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title: "大薩遮尼乾子所說經 · 之一"
description: "大薩遮尼乾子所說經由元魏時期北印度僧人菩提留支翻譯。該經屬大乘佛教經典，記錄了尼乾子大薩遮與佛陀的對話，闡述菩薩行的核心教義，包括發菩提心、修六度萬行及如來藏思想。經文強調眾生本具佛性，並深入探討了菩薩如何於世間實踐慈悲與智慧。此經對漢傳佛教如來藏學說的發展具有重要影響，為研究南北朝時期佛教思想與實踐提供了關鍵文獻，在佛教哲學體系中佔有崇高地位。"
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### 如來無過功德品第八之一

> 第八品 如来の過ちなき功徳（その一）

爾時嚴熾王聞薩遮尼乾子所說，得歡喜已，更問所疑，作如是言：「大師！今此眾生界中、眾生聚中，頗更有人聰明大智、利根黠慧、知法非法無過失不？」

> その時、厳熾王はサチャ・ニグランタ（薩遮尼乾子）の説法を聞いて喜び、さらに疑問に思ったことを尋ねました。「大師よ、今この衆生の世界、この生きとし生けるものの中に、他にも聰明で知恵があり、根機が鋭く賢く、正しい法とそうでない法をよく知り、過ちのない人はいるのでしょうか？」

答言：「大王！有此眾生無諸過失。」

王言：「大師！今者誰是？」

> 王が言った。「大師よ、今、どなた様でいらっしゃいますか？」

答言：「大王！此沙門瞿曇釋家子。生釋王家，出家為道。大王當知！如我有四圍陀經中說，彼釋種沙門瞿曇無有過失。所謂生在大家不可譏嫌。何以故？以是轉輪王家生故。種姓豪貴不可譏嫌。何以故？以甘蔗姓種家生故。福德莊嚴不可譏嫌。何以故？以三十二相、八十種好莊嚴身故。具足實事不可譏嫌。何以故？以具持戒、十力、四無所畏、十八不共法畢竟成就故。是故知彼沙門瞿曇無有過失。

> 答えました。「大王、この沙門ゴータマは釈迦族の御方です。釈迦王家に生まれ、出家して修行の道に入られました。大王、ご承知ください。我々の四大ヴェーダ経典に説かれている通り、かの釈迦族の沙門ゴータマには何の非もありません。なぜなら、高貴な家系にお生まれになったので、とがめることはできません。転輪聖王の家系に生まれたからです。種姓が高貴であるため、とがめることはできません。甘蔗姓の名門に生まれたからです。福徳の相を備えているため、とがめることはできません。三十二相と八十種の好を身にまとっておられるからです。真実を完全に備えているため、とがめることはできません。戒律を完全に守り、十力・四無所畏・十八不共法を究め、成し遂げておられるからです。ゆえに、かの沙門ゴータマには何の非もないと知るべきです。」

「大王當知！彼釋種子沙門瞿曇，若不捨家出家為道者，當作轉輪聖王王四天下，當行法行而為法王。具足七寶——輪寶、象寶、馬寶、如意寶、夫人寶、大臣寶、主藏寶，千子具足——勇猛雄傑有丈夫相，身諸威德無可嫌毀，力能降伏他諸軍眾，具足成就轉輪王相，於四天下而得自在，無與等者。於此大地無諸怨刺、無諸惱害、無有刀杖，依法降伏，行於平等自在而住。而彼王子沙門瞿曇不樂如是世間之樂，捨家出家，勇猛精進行大苦行，日食一麻或食一米，心不懈怠六年苦行，成等正覺，坐於道場菩提樹下，降諸魔力，一心念於相應智慧，所有應知、所有應得、所有應見、所有應覺、所有應證，彼諸一切所應得法，不從師學，自智即能如實覺知，是故知彼沙門瞿曇一切世間天、人、魔、梵、沙門、婆羅門等無與等者，何況有勝彼沙門瞿曇無等等、無勝等，是故彼無一切過失。何以故？以彼沙門瞿曇家姓無等、形色無等、智慧無等，是故無過失。」重說偈言：

> 「大王よ、知るがよい。あの釈迦族の沙門ゴータマは、もし家を捨てずに出家せずして道を求めたならば、転輪聖王となって四つの天下を治め、正しい法に従って統治する法の王となったであろう。七宝――すなわち輪宝・象宝・馬宝・如意宝・夫人宝・大臣宝・主蔵宝を具え、千人の子たちを有し――彼らは勇猛で雄々しく丈夫の相を備え、その威徳には欠けるところがなく、力は他軍を打ち負かし、転輪王の相を完全に備え、四つの天下において自在であり、並ぶ者はいなかったであろう。この大地には怨みも悩みもなく、刃も杖もなく、法によって人々を従わせ、平等のもとに自在に住したであろう。しかし、あの王子ゴータマはそのような世の楽しみを好まず、家を捨てて出家し、勇猛精進して大いなる苦行を行い、日に一つの胡麻あるいは一つの米を食べるのみで、心を怠ることなく六年もの苦行を積み、ついに等正覚を成就したのである。菩提樹の下の道場に坐して、すべての魔力を降伏し、一心に相応の智慧を念じた。知るべきこと、得るべきこと、見るべきこと、覚るべきこと、証すべきこと、それらすべての得るべき法を、師に学ぶことなく、自らの智慧で如実に覚知したのである。ゆえに、あの沙門ゴータマは、一切の世間の天・人・魔・梵天・沙門・婆羅門などと等しい者はなく、ましてや勝る者などいないことを知るべきである。あの沙門ゴータマには並ぶ者がなく、勝る者もない。それゆえ、彼にはいかなる過失もないのだ。なぜなら、あの沙門ゴータマは家柄において並ぶ者がなく、姿形において並ぶ者がなく、智慧において並ぶ者がなく、それゆえに過失がないからである。」重ねて偈で説かれた。

「家色生姓勝， 諸相百福勝，八十種妙好， 莊嚴佛自身。六年修苦行， 坐於菩提樹，降伏諸魔眾， 逮得一切智。是諸天人師， 常念利世間，慈悲心平等， 救苦無怨親。波羅㮏城說， 四諦相應法，無我命眾生， 是故無過失。」

> 「家や色や生まれや姓に勝れ、 あらゆる相(すがた)や百の福徳に勝れたまい、 八十種の妙なる好(よさ)をもって、 仏のみずからを荘厳(しょうごん)されました。 六年の間、苦行を修行し、 菩提樹の下にお座りになって、 あらゆる魔の群れを降伏し、 一切智(いっさいち)をおさめられました。 この方は全ての天(てん)や人の師であり、 常に世の中の利益(りやく)を思い、 慈悲の心は平等で、 苦しみを救うに怨みも親しみもありません。 波羅㮏(はらな)の城において、 四諦(したい)にかなった法を説き、 我(が)も命も衆生もないと示されました—— ゆえに、過ちはないのです。」

爾時嚴熾王語大薩遮尼乾子言：「大師！應說何者是如來三十二大丈夫相，以是三十二相莊嚴身故，得大丈夫師子王名？」

> その時、厳しき悌熾王（ごんしおう）が大薩遮尼乾子に尋ねました。「大師よ、如来の三十二の大丈夫相（だいじょうぶのそう）とはどのようなものなのですか？ この三十二の相によって身体が荘厳され、大丈夫の師子王（ししおう）という名を得たと聞きます。どうかお聞かせください。」

爾時大薩遮尼乾子告嚴熾王言：「大王！今當一心諦聽，當為汝說！」

> その時、大サッタ・ニガンタ・シが厳熾王に告げました。「大王よ、よく心を静めてお聞きなさい。これからお話しいたします。」

王言：「大師！願樂欲聞。」

> 王が言った。「大師よ、ぜひお聞きしたいと思います。」

薩遮尼乾子言：「大王當知！沙門瞿曇三十二相者：一者、沙門瞿曇足下平滿，蹈地善住；二者、沙門瞿曇足下具足千輻輪相；三者、沙門瞿曇手腳柔軟，如天劫貝；四者、沙門瞿曇諸指纖長；五者、沙門瞿曇指皆網縵；六者、沙門瞿曇足跟圓滿；七者、沙門瞿曇足趺上隆；八者、沙門瞿曇鹿王𨄔相；九者、沙門瞿曇身相端嚴；十者、沙門瞿曇馬王陰藏；十一者、沙門瞿曇一孔一毛不相雜亂；十二者、沙門瞿曇髮如青妙淨琉璃色；十三者、沙門瞿曇身毛上靡；十四者、沙門瞿曇皮如金色；十五者、沙門瞿曇皮膚細軟；十六者、沙門瞿曇七處平滿；十七者、沙門瞿曇兩肩圓厚；十八者、沙門瞿曇兩肩高峻圓如金山；十九者、沙門瞿曇身體廣長；二十者、沙門瞿曇身圓正直如尼拘樹王；二十一者、沙門瞿曇頰如師子；二十二者、沙門瞿曇四十齒滿；二十三者、沙門瞿曇齒間明密；二十四者、沙門瞿曇齒方齊平；二十五者、沙門瞿曇齒白如雪；二十六者、沙門瞿曇舌得上味；二十七者、沙門瞿曇舌能覆面；二十八者、沙門瞿曇聲如梵聲；二十九者、沙門瞿曇眼如牛王上下俱瞬；三十者、沙門瞿曇目相鮮明如青蓮華葉；三十一者、沙門瞿曇額上毫相功德滿足；三十二者、沙門瞿曇頭相高顯無見頂者。大王當知！此沙門瞿曇三十二相，沙門瞿曇以此三十二相莊嚴身故，說名大丈夫師子王。」而說偈言：

