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title: "出曜經 · 9 誹謗品"
description: "出曜经是姚秦时期著名译经师竺佛念所译的佛教经典，属于早期汉传佛教重要文献之一。该经主要阐述佛陀的教法，内容涵盖修行方法、因果业报、戒律规范等核心教义，具有鲜明的实践指导意义。竺佛念作为五世纪初重要译经家，其译文准确流畅，对佛教在中国的传播影响深远。出曜经不仅反映了早期佛教思想体系，也为研究中国佛教发展史提供了珍贵资料，在汉传佛教经典中占有重要地位，是了解原始佛教教义的重要参考典籍之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmczndj521moxjj04ibv34zmj"
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### 誹謗品第九

> <note>誹謗品第九</note>

佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時世尊，無數大眾前後圍繞而為說法。時，有栴摩那祇在舍衛城裏，時摩那祇宿舊怨深，罪識不除，身帶木杅以衣覆之，出舍衛城至祇桓精舍，遙見世尊與無數大眾而為說法，歡喜踊躍不能自勝。「今日要當在大眾中毀辱瞿曇沙門，令我等師得致供養。」在於大眾而說此偈：

> お釈迦さまは舎衛国の祇樹給孤独園におられました。そのとき、世尊は数えきれないほどの大勢の人々に前後を囲まれて、法を説いておられました。ちょうどそのとき、栴摩那祇という女性が舎衛城の中にいました。この摩那祇は昔からの深い恨みを抱いており、その罪の意識も消えないままで、お腹に木の鉢を当てて衣で覆い、舎衛城を出て祇桓精舎へと向かいました。遠くに世尊が大勢の人々に法を説いておられるのを見ると、喜びに躍り上がって自分を抑えられませんでした。「今日こそ大勢の人々の前で瞿曇沙門を辱め、私たちの師に供養が集まるようにしよう。」そうして大勢の人々の中に立ち、この偈を唱えました。

「說法甘悅人， 口出無量義，使我懷姙身， 不羞此宜適。」

> 説法は人を甘く悦ばせ、口からは無量の意味が溢れ出る。 そのおかげで私は身ごもり、この身を恥じることはありません。

爾時世尊出柔軟響，聲如羯脾鳥亦如梵音，而說斯偈：

> そのとき、世尊は柔和な声を出されました。その声は羯脾鳥のようであり、また梵の音のようでもありました。そして、この詩を説かれました。

「妄語地獄近。」摩那祇報曰：「作之言不作。」佛復報曰：「二罪後俱受，是行自牽往。」時大眾中多諸外道異學裸形梵志，信佛者少，習邪者眾，聞此女語皆共信用。「此女孤獨少失父母，如其所說必實彰審。」其信佛者內自思惟：「昔佛在宮，捨王重位捐棄婇女，出家學道成最正覺，豈當有心與此穢陋之女與共從事？」時釋提桓因在如來後，執扇而扇，內自思惟：「此弊梵志女，云何乃興此意誹謗如來？」即化為白鼠，嚙木杅，系斷聲震。大眾無不見者，其中不篤信者悉皆愕然：「此為何聲，乃震四遠？」其中信佛之人聞此音聲，歡喜踊躍僉然同悅。尋有一人從坐起，手執木杅語彼女曰：「此是汝兒耶？」時地自開全身入阿鼻地獄中。時，女宗族追慕啼泣不能捨離，不信佛者即起懺悔，其中信者共相告曰：「誹謗之報其罪如是，現驗如茲，豈云後世？」

