不樂取命終， 竟知趣何方？欲覓昔舊人， 如今不見一。」

廣說如舊文。梵志聞偈心開意解即履道跡，是故說曰，常者皆盡，高者亦墮，合會有離，生者有死。此是其義。昔佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時有一孤母而喪一子，得此憂惱愁憒失意恍惚倒錯，譬如狂人意不開悟。出城至祇洹精舍，轉聞人說佛為大聖天人所宗，演說經道忘憂除患，無不照鑒無不通達。於是孤母往至佛所，作禮長跪白世尊言：「素少子息唯有一息，卒得重病捨我喪亡，母子情愍不能自勝。唯願世尊！垂神開化釋我憂結。」佛告孤母：「汝速入城遍行衢巷，有不死家者求火持還。」孤母聞已歡悟踊躍，入舍衛城至一街巷，家家告曰：「此中頗有不死者乎？吾欲須火還活我息。」諸人報曰：「我等曾祖父母今為所在？汝今荒錯，何須至巷狂有所說？」所至之家皆言死亡。形神疲惓所求不剋，便還歸家，抱小小兒至世尊所，頭面禮足白佛言：「受勅入城家家乞火皆言死喪，是故空還。」佛告孤母：「夫人處世有四事因緣不可久保。何謂為四？一者常必無常，二者富貴必貧賤，三者合會必別離，四者強健必當死。趣死向死為死所牽，無免此患。」佛告孤母：「汝今何為不自憂慮？何不廣施持戒修齋？月八日十四日十五日，任力堪能，給施孤窮、沙門婆羅門、遠行久住暫停止者，果獲其福不可計量。」孤母白佛言：「我今愛子入骨徹髓，為彼子故不惜身命。」爾時世尊欲化彼人令得開悟，即化作四大火坑圍繞孤母之身，火氣逼身以兒自障，兒復呼喚不堪火痛。佛語孤母：「汝向自陳愛子情重入骨徹髓，寧自喪身不使子亡；火氣逼己酸痛難堪，但當自受？以子障乎？人間微火蓋不足言，地獄火然痛苦無量。畜生愚惑懷癡為苦，餓鬼福尠以飢為苦，能自利者乃得行道修諸善本，分檀布施持戒忍辱，不生地獄畜生餓鬼受諸苦惱，受天人福漸近泥洹。」時彼孤母聞佛所說極深之法，還自思惟，內心懇責，厭患恩愛除去想著，便念世間不可樂想，思惟分別五盛陰苦，即於佛前諸塵垢盡，得法眼淨成須陀洹。爾時世尊觀察此義尋究本末，為後眾生開演法門，便於大眾而說此偈：

「常者皆盡， 高者亦墮， 合會有離，生者有死。 眾生相剋， 以喪其命，隨行所墮， 自受殃福。」

一切眾生蜎飛蠕動蚑行喘息有形之類，皆歸磨滅無免死患，隨行所造而受其報，為善受福惡則禍隨，如影隨形有何可免？以此因緣故說此偈耳：

「惡行入地獄， 修善則生天，若修善道者， 無漏入泥洹。」

昔佛在羅閱城迦蘭陀竹園所。時，彼城中疫氣災害毒出縱橫，人民死亡不可稱限。世尊以天眼觀清淨無瑕穢，諸行惡者死入地獄。復有比丘厭患生死，觀此四大無可貪慕臭穢難近，便入無餘泥洹而般泥洹。爾時世尊觀察此義尋究本末，為後眾生示現大明，亦使正法久存於世。時，諸大會聞佛所說，皆發無上正真道意。

非空非海中， 非入山石間，無有地方所， 脫止不受死。

昔者佛在王舍城迦蘭陀竹園所。時，有梵志兄弟四人，各得五通，自知命促近在不遠，却後七日皆當命終，思共議言：「我等弟兄五通通達，以己神力翻覆天地，現身極大手捫日月，移山住流無所不辦，寧當不能避此難耶？」第一兄曰：「吾入大海，上下平等正處中間，無常殺鬼安知我處？」第二弟言：「吾入須彌山腹中間，還合其表使無際現，無常殺鬼焉知我處？」第三弟言：「吾處虛空隱形無跡，無常殺鬼安知我處？」第四弟言：「吾當隱大市之中，眾人猥閙各不相識，無常殺鬼趣得一人，何必取吾四人？」議訖相將辭王：「吾等計算餘命七日，各欲逃走欲求多福。」王尋告曰：「善進其德。」於是別去各適所至，七日期滿各從其處而皆命終，處虛空者猶如熟菓自然凋落。市守白王：「有一梵志卒死市中。」王乃醒悟：「禍災無常，四人避對一人已死，其餘三人豈得免乎？」爾時世尊以天眼觀清淨無瑕穢，知四梵志避無常對，各求度世免濟其難，然其宿命終不可避。以此因緣尋究本末，欲使後世人示其大明，亦使正法久存於世。爾時世尊在大眾中，而說此偈：

