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大楼炭経 (大樓炭經)


大樓炭經卷第六

大樓炭経 第六巻

西晉沙門法立共法炬譯

西晋の僧侶、法立と法炬による共訳

天地成品第十三

天地完成の章

佛語比丘:「天地破壞,更始成之後,人皆在第十五阿衛貨羅天上,其天上人,以好喜作食,各自有光明神足,其壽甚久長。」

お釈迦さまは比丘たちに仰せになりました。「天地が壊れ、また新たに成立した後、人々は皆、第十五の阿衛貨羅天におられます。その天上の人々は、喜びをもって食べ物を作り、それぞれに光明と神通力を備え、寿命は大変長く続きます。」

佛告比丘:「時,其水滿天下地。爾時,無有日月亦無星宿,無有晝夜亦無一月半月,亦無年歲,窈窈冥冥無所見。天地成之後,彼天人福德薄祿命欲盡者,從阿衛貨羅天上,來下遊此間地,亦以好喜為食,各自有光明神足飛行,在其人間,壽甚久長。時,天下人甚端正姝好,不別男女,亦不可別君長庶民人,但共眾俱往還。」

仏は比丘たちに告げられた:「その時、水は天地に満ちていました。その頃には、太陽も月もなく、星々も見えず、昼夜の区別もなく、月の満ち欠けもなく、年月の経過もありませんでした。深い闇の中にあり、何も見えませんでした。天地が形成された後、その天人の福徳が薄れ、寿命が尽きようとしていた者たちは、阿衛貨羅天からこの地上に降りてきました。彼らもまた喜びを糧とし、それぞれが光を放ち、神通力で飛行し、人間の間に住み、寿命は非常に長かったのです。その頃、地上の人々はとても端正で美しく、男女の区別もなく、君主と庶民の区別もつきませんでした。ただ皆が共に集まり、行き来していたのです。」

佛語比丘:「時,地上自然生地味,譬如白酥上肥,其地味色如是也,其味譬如蜜。時,有一異嗜味人,心念言:『我欲試以指取地味甞之,知何等類?』其人便以指取地味甞之,甚喜嗜之,如是甞至三反,遂喜即後撮滿手食之。餘人見已便効,以手撮取地味而食之。人食是地味之後,身即麁堅,面色變惡,亡失光明,神足不能復飛行上天。天下復如故,天下窈窈冥冥。天下窈窈冥冥之後,法當有大黑風起,吹入大海水深三百三十六萬里,取日月大城郭,上須彌山邊百六十八萬里,著日月城郭道中。用是因緣,天下有日月也。爾時,日大城郭,從須彌山東出,繞須彌山王西入圍繞。復從山東出,繞須彌山西入。時,人有言:『是昨日日也。』或有人言:『非是昨日日者。』日城郭復從須彌山東出,如是三反,繞須彌山西入。爾時,人言:『是昨日日也。』或有言:『非是昨日日也。』日城郭復從須彌山東出,如是三反,繞須彌山西入。爾時人言:『是昨日出者也。』是故謂言日也,有三事,一者出照現城郭;二者沒不現,其宮殿正四方,其光明照周匝,是故圓。以天金水精淨潔作城郭,彼二分,一分者清淨金,無瑕穢無垢濁,光明照耀。一分者水精,潔淨無瑕穢無垢濁,放光明。日大城郭,廣長各二千三十里,高下亦等。城中有金樓觀宮殿,名閻浮清淨,高六百四十里,廣亦六百四十里。閻浮樓觀宮殿中,有日天子坐,廣長各二十里,以天七寶金銀琉璃水精赤真珠車𤦲馬瑙作之。日天子一身,皆出光明,照閻浮宮殿。閻浮宮殿之光明,照大城郭。大城郭之光明,下照四方。日天子不念言:『我為行不行也,常以五樂自娛樂快樂。』天子有無央數天在前導,快樂無極,前後導從御行,是故謂為御。日天子其城郭,以七寶作七重壁、七重欄楯、七重交露,樹木園觀,浴池有青黃赤白蓮華,中有種種飛鳥,相和而鳴。日天子壽,天上五百歲,子孫子孫相襲代,極竟畢一劫。日天子城郭,下出五百光明,周匝復有五百光明,是為千光明,善因緣所致。何從得千光明善因緣,以何致之,用照天下,令人民見其光明?以能成為諸事。何以故?人民見其光明,以能成其諸事耶!若有布施與沙門道人及貧窮乞匃者,衣被飲食車馬六畜香熏華床臥房室舍宅燈火,所求索即疾與,不逆人意,常不斷截,無厭極施。一心施後不悔也,令道人清淨奉真法歡喜,用是使安隱意定,得無央數善行,譬如轉輪王初立為尊,其意歡喜無央數。」佛言:「如是也,若有人布施沙門道人及貧窮乞匂者,衣被飲食車馬六畜香熏華床臥房室舍宅燈火,所索不逆人意,不斷一心,施後不悔。令清淨道人奉尊法,用是歡喜,使安隱意,得無央數善行。其人命盡死,往至安隱家,即生日天子所。便疾得持日城郭,其光明照下四方矣。是謂為千光明以善因緣所致。復何從得千光明?善有十因緣:一者不殺生、二者不盜、三者不犯他人婦女、四者不妄言、五者不飲酒、六者不惡口罵詈、七者不兩舌綺語、八者不嫉妬、九者意不瞋恚、十者正見。以無央數心念善慈仁,身死即生日天子所,自然得持日城郭,是為千光明善因緣所致。復何從得千光明善因緣?一者不殺生、二者不盜、三者不犯他人婦女、四者不妄言、五者不飲酒。意行無央數善慈仁,譬如好地四徼道中有浴池,清涼水濡且美,周匝種種樹。若有人從暑熱中來,飢渴極人入浴池中,洗浴飲其水,彼人意念無央數歡喜。」

