---
title: "大威德陀羅尼經 · 第十八"
description: "《大威德陀罗尼經》由隋代北印度高僧闍那崛多漢譯。此經屬密教經典，以陀羅尼咒語為核心，闡述大威德明王法門，包含降伏煩惱、除障消災的密法。經中強調咒語持誦功德及修行儀軌，具護國佑民、息災增益之效。隋唐時期密教興盛，此經為重要修行依據，在漢傳佛教中屬早期密續文獻，對後世密法流傳影響深遠，地位崇高。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cme1kezq201rll204gh21ynl2"
---

## 大威德陀羅尼經卷第十八

> 大威徳陀羅尼経 巻第十八

隋天竺三藏闍那崛多譯

> 隋の天竺三蔵僧侶、闍那崛多訳

「時彼城中所有人民，皆悉聚集而作誓言：『今者不聽沙門釋種弟子入城。』爾時彼中復有於佛教中信行之者、有淨心者，作如是言：『佛出世難，但令沙門釋種弟子入城，還共此沙門釋子等打邊城王，令我等勝，以其逼切沙門釋種弟子輩。』於彼城中諸人眾等，或作如是或作如是，言論不定。爾時魔波旬勤求方便，願彼沙門釋種弟子莫令得入彼特叉尸羅大城。阿難！若沙門釋種弟子得入特叉尸羅大城者，於三年中諸沙門等應作城主。阿難！於彼時中，魔王波旬化作大軍，莊嚴畢已，出特叉尸羅大城北門次第巡行。復作是聲：『汝等好打沙門釋種弟子，汝等急捉，汝等當令墮落，汝等令破諸沙門釋種弟子輩。』其諸沙門釋種弟子，聞如是聲及見是相，怖怕逃走，不能在彼於前而住，亦不能入特叉尸羅大城。阿難！如是彼三摩耶，帝釋天王及四大天王并八萬諸天子速下閻浮提，如來所有支提之中有舍利者，皆悉收取擎持而去。阿難！即於彼中淨居天等，見阿蘭若空閑之處，并諸塔廟及僧伽藍，作如是言：『嗚呼嗚呼！此釋迦牟尼法教如是三說。』阿難！於法教中當有淨信諸龍王等，於一夜中遍閻浮提所有一切諸塔精舍，皆悉收入龍宮殿中，所有禪窟經行之處，及阿蘭那一切所有，彼三摩耶皆悉空曠無復人居。其多馬王將其部伍來至逋沙波婆帝王所居城，時沙門釋種諸弟子皆悉逃走。時多馬王既知走已，所有伽藍放火燒然。何以故？畏其沙門釋種諸弟子輩還復來歸住此處故，於彼時中放火燒然。即於彼是，地居諸天當作是聲：『嗚呼！此如來教。此如來教於此破壞。』其地居諸天作是聲已，四天王天復作是聲，復作大聲令遠處聞：『此如來教於茲失耶。此如來教於斯破散。』如是彼時一切諸天展轉相叫，乃至梵世彼悉聞知。沙門釋種諸弟子被苦逼切，一切諸方各各馳走，向拘睒彌王所居之城於彼而去。時彼拘睒彌王，即與沙門施彼無畏及諸飲食。彼三摩耶名最後食，亦名最後沙門聚集，亦名最後般遮之會隋云五年大會。彼三摩耶，當有二十百千比丘聚集。彼三摩耶，四大佛塔隱沒不現，以首陀婆諸天護故，其帝釋天王不能收取於中舍利。菩提道場轉法輪處，及阿羅摩村塔，此方特叉尸羅大城之中所有法塔，此四大塔於閻浮提中隱沒不現。時拘睒彌國有一比丘名曰修羅多隋言調柔，唯此一人是阿羅漢。彼三摩耶，復有第二比丘名曰尸梨沙迦隋言頭者，多學三藏。時尸利沙迦彼布薩內，在彼比丘大眾之前，從坐而起作如是言：『此大眾中頗有一比丘，當依世尊學戒者不？若有學者，彼向我說。』作是語已，時彼一切諸比丘眾皆悉默然。如是再三，復作是言：『若有依世尊戒學之者，彼即應說。』第二第三亦復如是。其修羅多阿羅漢，即告彼比丘僧言：『我學世尊戒。我於今者是阿羅漢，善得心解脫、善得證知。』爾時修多羅比丘即從座起，合掌而住，作如是言：『我即是彼如來世尊阿羅呵三藐三佛陀實學中學，而我今者無有憍慢，我是阿羅漢。』阿難！彼三摩耶！彼尸梨沙迦比丘之所！有一比丘侍者名曰波婆遮吒隋言惡諂！復有第二比丘名曰陀那婆羅羅隋言財力！復有第三比丘名曰何羅奴殊迦隋言不直。其修羅多比丘作如是語已，又作是言：『我是世尊如來阿羅訶三藐三佛陀依教誡中而修學也。』爾時彼等三惡比丘遂斷修羅多比丘命根，斫作三段。彼三摩耶，金剛手夜叉時有一弟，名曰難提牟佉隋言鼓面夜叉。雪山王中復有一夜叉，名曰摩羅毘闍耶隋言鬘勝，當來彼處。其海龍王時有長子，名曰摩訶毘盧遮那隋言大顯赫，來彼處。爾時海龍王長子取彼波婆遮吒惡比丘身，擎高三十由旬已，然後擲放，憂悲啼哭，向波吒羅弗多羅城而去，將波吒羅弗多羅城中大支提塔向己宮殿。