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title: "分別功德論 · 第五"
description: "分別功德論是漢傳佛教重要論典，歸屬部派佛教說一切有部，相傳為迦旃延子等諸大羅漢所造，成書於公元1至2世紀。該論是對《增一阿含經》的註釋，主要闡述聽聞佛法的功德利益，細緻分析信徒因不同發心、修行層次而獲得的功德差別，並涉及戒律與修行實踐。作為早期佛教論藏的重要文獻，它為研究部派佛教思想、阿含經義理及功德觀念提供了關鍵依據，對漢傳佛教的理論發展影響深遠。"
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## 分別功德論卷第五

> 分別功徳論 巻第五

失譯人名附後漢錄

> 後漢録に付された佚名の訳者

所以稱難陀比丘端政第一者，諸比丘各各有相：身子有七、目連有五、阿難有二十，獨難陀有三十相。難陀金色、阿難銀色。衣服光曜金鏤履屣，執琉璃鉢入城乞食，其有見者無不欣悅。自捨如來，餘諸弟子無能及者，故稱端政第一。亦云諸根寂靜者，佛將諸弟子至毘舍離柰女精舍。時難陀在外經行，柰女聞佛來心中欣悅，欲設微供即行請佛。於外見難陀經行，愛樂情深，接足為禮以手摩足。雖覩美姿寂無情想，形形相感便失不淨。甘味潤體，體滿則盈，不淨之溢豈由心哉。柰女不達，疑有欲想。佛知其意，告柰女曰：「勿生疑心。難陀却後七日當得羅漢。」以是言之，知心不變易也。

> そこで、難陀比丘が「端正第一」と称される理由はこうです。比丘たちにはそれぞれ相（特徴）があります。舎利弗には七つの相、目連には五つ、阿難には二十あるのに対し、難陀だけは三十の相を備えていました。難陀は金色、阿難は銀色の肌を持ち、衣服は輝き、金の刺繍を施した履物を履き、瑠璃の鉢を持って托鉢に出かけると、見る者は皆、心から喜びました。如来を除けば、他のどの弟子も彼に及ばなかったため、「端正第一」と呼ばれたのです。 また、「諸根が寂静である」と言われる理由はこうです。仏が弟子たちを連れて毘舎離の奈女（なむすめ）の精舎を訪れた時のこと。その時、難陀は外で経行していました。奈女は仏が来られたと聞いて心から喜び、ささやかな供養をしようと、仏を招くために出向きました。外で難陀が経行しているのを見た奈女は、その美しさに深く心を惹かれ、彼の足に額をつけて礼をし、手でその足を撫でました。難陀はその美しい姿を見ても、心に少しの欲情も起こさず、ただお互いの姿に感応して、精気が漏れ出てしまいました。甘い味わいが体を潤し、体がいっぱいになれば溢れ出るものであり、精気の漏れは心によるものではなかったのです。 奈女はその道理を理解できず、難陀に欲心があるのではと疑いました。仏は彼女の心を見抜き、奈女にこう告げられました。「疑いを起こしてはいけません。難陀は七日後には阿羅漢となるでしょう。」この言葉から、彼の心が決して変わらないものであることが分かります。

所以稱婆陀比丘解人疑滯者，三世諸佛皆共八萬四千以為行法，眾生得道不必遍行眾行，隨其所寤處以為宗。何者？眾生結使不同，病有多少、垢有厚薄，是故如來設教若干，或有一藥治眾病，或有眾藥治一病。猶六度相統，一行為主、眾行悉從。一行者，不專常名，隨病所起，對藥應之。若計常起，以無常對之；若計有心起，以空心對之。當其無常領行，萬行皆無常也。猶施造八萬，八萬皆為施，所謂略說者也。猶如來八音中，一音統八響，一響統百教，一教統百義，一一相領至千萬億，一音報萬億，其變如是。略說統行，其喻亦爾。此比丘專以略說為主，故稱第一也。

> ですから、婆陀比丘が「人の疑問や滞りを解く者」と称されるのは、三世の諸仏がみな、合わせて八万四千の行法を教えとしているからです。しかし、衆生が悟りを得るのに、必ずしもすべての行を遍く修める必要はありません。その人が悟ったところを宗旨とするのです。 なぜでしょうか？衆生の煩悩の縛り方は同じではなく、病には多少があり、煩悩の垢には厚薄があるからです。それゆえに如来は様々に教えを設けられました。ある時は一つの薬で多くの病を治し、ある時は多くの薬で一つの病を治します。 これは六度（六波羅蜜）が互いに統括し合うようなものです。一つの行が主となり、多くの行はすべてこれに従います。その「一つの行」とは、固定的な名前で決まっているわけではなく、病が起きるに従って、それに応じた薬を対処するのです。 もし「常住」の執着が起これば、無常をもってこれに対応します。もし「心が有る」という執着が起これば、空の心をもって対応します。無常が主となって行われる時は、あらゆる行はすべて無常となります。 例えば、布施が八万の行法を生み出せば、八万すべてが布施となります。これがいわゆる「略説」（要約した教え）というものです。 例えるなら、如来の八種の妙音（八音）のうち、一つの音が八つの響きを統べ、一つの響きが百の教えを統べ、一つの教えが百の義を統べます。一つ一つが互いに統べ合って、千万億にまで及びます。一つの音が万億に応じる、その変化はこのようなものです。「略説」が行を統括するという喩えも、これと同じです。 この比丘は、ひたすら「略説」（要約した教え）を主として説いたため、第一と称されるのです。

所以稱斯尼比丘能廣說法者，此比丘三十年在凡夫地中，廣為人說法分別義理。云何廣說？或因一行而長眾行，支流繁衍乃至無數。猶病有相因而生，是以設藥相從而成。此比丘專以剖判為主，不以斷漏為先，是以乃經三十年方取道證，寂默忘言乃遺前蹤。錄其本績，故稱廣說第一也。

> よってこの比丘（スニ＝比丘※）が「広く説法する者」と称されるのは、この比丘が三十年にわたって凡夫の境地にとどまりながら、多くの人々のために法を説き、その義理を詳細に解き明かしたからである。 「広く説く」とはどういうことか。あるひとつの教えから無限の教えが生まれ、枝葉のように広がり、数えきれないほどに発展することである。例えば、病に相関する原因があるように、それに応じて薬を施せば自然に効き目が現れるようなものだ。 この比丘は専ら（教えの）分析と解明に力を注ぎ、煩悩を断つことを優先しなかった。そのため三十年を経て初めて悟りを得るに至り、沈黙して言葉を忘れ、かつての行跡を後に残したのである。彼の本来の功績を記録し、このように「広く説法すること第一」と称するのである。

所以稱天須菩提著好衣第一者，五百弟子中有兩須菩提：一王者種、一長者種，天須菩提出王者種。所以言天者，五百世中常上生化應聲天、下生王者家，食福自然未曾匱乏。佛還本國時，真淨王勸五百釋種子出家學道侍從世尊，此比丘在其例出家。時佛約勅諸比丘：「夫為道者皆當約身守節，麁衣惡食草蓐為床，以大小便為藥。」此比丘聞佛切教，心自思惟：「吾生豪貴，衣食自然，宮殿屋舍雕文刻鏤，金銀床榻七寶食器，身著金縷織成服飾，足履金薄妙屣，然則猶不盡吾意，況當著五納服耶？且當還家適我本意。」念已欲還。時佛在舍衛精舍受波斯匿王請，即往詣佛所辭退而還。時阿難語曰：「君且住一宿。」須菩提曰：「道人屋舍床榻座席如何可止？且至白衣家寄止一宿，明當還歸。」阿難曰：「但住。今當嚴辦供具。」即往至王所，種種坐具幡蓋華香，及四燈油事事嚴飾皆備具足，此比丘便於中止宿。以適本心，意便得定，思惟四諦至於後夜即得羅漢，便飛騰虛空。阿難心念：「此比丘儻捨屋去，所借王物恐人持去。」便往看之，屋內不見，仰視空中見飛在上。阿難白佛：「天須菩提已得羅漢，今飛在虛空。」佛語阿難：「夫衣有二種：有可親近、有不可親近。何者可親近？著好衣時益道心，此可親近；著好衣時損道心者，此不可親近也。是故阿難！或從好衣得道、或從五納弊惡而得道者，所寤在心，不拘形服也。」以是言之，天須菩提著好衣第一也。

