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title: "出曜經 · 3"
description: "出曜经是姚秦时期著名译经师竺佛念所译的佛教经典，属于早期汉传佛教重要文献之一。该经主要阐述佛陀的教法，内容涵盖修行方法、因果业报、戒律规范等核心教义，具有鲜明的实践指导意义。竺佛念作为五世纪初重要译经家，其译文准确流畅，对佛教在中国的传播影响深远。出曜经不仅反映了早期佛教思想体系，也为研究中国佛教发展史提供了珍贵资料，在汉传佛教经典中占有重要地位，是了解原始佛教教义的重要参考典籍之一。"
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## 出曜經卷第三

> 『出曜経』第三巻

姚秦涼州沙門竺佛念譯

> 姚秦涼州沙門竺仏念訳

### 無常品下

> 無常品 下

雖壽百歲， 亦死過去， 為老所壓，病條至際。

> たとえ百歳まで生きても、やはり死を免れず、老いに押しつぶされ、病が迫ってくる。

昔佛在舍衛國祇樹給孤獨園，為天人龍鬼眾生之類廣演法教。時，國王波斯匿母年過百二十，卒得重病，非醫藥所療，神祇不能救，不經日夜遂便命終。王及大臣如法葬送，油酥華香事事供養，安措神廟給人瞻守。葬送已訖，還過佛所，如故王法除去五飾前禮佛足，佛命令坐而問之曰：「王所從來，衣服塵土、形變色異，何所施設乃至於斯？」王白佛言：「國大夫人年過百二十，間得重病奄忽無常。向送靈柩殯葬始訖，今還城池過覲世尊。」佛三達智知而問曰：「云何大王！夫人生世有不死者乎？」王白佛言：「人生於世無有不死。」佛告王曰：「自古迄今，大畏有五不可得避：應老之法欲使不老者，此不可得；應病之法欲使不病，此不可得；應死之法欲使不死，此不可得；應磨滅之法欲使不磨滅，此不可得；應盡之法欲使不盡，此不可得。是謂大王！此五不可得法，不與人期，萬物無常難得久居，一日過去，人命亦然，如五江流晝夜不息，人命駛疾亦復如是。」

> あるとき、仏は舎衛国の祇樹給孤独園におられ、天・人・龍・鬼などすべての生きとし生けるもののために、広く法の教えを説いておられました。 そのとき、国王の波斯匿の母は、年が百二十を超えていましたが、重い病にかかりました。医薬でも治せず、神々にも救えず、一日一夜もたたないうちに命が終わりました。王と大臣たちは法に従って葬送し、油や酥、花や香などをもってことごとく供養し、霊廟に安置して人を配して見守らせました。 葬送が終わると、王は仏のもとへ戻り、いつもの王の作法に従って五つの飾りを外し、仏の足を礼拝しました。仏は座るよう命じてお尋ねになりました。 「王よ、どこからおいでになったのか。衣服には塵や土がつき、姿かたちも色も変わっている。何事があって、このようなにお姿なのか。」 王は仏に申し上げました。 「国の大夫人は年が百二十を超えておりましたが、重い病を得て、たちまちに無常の身となりました。先ほど霊柩を送り、葬送が終わったところで、今こうして都に戻り、世尊にお会いしたのです。」 仏は三明の智慧をもって、すでにご存じのうえでお尋ねになりました。 「大王よ、いかがか。この世に生まれた者に、死なない者はいるか。」 王は仏に申し上げました。 「この世に生まれた者に、死なぬ者はおりません。」 仏は王に告げられました。 「古より今日に至るまで、避けることのできない大きな畏れが五つある。老いる定めのものを老いさせぬようにすること、それはできない。病になる定めのものを病ませぬようにすること、それはできない。死ぬ定めのものを死なせぬようにすること、それはできない。滅びる定めのものを滅びさせぬようにすること、それはできない。尽きる定めのものを尽きさせぬようにすること、それはできない。大王よ、これら五つの得がたい法は、人と約束をしない。万物は無常であり、長くとどまることは難しい。一日は過ぎ去り、人の命もまた同じである。五つの川の流れが昼夜やむことのないように、人の命の速さもまた、それと同じである。」

爾時世尊漸與波斯匿王說微妙法，論講不退轉要，所謂論者，施論戒論生天之論，欲不淨想，漏為大患。大王當知：「生則老至，病無光澤，合會必離，是世常法，如電歷目擊石現火，人命劇是，有何可樂？衰變之法，欲使久存者，此事不然。」爾時世尊以此因緣尋究本末，為後眾生示現大明，亦使正法久存於世。爾時世尊在大眾中，與波斯匿王而說斯偈：

