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title: "出曜經 · 1"
description: "出曜经是姚秦时期著名译经师竺佛念所译的佛教经典，属于早期汉传佛教重要文献之一。该经主要阐述佛陀的教法，内容涵盖修行方法、因果业报、戒律规范等核心教义，具有鲜明的实践指导意义。竺佛念作为五世纪初重要译经家，其译文准确流畅，对佛教在中国的传播影响深远。出曜经不仅反映了早期佛教思想体系，也为研究中国佛教发展史提供了珍贵资料，在汉传佛教经典中占有重要地位，是了解原始佛教教义的重要参考典籍之一。"
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### 出曜經利養品第十四

> 『出曜経』利養品 第十四

芭蕉以實死， 竹蘆實亦然，駏驉坐妊死， 士以貪自喪。

> 芭蕉は実をつけると枯れ、竹や葦も同じである。 ラバは妊娠が原因で死に、人は貪りによって自らを滅ぼす。

昔佛在羅閱城竹園加蘭陀所。爾時有比丘名曰調達，聰明廣學，十二年中坐禪入定心不移易，十二頭陀初不缺減，起不淨觀了出入息，世間第一法乃至頂法一一分別，所誦佛經六萬，象載不勝。後意轉轉退，漸生惡念，意望供養深著世利。往至世尊所，頭面禮足在一面立，須臾退坐前白佛言：「唯然世尊！願說神足之道，我聞此已當善修行，使我得神足已，遊至他方處處教化。」爾時世尊告調達比丘曰：「汝今且置神足，何不學四非常：非常義、苦義、空義、無我之義？」是時，調達比丘便生此念：「如來所以不與我說神足義者，恐有勝己耻在不如。」調達即捨如來，往至舍利弗所，白舍利弗言：「唯然賢者！願為我說神足之道，我聞此已當善修行，使我得神足已，遊至他方處處教化。」爾時舍利弗謂調達比丘曰：「汝今且置神足，復用學為？何不修四非常：非常義、苦義、空義、非身之義？」時調達比丘內自思惟：「此舍利弗比丘者，自稱智慧第一；如吾觀之，猶如螢火比於日月。吾所誦習無與等者，猶尚不解神足之道，況復舍利弗比丘豈能解乎？」即便捨去至大目揵連所，語目連曰：「吾聞族姓子，神德無量神足變化無所罣礙，願為我說神足道。我聞此已奉而修行，遊至他方處處教化。」目連語比丘曰：「止止調達！何用此神足道為？吾聞始行之人，先學四非常，苦義空義非身之義，復當精修四禪，爾乃得神足道耳。」調達聞已即興恚怒：「此目連者，自誇神足無與等者，所以不與我說神足道者，恐神足有勝，如我若得神足，彼便無有名譽，是故不與我說神足道耳。」調達比丘內自思惟：「吾今在在處處學神足道，人皆不肯教我。吾自有弟，名曰阿難，多聞博學眾德具足，大慈四等無所不覆，明古知今三世通達，吾今當往問神足道，設授我者當善修行。」是時，調達便至尊者阿難所，語阿難曰：「吾聞卿善解神足之道，可與吾說，吾得神足已，遊至他方處處教化。」是時，阿難便與說神足之道。調達聞已，在閑靜處，專心一意以麤入微，復從微起還至於麤，以心舉身以身舉心，身心俱合漸漸離地，初如胡麻轉如胡桃漸離於地，從地至床、從床至屋、從屋至空，在虛空中作十八變涌沒自由，身上出火身下出水，身下出火身上出水，東出西沒西出東沒，四方皆爾，或分身無數還合為一。是時，調達復作是念：「吾今已得神足，石壁皆過無所罣礙。吾今寧可化作嬰孩小兒，形貌端正頭上五處面如桃華，在阿闍世太子膝上，或笑或號現嬰兒能。」然太子阿闍世獨知是調達身，終日翫弄無有厭足，或嗚嗽唾或擎身傳左右手中。時太子阿闍世內自思惟：「調達神足勝彼瞿曇沙門，能作無數變化。」時，阿闍世日給五百釜食，隨時供養不令有乏。

