---
title: "人天眼目 · 五問"
description: "人天眼目是宋代僧人智昭编集的一部重要佛教典籍，成书于南宋时期。该书系统整理了禅宗五家（临济、曹洞、沩仰、云门、法眼）的宗风纲要、祖师语录和修行要诀，是研究宋代禅宗思想的重要文献。智昭以简明扼要的方式呈现各派禅法特色，包括公案、颂古、评唱等内容，为后世学人提供了清晰的禅宗传承脉络。作为禅宗典籍中的经典之作，人天眼目不仅保存了珍贵的禅宗史料，更成为理解中国禅宗发展演变的关键文本，在佛教史上具有承前启后的重要地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcznom0k1swkjj0457nm9n6m"
---

### 五問

> 第五の問い

此蓋當時義學之徒。相與造說。誣罔先聖。非毀禪宗。而自聰禪師問達觀頴和尚。凡五問欲杜邪謬。故辯詳之。

> これは、当時の義学の徒（教理を重んじる学者たち）が互いに説を造り、先聖を誣い、禅宗を誹謗したことに起因する。そこで自聡禅師が達観頴和尚に問うたところ、合わせて五つの問いをもって邪な誤りを断ち止めようとした。故に、ここに詳しく弁明する次第である。

僧自聰問達觀頴和尚曰。諸經論家多言。西天自迦葉至師子尊者。祖師相傳。至此斷絕。其實如何。答曰。吁如此說者生滅心也。不知為法惜人。螢鬪杲日。雀填滄海。枉勞形耳。且二十四祖師子尊者。度婆舍斯多。兼出達磨達。其緣具在唐會稽沙門靈徹序金陵沙門法炬所編寶林傳。并據前魏天竺三藏支疆梁樓續法記。具明師子尊者遇難以前傳衣付法之事。從大迦葉為首。直下血脈。第二十五祖婆舍斯多。二十六祖不如密多。二十七祖般若多羅付菩提達磨。即唐土初祖也。原支疆梁樓三藏來震旦。抵洛陽白馬寺。時即前魏帝道卿公景元二年辛巳歲也。師子入滅方二年矣。以是顯知。經論諸師誣罔後昆。吁哉奈何。問曰。達磨大師。自西天帶楞伽經四卷來是否。答曰非也。好事者為之耳。且達磨單傳心印。不立文字。直指人心見性成佛。豈有四卷經耶。聰曰。寶林傳亦如是說。頴曰。編修者不暇詳討矣。試為子評之。夫楞伽經三譯。而初譯四卷。乃宋天竺三藏求那跋陀之所譯。次十卷元魏時菩提流支譯。流支與達磨同時。下藥以毒達磨者是也。後七卷唐天后代於闐三藏實叉難陀譯。以此證之。先後虛實可知矣。仰山寂禪師。亦甞辯此。其事甚明。

> 僧自聰が達觀頴和尚に問うた。「諸経論の学者たちは、たいてい『西天では迦葉から師子尊者まで、祖師たちの教えが師資相承されたが、ここで断絶した』と言います。実際はどうなのでしょうか。」 頴和尚が答えた。「ああ、そのような説は生滅する心によるものだ。仏法のために人材を惜しむことを知らない。螢火が太陽と戦い、雀が大海を埋めようとするようなもので、ただ無駄に労するだけだ。そもそも第二十四祖の師子尊者は、婆舍斯多を度し、さらに達磨達も導き出した。その因縁は、唐の会稽の沙門霊徹が序を書き、金陵の沙門法炬が編んだ『宝林伝』に詳しく記されている。また、前魏の天竺三蔵である支疆梁楼が著した『続法記』によれば、師子尊者が難に遭う以前に袈裟と教えを伝えた事跡が明らかにされている。大迦葉を初めとして、直接その血脈は連なっている。第二十五祖は婆舍斯多、第二十六祖は不如密多、第二十七祖の般若多羅が菩提達磨に付嘱した。これが唐土の初祖である。そもそも支疆梁楼三蔵が震旦に来て洛陽の白馬寺に至ったのは、前魏の帝道卿公の景元二年、辛巳の年であった。師子尊者が入滅してからまだ二年しか経っていなかった。これによって明らかに知られる。経論の諸師が後の者たちを誤らせていることを。ああ、なんということか。」 問うた。「達磨大師が西天から『楞伽経』四巻を持って来られたというのは、本当でしょうか。」 答えた。「それは誤りだ。好事家が作り上げた話だ。達磨は単伝心印、文字を立てず、直指人心、見性成仏を説いた。どうして四巻の経典があろうか。」 聰が言った。「『宝林伝』にもそのように書かれています。」 頴が言った。「編者は詳しく調べる暇がなかったのだ。試しにあなたのために評価しよう。『楞伽経』は三度翻訳された。最初の四巻本は、宋の天竺三蔵・求那跋陀羅の訳である。次の十巻本は、元魏の時に菩提流支が訳した。流支は達磨と同時代の人で、達磨に毒を盛ったのはこの人物である。後の七巻本は、唐の天后の時代に于闐の三蔵・実叉難陀が訳した。これをもって証明するならば、先後の虚実が知られるであろう。仰山寂禅師もかつてこのことを弁証した。その事跡は極めて明らかである。」