仏が比丘たちに語られた。「その時、地上に自然と地味(ちみ)が生じた。それはちょうど、白い酥(そ)の上に浮かぶ脂のように、地味の色はそのようであり、その味は蜜のようであった。その時、一人の変わった味を好む人が、心にこう思った。『指で地味を取って味見をしてみよう、どんなものか知りたい』と。その人は指で地味を取って味見をした。とても喜び、それを好んだ。こうして三度味見をし、遂に喜んで手いっぱいに掴んで食べた。他の人々はそれを見て真似をし、手で地味を掴み取って食べた。人々がこの地味を食べた後、身体はたちまち粗く堅くなり、面色は悪く変わり、光明を失い、神通力で再び天に飛び上がることもできなくなった。天下は再び元のようになり、天下はようようめいめい(深く暗く)となった。天下がようようめいめいとなった後、法として大きな黒風が起こり、人々を大海へ吹き飛ばした。水深は三百三十六万里、日月の大城郭を取り、須弥山の辺り百六十八万里の上に上げ、日月の城郭の道中に置いた。この因縁によって、天下に日月があるのである。その時、日の大城郭は、須弥山の東から出て、須弥山王を巡り西に入り、再び山の東から出て須弥山の西に入った。その時、人々は言った。『これは昨日の日だ』と。ある者は言った。『昨日の日ではない』と。日の城郭は再び須弥山の東から出て、こうして三度、須弥山の西に入った。その時、人々は言った。『これは昨日出た者だ』と。それ故に日と言うのである。日には三つの事がある。一つは出て照らし現れる城郭。二つは没して現れない。その宮殿は正しく四方で、その光明は周囲を照らす。それ故に円いのである。天の金と水精で清浄に作られた城郭、その二つの部分、一つの部分は清浄な金で、瑕穢なく垢濁なく、光明を照らし輝かせる。一つの部分は水精で、潔浄で瑕穢なく垢濁なく、光明を放つ。日の大城郭は、広さ長さそれぞれ二千三十里、高さも同じである。城の中には金の楼観宮殿があり、名を閻浮清浄といい、高さ六百四十里、広さも六百四十里である。閻浮の楼観宮殿の中に、日天子が座している。広さ長さそれぞれ二十里で、天の七宝、金、銀、瑠璃、水精、赤真珠、車𤦲、瑪瑙で作られている。日天子の一身は、皆光明を出し、閻浮宮殿を照らす。閻浮宮殿の光明は、大城郭を照らす。大城郭の光明は、下って四方を照らす。日天子は、『私は行くか行かないか』などとは思わず、常に五楽をもって自らを楽しませ楽しんでいる。天子には無央数の天が前導し、楽しみは極まりなく、前後から導き従えられて御行する。それ故に御(ぎょ)と言うのである。日天子のその城郭は、七宝で七重の壁、七重の欄楯、七重の交露、樹木園観、浴池があり、青、黄、赤、白の蓮華があり、中には種々の飛鳥がいて、互いに調和して鳴く。日天子の寿命は、天上で五百歳、子孫が代々相襲い、一劫が極まり終わるまでである。日天子の城郭は、下に五百の光明を出し、周囲にさらに五百の光明がある。これが千の光明であり、善い因縁によってもたらされたものである。どうして千の光明の善い因縁を得るのか。何によってもたらされるのか。天下を照らし、人々にその光明を見せ、物事を成し遂げさせるためである。どうしてか。人々がその光明を見て、物事を成し遂げることができるからである。もし沙門の道人や貧しい乞食者に、衣類、飲食、車馬、六畜、香、花、寝台、臥房、家屋、灯火を布施し、求められればすぐに与え、人の意に逆らわず、常に断ち切ることなく、飽きることなく施し、一心に施した後悔いない。道人を清浄にし、真の法を奉じて喜ばせ、これによって安穏な心を得て、無央数の善行を得る。それはちょうど、転輪王が初めて尊位に立つ時、その心が無央数の喜びに満ちるようなものである。」仏は言われた。「その通りである。もし人が沙門の道人や貧しい乞食者に、衣類、飲食、車馬、六畜、香、花、寝台、臥房、家屋、灯火を布施し、求められても人の意に逆らわず、断ち切ることなく一心に施し、後悔しない。清浄な道人に尊い法を奉じさせ、これによって喜び、安穏な心を得て、無央数の善行を得る。その人が命尽きて死んだ後、安穏な家に往き、即ち日天子の所に生まれる。そして速やかに日城郭を持ち、その光明は下って四方を照らすのである。これが千の光明が善い因縁によってもたらされたと言われる所以である。さらにどうして千の光明を得るのか。善いことには十の因縁がある。一、殺生しない。二、盗まない。三、他人の婦女を犯さない。四、妄語を言わない。五、酒を飲まない。六、悪口で罵らない。七、両舌や綺語を言わない。八、嫉妬しない。九、心に瞋恚を抱かない。十、正見を持つ。無央数の心で善と慈仁を念じ、身死して即ち日天子の所に生まれ、自然に日城郭を持つに至る。これが千の光明の善い因縁によってもたらされたものである。さらにどうして千の光明の善い因縁を得るのか。一、殺生しない。二、盗まない。三、他人の婦女を犯さない。四、妄語を言わない。五、酒を飲まない。心に無央数の善と慈仁を行じる。それはちょうど、良い土地の四つの道の交わる所に浴池があり、清涼で水が潤い美しく、周囲に種々の木が植わっているようなものである。もし暑熱の中から来た人が、飢え渇き極まってその浴池に入り、洗い浴びてその水を飲めば、その人の心には無央数の喜びが起こるであろう。」

佛言:「如是也,其有不殺盜婬妄言飲酒,意念無央數善,身死得生日天子所,則疾得持日城郭,是謂以善因緣所致千光明之耀也。何以故?日大城郭,令天下為秋冬寒,用十二因緣故。何等為十二?一者須彌山,中間長三百三十六萬里,生青蓮華紅蓮華黃蓮華白蓮華,甚眾多大香好,日大城郭,光明照中,為奪其光,用是因緣故,令日大城郭寒為秋冬,是為一事;二者阿羅陀山,中間長百六十八萬里,其中生青紅黃白蓮華,甚眾多大香好,揈日大城郭之光明,用是故令日城郭寒,是為二事;復次,俞安山,中間長八十四萬里,其中生青紅黃白蓮華,甚眾多大香好,復揈日大城郭之光明,是故天下寒,是為三事;復次,善見山中間,長四十八萬里,中生青紅黃白蓮華,甚眾多大香好,揈日之光明,是故令天下寒,是為四事;善見山外次有阿抄波山,中間長二十四萬里,五阿抄波山後有尼彌陀山,中間長十二萬里,六尼彌陀後次有比那山,中間長四萬八千里,七比那山後次有鐵圍山,長二萬四千里,揈其日大城郭之光明,用是故令天下寒為秋冬,是為八事;復次,天下流河,揈其日大城郭之光明,是故日大城郭寒為秋冬,是為九事;復次,其河水東流,向閻浮利者少,流行向俱耶尼天下者多,便揈日大城郭之光明,用是故天下日寒,是為十事;復次河流向俱耶尼者少,流向弗于逮者復多,復揈日大城郭之光明,故天下寒,是為十一事;復次,河流向弗于逮者少,流向鬱單曰者復多,彼復揈日大城郭之光明,大海水揈日大城郭之光明,是故天下日寒有秋冬。是為十二事。

仏は言われた。「その通りである。殺生、盗み、邪淫、妄語、飲酒をせず、無量の善を心に念じる者が、命終えて日天子の所に生まれ、速やかに日城を守護する者となる。これは善き因縁によってもたらされる千の光明の輝きである。なぜか。日の大城は、天下を秋冬の寒さにするが、それは十二の因縁によるのである。十二とは何か。

一に、須弥山。その中間の長さは三百三十六万里であり、青蓮華、紅蓮華、黄蓮華、白蓮華が生い茂り、非常に多く、大きく、香りよく美しい。日の大城の光明がそこを照らすと、その光を奪われる。この因縁によって、日の大城は寒く、秋冬となる。これが第一の事である。

二に、阿羅陀山。その中間の長さは百六十八万里であり、その中に青・紅・黄・白の蓮華が生い茂り、非常に多く、大きく、香りよく美しい。これが日の大城の光明を揺らめかせる。このゆえに日城は寒くなる。これが第二の事である。

さらに、俞安山。その中間の長さは八十四万里であり、その中に青・紅・黄・白の蓮華が生い茂り、非常に多く、大きく、香りよく美しい。これもまた日の大城の光明を揺らめかせる。このゆえに天下は寒くなる。これが第三の事である。

さらに、善見山の中間。長さは四十八万里であり、中に青・紅・黄・白の蓮華が生い茂り、非常に多く、大きく、香りよく美しい。これが日の光明を揺らめかせる。このゆえに天下を寒くする。これが第四の事である。

善見山の外に、次に阿抄波山がある。中間の長さは二十四万里である。五に、阿抄波山の後に尼弥陀山がある。中間の長さは十二万里である。六に、尼弥陀山の後に比那山がある。中間の長さは四万八千里である。七に、比那山の後に鉄囲山がある。長さは二万四千里である。これらが日の大城の光明を揺らめかせる。このゆえに天下は寒く、秋冬となる。これが第八の事である。

さらに、天下を流れる河川が、日の大城の光明を揺らめかせる。このゆえに日の大城は寒く、秋冬となる。これが第九の事である。

さらに、その河水は東に流れるが、閻浮提に向かうものは少なく、俱耶尼天下に向かって流れるものが多い。それゆえ日の大城の光明を揺らめかせ、このゆえに天下の日は寒くなる。これが第十の事である。