> そのとき、世尊はしだいに波斯匿王（はしのくおう）に微妙な法を説き、不退転の要点を論じられた。すなわち、施しについての論、戒についての論、天に生まれることについての論、欲望は不浄であるという想い、煩悩は大きな災いであるということである。大王よ、知るがよい。「生まれれば老いは訪れ、病はつやを失わせ、会うものは必ず別れる。これが世の常の法である。稲妻が目をかすめ、石が火を現すように、人の命はそれよりも速い。何の楽しみがあろうか。衰え変わる法が、長く存続することを望むのは、道理に合わないことである。」そのとき、世尊はこの因縁によって本末を尋ね究め、後の衆生のために大いなる明かりを示し、また正法が長く世に存続するようにされた。そのとき、世尊は大衆の中で、波斯匿王のためにこの偈を説かれた。

「雖壽百歲， 亦死過去， 為老所壓，病條至際。」

> たとえ百歳まで生きても、やはり死は過ぎ去り、老いに押しつぶされ、病が次々と迫ってきます。

佛告大王：「世皆有是，無長存者，皆當歸死無有脫者。古者國王、諸佛真人、五通仙士，亦皆過去無能住者；空為悲戀亡者，為福不惓，福追魂靈如餉田夫。王由此緣廣設福業，福祐助人如憑強杖。」佛說此已，王及四輩諸來會者，莫不歡喜，忘憂除患㸌然啟悟，尋從坐起遶佛三匝，作禮而去。

> 仏は大王に告げられた。「世の中にはすべて無常があり、永遠に変わらないものはありません。誰もがやがて死を迎え、そこから逃れられる者はおりません。昔の国王も、諸仏も、真人も、五神通を持つ仙人たちも、みな過ぎ去ってしまい、とどまることはできませんでした。亡くなった方を悼むばかりでは空しいものです。絶えず福を積むことこそ大切で、その福は田畑を耕す人に食事を届けるように、亡き魂を追いかけて助けます。王よ、このようなわけで、広く福となる行いをなさい。福の恵みは人を助け、強い杖にすがるように支えてくれるのです。」 仏がこのように説かれると、王をはじめ四衆の集まった人々は、みな喜びに満ち、憂いを忘れ悩みを除き、はっと悟りを得た。すぐに座から立ち上がり、仏の周りを三度回り、礼をして去っていった。

是日已過， 命則隨減， 如少水魚，斯有何樂？

> 今日もまた過ぎ去り、 命は刻々と減っていく。 水の少なくなった魚のように、 そこに何の喜びがあろうか。

昔佛在舍衛國祇樹給孤獨園。時，南大海卒涌大洮，越海境界有三大魚，隨上流處在淺水，自相謂言：「我等三魚處在厄地漫水未減，宜可逆上還歸大海。」有礙水舟不得越過，第一魚者盡其力勢跳舟越過，第二魚者復得憑草越度，第三魚者氣力消竭為獵者所得。時獵者便說此偈：

「第一慮未然， 必當被傷害，憑草計現在， 彼命得脫死。二魚俱得免， 以濟危脆命，愚守少水池， 受困於獵者。」

爾時世尊以天眼觀清淨無瑕穢，見彼三魚逐洮波，二魚得濟、一魚受困，復見獵者而作斯頌。因此緣本尋究根原，為後眾生示現大明，亦使正法久存於世，即集大眾說斯頌曰：

「是日已過， 命則隨減， 如少水魚，斯有何樂？」

所謂是日已過者，或剎利婆羅門長者居士，若復少壯盛年老邁，俱同此日共有損減之逝，晝夜不停，命變形羸氣衰力竭，速迅於彼。如少水魚者，或為虛空飛鳥𪇘河白鶻鸛雀青鶴水烏黑鷄，亦為世人男女獵師，羅網捕取鈎餌懸弶，處在淺水一命萬慮，受形於水喪命在水，眾苦難尋有何可樂？是故說曰，如少水魚，斯有何樂？