問曰。傳法偈無翻譯。暨付法藏傳中無此偈。以致諸家多說無據。願垂至誨。答曰。噫子孫支分是非蜂起。不能根究耳。只如達磨未入此土。已會唐言。何以知之。初見梁武時對問。其事即可知矣。後又二祖可大師。十年侍奉。以至立雪斷臂。志求祖乘至勤誠矣。後達磨告曰。吾有一袈裟。付汝為信。世必有疑者云。吾西天之人。子此土之子。得法實信。汝當以吾言證之。又云。自釋迦聖師至般若多羅。以及於吾。皆傳衣表法。傳法留偈。吾今付汝。偈曰。吾本來茲土。傳法救迷情。一花開五葉結果自然成。因引從上諸祖偈。一一授之。內傳法印以契證心。外付袈裟以定宗旨。以此則知。達磨付二祖決矣。此乃單傳口授。何暇翻譯哉。

> 問い：伝法の偈には翻訳がないと聞きます。また、『付法蔵伝』の中にもこの偈は見当たりません。そのため、諸家の説には根拠がないものが多いようです。どうかお教えください。 答え：ああ、子孫たちが枝葉の部分で是非を論じ合い、蜂のように騒ぎ立てているが、根本を究めようとしないのだ。 ただ、達磨大師がこの中国の地に来られる前から、すでに唐の言葉を理解しておられた。どうしてそれが分かるのか。初めて梁の武帝にお会いした時の問答を見れば、すぐに分かることだ。 その後、二祖の慧可大師は十年間にわたってお仕えし、雪の中に立って腕を断つに至るまで、祖師の教えを求める心は誠に勤勉であった。 その後、達磨大師は慧可に告げられた：「私は一枚の袈裟を持っている。これを汝に授け、信の証としよう。世の中には必ず疑う者が出るだろう。『私は西天の人間であり、汝はこの地の者だ。法を得た真実の証として、汝は私の言葉によってこれを証明せよ』と。 また言われた：「釈迦牟尼仏の聖師から般若多羅尊者に至り、そして我に至るまで、皆、衣を伝えて法を表し、法を伝えて偈を残してきた。今、私はこれを汝に授けよう。」 偈はこうである： 「吾本来茲土（我はもともとこの地に来て） 　伝法救迷情（法を伝えて迷いの有情を救う） 　一花開五葉（一輪の花が五つの葉を開き） 　結果自然成（果実は自然に実る）」 そこで、過去の祖師たちの偈を順に挙げて、一つ一つ授けられたのである。 内には法の印を伝えて心を証し合わせ、外には袈裟を授けて宗旨を定められた。 これによって知るべきである。達磨大師が二祖に法を伝えられたことは決定的な事実である、と。 これは単伝・口授であって、まさに直接伝えられたものであり、翻訳などする暇があろうか。