「非空非海中， 非入山石間，無有地方所， 脫止不受死。」

老見苦痛， 死則意去， 樂家縛獄，貪世不斷。

昔佛在羅閱城迦蘭陀竹園所。眾多比丘白世尊曰：「如來今日為觀何義，有何事故，捨人間之樂極世之美，出家學道？」爾時世尊與諸比丘廣演生經：「汝等諦聽善思念之，戢在心懷，吾今當說極微之法。」諸比丘對曰：「願樂欲聞。」世尊告曰：「爾時世尊廣與比丘生經。比丘當知！父真淨王敕諸臣佐：『吾今欲出後園觀看，可速嚴駕羽寶之車。』爾時臣佐至真淨王所而白王曰：『太子欲出後園觀看，被敕嚴駕羽寶之車。』時王聞此語，歡喜踊躍不能自勝，告臣佐曰：『聽太子出後園遊觀，或能除去愁憂亂想。』即自嚴駕集諸大眾三十部軍，左右翼從各十五部，除前後導引。比丘！我時至後園觀看，見有老人形衰色變皮緩面皺，拄杖呻吟氣力枯竭，時問御者：『斯是何人，形衰色變乃至於斯？』御者報曰：『此是老人。』太子問曰：『何謂為老？』御者報曰：『所謂老者形衰年邁伺命旦夕，衰耗之法漸近死趣，故謂為老。』我時，比丘！復問御者：『吾亦當復有此衰耶？』御者報曰：『尊及人天皆有斯患，無免此者。』時我自念：『夫人受形皆有此患，貧賤富貴皆當有此。』便敕御者迴車歸宮，清淨自守思惟道德。時，真淨王問彼御者：『太子出遊觀看，得遂意乎？』御者曰：『太子出遊竟不至園。』王問御者曰：『以何因緣不至園觀？』御者報王：『太子出遊中道見老人，形變色衰憂思而還。』時真淨王得此罔然。『吾先有教令敕語街巷，諸有不淨穢污之物，無令太子見之，若有犯者左右前後當誅七家。』即遣尋究而無有家。所以然者，以其淨居天所化故也。時我，比丘！復作是念：『衰老年邁非適今有，人出胞胎已受形分則有衰老，及出胞胎行步出入、年盛力壯漸微轉衰，皆有此患。』時我，比丘！竊說偈曰：

「『少時意盛壯， 為老所見逼，形衰極枯槁， 氣竭憑杖行。』

「是時，比丘！吾出遊觀先見此變，如是數日，復告御者：『吾欲出遊至後園觀，速疾嚴駕羽寶之車。』

「爾時御者至真淨王所而白王曰：『太子欲出後園觀看，被敕嚴駕羽寶之車。』王聞此語歡喜踊躍不能自勝，告臣佐曰：『聽太子出後園遊觀，或能除去愁憂亂想。』即自嚴駕集諸大眾三十部軍，左右翼從各十五部，除前後導引。比丘！我時至後園觀看，見有病人，形羸吐逆臥大小便，蠅噆其身，水腹痿黃臭穢難近。時我，比丘！問彼御者：『斯是何人？』御者對曰：『病人也。』『何謂為病？』對曰：『病者風差火錯心無歡樂，眾疹集聚食則不消，惡聞人聲，故謂為病。』時我問彼御者：『吾亦當復有此患耶？』御者報曰：『尊及人天亦有此病。』時我，比丘！復作是念：『夫人受形不免此患，至園觀看竟何求乎？』即敕御者迴車歸宮，靜寂自修欲除其患。時真淨王問彼御者：『太子出遊後園觀看，為適意乎？』御者報曰：『太子出遊竟不至園。』王問御者：『以何因緣不至園觀？』御者報王：『太子出遊中道見病人，形羸吐逆臥大小便，蠅噆其身，水腹痿黃臭穢難近。』時真淨王得此罔然。『吾先有教敕語街巷，諸有不淨穢污之物，無令太子見之，若有犯者左右前後當誅七家。』即遣尋究，無有家聚。所以然者，以其淨居天所化故。時我，比丘！復作是念：『夫人受形必有此病，古來有是非適今也。』時，真淨王便作是念：『太子出遊所見瑞應，憂念世間必不樂家，會當出學。吾今當倍彼直衛侍護左側娛樂其志。』