> ですから、「天須菩提」が「良い衣をまとう者」として第一に挙げられるのは、次の理由によります。 五百人の弟子の中には二人の須菩提がいました。一人は王族出身で、もう一人は長者（裕福な家柄）の出身です。天須菩提は、このうちの王族の出身でした。「天」と呼ばれる理由は、五百世の間、常に天上（応声天）に生まれ、また下っては王族の家に生まれ、自然に与えられる福徳を享受し、一度も欠乏することがなかったからです。 お釈迦様がご本国にお帰りになった時、浄飯王は五百人の釈迦族の若者たちに出家して修行し、世尊に従い仕えるよう勧めました。この比丘もその一人として出家しました。 その時、お釈迦様はすべての比丘にこう命じられました。「道を求める者は皆、身を慎み節度を守り、粗末な衣をまとい、悪い食物を食べ、草を床として寝、大小の便を薬とせよ。」 この比丘は、お釈迦様の厳しい教えを聞いて、心の中でこう思いました。「私は高貴な家に生まれ、衣食は自然に与えられ、宮殿や家屋は彫刻で飾られ、金や銀の寝台、七宝の食器を持ち、金糸で織った衣服を身にまとい、金の薄板を張った美しい履物を履いてきた。それでもなお、私の心は満たされなかったのだ。ましてや、ぼろ布を継ぎ合わせた衣などをまとうことなどできようか。いっそ家に帰って、本来の自分の思いのままに生きよう。」そう考えて、帰ろうとしました。 その時、お釈迦様は舎衛国の精舎で、波斯匿王の供養を受けていました。そこでこの比丘は、お釈迦様のもとを訪れ、辞去を申し出て帰ろうとしました。すると阿難が言いました。「どうか、一晩だけお泊まりください。」 須菩提は答えました。「修行者の宿舎に、どのような寝台や座席があるというのですか。私は在家の者の家に一晩泊めてもらい、明日には帰るつもりです。」 阿難が言いました。「どうかお泊まりください。今、必要なものを整えましょう。」そしてすぐに王のもとへ行き、様々な座具、のぼり、天蓋、花や香り、そして四つの灯明の油など、すべての品々を立派に飾り整えました。そこでこの比丘は、その中に宿泊することになりました。 自分の心に適った環境を得たことで、心は静まり、四つの真理（四諦）について観想し、夜も更けて明け方近くには阿羅漢の境地に達し、虚空に飛び上がりました。 阿難が心配しました。「この比丘が、もし部屋を捨てて去ったら、借りてきた王の品々を誰かが持ち去ってしまうかもしれない。」そこで様子を見に行くと、部屋の中には姿がありません。見上げると、虚空に飛んでいるのが見えました。阿難はお釈迦様に告げました。「天須菩提は、すでに阿羅漢の境地を得て、今、虚空に飛んでおられます。」 お釈迦様は阿難におっしゃいました。「衣には二種類ある。親しむべきものと、親しむべきでないものと。どれが親しむべきものか。良い衣をまとう時に道心が増すならば、これは親しむべきである。良い衣をまとう時に道心が損なわれるならば、これは親しむべきでない。 それゆえ、阿難よ。良い衣によって道を得る者もいれば、ぼろ布のような悪い衣によって道を得る者もいる。悟りは心にあるのであって、形や服装に縛られるものではない。」 このように語られていることから、天須菩提は「良い衣をまとう者」として第一とされるのです。

所以稱難陀迦比丘教授第一者，舍利弗亦教授，普教授四部弟子，從旦至中要使一人至於道迹。此比丘者專教授比丘使得羅漢。譬如善射之人，以一發箭射於彼賊，即中要處便使不起。喻此比丘善誨要慧，聞者結除徑至無為。不善射者，雖用多箭正可一發。喻於身子，雖廣演慧終成一階。優劣之殊格然易見，故言教授後學最為第一也。

> ですから、難陀迦比丘が「教授第一」と呼ばれる理由は次の通りです。舎利弗もまた、午前中から昼までに一人を道の境地に至らせるという方法で、四部の弟子たち全体に広く教えを説いていました。しかし、この難陀迦比丘は、特に比丘たちだけを教え、阿羅漢の境地に到達させることに専念していました。 例えば、弓の名人が一本の矢で敵を射ると、その急所を正確に射抜いて動けなくしてしまうようなものです。これは、この比丘の巧みな教えの要点を例えています。その教えを聞けば、聞く者の煩悩は解消され、直接、涅槃へと至ります。一方、下手な射手は多くの矢を使っても、うまく当たるのは一矢だけです。これは舎利弗の譬えです。彼は広く智慧を説きますが、その結果として到達する階位は一つの段階に留まります。このように、優劣の違いは明らかです。そのため、難陀迦比丘は「後学を教えることにおいて最も優れている第一の人」と称されるのです。

須摩那比丘所以善誨比丘尼僧者，此比丘常以苦切之言誡勅諸尼僧：「夫女人者多諸情態，姿媚綺飾幻惑世人，身形穢漏九孔不淨，三十六物無一可貪也。」所以名須摩那者，即華名也，以其生時耳上自然有此華，即以華為稱。時頻婆娑羅王來至佛所，見此比丘耳上有華，怪而問佛：「比丘法得著華耶？」佛告王曰：「王自𢱍却。」時王即以手捻去，續生如故，如是不止遂成華聚。王怪益甚，問其所由。佛告王曰：「乃昔毘婆尸如來出世時，此比丘為長者子。時歲節會，共彈琴作倡戲訖，便至佛所。此長者見佛喜悅，即以耳上華舉著佛耳上。佛即以神足化此花，於虛空中變為四柱臺，耳上如故。長者見變，即發誓願：『願使將來世世值佛，所生端政、耳上生花。』以昔福願，今獲其報。」王聞所說心即開解，前禮佛足辭退還宮。所以善誨比丘尼者，比丘尼等本是多情。人見比丘端政兼耳上有花，心猶愛樂。緣此愛情誨約切教，由是苦言愛著即解，是故言善誨禁誡比丘尼僧最為第一也。

> 須摩那比丘が、比丘尼達をよく教え導くことができた理由は、常に厳しく、時に厳しい言葉で戒めていたからです。彼はこう言いました。「女性というものは、情念に溢れ、姿を飾り、人を惑わす。その体は汚れ、九つの穴から不浄なものが流れ出る。三十六の要素の中に、決して執着すべきものはない。」と。 彼の名「須摩那」は、花の名前です。彼が生まれた時、耳に自然とその花が現れたので、その花の名で呼ばれるようになりました。 ある時、ビンビサーラ王が仏のもとを訪れ、この比丘の耳に花があるのを見て不思議に思い、仏に尋ねました。「比丘が花を身に着けることが許されるのでしょうか？」 仏は王に答えました。「王よ、ご自身でそれを取ってご覧なさい。」王が花を摘み取ると、すぐにまた新しい花が生えてきました。これを繰り返しても、花は次々と現れ、ついには花の塊のようになりました。ますます驚いた王がその理由を尋ねると、仏はこう語りました。 「遠い昔、毘婆尸如来が世に現れた時、この比丘は長者の子でした。ある節会の折、皆で琴を弾き、歌い、舞い楽しんだ後、彼は如来のもとを訪れました。仏を見て喜んだ彼は、自分の耳の花を取って仏の耳に差し上げました。すると仏は神通力でその花を虚空に浮かべ、四本の柱を持つ台に変えました。長者の子はその変化を見て、こう誓いました。『未来世においても常に仏に出会い、端正な姿に生まれ、耳に花が現れますように。』その昔の福徳と誓いにより、今その報いを受けているのです。」 王はこの話を聞いて心が開け、仏の足もとに礼をして宮殿に帰りました。 ではなぜ、この比丘が比丘尼達をよく教え導いたのか。比丘尼達は元々情念が深く、彼の端整な姿と耳の花に心を惹かれ、愛着を抱いていました。しかし、その愛着ゆえに、彼は厳しく戒めたのです。その厳しい言葉によって、彼女たちの愛着は解かれました。故に、彼は比丘尼僧を戒め導く第一の人であると言われるのです。