> 「妄語の罪は地獄に近い。」摩那祇が答えて言った。「やったことをやっていないと言うのです。」仏はまた告げられた。「二つの罪は後にともに受ける。この行いは自らを引き連れていくのだ。」そのとき大衆の中には多くの外道や異学の裸形の梵志がいて、仏を信じる者は少なく、邪説に慣れた者は多かった。この女の言葉を聞いて皆ともに信用した。「この女は孤独で幼くして父母を失った。その言うところは必ず真実で確かであろう。」仏を信じる者たちは心の中で思った。「かつて仏は宮中におられ、王の重い地位を捨て、婇女たちを棄てて、出家して道を学び、最上の正覚を成された。どうしてこの穢れた醜い女と心を同じくして交わることがあろうか。」そのとき釈提桓因は如来の後ろにあって、扇を執って扇いでいたが、心の中で思った。「この卑しい梵志の女は、どうしてこのような心を起こして如来を誹謗するのか。」そこで白鼠に化して、木の杅をかじり、紐が断ち切られる音が震え響いた。大衆で見ない者はなかった。その中で篤く信じない者たちは皆愕然とした。「これは何の音で、四方にまで震え響くのか。」その中で仏を信じる者たちはこの音声を聞いて、歓喜踊躍し、皆同じく喜んだ。すぐに一人が座から立ち上がり、手に木の杅を執ってかの女に言った。「これはあなたの子か。」そのとき地が自ら裂けて、全身が阿鼻地獄の中に入った。そのとき、女の一族は慕い追って啼泣し、捨て離れることができなかった。仏を信じない者はすぐに懺悔を起こし、その中で信じる者たちは互いに告げて言った。「誹謗の報い、その罪はこのようである。現にこのような証しがある。どうして後世のことを言えようか。」

妄語地獄近者，本無而言有，實非而言是。曾不經歷自言數涉，如此之類墮八大地獄，入十六鬲子，是故說曰，妄語地獄近。作之言不作者，其罪有二：一者實作而犯之；二者妄語，作而言非。此罪最重其報無量，是故說曰，作之言不作也。二罪後俱受者，其二重罪，殃禍之本亡身喪命，智者所不為，是故說曰，二罪後俱受也。是行自牽往者，世人造穢行與身作累，後受其報親族不救，經歷劫數乃得解脫，是故說曰，是行自牽往也。

> 妄語の罪は地獄に近い。もともとないのにあると言い、実際はそうでないのにそうだと言う。一度も経験していないのに、自分は何度も経験したと語る。このような行いは八大地獄に堕ち、十六の地獄へと入る。だからこう説かれる、「妄語は地獄に近い」と。 作ったのに作っていないと言うことには、二つの罪がある。一つは実際に作して犯すこと、二つは妄語で、作したのに作していないと言うこと。この罪は最も重く、その報いは測り知れない。だからこう説かれる、「作したのに作していないと言う」と。 二つの罪は後にともに報いを受ける。その二つの重い罪は、災いの根本であり、身を滅ぼし命を失わせる。智者は決して行わない。だからこう説かれる、「二つの罪は後にともに受ける」と。 この行いは自らを引き連れて行く。世の人は穢れた行いをなし、自らの身に負債を作る。後になってその報いを受けても、親族は救ってくれない。幾多の劫を経て、ようやく解脱を得る。だからこう説かれる、「この行いは自らを引き連れて行く」と。