> サッチ・ニガンタ（薩遮尼乾子）が言いました。「大王よ、知るべきです。沙門ゴータマには三十二の相があります。 第一に、沙門ゴータマの足の裏は平らで満ちており、地を踏むとよく安定しています。 第二に、沙門ゴータマの足の裏には千本の輻（や）のある輪の相が備わっています。 第三に、沙門ゴータマの手足は柔らかく、天の劫貝（綿のよう）です。 第四に、沙門ゴータマの指はすべて細く長いです。 第五に、沙門ゴータマの指には水かき（網膜）があります。 第六に、沙門ゴータマのかかとは丸く満ちています。 第七に、沙門ゴータマの足の甲は膨らんでいます。 第八に、沙門ゴータマのふくらはぎは鹿王のよう（筋肉が美しい）です。 第九に、沙門ゴータマの身体は端正で荘厳です。 第十に、沙門ゴータマは馬王の陰蔵（陰部が体内に隠れている）です。 第十一に、沙門ゴータマは一つの毛穴に一本の毛が生え、乱れがありません。 第十二に、沙門ゴータマの髪は青く、清らかで美しい瑠璃色です。 第十三に、沙門ゴータマの体毛は上向きに靡いています。 第十四に、沙門ゴータマの皮膚は金色です。 第十五に、沙門ゴータマの皮膚は細かく柔らかいです。 第十六に、沙門ゴータマの七つの部位（両手、両足、両肩、首）は平らで満ちています。 第十七に、沙門ゴータマの両肩は丸く厚いです。 第十八に、沙門ゴータマの両肩は高くそびえ、金色の山のようです。 第十九に、沙門ゴータマの身体は広く長いです。 第二十に、沙門ゴータマの身体は丸くまっすぐで、ニグロダ樹王のようです。 第二十一に、沙門ゴータマの頬は獅子のようです。 第二十二に、沙門ゴータマの歯は四十本揃っています。 第二十三に、沙門ゴータマの歯の間は明るく密です。 第二十四に、沙門ゴータマの歯は四角く平らで揃っています。 第二十五に、沙門ゴータマの歯は雪のように白いです。 第二十六に、沙門ゴータマの舌は最も優れた味を知っています。 第二十七に、沙門ゴータマの舌は顔を覆うことができます。 第二十八に、沙門ゴータマの声は梵天の声のようです。 第二十九に、沙門ゴータマのまつ毛は牛王のように上下ともそろって長いです。 第三十に、沙門ゴータマの目は清らかな青蓮華の葉のように鮮やかです。 第三十一に、沙門ゴータマの眉の間の白毫には功徳が満ちています。 第三十二に、沙門ゴータマの頭頂は高く顕れ、頂上を見ることができません。 大王よ、知るべきです。この沙門ゴータマの三十二の相によって、沙門ゴータマは大丈夫・獅子王と呼ばれるのです。」そして、次の偈を唱えました。

「頂高相微妙， 最勝莊嚴身，髮如青琉璃， 色淨輪右旋，眼瞬如牛王， 青蓮華葉形，是故瞿曇身， 皆歎不可嫌。瞿曇微妙聲， 過諸梵世音，如彼迦陵伽， 眾鳥悉非倫。舌能覆面門， 淨如蓮花葉，妙相過群生， 是故世無及。舌根得上味， 諸味無差別，速成妙相人， 故佛無過失。瞿曇齒功德， 一切無與等，明淨如珂雪， 齊平無差跌。頰相稱上廣， 方如師子王，脣色眾歎美， 喻如頻婆果。兩肩相高顯， 前後俱團圓，神光曜眾目， 峻美如金山。瞿曇身諸相， 三十二莊嚴，上下體圓滿， 如尼拘樹王。瞿曇身廣長， 善住不可嫌，智者常渴仰， 樂觀無厭心。瞿曇功德體， 七處俱滿足，皮色常暉鮮， 如閻浮檀金。身毛細柔軟， 塵垢無能染，生則輪右旋， 相著俱上靡。髮淨色青美， 厚滿不偏布，是故瞿曇相， 過諸世間姿。瞿曇身正直， 坐立無委曲，馬王陰藏相， 亦如大龍王。脛如鹿王𨄔， 麁細上下均，是故智者觀， 無有疲厭心。手足指網縵， 內外常鮮明，甲如赤銅葉， 指如銅擆形。足趺上豐高， 體滿如珂圓，腳跟相端嚴， 圓滿無高下。諸指皆纖長， 屈申相柔軟，足下平善住， 蹈地常安隱。此是瞿曇福， 功德諸相山，依此功德聚， 顯成瞿曇身。如是功德身， 過天人世間，如彼淨滿月， 顯於眾星中。瞿曇丈夫相， 功德莊嚴身，大悲自在現， 能利諸世間。法身淨無垢， 無量諸功德，如是諸妙相， 唯瞿曇境界。」

> 「頂上の肉髻は高く微妙であり、 最も勝れた荘厳の身である。 髪は青琉璃の如く、 色は清らかで右に旋り、 瞬きは牛王の如く、 青蓮華の葉の形である。 ゆえに瞿曇の身は、 皆歎いて嫌うことができない。 瞿曇の微妙な声は、 あらゆる梵天の音声を超え、 あの迦陵伽鳥のように、 他の鳥はすべて及ばない。 舌は顔を覆い、 清らかで蓮華の葉のようであり、 妙なる相は衆生を超え、 ゆえに世に及ぶものはない。 舌根は上味を得て、 諸々の味に差別がなく、 速やかに妙相の人となるゆえ、 仏には過失がない。 瞿曇の歯の功徳は、 一切に等しいものがなく、 明らかに清らかで珂の雪の如く、 斉しく平らで差別がない。 頬の相は上広にふさわしく、 方形で獅子王の如く、 唇の色は衆に歎美され、 譬えば頻婆果のようである。 両肩の相は高く顕れ、 前後ともに団円であり、 神光は衆目を耀かし、 峻美で金山の如し。 瞿曇の身の諸相は、 三十二の荘厳であり、 上下の体は円満で、 尼拘樹王の如し。 瞿曇の身は広く長く、 善く住して嫌うべからず、 智者は常に渇仰し、 楽しんで観て心に厭わない。 瞿曇の功徳の体は、 七処ともに満足し、 皮の色は常に輝き鮮やかで、 閻浮檀金の如し。 身の毛は細かく柔らかで、 塵垢が染めること能わず、 生じては輪右旋し、 相著いてともに上に靡く。 髪は清らかで色青く美しく、 厚く満ちて偏り布かず、 ゆえに瞿曇の相は、 諸々の世間の姿を超える。 瞿曇の身は正しく直く、 坐しても立ちても委曲がなく、 馬王の陰蔵の相もあり、 また大いなる龍王の如し。 脛は鹿王の腿の如く、 粗細は上下に均しく、 ゆえに智者が観ても、 疲れ厭う心がない。 手足の指の網は繕で、 内外ともに常に鮮明であり、 爪は赤銅の葉の如く、 指は銅の擆の形の如し。 足趺は上に豊かに高く、 体は満ちて珂の如く円く、 脚跟の相は端厳で、 円満にして高下がない。 諸々の指はみな細く長く、 屈伸の相は柔らかであり、 足の下は平らに善く住し、 地を蹈めば常に安らかである。 これは瞿曇の福であり、 功徳の諸相の山であり、 この功徳の集まりにより、 明らかに瞿曇の身となる。 かくの如き功徳の身は、 天人世間を超え、 あの清く満ちた月の如く、 衆星の中に顕れる。 瞿曇の丈夫の相は、 功徳に荘厳された身であり、 大悲が自在に現れ、 よく諸々の世間を利益する。 法身は清らかで汚れなく、 無量の諸々の功徳、 かくの如き諸々の妙相は、 ただ瞿曇の境涯である。」

王言：「大師！何者如來八十種好？百福功德以是相好莊嚴身故，名為如來百福莊嚴功德相身。」

> 王がお尋ねになりました。「大師よ、如来の八十種の好とはどのようなものなのでしょうか。百の福徳・功徳によって、これらの相や好が身を荘厳するからこそ、如来は『百福荘厳功徳相の身』と呼ばれるのです。」

