---
title: "憨山大師年譜疏註 · 四十一歲至五十歲"
description: "憨山大師年譜疏註由福善記錄、福徵述疏，成書於明末清初。該書以年譜形式詳實記述了明代高僧憨山德清大師的生平事跡，包括其求法經歷、弘法事業以及與皇室和士大夫的交往。內容涵蓋大師的修行體悟、著作講解以及對禪宗思想的闡釋，並附有註疏者對重要事件的考證與解讀。作為研究憨山大師思想與明代佛教史的重要文獻，該書不僅是了解大師生平權威史料，更是探討晚明佛教復興運動及禪淨雙修思想發展的核心典籍，在漢傳佛教史上具有崇高地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmdfpt197000hkz04rc3yxwdu"
---

十四年丙戌●

> 十四年、丙戌の年。

予四十一歲．是年頒藏經。先國初刻藏．有此方述撰諸經未入藏者．今上聖母命入刻之。完．皇上勅頒十五藏．散施天下名山．首以四部置四邊境．東海牢山．南海普陀．西蜀峨眉．北屬蘆芽。時聖母以臺山因緣．且數數詔予不至．賜亦不受．乃以藏經一部首送東海．初未知也。及至．空山無可安頓．蒙撫臺行所在有司供奉之。予見有勅命．乃詣京謝恩。比蒙慈命合宮眷各出布施．修寺安供．請命名曰海印寺。予在京．適聞達觀禪師訪予於海上．即走歸．兼程追之。及至山下．值師出山．尋即同回．盤桓兩旬。贈予詩．有閒來居海上．名誤落山東之句。是冬十一月．以予自辛巳以來．率多勞動．未得寧止．故多疲倦。至今禪室初就．始得安居．身心放下．其樂無喻。一夕靜坐夜起．見海湛空澄．洞然一大光明藏．了無一物。即說偈曰．海湛空澄雪月光．此中凡聖絕行藏。金剛眼突空花落．大地都歸寂滅場。歸室中．案頭見楞嚴經忽展開．即見汝心汝身．外及山河虛空大地．咸是妙明真心中物。則全經觀境．了然心目。隨命筆述楞嚴懸鏡一卷．燭纔半枝已就。時禪堂方開靜．即喚維那入室．為予讀之．自亦如聞夢語也。皇上四見．聖母五見．達觀禪師一見。

> 私が四十一歳の年、聖旨により大蔵経が頒布されました。以前、明朝初期に版本が彫られた際、この地で著述・編纂された経典で未収録のものがあったのですが、今上（神宗皇帝）の母后がそれらを加えて彫らせました。完成すると、皇帝は十五部の大蔵経を賜り、これを天下の名山に施与されました。まず四部を四方の辺境、すなわち東の牢山、南海の普陀、西蜀の峨眉、北の蘆芽に置かれました。 その折、母后は五台山にゆかりがあったため、何度も私を召し出そうとしましたが応じず、賜り物も受け取りませんでした。そこで母后は、その大蔵経一組を東海に最初に送ることにしました。私はそのことを初めは知りませんでした。ところが、山に届けられても安置する場所もなく、巡撫の役人が現地の役所に命じて仮に安置させました。私は勅命があるのを見て、京に赴いて謝恩しました。すると母后は、皇后や後宮の者たちに命じてそれぞれ布施を出させ、寺を建てて安置することにし、その名を「海印寺」と名づけるよう命じられました。 在京していた折、ちょうど達観禅師が海辺の私を訪ねて来たと聞き、私はすぐに引き返し、昼夜兼行で追いかけました。山の麓に着くと達観禅師は山を出たところで、間もなく同道して戻り、二十日ほど共にいました。達観禅師は私に詩を贈り、その中に「閒來居海上 名誤落山東（閑かに海に居るも 名は誤って山東に落つ）」という句がありました。 この年の十一月ですが、私は辛巳年以来、働き過ぎて静かに落ち着くことがなく、大変疲れていました。ようやく坐禅のための部屋が整い、安らかに暮らせるようになり、心身ともに一切を放下して、その喜びは言葉に尽くせないほどでした。ある夜、静かに坐ってから夜更けに立ち上がり、海が湛かに澄み渡るのを見て、洞然として一つの大光明蔵を現し、万物は全く何もないことを悟り、偈を唱えました。 「海湛か 空澄み 雪月の光 此の中に凡聖の行蔵絶ゆ 金剛の眼 突然 空花落つ 大地 都て寂滅の場に帰す」 室に戻ると、机の上に『楞厳経』が置いてあり、それがふと開かれました。するとすぐに、「汝の心、汝の身、および外の山河虚空大地、すべて是れ妙明真心中の物なり」という経文が目に入りました。この一節で、経典全体の境地が心に明らかになりました。そこで筆を執り、『楞厳懸鏡』一卷を述作しましたが、蝋燭がわずか半分ほど燃えただけで書き終えました。その時、坐禅堂でちょうど解静の合図があり、維那を呼び入れて私のためにそれを読ませましたが、自分でも夢の中で聞いている言葉のようでした。 <note>「聖上（今上）」は四回、「聖母（皇太后）」は五回、「達観禅師」は一回登場します。</note>