其難提牟佉共摩羅毘闍夜叉，同共殺彼三惡比丘，遂令斷命。阿難！如是之時，一切世間大地震動，可怖可畏身毛皆竪。無量百千一切諸天，於彼時中呻號啼哭，大叫大喚作大憂惱。其尸梨沙迦惡比丘等，共拘睒彌王即向北方，欲逼切婆睺奢波迦王，因欲斷彼命。其拘睒彌王亦復斷彼尸梨沙迦惡比丘命。時彼比丘即墮阿鼻遮大地獄中。阿難！於此之時，所有比丘無供養者、無貴重者、無恭敬者、無承事者，無羞無恥，從於酒肆還至酒肆為酒椀故。阿難！復有如是如來教中當生大惡。阿難！此食還從沙門所來，非從外道所來。阿難！如是之食，沙門釋種諸弟子輩，具足成就增長身聚。阿難！當知此等四食，極為大苦、極為大惡。阿難！何者是取？我已於前所說因緣，此等因緣我已說訖。

> その時、その城中のすべての人々は集まって、こう誓った。「今、修行者シャーキャ族の弟子たちを城に入れてはならない。」その中には、仏の教えを信じる者、清らかな心を持つ者もいて、こう言った。「仏が世に出られるのは難しいことだ。ただ、修行者シャーキャ族の弟子たちを城に入れ、ともにこの修行者たちと辺境の城の王を討ち、我らが勝てるようにしよう。彼らが修行者シャーキャ族の弟子たちを胁迫しているからだ。」その城中の人々は、ある者はこう言い、ある者はああ言い、意見は定まらなかった。 その時、魔の波旬は機会を求め、あの修行者シャーキャ族の弟子たちがタークシャシラー大城に入れないことを願った。阿難よ、もし修行者シャーキャ族の弟子たちがタークシャシラー大城に入ることができれば、三年の間、修行者たちが城主となるであろう。阿難よ、その時、魔王波旬は大軍を変化させ、整えてから、タークシャシラー大城の北門から順に巡り歩いた。そしてこう叫んだ。「お前たち、修行者シャーキャ族の弟子たちをよく打て。お前たち、急いで捕らえよ。お前たち、彼らを堕落させよ。お前たち、修行者シャーキャ族の弟子たちを破れ。」修行者シャーキャ族の弟子たちは、この声を聞き、この姿を見て、恐れて逃げ去り、彼の地に留まることができず、またタークシャシラー大城に入ることもできなかった。 阿難よ、このようにその時、帝釈天王と四大天王、そして八万の天子たちは速やかに閻浮提に降り、如来のすべての支提の中にある舎利をことごとく収め取って、捧げ持って去った。阿難よ、その時、浄居天たちは、修行の場の静かな空き地、およびすべての塔廟と僧伽藍を見て、こう言った。「ああ、ああ、この釈迦牟尼の法教は<note>このように三度唱えた</note>。」 阿難よ、法教の中には浄らかな信仰を持つ竜王たちがいて、一夜のうちに閻浮提のすべての塔や精舎をことごとく竜宮殿に収め入れるであろう。すべての禅窟や経行の場、およびすべての修行の場は、その時すべて空しくなり、もはや人の住む所はなくなる。その多馬王はその軍勢を率いて逋沙波婆帝王の住む城に来り、その時、修行者シャーキャ族の弟子たちは皆逃げ去った。多馬王は逃げ去ったことを知ると、すべての伽藍に火を放って焼いた。なぜか。修行者シャーキャ族の弟子たちが再び戻ってこの地に住むことを恐れたからである。その時、火を放って焼いた。そこで、地に住む天たちはこう叫んだ。「ああ、この如来の教え。この如来の教えがここで破壊される。」地に住む天たちがこの声を上げると、四天王天もまたこの声を上げ、さらに大きな声で遠くまで聞こえるように叫んだ。「この如来の教えがここで失われるのか。この如来の教えがここで破れ散るのか。」このようにその時、すべての天たちは次々に叫び、梵世に至るまでことごとく聞き知った。 修行者シャーキャ族の弟子たちは苦しみに迫られ、すべての方角へそれぞれ走り、拘睒弥王の住む城へと向かって行った。その時、拘睒弥王はただちに修行者たちに畏れを取り除くことを施し、また飲食物を施した。その時は最後の食と呼ばれ、また最後の修行者の集まりとも呼ばれ、また最後の般遮の会<note>隋の言葉で五年大会</note>とも呼ばれる。その時、二十百千の比丘が集まるであろう。 その時、四大仏塔は隠れて現れなくなり、首陀婆の天たちが護るゆえに、帝釈天王はその中の舎利を収めることができなかった。