> 昔、仏は羅閲城の竹園加蘭陀という場所におられました。そのとき、調達という名の比丘がいました。彼は聡明で広く学問を修め、十二年の間、坐禅して定に入り、心は揺らぐことなく、十二の頭陀行を初めから少しも欠かすことなく行い、不浄観を起こして出入りの息をよく知り、世間第一の法から頂法に至るまで一つ一つ分別していました。誦んじた仏経は六万で、象に載せても運びきれないほどでした。しかし、その後、心は次第に退き、悪い思いが次第に生じ、供養を望み、世の利益に深く執着するようになりました。 彼は世尊のもとへ行き、頭を地に付け足を礼して一方に立っていましたが、しばらくして座を退いて仏に申し上げました。「世尊、どうか神足の道をお説きください。それを聞いてよく修行し、神足を得たら、他方へ行き、至るところで教化したいのです。」 そのとき世尊は調達比丘に告げました。「あなたは今しばらく神足を置きなさい。なぜ四つの非常を学ばないのか。すなわち、非常の義、苦の義、空の義、無我の義です。」 このとき、調達比丘はこう思いました。「如来が私に神足の義を説かないのは、自分に勝つ者がいることを恐れ、劣っていることを恥じているからだ。」調達はすぐに如来を捨て、舎利弗のもとへ行き、舎利弗に申し上げました。「賢者よ、どうか私に神足の道をお説きください。それを聞いてよく修行し、神足を得たら、他方へ行き至るところで教化したいのです。」 そのとき舎利弗は調達比丘に言いました。「あなたは今しばらく神足を置きなさい。それを学んでどうするのですか。なぜ四つの非常を修めないのか。すなわち、非常の義、苦の義、空の義、非身の義です。」 そのとき調達比丘は心の中で思いました。「この舎利弗比丘は、自ら智慧第一と称している。私が見るに、蛍火が日月と比べるようなものだ。私が誦んじ学んだものに等しい者はない。それでもなお神足の道を解しない。ましてや舎利弗比丘が解するはずがあろうか。」すぐに立ち去り、大目揵連のもとへ行き、目連に言いました。「族姓子よ、あなたは神徳無量で神足変化に何の妨げもないと聞きました。どうか私に神足の道をお説きください。それを聞いて修行し、他方へ行き至るところで教化したいのです。」 目連は比丘に言いました。「止めなさい、止めなさい、調達よ。この神足の道を何に用いるのか。私は、修行を始めた人はまず四つの非常を学ぶと聞いた。苦の義、空の義、非身の義を学び、さらに四禅を精修して、それから神足の道を得るのだ。」 調達はこれを聞いてすぐに怒りを起こしました。「この目連は、神足に自分に等しい者はないと自慢している。私に神足の道を説かないのは、神足で自分が勝たれるのを恐れ、もし私が神足を得たら、彼は名誉を失うからだ。だから私に神足の道を説かないのだ。」 調達比丘は心の中で思いました。「私は今、至るところで神足の道を学んでいるが、誰も教えてくれない。私には弟がいて、名を阿難という。多聞博学で多くの徳を備え、大慈の四等で覆わないものはなく、古を知り今を明らかにし、三世に通達している。今、彼のもとへ行って神足の道を問おう。もし教えてくれたらよく修行しよう。」 そこで調達は尊者阿難のもとへ行き、阿難に言いました。「あなたは神足の道をよく理解していると聞きました。私に説いてください。神足を得たら、他方へ行き至るところで教化したいのです。」そこで阿難は彼に神足の道を説きました。 調達はそれを聞くと、静かな場所で心を一つに集中し、粗いものから微細なものへと入り、また微細なものから粗いものへと戻り、心で身を挙げ、身で心を挙げ、身心を共に合わせて次第に地を離れ、初めは胡麻のように、次に胡桃のように、次第に地を離れ、地から床へ、床から屋へ、屋から空へと進み、虚空の中で十八の変化を行い、出没自由自在で、身の上から火を出し身の下から水を出し、身の下から火を出し身の上から水を出し、東に出て西に没し西に出て東に没し、四方すべてそのようであり、あるいは分身して無数となり、また一つに合わせました。 このとき調達はまたこう思いました。「私は今すでに神足を得て、石壁も皆通り抜け何の妨げもない。私は今、嬰児の子供に化けて、形貌端正で頭の五処、顔は桃の花のようで、阿闍世太子の膝の上で、あるいは笑いあるいは泣き、嬰児のできることを現そう。」 しかし太子阿闍世だけがこれが調達の身であると知っており、一日中弄んで飽きることがなく、あるいは咳をして唾を吐き、あるいは身を擎げて左右の手に伝えました。 そのとき太子阿闍世は心の中で思いました。「調達の神足はかの瞿曇沙門に勝り、無数の変化をなすことができる。」このとき、阿闍世は日に五百釜の食を給し、時に応じて供養し欠けることがないようにしました。