徵觀天下名山多矣．僅頒十五藏．首頒四邊境四部．邊境中．又首頒東海牢山．因憨祖創居之故。妙峯師．初進香普陀．後去五臺．居蘆芽．則普陀蘆芽之頒．並以妙師故。牢山蘆芽非大名山而得首頒新藏者雖皇上之勅．實聖母之意惓惓在臺山祈嗣之功也。憨祖自別妙峯．所稱法門深契．無如達觀．積歲相思．千里命駕．覿面鍼鋒．此日相對。藉非兼程追及．那免興盡空回。牢山一見．誼足千古矣。憨祖外紀有云．一切是幻．人人曉得．須有主張幻的作用．方不為幻轉。在海印時．偶想盧祖夜半人來砍頭公案．便欲學其定力．每夜開門習觀想．假若有人來要借頭．便歡喜捨之。今夜然．明夜亦然．久久覺有定見力在。忽一夜報盜入．予曰．第呼來．明燭正坐．無怖怯心。其人及門乃匍匐不敢入．一長大漢也。予呼謂．此間無所有．命取庫中二百錢與之。若先無主張．便惶遽不可知也。又一夕坐．入身世俱空．海印發光．山河震動境界．得相應慧。有頃悟入楞嚴著緊處．恍然在目．急點燭書之．手腕不及停．盡五鼓漏．而楞嚴懸鏡已竟矣。侍者出候．見殘燭在案訝之。嗟乎．凡此並光明藏中事．非可著意揣求。後段事義一符．而辭筆雙妙．並讀之．可悟道．兼可悟文。要識所紀兩則．乃是盧祖作我．非我作盧祖。楞嚴印我．非我印楞嚴也。慎錄之意．如此。

> 世の中の名山は数多いが、わずかに十五蔵が下賜された。その中で最初に下賜されたのは四方の辺境にある四つの地域であった。辺境の中でも、最初に下賜されたのは東海の牢山である。これは憨祖がそこに道場を開いたからである。妙峯師は初め普陀山に香を上げ、その後五台山へ向かい、蘆芽山に住んだ。だから普陀と蘆芽への下賜は、ともに妙師ゆえのことである。牢山や蘆芽は特に有名な山ではないのに、新たな蔵経を最初に下賜されたのは、皇帝の命ではあるが、実は聖母が五台山での子授け祈願の功績を特に深く心にかけていたからである。 憨祖は妙峯と別れてから、法門において深く心が通じる者といえば達観をおいてほかにいないと思い、幾年もの思いを募らせ、千里の道を馬車を走らせて赴き、対面するや否や、まさに刃先が触れ合うかのような鋭い問答を交わした。もし途中を急いで追いつかなければ、興趣が尽きて空しく帰ることになっただろう。牢山での出会いこそ、千古にわたって語り継がれるにふさわしい友情である。 憨祖の外紀にはこうある。「すべては幻であると誰もが知っている。しかし幻を操る働きをしっかりと持たねば、幻に振り回されてしまう。」海印寺にいた時、ふと六祖慧能が夜中に人が首を切りに来た公案を思い出し、そのような強い定力を身につけようと、毎夜戸を開けて観想の修行をした。もし誰かが来て首を借りたいと言ったら、喜んで差し出そうと。今夜もそう、明日の夜もそう、そうしているうちに次第に確固たる見解の力が身についてきた。ある夜、賊が入ったと知らせが来た。私は言った。「ただ呼んで来い。」ろうそくを灯し、正座して、恐れの心はなかった。その者が門に来ると、這いつくばって入ることができなかった。一見して大男だった。私は呼びかけて言った。「ここには何もない。」庫から二百銭を取って与えさせた。もし前もってそのような確固とした心構えがなければ、慌てふためいてどうなったかわからない。またある夜、坐禅していると、わが身も世界も空となる境地に至り、海印寺が光を放ち、山河が震動するという境地が現れ、悟りにかなう智慧を得た。しばらくして楞厳経の肝要な箇所が悟られ、はっきりと目の前に現れた。急いでろうそくを灯して書き記すと、手首も休める暇がなく、夜明けの五更を尽くして、楞厳懸鏡は書き終えた。侍者が外に出て来て、机の上のろうそくの燃え残りを見て驚いた。ああ、これらのことはすべて光明に満ちた世界の出来事であり、作為的に推し量ることはできない。 後の部分は、内容も一致し、文章も筆もともに素晴らしい。両方を読むことで、道を悟ることができ、また文を悟ることもできる。肝心なのは、記された二つの話は、六祖が私となったのであり、私が六祖になったのではないということ。楞厳経が私を映し出したのであり、私が楞厳経を映し出したのではないということだ。謹んで書き写す意味は、このようなことにある。