夫士之生， 斧在口中， 所以斬身，由其惡言。

> 人は生まれながらにして、 口の中に斧を持っている。 悪い言葉を口にすることで、 その斧は自分自身を傷つける。

昔佛在羅閱祇城耆闍崛山。時，尊者舍利弗、大目犍連，食時著衣持鉢正其威儀，下靈鷲山頂入城乞食。食後還出羅閱祇城，未至其所，道逢暴雨，雷電霹靂，道側有神寺，房舍深邃，先有放牛女人於此止住。時，舍利弗、目犍連入寺便住，不見女人；女人遙見舍利弗等，即便失精墮地。時，瞿波利比丘復從後來，舍利弗遙見來，語目連曰：「不與愚從事，得離惡人快。今此比丘是惡知識，宜可出避。」即與目連出彼寺廟涉道而去。瞿波利後至入於廟內，見有女人顏貌端正，作弄女姿像如犯婬，有不淨在地，咄曰：「禍災未曾所見，云何舍利弗、目連等，自稱智慧神足誇世獨步，神通智達謂為第一，今乃與此放牛女人犯婬交接，斯現事如是。世豈有聖人耶？我今躬自見，不從人聞。」得是歡喜即出寺廟，徒跣涉雨至世尊所，頭面禮足在一面立。時，瞿波利比丘前白佛言：「舍利弗、目連等，纂行極弊造凡夫業。適從城出，道遇暴雨入寺避之，見目連等與牧牛女人交接，我躬見之實不虛誑，女人今故在寺，現可驗之。」爾時世尊三稱瞿波利字而告之曰：「止止比丘！勿吐斯言！可發善心向舍利弗、目連等。所以然者？此二賢人，梵行已立所作已辦。」時瞿波利復重白佛：「我今實信如來，如所教勅，然舍利弗、目連所行穢惡，實見婬妷犯於梵行。」佛復告瞿波利：「止止比丘！無令於如來前自墜命根。舍利弗、目連者，行過三界淨如天金，豈當有此婬欲意乎？」瞿波利白佛：「誠如來教，但弟子躬見犯欲，若今如來不見信者，知復如何？」說此語已即前禮足涉路而去，還至靜室復自思惟：「舍利弗、目連身犯穢行我實見之，然今世尊特不見信。」時，四天王夜非人時，往至瞿波利所，謂瞿波利曰：「舍利弗、目連等賢善之人，三界福田無有過者，何為興念誹謗，自墜罪苦？」比丘問曰：「卿是何人？」報曰：「護世四天王。」比丘報曰：「汝等諸天，何為捨自然伎樂來至此山？」四王報言：「故為比丘來至此耳，可發善心於彼二賢。」比丘告王：「但還宮殿，不相豫事。」天即還宮。去未經時，釋提桓因復從後至，謂比丘曰：「可發善心於彼二賢。」比丘報釋提桓因曰：「且守汝天福，不豫汝事。」時拘翼復道而還。富梵天復來到比丘所，語比丘曰：「可發善心於彼二賢。」比丘答曰：「汝是何人？」報曰：「吾是富梵天。」比丘告曰：「世尊不記汝得阿那含耶？」報曰：「如是。」「汝設得阿那含者，何由至此乎？」富梵天即便還去。即其夜，瞿波利舉身生疱大如芥子，轉如胡豆，漸如桃杏，亦如鼻羅菓等，瘡遂壞敗，膿血流出臭穢難近，身壞命終入阿浮度地獄中，千具犁牛而耕其舌。

