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title: "出曜經 · 34 梵志品"
description: "出曜经是姚秦时期著名译经师竺佛念所译的佛教经典，属于早期汉传佛教重要文献之一。该经主要阐述佛陀的教法，内容涵盖修行方法、因果业报、戒律规范等核心教义，具有鲜明的实践指导意义。竺佛念作为五世纪初重要译经家，其译文准确流畅，对佛教在中国的传播影响深远。出曜经不仅反映了早期佛教思想体系，也为研究中国佛教发展史提供了珍贵资料，在汉传佛教经典中占有重要地位，是了解原始佛教教义的重要参考典籍之一。"
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### 出曜經梵志品第三十四

> <note>『出曜経』梵志品第三十四</note>

所謂梵志， 不但倮形， 居嶮臥棘，名為梵志。

> いわゆる梵志とは、ただ裸でいることや、険しい場所に住み、棘の上に寝ることだけをいうのではありません。

爾時有一比丘至世尊所，頭面禮足白世尊言：「唯然世尊！自今以後，聽諸弟子皆悉倮形不著衣服。」世尊告曰：「咄！愚所戾不應法律，此梵志之法，非是內藏所修行也。人懷慚愧，便有尊卑高下，知有父母兄弟，何為復說倮形行世？」爾時復有一異比丘詣佛所，頭面禮足白世尊言：「唯然世尊！自今以後，聽諸道人各留頭髮。」佛告比丘：「咄！愚所戾不應法律，此梵志之法，非是內藏所修行也。」復有異比丘詣世尊所，頭面禮足前白世尊言：「唯然世尊！聽諸道人皆白灰塗身。」復有異比丘白世尊言：「自今以後聽諸道人服氣不食。」復有比丘白世尊言：「自今以後聽諸道人倮形露地臥。」世尊告曰：「咄！愚所戾。」復有異比丘頭面禮足白世尊言：「唯然世尊！自今以後，聽諸道人在浴池沐浴清淨。」佛告比丘：「不以此法得至于道。」

> そのとき、一人の比丘が世尊のもとへ参り、頭を地につけて足を礼拝し、世尊に申し上げた。「どうか世尊、今後は弟子たちに、すべて裸で衣服をまとわないことをお許しください。」 世尊は告げられた。「おお、愚かな者よ、それは法と律にかなっていない。これはバラモンの修行法であって、内なる心を修める修行ではない。人は慚愧の心を持つからこそ、尊卑や高下があり、父母や兄弟があることを知る。なぜ裸で世を歩むなどと言うのか。」 また別の比丘が仏のもとへ参り、頭を地につけて足を礼拝し、世尊に申し上げた。「どうか世尊、今後は修行者たちに、それぞれ髪を伸ばすことをお許しください。」 仏は比丘に告げられた。「おお、愚かな者よ、それは法と律にかなっていない。これはバラモンの修行法であって、内なる心を修める修行ではない。」 また別の比丘が世尊のもとへ参り、頭を地につけて足を礼拝し、世尊に申し上げた。「どうか世尊、修行者たちに、みな白い灰を体に塗ることをお許しください。」 また別の比丘が世尊に申し上げた。「今後は修行者たちに、気を服して食べ物をとらないことをお許しください。」 また別の比丘が世尊に申し上げた。「今後は修行者たちに、裸で屋外に横たわることをお許しください。」 世尊は告げられた。「おお、愚かな者よ。」 また別の比丘が頭を地につけて足を礼拝し、世尊に申し上げた。「どうか世尊、今後は修行者たちに、沐浴の池で体を洗い清めることをお許しください。」 仏は比丘に告げられた。「そのような法によって道に至ることはできない。」