菩提道場、転法輪の場所、および阿羅摩村の塔、この方のタークシャシラー大城の中にあるすべての法塔、この四大塔は閻浮提の中で隠れて現れなくなった。 その時、拘睒弥国に修羅多<note>隋の言葉で調柔</note>という名の比丘が一人いた。ただこの一人だけが阿羅漢であった。その時、また尸梨沙迦<note>隋の言葉で頭者</note>という名の第二の比丘がいて、三蔵を多く学んでいた。その時、尸利沙迦は布薩の日に、その比丘たちの大衆の前で座から立ち上がり、こう言った。「この大衆の中に、世尊に従って戒を学ぶ比丘がいるだろうか。もし学ぶ者がいれば、私に告げよ。」こう言い終わると、その時、すべての比丘たちは皆默然としていた。このように三度繰り返し、再びこう言った。「もし世尊の戒に従って学ぶ者がいれば、その者は告げるがよい。」二度目、三度目もまた同様であった。その修羅多阿羅漢は、ただちにその比丘僧に告げた。「私は世尊の戒を学ぶ。私は今、阿羅漢であり、よく心の解脱を得、よく証知を得ている。」 その時、修多羅比丘はただちに座から立ち、合掌して立ち、こう言った。「私はまさにかの如来世尊、阿羅呵三藐三佛陀の実学の中に学び、しかも私には今、憍慢はなく、私は阿羅漢である。」阿難よ、その時、かの尸梨沙迦比丘のところに、波婆遮吒<note>隋の言葉で悪諂</note>という名の侍者である比丘がいた。また第二の比丘で陀那婆羅羅<note>隋の言葉で財力</note>という名がいた。また第三の比丘で何羅奴殊迦<note>隋の言葉で不直</note>という名がいた。その修羅多比丘がこう言い終わると、またこう言った。「私は世尊如来阿羅訶三藐三佛陀の教誡に従って修学する者である。」その時、それら三惡比丘はついに修羅多比丘の命を断ち、三つに切り分けた。 その時、金剛手夜叉に一人の弟がいて、難提牟佉<note>隋の言葉で鼓面夜叉</note>といった。雪山王の中にまた一人の夜叉がいて、摩羅毘闍耶<note>隋の言葉で鬘勝</note>といった。彼はその地に来るであろう。その海竜王に長男がいて、摩訶毘盧遮那<note>隋の言葉で大顕赫</note>といった。彼もその地に来た。その時、海竜王の長男はかの波婆遮吒惡比丘の身を取り、三十由旬の高さに捧げ持ってから、投げ放ち、憂悲啼哭して、波吒羅弗多羅城へ向かって去り、波吒羅弗多羅城中の大支提塔を自分の宮殿に持ち帰った。その難提牟佉と摩羅毘闍夜叉は、ともにあの三惡比丘を殺し、その命を断った。 阿難よ、このようにその時、すべての世間の大地は震動し、恐ろしく畏るべきものとなり、身の毛が皆逆立った。無量百千のすべての天たちは、その時、呻き号び啼哭し、大いに叫び大いに喚き、大いなる憂悩を抱いた。その尸梨沙迦惡比丘たちは、拘睒弥王とともに北方に向かい、婆睺奢波迦王を胁迫し、その命を断とうとした。その拘睒弥王もまたかの尸梨沙迦惡比丘の命を断った。その時、その比丘はただちに阿鼻遮大地獄に堕ちた。 阿難よ、この時、すべての比丘には供養する者もなく、貴ぶ者もなく、恭敬する者もなく、承事する者もなく、羞じることも恥じることもなく、酒場から酒場へと酒の器のために戻っていった。阿難よ、またこのように如来の教えの中に大きな悪が生じるであろう。阿難よ、この食は還って修行者たちの側から来るのであり、外道の側から来るのではない。阿難よ、このような食によって、修行者シャーキャ族の弟子たちは、具足成就して身の集まりを増長する。阿難よ、知るがよい、これらの四つの食は、極めて大いなる苦であり、極めて大いなる悪である。阿難よ、何が取であるか。私はすでに前に説いた因縁によって、これらの因縁をすでに説き終えた。