さらに、河の流れが俱耶尼に向かうものは少なく、弗于逮に向かうものがまた多い。これもまた日の大城の光明を揺らめかせる。ゆえに天下は寒くなる。これが第十一の事である。

さらに、河の流れが弗于逮に向かうものは少なく、鬱単曰に向かうものがまた多い。それもまた日の大城の光明を揺らめかせる。大海の水も日の大城の光明を揺らめかせる。このゆえに天下の日は寒く、秋冬がある。これが第十二の事である。」

「何因緣日大城郭熱為春夏?有十事。何等為十?一者須彌山王,其邊有山名阿多,高百六十八萬里,廣亦百六十八萬里,其邊無限,甚姝好,七寶金銀琉璃水精赤真珠車𤦲馬瑙作之,彼揈其日大城郭之光明,用是故天下熱,是為一事;復次,阿多山外有山名伊沙多,高八十四萬里,廣亦八十四萬里,其邊無限,甚姝好,皆以七寶作之,揈其日大城郭之光明,用是故天下熱,是為二事;復次,伊沙多山外,有山名喻安陀,高四十八萬里,廣亦四十八萬里,其邊無限,甚姝好,皆七寶作之,彼復揈日大城郭之光明,天下熱,是為三事;復次,喻安陀山外有山名善見,高二十四萬里,廣亦二十四萬里,其邊無限,是為四事;復次,有山名阿抄尼,高十二萬里,廣亦十二萬里,其邊無限,五事;復次,有山名泥彌陀,高四萬八千里,廣亦四萬八千里,其邊無限,六事;尼彌陀山後次有山,名比那頭,高二萬四千里,廣亦二萬四千里,其邊無限,七事;次外復有山名鐵圍,高二萬二千里,廣亦二萬二千里,其邊無限,皆以七寶作之,日大城郭之光明,皆照其上也,用是故天下熱有春夏,是為八事;復次,從此高四十萬里,有天神舍,以水精作之,在虛空中,大風制持行之,譬如浮雲矣,天下人皆共名之為星宿,其大者圍七百二十里,中者圍四百八十里,小者圍二百四十里,日大城郭之光明皆少彼,用是因緣故天下熱,是為九事;復次,天下地,揈日大城郭之光明,用是故天下熱為春夏,是為十事。

「なぜ日輪の城郭が熱く、春夏となるのか。その因縁には十の事柄がある。どのような十か。

一つ目。須弥山王のそばに、阿多という山がある。高さは百六十八万里、広さも百六十八万里で、その端は限りなく、非常に美しい。七宝、すなわち金、銀、瑠璃、水晶、赤真珠、車𤦲、瑪瑙でできている。この山が日輪の城郭の光明を反射するため、天下が熱くなる。これが第一の事柄である。

二つ目。阿多山の外に、伊沙多という山がある。高さ八十四万里、広さも八十四万里で、その端は限りなく、非常に美しい。すべて七宝でできており、日輪の城郭の光明を反射するため、天下が熱くなる。これが第二の事柄である。

三つ目。伊沙多山の外に、喻安陀という山がある。高さ四十八万里、広さも四十八万里で、その端は限りなく、非常に美しい。すべて七宝でできており、これも日輪の城郭の光明を反射するため、天下が熱くなる。これが第三の事柄である。

四つ目。喻安陀山の外に、善見という山がある。高さ二十四万里、広さも二十四万里で、その端は限りない。これが第四の事柄である。

五つ目。阿抄尼という山がある。高さ十二万里、広さも十二万里で、その端は限りない。これが第五の事柄である。

六つ目。泥彌陀という山がある。高さ四万八千里、広さも四万八千里で、その端は限りない。これが第六の事柄である。

七つ目。尼彌陀山の次に、比那頭という山がある。高二万四千里、広さも二万四千里で、その端は限りない。これが第七の事柄である。

八つ目。さらに外側に、鉄囲という山がある。高二万二千里、広さも二万二千里で、その端は限りない。すべて七宝でできており、日輪の城郭の光明がすべてこの山を照らす。このため、天下が熱く春夏となる。これが第八の事柄である。

九つ目。ここから四十万里の高さに、天神の住まいがある。水晶でできており、虚空の中にあって、大風が支え、動かしている。まるで浮雲のようである。天下の人々はこれをみな星宿と呼んでいる。大きいものは周囲七百二十里、中くらいのものは四百八十里、小さいものは二百四十里ある。日輪の城郭の光明は、これらより少し劣っている。この因縁によって天下が熱くなる。これが第九の事柄である。

十つ目。天下の大地が、日輪の城郭の光明を反射する。このため、天下が熱く春夏となる。これが第十の事柄である。」

「日大城郭,有常持風五品,一者持風、二者住風、三者助風、四者轉風、五者行風,是為五。共轉行日大城郭,未曾休息時也。」

日大城郭には、常に五種の風が吹き巡っています。一つは持風、二つ目は住風、三つ目は助風、四つ目は転風、五つ目は行風、これらが五つです。これらの風は共に日大城郭を巡り、絶えることなく吹き続けているのです。

佛言:「爾時,月大城郭,出繞須彌山,東行西入,光明威神稍減,是故名為月。月有二事,光明周匝照四方,其大城郭,四方正圓,光明周匝正圓,月城郭以天銀天琉璃造作之也。月大城郭,廣長各千九百六十里,高下亦等,城中有月天子天琉璃宮殿,高六百里,廣亦六百里。中有天子坐,廣長各二十里,以七寶金銀琉璃水精赤真珠車𤦲馬瑙作之。月天子身,一切皆出光明照宮殿,光明出照大城郭。城郭之光明,下徧照四方,月天子不自念言:『我行不行。』常以天五樂娛樂快樂。月天子前後導從諸天無央數,百御行常快樂歡喜,故名為御也。月天子壽,以天上五百歲,子孫子孫相襲代。其城郭壁以七寶作,七重欄楯、七重交露、七重行樹,樹木周匝圍繞,皆以七寶造之。有園觀浴池,中生青黃白紅蓮花,種種飛鳥,相和而鳴。月天子下有五百光明,周匝復有五百光明,月為千光明,善因緣所致。千光明善因緣何從得?若有布施沙門道人及貧窮乞匂者,衣被飲食車馬六畜香熏華房室舍宅燈火,所索不逆人意,一心布施後不悔,令清淨道人奉真法,使安隱,得無央數善行,譬如轉輪王初立為王時,意歡喜無央數。」

仏は言われた。「その時、月の大城郭が、須弥山を巡り出て、東から昇り西へ沈むにつれ、その光明と威神力が次第に減じていく。それゆえに月と名づけられるのである。月には二つの特質がある。その光明が四方をくまなく照らすこと、そしてその大城郭が四方に正しく円をなしていることである。光明は周囲を正しく円く照らし、月の城郭は天の銀と天の瑠璃で造られている。月の大城郭は、縦横それぞれ千九百六十里、高さも同じである。城の中には、月天子の天瑠璃宮殿があり、高さ六百里、広さも六百里である。中には天子の座があり、縦横それぞれ二十里で、七宝――金、銀、瑠璃、水晶、赤真珠、車𤦲、瑪瑙で造られている。月天子の身は、すべてが光明を放ち、宮殿を照らし、その光明は大城郭をも照らし出す。城郭の光明は下に降りて四方をくまなく照らす。月天子は『私は行くのか、行かないのか』などとは自ら考えず、常に天の五つの楽しみで楽しみ、快楽にふけっている。月天子の前後には、無数の諸天が導き従い、百の御者が常に快楽と歓喜に満ちて行く。それゆえに『御』と呼ばれるのである。月天子の寿命は天上の五百歳であり、子孫が代々その位を継いでいく。その城郭の壁は七宝で造られ、七重の欄干、七重の垂れ幕、七重の並木があり、木々が周囲を取り囲み、すべて七宝で造られている。園林や浴池があり、中には青、黄、白、紅の蓮の花が生え、さまざまな飛鳥が互いに調和して鳴いている。月天子の下には五百の光明があり、周囲にはさらに五百の光明がある。月は千の光明を持つが、これは善い因縁によってもたらされたものである。千の光明という善い因縁は、どこから得られるのか。もし沙門や道人、あるいは貧しい物乞いに、衣服、飲食、車馬、六畜、香、花、房室、家屋、灯火などを布施し、求められるものを拒まず、一心に布施して後悔せず、清浄な道人が真の法を奉じて安らかでいられるようにすれば、無量の善行を得ることができる。それはちょうど、転輪王が初めて王位に就いた時、心に無量の歓喜を得るようなものである。」

