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title: "出曜經 · 20 馬喻品"
description: "出曜经是姚秦时期著名译经师竺佛念所译的佛教经典，属于早期汉传佛教重要文献之一。该经主要阐述佛陀的教法，内容涵盖修行方法、因果业报、戒律规范等核心教义，具有鲜明的实践指导意义。竺佛念作为五世纪初重要译经家，其译文准确流畅，对佛教在中国的传播影响深远。出曜经不仅反映了早期佛教思想体系，也为研究中国佛教发展史提供了珍贵资料，在汉传佛教经典中占有重要地位，是了解原始佛教教义的重要参考典籍之一。"
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### 出曜經馬喻品第二十

> 『出曜経』馬喩品 第二十

如馬調軟， 隨意所如， 信戒精進，定法要具， 忍和意定， 是斷諸苦。

> 馬を調教してやわらかくすれば、 思いのままにどこへでも行ける。 同じように、信と戒と精進、 定という法の大切な要素を備え、 忍耐と和やかさと心の安定があれば、 これがすべての苦しみを断ち切る。

如馬調軟，隨意所如者，如有善調馬之士以策御馬，隨意所如不失本徹，馬性剛直復恐鞭捶，恒自將護以慮為失，是故說，如馬調軟，隨意所如也。信戒精進，定法要具者，比丘執行亦如彼馬，內恒思惟恐有過失，復恐諸梵行人來見呵責，信心向佛法僧，精進牢固不可沮壞，意常入定，分別諸法亦不漏失，是故說，信戒精進，定法要具也。忍和意定者，學人進行調御諸根不令放逸，於諸根門悉得自在忍力具足，若人毀譽稱譏苦樂，不興恚心亦無是非，是故說，忍和意定也。是斷諸苦者，有中有餘無餘盡能斷入泥洹中，是故說，是斷諸苦。

> 馬を調教して柔らかくすれば、思いのままに従うというのは、たとえば優れた馬の調教師が鞭で馬を御し、思いのままに従わせて本を踏み外さないようなものである。馬の気性は強くまっすぐで、また鞭で打たれることを恐れ、いつも自らを守って失敗を思い煩う。だから「馬を調教して柔らかくすれば、思いのままに従う」と説くのである。信と戒と精進、定と法の要を具えるというのは、比丘が行を実践することもまたその馬のようであり、内にいつも思い考えて過失があってはならないと恐れ、また梵行を行う人々が来て見て叱責するのではないかと恐れる。仏法僧への信心、精進は牢固で壊すことができず、心は常に定に入り、諸法を分別しても漏失することがない。だから「信と戒と精進、定と法の要を具える」と説くのである。忍と和と意の定というのは、学人は進んで行い、諸の根を調御して放逸にさせず、諸の根門においてすべて自在を得て忍の力が具足し、人が毁り誉め称え譏り苦楽を与えても、怒りの心を起こさずまた是非もない。だから「忍と和と意の定」と説くのである。これが諸の苦を断つというのは、中有・有餘・無餘をことごとく断つことができて泥洹に入る。だから「これが諸の苦を断つ」と説くのである。

從是住定， 如馬調御， 斷恚無漏，是受天樂。

> 定に安住する者は、 馬を御するように心を調え、 怒りを断ち、煩悩の漏れを滅ぼして、 天の楽しみを受ける。

從是住定者，彼習定人收攝諸根，執意不亂心無他念，心所念法亦不流馳，是故說，從是住定也。如馬調御者，如彼調馬人，見彼惡馬𢤱戾不調，著之羈靽加復策捶然後乃調，隨意所如無有疑滯，是故說，如馬調御也。斷恚無漏者，諸恚已盡無復諸漏，更不受當來有、後不復生，是故說，斷恚無漏也。是受天樂者，諸天晝夜衛護羅漢說功德，捨天重位來至人間，稱譽賢聖功德，展轉遠布無不聞者，是故說，是受天樂也。