「阿難！復有四種食，不和合為食、高下不平等為食、迷惑為食、讚歎生趣為食。於中若有讚歎生趣食者，彼則毀佛毀法毀僧。所以者何？阿難！如來應正遍知而不讚歎說有生趣；唯除一者，誰勤方便勝菩提中者，彼應勤教勸。阿難！除此一眾生已。阿難！若有比丘不行大乘，作如是念：『我今復欲取後復生。』彼不得言我為教師。所以者何？阿難！於世間中發勤精進具足法者，彼等一切如來攝受，聽為出家受具足戒。阿難！若有比丘為第二比丘讚歎取生，彼中勸化我等當作如是，我等當復作此，彼中取滅正本云欲取隨生處以為滅度謂涅槃也。彼長夜當得欲箭、得瞋恚箭、得愚癡箭、得憍慢箭，當得具足順入愚癡，取卑賤身，增長卑賤朋友知識、卑賤諸趣。彼長夜中當得多食、彼長夜中多生貪欲。言多欲者所謂惡欲，言惡欲者令其墮落。何者墮落？謂墮戒聚及阿鼻脂地獄之處。復言多欲者，多諸住宿、多有貪性、多覓歡欣，於惡不善根中當得具足，以貪不善根中、瞋不善根中、癡不善根中當得具足。復言多欲者，饒諸煩惱，被諸思念之所纏覆。佛所讚教不受不行，譬如惡馬不受鎧甲調御。阿難！如是如是。彼不善丈夫，當不隨順、多不觀察，住不正道。阿難！言不正道者，若於無我法、無眾生法，如實不知，說有我者，如是名為非正道處不正觀察。第二持法比丘，欺詐降伏發覺說惡，令彼憶念或破戒中、或墮邪見、或墮不正威儀中，此等名為取不正道。彼如是等不見事中，於持法比丘所發覺令念。又復何者為非正道？謂住非正道。言不正道者，謂遠離和上及阿闍梨，於諸罪中不知得失，不知有殘及非殘者，亦不巧知罪之與福。第一罪中不知十處，第二罪中不知三處，第三罪中不知一處，第四罪中不知罪處，亦復不知堅牢之因、不知不和合處，七犯罪聚不知所起。如來曾說五十七種犯罪之處，第一罪中第二罪中六十九中，第三罪中四十一中，第四罪中九十九中，不住諸法不和合行，諸法出處別離之行彼悉不知，亦不能知失沙門事。不知初禪中十種智方便，不知第二禪中有三種障礙，不知第三禪中二十五種作歡喜處，不知起調戲，不能了知第四禪中五種隨眠行處，不知為彼作懈怠處。不知比丘向飲食時當有十種失沙門法，不知親近如是尊重巧知比丘欺教示者，不知心有十種救護，不能了知二十五種入村落事，不知十種受乞食法，不知受食有二十五過失諸想。彼等不知十種心行，不知與他戒法有五過患，不知十種住於經行。如是等分非善住處，持非道已名為比丘，不在正道不順教師，所有教法但常犯罪，食他國中所有信施。阿難！少有比丘見知此等所有事者，或當知者。阿難！唯優波離比丘，能知此等諸法諸事。若承事者，彼等亦知此等諸法。阿難！比丘此食不巧知者，當令滿向阿毘脂地獄。阿難！汝應觀察，彼等自言：『我是持戒。』亦當不問他諸智比丘、此等諸法能行知者。阿難！是故我告汝、我今語汝。若有比丘，如是修多羅等文句莊嚴知出入者，彼則名為智慧比丘，為善欲者、欲涅槃者、欲求解脫於地獄中求自樂者。假令身盡肉血雖羸無力，應詣彼處。所以者何？阿難！寧住於人間雖羸無力，當求如是諸勝妙法，不用當受向惡道處。阿難！此食當損沙門之行。是食分別品中今已說訖。

> アーナンダよ、さらに四つの食がある。和合しないことを食とするもの、高下が平等でないことを食とするもの、迷惑を食とするもの、生趣を讚嘆することを食とするものである。このうちもし生趣を讚嘆する食の者がいれば、その者は仏を毀り、法を毀り、僧を毀ることになる。なぜか。アーナンダよ、如来・応供・正等覚者は生趣があると讚嘆して説くことはない。ただ一つの場合を除く。すなわち、誰かが精進して菩提を求める者であり、それは教え勧めるべきである。アーナンダよ、この一衆生を除いては。 アーナンダよ、もし比丘が大乗を行わず、こう思うならば、『私は今また後に再生を得たい』と。彼は「私は教師である」と言うことはできない。なぜか。アーナンダよ、世間で精進を起こし法を具足する者たちは、そのすべてを如来が摂受し、出家を許し具足戒を受けさせるからである。 アーナンダよ、もし比丘が第二の比丘のために再生を取ることを讚嘆し、その中で勧め教化して『我々はこうしよう、我々はまたこうしよう』と言い、その中で滅を取るならば——<note>正本には「欲取は生ずる所に随って以て滅度と為す、すなわち涅槃なり」とある</note>——彼は長夜にわたり欲の矢を得、瞋恚の矢を得、愚癡の矢を得、憍慢の矢を得るであろう。愚癡に順入することを具足し、卑賤な身を得、卑賤な友や知識を増やし、卑賤な諸趣に至るであろう。彼は長夜にわたり多く食を得、長夜にわたり多く貪欲を生じる。多欲と言うのはすなわち悪欲であり、悪欲と言うのはその者を堕落させる。何が堕落か。戒の集まりから堕落し、阿鼻脂地獄の処に堕落することである。また多欲と言うのは、多くの宿泊があり、多くの貪りの性質があり、多くの歓喜を求めることである。