所以稱尸婆羅比丘福德第一者，尸婆羅初生時，手把無價摩尼珠出，墮地便言：「世間頗有金銀七寶可持布施不？我今欲大布施。」作是言已，父母諸家皆大驚懼，棄捨而走，或呼是羅剎鬼、或謂天神：「夫小兒生，要須日月滿足乃當言。今墮地便言，是大可怪。」母情不然，復還看之，語母曰：「莫懼。我非鬼。我正是母兒耳。」其父月光曰：「今當抱兒至尼揵子所問其吉凶。」即與婦抱兒至尼揵所，以狀白師。師曰：「此兒無福，後當致禍。」長者曰：「兒手中有摩尼珠，何以言無福耶？」尼揵曰：「至年八歲時，汝家財寶盡當在此兒手中消滅𣩠，由是皆當餓死。」長者懼怖深惟疑惑，聞世有大沙門，「儻能知吉凶，當往至其所問此可否。」即往世尊所。中路復念：「大沙門是王者種，生長深宮又不學問；婆羅門等少小博學，尚不能知吉凶，沙門豈得能知耶？」即欲還家。天於虛空告長者曰：「但當前進。何以復還耶？如來大聖無所不達，往必決疑。是非速往。」即前至佛所，禮拜問訊訖，便啟白：「如向所說，不審吉凶？」佛告長者：「吉無不利。乃生此福德之子。此兒年二十當出為道，常有五百童子共俱，當得羅漢還度父母。」長者聞佛所說，歡喜踊躍不能自勝，即還歸家。辦具餚膳，請佛至舍：「願世尊賜小兒字。」佛告長者：「正欲為字為天，人所不解。正欲字為賢聖，凡夫所不解。迦葉佛時名鬼為尸婆羅，今正當字為尸婆羅。尸婆羅者，開通鬼神言語音聲。是故字尸婆羅。」阿難臨般涅槃時，度二弟子：一名摩禪提、二名摩呻提利。摩呻提利者地王也，若不作道人者，當王此閻浮提及三天下，故名摩呻提利。阿難教此弟子：「汝至師子渚國興顯佛法。」彼國人與羅剎通，要須文字然後交接。市易六十種書，書中有鬼書名阿浮、人書音名阿羅。摩呻承教至彼顯揚佛法，自是教迹今日現存。尸婆羅開通鬼神，其亦如是，故名尸婆羅。所以稱尸婆羅福德者，生時兩手中自然把摩尼珠出。乃昔毘婆尸如來時，此比丘為賈客入海採寶，經過五難乃至寶所，得一寶珠還持上佛，願所生處獲報自然。以是因緣生即奇異，價二十億。初生之時自然寶珠著耳而生。父集賈人訪其價直，眾賈銓曰：「直二十億。」尸婆羅手珠無有限量，故曰無價計。其寶所潤乃及七世，七世之中無所渴乏，故稱福德第一也。至年二十出家學道，至世尊所，佛命善來，即成沙門。思惟四諦，便得羅漢。時有五百童子亦出家為道，常侍從尸婆羅。尸婆羅供給此五百人衣食，所在適處供養無乏，所周旋處輒悉供養。至羅悅祇城南有大深山，山中饒諸毒虫虎狼羅剎，即自心念：「欲於山中避隱一時。」時天帝釋以知所念，即於山中作五百房及僧伽藍，種種供養復經一時。夏坐已訖，心念：「違遠以久，當還禮覲。」天時大熱，念欲得涼。天帝知之即降雲雨；少思漿飲，即降甘露。所欲念者應意即至，故曰福德第一也。尸婆羅有叔父，事外道梵志，為人素慳不好布施。時有親友勸令作後世資，即請梵志數千，施百千兩金。尸婆羅念：「叔慳貪生不造福，設復施慧不值良田，我不度者永為棄捐。」便往其家持鉢乞食。叔曰：「卿來何晚？我昨日大施。昨日來者可得僧竭支。」曰：「我自有竭支，亦不須之。」「卿來何為？」曰：「我欲乞食。」時叔不與，便現身於虛空中作十八變，身出水火。長者心念：「此必瞋恚。儻燒我家？」即呼使下來與座。坐曰：「我欲得食。」即與臭穢惡食。即便受之，呪願而食。食入鉢中，福德所感變成甘露。有天於上歎曰：「善哉長者！乃作是大施也、福德之施也，無能過者。」長者心念：「我先施梵志百千兩金而無歎我者，今施此少惡食乃歎為善。將無妄語耶？」天復告曰：「所施雖少，福田良美，故曰大施也。」長者復念：「天必真實，重來告我。」即以百千兩金與尸婆羅。尸婆羅曰：「我比丘法不應取金。」尋往詣佛問其所以。答曰：「可取，隨意轉施。」即受此金施諸同學，為叔父說法即得道迹。能變臭惡成為甘露，故稱福德第一也。從生至涅槃未曾有乏，般涅槃時身上雨種種甘饍飲食。所以得爾，己身足，復欲潤及眾生故也。以是故復稱為第一也。