問曰。天台尊者一心三觀法門。與祖師意如何。答曰。子若不問吾難以言也。吾甞見教中云。吾有正法眼藏付囑大迦葉。且不在三乘五教之內。原佛祖之教。皆有傳授。昔聞大師。於藏中得龍樹所造中論。覽至第四卷。破諸法性有定性則無因果等事。如頌曰。因緣所生法。我說即是空。亦名為假名。亦名中道義。次頌云。未曾有一法不從因緣生。是故一切法。無不是空者。繇此述一心三觀。曰空曰假曰中。若據教意。大凡一偈。皆有四句以成其意耳。智者離為三觀似枝蔓。又未詳傳授。因此便言。遠稟龍樹。以樹為祖。近稟思大則可知矣。若間世承稟。吾恐後世必有聰利之人。空看佛經。自稟釋迦。豈其然乎。良繇智者具大福德智慧辯才。累為帝師故。成一家之說。辭博理微。而後世子孫。稱傳祖教。乃番毀師子尊者。親付法與婆舍斯多。以至此土六祖傳衣付法。以為邪解。嗚呼吾若備論。即成是非。子自詳之。

> 問うていわく、天台尊者（智顗）の一心三観の法門は、祖師（達磨）の意図とどう異なるのでしょうか。 答えていわく、あなたが尋ねなければ、私も言葉にしにくかったでしょう。私はかつて経典の中でこう言うのを見ました。「私は正法眼蔵を持ち、大迦葉に付嘱する」と。これは三乗・五教の枠組みの中にはありません。そもそも仏や祖師の教えには、すべて伝授があります。昔、大師（智顗）が蔵の中で竜樹の著した『中論』を得たと聞きました。その第四巻を見ると、「諸法の性に定まった実体があるとすれば、因果などが成立しない」と破しています。偈にこうあります。 「因縁によって生じた法は、我はすなわちこれ空と説く。また仮名とも名づけ、また中道の義とも名づける」 次の偈にはこうあります。 「いまだかつて一法として因縁より生ぜざるはなし。このゆえに一切の法は、空でないものはない」 このことから一心三観を述べて、「空」と「仮」と「中」としたのです。もし教えの意図に基づけば、たいてい一つの偈には四句があって、その意味を成しています。智者（智顗）はこれを三観に分けたのは、枝葉のように思えます。また伝授の詳らかさを欠いています。それゆえ「遠く竜樹に帰依し、竜樹を祖とする。近くは思大（慧思）に受け継ぐ」と言うのは分かります。しかし、世代を経て受け継がれたのかと言えば、私は後世に必ず聡明な人が現れて、ただ仏典を読むだけで、自分を釈迦の直系と称するのを恐れます。それでよいのでしょうか。まさに智者が大いなる福徳・智慧・弁才を備え、たびたび帝師となったがゆえに、一家の説を成したのです。言葉は広く、理は微細ですが、後世の子孫たちは祖師の教えを受け継ぐと称しながら、かえって師子尊者が直接法を婆舎斯多に付したことや、この土（中国）で六祖が衣と法を伝えたことを、邪説だと批判しています。ああ、私がすべて論じれば、それ自体が善悪の論争となってしまいます。あなた自身がよく考えてください。

問曰。自達磨至此土。因何諸祖師言教。與西天諸祖洎六祖已上不同。牛頭一宗北秀荷澤。南岳讓青原思。言句漸異。見解差殊。各黨師門互毀盛至。如何得息諍去。答曰。怪哉此問。且祖師來此土。如一樹子就地下種。因緣和合而生芽也。種即達磨并二祖也。枝葉即道副總持道育之徒也。洎二祖為種。三祖為芽。乃至六祖為種。南岳讓為芽也。其牛頭神秀荷澤等。皆枝葉耳。然六祖下枝葉繁茂。生子亦多。其種又逐風土所宜。採取得葉貴葉。得枝貴枝。亦猶樹焉在南為橘。在北為枳。雖形味有變。而根本豈變乎。又類日焉在東為朝。在西為暮。日亦逐方而轉。則輪影也。其空則不轉必矣。得何怪哉。子但了其內心。莫隨其外法。內心者脫其生死。外法者逐其愛惡。愛惡生則去佛祖遠矣。為子等閑籤出正宗及橫枝言句。各於後述其繇序。令學者明其嫡庶者矣。