十五年丁亥●

> 十五年、丁亥の年。

予四十二歲．是年修造殿宇．始開堂為眾說戒。自是．四方衲子日益至．為居士說心經直說。秋八月胡中丞．請告歸田．乃攜其親之子．送出家為侍者．命名福善。胡中丞三見．福善一見。中丞即前平陽太守順庵。

> 私は四十二歳の年でした。その年に堂宇を修造し、初めて法座を開いて大衆のために戒を説きました。それ以来、四方から僧侶たちが日に日に増えて集まりました。また、在家の信者のために『心経直説』を説きました。 秋八月、胡中丞（こちゅうじょう）が官を辞して田舎に帰ることを願い出ました。彼は自分の実子を連れてきて、出家させて侍者とし、その子に福善と名付けました。 （注：胡中丞は三度登場し、福善は一度登場する。中丞とは、かつての平陽太守・順庵のことである。）

徵於憨祖東遊時．得遇書記侍者善公知微。既於淨慈宗鏡堂．晨夕晤對．相與同玄津。師佐方丈筆硯事．卒成東遊集。憨祖一時高足．無出知微師右者。患難險阻無在不從．全集紀錄．並出其手。其親胡公順庵．東萊人．因故里夙緣．送之出家牢山海印寺。後付居五乳方丈．主匡山法雲寺．七旬坐脫。

> 憨祖が東遊の折、書記の侍者である善公知微と出会う機会を得た。やがて淨慈寺の宗鏡堂にて、朝夕に向かい合い語り合い、共に玄妙な仏法の道を探究した。師は方丈の筆硯の務めを補佐し、ついに『東遊集』を完成させた。憨祖のその時代における高弟の中で、知微師より優れた者はなかった。艱難や危険のあらゆる場面で常に師に従い、全集の記録はすべて彼の手によるものである。彼の親である胡公順庵は東萊の人で、故郷における過去の縁により、彼を出家させて牢山海印寺に入らせた。後には五乳の寺で方丈の務めを託され、さらに匡山法雲寺の主となり、七十歳で坐禅のまま息を引き取った。

十六年戊子●

> 十六年、戊子の年。

予四十三歲．時學人讀予懸鏡．請曰．此經觀心具明．第未全消文字恐後學不易入。願字字消歸觀心．則莫大之法施也。予始創意述通議．已立大旨然猶未屬稾。

> 私は四十三歳の時、学人が私の『懸鏡』を読んで次のように請うた。「この経典は観心（心を観じること）を明らかにしていますが、まだ文字が完全に消えていないため、後学の者が入り込みにくい恐れがあります。願わくば、一字一句を観心に帰すること、これこそが最大の法施でありましょう。」そこで私は初めて『通議』を述べることを思いたち、大意を定めました。しかし、まだ草稿はまとめていません。