> これが「尸婆羅比丘が福徳第一と称される理由」である。尸婆羅は生まれた時、手に無价の宝珠を持って現れ、地に落ちるや否や言った。「世の中に、金銀七宝で布施できるものはないか？私は今、大いに布施したい」と。この言葉を聞いて、父母や一族は皆、非常に驚き恐れ、彼を置いて逃げ去り、ある者は「羅刹鬼だ」と叫び、ある者は「天神だ」と言った。「幼子は、月日が満ちてからでなければ言葉を発しないものだ。今、生まれるとすぐに言葉を話すのは、誠に怪しいことだ」と。しかし母は愛着ゆえに戻って見に行くと、子は母に言った。「恐れないでください。私は鬼ではありません。私はまさに、あなたの子です」と。父の月光は言った。「今、この子を尼犍子の所に連れて行き、吉凶を問おう」と。そして妻と共に子を尼犍の所に連れて行き、事情を師に告げた。師は言った。「この子には福がなく、後に災いを招くでしょう」と。長者が言った。「子の手には摩尼珠があります。どうして福がないと言えるのですか？」尼犍は言った。「八歳になった時、あなたの家の財宝はすべてこの子の手で消え去り、皆、飢え死にするでしょう」と。長者は恐れ惑い、深く疑念を抱き、世に大沙門がいると聞き、「もしかすると吉凶を知っておられるかもしれない。あの所に行って、この件の可否を問おう」と思い、世尊の元へ向かった。途中でまた考えた。「大沙門は王族の生まれで、深い宮殿で育ち、学問もしていない。バラモンたちは幼い頃から広く学んでいるが、それでも吉凶を知ることはできない。沙門にそれができようか？」と。そして家に帰ろうとした。すると天が虚空から長者に告げた。「ただ前進しなさい。どうして戻ろうとするのですか？如来は大聖であり、知らないことはありません。行けば必ず疑いは晴れます。善悪はともかく、速やかに行きなさい」と。そこで仏の所に至り、礼拝し、問い尋ねてから、先ほどの話をして「吉凶はどうでしょうか？」と尋ねた。仏は長者に告げた。「吉であり、不吉なことは何もありません。まさにこの福徳ある子が生まれたのです。この子は二十歳で出家して道を行い、常に五百人の童子が共にあり、阿羅漢果を得て、父母を度すでしょう」と。長者は仏の言葉を聞いて、歓喜踊跃して堪えきれず、家に帰って、飲食を整え、仏を家に請じて「願わくは世尊、幼子に名をお授けください」と言った。仏は長者に告げた。「『天』と名付けようとすれば、人は理解できないでしょう。『賢聖』と名付けようとすれば、凡夫は理解できないでしょう。迦葉仏の時、鬼を尸婆羅と名付けました。今、まさに尸婆羅と名付けるべきです。尸婆羅とは、鬼神の言語音声を通じさせる者です。故に尸婆羅と名付けます」と。阿難が般涅槃に臨む時、二人の弟子を度した。一名を摩禪提、二名を摩呻提利という。摩呻提利は地王である。もし道人とならなければ、この閻浮提および三天下を王となるはずであった。故に摩呻提利という名がある。阿難はこの弟子に教えた。「汝は師子渚国に行き、仏法を興隆させなさい」。その国の人々は羅刹と通じていたため、文字をもって交際した。市場では六十種の書が用いられ、その中に鬼の書である阿浮や、人の書の音である阿羅があった。摩呻は教えを受けてそこに行き、仏法を顕揚した。その教えの跡は今日なお現存している。尸婆羅が鬼神を通じさせたのも、またこれと同じである。故に尸婆羅と名付けられたのである。 尸婆羅が福徳ある者と称される理由とは、生まれた時、両手に自然と摩尼珠が現れ出たことによる。昔、毘婆尸如来の時、この比丘は商人として海に入り宝を採った。五つの難関を経て宝の在所に至り、一つの宝珠を得て、それを仏に捧げ、「生まれる所では、自然に報いを得られますように」と願った。この因縁により、生まれるや奇異な様相を示し、その価値は二十億あった。生まれた時、自然に宝珠が耳に付いて生まれた。父は商人たちを集めてその価値を尋ねたところ、皆で評価して「値は二十億」と言った。尸婆羅の手にある珠は限量がなかったので、「無価」と呼ばれたのである。その宝の潤いは七世に及び、七世の間、欠乏することはなかった。故に「福徳第一」と称されるのである。 二十歳になって出家して道を学び、世尊の所に至った。仏が「善来」と言われると、即座に沙門となった。四諦を思惟して、阿羅漢果を得た。時に五百人の童子もまた出家して道を行い、常に尸婆羅に侍従した。尸婆羅はこの五百人に衣食を供給し、滞在する所では供養に欠けることがなく、赴く所では常に供養を受けた。羅悦祇城の南に大きな深い山があり、その山には毒虫や虎狼、羅刹が多かったので、尸婆羅は心に思った。「この山に隠れてしばらく過ごそう」と。時に帝釈天がその思いを知り、山中に五百の房と僧伽藍を作り、種々の供養を整えた。再びしばらくして、夏安居が終わると、心に「久しく遠く離れていたので、戻って礼拝しよう」と思った。時に天は非常に暑く、涼みたいと思った。帝釈天はそれを知って雨を降らせた。少し飲み物が欲しいと思えば、甘露を降らせた。思い念じるものは、意のままに現れた。故に「福徳第一」と言われるのである。 尸婆羅には叔父がいた。外道の梵志に仕え、元来、慳吝で布施を好まなかった。時に親友が後世のための資糧を作るよう勧めたので、数千の梵志を請じ、百千両の金を施した。尸婆羅は思った。「叔父は貪慳で、生きている間に福を造らず、たとえ施しをしても良い田（福田）に値しない。私が度さなければ、永遠に捨て置かれることになる」と。そこで叔父の家に行き、鉢を持って乞食した。叔父は言った。「卿はどうしてこんなに遅く来たのか？私は昨日、大いに施しをした。昨日来ていれば、僧伽の衣（僧竭支）を得られただろうに」と。尸婆羅は言った。「私は既に衣を持っている。それも必要ない」と。「では、何のために来たのか？」「私は食べ物を乞いに来たのです」と。時に叔父は与えようとせず、そこで尸婆羅は虚空に身を現して十八の変化を示し、身から水や火を出した。長者は心に思った。「これは怒っているに違いない。もしや家を焼くのではないか？」と。そこで呼び寄せて下りさせ、座らせた。座について言った。「私は食べ物が欲しいのです」と。すると、腐った悪い食べ物を与えた。尸婆羅はそれを受け、咒願して食べた。食べ物が鉢に入ると、福徳の感応により甘露と変わった。天が上にあって嘆じた。「善きかな長者よ。まさに大施主であり、福徳の施しである。これに勝るものはない」と。長者は心に思った。「私は先に梵志たちに百千両の金を施したが、誰も私を嘆じる者はなかった。今、このわずかな悪い食べ物を施しただけで、善いと嘆じる。これは偽りではあるまいか？」と。天が再び告げた。「施すものは少なくとも、福田が優れているので、大施と言うのです」と。長者はまた思った。「天の言葉は真実であろう。再び私に告げている」と。そして百千両の金を尸婆羅に与えた。尸婆羅は言った。「私は比丘の法として、金を受けるべきではありません」と。すぐに仏の所に行き、その理由を尋ねた。答えは「受け取りなさい。気の向くままに転施しなさい」であった。そこでこの金を受け、同学の者たちに施し、叔父のために説法すると、叔父は道の境地を得た。腐った悪い食べ物を甘露と変えることができた。故に「福徳第一」と称されるのである。 生まれてから涅槃に至るまで、欠乏したことは一度もなかった。般涅槃の時、その身から種々の甘美な飲食が雨のように降った。そうなったのは、自らが満ち足り、さらに衆生をも潤そうと欲したからである。この故に、また「第一」と称されるのである。

所以稱優波先比丘具足眾行第一者，此比丘德行充足於內、形容端嚴於外，表裏相應，所適皆悅。難陀三十相、阿難二十相，表相雖多，於沙門威儀不能悉備。此比丘相雖十一，禮儀備舉，以備造適無往不應，長中幼年覩莫不歡。所謂內充者，謂四諦如有八正真妙，充實靈府未曾虛耗，故稱具足眾行道品之法為最第一也。

> そのため、ウパシヤ（優波先）比丘が「諸々の行を具足せる者として第一」と称される所以は、この比丘は内に徳行が満ち溢れ、外には容貌が端厳であり、内と外が相応じて、赴くところ全てにおいて喜ばれたからである。難陀は三十二相、阿難は二十相を有していたが、表れた相は多くとも、沙門としての威儀をすべて備えていたわけではない。この比丘は十一相しかなかったが、礼儀作法はすべて整っており、あらゆる場所に赴いても応じないことはなく、長幼の別なく見る者は皆喜んだ。いにしえに「内に充つる者」というのは、四つの真実（四諦）と八つの正しい道（八正道）の真実の妙理が、心の倉（霊府）を満たし、かつて虚しく損なわれることがなかったことをいう。それゆえ、もろもろの行を具足し、道の品々（道品）の法において最も第一と称されるのである。