答言：「大王！我今為成此事說喻。大王當知！若三千大千世界所攝四生眾生，謂：卵生、胎生、濕生、化生，此等眾生假使一時得於人身，得人身已，彼一一眾生皆修十善，成就轉輪聖王福德。彼諸眾生所修成就轉輪聖王福德之聚，彼一一福德更增百倍，始得成就沙門瞿曇一毛孔中下相功德；如是一毛孔中功德，餘一一毛孔所有功德亦復如是。大王當知！如是一切毛孔功德更增百倍，始得成就沙門瞿曇身中所有一好功德；如是一好功德，餘一一好功德亦復如是。

> 答えました。「大王、私は今、このことを明かすために譬えを用います。大王、よくお聞きください。もし三千大千世界に含まれる四生の衆生、すなわち卵生・胎生・湿生・化生の者たちが、すべて同時に人間の身を得たとしましょう。その人間となった一人ひとりが、すべて十善を修め、転輪聖王の福徳を成就したとします。彼ら衆生が修めて成就した転輪聖王の福徳の集まり、その一つ一つの福徳をさらに百倍に増して、ようやく沙門ゴータマの一つの毛穴にある下相の功徳を成就するに値します。このように一つの毛穴の功徳も、残るすべての毛穴の功徳もまた同様です。大王、よくお聞きください。このようにすべての毛穴の功徳をさらに百倍に増して、ようやく沙門ゴータマの身体にある一つの好相の功徳を成就するに値します。このように一つの好相の功徳も、残るすべての好相の功徳もまた同様です。」

「大王當知！如是一切諸好功德更增百倍，始得成就沙門瞿曇身中所有大丈夫相一相功德；如是一相功德，餘一一相功德亦復如是。大王當知！如是三十二相功德更增百倍，始得成就沙門瞿曇眉間白毫一相功德。如是眉間白毫功德，更增百倍，始得成就沙門瞿曇丈夫相中一頂相功德。大王當知！如是頂相功德，更增百千萬億倍，始得成就沙門瞿曇丈夫相中一法䗍聲功德，沙門瞿曇以此法䗍聲功德故，所有眾生界，眾生所攝，彼一一眾生言音不同，一時各各作百千種種種異問，彼一一眾生所問之事，餘不重問，能以一念相應智慧，以一音答爾所眾生，能令一時各得其解。大王當知！沙門瞿曇以此功德莊嚴身故，名為成就大丈夫相，是故瞿曇成就百福功德身相，是故瞿曇成就梵王法䗍妙聲。」而說偈言：

> 「大王よ、知るがよい。このようなすべての善き功徳がさらに百倍に増して、はじめて沙門瞿曇の身にそなわる全ての大丈夫相の一つの相の功徳となるのである。このように一つの相の功徳も、他の一つ一つの相の功徳もまた同じである。大王よ、知るがよい。このような三十二相の功徳がさらに百倍に増して、はじめて沙門瞿曇の眉間にある白毫の一つの相の功徳となるのである。このように眉間の白毫の功徳が、さらに百倍に増して、はじめて沙門瞿曇の大丈夫相の中の一つの頂相の功徳となるのである。大王よ、知るがよい。このような頂相の功徳が、さらに百千万億倍に増して、はじめて沙門瞿曇の大丈夫相の中の一つの法螺の声の功徳となるのである。沙門瞿曇はこの法螺の声の功徳によって、あらゆる衆生の世界に属するすべての衆生、その一人ひとりの言音が異なり、同時にそれぞれ百千のさまざまな異なる質問をするとしても、その一人ひとりの衆生が問うたことを重ねて問うことなく、一念の対応する智慧によって、一つの音声でそれらすべての衆生に答え、同時にそれぞれに理解させることができるのである。大王よ、知るがよい。沙門瞿曇はこの功徳によって身を荘厳しているがゆえに、大丈夫相を成就したと名づけられる。それゆえに瞿曇は百福の功徳の身相を成就し、それゆえに瞿曇は梵王の法螺の妙なる声を成就したのである。」そして、次の偈を説かれた。

「瞿曇功德身， 百福相住持，導濟諸群生， 故號天人師。見聞及受物， 其福不可量，瞿曇出世間， 饒益諸眾生。眾生界差別， 隨類各異問，瞿曇一念智， 一音答令解。瞿曇現世間， 能以梵音聲，轉最上法輪， 令天人苦盡。」

> ゴータマは功徳の身を具え、 百の福徳相をそなえておられる。 あらゆる人々を導き救うゆえに、 「天人の師」と称される。 彼を見聞きし、供養する者の功徳は、 はかり知ることができない。 ゴータマが世に現れ、 すべての生きとし生けるものを利益する。 生きとし生けるものの性質はさまざまで、 それぞれの違いに応じて異なる問いがあるが、 ゴータマは一瞬の智慧によって、 一つの音声で答え、彼らに理解させる。 ゴータマが世に現れて、 梵音の声をもって、 最上の法の輪を轉じ、 天人の苦しみを尽くし給う。

爾時嚴熾王問薩遮尼乾子而說偈言：

> その時、厳熾王が薩遮尼乾子に尋ねて偈を説いた。

「大師向說名， 如來諸小相，願為諸眾生， 及我分別說。」

> 「大師よ、お名前をお聞かせください。 如来のあらゆる瑞相について、 すべての人々のため、そして私のために、 詳しく説いてくださいますように。」

爾時薩遮尼乾子答嚴熾王言：「大王！汝能為諸眾生顯發如來功德小相多有利益，汝今諦聽，我當一一分別顯說沙門瞿曇八十種好。依彼諸好，廣宣瞿曇諸功德相，如秋滿月現眾星中。何等八十？一者、沙門瞿曇頭相端嚴上下相稱；二者、沙門瞿曇頭相滿美如摩陀羅樹果；三者、沙門瞿曇髮長弱美如委黑絲；四者、沙門瞿曇髮縷條理不相雜亂；五者、沙門瞿曇髮毛婉轉䗍文右旋；六者、沙門瞿曇髮色光澤如青瑠璃；七者、沙門瞿曇眉長皎潔如月初生；八者、沙門瞿曇眼相長廣如青蓮華葉；九者、沙門瞿曇耳埵輪成如似垂露；十者、沙門瞿曇鼻脩高直孔相不現；十一者、沙門瞿曇口氣香潔嗅者無厭；十二者、沙門瞿曇舌色光赤如赤銅鍱；十三者、沙門瞿曇舌相細滑薄利柔軟；十四者、沙門瞿曇脣色紅赤如頻婆果；十五者、沙門瞿曇牙白纖利光曜面門；十六者、沙門瞿曇面色華艷光如明鏡；十七者、沙門瞿曇面貌上下廣狹相稱；十八者、沙門瞿曇面貌豐美如似滿月；十九者、沙門瞿曇面貌端正，殊特可美；二十者、沙門瞿曇身體常淨，塵垢不染；二十一者、沙門瞿曇身體淨軟如練春華；二十二者、沙門瞿曇洪身正直如帝釋幢；二十三者、沙門瞿曇身諸文相福德超絕；二十四者、沙門瞿曇身體柔潤如塗膏澤；二十五者、沙門瞿曇身相麁細如尼拘樹王𦟛圓得所；二十六者、沙門瞿曇身諸相好無能嫌者；二十七者、沙門瞿曇身力無敵如那羅延；二十八者、沙門瞿曇威儀容止進退有法；二十九者、沙門瞿曇身諸相好，一切眾生樂觀無厭；三十者、沙門瞿曇身諸形相，惡眾生見生歡喜心；三十一者、沙門瞿曇行步容儀，眾生見者觀無厭足；三十二者、沙門瞿曇迴身顧視如大象王；三十三者、沙門瞿曇身動威相如師子王；三十四者、沙門瞿曇身相凝重無輕舉相；三十五者、沙門瞿曇身相廣大不可度量；三十六者、沙門瞿曇身相廣長無短小相；三十七者、沙門瞿曇光輪遍身周匝一丈；三十八者、沙門瞿曇身諸光相照曜十方；三十九者、沙門瞿曇身相尊重見者歸伏；四十者、沙門瞿曇皮膚細密常有光澤；四十一者、沙門瞿曇皮膚平滿無老皺相；四十二者、沙門瞿曇身色光明曜，眾生目不能正觀；四十三者、沙門瞿曇身色光明晝夜無異；四十四者、沙門瞿曇身諸毛孔常出妙香；四十五者、沙門瞿曇形貌威德過諸世間；四十六者、沙門瞿曇身諸筋脈深隱不現；四十七者、沙門瞿曇骨節相連如似鉤鎖；四十八者、沙門瞿曇身毛細軟一一右旋；四十九者、沙門瞿曇毛色光曜如閻浮檀金；五十者、沙門瞿曇手足赤白如蔙花色；五十一者、沙門瞿曇手足鮮淨常有潤澤；五十二者、沙門瞿曇十指纖長𦟛圓可美；五十三者、沙門瞿曇踝相不現平無高下；五十四者、沙門瞿曇𨄔骨堅長上下滿好；五十五者、沙門瞿曇手足圓滿無有高下；五十六者、沙門瞿曇手指柔軟內外受握；五十七者、沙門瞿曇手所有文細現深隱；五十八者、沙門瞿曇手所有文正直分明；五十九者、沙門瞿曇手所有文文不中斷；六十者、沙門瞿曇指甲薄潤如赤銅色；六十一者、沙門瞿曇立不傾斜平正得所；六十二者、沙門瞿曇住立安隱無能動者；六十三者、沙門瞿曇身動威勢如師子王；六十四者、沙門瞿曇迴身顧視如大象王；六十五者、沙門瞿曇行步平正無有傾曲；六十六者、沙門瞿曇行步安詳如似象王；六十七者、沙門瞿曇動足去步如白鵝王；六十八者、沙門瞿曇行不履地輪相炳著；六十九者、沙門瞿曇九孔門滿相皆具足；七十者、沙門瞿曇腹小不現；七十一者、沙門瞿曇臍孔深圓；七十二者、沙門瞿曇聲響調和麁細俱美；七十三者、沙門瞿曇妙聲遠徹隨聞無障；七十四者、沙門瞿曇所有言音隨眾生意，聞皆和悅；七十五者、沙門瞿曇語隨方音不增不減；七十六者、沙門瞿曇說法應機無有差謬；七十七者、沙門瞿曇語能隨俗方音為說；七十八者、沙門瞿曇一音說法，令諸異類一時俱解；七十九者、沙門瞿曇隨有因緣次第說法；八十者、沙門瞿曇胸有萬字示功德相。大王當知！是名沙門瞿曇八十種好莊嚴成就功德相身，一切聲聞、辟支佛，諸天、魔、梵、沙門、婆羅門及諸外道莫能有者，是故我言無有過失。」而說偈言：