逝者不還， 晝夜懃力， 魚被熾然，生苦死厄。

昔佛在摩竭國界善勝道場，集諸修行之士。處高山者，或在深窟隱形不出，然彼行人隨時行道瞻相時氣，春節以至觀諸樹木悉皆蓓蕾，色如水精漸轉敷花，復見溝㵎水流澄清靜無聲響。時彼行人心則念言：「時不假借，萬物並生。」爾時行人下山詣村家家乞食，見諸男女飲食歡醼共相娛樂，行人問曰：「斯是何人？」前人對曰：「某村某家姓號如是，某家子者某父所生。」時修行人復自念曰：「今此內物悉皆孚乳。」知其萬物日滋日長，還入深山靜默自修。復至秋節，下山詣村人間乞食，見諸樹木漸皆凋落，霜雪加被葉落凝凍，復見溝㵎水竭枯涸指刺不䎡。時，修行人內自忖度：「今外萬物皆悉凋落，時不再鮮華不重茂，誠哉斯言！」復見人間村落城郭，男女大小共相携抱，散頭垂髮椎胸自摑，高聲啼哭不能自止。時修行人問彼人曰：「此是何人，哀號啼哭乃至於斯？」「某村某家，兒亡女死或父母終，是故村落號悲如是。」行人聞已而自思惟：「今此內物亦復凋落。」已知內外衰耗法至，即還深山，內自校計結跏趺坐，或坐繩床或坐樹下，專心定意不興亂想，觀內外性實皆無常，便興日轉不停住想。云何為日轉？計春至秋至歲，計歲至月，計月至半月，計半月至日數，計日數至時，計時至晝夜，計晝夜至動轉，計動轉至出入息，計出入息至盡無餘，以至於盡，方知盡空萬物無有。已知無有則知何起本、滅亦無跡。或時行人行起有蹤、滅無有跡，方自覺悟，憶如來一切無常亦無窠窟。有時行人觀察前行，積時累日乃得消滅，復憶佛語，如來亦說無常者苦也。時，修行人內自忖度：「生死如是，誰肯樂者？」心已厭患不染四流，願於泥洹速取滅度，或於中間得須陀洹、斯陀含、阿那含果、阿羅漢果。爾時世尊以天眼觀清淨無瑕穢，見彼行人處在深山，精懃學道不斷聖族，因此緣本尋究根源，為後眾生示現大明，亦使正法久存於世，即集大眾而說斯偈：

「逝者不還， 晝夜懃力， 魚被熾然，生苦死厄。」

人命如日夜， 或住或周行，猶如駛流河， 往而不復反。

昔佛在舍衛國祇樹給孤獨園。諸佛世尊凡常說法，相時相宜觀察人意，或有眾生計身是常，昨五陰身今日不異，愚者意迷，謂陰不衰猶河逝駛，前非後流、後非前流，去者永逝來者不停。人亦如是，前行非後行、後行非前行，造功德人，比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷，觀四大身以譬流河，分別思惟至無漏境，優婆塞優婆夷得須陀洹、斯陀含、阿那含果，比丘比丘尼得阿羅漢。爾時世尊以天眼觀清淨無瑕穢，見彼四部眾分別五陰成敗所趣。爾時世尊尋究本末，為後眾生示現大明，亦使正法久存於世。爾時世尊集於大眾，而說頌曰：

「人命如日夜， 或住或周行，猶如駛流河， 往而不復反。」

四部之眾聞佛所說，歡喜而去。

老則色衰， 所病自壞， 形敗腐朽，命終其然。

昔佛在毘舍離城彌猴池側普集講堂所。佛告諸比丘：「或有眾生自怙盛壯力無儔匹，或恃無病自保康寧，或恃財富生業無量，或恃豪貴宗族成就，或有老者集在眾中，為人所毀稱為棄物。」爾時世尊觀察其人心有是非，欲使眾人改往修來故說斯頌。時，毘舍離諸童子等聞此教誡，或起無常無我之想，或起不淨止觀之心，或念安般守意、頂法煖法忍法世間第一法，或得須陀洹果、斯陀含果，或有興發求無上道，或有求辟支佛、阿羅漢道。爾時世尊以此一偈，化毘舍離無數童子，以此因緣尋究本末，為後世人現其大明，亦使正法久存於世，即於大眾而說頌曰：