所以稱婆陀先比丘所說和悅不傷人意者，此比丘常慎口，不犯四過。夫士處世，斧在口中，所以斬身由其惡言。此比丘於是麁獷之言永已除盡，常擇言徐語思而後露，發言投意必令歡喜。若在長老、中年、幼稚，隨其所好皆能可悅。所以稱此比丘能善言者，有比丘已得羅漢，雖復漏盡，由有口過。因行渡江，水漸欲深，便發惡言曰：「弊婢婬種物。」時江神女聞此惡言，心念曰：「此比丘乃發惡聲如是。」正欲推著水中，「以是比丘故，且當問佛。」即行問佛：「有比丘渡，江水小深，便罵詈言弊婢婬種。比丘法應罵耶？」佛即遣一比丘呼此罵比丘來。比丘即來，佛告比丘：「汝為沙門，何以罵耶？」比丘對曰：「弟子不罵，直言婢婬種耳。」江神女曰：「看此比丘已復罵歟。願世尊說此本末。羅漢故有瞋恚在耶？何以罵耶？」佛言：「羅漢無復瞋恚，直以口串故耳。此比丘曾為婆羅門，婆羅門法喜罵詈，曰胎中奴，不必瞋罵，直自口慣習耳。又復前五百世為汝夫時，常罵汝為婢。是以宿識不除，故復罵耳。」江女曰：「雖復羅漢故有口過。我不用羅漢，願我後求無上正真道，度脫一切如佛無異。」佛語比丘：「汝向此女人懺悔。」比丘即悔，女亦向比丘懺悔，作禮已各別去。雖復漏盡猶有麁言，況於凡夫而不慎言也。以是因緣，知是比丘護口第一也。

> そこで「婆陀先比丘の語るところは和やかで喜ばしく、人の心を傷つけない」と言われるのは、この比丘が常に口を慎み、四つの過ちを犯さなかったからである。人は世に生きるにあたり、斧を口に持つようなものだ。その口が悪い言葉を発することで自らを傷つけるのである。この比丘は粗暴な言葉を完全に断ち、常に言葉を選び、ゆっくりと語り、思ってから発言した。その言葉は相手の心にかなうよう、必ず喜ばれるものであった。長老、中年、幼い者に対しても、それぞれの好みに合わせて喜ばせることができた。 この比丘が「よく語る者」と言われる理由はこうだ。ある比丘がすでに阿羅漢果を得ていたが、煩悩を滅し尽くしていながらも、口の過ちが残っていた。川を渡ろうとして水が次第に深くなると、この比丘は悪口を言った。「この奴婢め、淫らな種よ」と。その時、川の女神がこの悪口を聞いて心に思った。「この比丘がこのような悪声を発するとは」そして彼を水中に押し沈めようとしたが、「この比丘ゆえ、ひとまず仏に問うてみよう」と考え、すぐに仏のもとへ行って尋ねた。「ある比丘が川を渡る時、水が少々深くなったために罵って言いました。『奴婢め、淫らな種よ』と。比丘は罵ることが許されるのでしょうか？」仏はすぐに一人の比丘を遣わし、その罵った比丘を呼び寄せた。比丘が来ると、仏は告げた。「汝は沙門でありながら、なぜ罵るのか？」比丘は答えた。「弟子は罵っておりません。ただ『奴婢め、淫らな種よ』と言っただけです。」川の女神が言った。「この比丘を見てください。また罵っています。世尊よ、どうかこの事の次第をお説きください。阿羅漢にまだ怒りの心が残っているのですか？なぜ罵るのですか？」仏は言われた。「阿羅漢に怒りの心はない。ただ口が慣れてしまっているだけである。この比丘はかつてバラモンであった。バラモンの習わしとして罵ることを好み、『胎内の奴よ』などと言った。怒って罵ったのではなく、ただ口が習慣となっていたのである。また、五百世前に汝の夫であった時、常に汝を『奴婢』と罵った。それゆえ過去の習いが消えず、再び罵ったのである。」川の女神は言った。「たとえ阿羅漢であっても、なお口の過ちがあるのですね。私は阿羅漢は望みません。どうか私は将来、無上正真の道を求めて、一切の衆生を度し救い、仏と異なることなきを得たいと願います。」仏は比丘に言われた。「汝はこの女人に懺悔せよ。」比丘はすぐに悔い改め、女もまた比丘に懺悔し、礼拝してからそれぞれ別れた。 煩悩を尽くしてもなお粗暴な言葉がある。ましてや凡夫が言葉を慎まないでよいだろうか。この因縁によって、この比丘が口を守ることにおいて第一であると知られるのである。

所以稱摩訶迦延那比丘安般第一者，千二百弟子中唯有此比丘及羅云能行安般第一。何以知之？昔羅云從佛行，佛以善權故現腳󰈷使羅云見。羅云見已，心念曰：「此老公持如此形貌，捨轉輪王位，著道行乞耶，何以不羞？我不能復行乞，且歸去。我祖父真淨王故在，何能作是勤苦為？」佛即知羅云心中所念，告羅云曰：「汝知不？天地尚無常，況汝轉輪聖王豈可得久？當解非常，有形皆苦、身非我有，皆當磨滅不得久停。」羅云思四非常，意猶未寤，佛教行安般守意。安般者，入出息也。息長亦知、息短亦知。短息者從心還，長息者謂從足跟中來。復知冷暖，入息為冷、出息為暖。所以知長短冷暖者，欲分別五陰所趣深淺，所從出入尋息本末知病源由。若息入時不知所從來，若息出時不知去至何所，解無來往，病亦復然。如是思惟遂得羅漢。摩訶迦延那行安般者不同羅云也，於息自在。若欲從眼從耳，隨意出入。復閉眼耳鼻口，便從九十萬毛孔出。何以知其從毛孔出？此比丘本是王種，弟兄二人，其弟端政姝妙。時王崩亡，兄應紹繼，弟自以為勝，密望人舉。然國俗法不得越次，即舉兄為王。弟心不伏，不肯稱臣，自求出國，王即聽之。求索兵眾，王恣與之，即選八萬牙象被鉀鼻劍。嚴辦已訖，念曰：「何國最善？吾欲攻取。毘舍離國諸國最勝，當往攻取，以為己用。」即引兵而趣。正至半道，時有五百賈客採寶而還，欲詣摩竭中路相逢。問賈人曰：「天下人中形容姿貌頗有勝我者不？」賈人便笑。王問：「何以笑耶？」答曰：「我為自笑耳。」復重問曰：「笑要當有意。何以不說？」答曰：「王若不瞋者，便當說之。」王曰：「但說，終不瞋汝。」賈人曰：「我聞有白淨王子名曰悉達，巨身丈六紫磨金色，有三十二相八十種好。」時迦延那聞賈人語，心懷恐懼：「悉達若知我來者，必當興軍逆來見伐。」頓止中路不敢復前。時毘舍離人聞其興軍欲來攻伐，不能自寧，即往問佛：「如何禳之？」佛言：「無苦。吾自化之。」其夜世尊即往現變，於虛空中結加趺坐，晃若金山曜於大眾。舉頭視曰：「是何等人？」答曰：「我是賈客所道者。」即曰：「賈客誑我也。向者不道能飛，而今現飛。」心中惶怖懼其為害，叉手問曰：「不審至此何所約勅？」世尊答曰：「勿懷恐懼，吾不害汝。我名為佛，濟渡一切。甘露妙法，汝欲聞不？」答曰：「願欲聞。」佛觀其根應從安般而得度，即為說守出入息，知息長短及知冷暖。聞佛所說，心即開解，得須陀洹道，便捨軍眾求為道人。佛即受之：「善來比丘。」便成沙門。重思安般，分別四大三十六物惡露不淨，尋達至妙逮無漏果，故稱諸比丘中安般第一也。