十七年己丑●

> 十七年、己丑の年。

予四十四歲．是年閱藏．為眾說法華經．起信論。予自別五臺．有省親之心．但恐落世諦也。姑自驗之．一夕．靜坐中．偶有偈曰．煙波日日浸寒空．魚鳥同遊一鏡中。昨夜忽沈天外月．孤明應自混驪龍。乃疾呼侍者曰．吾今得歸故鄉．見二老矣。先是．為報恩寺．乞請大藏經一部．冬十月．至京請藏．上即命送之．齎行．十一月至龍江．本寺寶塔．連日放光。及迎經之日．塔光如橋．北向．迎經僧．自光中行。及安經．建道場．光相日日不絕。瞻視者．日萬餘人．以為希有之瑞。時老母聞予至．先遣人候問何日到家。予曰．我為朝廷事來．非為家也。若老母能相見歡然如未別時．止可信宿．否則我不歸矣。老母聞之曰．再生相見．歡喜不了．那更有悲。一面即可．況兩宿耶。及予歸．老母相見．欣然絕倒．予大以為異。及夜坐．族中長者．問予從船來陸來。老母應聲曰．何問從船來陸來。問者曰．從何處來。老母曰．從空中來。予驚曰．怪得當時老婆子能捨我也。因問母曰．別後想我否。曰．安得不想。予曰．母何以自遣。母曰．始而不知．既知爾在五臺．因問師家．五臺在何處。曰．在北斗之下．即令郎住處也。我自此夜拜北斗．稱菩薩名．則不復想矣。如謂爾死．則不拜．亦絕想矣．今見爾．乃化身來也。予明日祭祖塋．為二親卜葬穴。及得之．時老父已八十．予戲曰．今日活埋老子．省得他日又來也．予把钁斫地。老母奪之曰．老婆婆自埋．又何煩人．連斫數十下。三日告別．老母歡然如故．未嘗蹙眉．予始知老母非尋常也。即墨．有黃生納善．字子光者．乃今大司馬黃公之弟也。初予至海上．時年十九歲．即歸依請益。授以楞嚴．二月成誦。從此齋素．雖父母責之．不異其心。切志參究．脅不至席。時予南歸．光私念曰．吾生邊地．長劫不聞三寶名．今幸遇大善知識．為不請友．倘不回．吾輩失依怙矣。乃對觀音大士．破臂皮．燃燈供養．求大士保予早歸。自是．火瘡發痛．日夜危坐．持觀音大士名號．三月乃瘉。瘉時．見瘡痕結一大士像．眉目身衣．宛然如畫．即其母妻．亦未知也。恆求出家．予絕不聽。乃曰．弟子打箇觔斗來．師又何止我乎。是知蔑戾車地．未嘗斷佛種也。初予以重修本寺志．居臺山．事已有機．但以動費數十萬計．未易言．故待時於海上。至是．機將熟．乃借送大藏因緣回南都．具將本寺始末．回．復命．具奏聖母且云．工大費鉅．難輕舉．願乞聖母日減膳饈百兩．積之三年．事可舉．十年．工可成。聖情大悅．即命於是年十二月儲積始。聖母六見．父三見．母九見。即墨大司馬黃公弟．黃子光納善．一見。

徵按譜．憨祖自二十六歲北遊．至四十四歲南還．見二親．閱歷一十八年矣。臺山了悟．祈儲成功．牢山行化．海印現剎．奏勅齎藏．致塔放光．瞻禮傾城．寺房動色。更復二親無恙．族屬不孤．祖墓猶存．卜葬自斫．世出世間．心空及第而歸者．幾人。彼衣錦還故鄉者．即帝王將相．何足羨乎。又況龐婆出相．臺姥現奇．大家團圝．說無生話．一問一答．一來一去．無非可涕可笑之情狀．抑不解為恩為怨之何似也。噫嘻．一大捏怪也已。黃子光．何許人．燃臂懷師．瘡痕像佛．黃梅夙誓．觔斗再來．載閱歲而坐脫矣。噫嘻．又非一小捏怪也已矣。此譜所云．上即命送．復命具奏．並稱聖母．非關皇上。後來儲積之命．當罹難時．以請皇上查內支籍而廢。曹溪緣就．報恩緣不就．豈以彼易此哉。光中送經．早慰出家本寺一生願力矣。