「老則色衰， 所病自壞， 形敗腐朽，命終其然。」

時諸童子聞佛所說，作禮而去。

是身不久， 還歸於地， 神識已離，骨幹獨存。

> この体は長くは続かず、やがて大地に還る。魂はすでに離れ去り、骨だけが残る。

昔佛在毘舍離甘梨園中。爾時阿梵和利自怙色貌與世無雙，進過人貌退及天形，形範端嚴視無厭足，然家裏財富不可稱限，饒財多寶七珍備足。時，阿梵和利嚴飾羽寶之車，自嚴莊校飾沐浴澡洗香華芬薰，往至佛所，頭面禮足在一面住。是時，眾多比丘欲愛未斷在凡夫地，見阿梵和利來至佛所，皆興愛欲起不淨想，佛知其意即告之曰：「云何，比丘！阿梵和利者受四大形，臭處穢污無一可貪。比丘當知！此阿梵和利如是不久，當臥好高廣床上，衣裳芬薰價直一億，於彼床上忽然命終，舁詣塚壙取耶旬之。」時諸比丘聞之愕然。「無常迅急不避老少，此人形貌世之希有，受如是形便當棄捐在于塚間。」爾時世尊以此因緣尋究本末，為後世人示現大明，亦使正法久存於世，即於眾中而說頌曰。其中四部眾聞此教誡，或起無常無我之想，或起不淨止觀之心，或念安般守意、頂法煖法忍法世間第一法，或得須陀洹果、斯陀含果，或有興發求無上道，或有求辟支佛、阿羅漢道。爾時世尊以此一偈，化毘舍離無數童子。以此因緣而說頌曰：

> 昔、仏は毘舎離の甘梨園におられました。そのとき、阿梵和利は自分の容姿が世に並ぶものがないと自慢していました。進めば人の貌を超え、退けば天の形に及ぶほどで、その姿かたちは端正で、見ても飽きることがありませんでした。しかも家の財産は計り知れず、豊かな財と多くの宝、七つの珍宝がすべて揃っていました。 あるとき、阿梵和利は羽宝の車を飾り立て、自らも身を飾り整え、沐浴して香華の香りを漂わせ、仏のもとへと向かいました。仏の足を頭で礼して、一方に立っていました。 そのとき、多くの比丘たちはまだ愛欲を断ち切れず、凡夫の境地にありました。阿梵和利が仏のもとへ来るのを見て、みな愛欲の心を起こし、不浄の想いを抱きました。仏はその心を知って、すぐに告げられました。 「どうか、比丘たちよ。阿梵和利は四大の形を受けており、臭く穢れたところで、貪るべきものは何一つない。比丘たちよ、知るがよい。この阿梵和利はそう長くなくして、立派で広い寝台に横たわるであろう。衣装は香り高く、その価は一億に値する。しかしその寝台の上で、たちまち命を終えるであろう。そして担がれて墓所へ運ばれ、焼かれるのである。」 比丘たちはこれを聞いて驚きました。 「無常はすばやく、老いも若きも避けない。この人はその姿かたちが世に稀なるほどなのに、このような形を受けて、まもなく墓の間に捨てられるのか。」 そのとき、世尊はこの因縁によって本末を尋ね究め、後の世の人々のために大きな明かりを示し、また正法が久しく世に存続するようにと、すぐに大衆の中で偈を説かれました。 その中の四部の衆は、この教えを聞いて、あるいは無常・無我の想いを起こし、あるいは不浄の止観の心を起こし、あるいは安般守意を念じ、頂法・煖法・忍法・世間第一法を修め、あるいは須陀洹果・斯陀含果を得、あるいは無上道を求める心を起こし、あるいは辟支仏・阿羅漢の道を求める者もありました。 そのとき、世尊はこの一偈によって、毘舎離の無数の童子たちを教化されました。この因縁によって偈を説かれました。

「是身不久， 還歸於地， 神識已離，骨幹獨存。」

時諸大眾聞佛所說，歡喜而去。

是身何用？ 恒漏臭處， 為病所困，有老死患。

昔佛在迦惟羅國尼拘類園中。彼國人民，恒自恃怙豪族富貴軀力強壯，所行自由誇無儔匹。彼有一人，族姓最強，身生瘡痍膿血流溢，晝夜不息臭穢不淨，見皆掩鼻，疼痛苦惱，眾人見者無不厭患。佛知其心而告之曰：「夫人受身四大一類，六門流溢與彼不異，一切人身患苦之室，安止苦惱憂畏萬端。」時諸釋種聞佛教戒，或起無常無我之想，或起不淨止觀之心，或念安般守意、頂法煖法忍法世間第一法，或得須陀洹果、斯陀含果，或有興發求無上道，或求辟支佛道、阿羅漢道。爾時世尊以此一偈，化彼釋種。