悪不善の根の中において具足を得るであろう。貪不善根の中、瞋不善根の中、癡不善根の中において具足を得るであろう。 また多欲と言うのは、多くの煩悩に饒れ、多くの思念に纏われ覆われることである。仏が讚嘆し教えることを受けず行わない。たとえば悪馬が鎧甲の調御を受けないようなものである。アーナンダよ、まさにそのとおりである。その不善な丈夫は随順せず、多く観察せず、不正道に住むであろう。 アーナンダよ、不正道と言うのは、無我の法、無衆生の法について、如実に知らず、我があると説くことである。これは非正道の処、不正の観察と名づける。第二の持法の比丘を欺き詐り降伏させ、悪を発覚して説き、彼に憶念させる。あるいは破戒の中、あるいは邪見に堕ち、あるいは不正な威儀に堕ちることである。これらは不正道を取ると名づける。彼らはこのように見ない事の中において、持法の比丘の所で発覚し憶念させる。 また何が非正道か。非正道に住むことである。不正道と言うのは、和尚や阿闍梨から遠離し、諸々の罪において得失を知らず、有残と非残を知らず、また罪と福を巧みに知らないことである。第一の罪において十処を知らず、第二の罪において三処を知らず、第三の罪において一処を知らず、第四の罪において罪の処を知らず、また堅牢の因を知らず、不和合の処を知らず、七犯罪聚の起こる所を知らない。如来はかつて五十七種の犯罪の処を説かれた。第一の罪の中、第二の罪の中では六十九、第三の罪の中では四十一、第四の罪の中では九十九。諸法の不和合の行に住せず、諸法の出処・別離の行を彼は全く知らず、また沙門の事を失うことを知ることができない。初禅の中の十種の智の方便を知らず、第二禅の中の三種の障碍を知らず、第三禅の中の二十五種の歓喜を作す処を知らず、調戯を起こすことを知らず、第四禅の中の五種の随眠の行処を了知できず、彼のために懈怠の処を作すことを知らない。比丘が飲食に向かう時、十種の沙門法を失うことがあるのを知らず、このように尊重し巧みに比丘を欺く教示者に親近することを知らず、心に十種の救護があることを知らず、二十五種の村落に入る事を了知できず、十種の乞食を受ける法を知らず、食を受けるに二十五の過失と諸想があることを知らない。彼らは十種の心行を知らず、他に戒法を与えるに五つの過患があることを知らず、十種の経行に住することを知らない。このような諸分は善き住処ではなく、非道を持して比丘と名づけられ、正道に在らず教師に随順せず、すべての教法はただ常に犯罪し、他国のすべての信施を食するのである。 アーナンダよ、これらのすべての事を見知する比丘は少ない。あるいは知る者があるかもしれない。アーナンダよ、ただ優波離比丘のみが、これらの諸法諸事を知ることができる。もし承事する者があれば、彼らもこれらの諸法を知るであろう。アーナンダよ、比丘がこの食を巧みに知らないならば、阿毘脂地獄に向かって満たされるであろう。 アーナンダよ、汝は観察すべきである。彼らは自ら言う、『私は持戒者である』と。また他の智ある比丘で、これらの諸法を行じ知る者に問うこともない。アーナンダよ、それゆえに私は汝に告げ、今汝に語る。もし比丘が、このような修多羅などの文句の荘厳と出入りを知るならば、彼は智慧の比丘と名づけられ、善き欲ある者、涅槃を欲する者、地獄の中から解脱を求め自らの楽を求める者である。たとえ身が尽き肉血が羸せて力がなくとも、その処に詣でるべきである。なぜか。アーナンダよ、むしろ人間の中に住み、羸せて力がなくとも、このような諸々の勝妙な法を求むべきであり、悪道の処に向かって受けるべきではない。アーナンダよ、この食は沙門の行を損なう。この食分別品の中において今すでに説き終わった。