十八年庚寅●

> 十八年、庚寅の年。

予四十五歲．是年春．書法華經．為報聖母。時有欲謀道場者．乃構方外黃冠．假稱占彼道院．聚集多人．訟於撫院。時開府李公．先具悉其事．痛恨之．乃送萊州府．窮治其狀。予親聽理．力救之。彼無賴數百人．作鬨於府城有匡人之圍。時有隨侍二人．予斥之他往．乃獨徐行。其中為首一人．持刃鼓舞予前．欲見殺。予笑視之曰．爾殺人．何以自處。其人氣索．即收刀．圍行城外二里許。將分路．狂眾疑彼為首者．有利於予．即欲毆之。予默計．彼眾一鼓．其人危矣．柰何．乃躊躕。將別即拉狂者同至寓處．閉門解衣．磅礴．談笑自若．取瓜果共噉之。時滿市喧云．方士殺僧矣。太守聞之．即遣多役併捕之．彼眾惶懼．皆叩首求解免。予曰．爾勿懼．第聽予言何如耳。及至．太守問曰．狂徒殺僧耶。予曰．未也．來捕時．僧方與彼為首者同食瓜果耳。守曰．何以作鬨。予曰．市喧耳。太守欲枷彼。予曰．將欲散之．枷則固拘之也。太守悟．乃令地方盡驅之．狂眾不三日盡行解散．由是此事遂以寧。是年作觀老莊影響論。聖母七見．開府李公．萊州太守．各一見。

徵觀此處鬬爭事．步步兵法．步步禪機。若爾．天下無難處之事．無難御之人矣．觀老莊影響論．八篇中．惟論心法一篇．於行墨為短．於三教為該．附錄以存大槩。論心法云．余幼師孔．不知孔．師老．不知老．退而入於深山大澤．習靜以觀心焉。由是而知三界唯心．萬法唯識。既唯心識觀．則一切形．心之影也一切聲．心之響也。是則一切聖人．乃影之端者．一切言教．乃響之順者。由萬法唯心所現．故治世語言．資生業等．皆順正法。以心外無法．故法法皆真。迷者執之而不妙．若悟自心．則法無不妙．心法俱妙．唯聖者能之。憨祖作此八論時．恰與道士解難．豈亦和合三教之寓言乎．宜道士之無怨也。

十九年辛卯●

予四十六歲．是年．聖母造檀香毗盧佛像．建大殿成。秋．門人黃子光．坐脫。聖母八見．黃子光再見。

徵謂．深許子光．特筆呼應己丑事．亦春秋書法。

二十年壬辰●

予四十七歲．秋七月．至京訪達觀師於上方。晉時有琬公．慮三災壞劫無佛法．乃刻石經藏石室。其塔院．為僧所賣．師贖之．思予來作記。予適至．師大喜．及見．即同過石經山．乃為作琬公塔院記．及重藏舍利記．并前所作有海印稾。時與達師相對．盤桓四十晝夜．為生平之奇。達觀師再見。

徵按房山縣．有石經洞隋時靜琬法師．鑿石為板．刻經一藏．貯於洞．以石門閉之．累代皆有碑刻。自達師經理後．有都城石鐙庵僧自南．募資續刻．時在萬曆戊午．徵以明經應試在都．力襄其事。又聞之五乳侍者云．壬辰．兩師遇於都門西郊園中相對兀坐．四十晝夜．目不交睫．計修明代傳燈錄．因約往濬曹溪．以開法脈云云。茲止云生平之奇．而不詳．或此未足奇．更有奇特。

二十一年癸巳●

予四十八歲．是年．山東大饑．餓死者載道。山中所儲齋供．盡分賑近山之民．不足．又乘便舟至遼東．糴豆數百石以濟之。由是邊山四社之民．無一餓死者。

徵讀至此．太息草草了卻牢山海印因緣。然前後一十二年之間．化行濟普．已在不可思議功德中。

二十二年甲午●

予四十九歲．春三月．山東開府崐崖鄭公．入山見訪問法．為說方便語。冬十月．入賀聖節．至京留過歲．請說戒於慈壽寺。時予以修本寺因緣．知聖母儲已厚．乃請舉事。時上以倭犯朝鮮．方議往討．姑徐之．乃寢。聖母九見．皇上五見．鄭開府崐崖．一見。