> 定に安住する者とは、その定を修める人は諸々の感覚器官を收め、心をしっかりと保って乱れず、心に他の思いはなく、心に思う法もまた流れ散ることはない。それゆえ「定に安住する」というのである。馬を調える者のようであるとは、あの馬を調教する人が、性質の悪い馬が反抗的で調わないのを見て、轡やむちを当ててさらに打ちたたき、そうして初めて調える。思いのままに従ってためらいがない。それゆえ「馬を調える者のようである」というのである。怒りを断ち漏れを無くすとは、諸々の怒りはすでに尽きて、もはや諸々の漏れはなく、再び未来の生を受けることはなく、後にもう生まれることはない。それゆえ「怒りを断ち漏れを無くす」というのである。天の楽しみを受けるとは、諸々の天は昼も夜も阿羅漢を守護してその功徳を語り、天の尊い位を捨てて人間の世界に来たり、賢聖の功徳を称賛し、次々と遠くまで広められて聞かない者はない。それゆえ「天の楽しみを受ける」というのである。

不恣在放恣， 於眠多覺寤，如羸馬比良， 棄惡乃為賢。

> わがままに振る舞わず、よく眠り、よく目を覚まし、 弱い馬を良馬にたとえるように、悪を捨ててこそ賢者といえる。

不恣在放恣，於眠多覺悟者，如彼修行人心無放逸，歎說不放逸之德，樂於閑靜不處憒亂，見放逸者勸使除貪。夫放逸人不獲善本多失財貨，於眠多覺悟，憶佛契經如來所說：「若人睡眠多有所損，應成之物反更壞敗，不應成物反更成立，皆由睡眠而有此變。」是故說，不恣在放恣，於眠多覺悟也。如羸馬比良，棄惡乃為賢者，猶如兩馬同趣一向，一馬肥良走速，一者羸劣走不及伴，然彼羸者先得正道垂欲究竟，後良馬以進超過於劣馬。此眾生類亦復如是，有利根人貪著睡眠不肯修學，有鈍根人意勤修學不著放逸，是故說，如羸馬比良，棄惡乃為賢。

> 放逸にふけらず、よく目覚めて眠りに陥らない修行者は、心に怠りがなく、放逸を捨てる徳を讃え、静かな場所を好んで騒がしい所に居らず、放逸な人を見れば貪りを除くよう勧める。放逸な人は善い行いを成し遂げられず、多くの財を失う。よく目覚めて眠りを克服し、仏の経典に説かれた如来の言葉を思い起こすべきである。「人が多く眠るならば、多くの損をこうむる。成すべきものがかえって壊れ、成すべきでないものがかえって成就する。すべては睡眠によってこのような変わりが起こる」と。それゆえに説く、放逸にふけらず、よく目覚めて眠りに陥らないと。やせた馬が良馬に及ばぬように、悪を捨ててこそ賢者となる。たとえば二頭の馬が同じ方向へ向かって走るとき、一頭は肥えてよく走り、一頭はやせて劣り、伴に追いつけない。しかしそのやせた馬が先に正道を得て、まさにゴールに達しようとしていたのに、後から良馬が進んで劣った馬を追い越す。この生きとし生けるものも同じである。利根の人は睡眠に貪着して修行をしようとしないが、鈍根の人は意を励まして修行に努め、放逸にふけない。それゆえに説く、やせた馬が良馬に及ばぬように、悪を捨ててこそ賢者となると。

慚愧之人， 智慧成就， 是易誘進，如策良馬。

> 反省する心を持つ人は、智慧を身につけ、導かれやすい。良馬を鞭で促すように。

慚愧之人，智慧成就者，如人習行恥不及眾，得一望一轉欲前進，於行闕一者便自羞恥，「吾宿有何緣習行而不果獲？」煩惋自責如喪二親，意常欲離惡不善法。是故說，慚愧之人，智慧成就也。是易誘進，如策良馬者，盡能滅一切諸惡，永拔根原無復塵翳，如斯之人易進為道，是故說，是易誘進。良馬者，彼御馬人調御惡馬能令調良，豫知人意之所趣向，是故說，如策良馬。

> 慚愧の心を持つ人は、智慧を成就します。それはちょうど、人が修行していて、仲間に及ばないことを恥ずかしく思い、一つを得ればさらに一つをと望み、前へ進もうとするようなものです。修行に一つ欠けるところがあれば、自ら恥じて、「私は前世にどんな縁があって、修行しながらも成就できなかったのか」と、悔しがり、責めさいなむこと、ちょうど親を二人とも亡くしたかのようです。そして、常に悪不善の法から離れようと心がけます。ですから、「慚愧の人、智慧成就」というのです。このような人は導き進めやすいこと、ちょうど良馬に鞭を当てるようなものです。すべての悪を滅ぼし尽くし、根本を永久に抜き去って、再び塵や翳りがなくなります。このような人は道を進みやすいのです。ですから、「これ誘進しやすい」というのです。良馬とは、あの馬を御する人が、悪馬を調教して良く従わせることができ、あらかじめ人の意志の向かうところを知ることをいいます。ですから、「良馬に鞭を当てるが如し」というのです。