> 摩诃迦延那比丘が安般第一と称される理由は、千二百人の弟子の中で、この比丘と羅云だけが安般を最もよく実践できたからです。なぜそう言えるのでしょうか。昔、羅云が仏に従って歩いていた時、仏は巧みな方便を用いて足を現し、羅云に見せました。それを見た羅云は心の中で思いました。「この老人はこんな姿をして、転輪王の位を捨て、道を歩いて托鉢している。どうして恥ずかしくないのだろう？私はもう托鉢などできない。帰ろう。私の祖父である真浄王はまだ生きている。どうしてこんな苦労をしなければならないのか？」仏は羅云の心の思いをすぐに知り、羅云に告げました。「あなたは知っているか？天地さえも無常である。ましてやあなたの転輪聖王の位が永遠に続くはずがない。無常を悟りなさい。形あるものはすべて苦しみであり、身体は自分のものではない。すべては滅び去り、永遠に留まることはない。」羅云は四つの無常について考えましたが、まだ悟りを得られませんでした。そこで仏は安般守意を教えました。安般とは、息を吸い、吐くことです。息が長いことも知り、息が短いことも知ります。短い息は心から戻ってくるもので、長い息は足のかかとから来るものです。さらに冷暖を知ります。息を吸うのは冷たく、息を吐くのは暖かいのです。長短や冷暖を知るのは、五陰の趣くところの深浅を分別し、息の出入りの根源を尋ね、病の原因を明らかにするためです。もし息が入る時、どこから来るのか分からず、息が出る時、どこへ行くのか分からなければ、來も去りもないと理解すれば、病もまた同様です。このように思惟して、羅云はついに阿羅漢果を得ました。摩诃迦延那の安般の修行は、羅云とは異なります。彼は息において自在でした。もし目や耳から出入りしたいと思えば、思いのままに出入りできました。さらに、目、耳、鼻、口を閉じれば、九十萬の毛穴から息が出ました。なぜ毛穴から出ると分かるのでしょうか。この比丘はもともと王族の出身で、弟が二人いました。弟は端麗で美しく、王が亡くなった時、兄が王位を継ぐべきでしたが、弟は自分が優れていると思い、密かに自分が推挙されることを望みました。しかし国の慣習では順番を越えることはできず、兄が王となりました。弟は心から納得できず、臣下として仕えることを拒み、自分から国を出たいと願いました。王はそれを許し、兵を求めると、王は自由に与え、八萬の牙象に鎧を着け、鼻に剣を備えさせました。準備が整うと、彼は考えました。「どの国が最も良いだろうか。攻め取ろう。毘舎離国は諸国の中でも最も勝れている。そこを攻め取り、自分のものにしよう。」そして兵を率いて進みました。途中で、五百人の商人が宝を採って帰り、摩竭に向かっていました。彼らと出会った王は尋ねました。「天下の人々の中で、私の姿や容貌に勝る者がいるか？」商人たちは笑いました。王は尋ねました。「なぜ笑うのか？」答えました。「ただ自分で笑っているだけです。」さらに重ねて尋ねました。「笑いには必ず意味があるはずだ。なぜ言わないのか？」答えました。「王がお怒りにならないなら、申し上げましょう。」王は言いました。「言え。決して怒らない。」商人は言いました。「私は白浄王の子で、悉達と名乗る方がいるのを聞きました。身長は丈六で、紫磨金色の肌をし、三十二相と八十種好を備えています。」その時、迦延那は商人の言葉を聞き、恐怖の念を抱きました。「悉達が私が来たことを知れば、必ず軍を起こして迎え撃つだろう。」彼は途中で立ち止まり、前に進めなくなりました。毘舎離の人々は、彼が軍を起こして攻めに来ようとしているのを聞き、不安になり、すぐに仏に尋ねました。「どうすれば災いを避けられますか？」仏は言いました。「心配するな。私が自ら教化しよう。」その夜、世尊は現れて変化を示し、虚空中に結跏趺坐し、金山のように輝いて大衆を照らしました。迦延那は頭を上げて見て言いました。「何者だ？」答えました。「私は商人たちが言った者です。」すると彼は言いました。「商人は私を欺いた。さっきは飛べるとは言わなかったのに、今は飛んでいる。」彼は心に恐怖を抱き、害されるのを恐れ、合掌して尋ねました。「ここに来られて、どのようなお達しでしょうか？」世尊は答えました。「恐れるな。私はあなたを害さない。私は仏と名乗り、一切を救済する。甘露の妙法を聞きたいか？」彼は答えました。「ぜひ聞きたい。」仏は彼の根機が安般によって度されるべきであると観察し、息の出入りを守り、息の長短や冷暖を知ることを説きました。仏の説法を聞いて、彼の心はすぐに開け、須陀洹の道を得ました。そして軍を捨て、道人となることを求めました。仏は彼を受け入れました。「善來比丘。」彼は沙門となりました。さらに安般を思惟し、四大と三十六物の汚れや不浄を分別し、ついに妙なる無漏の果に達しました。それゆえ、諸比丘の中で安般第一と称されるのです。

所以稱優頭槃比丘計我無常為第一者，此比丘宿行恭恪，若見長老師父事之，若見中年敬之如兄，於己小者愛之如弟。謙恪之至，故受姝大之報。得為比丘侍佛左右，雖有高大之形常不自恃，恒計非我身無常主，解達明慧、心亡是非，故能遺形喪憍謙遜為首。何以知形體姝大也？佛始成道，度迦葉兄弟三人，有千比丘。遊摩竭國，度洴沙王將還本國，先遣優陀夷告真淨王：「却後七日當來入化。」時王聞之喜踊無量，即勅嚴駕，平治道路、掃灑燒香以待如來。如來將千二百五十比丘來過釋翅，如來心念：「今父王必當來迎。不可使尊重屈體，當現神足昇虛而行。」與人頭齊，欲使王手接如來足而已。所以爾者，佛雖德尊，不欲使父母屈體故也。時優頭槃比丘在如來右、密迹力士在如來左，如來身正至此比丘肩。王問曰：「佛左右者是何等人，乃爾高大耶？」答曰：「右者是優頭槃比丘，左者是閱叉鬼金剛力士也。」又曰：「是何等國人，乃爾殊異？」答曰：「是摩竭國人。」又問曰：「為是神足身、為是遺體耶？」答曰：「是父母遺體身，非神足也。」諸釋念曰：「如來神德不可思議，乃令羅剎惡鬼高大之人在其左右也。」以是因緣。知是比丘身為延短也。此比丘侍佛左右，恒欲障曀如來，諸天世人以是為患。如來有二種身：一法身、二肉身。此比丘但愛金色肉身，不愛無漏法身。親近弟子法當囑累，懼遺法身闕於將來。以是二事故，如來發之以及阿難耳。

> ですから、「優頭槃比丘が我無常を計らうこと第一なり」と言われるのは、この比丘がもともと恭しく慎み深い行いをしていたからです。年長の師僧がおられれば父としてお仕えし、中年の方には兄として敬い、目下の人には弟のように慈しみました。このように謙虚で慎み深かったので、見事な大きな身体という報いを受けたのです。 比丘となり、仏のおそばに仕えるようになっても、その大きな姿に驕ることなく、常に「それは本当の私ではない。この身には永遠の主体はない」と観じ、智慧によって明らかに悟り、心に善悪の執着をなくしていました。それゆえに、身体への執着や慢心を捨て、謙虚さを第一とするに至ったのです。 どうしてその身体が非常に大きいと知るのでしょうか。仏が成道したばかりの頃、迦葉三兄弟と千人もの比丘たちを教化しました。マガダ国でビンビサーラ王を教化した後、故国に帰ろうとされたとき、まず優陀夷を遣わして浄飯王に「七日の後、お帰りになって教化されます」と告げさせました。王はこれを聞いて喜び勇み、すぐに車駕を整え、道をならし、清掃し香を焚いて如来をお迎えする準備をしました。 如来が千二百五十人の比丘を連れて釈迦族の地に来られたとき、如来はお思いになりました：「今、父王は必ず迎えに来られる。王に礼を取らせるわけにはいかない。神通を現して虚空を歩こう」と。そして人々の頭と同じ高さに来られ、王が手を伸ばして如来の足に触れられるようにされました。これは仏がどんなに尊くても、父母に礼を取らせたくなかったからです。 その時、優頭槃比丘は如来の右に、密迹力士は左におり、如来の身の高さはちょうどこの比丘の肩ほどでした。王がお尋ねになりました：「仏の左右におられるのはどのような方々で、あのように大柄なのでしょうか？」お答えがありました：「右が優頭槃比丘、左がヤクシャ鬼の金剛力士です」と。王はさらに：「どこの国の方で、あのように特別なのでしょうか？」と尋ねると、「マガダ国の方です」と答えられました。王が「神通の身でしょうか、それとも父母から受けた身体でしょうか」と問うと、「父母から受けた身体であって、神通の身ではありません」と答えられました。 この時、釈迦族の人々は思いました：「如来の神徳は不可思議で、羅刹の悪鬼のような大きな人をそばに置いておられるのだな」と。この因縁によって、この比丘の身体が非常に長大であったことが分かります。 この比丘は仏のおそばに仕えながら、いつも如来を覆い隠そうとしました。天や人々はこれを困りました。如来には二種の身があります。一つは法身、もう一つは肉身です。この比丘はただ金色の肉身を愛し、無漏の法身を愛しませんでした。親しい弟子には法を託すべきですが、法身が将来に欠けてしまうことを恐れました。この二つの理由から、如来はこの比丘のことをお話しになり、アーナンダに託されたのです。