徵按入賀聖節者冬至節賀聖母非賀皇上後特以上字別之。聖母請說戒慈壽寺．了前己卯京都建大慈壽寺．完一案。修報恩本寺因緣．聖母儲已厚．事幾成而緣寢不就．了從前北遊本心．興復本寺一案。春秋．先經起義．後經終事筆法也。非為修寺．不入賀留京。非三年往來留京．不涉議犯患也。聞之當日宗鏡堂侍者云．聖母請說戒時．禮賜綦隆．慈壽寺．亦稱上方兜率院．方丈布地．無非氈錦。供佛果饌．悉四方珍物。方丈所需服食器具．遣大司禮官．晨夕繹絡於途．觀者每如堵牆。勳戚內監．供獻不可勝算。兒童隨喜．無不沾溉。所賜內庫錢糧．分毫不受．僅以五十三參禪人行鉢。一日鉢皆空還．而金錢布粟．已填笥溢廩。日繞數千眾．無不饜飫香積。是年臘八日．聖母特命近侍陳儒．賜毗盧帽．織錦紫伽黎．誌公鞋．及內衣．上下悉大羢．憨祖悉謝不受．三賜乃受．受仍不服。時達觀大師住石經山．啟石室．佛座下．得函．貯佛舍利無數。聖母聞之．亦命近侍．致齋供．賜紫伽黎．大供舍利三日．重藏石窟。達師有辭賜讓憨公表。偈云．三十年來江海遊．尋常片衲度春秋。自慚貧骨難披紫．轉施高人福更優。蓋因憨祖時尚在京不服故．達師亦不受．欲併歸憨祖令服之．故云福更優也。賜衣之日．聖母命內侍傳旨．欲延入宮．面請法名。師知非上意．力謝．以祖宗制．僧不入宮．乃遣內侍繪像命名以進。聖母懸像內殿．令上侍立．拜受法名。上事聖母至孝．此日未免色動。聖母法諱在譜後．法派．德大福深廣．四十字中．用第二大字其諱字．當命名進宮時．侍者絕不得聞。但從此避忌大字一輩．法屬悉從福字輩始。是時聖母修寺儲厚．勝因一閒耳。使查內支籍時．所儲入手．無以自解．安得免難。幸而事寢．不涉施資。謝恩言旋．罹難無恙。因思當日鉢銘輕萬鍾之具．衲銘輕天下之具．於茲大驗．豈虛語哉。

○以上了牢山．慈壽．志興本寺．三公案。

二十三年乙未●

予五十歲．春二月．予從京師回海上．即罹難。初為欽頒藏經．遣內使回送之。先是．上素惡內使．以佛事請用太煩其一至東海時．內庭偶以他故觸聖怒．將及聖母左右．大臣危之。適內權貴有忌送經使者．欲死之．因乘之發難．遂假前方士流言．令東廠役．扮道士．擊登聞鼓以進。上覽之．大怒．下逮．以有送經因緣故．併及之。予聞報．乃會眾曰．佛為一眾生．不捨三途。此東海．乃蔑戾車地．素不聞有三寶名．今予教化十二年．三歲赤子．皆知念佛。至若捨邪歸正者．連鄉比戶也。予願足矣．死復何憾。第以重修本寺志未酬．可痛心耳。及離即墨．城中士民老少．涕泣而送．足見人心之感化也。及至京師．奉旨下鎮撫司．打問時．執事者．先受風旨．欲盡招．追向聖母所出諸名山施資．則不下數十萬計。苦刑考訊之下．予曰．某愧為僧．無以報國恩．今安惜一死．以傷皇上之大孝乎。即曲意妄招網利．奉上意以損綱常．殊非臣子所以愛君之心也．其如青史何。以死力抵之．止招前眾布施七百餘金．願請上查內支籍。及查．前代賑之外．果無稽．上意遂解．由是母子如初。及擬蒙聖恩矜察．坐以私創寺院．遣戍雷州。於是年三月下獄時．京城諸剎．皆為誦經禮懺保護。其衲子中．有燃香煉臂持呪．以加護之者。安肅鄭大司馬範溪公子．在金吾．素未相識．特設燕．會在朝縉紳請救．以至涕泣．訴其無妄．無不為法門惜者．乃見一時人心為法之如此。在獄八閱月．供饋者．唯侍者福善一人。冬十月．發遣南行．朝士大夫．多褻服策蹇相送以津濟者。出都日．侍者福善．同衲子二三人隨行。十一月至南京．江上別老母．作母子銘．攜孤姪可久往。初與達觀師過石經山因思禪門寥落．謂曹溪源也．必源頭壅閼．乃志同往以濬之。以予事未果．達師先往．候予匡山。予被難時．師正居天池．聞報．大驚曰．憨師已矣．則曹溪之願未了也。師遂先至曹溪．然後至京相報。竟奔走往．回至聊城．聞予將出．遂回金陵以待。予至．則相別於江上旅泊庵中．師意欲力為白其枉。予曰．君父之命．臣子之事．無異也．況定業乎．師幸勿言。臨歧把臂曰．在天池聞師難．即對佛許誦法華經百部．以保無虞．我之心．師之舌也。予唯唯謝別．師為作逐客說以送之。聖母十見．皇上六見．鄭大司馬範溪公子金吾．一見．福善侍者再見．老母十見．達觀師三見。