「阿難！如是言語有幾尼迦沙隋云磨瑩選擇？我如是言說因緣，有十種尼迦沙。何等為十？為自許尼迦沙、為他尼迦沙、為自他尼迦沙、邊境尼迦沙、姓尼迦沙、佛陀尼迦沙、達摩尼迦沙、僧伽尼迦沙、持戒尼迦沙、三摩提尼迦沙、斷尼迦沙，及詐聖尼迦沙、歌詠者尼迦沙、多尼迦沙、一分生處尼迦沙、調柔尼迦沙、比丘尼迦沙、比丘尼尼迦沙，此等為十尼迦沙。於中此比丘尼尼迦沙者，彼二種因緣應作尼迦沙謂摩拭選擇。若比丘戒中清淨、若墮大罪中，此等二種應作尼迦沙法。言尼迦沙者，隨惡變悔。一者欲沙門法，亦不見他人雜種諸罪，亦不可得義別說有比丘從罪起出，及為經營煩惱清淨故，乃至身命因緣不得妄語。比丘有如是者，應作尼迦沙羯磨。何者為事？事有五種，不知淨業此是第一事，不知善，不知五種嚴熾義利，五口不知滿，不知輩忍亦有離結界，比丘具足此五種法，當不得作尼迦沙羯磨。」作是語已，長老阿難白佛言：「世尊！頗有如是因緣，若是等五法具足者，比丘不可教示，亦不可作尼迦沙法。」佛告言：「阿難！有一因緣。若一千比丘眾，有一比丘欲發作尼迦沙羯磨，彼別因緣不可作尼迦沙。何者？為離一切眾事故，不可得作尼迦沙。若有比丘具隨順忍者，彼亦不能作尼迦沙。所以者何？犯罪相者應知舉處，若無罪相行即是行處。比丘具足此法，不能作尼迦沙。

> 「阿難よ、このような言葉にいくつのニカシャがあるのか。私がこのように説いた因縁には、十種のニカシャがある。どのような十種か。自らのためのニカシャ、他人のためのニカシャ、自他双方のためのニカシャ、辺境のニカシャ、姓のニカシャ、仏陀のニカシャ、達磨のニカシャ、僧伽のニカシャ、持戒のニカシャ、三摩提のニカシャ、断のニカシャ、そして偽りの聖者によるニカシャ、歌詠者のニカシャ、多のニカシャ、一分生処のニカシャ、調柔のニカシャ、比丘のニカシャ、比丘尼のニカシャ、これらを十のニカシャとする。このうち、この比丘尼のニカシャは、その二種の因縁によってニカシャを行うべきである。もし比丘が戒において清浄であり、あるいは大きな罪に堕ちているならば、この二種はニカシャの法を行うべきである。ニカシャとは、悪に随って悔い改めることである。一つには沙門の法を求めて、他人の雑多な諸々の罪を見ず、また義を別に説いて罪から出る比丘があることを得ず、そして煩悩を経営して清浄にするため、身命の因縁に至るまで妄語をしてはならない。比丘にこのようなことがあれば、ニカシャ羯磨を行うべきである。何が事か。事には五種あり、浄業を知らないのが第一の事であり、善を知らず、五種の厳熾な義利を知らず、五口の満を知らず、輩忍を知らず、また結界を離れることもある。比丘がこの五種の法を具足するならば、ニカシャ羯磨を行うことはできない。」こう語り終えると、長老阿難が仏に申し上げた。「世尊よ、このような因縁があり、もしこれらの五法を具足する者ならば、比丘は教示されることもできず、またニカシャの法を行うこともできないのでしょうか。」仏は告げられた。「阿難よ、一つの因縁がある。もし千人の比丘の集まりの中で、一人の比丘がニカシャ羯磨を発そうとしても、その別の因縁によってニカシャを行うことはできない。何か。一切の衆事を離れるため、ニカシャを行うことができないのである。もし比丘が随順忍を具足するならば、彼もまたニカシャを行うことはできない。なぜか。犯罪の相を知る者は挙処を知るべきであり、罪の相がなければ行はすなわち行処である。比丘がこの法を具足するならば、ニカシャを行うことはできない。」

「阿難！有五種尼迦沙處，如來所說。假令比丘住一由旬，或有比丘在此住處應作尼迦沙，於彼處亦應作尼迦沙。何等為五？若有比丘為諸比丘所聞，某甲比丘犯某甲罪。或有比丘，為彼比丘欲作尼迦沙羯磨，彼比丘先還一朋友比丘往至彼處，彼比丘遣眾出河道，然彼河道用繩裹量以為結界，或一揄闍那或半揄闍那。彼朋友比丘令出已住於彼繩界門。彼等作量議已，彼迦羅中、彼三摩耶中、彼呼律多中，令彼比丘住彼繩境界中，然彼各各別異契約，令罪比丘至彼界處。彼等比丘令諸比丘作尼迦沙，若一揄闍那中、若半揄闍那中所有繩頭安置者，面向彼處。然彼繩頭，若以脚大指、若手指、若脚掌，或蹈或𥑐。然彼等各各應當作如是言：『大德等聽！某甲比丘，今在綖邊住，犯某甲罪。如是我等今日為彼作尼迦沙。』應如是作，次第因緣成就具足。一揄闍那中間，不令罪比丘得見尼迦沙。比丘不分別者，作尼迦沙羯磨。比丘五法具足，當作尼迦沙羯磨，稱和上名，作非義說、無問自語，建立惡義愚癡人故。如來所說，愚癡之人應當捨離。愚癡人者不可令學，應當遣住結界之中。彼罪過人，一因緣不得著羯磨處，攝住支提耶莊嚴中。即於是時，其比丘舉罪已，將比丘來，教羯磨處墮罪法中。若比丘尼被舉者，亦應入結界中。