棄身無猗， 不誦異言， 兩行以除，是謂梵志。

> 身体を捨て去り、執着せず、異なる言葉を唱えず、二つの行いを取り除く、これが梵志である。

昔佛在波羅奈國仙人鹿野苑中。爾時世尊度五比丘未經數日。爾時波羅奈國有一長者，名曰夜輸，種姓豪族饒財多寶，顏貌端正世之無雙。欻一日之中得非常觀，自觀家里男女之屬，斯如死身無一可念，視己形體塚間無異，即從坐起並作是說：「惑愚至深不別幻化。」爾時長者即自捨家逃走出城，脫琉璃履屣價直一萬，即渡江水奔趣世尊，頭面禮足在一面立尋白佛言：「世事多故變易非一，萬物幻化不可恃怙，我今自歸，欲求無為安樂之處。」佛告長者：「善哉善哉！族姓子！賢聖法中甚大寬弘，正是汝身之所願樂。」爾時長者聞如來教，歡喜踊躍不能自勝。爾時世尊漸與說法，所謂論者，施論戒論生天之論，欲不淨想，漏為大患。爾時長者聞斯法已，即於坐上諸塵垢盡得法眼淨，彼以見法得法成就諸法，即從坐起重自歸命，頭面禮足白世尊言：「唯然天中天！聽在道次出家學道。」佛告長者：「善來比丘！」鬚髮自落自然法服，重聞說法得羅漢道。爾時長者家中父母兄弟男女，儀從嚴駕象馬追跡，求覓夜輸長者，到江水側見琉璃履。父自思惟：「我子將渡江水必然不疑，所以知其然，今脫此琉璃履價直億萬，吾今渡江所在求覓。」即渡江水，遙見世尊光相炳然，至世尊所頭面禮足，白世尊言：「唯然世尊！頗見夜輸童子遊此過乎？」佛以神足隱彼夜輸比丘使父不見，佛告長者：「汝今求子不如自求，汝但速坐吾與汝說法。」長者尋坐，佛為說法，即於坐上諸塵垢盡得法眼淨。爾時世尊即捨三昧使父見子，父告子曰：「汝速還家，汝母愁苦恐汝不還。」佛告長者：「止止長者！勿作斯語。云何長者！如有修行之人，本在學地愛欲未盡，後得無學離於學地，欲使無學之人習於學法，於長者意云何！為可爾乎？」長者對曰：「不也。世尊！」佛告長者：「汝子今日以得無著住無學地，長者當知以得無著，焉得還家習於五欲？」長者聞之歡喜踊躍，即起禮子五體投地，自歸真人永無所著。爾時世尊即與長者而說斯偈：