> その時、サッチャ（薩遮）尼乾子は厳熾王に答えて言いました。「大王よ、あなたは衆生のために如来の功徳の一端を顕し、多くの利益をもたらしました。どうか今、よくお聞きください。私は一つ一つを分かち、沙門ゴータマの八十種好を明らかに説きましょう。それらの好に基づき、ゴータマの功徳の相を広く宣べましょう。それは、秋の満月が多くの星々の中に現れるかのようです。 さて、八十とは何でしょうか。 一、沙門ゴータマの頭の相は端正で、上下が調和している。 二、沙門ゴータマの頭の相は満ち美しく、マトラ（摩陀羅）樹の実のようである。 三、沙門ゴータマの髪は長く、柔らかく美しく、垂らした黒い絹糸のようである。 四、沙門ゴータマの髪の筋は整い、乱れがない。 五、沙門ゴータマの毛髪は、螺貝のように巻きながら右に回っている。 六、沙門ゴータマの髪の色は光沢があり、青く美しい琉璃のようである。 七、沙門ゴータマの眉は長く清らかで、新月のようである。 八、沙門ゴータマの眼は長く大きく、青い蓮の花弁のようである。 九、沙門ゴータマの耳たぶは輪を成し、下がった露のようである。 十、沙門ゴータマの鼻は高く真っ直ぐで、鼻の穴ははっきり見えない。 十一、沙門ゴータマの口の息は香り清らかで、嗅ぐ者がいても飽きることがない。 十二、沙門ゴータマの舌の色は光り輝く赤色で、赤い銅の板のようである。 十三、沙門ゴータマの舌の相は細やかで滑らか、薄く、しなやかで柔らかい。 十四、沙門ゴータマの唇の色は紅色で、ビンバ（頻婆）の果実のようである。 十五、沙門ゴータマの歯は白く、細く鋭く、顔面を照らし輝く。 十六、沙門ゴータマの顔色は花のように艶やかで、明るい鏡のように輝く。 十七、沙門ゴータマの顔かたちは上下の広狭が釣り合い取れている。 十八、沙門ゴータマの顔かたちは豊かで美しく、満月のようである。 十九、沙門ゴータマの顔かたちは端正で、特別に美しく愛らしい。 二十、沙門ゴータマの身体は常に清らかで、塵や汚れがつかない。 二十一、沙門ゴータマの身体は清らかで柔らかく、春の花を撚ったようである。 二十二、沙門ゴータマの偉大な身体は真っ直ぐで、帝釈天の幢のようである。 二十三、沙門ゴータマの身の文様の相は、福徳が絶えて優れている。 二十四、沙門ゴータマの身体は柔らかく潤い、膏を塗ったようである。 二十五、沙門ゴータマの身の相は、太くも細くもなく、ニグロダ樹王のようにふっくらとして適切である。 二十六、沙門ゴータマの身の諸相は、誰も嫌う者がいない。 二十七、沙門ゴータマの身の力は敵う者がなく、ナラーヤナのようである。 二十八、沙門ゴータマの威儀・容止・進退は法則に適っている。 二十九、沙門ゴータマの身の諸相好は、一切の衆生が喜んで見て飽きることがない。 三十、沙門ゴータマの身の諸形相は、悪い衆生が見ても喜びの心を生じさせる。 三十一、沙門ゴータマの歩く様子を見る衆生は、見ても飽き足りることがない。 三十二、沙門ゴータマが身を回し顧みる様子は、大きな象の王のようである。 三十三、沙門ゴータマの身の動きの威勢ある相は、獅子王のようである。 三十四、沙門ゴータマの身の相は重々しく、軽々しく動く相はない。 三十五、沙門ゴータマの身の相は広大で、測り知ることができない。 三十六、沙門ゴータマの身の相は広く長く、短く小さい相はない。 三十七、沙門ゴータマの光の輪は全身を巡り、その周囲は一丈である。 三十八、沙門ゴータマの身の諸光明の相は、十方世界を照らす。 三十九、沙門ゴータマの身の相は尊く重く、見る者は帰依し伏する。 四十、沙門ゴータマの皮膚は細やかで密であり、常に光沢がある。 四十一、沙門ゴータマの皮膚は平らかに満ち、老いて皺ができる相はない。 四十二、沙門ゴータマの身の色の光明は輝き、衆生の目は正しく見つめることができない。 四十三、沙門ゴータマの身の色の光明は、昼も夜も変わることがない。 四十四、沙門ゴータマの身の諸毛孔からは、常に妙なる香りが出る。 四十五、沙門ゴータマの形貌の威徳は、すべての世間を超えている。 四十六、沙門ゴータマの身の諸筋脈は、深く隠れて現れない。 四十七、沙門ゴータマの骨の節は連なり、鍵を掛けたように繋がっている。 四十八、沙門ゴータマの身の毛は細く柔らかで、一つ一つが右に巻いている。 四十九、沙門ゴータマの毛の色は光り輝き、閻浮檀金のようである。 五十、沙門ゴータマの手足は赤白で、旋陀羅華の色のようである。 五十一、沙門ゴータマの手足は鮮やかで清らかで、常に潤いがある。 五十二、沙門ゴータマの十の指は細く長く、ふっくらと丸く美しい。 五十三、沙門ゴータマのくるぶしの相は現れず、平らで高低がない。 五十四、沙門ゴータマの脛（すね）の骨は堅く長く、上下が満ちて良い。 五十五、沙門ゴータマの手足は丸く満ち、高低がない。 五十六、沙門ゴータマの指は柔らかく、内外共に握ることを受ける。 五十七、沙門ゴータマの手の文様は細やかに現れ、深く隠れている。 五十八、沙門ゴータマの手の文様は真っ直ぐで正しく、はっきりしている。 五十九、沙門ゴータマの手の文様は、途中で切れることがない。 六十、沙門ゴータマの爪は薄く潤い、赤銅の色のようである。 六十一、沙門ゴータマは立っても傾かず、平らかにして適切である。 六十二、沙門ゴータマの立ち居は安らかで安定し、誰も動かすことができない。 六十三、沙門ゴータマの身の動きの威勢は、獅子王のようである。 六十四、沙門ゴータマが身を回し顧みる様子は、大きな象の王のようである。 六十五、沙門ゴータマの歩みは平らかにして正しく、傾きや曲がりがない。 六十六、沙門ゴータマの歩みは安らかで詳らかで、象の王のようである。 六十七、沙門ゴータマの足を動かす歩みは、白い鵝の王のようである。 六十八、沙門ゴータマは歩くも地を踏まず、輪の相がはっきりと現れる。 六十九、沙門ゴータマの九つの孔は、すべて満ち足りて具わっている。 七十、沙門ゴータマの腹は小さく、目立たない。 七十一、沙門ゴータマの臍の孔は深く丸い。 七十二、沙門ゴータマの声は調和し、太く細く共に美しい。 七十三、沙門ゴータマの妙なる声は遠くまで届き、聞くことには障りがない。 七十四、沙門ゴータマのすべての言葉の音は、衆生の意に随い、聞く者すべてが和やかに喜ぶ。 七十五、沙門ゴータマの言葉は地方の言葉に随い、増えも減りもしない。 七十六、沙門ゴータマの説法は機根に応じ、間違いがない。 七十七、沙門ゴータマの言葉は、習慣や地方の言葉に随って説くことができる。 七十八、沙門ゴータマは一つの音で説法し、様々な種類の者が同時に理解する。 七十九、沙門ゴータマは、因縁に随い順序を追って説法する。 八十、沙門ゴータマの胸には卍の字があり、功徳の相を示している。 大王よ、これを沙門ゴータマの八十種好により荘厳され成就された功徳の相の身体というのです。一切の声聞や独覚、諸々の天、魔、梵天、沙門、婆羅門、そして諸々の外道でさえも、このようなものを持つ者はありません。それゆえ、私は『過失はない』と言うのです。」 そして、偈をもって言いました。