佛言:「如是,若有布施沙門道人及貧窮乞匂者,衣被飲食及眾用者,令德無央數安隱歡喜,其人命盡,死即生月天子所,則疾得持月大城郭。是故謂其千光明以善因緣所致。復何從得千光明善因緣?若有於是不殺、盜、婬,不妄言、綺語、惡口、罵詈、兩舌,不嫉妬意,不瞋恚、愚癡,行十善事,意常歡喜無央數。譬如好地四徼道中有浴池水,清淨濡且美,周匝有樹,若有人飢渴,從暑熱中來,入中洗浴,飲食之意歡喜無央數。」

仏は言われた。「その通りです。もしも沙門や修行者、あるいは貧しい乞食者に対して、衣服や飲食、その他必要なものを施すならば、その功徳は計り知れない安らぎと喜びをもたらします。その人が寿命を終えると、すぐに月天子のもとに生まれ、速やかに月の大城郭を守る者となります。これが千の光明と呼ばれる由縁であり、善い因縁によってもたらされるものです。

では、千の光明という善い因縁はどのようにして得られるのでしょうか。もしも殺生、盗み、邪淫をせず、嘘や飾り言葉、悪口、罵り、二枚舌を使わず、嫉妬の心、怒り、愚痴を抱かず、十の善い行いを実践し、心に限りない喜びを常に保つならばです。ちょうど、四方に道の通った良い土地に、清らかで潤い豊かな美しい浴池があり、周囲に木々が茂っているようなものです。もしも飢え渇き、暑さに苦しむ人がそこに来て、池に入って洗い清め、飲食を満たすならば、その心には計り知れない喜びが満ちるでしょう。」

佛言:「如是,若有行十善事者,身死即生月天子所,則疾得持月大城郭也。是謂為其千光明以善因緣所致矣。復何從得千光明善因緣?若有不殺生、不盜竊、不犯他人婦女、不妄言、不飲酒,其人歡喜,身死便生月天子所,則疾得持月城郭。是謂以善因緣所致千光明。

仏は言われた。「その通りです。もし十の善い行いを行う者がいれば、その者は死後、月天子の住まいへと生まれ変わり、すぐに月の大城郭を保つ者となるのです。これは、千の光明が善い因縁によってもたらされたからです。では、千の光明の善い因縁はどこから得られるのでしょうか。もし、殺生せず、盗みをせず、他人の妻を犯さず、嘘をつかず、酒を飲まない者がいれば、その人は喜びに満ち、死後、月天子の住まいへと生まれ変わり、すぐに月の城郭を保つ者となるのです。これが、善い因縁によってもたらされる千の光明です。」

「六十彈指頃,為切七尺縷,切二十一尺為一時,百彈指為切十尺。日大城郭,日稍稍南著,行六十里,盡百八十日,乃復北還竟,百八十日也。日行百八十日著,月行十五日,即復到矣。閻浮利日中時,東方弗于逮便冥,西方俱耶尼則初出,北方鬱單曰則夜半也。俱耶尼日中時,閻浮利即冥,鬱單曰日初出,弗于逮夜半也。鬱單曰日中時,俱耶尼則冥,弗于逮日初出,閻浮利即夜半也。弗于逮日中時,鬱單曰則冥,閻浮利日初出,俱耶尼則夜半也。如是閻浮利人日中,東方弗于逮天下人冥,西方俱耶尼天下人日出,鬱單曰天下人夜半。俱耶尼人日中,便閻浮利人冥,鬱單曰天下日出,弗于逮天下人則夜半也。」

六十弾指の間に、七尺の糸を切る。二十一尺を切るのを一時とし、百弾指で十尺を切る。太陽は大きな城郭のように、少しずつ南へと移り、一日に六十里進み、百八十日かけて南へ行き尽くし、また北へと百八十日かけて戻る。太陽が百八十日かけて進む間に、月は十五日で元の位置に戻る。閻浮提で正午の時、東方の弗于逮はすでに暗く、西方の俱耶尼では日が昇り始め、北方の鬱単曰では夜半である。俱耶尼で正午の時、閻浮提は暗くなり、鬱単曰では日が昇り始め、弗于逮では夜半である。鬱単曰で正午の時、俱耶尼は暗く、弗于逮では日が昇り始め、閻浮提では夜半である。弗于逮で正午の時、鬱単曰は暗く、閻浮提では日が昇り始め、俱耶尼では夜半である。このように、閻浮提の人々が正午を迎えるとき、東方の弗于逮の人々は暗闇の中にあり、西方の俱耶尼の人々は日が昇り始め、鬱単曰の人々は夜半を過ごしている。俱耶尼の人々が正午を迎えるとき、閻浮提の人々は暗闇に包まれ、鬱単曰の人々は日が昇り始め、弗于逮の人々は夜半を過ごしている。

佛言:「月何因緣稍稍現缺減?有三事故缺。何等為三?一者角行故,稍稍現缺減,是為一事;二者月大城郭邊有天其色青衣被,瓔珞亦青,所可侍面止頓,其面則現缺減,是為二事;三者日大城郭,以六十光明,照月大城郭之明所照面,其面則現缺減,是為三事。日奪月光明故,月何因復現滿?具足有三事。何等為三?一者月稍行三方,用是故月稍現滿,是為一事;二者月十五日,則諸青色青衣天人,入月城中,共相娛樂。彼時月皆以光明照諸天人,譬如眾燈中央然大火,其火皆曜眾燈。」

仏は言われた。「月はなぜ次第に欠けていくのか?三つの理由がある。第一に、月が軌道を巡るため、次第に欠けて見える。第二に、月の大城郭のそばに、青衣をまとった青い瓔珞を飾る天人がいて、その顔が月面に映ると、月が欠けて見える。第三に、太陽の大城郭が放つ六十の光明が月の大城郭を照らし、その光が月面を覆うため、月が欠けて見える。これが三つの理由である。では、なぜ月は再び満ちるのか?これにも三つの理由がある。第一に、月が三方に巡るため、次第に満ちて見える。第二に、十五日になると、青衣の青い天人たちが月の城に入り、共に楽しむ。その時、月はすべての天人を照らす。まるで多くの灯の中央に大きな火を灯せば、その火がすべての灯を照らすように。」

佛言:「如是,月大城郭邊諸天,其色青及衣青者,月十五日時,入與月天子俱相娛樂,其光明照諸天人,用是故十五日月現滿,是為二事;三者月十五日時,日以六十光明,照月大城郭,月不受,用是故月現滿,是為三事。

お釈迦様はおっしゃいました。「その通りです。月の大城郭の辺りにいる諸天のうち、色が青く、衣も青い者たちは、月の十五日の時に、月天子と共に入って楽しみます。彼らの光明が諸天の人々を照らすので、そのために十五日の月は満ちて現れるのです。これが二つ目のことです。三つ目には、月の十五日の時に、太陽が六十の光明をもって月の大城郭を照らしますが、月はそれを受け入れません。そのために月は満ちて現れるのです。これが三つ目のことです。」