> 昔、仏は羅閲祇城の耆闍崛山におられた。あるとき、尊者舎利弗と大目犍連は、食事の時、衣を着け鉢を持ち、威儀を正して霊鷲山の頂を下り、城に入って托鉢に出た。食事の後、羅閲祇城を出て、まだ目的地に着かぬうちに、道で暴雨に遭い、雷電が轟いた。道端に神寺があり、房舎は奥深く、以前から牛を放つ女がここに住んでいた。そのとき、舎利弗と目犍連は寺に入ってそのまま留まったが、女は見えなかった。女は遠くから舎利弗らを見て、たちまち精を失って地に堕ちた。そのとき、瞿波利比丘がまた後から来た。舎利弗は遠くに来るのを見て、目連に言った。「愚かな者と交わらず、悪人から離れるのは嬉しいことだ。この比丘は悪い友だちだ。ここを出て避けたほうがよい。」すぐに目連とともにその寺廟を出て、道を歩いて去った。瞿波利は後から寺廟に入り、女がいて顔貌端正で、女の姿を作り婬を犯したかのように振る舞い、不浄が地にあるのを見て、叫んだ。「災いだ、かつて見たこともない。どうして舎利弗や目連らが、自ら智慧と神足を称し世に独歩と誇り、神通智達をもって第一と言いながら、今この牛放ちの女と婬を犯し交接するとは。現実の事がこのとおりだ。世にどうして聖人があろうか。私は今自ら見た、人から聞いたのではない。」この歓喜を得てすぐに寺廟を出て、裸足で雨を踏み、世尊の所へ行き、頭面を礼して一面に立った。そのとき、瞿波利比丘は仏に申し上げた。「舎利弗と目連らは、極めて弊劣な行いをなし凡夫の業を作しました。ちょうど城を出て、道で暴雨に遭い寺に入って避けたところ、目連らが牛飼い女と交接するのを見ました。私は自ら見たのであって、決して嘘ではありません。女は今も寺におります、現に検証できます。」そのとき世尊は三度瞿波利の名を唱えて告げた。「止めよ止めよ、比丘よ。その言葉を吐いてはならぬ。善心を舎利弗と目連らに向けよ。なぜなら、この二人の賢人は、梵行すでに立ち、所作すでに辦じているからだ。」そのとき瞿波利はまた重ねて仏に申し上げた。「私は今、如来を実信し、教えのとおりです。しかし舎利弗と目連の行いは穢悪で、実際に婬妷し梵行を犯すのを見ました。」仏はまた瞿波利に告げた。「止めよ止めよ、比丘よ。如来の前で自ら命根を堕とすな。舎利弗と目連は、三界を超えた行い、清らかなこと天の金のようだ。どうしてこの婬欲の心があろうか。」瞿波利は仏に申し上げた。「誠に如来の教えのとおりです。しかし弟子は自ら欲を犯すのを見ました。もし今如来が信じてくださらなければ、どうすればよいのでしょう。」この語を説き終えてすぐに前に進み足を礼して道を去り、静室に還りまた自ら思惟した。「舎利弗と目連は身に穢行を犯した、私は実際に見た。しかし今世尊は特に信じてくださらない。」そのとき、四天王は夜の非人の時に、瞿波利の所へ行き、瞿波利に言った。「舎利弗と目連らは賢善の人であり、三界の福田でこれに過ぐる者はない。どうして想念を起こして誹謗し、自ら罪苦に堕ちるのか。」比丘は問うた。「あなたは何人か。」答えた。「護世四天王である。」比丘は答えた。「あなた方諸天は、なぜ自然の伎楽を捨ててこの山に来たのか。」四王は答えた。「もとより比丘のためにここに来たのだ。かの二人の賢者に善心を発せよ。」比丘は王に告げた。「ただ宮殿に還れ、あなたの事ではない。」天はすぐに宮に還った。去って間もなく、釈提桓因がまた後から来て、比丘に言った。「かの二人の賢者に善心を発せよ。」比丘は釈提桓因に答えた。「しばらくあなたの天福を守れ、あなたの事ではない。」そのとき拘翼はまた道を還った。富梵天がまた比丘の所に来て、比丘に言った。「かの二人の賢者に善心を発せよ。」比丘は答えた。「あなたは何人か。」答えた。「私は富梵天である。」比丘は告げた。「世尊はあなたが阿那含を得たと記されなかったか。」答えた。「そのとおり。」「あなたがもし阿那含を得たなら、どうしてここに至ったのか。」富梵天はそのまま還って去った。その夜、瞿波利は身中に疱を生じ、芥子ほどで、次に胡豆ほどになり、しだいに桃や杏ほどになり、また鼻羅菓のようになり、瘡はついに壊敗し、膿血が流れ出て臭穢で近づき難く、身は壊れ命終して阿浮度地獄に入り、千具の犁牛がその舌を耕した。