「地主聽我說， 如來八十好，以是諸相好， 莊嚴瞿曇身。瞿曇甲圓好， 形如半竹筒，美艷赤銅色， 光澤如油塗。指間肉平滿， 次第均無差，手文齊正直， 深細相分明。脈深無異相， 脣色如頻婆，腳善住無差， 是故常安隱。踝骨隱不現， 高下難分別，手中相明顯， 示現諸功德。舌相妙柔軟， 如天新華綿，薄如赤銅葉， 光色常暉鮮。諸節皆深隱， 妙相甚難見，兩手過雙膝， 天人皆讚歎。妙聲甚深遠， 猶如大龍王，如天中雨雷， 聲微妙最勝。瞿曇滿月身， 實相淨相應，妙形善端美， 上下俱𦟛圓。永盡惡身相， 滿足諸功德，膺滿如師子， 一一好差別。手足善光澤， 皮如金色鮮，如是諸功德， 一一不可嫌。身相次第好， 離諸麁澁觸，臍輪相圓正， 孔深無窪曲。一切諸身分， 功德所集成，諸行皆清淨， 光明離闇濁。如是功德身， 善備不可嫌，以是諸世間， 樂觀無厭足。起如大龍王， 奮迅動重淵，步如牛王相， 威如師子轉。身相甚柔軟， 骨節不相違，趨進如鵝王， 不疾亦不遲。腹相小不現， 脇柔軟肋平，毛右旋熠燿， 光色如流電。行步及去來， 諸相甚端妍，離隨瞋恚愛， 成就諸好因。瞿曇無諸惡， 萬相表吉祥，離於黃黑等， 不好諸黶相。眉如月初生， 色如金精黑，淨眼無妬眼， 廣眼曜如星。面門方圓好， 妙聲吐和音，諸相過群生， 離諸煩惱纏。眉相甚妍美， 鼻高如懸筒，雙目相廣長， 如青蓮花葉。眉齊不相離， 相滿圓如規，齒高次第利， 二牙光面門。身毛無參差， 咽頸離高下，是故瞿曇相， 天人無等者。頭圓如傘蓋， 缺骨頂夷平，皮額俱不皺， 如珂體圓實。瞿曇毛細滑， 不亂亦不散，宛轉輪右旋， 常出諸妙音。瞿曇毛鮮潔， 塵垢不能染，如彼淨琉璃， 不為淤泥點。瞿曇毛滿足， 一一次第住，如多楞祇草， 齊細不相繞。瞿曇毛細軟， 如蜂王腹毛，離病衰老相， 髮甲不變白。瞿曇胸相滿， 亦如師子坐，如魚如高幢， 亦如金剛鉤。如似立金瓮， 如畫還復旋，如鉢頭摩花， 如珂功德天。如結加趺坐， 一一諸節中，力如那羅延， 是故過世間。瞿曇胸萬字， 具足千輻輪，手腳相不異， 千輻輪無差。人主此正是， 瞿曇諸小相，二乘及外道， 天人皆無等。

> 「地主よ、聞いてほしい。如来には八十種の好相があり、これらの優れた相によって瞿曇（ゴータマ）の身体は荘厳されている。</row><row>瞿曇の爪は丸く美しく、その形は半分の竹筒のようであり、美しい赤銅色で、油を塗ったように光沢がある。</row><row>指の間は肉が平らに満ち、順序よく均等で差がない。手の紋は整って真っ直ぐで、深く細かく、はっきりとしている。</row><row>血管は深くて異状がなく、唇の色はビンバ（頻婆）の実のようで、足はしっかりと着地して乱れがない。ゆえに常に安らかで穏やかである。</row><row>踝の骨は隠れて見えず、高低の区別もつきにくい。手の中の相は明らかで、様々な功徳を示し現している。</row><row>舌の相は見事に柔らかく、天の新しい花や綿のようで、薄さは赤銅の葉のように、光沢は常に鮮やかに輝いている。</row><row>関節はすべて深く隠れて、その見事な相は見極めがたい。両手は両膝を超えて垂れ、天と人すべてが称賛する。</row><row>その見事な声は非常に深く遠くまで響き、あたかも大龍王のようであり、天の雨と雷のように、その声音は最も勝れている。</row><row>瞿曇の身体は満月のようであり、真の相は清らかさと相応している。見事な形は善く整って美しく、上下ともにふっくらとして丸みを帯びている。</row><row>悪い身体の相は永遠に尽き、様々な功徳が満ち足りている。胸は獅子のようにふくよかであり、一つ一つの好相に違いがある。</row><row>手足は善く光沢があり、肌は金色の鮮やかさである。このような様々な功徳は、一つとして嫌うべきものがない。</row><row>身体の相は順序よく整い、粗く澁った感触はない。へその輪の相は丸く正しく、穴は深くて窪みや曲がりがない。</row><row>すべての身体の部分は、功徳によって集成されている。行いはすべて清らかで、光明は闇や濁りを離れている。</row><row>このような功徳の身体は、善く備わっていて嫌うべきところがない。そのため、世間のすべての人々は喜んで見て、飽きることがない。</row><row>立ち上がる時は大龍王のようで、奮い立って深い淵を動かす。歩みは牛王の相のようであり、威厳は獅子の回転のようである。</row><row>身体の相は非常に柔らかく、骨と関節は互いに違わない。進む様子は鵞鳥の王のようで、速すぎず遅すぎもしない。</row><row>腹の相は小さくて目立たず、脇は柔らかく肋は平らである。毛は右に巻き、きらめいて輝き、その光色は稲妻が走るようである。</row><row>歩き方や行き来の様子、すべての相は非常に端麗で美しい。怒りや憎しみ、愛執を離れて、すべての好相の因を成就している。</row><row>瞿曇には悪いところが何もなく、一万の相が吉祥を表している。黄色や黒色などの好ましくないほくろの相とは無縁である。</row><row>眉は新月の如く、色は金精（金の精髄）のように黒い。清らかな眼には妬みの目はなく、大きく広い眼は星のように輝く。</row><row>顔は四角く丸く整い、見事な声は和らぎの音を吐き出す。すべての相は群生を超え、様々な煩悩の絡まりを離れている。</row><row>眉の相は非常に美しく、鼻は高くて筒を吊したようである。両眼の相は広く長く、青蓮華の花びらのようである。</row><row>眉は整っていて離れておらず、相は満ちて丸く、規（コンパス）のようである。歯は高く、順序よく、鋭く、二本の牙が顔の前に光る。</row><row>体毛には乱れがなく、喉と首は高低がない。ゆえに瞿曇の相には、天と人の中で匹敵する者はいない。</row><row>頭は丸くて傘蓋のよう、頭蓋骨の継ぎ目はなく、頂上は平らである。肌と額はともに皺がなく、貝の真珠のように丸くて実がある。</row><row>瞿曇の毛は細く滑らかで、乱れず、散らない。巻き方は輪となって右に回り、常に様々な見事な音を放つ。</row><row>瞿曇の毛は清らかで清潔、塵や垢は染まることができない。それは清らかな瑠璃（るり）が泥に汚されないのと同じである。</row><row>瞿曇の毛は満ち足りて、一つ一つが順序よく整っている。多楞祇草（たろうぎそう）のように、整って細く、絡み合わない。</row><row>瞿曇の毛は細く柔らかで、蜂の王の腹の毛のようである。病や老いの相から離れており、髪も爪も白く変わらない。</row><row>瞿曇の胸の相は満ちていて、獅子座のようでもある。魚のようでもあり、高く掲げた幢のようでもあり、金剛の鉤のようでもある。</row><row>立っている金の甕のようであり、絵のように回旋している。鉢頭摩花（はっとまげ＝蓮華）のようであり、貝殻や功徳天（吉祥天）のようである。</row><row>結跏趺坐（けっかふざ）の姿のようであり、一つ一つの関節の中に、那羅延（ならえん）のような力がある。ゆえに世間を超えている。</row><row>瞿曇の胸には卍の字があり、千輻輪が完全に備わっている。手と足の相に違いはなく、千輻輪に差はない。</row><row>人主よ、これこそが、瞿曇の様々な小相（好相）である。声聞乗と縁覚乗、そして外道、天や人も、みな匹敵するものがない。」

「大王當知！沙門瞿曇成就如是諸相好身，一切眾生無如此者，是故我言沙門瞿曇無有過失。

> 大王よ、知るがよい。沙門ゴータマは、このような数々の相好を備えた身を成就しておられる。いかなる衆生も、これに勝るものはない。ゆえに私は言う、沙門ゴータマには過失はない、と。