昔佛在舍衛國祇樹給孤獨園。有一長者請佛及比丘僧。時比丘僧往彼家，如來不往遣信迎食。所以如來遣信迎食，有二因緣。云何為二？一者欲與諸天說法，二者瞻視病人。是時，世尊遍觀比丘皆悉受請，即取鑰母開一房門，見一比丘抱患頓篤，臥大小便不能轉側。爾時世尊知而問曰：「汝有何患，臥著床褥大小便利，不能轉側？」時彼比丘受性質直內無姦宄，報世尊曰：「受性闇鈍恒懷懈慢，初不勸佐瞻視餘人，是故今日無看我者，今實孤窮所怙無處。」爾時世尊躬抱出在門外，除去不淨湔浣坐具，復取淨水用洗其身，便與著衣敷新坐具還臥房中，如來躬自舒手為枕，告比丘曰：「汝不加懃求增上法，未獲者獲、未得者得，未受果證令受果證，設不用意受此法者，便當更受劇是苦惱。」爾時世尊漸與說極妙法，無數方便勸使勇猛思惟道德，即從座起還閉房門，詣普會講堂，勅語侍者：「汝今速集舍衛城中諸現在比丘即詣普會講堂。」比丘已集，世尊告曰：「汝等比丘！無父無母無弟無兄，亦無姊妹，亦復無有宗族五親，不相瞻視各相捐棄，此非其宜，便為外道異學梵志所見嗤笑：『瞿曇沙門乃無毫釐慈心，視人形命如視瓦石，死者孤窮無瞻養者。』我法齊整上下和順，汝設爾者便屈於彼。自今已始，弟子侍師事如父母至死不捨，師看弟子視如己息，隨時將息至死不捨，師徒相慈恩流永劫，所有什物平等分布，設無什物當詣廣施之家勸令修福。若少知識當詣賈家分衛乞食，好者給病、惡者自食。其瞻病者則瞻我身，所獲功德亦無差降。」

時病比丘，世尊去不久便自思惟：「受此四大眾苦湊集，是身何用？漏諸不淨，為病所困不脫老死？宜可自謹承修佛語。」即捨形壽入無餘泥洹境而般泥洹。爾時眾多比丘持鑰母開門，見彼比丘已捨形壽，即白世尊：「抱患比丘今已命終，不審魂神為生何處？在何道種？」佛告比丘：「彼病比丘素積善行，吾與說法意尋開悟，後便意猛向法次法分別深法。此族姓子已取泥洹，汝等宜可供養舍利。」爾時世尊觀察此義已，欲使正法久存於世，為將來眾生示現大明，於大眾中而說頌曰：

「是身何用？ 恒漏臭處， 為病所困，有老死患。」

眾生聞法，歡喜奉行。

是身漏臭處， 眾疾集普會，無患第一滅， 安隱永休息。

是身漏臭處者，眾患穢污人所惡見，瘡痍苦漏諸不淨眾刺之首，無常變易法應磨滅，苦中之苦莫甚於陰，當求巧便離四大身，善謀權慧求於出要，一切眾惱永息無餘，故曰盡也。已盡虛者空寂，亦無生滅著斷之二。無患第一滅者，安隱無憂喜想，安隱永休息，第一滅盡無餘泥洹。時諸會者聞說此義，歡喜而受，作禮而去。

暑當止此， 寒雪止此， 愚多豫慮，莫知來變。

昔有長者造立屋舍，春秋冬夏各立堂室，任情自用不奉禁戒，歲三月六初不防制，財富無數慳貪不施，亦不給與沙門婆羅門；亦不信有今世後世，放逸自恣慳貪難化，不識道德不計無常，更作好室前庌後堂，清涼之臺冬溫之室，東西起舍數十餘間，刀風解形忽然無常。佛以天眼清淨無瑕穢，見此長者卒便命終，存在之日無有慈恩加被眾生，但有勞役於餘人民，意所規郭竟不充願。爾時世尊在諸大眾中，欲現其義宣暢本原，亦使將來眾生善解無疑，復現過去諸佛世尊神口印封之所封印，亦使正法久存於世，尋集大眾而說頌曰：