「復經數日敕告御者：『吾欲出遊觀看，速疾嚴駕羽寶之車。』王聞此語歡喜踊躍不能自勝，告臣佐曰：『聽太子出後園遊觀，或能除去愁憂亂想。』即自嚴駕集諸大眾三十部軍，左右翼從各十五部，除前後導引。我時，比丘！至後園看見有死人，宗族五親散髮蓬頭，呼天扣地圍繞啼哭。時我，比丘！問彼御者：『斯是何人？宗族五親散髮蓬頭，呼天扣地圍繞啼哭。』御者報曰：『死人也。』問曰：『何謂為死？』御者報曰：『所謂死人，恩愛已離無復命根，妻子五親永與世別，風逝火滅水消土散各在異處，魂神遷轉形如乾木無所覺知，故曰死也。』我時，比丘！問彼御者：『吾亦當復有此死耶？』御者報曰：『尊及人天皆有此患無有免者。』時我，比丘！復作是念：『夫人處世不免此患，至後園觀竟何求乎？』即敕御者迴車歸宮，靜寂自修欲除其患。時，真淨王問彼御者曰：『太子出遊後園觀看為何？適意乎？』御者報曰：『太子出遊竟不至園，中道見死人於是便還。』時真淨王得此罔然。『吾先有教令敕語街巷，諸有不淨穢污之物，無令太子見之，若有犯者左右前後當誅七家。』即遣尋究而無有家。所以然者，以其淨居天所化故也。時我，比丘！便作是念：『咄老病死無免之者！吾今宜可善求巧便出家學道。』時我，比丘！即捨家出，求無上道成最正覺，今得為佛度脫萬民，皆由積行無戀慕心，今我出現自致正覺。」爾時世尊觀察此義尋究本末，為將來眾生示現大明，亦使正法久存於世，爾時世尊在大眾中而說此偈：

「老見苦痛， 死則意去， 樂家縛獄，貪世不斷。」

諸比丘，聞佛所說踊躍歡喜，即從坐起，禮佛而去。

老則形變， 喻如故車， 法能除苦，宜以力學。

昔佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時眾多比丘白世尊曰：「如來今日年已耆老，肌膚舒緩不與常同。」佛告比丘：「如是如是，如汝所言，我年已老。設當持戒梵行比丘，以如來身安處高床周行四海，雖與恭敬以報重恩。然我本修無憍慢心自證成佛，吾不說是。老則形變喻如故車。所謂故車者。王家所造，或以金銀刻鏤作車，或水精琉璃雜廁其間，經年積歲猶有朽敗，況四大身筋纏血澆，眾事合集乃成此形？父母所造。十月懷抱推溫去濕，隨時瞻視乃名為人。唯有明智能除此苦，以法自將訓誨未悟，加以權化應適無方，宜以力學，稱佛世尊誘導之言，以無諭諂蠲除妄見，不犯身口意行，以第一義充飽一切，將育眾生，行不漏失無懼畏者，謂佛世尊如來弟子，教訓弟子以禁防非。」爾時世尊知彼內心有所趣向，尋究本末，亦與後世眾生示現大明，使正法久存於世，在大眾中便說此偈：

「老則形變， 喻如故車， 法能除苦，宜以力學。」

諸比丘聞佛所說，歡喜作禮而去。

咄嗟老至， 色變作耄， 少時如意，老見蹈藉。

昔佛在羅閱城迦蘭陀竹園所。爾時尊者阿難著衣正服，偏露右臂長跪叉手白佛言：「世尊！今觀如來形變色微，諸根舒緩形狀轉朽，眼根耳鼻舌身諸根不與常同。」佛告阿難：「如是如是，如汝所言。所謂老者，能使極妙殊特之容變為異色，諸根具滿能使缺漏，與病結伴與死並流；色力豪貴財富盈溢能使闕減，身體平正內理充滿，能使僂步憑杖而行；髮如紺青亦如蜜王猶如純黑，能使變白髮落不住；眼如牛眴白黑分明，能使目中生膚睆瞖；額如油光晃昱照曜，能使面皺狀如皮燋；齒如白珂亦如白雪新𤚲牛乳，如烏賊魚絕白胞滿，上下齊平觀無厭足，能使凋落虫齲疼痛。取要言之，於揵沓和、阿須倫、迦留羅、甄陀羅、摩休勒、人及非人，能使衰耗無少壯心，痛中之苦莫甚於老。是故說曰，咄嗟老至，色變作耄，少時如意，老見蹈藉。如來世尊以三十二相而自纏絡，八十種好莊嚴其身，圓光七尺無冥不照，八種音聲遠震十方，猶為老病所見蹈藉，況處凡夫得免此乎？」以此因緣尋究本末，為後眾生示現大明，亦使正法久存於世，於大眾中故說斯偈。

## 出曜經卷第二