所以稱拘摩羅迦葉能雜種論者，此比丘常為人敷演四諦，時兼有讚頌引譬況喻，一諦一偈讚引一喻，乃至四諦皆亦如是，故稱雜論第一也。拘摩羅者，童也；迦葉者，姓也。拘摩羅迦葉即是童女子。何以知其然？昔有長者名曰善施，居富無量。家有未出門女，在家向火，暖氣入身遂便有軀。父母驚怪，詰其由狀。其女實對：「不知所以爾。」父母重問，加諸杖楚，其辭不改，遂上聞王。王復詰責，辭亦不異，許之以死。女即稱怨曰：「天下乃當有無道之王抂殺無辜？我若不良，自可保試。見抂如是！」王即撿程如女所言，無他增減。王即語其父母：「我欲取之。」父母對曰：「隨意取之。用此死女為？」王即內之宮裏，隨時瞻養。日月遂滿產得一男，端正姝妙。年遂長大，出家學道。聰明博達，精進不久，得羅漢道，還度父母。時有國王名曰波紲，信邪倒見，不知今世後世作善得福為惡受殃，謂死神滅不復受生，不信有佛、不識涅槃，以鐵鍱腹畏智溢出，誇王獨步自謂無比。時童迦葉往至其門，王見迦葉被服異常，行步庠序威儀整齊，王即與論議。王問道人：「道人言：『作善有福、為惡受殃。』」王言：「今我宗家有一人，為善至純。臨欲死時，我與諸人共至其邊，語其人言：『如君所行死應生天，若上天者來還語我。』死來于久不來告我，我是以知作善無福耳。」道人答王曰：「夫智者以譬喻自解。譬如有一人，墮百斛圊廁中。有人挽出，洗浴訖著好衣服，以香熏身坐於高床。有人語此人曰：『還入廁中去爾。』此人肯入以不？」王曰：「不肯。」道人曰：「生天者其喻如是，天上快樂五欲自恣，以甘露為食，食自消化無便利患，身體香潔、口氣苾芬。下觀世間猶猪處溷，正使欲來，聞臭即還。以是言之，何由得相告耶？」如是比譬喻數十條事，王意開解，信向三尊。以是因緣故，童迦葉能雜種論為第一也。

> そこで「クマーラ・カーシャパが雑種の論議に優れている」と言われるのは、この比丘が常に人々に四諦を説き、その際に讃嘆の言葉や譬えを用い、一つの諦に対して一つの偈と一つの譬えを述べ、四諦すべてを同様に説いたからである。ゆえに「雑論第一」と称されるのである。 「クマーラ」とは「童」の意味、「カーシャパ」とは姓である。クマーラ・カーシャパとは、すなわち童女（未婚の娘）のことである。なぜそう言えるのか。昔、善施という名の長者がおり、計り知れない富を有していた。その家にはまだ嫁に出していない娘がいた。ある日、家の中で火にあたっていたところ、その暖気が身に入り、妊娠してしまった。父母は驚き怪しみ、その理由を問い詰めた。娘は正直に「なぜそうなったのか自分にもわからない」と答えた。父母はさらに追及し、鞭打ちの刑まで加えたが、娘の言葉は変わらなかった。ついに王に報告された。王もまた責め問うたが、答えは同じであり、王は死罪を宣告した。娘は「世の中に、無実の者を殺すような無道な王がいるものだろうか。もし私に落ち度があるなら、確かめてみればよい。このような扱いは不当である」と叫んで訴えた。そこで王は娘の言葉の通りに調べたが、何の差異もなかった。王は父母に言った。「私はこの娘を娶りたい」と。父母は「お好きにしてください。このような死すら厭わぬ娘を何に使いましょうか」と答えた。王は娘を宮中に入れ、大切に養った。やがて月満ちて男の子が生まれ、端正で非常に美しかった。成長して出家し、学道に励んだ。聡明で博学多才、精進怠りなく、やがて羅漢（阿羅漢）の境地を得て、父母をも救済した。 当時、波絏という国王がいた。彼は邪見に陥り、現世と来世、善行には福があり悪行には災いがあること、死ねば意識は滅して再び生まれないことなどを信じず、仏の存在を信じず、涅槃を悟らなかった。知恵が外に漏れ出るのを防ぐためか、鉄の腹巻きをしていた。誇り高く、自分に並ぶ者はないと自負していた。その時、童迦葉が彼の宮殿を訪れた。王は迦葉の異様な衣装と、落ち着いて優雅な歩き方、整った威儀を見て、議論を交わした。 王は問うた。「道人よ、あなたは『善を行えば福があり、悪を為せば災いが来る』と言う。私の一族に、極めて純粋に善を積んだ者がいた。死に際に、私は皆と共にその者のもとへ行き、言ったのだ。『あなたの行いからすれば、死後は天に生まれるはずだ。もし天に昇ったならば、戻ってきて私に知らせてくれ。』しかし死後久しく経っても、その者からは何の知らせもない。ゆえに、善を行っても福はないと知ったのだ。」 道人（迦葉）は王に答えた。「賢い者は譬えをもって自ら理解するものです。例えば、大きな汚物溜めに落ちた人がいたとしましょう。誰かがその人を引き上げ、洗い清め、美しい衣を着せ、香を焚き、高い寝台に座らせました。その後、その人に『さあ、再び汚物溜めに入りなさい』と言えば、その人は入るでしょうか？」王は「入らないであろう」と答えた。道人は言った。「天に生まれた者の例えはこれと同じです。天上の楽しさ、五欲のままに楽しみ、甘露を食べれば自然に消化され排泄の苦しみがなく、身体は香り清らかで、口元は良い香りに満ちています。下の世間を見れば、それはあたかも豚が汚物溜めにいるかのようです。たとえ来ようと思っても、その臭いを嗅げばすぐに戻ってしまうのです。この理によって、どうして知らせを伝えられるでしょうか？」 このような譬えを数十回にわたって説いたところ、王は心を開き、三宝（仏・法・僧）を信じるようになった。このような因縁によって、童迦葉は雑種の論議において第一と称されるのである。