「月大城郭,有常持風五品。何等為五?一者持風、二者住風、三者助風、四者轉風、五者行風,是為五風。常共行月城郭,未曾有休息也。月中何因復現乳色也?有樹名閻浮利,是故名此天下為閻浮利。其樹下有山,皆以七寶作之,高八百里,周匝亦八百里。其樹高四千里,周匝二千里,圍五百六十里,根深八百四十里。其影照現月中,故使月大城郭現乳色不明。」

月の大城郭には、常に五つの風が吹き巡っています。どの五つかというと、一つは「持つ風」、二つは「留まる風」、三つは「助ける風」、四つは「転ずる風」、五つは「行く風」です。これら五つの風は、常に月の城郭を巡り、決して休むことがありません。

月の中にどうして乳白色の光が現れるのでしょうか。それは、閻浮利という名の樹があるからです。この樹の名にちなんで、この天下を閻浮利と呼びます。その樹の下には山があり、すべて七宝でできていて、高さは八百里、周囲も八百里あります。樹の高さは四千里、周囲は二千里、幹の太さは五百六十里、根の深さは八百四十里です。その樹の影が月の中に映し出されるため、月の大城郭は乳白色の光を放ち、明るく輝くのです。

佛告比丘言:「族姓子!作行當如月照天下,棄捐貢高之心,遠離種姓,常懷慚愧之意。閻浮利大樹上其實,譬如大瓶,其味甜如蜜,其色白如酥肥。閻浮利大樹北,有七重山七重樹,有七波羅門仙人精舍。」

仏は比丘たちに言われた。「善男子よ、その行いは月が天下を照らすようにありなさい。高慢な心を捨て去り、家柄や身分に執着せず、常に慎みの心を持ち続けなさい。閻浮提の大樹には、大きな瓶のような実がなります。その味は蜜のように甘く、その色は凝乳のように白い。閻浮提の大樹の北には、七重の山と七重の樹木があり、七人のバラモンの仙人たちの精舎があります。」

佛言:「爾時,諸人民食其地上味,以自生活,如是食是地味,甚久長壽命無極。其有食地味多者面色變惡,食少者面色善好,其好顏色者,便自貢高,形笑惡色者;以色自貢高相形笑故,其地味便滅不復生。更自然生薄餅,其味甚香美,不如前地味。人共會議,愁憂自搏,呼嗟啼哭,思念前地味甚美,而亡失之。」

仏は言われた:「その時、人々は大地の味を食べて生活していました。この大地の味を食べている間は、寿命は極めて長く、限りがありませんでした。しかし、大地の味を多く食べた者は顔色が悪くなり、少なく食べた者は顔色が良くなりました。顔色の良い者は自慢し、顔色の悪い者を嘲笑いました。このように互いに自慢し嘲笑い合ったため、大地の味は消えて二度と生じなくなりました。代わりに薄餅が自然に生じ、その味はとても香ばしく美味でしたが、以前の大地の味には及びませんでした。人々は集まって話し合い、悲しみ憂い、胸を打ち、嘆き泣きながら、以前の大地の味の素晴らしさを思い出し、それを失ったことを悔やみました。」

佛言:「譬如此間人,有甘美味,與人甞之。便言:『其味一何美耶!』貪其味無已。爾時,人如是共會議,愁憂自搏,呼嗟啼哭,思念前地味。時,人則復取薄餅食之,以自生活,如是甚久長。其有食地薄餅復多,有顏色遂變惡,其食少者顏色善好,其好顏色者,形笑惡色者;以色自大貢高相形笑故,其地薄餅則復沒不復生。更生波羅,其味亦香美,不如前薄餅味,譬如枯加藍華,其味如蜜。爾時,人共會議愁憂自搏,呼嗟啼哭,念前地薄餅味。人便取波羅味食之,以自生活,其壽命甚久長。其食波羅味多者,顏色遂變惡,食之少者,顏色善好,其好色者以色自貢高,相形笑所致,地波羅便沒不生。更自然生粳米,其味亦香美姝好,種種清淨出一切味,不如波羅味。人共會議,憂愁呼嗟啼哭,念前波羅味自搏,譬如此間人,更毒痛法,呼嗟啼哭。彼時人如是也。爾時,人取食自然粳米,食自然粳米之後,天下變為男子女人,各各相觀,便起婬欲之意,行屏處共作不淨行,為穢濁之法矣。餘者見之便言:『汝何作非法事乎?人人寧當相向作是事耶?』遠其人去,不與談語。至二三月然後方呼來相見,言:『昔者人無所著,今者人稍有所著。』後便持童女嫁與夫,歌舞戲笑,稱願夫婦常使安隱也。爾時,人非法著婬欲,行非法婬欲之後,便造舍宅。用是非法故,初起舍宅。」

仏は言われた。「たとえば、この世の人々が、甘く美味しいものを誰かに味わわせると、『なんとこの味は美しいことか!』と言い、その味を貪り求めてやまない。その時、人々は集まって相談し、憂い悲しみ、自ら胸を打ち、嘆き泣きながら、以前の地の味を思い慕った。人々は再び薄餅を取って食べ、それで命をつないだ。そうして長い時が過ぎた。地の薄餅を多く食べた者は、次第に容貌が醜く変わり、食べる量の少ない者は容貌が美しかった。美しい容貌の者は、醜い容貌の者を見下して嘲笑した。そのように、容貌を自慢し高ぶって互いに嘲笑し合ったため、地の薄餅は再び消え失せ、生じなくなった。

代わりに波羅というものが生じた。その味もまた香り高く美味しかったが、以前の薄餅の味には及ばなかった。それはまるで枯加藍華のようで、その味は蜜のようであった。その時、人々は集まって相談し、憂い悲しみ、自ら胸を打ち、嘆き泣きながら、以前の地の薄餅の味を思い慕った。人々は波羅の味を取って食べ、それで命をつないだ。その寿命は非常に長かった。波羅の味を多く食べた者は、次第に容貌が醜く変わり、食べる量の少ない者は容貌が美しかった。美しい容貌の者は、その容姿を自慢し高ぶり、互いに嘲笑し合った結果、地の波羅は消え失せ、生じなくなった。

代わりに自然に粳米が生じた。その味もまた香り高く美しく、あらゆる味を清浄に生み出したが、波羅の味には及ばなかった。人々は集まって相談し、憂い悲しみ、嘆き泣きながら、以前の波羅の味を思い慕い、自ら胸を打った。それはちょうど、この世の人々がさらに苦しみに遭い、嘆き泣くようなものであった。その時の人々もまさにそうであった。

その時、人々は自然の粳米を取って食べた。自然の粳米を食べた後、世の中は男女に分かれ、互いに見つめ合ううちに淫欲の心が起こり、人目を避けた場所で共に不浄な行いをし、穢れた行いをするようになった。それを見た他の者は言った。『お前たちは何という道理に外れたことをするのか。人々は互いにこのようなことをするべきなのか?』そして彼らから遠ざかり、話すことさえしなくなった。二、三ヶ月経ってからようやく呼び寄せて会い、『昔の人々は何にも執着しなかったが、今の人々は少しずつ執着するようになった』と言った。

その後、少女を嫁がせて夫とし、歌い踊り、戯れ笑い、夫婦の幸せを願って常に安らかであることを祈った。その時、人々は道理に外れた淫欲に執着し、不浄な行いをした後、家屋を建て始めた。この道理に外れた行いが原因で、最初の家屋が建てられたのである。」

佛於是說偈言:

そこで仏はこの偈を説かれた。

「初時造瞻波國, 次起波羅奈城,
用是日出光明, 然後乃作羅閱。

初めに瞻波国を築き、次に波羅奈の城を起こし、 その日の出の光を用いて、その後初めて羅閲を作った。

「爾時,人民遂非法著婬欲,彼從第十五阿衛貨羅天上人,其福德薄祿命盡,身死來下人間,入母腹中成胞胎,用是故女人始懷妊生男女。時,人民共食是清淨粳米,以晡時往取粳米,更至明旦續如故,明旦往取之,至暮其粳米生亦如故。」