「大王當知！沙門瞿曇究竟成就大慈心力，能大饒益一切眾生，無有害心，彼大慈心無礙故、無障故、常行故、自然照故，遍至一切世間境界，入諸眾生煩惱使故。大王當知！譬如淨水摩尼寶珠，自體淨故，而能清淨一切濁水。大王當知！沙門瞿曇大慈心水亦復如是，自身清淨，復能清淨一切眾生煩惱淤泥、諸見濁水。大王當知！沙門瞿曇畢竟成就如是大慈，是故我言無有過失。」而說偈言：

> 「大王、お聞きください。沙門ゴータマは究極の慈しみの心の力を完成させ、一切の衆生を大きく利益し、害そうとする心はありません。その大いなる慈しみの心は、妨げられることなく、障りもなく、常に働き、自然に輝き、あらゆる世の中の境涯に遍く届き、衆生の煩悩や束縛の奥深くに入り込むのです。大王、お聞きください。譬えば、清らかな水のような摩尼宝珠は、自らの体が清らかなゆえに、全ての濁った水を清らかにすることができます。大王、お聞きください。沙門ゴータマの大いなる慈しみの心という水もまた同じです。自らが清らかであり、さらに一切の衆生の煩悩という泥や、様々な見解の濁った水を清らかにすることができるのです。大王、お聞きください。沙門ゴータマは確かにこのような大いなる慈しみを成就しておられます。ゆえに私は『過ちはない』と申し上げたのです。」そして、次の偈を説かれました。

「瞿曇大慈悲， 遍觀十方界，一切眾生心， 無時能捨離，故名佛世尊， 成就大慈心，是故一切智， 無有諸過失。如彼能淨水， 如意摩尼珠，以體明淨故， 能清諸濁水。瞿曇亦如是， 自性離諸垢，能以慈心水， 淨眾生濁心。

> ゴータマは大いなる慈悲をもって、 あまねく十方の世界を見渡し、 全ての生きとし生けるものの心を、 一瞬たりとも離れることはありません。 ゆえに「仏世尊」と名づけられ、 大いなる慈しみの心を完成されたのです。 そのため、一切智者には、 いかなる過ちも存在しません。 例えば、水を清めることのできる如意宝珠が、 その本質の清らかさゆえに、 濁った水をすべて清めるように、 ゴータマもまた同じく、 自らの本質はあらゆる汚れから離れており、 慈しみという水をもって、 衆生の濁った心を清めることができるのです。

「大王當知！沙門瞿曇於諸眾生畢竟成就三十二種大悲觀心。何等三十二？一者、沙門瞿曇見諸眾生墜墮癡闇大黑處故，起大悲心；二者、沙門瞿曇見諸眾生墜墮無明所纏窟故，起大悲心；三者、沙門瞿曇見諸眾生墜墮世間大險處故，起大悲心；四者、沙門瞿曇見諸眾生離寂靜處、墮世間故，起大悲心；五者、沙門瞿曇見諸眾生墮大瀑水，隨漂流故，起大悲心；六者、沙門瞿曇見諸眾生墮在顛倒險難大苦處故，起大悲心；七者、沙門瞿曇見諸眾生墮在惡道、離聖道故，起大悲心；八者、沙門瞿曇見諸眾生為大煩惱能縛所縛，常為種種煩惱羅網所纏裹故，起大悲心；九者、沙門瞿曇見諸眾生於諸境界常不可足、不可滿故，起大悲心；十者、沙門瞿曇見諸眾生屬諸愛主不自在故，起大悲心；十一者、沙門瞿曇見諸眾生常為老死大苦劫害、不生厭故，起大悲心；十二者、沙門瞿曇見諸眾生不離諸疹，為諸一切種種病苦所逼惱故，起大悲心；十三者、沙門瞿曇見諸眾生三火常然、晝夜常燒常不滅故，起大悲心；十四者、沙門瞿曇見諸眾生下業所纏，增長世間諸苦惱故，起大悲心；十五者、沙門瞿曇見諸眾生常懷驚怖、無安隱心故，起大悲心；十六者、沙門瞿曇見諸眾生少利所纏忘大過故，起大悲心；十七者、沙門瞿曇見諸眾生為諸種種放逸所醉，無始睡蛇常睡在心，在曠野道常為五陰怨家逐故，起大悲心；十八者、沙門瞿曇見諸眾生常為諸蓋劫善財故，起大悲心；十九者、沙門瞿曇見諸眾生無明覆眼，常曀不見善知識故，起大悲心；二十者、沙門瞿曇見諸眾生常為種種事亂其心，猶如亂絲無理者故，起大悲心；二十一者、沙門瞿曇見諸眾生常在憒閙、離寂靜故，起大悲心；二十二者、沙門瞿曇見諸眾生常在難處、離無難故，起大悲心；二十三者、沙門瞿曇見諸眾生云何云何邪見纏故，起大悲心；二十四者、沙門瞿曇見諸眾生隨逐貪餌依止種種邪見使故，起大悲心；二十五者、沙門瞿曇見諸眾生長夜執在想倒心倒，無常法中生於常想，於苦法中生於樂想，不淨法中生於淨想，無我法中生我想故，起大悲心；二十六者、沙門瞿曇見諸眾生無始世來，常負生死諸惡重擔，受大苦惱不疲厭故，起大悲心；二十七者、沙門瞿曇見諸眾生依止世間，羸薄少力非堅固中謂堅固故，起大悲心；二十八者、沙門瞿曇見諸眾生為染所染，常在無量諸垢中故，起大悲心；二十九者、沙門瞿曇見諸眾生為有貪縛、不厭捨故，起大悲心；三十者、沙門瞿曇見諸眾生為諸供養恭敬降伏，常求資生諸供養故，起大悲心；三十一者、沙門瞿曇見諸眾生常為種種境界纏心生憂惱故，起大悲心；三十二者、沙門瞿曇見諸眾生墜墮憍慢我慢地故，起大悲心。大王當知！是名沙門瞿曇於諸眾生畢竟成就三十二種大悲觀心，是故我言無有過失。」而說偈言：

> 「大王、お聞きください。沙門ゴータマは、あらゆる生きとし生けるものに対して、三十二種の大悲の観察心を完全に成就しておられます。その三十二種とは何でしょうか。 第一に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが無明の暗黒の大きな場所に落ちているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが無明に纏われる洞穴に落ちているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第三に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが世間という大きな危険な場所に落ちているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第四に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが静けさの場所を離れ、世間に堕ちているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第五に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが大きな流れに落ち、流れに身を任せているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第六に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが顛倒という危険で大きな苦しみの場所に堕ちているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第七に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが悪道に堕ち、聖なる道を離れているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第八に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが大きな煩惱という縄に縛られ、さまざまな煩惱の網に常に包まれているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第九に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが様々な対象に対して常に満足することがなく、足りることがないのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第十に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが愛欲の主に従属し、自由でないのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第十一に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが常に老いと死という大きな苦しみに脅かされながら、嫌悪の心を起こさないのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第十二に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが様々な病を離れず、あらゆる病の苦しみに悩まされているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第十三に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが三つの火（貪・瞋・癡）が常に燃え、昼夜焼け続け、決して消えないのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第十四に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが下劣な行いに縛られ、世間の様々な苦しみを増長させているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第十五に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが常に怖れを抱き、安心した心がないのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第十六に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが小さな利得に縛られ、大きな過ちを忘れているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第十七に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが様々な放逸に酔い、始まりのない過去から眠りの蛇が常に心の中で眠り、荒野の道で五蘊という怨敵に常に追われているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第十八に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが常に五蓋（貪欲・瞋恚・睡眠・掉挙・疑）に善の財産を奪われているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第十九に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが無明に目を覆われ、常に曇っていて善き友人（善知識）を見ることができないのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二十に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが常に様々なことに心を乱され、まるで乱れた糸のように整理する者がいないのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二十一に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが常に騒がしい場所におり、静けさを離れているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二十二に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが常に困難な場所におり、困難のない状態を離れているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二十三に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが実に様々な邪見に縛られているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二十四に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが貪欲の餌に従い、様々な邪見に依存し使役されているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二十五に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが長い間、妄想と顛倒した心に執着し、無常のものに常という想いを起こし、苦であるものに楽という想いを起こし、清浄でないものに清浄という想いを起こし、無我のものに我という想いを起こしているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二十六に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが始まりのない昔から、生死という悪い重い荷を負い、大きな苦しみを受けながらも疲れ嫌うことがないのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二十七に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが世間に依存し、弱々しくて力が少なく、堅固でないものを堅固だと思っているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二十八に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが汚れに染められ、常に無量の垢の中にいるのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第二十九に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが「有」への執着に縛られ、嫌って捨てることがないのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第三十に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが供養や敬われることに打ち負かされ、常に生活の資財や様々な供養を求めるのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第三十一に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが常に様々な対象に心を縛られ、憂い苦しみを生じているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 第三十二に、沙門ゴータマは、生きとし生けるものが高慢と我慢の境地に堕ちているのをご覧になり、大悲の心を起こされます。 大王、お聞きください。これを沙門ゴータマが、あらゆる生きとし生けるものに対して、完全に成就された三十二種の大悲の観察心と言います。ゆえに、私が『過ちはない』と申したのです。」そして、次の偈を唱えました。