爾時眾多比丘，見阿闍世太子日給五百釜食供給調達，共相率合往至世尊所，頭面禮足白世尊言：「向者人間分越，見阿闍世供給調達五百釜食。」爾時世尊告諸比丘：「汝等諸人勿興斯意，貪利調達供養。所以然者，調達所得供養，自陷於罪亦陷他人，墮於深罪二俱墮罪。比丘當知！所謂自陷罪者，猶如彼芭蕉樹，愚人求實不能尅獲，竹蘆亦復如是，駏驉懷妊二命俱喪，夫士貪貨後自喪亡。調達比丘亦復如是，貪著利養，由此利養自致喪亡。」佛告比丘：「今當為汝說譬，智者以譬喻自解。昔有群鷲遊在深山各各孚乳，鷲告其雛曰：『汝若學飛玄在虛空，見地如槃慎勿上過。所以然者，上有隨藍風，傷害於汝，頭腦支節各在異處。』時雛兒不隨父母教誡，飛越過量，為風所吹喪命，支節異處。汝等比丘勿興斯意，調達比丘如是受殃近在不遠。比丘復當知之，猶如群龜告語諸子：『汝等自護莫至某處，彼有獵者備獲汝身分為五分。』時諸龜子不隨其教，便至其處共相娛樂，便為獵者所獲。或有安隱還得歸者，龜問其子：『汝等為從何來？不至彼處乎？』子報父母：『我等相將至彼處觀，不見獵者唯覩長綫而追我後。』龜語其子：『此綫逐汝後者，由來久矣，非適今也。汝先祖父母皆由此綫而致喪亡。』諸比丘當知！猶如野狐，晝夜伺求大便，畜獸糞除已自食訖，復自於此大便而去。調達比丘貪致供養亦復如是，已自陷罪復陷他人。諸比丘莫貪著供養，如彼調達比丘。復引喻來，昔大月支國風俗常儀，要當酥煎麥食猪，時宮馬駒謂其母曰：『我等與王致力，不計遠近皆赴其命，然食以草芻飲以潦水。』馬告其子：『汝等慎勿興此意，羨彼酥煎麥耶？如是不久自當現驗。』時逼節會新歲垂至，家家縛猪投於濩湯舉聲號喚，馬母告子：『汝等頗憶酥煎麥不乎？欲知證驗可往觀之。』諸馬駒等知之審然，方知前𠎝為不及也，雖復食草，時復遇麥，讓而不食。」時諸比丘白世尊曰：「調達為人，其德云何，乃能致斯供養？」佛告比丘：「汝等莫興意貪著利養，如是不久自當見調達現驗之事。」爾時世尊觀察此義，為後世眾生示現大明，亦使正法久存於世，爾時世尊處在大眾而說斯偈：