そのとき、人々は次第に法に反する行いをし、淫欲にとらわれるようになりました。第十五の阿衛貨羅天にいた天人たちは、福徳が薄く寿命が尽きると、身を死んで人間の世界に下り、母の胎内に入って胎児となりました。こうした理由から、女は初めて身ごもり、男や女を生むようになったのです。そのとき、人々はともにこの清浄な粳米を食べていましたが、夕方に粳米を取りに行き、翌朝になってもまた元のように実っていました。翌朝に取りに行くと、夕方にはその粳米がまた元のように生じていたのです。

佛言:「如是,人朝暮獲取粳米,隨生隨如故,不覺所獲取處。爾時,有一人心念言:『我朝暮往取清淨粳米疲勞,不如頓取二日粳米。』便往取之。餘者見之,呼共往取粳米。報言:『我已持二日粳米來,卿自隨取之。』爾時其人,便善之,言:『彼人甚快,乃往取二日粳米。我當復往取二三日粳米也。』餘人復見言:『共去取清淨粳米。』其人報言:『我已取二三日粳米,卿自隨意取。』彼人聞之則善之,自念:『當往取四五日粳米。』卿即往取四五日清淨粳米來。用人相効,往取清淨粳米多故,然後更生莖穬粳米,所取即有處不復生。爾時,人民皆聚會共議,愁憂不樂,自椎搏啼哭呼嗟言:『我昔者以好喜為食,身有光明,飛行神足,立安隱。時地自然生地味,甚香美,其色譬如白酥肥,其味如蜜。其愚者取而食之,即相效取地味食之,皆亡失光明神足。其食多者顏色變惡,其食少者顏色善好,顏色好者便自貢高,形笑惡色者;以相形笑故,地味即沒不復生。更生薄餅,薄餅沒後復生波羅,波羅沒盡更生粳米。以貢高相形笑故,至使令清淨粳米所取,即有處不生;當共分地作畔界。』用是故天下人,更行未曾有法,便共分地作畔界,各各耕種。爾時,愚人自有粳米,便行盜他家粳米。其主見之便言:『卿所為非所為非法!自有粳米不取,反行盜他人粳米乎!卿後莫復作是事也。』其人如是三反,自置粳米,盜他家粳米。其主復見之,即復言:『卿所取大非,自置粳米,反盜他家。』如是至再三,便以手椎擊,牽將去至聚落,坐眾人評議言:『此人自置粳米,反行盜他人。』其盜者對眾人言:『此人以手椎擊我。』眾人便共會議,愁憂不樂,自椎搏啼哭呼嗟言:『今世間遂生惡不善之法,怨結日成惡苦。』一人燒已燒已命,以有老病死。惡道之事,人便現受取之事,遂相撾捶,見已即自訟事。眾人便共議:『當於何所得賢者,共立為君長,典主所為?我等所作,從其取決。若有作非法者,當誅罰之。我等所種粳米,各各當共輸衣食。』爾時,彼眾會中,有人最大尊,端正姝好,威神巍巍,眾人便白其人:『當為我等典主作君長所為,從其受言教,若為非法者,即當誅罰之也。我曹種所收粳米,各各供給君衣食。』是人即言:『諾。』便共立為君長典主,一切所為,從其受教。若為非者,即誅罰之。人所種粳米,各各共輸入典主。一切教令,人民號曰大王,以法取租故名為剎利。用是故天下始起剎利種,天下所有國,皆屬大王。時,是閻浮利地,地平正無山陵𭗄谷,無有荊棘,亦無蚊虻蚤虱,亦無礫石,地棄捐明月珠玉琉璃金銀。

仏は言われた。「その通りである。人々は朝晩、粳米を取っていたが、それは自然に生じるがままに取っていたので、どこから取っているのかもわからなかった。その時、一人の人が心にこう思った。『私は朝晩、清らかな粳米を取りに行くのに疲れた。二日分の粳米を一度に取ってきた方がよい。』そうして、二日分の粳米を取りに行った。他の者がそれを見て、一緒に粳米を取りに行こうと呼びかけた。その人は答えた。『私はもう二日分の粳米を持ってきた。あなたは自分で取りに行きなさい。』その時、その人はそれを良いことだと思い、『あの人はなんて賢いのだろう。二日分の粳米を取りに行った。私も二、三日分の粳米を取りに行こう。』と思った。別の人がまた見て、『一緒に清らかな粳米を取りに行こう。』と言った。その人は答えた。『私はもう二、三日分の粳米を取ってきた。あなたは好きなだけ取りなさい。』その言葉を聞いた人は、それを良いことだと思い、『私は四、五日分の粳米を取りに行こう。』と思い、すぐに四、五日分の清らかな粳米を取りに行った。人々が互いに真似をして、清らかな粳米を多く取りに行ったため、その後、粳米は茎や穂を生じるようになり、取ったところはもう生えなくなった。その時、人々は皆集まって相談し、憂い悲しみ、自ら胸を打ち、泣き叫んで言った。『昔、私たちは歓喜を食とし、体には光明があり、飛行自在の神通力があり、安らかに立っていた。その時、大地は自然に地味を生じ、それはとても香り高く美しく、その色は白い酥や脂肪のようで、その味は蜜のようであった。愚かな者がそれを取って食べると、互いに真似をして地味を食べ、皆、光明と神通力を失ってしまった。多く食べた者は顔色が悪くなり、少ししか食べなかった者は顔色が良かった。顔色の良い者は自らを誇り、顔色の悪い者を笑った。互いに笑い合ったため、地味は消えてしまい、もう生じなくなった。代わりに薄餅が生じ、薄餅が消えた後には波羅が生じ、波羅が尽きると、今度は粳米が生じた。自らを誇り、互いに笑い合ったために、ついに清らかな粳米も、取ったところはもう生じなくなってしまった。私たちは土地を分けて境界を作るべきだ。』このため、天下の人々は、かつてなかったことを行い、土地を分けて境界を作り、それぞれ耕すようになった。その時、愚かな者は自分の粳米を持っているのに、他人の粳米を盗むようになった。その持ち主はそれを見て言った。『あなたのすることは間違っている。法に反している。自分の粳米があるのに取らず、なぜ他人の粳米を盗むのか。二度とこんなことをしてはいけない。』その人はこのように三度、自分の粳米を置いておき、他人の粳米を盗んだ。持ち主はまたそれを見て、再び言った。『あなたの取ることは非常に悪い。自分の粳米を置いておき、他人のものを盗むとは。』三度目にもなると、手で殴り、引きずって村へ連れて行き、人々の前で評議に座らせて言った。『この人は自分の粳米があるのに、他人のものを盗みました。』盗んだ者は人々に向かって言った。『この人が私を手で殴りました。』人々は皆集まって相談し、憂い悲しみ、自ら胸を打ち、泣き叫んで言った。『今、世の中には悪い不善の法が生じ、怨みの結びつきが日々悪い苦しみを生んでいる。一人が焼かれ、命が焼かれ、老病死がある。悪道の事柄が現れ、人々は互いに殴り合い、見るやいなや自ら訴え事を始める。』人々は皆で相談した。『どこかから賢者を得て、共に君長として立て、物事の主としよう。私たちのすることは、その者の決断に従おう。もし法に反することをする者がいれば、罰しよう。私たちが種を蒔く粳米は、それぞれが衣食として納めよう。』その時、その集会の中に、最も大きく尊く、端正で美しく、威厳のある人がいた。人々はその人に申し出た。『私たちのために主となり、君長として物事を治めてください。私たちはその教えに従います。もし法に反する者がいれば、罰してください。私たちが収穫する粳米は、それぞれが君の衣食として供えます。』その人は『承知した。』と言った。こうして共に君長として立て、すべての物事の主とし、すべてのことはその教えに従い、もし法に反する者がいれば罰した。人々が種を蒔く粳米は、それぞれが主に納めた。すべての教えと命令により、人々はその人を大王と呼んだ。法によって租税を取るので、剎利と呼ばれた。このため、天下に初めて剎利の種族が起こり、天下のすべての国は大王に属した。その時、この閻浮提の地は平らで正しく、山陵や深い谷はなく、荊棘もなく、蚊や虻、蚤や虱もなく、礫石もなく、大地は明月珠や玉、瑠璃、金銀を捨てていた。