「瞿曇見眾生， 閉在世間獄，輪迴遍諸趣， 常受一切苦，癡闇覆其心， 不知生厭離，是故無上尊， 常起大悲心。瞿曇見眾生， 樂著諸世間，四流河所漂， 隨順不得返，常沒生死海， 不知求出離，是故十力者， 常起大悲心。瞿曇見眾生， 墜墮大險中，入於非正道， 無有能救者，是故瞿曇觀， 起於大悲心，置於佛菩提， 最勝無畏處。瞿曇見眾生， 縛在牢獄中，與愛作僮僕， 策使諸境界，宛轉老死海， 不覺亦不知，是故十力者， 常起大悲心。瞿曇見眾生， 熾然三種火，常在諸惡趣， 種種苦所害，怖畏諸惡道， 無有依止處，是故十力者， 常起大悲心。瞿曇見眾生， 樂著於諸有，放逸心自在， 貪著諸境界，常被種種害， 而不生怖畏，是故十力者， 常起大悲心。瞿曇見眾生， 無明黑所覆，種種曀所障， 不離一切蓋，諸見亂如絲， 無有能解者，是故十力者， 常起大悲心。瞿曇見眾生， 墮在八邪見，為愛久住處， 以是常縛心，如是諸難中， 樂不生厭離，是故十力者， 常起大悲心。瞿曇見眾生， 起於顛倒心，於苦不淨中， 而生樂淨想，無常無我中， 而反我常實，是故十力者， 常起大悲心。瞿曇見眾生， 依止羸薄力，常為重擔押， 無心生厭離，起於堅固想， 染著不能捨，是故十力者， 常起大悲心。瞿曇見眾生， 在有貪海中，利養覆心故， 常求愛境界，貪心如野火， 熾然不知足，是故十力者， 常起大悲心。瞿曇見眾生， 具造諸苦業，常為諸憂悲， 苦惱之所逼，為拔彼眾生， 種種諸惱害，是故十力者， 常起大悲心。瞿曇恒觀彼， 一切眾生界，常起大悲心， 是故無過失，

> ゴータマは見た 衆生は世間の牢獄に閉ざされ 輪廻のすべての道を巡り 常に一切の苦しみを受ける 無明の闇がその心を覆い 厭い離れることを知らない ゆえに無上の尊は 常に大悲の心を起こす ゴータマは見た 衆生は諸々の世間に執着し 四つの流れの河に流され 従いながら帰ることができない 常に生死の海に沈み 出離を求めようとしない ゆえに十力の者は 常に大悲の心を起こす ゴータマは見た 衆生が大きな危険に堕ち 非なる正道に入り 救う者がないのを ゆえにゴータマは観じて 大悲の心を起こし 仏の菩提という 最勝の無畏の場所に置く ゴータマは見た 衆生が牢獄に縛られ 愛執を召使いとし あらゆる境界を使役される 老死の海に転々とし 気づくことも知ることもない ゆえに十力の者は 常に大悲の心を起こす ゴータマは見た 衆生が三種の火に燃え盛り 常に諸々の悪趣にあり 種々の苦しみに害される 悪道に怖れ 頼るべき場所もない ゆえに十力の者は 常に大悲の心を起こす ゴータマは見た 衆生が存在に執着し 放逸な心のまま 諸々の境界に貪る 常に様々に害されながら 恐れを生じない ゆえに十力の者は 常に大悲の心を起こす ゴータマは見た 衆生が無明の闇に覆われ 様々な曇りに障られ 一切の覆いを離れない 諸々の見解は糸のように乱れ 解く者がない ゆえに十力の者は 常に大悲の心を起こす ゴータマは見た 衆生が八つの邪見に堕ち 愛執が長く住む場所となり それにより心が常に縛られる このような苦難の中でも 楽しんで厭い離れようとしない ゆえに十力の者は 常に大悲の心を起こす ゴータマは見た 衆生が顛倒した心を起こし 苦しく不浄なものに 楽しく清らかという想いを抱き 無常で無我のものに 我や常住や実在を想う ゆえに十力の者は 常に大悲の心を起こす ゴータマは見た 衆生が弱々しい力に依り 常に重い荷に押され 厭い離れる心を起こさず 堅固な想いを抱き 染着して捨てられない ゆえに十力の者は 常に大悲の心を起こす ゴータマは見た 衆生が貪りの海の中にあり 利養が心を覆うゆえ 常に愛着の境界を求める 貪りの心は野火の如く 燃え盛り満ち足りることを知らない ゆえに十力の者は 常に大悲の心を起こす ゴータマは見た 衆生が諸々の苦しみの業を作り 常に様々な憂い悲しみ 苦しみ悩みに迫られる それらの衆生を救い 種々の悩みの害を取り除くために ゆえに十力の者は 常に大悲の心を起こす ゴータマは常に観じる 一切の衆生の世界を 常に大悲の心を起こす ゆえに過ちはない

「大王當知！沙門瞿曇畢竟成就三念處。」

> 「大王、ご存知でしょうか。沙門ゴータマ（釈尊）は、ついに三つの念処（正しい注意のあり方）を完成されました。」

王言：「大師！何者如來三念處？」

> 王が問うた。「大師よ、如来の三つの念処とは何ですか？」

答言：「大王！一者、無喜心；二者、無瞋心；三者、無瞋無喜心。」

> 王は答える。「一つに、喜びの心がないこと。二つに、怒りの心がないこと。三つに、怒りも喜びもない心があること。」

王言：「大師！云何無喜心？」

> 王が仰った。「大師よ、どのような心を「無喜の心」というのですか？」

答言：「大王！無喜心者，沙門瞿曇在眾說法，若有眾生，身正恭敬，攝耳不散，隨順受教，如說修行。沙門瞿曇，不以為喜，不生踊悅，不生踊躍。何以故？沙門瞿曇捨心平等，安住一心故。」

> 王よ。喜びの心を持たない沙門ゴータマ（釈尊）は、大衆の中で説法をされています。もし、身を正しくして敬い、耳を散らさずに聞き、教えのままに従い修行する者がいても、沙門ゴータマはそれを喜ばず、心を踊らせることもありません。なぜなら、沙門ゴータマは執着のない平等な心を保ち、常にひとつの心に安住しているからです。

王言：「大師！云何無瞋心？」

> 王様が尋ねました。「大師よ、どのような心を『怒りのない心』というのですか？」

答言：「大王！沙門瞿曇在眾說法，若有眾生，身不恭敬，耳不專聽，違背聖教，不如說行。沙門瞿曇不生瞋心，亦復不起不忍之心，亦復不生非可信心，亦不生彼違我教心。何以故？沙門瞿曇捨心平等，安住一心故。」

> 答えていわく、「大王よ、沙門瞿曇（お釈迦様）は大勢の前で説法をされます。たとえ、身を敬して拝まず、耳を傾けて聴かず、聖なる教えに背き、その通りに行わない者がいても、沙門瞿曇は怒りの心を起こさず、許せないとも思われません。また、『信じるに値しない』とも思われず、『私の教えに背いている』とも思われません。それはなぜかと言えば、沙門瞿曇は心を平等にし、心を一つに安らかに保たれているからです。」

王言：「大師！云何不喜不瞋心？」

> 王が尋ねました。「大師よ、どのような心が喜びもなく怒りもない心なのでしょうか？」

答言：「大王！沙門瞿曇在眾說法，於其眾中，身正恭敬，攝耳不散，隨順受教，如說修行；有不恭敬，失耳境界，違背聖教，不如說行。沙門瞿曇於此二人，不生喜心、踊悅心、踊躍心；不生瞋心，亦復不起不忍之心，亦復不生不可信心，亦不念彼違我教心。何以故？沙門瞿曇捨心平等，安住一心故。大王當知！沙門瞿曇依三念處不染心住，是故我言無有過失。」而說偈言：

> 答えました。「大王、沙門ゴータマは人々の中で説法なさいます。その中で、身を正し敬い、耳を傾けて散漫にせず、教えに従って受け入れ、説かれた通りに修行する者もいれば、敬いを欠き、耳を傾けることもせず、聖なる教えに背き、説かれた通りに修行しない者もいます。沙門ゴータマはこの二人に対して、喜びの心、歓喜の心、躍動する心を起こすこともなく、怒りの心や忍耐なき心を起こすこともなく、また信仰を失う心も、『私の教えに背く』という心も念じません。なぜなら、沙門ゴータマは捨ての心を平等に保ち、一つの心に安住しているからです。大王、ご存じの通り、沙門ゴータマは三つの念処に依って、汚れなき心に留まっています。ゆえに私は『過ちはない』と申し上げたのです。」そして、偈を唱えました。