徵按乙未之年．皇太子生十四歲矣．而儲位未定．廷議紛然。聖母意在泰昌．議主立長。皇上意在福王．議主立貴。內廷近侍．左袒鄭貴妃者．什九．外廷權貴．因之附和．幾搖國本。於是調停其間者．主三王並封之說。而挺持．如張相國洪陽位．王相國家屏．鄒給諫南皋元標．高儀部景逸攀龍者．不過數人。時泰昌復多疾恙．東宮儲貳．未眷皇心．正在屼嵲觭角之際。識者．謂．臺山祈嗣．慈壽保嗣．以出世人．干係國祚大事．甚為憨祖危之。初緣一在武當．一在五臺．故聖母終為臺山．皇上終為武當。內外奸人．窺伺皇上一時喜怒．遂令東廠役．假扮道士．影響借釁．以傾和尚披枝去本之勢．此日真成燎原．卻與牢山道士全沒交涉。惟道士沒影響．知宮庭大水火矣。憨祖初以臺山祈嗣得嗣因緣．有聞於內．已成禍胎。因避名．越半歲．即隱去而免。茲以報恩儲積因緣．不忘京師．往來低回．幾三載．而建儲之大關目．大是非．波累及之。且當日請聖母日減膳饈百兩．三年儲積之說．大不便於內官．隙既易生。況祖制母后不得干與朝政．宜一時中外之藉端排構也。昔二祖順受非法．識真者謂之償債．此其為償債也．不綦大乎。獄辭．只奉上意．以損綱常．殊非臣子愛君之心一語．重於九鼎。綱常二字．豈徒為施資而發哉。海印寺．命名．請自聖母令旨．未請皇上聖旨．故致坐以私創之罪。此不云毀寺．作達師塔銘序．直云毀其寺。嗟乎．刑官之擬律．則過矣．於孝思當何如也。此番載別母事．不復繁辭．到底是婆拋子．只至南京江上別老母八字．便了事親一大公案母子銘序則詳．附之。

○清因弘法致難．上干聖天子怒．聲若雷霆．私念老母．聞之必驚絕矣。乃蒙恩宥以不死．遣戍雷陽．道經故鄉．迎老母於江上一見．歡喜談笑．音聲清亮．胷中略無纖毫滯念。因問．老母聞兒死生之際．豈不憂乎。母曰．死生分定耳．我尚不憂．何憂於汝。但人言參差．於事無決定見為疑念耳。相與侍坐達旦．即作永訣。老母囑曰．汝善以道自愛．無為我憂．今亦與汝長別矣。欣然就道．了不相顧。予因感天下之為母有如此者．豈不頓盡死生之情乎。乃為之銘曰．母子之情．磁石引鍼。天然妙性．本自圓成。我見我母．如木出火。木已被焚．火元無我。生而不戀．死若不知。始見我身．是石女兒。

○附圜中讀圓覺經．四相章云．鐘鼓鈴鑼不斷聲．聲聲日夜說無生。可憐醉夢傷生者．鏡裏相看涕淚傾。我相。突兀巑岏聳鐵城．刀林劍樹冷如冰。誰知火向冰山發．燒盡冰山火不生。人相。鐵門緊閉杏難開．關鎖重重亦苦哉。可怪呻吟長夜客．不知因甚此中來。眾生相。一條血棒太無情．觸著須教斷死生。痛到徹心酸鼻處。方知王法甚分明。壽者相。

○出圜中．過長安市．四首云．長安風月古今同．紫陌紅塵路不窮。最是喚人親切處．一聲雞唱五更鐘。體若虛空自等閒．纖塵不隔萬重山。可憐白日青天客兩眼睜睜歎路艱。飄風驟雨一時來．無限行人眼不開。忽爾雨收雲散盡．太虛元自絕塵埃。空裏乾城野馬人．目前彷彿似煙村。直須走入城中看．聲色元來不是真。

○是歲起曹溪因緣。