> 昔、仏は波羅奈国の仙人鹿野苑におられました。そのころ世尊が五人の比丘を導いてから、まだ幾日も経っていませんでした。ちょうどそのとき、波羅奈国に夜輸という名の長者がいました。豪族の家柄で財宝豊か、容貌も端正で世に並ぶ者がないほどでした。ところがある日、彼はすぐれた洞察を得て、自分の家の男女の一族を見て、これらは皆死体と同じで心に留める価値は何もないと思い、自分の身体を見ても墓場と変わらないと見ました。そこで座から立ち上がり、こう言いました。「迷いと愚かさは実に深く、幻を見分けることもできないとは。」そして長者は家を捨てて逃げ出し、町を出ました。一万の価値がある瑠璃の履物を脱ぎ捨て、川を渡って世尊のもとへと急ぎました。頭を地につけて足を礼し、一方に立ってすぐに仏に申し上げました。「世のことは移り変わりが多く、万物は幻のようで頼ることはできません。私は今、帰依して、無為の安楽の境地を求めたいと願っています。」仏は長者に告げました。「善いかな、善いかな、族姓の子よ。賢聖の法はとても広く大きい。まさにあなたの願いがかなうところである。」長者は如来の教えを聞き、喜び躍って自分を抑えられませんでした。そこで世尊は次第に法を説きました。施しについて、戒について、天に生まれることについて、欲望は不浄であるという想い、煩悩は大きな患いであると。長者はこの法を聞き終えると、その座で塵垢が尽きて法眼が清らかになりました。法を見て法を得て諸法を成就した彼は、座から立ち上がり自ら帰命し、頭を地につけて足を礼し、世尊に申し上げました。「どうか天中の天よ、道に入り出家して学道することをお許しください。」仏は長者に告げました。「善いかな、比丘よ。」鬚や髪は自然に落ち、自然に法服をまとい、改めて法を聞いて阿羅漢の道を得ました。長者の家では父母兄弟や男女の者たちが、供の者を整え象や馬に乗って後を追い、夜輸長者を探し求めました。川のほとりに着くと瑠璃の履物を見ました。父は思いました。「我が子はきっと川を渡ったに違いない。なぜそうと分かるかといえば、この瑠璃の履物は億万の価値があるのに、これを脱ぎ捨てたからだ。私は今、川を渡って行く先々で探し求めよう。」すぐに川を渡ると、遠くに世尊の光輝く姿が見えました。世尊のもとに至り、頭を地につけて足を礼し、世尊に申し上げました。「どうか世尊、夜輸という子がここを通り過ぎるのを見られませんでしたか。」仏は神通力で夜輸比丘を隠し、父に見えないようにして、長者に告げました。「あなたは今、子を求めるよりも自分自身を求めるがよい。ただ速やかに座りなさい。私があなたのために法を説こう。」長者はすぐに座り、仏は法を説きました。するとその座で塵垢が尽きて法眼が清らかになりました。そこで世尊は三昧を解いて父に子を見せました。父は子に告げました。「早く家に帰りなさい。お前の母が悲しみ嘆き、お前が帰らないのではと心配している。」仏は長者に告げました。「やめなさい、やめなさい、長者よ。そのようなことを言ってはならない。どうか長者よ、もし修行する者が、もともと学びの段階にあって愛欲がまだ尽きていないとき、後に無学を得て学びの段階を離れたなら、その無学の者に再び学びの法を習わせようとするなら、長者の考えでは、それは可能でしょうか。」長者は答えました。「いいえ、世尊。」仏は長者に告げました。「あなたの子は今日、無著を得て無学の境地に住しています。長者は知るがよい、無著を得た者が、どうして家に帰って五欲を習うことがありましょうか。」長者はこれを聞いて喜び躍り、すぐに立ち上がって子を礼し、五体を地に投げ、真人に帰依し、永遠に執着することがなくなりました。そこで世尊は長者のためにこの偈を説きました。

「棄身無猗， 不誦異言， 兩行以除，是謂梵志。 今世行淨， 後世無穢，無習無捨， 是謂梵志。」

人執邪見至死不改，計常之人不與斷滅見相應，斷滅見不與計常見相應，能捨此見不著三世，是故說曰：「今世行淨，後世無穢，無習無捨，是謂梵志。」

若猗與愛， 心無所著， 已捨已正，是滅終苦。

初習行之人雖在學次，未能分別思惟道果一一明了不失其緒，未獲者獲、未得者得，是故說曰，若猗與愛，心無所著，已捨已正，是滅終苦。

諸有無所猗， 恒習於正見，常念盡有漏， 是謂為梵志。

猶如大象從寸孔出，欲得出城門不容象，眾人見之各各驚愕，謂彼象曰：「汝今出於寸孔往來無難，然欲出城反更不受。」是以聖人借以為喻，眾生之類雖得出家脩習道法，不能盡有漏成無漏，心解脫智慧解脫，是故說曰，諸有無所猗，恒習於正見，常念盡有漏，是謂為梵志。

愚者受猥髮， 并及床臥具，內懷貪濁意， 文飾外何求？

愚者不自覺長養其髮，所以剃髮者剃其結使，非但剃髮，愚人執迷長養其髮以為文飾。過去恒沙諸佛之法，各各相授，剃除鬚髮法服齊整，自古有之非適今日。今日愚人貪著臥具，然我法中制以三衣不畜遺餘，樹下塚間以此為常，廣說如其本。內懷邪見興貪濁意，外自文飾謂為無瑕，捨迷就道其法不惑，是故說曰，愚者受猥髮，并及床臥具，內懷貪濁意，文飾外何求也。