「瞿曇說法中， 一心正受者，常住正念故， 不起歡喜心。瞿曇說法中， 不正心諦受，常住正念故， 亦不起瞋心。瞿曇說法中， 受不受二分，常住平等故， 不瞋亦不喜。

> ゴータマの教えを聞くとき、 心を一つにして正しく受け止める者は、 常に正しい念（おもい）を保つゆえに、 喜びの心を起こさない。 ゴータマの教えを聞くとき、 心を正しくして真実を受け取らない者も、 常に正しい念（おもい）を保つゆえに、 怒りの心も起こさない。 ゴータマの教えを聞くとき、 受け入れることも受け入れないことも、 この二つを超えて、 常に平等の心を保つゆえに、 怒りもなく、喜びもない。

「大王當知！沙門瞿曇畢竟成就三不護業。」

> 「大王、お聞きください。沙門ゴータマは、完全に三つの不護の業を成就しておられます。」

王言：「大師！何者如來三不護業？」

> 王が問うた。「大師よ、如来の三つの不護の業とは何でしょうか？」

答言：「大王！一者、身業不護；二者、口業不護；三者、意業不護。」

> 答えました。「大王、第一に、身体の行いを慎まないこと。第二に、言葉の行いを慎まないこと。第三に、心の行いを慎まないこと、でございます。」

王言：「大師！云何身業不護？」

> 王が問うた。「大師よ、どのような行いが身の業（行い）を守らないことになるのでしょうか？」

答言：「大王！沙門瞿曇身行清淨。沙門瞿曇無有諸行不清淨者，是故沙門瞿曇不作心念：『我身業不清淨，恐畏他知，作心防護。』何以故？沙門瞿曇無有身行不清淨故，是名第一身業不護。」

> お答えします。「大王、沙門ゴータマは身体の行いが清らかです。沙門ゴータマには、清らかでない行いといったものは全くありません。ですから、沙門ゴータマは『自分の身体の行いが清らかでなく、他者に知られるのを恐れて、用心して隠そう』などとは決して思いません。なぜなら、沙門ゴータマには身体の行いにおいて清らかでないところが全くないからです。これが第一の、身業を守る必要のない理由です。」

王言：「大師！云何口業不護？」

> 王が尋ねた。「大師よ、なぜ口の行い（口業）を守らないのですか？」

答言：「大王！沙門瞿曇口業清淨。沙門瞿曇無有口業不清淨者，是故沙門瞿曇不作心念：『我口業不清淨，恐畏他知，作心防護。』何以故？沙門瞿曇無有口業不清淨故，是名第二口業不護。」

> 答えて言う。「大王よ、沙門瞿曇（お釈迦様）は、その言葉が清らかです。沙門瞿曇には、言葉が清らかでないということがございません。ですから、沙門瞿曇は『私の言葉が清らかでないために、他人に知られるのを恐れて用心しなければ』とは決して思いません。なぜなら、沙門瞿曇には言葉が清らかでないということが全くないからです。これが第二の、言葉の行いを守る必要がない理由でございます。」

王言：「大師！云何意業不護？」

> 王が言った。「大師よ。どうして意の業（心の働き）を守らないのですか？」

答言：「大王！沙門瞿曇意業清淨。沙門瞿曇無有意業不清淨者，是故沙門瞿曇不作心念：『我意業不清淨，恐畏他知，作心防護。』何以故？沙門瞿曇無有意業不清淨故，是名第三意業不護。大王當知！沙門瞿曇畢竟成就三不護業，是故我言無有過失。」而說偈言：

> 答えました。「大王よ、沙門ゴータマの意業（心の行為）は清らかです。沙門ゴータマには意業が清らかでないということはありません。それゆえ、沙門ゴータマは『私の意業が清らかでないのを、他者が知るのではないかと恐れて、心を防護しよう』とは思いません。なぜなら、沙門ゴータマには意業が清らかでないということがないからです。これを第三の、守らずとも清らかな意業と言います。大王よ、知ってください。沙門ゴータマは確かに三つの守らずとも清らかな業を成就しております。ゆえに私は『欠点はありません』と申し上げたのです。」そして、次のように偈を唱えました。

「瞿曇三種業， 離妄及無記，是故常清淨， 出諸護境界。為諸弟子眾， 平等心說法，有過者能除， 無過者便攝。

> ゴータマには三つの行為がある——虚偽から離れ、不善にも善にも染まらないこと。 それゆえに常に清らかであり、あらゆる守護の境界を超えている。 弟子たちの衆に対して、平等の心で法を説き、 過ちある者を救い、過ちなき者を導かれる。

「大王當知！沙門瞿曇畢竟成就一切種智清淨。」

> 「大王よ、知るがよい。沙門ゴータマは、あらゆる智慧を極めて清らかに成就しておられる。」

王言：「大師！何者如來一切種智清淨？」

> 王が問うた。「大師よ、如来の一切種智（あらゆるものを知る智慧）が清らかであるとは、どのようなことなのでしょうか。」

答言：「大王！沙門瞿曇一切種智清淨，有四種：一者、身一切種智清淨；二者、觀一切種智清淨；三者、心一切種智清淨；四者、智一切種智清淨。」

> 答えました。「大王よ、沙門ゴータマの一切種智（すべてを識る智慧）は清らかで、四つの種類があります。第一に、身体における一切種智の清らかさ。第二に、観察における一切種智の清らかさ。第三に、心における一切種智の清らかさ。第四に、智慧そのものにおける一切種智の清らかさであります。」

王言：「大師！云何如來身一切種智清淨？」

> 王が申し上げました。「大師よ、どのようにして如来の身は一切種智（あらゆるものを知る智慧）によって清らかなのでしょうか？」

答言：「大王！沙門瞿曇身一切種智清淨者，離諸煩惱一切習氣皆滅無餘，隨意所欲取捨生退，於一切處身得自在，是名身一切種智清淨。」

> 答えて言う。「大王。沙門ゴータマの身体がすべての種智において清らかであるとは、あらゆる煩悩を離れ、すべての習気が残らず滅し尽くされているということです。心のままに望んで、取ったり捨てたり、現れたり隠れたりすることができ、あらゆる場所で身体が自在であること、これを身体のすべての種智における清らかさと呼びます。」

王言：「大師！云何如來觀一切種智清淨？」

> 王がお尋ねになりました。「大師よ、如来はどのようにして一切種智が清らかであるとご覧になるのですか？」

答言：「大王！沙門瞿曇觀一切種智清淨者，於應化身離一切煩惱及煩惱習氣，皆滅無餘，迴轉現沒，一切觀中而得自在，是名觀一切種智清淨。」

> 答えました。「大王よ、沙門ゴータマは一切種智の清らかさを観じます。それは応化身において、あらゆる煩悩とその習気を離れ、そのすべてが完全に滅び尽くし、現れや没することを自在に転じ、一切の観察において自由を得ていることです。これを一切種智の清らかさを観じると名づけます。」

王言：「大師！云何如來心一切種智清淨？」

> 王が言いました。「大師よ、どのように如来の心は一切種智（あらゆるものを知る智慧）において清らかなのですか。」

答言：「大王！沙門瞿曇心一切種智清淨者，一切煩惱、煩惱習氣及心所染，皆悉遠離心得自在，聚集一切善根滿足，是名心一切種智清淨。」

> お答えします。「大王、沙門ゴータマの心は、あらゆる智慧を完全に清らかにしたものです。すべての煩悩や煩悩の癖、そして心を染めるあらゆるものが、ことごとく離れ去り、心は自在を得ています。ふさわしい善い行いをすべて集め、満たしています。これを『心がすべての智慧によって清らかである』と言うのです。」

王言：「大師！云何如來智一切種智清淨？」

> 王が申し上げた。「大師よ、どのようにして如来の智、一切種智は清らかなのでしょうか？」

答言：「大王！沙門瞿曇智一切種智清淨者，一切無明分及諸煩惱、煩惱習氣皆滅無餘，一切法中得無障礙自在，是名智一切種智清淨。大王當知！沙門瞿曇畢竟成就如是一切種智清淨，是故我言無有過失。」而說偈言：

> 答えていわく、「大王よ。沙門ゴータマは、一切種智清浄を具えておられます。一切の無明の部分と、諸々の煩悩、煩悩の習気（残り癖）までもが、余すところなく消滅し、一切の法において障りなく自在を得ておられます。これを『一切種智清浄』と名づけます。大王、知るべきです。沙門ゴータマは、究極的にこのような一切種智清浄を成就しておられます。ゆえに、私は『過ちはない』と申し上げるのです。」そして偈を説いて言った。

「瞿曇一切智， 依止四淨法，是故見無垢， 智慧身自在。瞿曇清淨慧， 具足四種智，煩惱習氣滅， 是故無過失。」

> ゴータマ（仏陀）は一切智をそなえ、 四つの清らかな法に依って立つ。 それゆえに、汚れなき姿を見ることができ、 智慧の身は自在である。 ゴータマの清らかな智慧は、 四種の智慧を完全にそなえている。 煩悩の習気（なまり）も滅し尽くしているため、 何の過失もないのである。

## 大薩遮尼乾子所說經卷第六

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