爾時世尊告諸比丘：「守護口過慎勿誹謗，夫誹謗之生皆由貪嫉，昨瞿波利比丘來至我所云：『舍利弗、目連等，習近惡智與女人交接。』吾尋呵制：『止止比丘！勿出此言！可發善心於舍利弗目連所。』如是再三。波利比丘謗心遂熾，釋提桓因、富梵天及四天王，皆來到波利比丘所，慇懃諫曉曰：『可發善心於彼舍利弗、目連等。』波利比丘即復報曰：『各還汝天宮，吾躬自覩彼二賢穢行，如是何為干豫其事？且還速歸，勿復重宣。』尋即各還其所。於夜波利比丘身生疱瘡即取命終，膿血流出，入阿浮度地獄中，千具犁牛而耕其舌。是故比丘！當興勇猛攝護身口意過，見諸精進比丘共相敬待如視我無異。」是時，世尊在大眾中，而說斯頌：

> そのとき、世尊は比丘たちに告げられた。 「口の過ちを守り、決して誹謗してはならない。誹謗が生じるのは、すべて貪りと嫉みのためである。先日、瞿波利比丘が私のもとに来て、こう言った。『舎利弗や目連たちは、悪い知恵に親しみ、女と交わっている』と。私はすぐに叱って止めた。『やめよ、やめよ、比丘よ。そのようなことを言ってはならない。舎利弗と目連に対して善い心を起こしなさい』と。こうして三度まで言った。しかし波利比丘の誹謗の心はますます燃え上がった。そこで釈提桓因、富梵天、そして四天王が皆、波利比丘のもとに来て、丁寧に諫めて言った。『あの舎利弗と目連に対して善い心を起こしなさい』と。すると波利比丘はすぐに答えた。『それぞれ自分の天の宮殿にお帰りください。私はこの目であの二人の聖者の汚れた行いを見たのです。どうしてあなた方がそのことに口を挟むのですか。どうか早くお帰りください。もう繰り返さないでください』と。そこで皆、それぞれの場所へ帰っていった。その夜、波利比丘の体にできものが生じ、そのまま命を終えた。膿と血が流れ出て、阿浮度地獄に落ち、千頭の犁牛が彼の舌を耕した。だからこそ、比丘たちよ、勇猛な心を起こして身と口と意の過ちを慎み、精進する比丘たちを見たら、私に対するのと同じように互いに敬い合いなさい。」 そのとき、世尊は大衆の中で、この詩を説かれた。

「夫士之生， 斧在口中， 所以斬身，由其惡言。

> 人は生まれながらにして、 口の中に斧を持っている。 悪い言葉を口にすれば、 その斧で自分自身を傷つけることになる。

「夫士之生者，出母胞胎宿行不同意性殊異，猶如有人手執利斧，入山斬伐林木華菓藥草毀壞成功。今此人間亦復如是，人生於世不能守護口過，為心所使，造不善本，皆由於舌，端正醜陋長短好惡，亦由心念口發致此重罪。是故比丘！心秉牢固守護其口。如是比丘！當作是學。」爾時諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> 人の生まれというものは、母の胎から出るとき、その行いや性質はそれぞれ異なっています。たとえば、ある人が手に鋭い斧を持って山に入り、木や花や果実や薬草を切り倒し、台無しにしてしまうようなものです。今、この人間の世界もまた同じです。人がこの世に生まれながらにして、口の過ちを守ることができず、心に操られて不善の行為を作り出すのは、すべて舌のせいなのです。姿かたちが端正か醜いか、背が高いか低いか、美しいか醜いかも、また心の思いが口から発せられて、この重い罪を招くのです。ですから、比丘たちよ、心をしっかりと保ち、その口を守りなさい。比丘たちよ、このように学びなさい。」そのとき、比丘たちは仏の説かれた教えを聞いて、喜んで実践しました。