然彼比丘有朋友者，彼來已應告彼言：『汝捨支提迦莊嚴。汝欲去者，隨汝意欲。』若比丘彼教說中不巧知恐怖法者，彼應告言：『若舉者、若未舉者，應生歡喜。』復次阿難！復有比丘，雖不說和上名字，非義緣故，而說和上作阿闍梨名，於法教說而不順行。此第二法比丘具足者，當應堪作尼迦沙也。復次阿難！若有比丘凡有事者，受佛法已，念教師法念欲學知。而彼比丘既不顛狂、亦不散亂、亦不瞋恚、亦不被賊捉、亦復不為諸國王之所逼切，入婬女家，行梵行眾應當遮斷。以彼比丘不取佛教及與僧法，而不背彼。若有比丘具足是法，雖念佛教，如是非法行中心不毀壞。若和上若阿闍梨，欲益彼故應須教示：『汝當獨住阿蘭那也。』彼若答言：『我能住彼。』師主應言：『汝莫求伴，不得更覓第二之人而住彼處。』若作是言我不能在，彼師復語言：『佛法難遇。隨汝去處使善法增長，於白法中當令滿足。』不得語言汝應還俗。所以者何？我是一切天人世間教師。如來尚不作如是說令人還俗，但以慈悲教誨令不入僧中。阿難！菩薩在家有何名也？阿難！菩薩在家，無有人能作名字者，阿難！而虛空中首陀婆娑訶諸天來已，作如是言：『此童子者極大端正，觀者無厭。有大威德，光明具足。』我於彼時有是名字號大莊嚴大莊嚴也。是為菩薩在宮殿中，諸天神等安立名字也。而過去世作燈如來安立名字者，彼是如來捨家出家，成阿耨多羅三藐三菩提時安置名字，號曰釋迦牟尼也。以是義故，天人世間知我如此婆伽婆，名曰釋迦牟尼名也，成阿耨多羅三藐三菩提。既成佛已，復有如是名字出生，我亦不曾念知如是。若梵摩娑婆世界主、若帝釋天主及、四大天王、若復別有諸天子等，若喚如來名字者，唯作是言：『是教師婆伽婆。天人世間為見佛故，我等可詣彼婆伽婆所。』」作是語已，長老阿難作如是言：「世尊！名婆伽婆者，何故名婆伽婆也？」佛告言：「阿難！是為讚歎如來，非如來名也。阿難！如來已滅諸有，度眾和合破煩惱聚，故名婆伽婆也。」阿難復白言：「世尊！豈可人少智慧而非天也，而人喚如來名字也。」佛告阿難：「人少智慧，非為天也，而非一切。何以故？所有於身正見比丘，彼為命因緣終，亦不喚如來名字，況復瞋罵。而彼不信諸比丘輩求活命道，彼須臾時或二或三，乃至第四日五日十日二十日，乃至百千日，喚如來名。於如來所，若虛若實毀罵如來，意欲求過。」阿難復白佛言：「世尊！於是義中我少辯問。」佛告言：「阿難！應知是時，隨意辯問。」阿難言：「世尊！若有於如來若實若不實毀罵，若求誹謗或復求過，世尊！此當得幾所罪聚？世尊！而彼實語及不實者，寧復平等俱獲罪耶？」佛言：「善哉善哉！阿難！汝為多人欲作利益故。阿難！汝為多人欲作安樂故，而汝今問如來如是義。是故阿難！我還問汝此義，如汝所忍還當如是為我解說。阿難！於汝意云何？其布沙他羯磨隋云戒增長為誰作耶？為販雞者、為販猪者、為當為彼捨家出家者？」阿難答言：「世尊！於中販雞販猪等當作何？世尊！為勤方便修禪比丘等說布沙他羯磨。」佛復告言：「阿難！今者何因何緣復問如來如此之義。所以者何？若有妄語和合具者，我不為說；而實語者我為說之。」阿難復白佛言：「世尊！其破戒果報可無言乎？」佛言：「阿難！於中有可說。阿難！若破戒妄語罵毀如來及誹謗佛，彼乃至其身正分及非分中所有毛孔，還如是等百千歲於阿鼻脂大地獄中受苦。」爾時長老阿難悲泣流淚而作是言：「嗚呼如來大德！嗚呼諸眾生輩墮極罪處。」爾時長老阿難即從坐起，四支布地頂禮佛足以口嗚足。「唯願世尊受我懺悔。唯願修伽多受我懺悔。我或於如來所說名字行所作業者，雖尊重稱言南無婆伽婆而成毀罵，南無婆伽婆而作是已復為毀謗。」爾時長老阿難頂禮佛足。時上空中無量千數諸天子等稱最善哉。作是語已，佛告長老阿難言：「汝阿難起就坐。」於是長老阿難從地而起，以土坋身而以兩手捧按世尊足而禮世尊，拭面及膝却坐一面。長老阿難坐一面已而自捫淚。