被服弊惡， 躬承法行， 閑居思惟，是謂梵志。

脩行之人，被服麁惡不著文飾，思惟法行無所貪求，節言省語不鬪亂彼此，是故說曰，被服弊惡，躬承法行，閑居思惟，是謂梵志。

見癡往來， 墮壍受苦， 欲單渡岸，不好他語， 唯滅不起， 是謂梵志。

夫人執癡意不開悟，亦復不能越次取證，恒在嫌疑不淨之地，此則非淨行之人。斷諸有漏永盡無餘，是謂梵志。是故說曰，見癡往來，墮壍受苦，欲單渡岸，不好他語，唯滅不起，是謂梵志。

截流而渡， 無欲如梵， 知行以盡，是謂梵志。

若使以水沐浴其身得至於道者，水性之類皆稱於道，但非沐浴而至於道，分別諸法審諦其義，清淨無瑕眾結智行永盡無餘，是故說曰，截流而渡，無欲如梵，知行以盡，是謂梵志。

不以水清淨， 多有人沐浴，能除弊惡法， 是謂為梵志。

夫人沐浴不能去腹裏垢，盡除惡法更亦不造，乃名為梵志。是故說曰，不以水清淨，多有人沐浴，能除弊惡法，是謂為梵志。

非剃為沙門， 稱吉為梵志，謂能滅眾惡， 是則為道人。

所謂沙門者，未必剃除鬚髮，內有正行應於律法乃應為沙門。夫為梵志，終日稱吉得生梵天者，見人盡當生於彼處，但彼稱吉生於梵天，謂能滅眾惡修清淨行。是故說曰，非剃為沙門，稱吉為梵志，謂能滅眾惡，是則為道人。

彼以無二， 清淨無瑕， 諸欲結解，是謂梵志。

盡捨一切弊惡之法，出入行來周旋之處，言不及殺、不害一切無所傷損，清淨無瑕永無諸縛，是故說曰，彼以無二，清淨無瑕，諸欲結解，是謂梵志。

出惡為梵志， 入正為沙門，棄我眾穢行， 是則為捨家。

梵志之行去諸惡法，內外清徹眾穢永盡，不懷悕望貢高於人，意定不移覺寤一切諸法之本，梵行已立所作已辦，更不復受有，脩清淨行無所遺失，是故說曰，出惡為梵志，入正為沙門，棄我眾穢行，是則為捨家。

人無幻惑意， 無慢無愚惑，無貪無我想， 是謂為梵志。

人之在世不懷幻惑，梵志自謂言：「百劫一過大海之中，自然有幻惑食噉天下人。」去諸憍慢不興著想，如來，至真，等正覺，離世八法不染於世，亦名為比丘亦名為沙門亦名佛。是故說曰，人無幻惑意，無慢無愚惑，無貪無我想，是謂為梵志。

我不說梵志， 託父母生者，彼多眾瑕穢， 滅則為梵志。

所謂梵志從父母生多諸瑕穢，或復出家離諸世俗，脩清淨行無選擇施，平等無二不雜想施，或復施時求作國王生天，此名雜想之施。無雜想施者，盡為一切不自為己。是故說曰，我不說梵志，託父母生者，彼多眾瑕穢，滅則為梵志。

身口與意， 淨無過失， 能攝三行，是謂梵志。

出言柔和初無罵詈，分別義趣如掌觀珠，音響清淨聽者樂受，多所成就，淨無過失不觸嬈人，是故說曰，身口與意，淨無過失，能攝三行，是謂梵志。

見罵見擊， 默受不怒， 有忍辱力，是謂梵志。

擊人得擊罵人得罵，皆由不忍致此患害，夫能忍者戰中為上，忍為良藥能愈眾病，若有罵者默然不對。是故說曰，見罵見擊，默受不怒，有忍辱力，是謂梵志。

## 出曜經卷第二十九