譽惡惡所譽， 是二俱為惡，好以口會鬪， 是後皆無安。

> 悪い者を褒め、良い者を貶す—— そのどちらも悪い行いです。 言葉巧みに争いを挑む人に、後に安らぎはありません。

譽惡惡所譽者，彼瞿波利比丘歎譽調達功德，體性柔軟行業真正，多聞廣慧，慈悲四等育養眾生。如此之類應當毀呰不應歎譽，是故說譽惡惡所譽也。是二俱為惡者，舍利弗、目連比丘，修清淨梵行眾德具足，永離塵埃不與欲會，廣博多智明達三世。然瞿波利比丘，愚心不革執意牢固，興致誹謗云：「舍利弗、目連比丘造諸惡業。」如此之類應當歎德不應興謗。何以故？舍利弗、目連者，持戒多聞為人導師，處在大眾轉無上法輪，逮得羅漢諸漏已盡；然彼惡人興致誹謗，不歎其德。是故說曰，是二俱為惡也。好以口會鬪者，夫人處世罪苦萬端，或因婬嫉致悋，或因博戲致恚，罪心已固不慮後緣，出言招禍以滅身本，漸當入泰山地獄餓鬼畜生，涉諸苦難無有窮已；雖得為人諸根不具，聾盲瘖瘂為人所輕；或在邊地佛後，皆由口過身受殃罪。猶木生火還自焚燒，口為禍門，舌為殃本，二事機發，敗毀形命。是故說，好以口會鬪。是後皆無安者，眾生處在欲界，為顛倒所惑，愚無慧明，為愛縛所繫，憍慢纏身慳嫉心深，不達五識身樂，不知苦之所興，永處闇冥不求燈明，是故說，是後皆無安也。

> 悪を誉め、誉められるべきでないものを誉めるとは、あの瞿波利比丘が調達の功徳をほめたたえ、「性質は柔らかく行いは真実で、多く聞き広く智慧があり、慈悲の四等で衆生を育て養う」と言ったようなことです。このような者は、非難されるべきであって、ほめたたえるべきではありません。それゆえ「悪を誉め、誉められるべきでないものを誉める」と説くのです。 「この二つはともに悪である」とは、舎利弗と目連の比丘は、清らかな梵行を修め、多くの徳を備え、永遠に塵埃を離れて欲と交わらず、広く博く多くの智を持ち、三世に明らかで達しているということです。しかし瞿波利比丘は、愚かな心を改めず、執着の心を固く持ち、誹謗を起こして「舎利弗と目連の比丘は多くの悪業を造った」と言いました。このような者に対しては、徳をほめたたえるべきであって、誹謗を起こすべきではありません。なぜなら、舎利弗と目連は、戒を保ち多くを聞き、人の導き手として大衆の中にあって無上の法輪を転じ、羅漢の位を得て諸の漏はすでに尽きているからです。しかしあの悪人は誹謗を起こし、その徳をほめたたえません。それゆえ「この二つはともに悪である」と説くのです。 「好んで口で争い合う」とは、人は世に処するとき、罪と苦しみが万端に及びます。あるいは淫欲と嫉妬によって吝嗇を招き、あるいは博打によって怒りを招きます。罪の心はすでに固まり、後の因縁を思わず、言葉を出して災いを招き、身の本を滅ぼし、しだいに泰山地獄・餓鬼・畜生に陥り、もろもろの苦難を経て窮まりがありません。たとえ人となっても諸根は備わらず、聾・盲・唖となって人に軽んじられ、あるいは辺地で仏の後に生まれるのも、すべて口の過ちによって身に災いの罪を受けるのです。ちょうど木が火を生じて還って自らを焼くように、口は災いの門、舌は災いの本であり、この二つの事が機に発して形命を敗り毀します。それゆえ「好んで口で争い合う」と説くのです。 「この後すべて安らかでない」とは、衆生は欲界にあって、顛倒に惑わされ、愚かで慧の明がなく、愛の縛に繋がれ、憍慢が身を纏い、慳嫉の心が深く、五識の身楽に達せず、苦の起こるところを知らず、永遠に闇冥に処して灯明を求めないことです。それゆえ「この後すべて安らかでない」と説くのです。