「大王治閻浮利天下時,天下富樂,熾盛安隱,五穀豐熟,人民眾多,地佳好水亦饒多,譬如蘇麻油塗地,不起揚塵,生青草眾多。周匝正圓,其色譬如孔雀尾,其香如香香也。柔濡如綩綖,足蹈上陷入地四寸,舉足即還復如故。地無四寸空缺處,有香樹、瓔珞樹、衣被樹、不息樹、寶樹、器樹、音樂樹,樹生華實,劈之各各出種種所有。中有高七聲,下至六五四三二一聲者,最卑者高半聲。

大王が閻浮利の天下を治められた時、天下は富み楽しみ、栄えて安らかであり、五穀は豊かに実り、人民は数多く、土地は良く、水も豊かでした。まるでごま油を塗った大地のように、塵が舞い上がらず、青草が多く生い茂っていました。周囲は正円形で、その色は孔雀の尾のようであり、その香りは香木の香りのようでした。柔らかく滑らかで、足を踏み入れると四寸ほど地に沈み、足を上げると元通りに戻りました。地には四寸の隙間もなく、香りの木、瓔珞の木、衣被の木、不息の木、宝の木、器の木、音楽の木があり、木には花や実が生じ、それを割るとそれぞれ様々なものが現れました。中には高さ七声のものから、六声、五声、四声、三声、二声、一声のものまであり、最も低いものは半声の高さでした。

「大王治天下時,閻浮利有八萬郡國,人民聚落居,雞鳴者展轉相聞。天下無病,亦不大熱,亦不大寒,復無飢渴人。大王以法治行,奉十善事,遍教天下人民,使行如父愛子。天下人民,敬王如子敬父。大王有子,名曰真。真王有子,名曰齊。齊王有子,名曰頂生。頂生王有子,名曰遮留。遮留王有子,名和行。和行王有子,名留至。留至王有子,名日。日王有子,名波那。波那王有子,名大波那。大波那王有子,名沙竭。沙竭王有子,名大善見。大善見王有子,名提炎。提炎王有子,名染。染王有子,名迷留。迷留王有子,名摩留。摩留王有子,名精進力。精進力王有子,名堅賤。堅賤王有子,名十車。十車王有子,名舍羅。舍羅王有子名十丈。十丈王有子,名百丈。百丈王有子,名那和檀。那和檀王有子,名真闍。真闍王有子,名波延。後諸王甚眾多。

大王が天下を治めていた時、閻浮提には八万の国があり、人々は集落に住み、鶏の鳴き声が次々と伝わり合うほどでした。天下には病もなく、暑すぎることも寒すぎることもなく、飢えや渇きに苦しむ人もいませんでした。大王は法に従って統治し、十の善い行いを実践し、天下の人民に教え広め、まるで父が子を愛するように導きました。天下の人民は、子が父を敬うように大王を敬いました。

大王には真という名の子がいました。真王には齊という名の子がいました。齊王には頂生という名の子がいました。頂生王には遮留という名の子がいました。遮留王には和行という名の子がいました。和行王には留至という名の子がいました。留至王には日という名の子がいました。日王には波那という名の子がいました。波那王には大波那という名の子がいました。大波那王には沙竭という名の子がいました。沙竭王には大善見という名の子がいました。大善見王には提炎という名の子がいました。提炎王には染という名の子がいました。染王には迷留という名の子がいました。迷留王には摩留という名の子がいました。摩留王には精進力という名の子がいました。精進力王には堅賤という名の子がいました。堅賤王には十車という名の子がいました。十車王には舍羅という名の子がいました。舍羅王には十丈という名の子がいました。十丈王には百丈という名の子がいました。百丈王には那和檀という名の子がいました。那和檀王には真闍という名の子がいました。真闍王には波延という名の子がいました。その後も多くの王が続きました。

「諸轉輪王,有十種姓,一者姓迦奴車、二者姓多盧提、三者阿波、四者揵陀利、五者迦陵、六者遮波、七者拘獵、八者般闍、九者彌尸利、十者一摩彌,是為十種姓。迦奴車有五,多留亦有五,阿波有七,揵陀利亦有七,迦陵有九,遮波有十四,拘獵有三十一,般闍有三十二,彌尸利有八萬四千,摩彌有百一。然後有王,名大善生,人呼為伊摩。伊摩王有子,字烏獵。烏獵王有子,字不尼。不尼王有子,名師子。師子王有子,名悅頭檀。悅頭檀王有子,名悉達菩薩。悉達菩薩有子,名羅云。」

転輪聖王には十の姓があります。第一は迦奴車、第二は多盧提、第三は阿波、第四は揵陀利、第五は迦陵、第六は遮波、第七は拘獵、第八は般闍、第九は彌尸利、第十は一摩彌です。これが十の姓です。

迦奴車には五種、多留にも五種、阿波には七種、揵陀利にも七種、迦陵には九種、遮波には十四種、拘獵には三十一種、般闍には三十二種、彌尸利には八万四千種、摩弥には百一種あります。

その後、大善生という王が現れ、人々は彼を伊摩と呼びました。伊摩王には烏獵という子がいました。烏獵王には不尼という子がいました。不尼王には師子という子がいました。師子王には悦頭檀という子がいました。悦頭檀王には悉達菩薩という子がいました。悉達菩薩には羅云という子がいました。

佛言:「以是因緣,從昔至今,起剎利種。爾時,人民念言:『我為著疾病著腫著瘡,我欲棄一切著,往入空閑處室中坐。』即棄捐著疾病腫瘡,往入空閑處,坐思念道。今日早起,明旦日早起,行入丘聚分衛,人民見之,皆歡喜與之,人民便言:『善哉!乃棄捨疾病腫瘡,捐一切著,往入空閑處,坐思念道。』」

仏は言われた。「この因縁によって、昔から今に至るまで、刹帝利の種族が生まれた。その時、人々は考えた。『私は病に苦しみ、腫れ物や瘡に悩まされている。私は一切の執着を捨て、閑静な場所の庵に入って坐禅を組みたい。』こうして彼らは病や腫れ物、瘡という執着を捨て、閑静な場所に入り、坐して道を思惟した。今日も早く起き、次の日も早く起き、村落へ托鉢に入ると、人々は彼らを見て喜んで施しを与えた。人々は言った。『善きかな、彼らは病や腫れ物、瘡を捨て、一切の執着を棄てて、閑静な場所に入り、坐して道を思惟している。』」