> そのとき、多くの比丘たちは、阿闍世太子が毎日五百釜分の食べ物を調達に与えているのを見て、連れ立って世尊のもとへ行き、頭を地につけて礼をし、世尊に申し上げた。「先ほど人の話で聞きましたが、阿闍世が調達に五百釜分の食べ物を施しているそうです。」 そのとき世尊は比丘たちに告げられた。「あなたがたは、調達が受けている利益や供養をうらやんではならない。なぜなら、調達が得た供養は、自分自身を罪に陥れ、他人もまた罪に陥れているからだ。深い罪に堕ち、二人ともに罪に堕ちるのである。比丘たちよ、知りなさい。自分自身を罪に陥れるとは、あの芭蕉の木のようなものである。愚かな人が実を求めても得ることはできない。竹や葦もまた同じである。ラバが子を宿せば母も子もともに命を失う。人が財貨を貪れば、のちに自ら滅びる。調達比丘もまた同じで、利養に貪り執着し、その利養によって自ら滅びに至るのである。」 仏は比丘たちに告げられた。「今、あなたがたのためにたとえを説こう。智慧ある者はたとえによって自ら理解する。むかし、山深くに鷲の群れがいて、それぞれ卵をかえし子を育てていた。親鷲はその雛に告げた。『もし飛び方を学んで虚空に舞い、大地が盆のように見えたなら、それ以上に高く昇ってはならない。なぜなら、上には随藍風があって、おまえを傷つけ、頭や手足がばらばらになってしまうからだ。』ところが雛たちは親の教えに従わず、限度を超えて飛び上がり、風に吹かれて命を失い、手足はばらばらになった。比丘たちよ、あなたがたも慢心を起こしてはならない。調達比丘もこのように災いを受け、その報いは近くにある。 比丘たちよ、また知りなさい。むかし亀の群れが子らに告げた。『おまえたちは身を守り、ある場所へ行ってはならない。そこには猟師がいて、おまえたちを捕らえて五つに切り分けてしまう。』ところが子亀たちは教えに従わず、その場所へ行ってともに遊び、猟師に捕らえられた。ある者は無事に帰ることができた。親亀はその子に尋ねた。『おまえたちはどこから来たのか。あの場所へ行かなかったのか。』子は父母に答えた。『私たちは連れ立ってあの場所へ行って見ましたが、猟師は見えず、ただ長い糸が後ろから追いかけてくるだけでした。』亀は子に告げた。『その糸がおまえの後を追うのは、ずっと昔からのことだ。今はじまったことではない。おまえの先祖も父母も、みなこの糸によって命を失ったのだ。』 比丘たちよ、知りなさい。野狐のように、昼も夜も糞を求め、獣の糞を片づけては自分で食べ、またそこに糞をして去る。調達比丘が供養を貪り求めるのもまた同じで、すでに自ら罪に陥り、また他人をも罪に陥れている。比丘たちよ、調達比丘のように供養に貪り執着してはならない。 さらにたとえを引こう。むかし大月支の国に、古くからの習わしがあった。必ずバターで炒めた麦を豚に食べさせるのである。あるとき宮廷の馬の子が母に言った。『私たちは王のために力を尽くし、遠近を問わず命じられるままに走ります。それなのに草を食べ、濁った水を飲まされるのです。』母馬は子に告げた。『おまえたちは決してそんな考えを起こして、あのバター炒めの麦をうらやんではならない。そう遠くないうちに、自然と証拠が現れるだろう。』やがて節会の日が迫り、新年が近づくと、家々では豚を縛って熱湯に投じ、大声で泣き叫ぶ声が上がった。母馬は子に告げた。『おまえたちはバター炒めの麦を覚えているか。証拠を知りたければ、行って見てきなさい。』馬の子たちはそれが確かであると知り、はじめて以前の過ちが及ばなかったことを悟った。草を食べることはあっても、ときに麦に出会えば、譲って食べなかったのである。」 そのとき比丘たちは世尊に申し上げた。「調達はどのような人物で、どんな徳があるので、そのような供養を得るのですか。」仏は比丘たちに告げられた。「あなたがたは利養を貪る心を起こしてはならない。そう遠くないうちに、調達の身に現れる証拠を自ら見るだろう。」 そのとき世尊はこの意味を観察し、後世の众生のために大いなる明かりを示し、また正法が長く世に存続するために、そのとき世尊は大衆の中にあってこの偈を説かれた。

## 出曜經卷第十四

> 『出曜経』巻第十四