譬馬調正， 可中王乘， 調為人尊，乃受成信。

> 馬をうまく調教すれば、王の乗り物にふさわしくなり、 人々を導く尊い存在となる。 そうしてこそ、真の信を得ることができる。

譬馬調正者，如彼王厩有三種馬，一者上二者中三者下，餧食養育盡無差別，上馬者王數觀視，中馬者遣人看視，下馬者遣奴看視。是故說，譬馬調正也。可中王乘者，金銀挍具種種纓絡，乘有所至行步安庠，如王所念終不違錯，是故說，可中王乘也。調為人尊者，處眾人中為尊為上無有過者，最為第一無以為喻亦無儔匹，是故說，調為人尊也。乃受成信者，聞彼譏謗不懷憂慼，逆愍其人後當受殃，己終不瞋亦無恚怒，不生惡心向於前人，是故說，乃受誠信也。

> 王に仕える馬を調教するのにたとえてみましょう。王の厩舎に三種類の馬がいます。第一は上等な馬、第二は中等な馬、第三は下等な馬です。餌を与えて育てるのに少しの差もありませんが、上等な馬には王がたびたび目をかけ、中等な馬には人をやって見させ、下等な馬には奴隷をやって見させます。それゆえ「馬を調教するのにたとえる」と説くのです。 王が乗るのにふさわしい馬は、金や銀の装具にさまざまな飾り紐をつけ、どこへ行くにも歩みは穏やかで、王の思いに決して背くことがありません。それゆえ「王が乗るのにふさわしい」と説くのです。 人々の中で尊ばれるように調えられた者は、大勢の中にあって尊く、上に立ち、過ちがなく、最も第一で、たとえるものもなく、並ぶものもありません。それゆえ「調えられて人の尊となる」と説くのです。 そして信を受け入れるとは、人のそしりや悪口を聞いても憂い悲しむことなく、かえってその人を哀れみ、のちに災いを受けるだろうと思い、自分は決して怒らず、腹を立てず、目の前の人に対して悪い心を起こしません。それゆえ「誠の信を受け入れる」と説くのです。

雖為常調， 如彼新馳， 亦最善象，不如自調。

> たとえ立派に調教された象でも、 自分自身を調えることには及びません。

雖為常調者，猶如調馬人少來知馬進趣，良善駑鈍悉皆了知，某者易調、某者難調，某者性急、某者性緩，能別此者乃謂善察，是故說，雖為常調也。如彼新馳者，復知惡馬不可調御，方始教習乘走東西，未經旬日復得調良，若志固不可調者，即付外人馱薪負草，是故說，如彼新馳也。亦最善象者，最善象者意伏心調，身體麤澁獸中最大，為人所愛觀者無厭，是故說，亦最善象也。不如自調者，人能自調御除非去邪，為諸天世人、諸佛世尊、神通得道者所見敬，是故說，不如自調也。

彼不能乘， 人所不至， 唯自調者，乃到調方。

彼不能乘，人所不至者，不能乘此乘至無畏境，亦復不能乘此乘至安隱處，復不能乘此至無災患處，是故說，彼不能乘也。唯自調者，乃到調方者，人能自調御，識神速到安隱處，不調者能使調，不正者能使正，永處無為，不復經歷憂悲喜怒，是故說，唯自調者，乃到調方。

彼不能乘， 人所不至， 唯自調者，滅一切惡。

彼不能乘，人所不至者，不能乘此乘去離地獄餓鬼畜生，亦復不能超越八難，是故說，彼不能乘，人所不至也。唯自調者，滅一切惡者，人能自調眾善普會，於諸結使最得自在，盡能滅地獄餓鬼畜生蹤跡，是故說，唯自調者，滅一切惡。