佛言:「此輩但行惡不善之法,是故謂言婆羅門也。爾時,彼人不能坐禪念道,亦不能得禪,用不能坐禪得禪故。從坐起,入聚落中分衛,呪願說言:『不能坐禪,亦不能得禪。』共邪行入丘聚分衛,故名為聚也。行邪法故,名為和沙羅。是故世間,初造起婆羅門種也。時,人民各各奉行種種法,用是故世間有工師種。彼時人各各犯殺生,用是故謂言殺生種也。是以因緣,世間初造有殺生也。用世間已造起是四種故,然後世間乃起第五沙門種也。若剎利種,身行惡口言惡心念惡,行是惡已後,身死墮勤苦中;婆羅門種、工師種、殺生種,亦如是、若身行惡口言惡心念惡,身死墮苦中;剎利種,若身行善口言善心念善,身死復墮樂處;婆羅門種、工師種、殺生種,其有身行善口言善心念善,身死復墮樂處;剎利種、婆羅門種、工師種、殺生種,若身行二事,口意行二事,身死墮苦樂中;剎利種,若有除鬚髮被袈裟,信道棄家,行作沙門,奉行三十七品經。行是已,善男子善女人,用信道故,棄家行作沙門,行無上清淨事,現在不久,自以功德作證念道,行盡生死,具足梵行,所作已辦,不復更餘事;婆羅門種、工師種、殺生種,若有除鬚髮被袈裟,行作沙門,奉行三十七品經,用善男子信故,捨家作沙門,修無上清淨事,現在不久,自以功德作證念道,行盡生死,具足梵行,所作已辦,不復更餘事也。是四種人,有起成惠之行者,得尊無所著阿羅漢也。」

仏は言われた。「この者たちはただ悪しき不善の法を行じるゆえに、婆羅門と呼ばれるのです。その時、彼らは座禅して道を念じることもできず、禅を得ることもできません。座禅して禅を得ることができないがゆえに、座を立ち、村落に入って托鉢し、呪願を説いて言うのです。『座禅もできず、禅も得られない』と。邪な行いを共にして村落に入り托鉢するゆえに、聚(むら)と呼ばれるのです。邪法を行うゆえに、和沙羅(わしゃら)と呼ばれるのです。このようにして世間において、初めて婆羅門の種族が造り起こされたのです。

時に、人々はそれぞれ様々な法を奉行しました。このゆえに世間には工師の種族が生じたのです。その時、人々はそれぞれ殺生を犯しました。このゆえに殺生種と呼ばれるのです。このような因縁によって、世間に初めて殺生が造り起こされたのです。

世間にこの四種族が造り起こされたゆえに、その後、世間において第五の沙門の種族が起こったのです。

もし剎利種が、身で悪を行い、口で悪を言い、心で悪を念じ、これらの悪を行った後、身が死んで苦しみの中に堕ちるならば、婆羅門種、工師種、殺生種もまた同様です。もし身で悪を行い、口で悪を言い、心で悪を念じれば、身が死んで苦しみの中に堕ちるのです。

剎利種が、もし身で善を行い、口で善を言い、心で善を念じれば、身が死んで楽の処に生まれ変わります。婆羅門種、工師種、殺生種もまた、もし身で善を行い、口で善を言い、心で善を念じる者がいれば、身が死んで楽の処に生まれ変わります。

剎利種、婆羅門種、工師種、殺生種が、もし身で二つの事(善悪)を行い、口と意で二つの事を行えば、身が死んで苦と楽のいずれかに堕ちるのです。

剎利種であっても、もし髭や髪を除き、袈裟をまとい、道を信じて家を棄て、沙門として行じ、三十七品の経を奉行するならば。この行いをなした、善男子・善女人は、道を信じるがゆえに、家を棄てて沙門となり、無上の清浄な事を行じます。現在において間もなく、自らの功徳をもって道を念じることを証し、生死を尽くし行じ、梵行を具足し、なすべきことを為し終え、さらに他の事はありません。

婆羅門種、工師種、殺生種であっても、もし髭や髪を除き、袈裟をまとい、沙門として行じ、三十七品の経を奉行するならば。善男子が信じるがゆえに、家を捨てて沙門となり、無上の清浄な事を修めます。現在において間もなく、自らの功徳をもって道を念じることを証し、生死を尽くし行じ、梵行を具足し、なすべきことを為し終え、さらに他の事はありません。

この四種族の人々の中に、智慧の行いを成就する者が起こり、尊く執着のない阿羅漢を得るのです。」

梵三鉢天,爾時說偈言:

梵天の三つの鉢、その時、偈を説いて言う。

「剎利種為人尊, 諸人民行種姓,
從起信成惠行, 彼天上人中尊。」

「剎帝利の種は人々の尊ぶところ、人々は種姓の行いをなす。 信心より起こりて智慧の行いを成せば、彼は天と人に尊ばれる者となる。」

「彼梵三鉢天,受是偈不受惡,說善事不說惡言,勸助是。」

「梵天の三鉢神は、この偈を受け入れ、悪しきものは受け入れず、善きことを語り、悪しき言葉は語らず、これを助け励ます。」

佛言:「我如來、無所著、等正覺亦說是義偈:

仏は言われた:「我が如来、執着なく、正等覚者もまたこの義を偈に説く:

「諸人民行種姓, 剎利種為人尊,
從起得成惠行, 彼天上人中尊。」

「人々は様々な生まれを持つが、剎帝利の生まれこそ人の尊ぶところ。 正しい行いによって智慧の行いを成し遂げるならば、彼は天上と人間の中で尊ばれる。」

佛說是經時,八萬四千天人,遠塵離垢,諸法法眼生;無央數比丘起無餘,不受生死,意得解脫;佛說如是,比丘歡喜,前為佛作禮而去。

仏がこの経を説き終えられたとき、八万四千の天人たちは、塵埃を遠く離れ、垢を離れ、あらゆる法の法眼が生じた。無数の比丘たちは、残ることなく、生死を受けることなく、心に解脱を得た。仏はこのように説かれ、比丘たちは歓喜し、前に進んで仏に礼拝し、去っていった。

地深二十億萬里,從是已下;復有地味,二十億萬里;下復有粟金,二十億萬里;下復有剛鐵,二十億萬里;下復有水,八十億萬里;下復有風,五百二十億萬里;乃復有下方異天地,從是人間,上至梵天,亦五百二十億萬里。

大地の深さは二十億万里、それより下には、さらに地の精華が二十億万里、その下には黄金の砂が二十億万里、その下には堅固な鉄が二十億万里、その下には水が八十億万里、その下には風が五百二十億万里広がっています。そしてさらにその下には、別の天地があります。この人間界から上へ、梵天に至るまでの高さも、同じく五百二十億万里です。

問曰:「何以正名為劫劫。」報曰:「劫名為災壞時,有四時因緣,一者久在地盡便火起、二者久火盡便水起、三者久水盡便風起稍生,後天地成,從成復敗,如環無端緒,故名為劫。久極天地運盡時,一切人罪盡者,皆上生梵天上,其天近。是時,有罪者未竟者,復生他方佛國天下惡道中。劫所以有起盡者,現非常、敗故,其事亦自應爾。若死是起,盡不知苦,已不知苦,亦不知求道。何以故?盡火起故。何以故?盡水起故。何以故?盡風起故。何以故?盡地起故。」

問い:「なぜ『劫』という名を正しく『劫』と呼ぶのですか。」 答え:「『劫』とは災いと破壊の時期を指します。そこには四つの因縁があります。第一に、大地が長く続いた後に尽きると火が起こり、第二に、火が長く続いた後に尽きると水が起こり、第三に、水が長く続いた後に尽きると風が起こり、次第に万物が生まれ、その後天地が形成されます。形成されたものはまた崩壊し、輪のように終わりがありません。それゆえ『劫』と呼ばれるのです。天地の運行が極限まで続き、尽きる時には、すべての人の罪が消え去った者は、皆、梵天の上に生まれます。その天は近いのです。その時、罪がまだ消えていない者は、他の仏の国の天下の悪道に再び生まれます。劫に始まりと終わりがあるのは、常ならざるもの、崩壊するものであることを示すためであり、その事柄もまた自然にそうなるのです。もし死が始まりであり、終わりが苦しみを知らないなら、すでに苦しみを知らず、また道を求めることも知らないでしょう。なぜなら、火が尽きるからです。なぜなら、水が尽きるからです。なぜなら、風が尽きるからです。なぜなら、大地が尽きるからです。」

大樓炭經卷第六

大樓炭経 第六巻


12 災變品

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