爾時世尊告長老阿難言：「阿難！汝勿悔惡。阿難！我不見汝若實若虛若毀罵佛、若誹謗佛。」作是語已，長老阿難白佛言：「世尊！我有少分入白法中，以是故我實不敢毀謗如來世尊。我自思忖不曾知見若實若虛罵辱毀謗如來世尊。」爾時世尊仰觀虛空。仰觀虛空已，爾時虛空有八萬諸天子等，在世尊前合掌恭敬。爾時世尊告彼八萬諸天子言：「汝諸天子！以何義故住於虛空，為長老阿難稱最善哉？」爾時彼天眾中有首陀婆娑身天，名曰摩醯奢婆囉，集在彼會。彼却住一面，告彼諸天眾言：「如來世尊所問之義，為汝等釋、為我解乎。」彼等報言：「汝應解說如來所問。汝既現前，何須我輩。」爾時摩醯奢婆囉天子整理衣服偏袒右臂，合掌向佛而作是言：「世尊！我有辯說。修伽陀！我有所辯說。」佛告彼言：「摩醯奢婆囉！汝當辯說。」佛作是語已，摩醯首邏言：「世尊！我念往昔長老阿難前宿命中，於五百生處，世尊！我不曾見亦不曾聞長老阿難而作妄語。世尊！我為長老阿難持如是未曾有法。唯然。世尊！我作如是念：『如是善藏、如是善護。』世尊！如是眾生善覆藏口業者、如是善護口業者，彼聞如是名字已即作是悔。世尊！是故我見如是熾盛眾生已，今故稱譽最上善哉。」作是語已，佛告摩醯奢婆囉天子言：「汝摩醯奢婆囉！汝少見也。摩醯奢婆囉！我念往昔九十一劫已來，而長老阿難於彼處生中，不曾為妄語故而作妄語。」於爾時眾中有五百比丘集坐彼會，彼等復為長老阿難稱最善哉。

爾時長老阿難白佛言：「世尊！若有比丘修持禁戒未證果者，若復戲笑，或實不實隨所有處欲誹謗罵辱如來世尊，彼得幾所無福德聚？當生何所？」作是語已，佛告長老阿難言：「阿難！若有比丘持禁戒者，知犯罪處，於智者邊當悔作惡，後更不作。彼勤方便時、勤精進時，應得須陀洹果、若得斯陀含果、若向證阿那含。彼等為魔波旬見，欲向證阿那含，變化作佛如來威儀來在其前，彼人因即承事，於彼彼人當得二種果報。以業報故，若發舉時，更復於彼若實若不實，意欲誹謗如來世尊。彼身壞已，當墮阿鼻脂大地獄中。隨說幾所語言，還若干歲，於阿鼻脂大地獄中當受燒煮。」如來說此語已，彼時眾中有六十許諸比丘眾來集會坐。時六十許諸比丘眾，從外道中所出家者，以得邪故吐大熱血，彼因命終墮阿鼻脂大地獄中。爾時世尊即便微笑。時長老阿難整理衣服偏袒右肩，右膝著地而白佛言：「世尊！如來阿羅呵三藐三佛陀，所作微笑非無因緣。世尊！有何因緣而現此微笑？」作是語已，佛告長老阿難言：「阿難！此等六十諸比丘輩，從外道中而出家者，以得虛妄故向於如來，若實若非實毀謗罵辱。彼等作如是念：『若如來世尊作如是言，於如來邊毀罵誹謗墮地獄者，無有是處；彼等悔過，亦無是處。』彼等身壞命終，即墮阿鼻脂大地獄中。」阿難問言：「世尊！彼等當於幾所時間而受燒煮？」佛言：「阿難！一一比丘當二萬歲中當受燒煮。阿難！是故我語汝等。阿難！汝等捨於非善，當念諸善作大利益。阿難！當來世有諸比丘，彼等聞是甚深所出修多羅已，當作大不善根。彼於後時，如是修多羅當來彼前，是等聞已而生輕笑作名字說。所以者何？彼等已多輕笑如來。彼等自住下賤之業，自知瘡已，當言此非然也、非如是也。彼等身壞命終已，當墮阿鼻脂大地獄中。彼等身體肢節及非節分中，隨所有毛，彼等還復若干百千歲於大地獄中受極燒煮。」作是語已，長老阿難復白佛言：「世尊！一一眾生有幾許毛？」作是語已，佛告長老阿難言：「善哉善哉！阿難！人所有毛還有如許無毛者，阿難！若有饒毛。彼於頭上有九十九百千俱致毛孔，於彼九十九百千毛孔之中而不生毛亦不出毛。」阿難復問言：「世尊！是何處所？」佛言：「謂脚足手掌之內，口中及眉間。除是以外，有八萬四千毛孔。阿難！又除項中及兩足下不生毛處，其間節及非節依倚毛孔者二十百千俱致。阿難！此等已為一一眾生，若童男若童女、若婦人若丈夫，我今已說若干毛孔。」作是語已，長老阿難白佛言：「世尊！何因緣故，諸婦女人無有髭鬚？於彼身中亦不遍滿諸毛等耶？」作是語已，佛告阿難言：「阿難！婦人饒欲，彼以欲火燒毛孔故，以被燒滅諸毛孔處。譬如有人以炭火滿坑，持草覆上於上種樹。阿難！於汝意云何？彼樹能增長根不？增長莖不？增長葉不？增長華不？增長果不？頗有如是諸樹影不？能斷熱惱不？」阿難白言：「不也。世尊！」佛告阿難言：「豈不種彼樹也？」阿難言：「種也。世尊！」佛言：「何故不與果實，若葉若花？何故不生？何故不增長莖也？」阿難白佛言：「世尊！此樹種已，火坑熱故熏令盡滅。下有火界，多饒乾燥半被燒燼，云何當得增長根耶？云何當得增長莖也？況復生葉及與華果。世尊！彼亦心解，而種彼樹根在空虛。」佛言：「如是如是！阿難！其婦女人多饒煩惱，欲所惱故，正節及節分生諸毛處而不增長。所以者何？以有欲火燒然其身。」阿難復言：「世尊！豈可婦人多諸煩惱，非丈夫也？」

## 大威德陀羅尼經卷第十八