> 彼（かれ）は乗ることができない。人が至らないところであるため、この乗り物に乗って地獄・餓鬼・畜生を離れることはできず、また八難を超越することもできない。それゆえ「彼は乗ることができない、人は至らない」と説かれる。 ただ自らを調える者だけが、すべての悪を滅ぼす者である。人が自らを調え、多くの善を広く集めれば、すべての煩悩に対して最も自在を得て、地獄・餓鬼・畜生の痕跡をことごとく滅ぼすことができる。それゆえ「ただ自らを調える者だけが、すべての悪を滅ぼす」と説かれる。

彼不能乘， 人所不至， 唯自調者，脫一切苦。

> 自分自身を調える人だけが、誰も行けないその場所へと向かい、すべての苦しみから解き放たれる。

彼不能乘，人所不至者，乘此乘不能盡苦原本從此岸至彼岸。何以故？乘者非至竟乘、非第一義乘。是故說，彼不能乘，人所不至也。唯自調者，脫一切苦，永盡於苦無復生死，是故說，唯自調者，脫一切苦也。

彼不能乘， 人所不至， 唯自調者，得至泥洹。

彼不能乘，人所不至者，不知蹤跡，況當知泥洹有可見耶？此事不然，是故說，彼不能乘，人所不至也。唯自調者，得至泥洹，解知泥洹亦自虛寂，專意一向無他異念，是故說，唯自調者，得至泥洹。

常自調御， 如止奔馬， 自能防制，念度苦原。

常自調御者，念自調御去惡即善，如契經說，佛告呪那曰：「自不調御意不專一故，調御餘者，此事不然，欲得調人，先當自調。」是故說，常自調御也。如止奔馬者，如彼調馬人，調和奔逸馬避危就安，是故說，如止奔馬也。自能防制，念度苦原者，眾行已具便不履苦越過苦表。何者苦表？滅盡泥洹是，彼無復眾苦熱惱，是故說，自念防制，念度苦原也。

自為自衛護， 自歸求自度，是故躬自慎， 如商賈良馬。

昔佛在羅閱城竹園迦蘭陀所。爾時耆域藥王請佛及比丘僧，又除般特一人。所以然者，以彼般特四月之中不能誦掃󰆠名得。爾時如來及比丘僧，往到彼家各次第坐，耆域即起行清淨水，如來不受清淨水，耆域白佛言：「不審如來以何因緣不受水？」佛告耆域：「今此眾中無有般特比丘，是故不受水耳。」耆域白佛：「此般特四月之中不能誦掃󰆠名得，行道放牛牧羊人，皆誦得此偈。何故請此人？」佛告耆域：「汝不請般特者，吾不受清淨水。」時耆域承佛教誡，即遣人往喚般特。佛告賢者阿難：「汝授鉢與般特。」佛復告般特：「莫起于坐，遙授鉢盂著如來手中。」爾時耆域見神力如是，乃自悔責：「咄我大誤，毀辱賢聖，今日乃知不可犯其口言。」即生恭敬心向般特比丘，乃不慇懃於五百人許。爾時世尊廣說曩昔因緣：「過去久遠無數世時，爾時耆域身躬為馬將，販賣轉易。時，驅千疋馬往詣他國，中路有一馬產駒，其主即以駒與人，驅馬進路。尋進他國與國王相見，王問馬將：『吾今觀此千疋馬，是凡常馬，然其中有一馬，悲鳴聲不與常馬同，此馬必生駁駒，其駒設長大者，價與此千疋馬等。若我得此駒者諸馬盡買，不得駒者吾不買馬。』馬將報曰：『自涉路已來，不憶馬產駒。』王告彼人：『吾誦馬相，聞馬母聲必知其駒好惡。』馬將追憶退還自念：『近於道路此馬母如產駁駒，即與中路主人。』其駒未經旬日便作人語，語其主曰：『若使馬將來索我者，得五百疋馬持我身與，不得五百疋馬莫持與之。』數日之中馬將自至，近留馬駒以相付託：『君有養活勞苦，今以一疋好馬贖之，願見相還。』其人答曰：『吾本不強從君索駒，自君去後勤苦養活，若今以五百疋馬贖，爾乃相還。』即如其言以五百疋馬贖，乃得本駒。」佛告耆域：「汝昔先薄賤馬駒用持乞人，後以五百疋馬贖取，先賤而後貴。今亦如是，請五百比丘，留般特一人，今反貴重般特，薄賤五百人。斯緣久矣，非適今日。」是故說，如商賈良馬也馬喻品第二十竟。

## 出曜經卷第十九