諍為少利， 如掩失財， 從彼致諍，令意向惡。

> 少ない利益をめぐって争い、 財物を失った者のように心を閉ざし、 そこから争いが生まれ、 心は悪い方向へと向かっていく。

諍為少利者，昔有眾多比丘，時到著衣持鉢入舍衛城乞食。見數十博戲之人對坐共戲，一人得勝一人不如，彼得勝者捉不如者剝脫衣裳，五毒加形痛不可忍。眾多比丘見已入舍衛城乞食，乞食已收攝衣鉢，更正衣服至世尊所，頭面禮足在一面坐。時諸比丘具以此事白世尊曰：「向入城乞食，見二戲人對面博戲，一人得勝一人不如，其不如者既失衣裳，身被毒手，痛不可忍。」佛因此本為諸比丘而說偈曰：「諍為少利也，言少利者，猶如大海取其一渧，減須彌山如芥子許，損大地土如米許，復損虛空如蚊許，比丘！極為少不？」白佛言：「甚少。」「博戲雖小亦復如是，百倍千倍萬倍巨億萬倍不可譬喻為比，是故比丘！由小致大遂及諍訟，親變為疎骨肉離索。若復有人誹謗賢聖持戒比丘及謗毀如來，虛而無實，其後受罪，億佛不救。」是故說，諍為少利，如掩失財，從彼致諍，令意向惡也。

> 少ない利益のために争うことについて。 昔、多くの比丘たちがいました。托鉢の時間になると、衣を着け鉢を持って舎衛城へ食べ物を乞いに出かけました。そこで数十人の博打打ちが向かい合って賭け事をしているのを見ました。一人が勝ち、一人が負けました。勝った者は負けた者の衣を剥ぎ取り、五毒の刑を加えました。その痛みは耐えられないほどでした。 多くの比丘たちはそれを見てから舎衛城に入り托鉢をし、托鉢が終わると衣と鉢を収めて身なりを整え、世尊のもとへ行きました。頭を地につけて足を礼し、一方に座りました。そこで比丘たちはこの出来事を詳しく世尊に申し上げました。「先ほど城に入って托鉢をしていたところ、二人の賭博者が向かい合って賭け事をしていました。一人が勝ち、一人が負け、負けた者は衣を失ったうえに毒の手を受けて、痛みは耐えられないほどでした。」 仏はこのことを縁として、比丘たちのために偈を説かれました。 「少ない利益のために争うこと。少ない利益と言うのは、たとえば大海から一滴を取り、須弥山を芥子粒ほどに減らし、大地の土を米粒ほどに損ない、また虚空を蚊ほどの大きさに損なうようなものである。比丘よ、これは極めて少ないではないか。」 比丘たちは仏に申し上げました。「はい、極めて少ないです。」 「賭け事も小さなことではあるが、これと同じである。百倍、千倍、万倍、巨億万倍でも比べようがないほどである。だからこそ比丘よ、小さなことから大きなことへと至り、ついには争いごとに及ぶ。親しかった者が疎くなり、骨肉が離れ散ってしまう。もしまた誰かが聖なる者を誹謗し、戒を守る比丘を誹謗し、あるいは如来を誹謗・毀損するならば、それは虚しくて実がない。その後には罪を受けることになり、億の仏も救うことができない。」 だから説かれたのである。少ない利益のために争うことは、財を失うことを覆い隠すようなものであり、そこから争いが生じ、心を悪へと向かわせるのである。