「暑當止此， 寒雪止此， 愚多豫慮，莫知來變。」

時諸會者聞佛所說，歡喜奉行。

生子歡豫， 愛染不離， 醉遇暴河，溺沒形命。

昔有居士，財富無數，家裏庫藏七寶充滿，金銀珍寶、車𤦲馬瑙、真珠虎珀七珍具足，奴僮僕從、象馬車乘、穀儲倉庫一以無乏，唯闕無息以繫後嗣。彼以子故求禱諸神，或跽舍神城神階陌諸神，或跪諸神先祖父母、山神樹神天地神，下至墓堆穢惡之神，盡向跪拜，竟不充願亦不生子，晝夜愁憂漸以生疾。「今我家裏財寶無數，難得之寶盡在我家，又復無息承繼我後，若我命終，所有財貨盡沒入官，念此傷惋知復如何？」斯人有幸疾漸瘳降，未經旬月便生一息，端正無雙世之希有，面如桃華眾相具足。父母見已，歡喜踊躍不能自勝，復請比居諸村落人，飲食歡宴作倡伎樂終日自娛，或躭醉睡眠無所覺知。時有大水暴涱駛流，盡漂沒死無存活者。爾時世尊以天眼觀清淨無瑕穢，見此長者成敗所趣，因此緣本尋究根原，欲使後世眾生善解無疑，復現過去諸佛世尊神口印封之所封印，亦使正法久存於世，尋集大眾而說頌曰：

「生子歡豫， 愛染不離， 醉遇暴河，溺沒形命。」

爾時諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

有子有財， 愚惟汲汲， 命非我有，何有子財？ 愚蒙愚極， 自謂我智，愚而稱智， 是謂極愚。

昔佛在毘舍離獼猴池側高講堂上。爾時眾多童子等，善知射術筈筈相拄，於射術上彼最為第一，自恃高族與世無雙。「處閻浮利內無及我等，正使有憂慮者，子今與世無雙，豈有姦賊侵欺我等？」兒復自惟：「吾父有伎必勝眾人。」各相憑俟竟不自濟，無常對至迸在異處。是故頌曰：

「在眾疾姓流， 目視兄弟親，為死使所追， 被害無有退。死使有數種， 親族所在救，積財無有數， 為賊所嬈觸。火熾以水滅， 以蓋除彼明，恚以毒藥去， 呪術除非邪。暴象以鉤牽， 牧牛以杖將，此眾皆有樂， 無常難可保。

「無常力勢， 不可恃怙， 知死命終，然不久住。 一切皆盡， 無覺知者，為世所毀， 流轉諸趣。」

時諸迦惟羅越國釋種聞佛所說，知已射術無有罣礙，與流離王共鬪以箭相射，或殘眉毛或殘鬚鬢，無所傷損。流離王尋欲退還，諸臣前諫：「諸釋種等，奉修戒律皆成道果，雖有射術無所損害。」時流離王漸皆前進，諸釋退還固守城門，遣使白佛：「今日窮急，為流離王所攻。」世尊告曰：「若開門者有所傷損，不開門者無所傷損。」時彼信使還至釋所，而語釋言：「如來有教，若開門者為王所害，不開門者不為王所害。」諸釋聞語已，重關閉固瞻守門戶。時流離王屯守城門，語釋種曰：「速開城門，兩家共和無所傷損。」其中釋種宿緣牽者皆稱開門，無宿緣者承如來教不肯開門。舍馬釋種先在城外與流離王戰，殺七萬眾生，拔象牙傷殺無數眾生。舍馬釋種語流離曰：「室婢生子要莫退還，須我入城更備戰具。」是時，城中諸釋，聞舍馬釋傷害人民不可稱計，即遣喚舍馬釋呵止責數：「非釋自稱釋，污染我釋種，汝今已毀名，速出國去，不須住此城，速去不須住。」

時舍馬釋即出城去。時流離王復開門，宿緣釋種語諸釋言：「但速開門，此婢生子何所堪辦？」無緣釋種等語諸釋言：「如來有教，若開門者有所殺，不開門者無所殺。」時流離王復逼城門。時摩訶男釋語流離王曰：「聽我一願，若見許者便當自陳。」王報釋言：「恣汝所說，吾不相違。」

時摩訶男釋前白王言：「聽我入水經時，令諸釋種各得免脫。」時摩訶男釋即入水，以髮繫樹根沒死水底，時諸釋皆得逃走。時流離王遣人入水看，舅男釋入水何乃稽遲？尋入水云：「摩訶男釋已死於水。」時流離王取七萬釋種成須陀洹果者，生埋在地暴象踐殺，宿緣對至無所恃怙。爾時世尊語毘舍離諸童子等：「空可為地，地可為空，宿對因緣，不可逃避。」以此因緣尋究本末，為後世眾生現示大明，亦使正法久存於世，在大眾中而說頌曰：