百千尼羅浮， 三十六五獄，誹謗賢聖者， 依口發願惡。

> 百千の尼羅浮、三十六の五獄、 賢者や聖者を誹謗する者は、その口によって悪しき願いを発する。

爾時世尊告諸比丘：「瞿波利比丘者，自招禍患入尼羅浮地獄中。爾時獄卒阿傍以鐵剛鉗拔出其舌長數百丈，舒展平正以鐵釘釘之，以千犁牛犁鏵火然用耕其舌，一日之中百千萬終死而復生。所以然者？以其惡罪未除故，當復經三十六五地獄，受苦無量不可稱記，從彼獄出當受畜生餓鬼，復當經歷數千萬劫畢其罪苦。若其為人，聾盲瘖瘂六根不具，語不真正多被誹謗，若行道路橫為人打。是故比丘當勤修道德，慎莫誹謗賢聖比丘。誹謗賢聖者其受如是。如是比丘！當作是學。」爾時諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> そのとき、世尊は比丘たちに告げられた。「瞿波利比丘は、自ら災いを招いて尼羅浮地獄に堕ちた。そのとき、獄卒の阿傍が鉄の剛鉗で彼の舌を抜き出し、長さ数百丈にも及んだ。それを平らに伸ばして鉄の釘で打ちつけ、千頭の犁牛に火の燃える犁の鏵を引かせてその舌を耕させた。一日のうちに百千万度も死んではまた生まれ変わった。なぜかというと、その悪い罪がまだ消えていないからである。さらに三十六の五の地獄を経て、無量の苦しみを受け、数えきることもできない。その地獄から出ても畜生や餓鬼に生まれ、さらに数千万劫を経てようやく罪の苦しみが終わる。もし人として生まれても、聾・盲・唖で六根が整わず、言葉は正しくなく、多く誹謗され、道を行けば理由もなく人に打たれる。だからこそ比丘たちよ、努めて道徳を修め、賢聖の比丘を誹謗してはならない。賢聖を誹謗する者はこのような報いを受ける。比丘たちよ、このように学びなさい。」そのとき、比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んで奉行した。

無道墮惡道， 自增地獄苦，遠愚修忍意， 念諦則無犯。

> 道に背けば悪道に堕ち、 自ら地獄の苦しみを増やす。 愚かさを遠ざけ、堪え忍ぶ心を養い、 真理を心に念じれば、過ちは犯さない。

無道墮惡道者，虛而不實亦復不見，正事可依誑生非禍，猶如旃摩那者、瞿波利比丘等，虛而不實誹謗賢聖及舍利弗、目連比丘，身受其報億劫不息。是故說曰，無道墮惡道也。自增地獄苦者，當入百千尼羅浮地獄，當復入三十六五阿浮地獄，身入其中毒痛無量，捨地獄身受地獄身增地獄苦，是故說曰，自增地獄苦也。遠愚修忍意者，恒懷恐懼，聞犯禁制衣毛為竪，遠離愚暗忍諸不忍，是故說曰，遠愚修忍意也。念諦則無犯者，去垢止病莫若四諦，能專意不亂思惟形器內外無主，乃得離此誹謗之聲，是故說曰，念諦則無犯也。

> 道を踏み外し、悪道に堕ちる者は、むなしく実がなく、また姿も見えない。正しいことにこそ従うべきなのに、欺きによって生じた誤りが災いとなる。まるで旃摩那者や瞿波利比丘などのように、むなしく実のない言葉で賢聖や舎利弗・目連比丘を誹謗し、自らその報いを受けて億劫の間も絶えることがない。それゆえに説いて、「道を踏み外せば悪道に堕ちる」というのである。自ら地獄の苦しみを増すとは、百千の尼羅浮地獄に入り、さらに三十六の五阿浮地獄に入り、身をその中に投じて毒の苦痛が無量であり、地獄の身を捨ててはまた地獄の身を受け、地獄の苦しみを増していく。それゆえに説いて、「自ら地獄の苦しみを増す」というのである。愚かさから遠ざかり忍の心を修めるとは、常に恐れを抱き、禁制を犯すと聞けば毛が逆立つほどに、愚かな暗さから遠ざかり、耐えがたいことにも耐えることである。それゆえに説いて、「愚かさから遠ざかり忍の心を修める」というのである。諦を念ずれば犯すことはないとは、垢を取り除き病を止めるには四諦にまさるものはない。よく心を専らにして乱れず、形あるものの内にも外にも主が存在しないと想えば、この誹謗の声から離れることができる。それゆえに説いて、「諦を念ずれば犯すことはない」というのである。

## 出曜經卷第十

> 『出曜経』巻第十