「非有子恃， 亦非父兄， 為死所迫，無親可怙。」

時諸四輩之眾，聞佛所說，歡喜而去。

為是當行是， 行是事成是，眾人自勞役， 不覺老死至。飢餓乏漿水， 如窮鹿奔池，為獵者所射， 不念斷欲愛。如是求方便， 分別此形體，老死忽然至， 不至究竟界。

眾多眾生志行不同所作各異，所修善本亦不足言，意着外役不念內法，不念死命意恒計常。昔罽賓國兄弟二人，一人出家得阿羅漢道，一人在家修治居業。爾時兄數至弟家教誨弟言：「布施持戒修諸善本，生有名譽死墮善處。」弟報兄曰：「捨家作道，不慮官私、不念父兄妻子，亦復不念居業財寶。若被毀辱不懷憂慼，若遇歡樂不孚用喜。」數數諫誨不從兄教。弟後遇患忽便無常，生受牛形，為人所驅馱鹽入城。時兄羅漢從城中出，即向彼牛而說偈曰：

「脊負為重擔， 涉道無懈息，為人所驅使， 今日為閑劇。穿鼻為靷繫， 破脊癰疽瘡，為蠅所噆𠲿， 今日為閑劇。食以芻惡草， 飲以雨潦汁，杖捶不離身， 今日為閑劇。以受畜生形， 為行何權計？為可專意念， 三耶三佛德。」

時牛聞已悲哽不樂。牛主語道人曰：「汝何道說，使我牛不樂？」道人報曰：「此牛本是我弟。」牛主聞已語道人曰：「君弟昔日與我親親。」羅漢說曰：「我弟昔日負君一錢鹽價。」是時，牛主即語牛曰：「吾今放汝，不復役使。」時牛自投深磵，至心念佛，即便命終得生天上。或有眾生深慕世累戀著財貨，不修善行，身壞命終生餓鬼中；或復有人出家學道，捐棄恩愛捨世八法修清淨志。猶王太子栴陀羅女，身珮香瓔顏貌端正，像如天女意欲納娶，其王報曰：「夫王者法不娶外類，不與細民為婚，常與長者居士共婚。」太子白王：「設不與婚此女者，今當自殺，不堪生世。」王聞此語如食遇噎，既不入腹又不得吐。王遣出適到旃陀羅家，語女父母曰：「汝當嫁女與我太子。」女母報曰：「隨我種類習殺法者，當嫁女與王太子。」王還語太子曰：「汝今要習殺生法，捨王種類習凡細事，何為要殺女為婚？」太子白王：「意所貪樂，要習殺法不以為難。」即捨王宮出詣殺家計婚姻。如是積久，擔負薪草持筐掃，第一大臣出行見之，問王子曰：「竟得女不？」王子報曰：「吾役使煩多，早忘失女不復憶之。」臣復問曰：「香瓔貫珠今為所在？」太子報曰：「吾亦忘不復憶也。」臣語王子：「既不得女，亦不得珠，復失王位，無所果獲欲何方宜？」王子墮淚悲感不樂。此譬在眾有所長益。或有王子長者居士出家學道，䢖功立德求為阿羅漢，離世縛著於欲離欲，彼此解脫分別無明，智慧解脫無疑解脫成珍寶義。父母兄弟呵制，語出家者言：「人中薄賤莫過於道，家家乞求以此為常，為人嗤笑何可堪樂？人相呪詛使汝作乞兒，不如在家五欲自娛。分檀布施作福不惓，供給當來過去現在，給施孤窮裸賤之人沙門婆羅門僑客遠行，四事供養衣被飲食床臥醫藥，須衣與衣須食與食，香熏華鬘手巾六器在家可辦此物，出家極辛苦。」時諸學人語五親曰：「我等志趣必欲學道，不樂在家理俗因緣。」五親報曰：「不樂俗者隨意出家。」即捨家為道，所習非要，不修正業經歷數時，五親往見語諸道士：「汝等得羅漢道耶？」道人報曰：「自學道以來，今乃聞阿羅漢名。」五親復問：「於欲無欲，彼此解脫，除去無明，智慧解脫無疑成就珍寶，具足如此眾法為得不乎？」道人報曰：「如此眾法我等悉失，不識其名況理行耶？」五親問道人：「汝等何為捨家財業捐棄五親與恩愛別？所習非法，與世人不異。」爾時世尊以天眼觀清淨無瑕穢，見彼五親與道人論，知習非法不順正要，佛欲往化因現道力。因此因緣尋究本末，為後世眾生示現大明，亦使正法久在於世，在大眾中而說頌曰：

「為是當行是， 行是事成是，眾人自勞役， 不覺老死至。」

爾時尊者馬聲，復說頌曰：

「沐浴莊嚴身， 愚弊不習善，無常忽然至， 如母抱死女。」

眾生相剋互相是非，所習非要不順正法，猶昔夫婦二人，姿貌端正威顏具足，眾相備悉諸根寂靜，共相待敬終日無厭。如是經日，夫婦二人忽然失明目無所覩，夫婦相戀恐為人所欺，夫恐失婦、婦恐失夫，坐共相守不遠斯須。時諸五親遠方求醫，將至失明夫婦所，拊藥治目尋得開明。夫見婦顏變易非故，舉聲而言：「誰易我婦去？」婦見夫顏狀變易非故，舉聲而言：「誰易我夫？」五親曉曰：「少壯之容隨日遷轉，氣羸力竭皮緩面皺日異日變，以老朽顏望比少壯，鑽氷求火不亦謬乎？何為啼哭自不相識？」以鏡自照容顏變易，咄嗟老至色不久停，威容挺特一朝色異，愁思憂慮遂增苦惱。尊者曇摩也世利，因此而說頌曰：

「如人眠寐睡， 賊竊開牆盜，失財不覺知， 覺乃周旋覓。愚少習放恣， 自陷沒冥池，不見賊失財， 為老賊無勢。」

是故說曰：「習不真要違道失法，不覺老死至。」時諸人民聞說斯語，歡喜而去。

是故習禪定， 生盡無熱惱，比丘厭魔兵， 從生死得度。

如來宣昔無常遷轉，諸比丘聞皆興患厭，去離陰持諸入之本，世尊教誡指授正業教習正法，或在塚間樹下，或露處經行坐禪念定，勿懷懈慢，今不精懃後悔無益，是謂比丘我之禁戒。是故說曰，是故習禪定，生盡無熱惱。清旦日中向暮、初夜中夜後夜，佛告比丘：「若行若坐若來若去若睡若覺，當念行此三昧使無漏失，生盡無熱惱者，身口意不惱，不為結火所惱，勇猛精懃。」佛告比丘：「然頭然衣以何防之？」比丘白佛：「救頭護衣乃可防之。」佛告比丘：「不如來言觀頭觀衣，更求方便以善法消滅惡法，用意堅固，於諸善法永不越緒，生盡無熱惱，生者猶生有，老病死猶生有，憂惱苦患周旋往來皆由有生。」當說無常品時，時阿難便說頌曰：

「吾聞一時事， 如來說出曜，眾生懷愚闇， 以慈往拔濟。」

說無常者，名身味身句身義身充足，口說無瑕。

聞是一時，吾者陰持入相盡能分別人士，夫眾生壽命生形禍身。吾從佛聞一時，事如是，專意不亂亦不他念，求諸善本，為愚闇眾生開示徑路，眾生處世生盲無目，便與開目使得視瞻，以大慈哀拔濟其苦，視彼眾生如父如母，敷演其義。

以解深句義， 善修其道德，便得盡諸苦， 得逮無餘處。

或以義除結，不以味身句身，佛經亦說不施無漏等見順正，無結去漏勿生便說生，非餘是佛經，或誦佛經不盡結使，是故世尊說當深解句義。時，尊者羅云往至佛所，頭面禮足在一面坐，時尊者羅云白世尊曰：「唯願如來！與我說法，使有漏心疾得解脫。」爾時世尊告羅云曰：「汝當思惟因緣雜誦，已誦訖，來至如來所。」是時，羅云便誦因緣雜誦流利上口，至世尊所，白世尊曰：「唯然世尊！已誦因緣雜誦，有漏不得解脫。」世尊告羅云：「汝諷誦五盛陰雜誦。」爾時羅云即受教誡便誦五盛陰，復於餘時至世尊所白世尊曰：「已誦五盛陰已，有漏心不得解脫。」爾時世尊告羅云曰：「汝當誦六更樂雜誦。」時羅云受佛教已復誦六更樂，復餘時到世尊所白世尊曰：「已誦六更樂已，有漏心不得解脫。」是時，世尊告羅云曰：「汝當思惟觀察其義。」爾時羅云承受佛教，即自思惟分別其義，漸盡結使，得阿羅漢果。皆由分別義，故越次取證，盡有漏成無漏。是故阿難說曰：「以解深句義，善修道德，以道斷結，去諸七使纏縛，永盡無餘。」道者謂泥洹，滅盡無生滅著斷安隱快樂，是故說曰，善修其道德。便得盡諸苦者，所謂苦者，生苦、老苦、病苦、死苦、恩愛別離苦、怨憎會苦。得逮無餘處，無餘者，第一義，無上無有過者。

## 出曜經卷第三