所以稱面王比丘著弊惡衣無所羞恥者，可名作十一頭陀耶？或曰：非也。何以謂為第一也？比丘著一種衣，終身不改。何以知其然？此比丘本是釋種子，初生之時有異神德。母始懷妊時，請梵志占相。梵志策曰：「此兒頭上有天冠相。」其母聞之歡喜，佯不樂，念曰：「夫天冠者王者相，一國之中不可有兩王。」恐王害之，是以不樂。所以內喜者，若實是王者，自然當有護，何憂不濟也。日月遂滿，產一男兒，頭上有天冠影。復請梵志為作字，梵志曰：「頭上有王相，復不可離此相，當名為面王。」即字為面王。真淨王聞之，心懷愁憂：「此兒有王者相，後必奪我位。當如之何？」正欲輒殺，罪不應死；正欲置之，懼必奪己。俯仰憂悒，不能自寧。佛來還國，時王宣令諸釋曰：「若有兄弟二人者，遣一人出家為道侍從世尊。」此兒復一己，不得使出家在五百人例，是以益懷愁悴。時面王年十歲，心自念曰：「正使轉輪聖王亦復無常，又復不及諸釋出家。人身難得、佛世難值，曼值佛世，宜當出家。」即白其母：「我欲出家學道。」母曰：「我正有汝一人，捨我者我便當死。」面王即啟真淨曰：「我欲出家。王當聽不？」真淨歡喜曰：「大可爾。」面王曰：「自惟一己，母無所付囑，以此為恨耳。」王曰：「卿若能出家者，我便當以卿母為姊，分半國相給。」面王歡喜，即還家以狀白母，母即聽之。當出家時，被一張白㲲至世尊所欲求為道。世尊曰：「善來比丘。」即成沙門。佛制比丘有三衣，此面王比丘直更染此白㲲以為袈裟，都不用餘衣。白佛：「弟子正欲終身被此一衣。願世尊聽之。」佛即默然可之。自是已往常被此一衣。故世尊曰：「我弟子中著弊惡衣者，無過面王比丘也。」此於八大人念中，少欲知足最為第一也。

> そこで、かの「面王」と呼ばれる比丘が、ぼろぼろの粗末な衣を着て何の恥じらいもないことが、十一の頭陀行に数えられるのかと問うならば、答えは「否」である。 では、なぜ彼が「第一」と称されるのかというと、彼は生涯を終えるまでただ一枚の衣だけを着替えずに使い続けたからである。 どうしてそうだと分かるのか。この比丘は元々、釈迦族の者であった。生まれた時から特別な神々しい徳を持っていた。母が彼を身ごもった時、バラモンを招いて吉凶を占わせた。バラモンは「この子の頭には天冠の相がある」と告げた。母はこれを聞いて心の内では喜んだが、表には喜ばないふりをして思った。「天冠とは王の相である。一国に二人の王はありえない。王が我が子を害するかもしれない」と恐れて喜べなかったのである。内心で喜んだのは、「もし本当に王となるならば、自然と守られるだろう。何の心配がいようか」と考えたからだ。 月日は満ち、男の子が生まれた。頭には天冠の影があった。再びバラモンを招いて名前を付けさせると、バラモンは「頭に王の相があり、この相から離れることはできない。名を面王とすべきである」と言い、名を面王と付けた。 真浄王はこれを聞いて心配した。「この子には王の相がある。後日、必ず我が地位を奪うだろう。どうすればよいのか」と。すぐに殺そうにも、罪なくして殺すべきではない。かといってそのままにしておけば、自分の地位を奪われることは必定だ。王は暗中模索し、憂い悩んで、心の安まる暇がなかった。 仏が帰国された時、王は諸々の釈迦族に命じた。「兄弟が二人いる家は、一人を出家させて世尊に仕えよ。」だが、面王は一人っ子だったため、五百人の出家者の中に入れることができず、それでますます心を痛めた。 その時、面王は十歳であった。心の中で思った。「たとえ転輪聖王であっても無常である。ましてや諸々の釈迦族が出家する功德には及ばない。人間に生まれることは難しく、仏の教えに出会うこともまた難しい。幸い仏の世に出会えたのだから、出家すべきである。」そこで母に告げた。「私は出家して道を学びたいのです。」母は言った。「私にはあなた一人しかいない。あなたに捨てられれば、私は死んでしまう。」面王は真浄王のもとへ行き申し上げた。「私は出家したいのです。王はお許しくださいますか？」真浄王は喜んで言った。「それは大いに良い。」面王が言った。「私は一人っ子で、母の世話をする者がおりません。それが心残りです。」王は言った。「もしお前が出家するなら、私はお前の母を私の姉とし、国の半分を分け与えよう。」面王は喜び、家に帰ってそのことを母に伝えると、母はそれを聞き入れた。 出家する時、面王は一枚の白い布を身にまとい、世尊のもとへ行き、出家を願い出た。世尊は「善来、比丘よ」と言われ、彼はたちまち沙門となった。仏は比丘に三衣を定められたが、この面王比丘はただこの白い布を染めて袈裟とし、他の衣を一切用いなかった。そして仏に申し上げた。「弟子は生涯この一枚の衣だけを身に着けたいと願います。どうか世尊、お許しください。」仏は黙ってこれを許された。それ以来、彼は常にこの一枚の衣だけを身に着けていた。 それゆえ、世尊は「我弟子のうち、粗末な衣を着る者で、面王比丘に勝る者はいない」と言われたのである。このことは、八大人覚の中でも、少欲知足において最も優れた者とされる所以である。

所以稱羅云持戒不毀者，或曰：羅云憙妄語，云何言持戒也？或曰：羅云不妄語，直自瞋佛耳。何以瞋佛也？以佛不作轉輪聖王故。若作聖王者，當有八萬四千大臣、八萬四千玉女，象馬車乘事事有八萬四千。捨如此之位而作沙門，東西行乞，不可羞耶。計聖王之利，嫌如來故，作妄語耳。人問羅云如來所在，如來實在祇樹精舍，而答云在晝闇園；實在晝闇園，而詐言在祇園。反覆妄語誑於來人。阿難白佛：「羅云妄語。」佛喚羅云來：「卿實妄語耶？」對曰：「實爾。」「羅云！汝何以作妄語耶？我所以捨聖王位者，以聖王位不可恃怙，皆歸無常無長存者。正使帝釋梵王皆不可保，況復聖王而可恃賴耶？羅云！我前後捨此不可稱計，而汝方恨也。」佛語羅云：「汝取水來。」羅云即盛滿鉢水授如來。如來執鉢水，謂羅云曰：「汝見此水不？」對曰：「已見。」佛言：「此水滿鉢無所缺減者，喻持戒完具無所損落。」復寫半棄，謂羅云曰：「汝見此水不？」對曰：「見之。」佛言：「此水以失半，喻戒不具足。」復寫水使盡，示羅云曰：「見此空鉢不？」答曰：「已見。」佛言：「犯戒都盡，喻如空鉢。」復以鉢覆地，示曰：「汝見不？」答曰：「見。」佛言：「已犯戒盡當墮地獄。喻鉢口向地也。」羅云自被約勅以後，未曾復犯如毫釐，故稱第一持戒也。或曰：復更有事。身子將羅云入舍衛城乞食。時有婆羅門見羅云在後行，即興惡意打羅云頭，血流污面。羅云即生惡念：「要當方便報此怨家耳。但言婆羅門者，皆當破滅終不置也。」身子已知羅云心中所念，為其拭血，謂羅云曰：「當憶汝父昔為須念王時，人來索眼，即挑眼與，亦不悔恨。在園中坐禪時，王截手足，亦不悔惋。若為象時，以牙與人，亦不厭惓。汝今云何起此惡念？」羅云聞師所說，即自剋責：「我今云何惡心向彼？」即忍如地，不起害心如毛髮許。時打羅云首者，墮無擇地獄中。以是因緣，知羅云持戒第一也。

> そこで羅雲（らうん）が戒律を守り欠けることがないと称される理由は何かというと、ある人は言う。「羅雲はかつて嘘をつく癖があったのに、なぜ戒律を守っているといえるのか？」また別の人は言う。「羅雲は嘘をつかない。ただ仏陀に対して直接怒っていただけだ。なぜ仏陀に怒ったのか？ 仏陀が転輪聖王にならなかったからだ。もし聖王になっていたなら、八万四千人の大臣、八万四千人の玉女、象・馬・車・乗り物など、すべてが八万四千ずつあっただろう。その地位を捨てて沙門となり、東西に托鉢して歩くなんて、恥ずかしくはないか？聖王の利益を考えると、如来を恨んだために嘘をついたのだ。」人が羅雲に「如来はどこにおられますか？」と尋ねると、如来は実際には祇樹精舎にいるのに、「昼闇園にいます」と答え、実際には昼闇園にいるのに、「祇園にいます」と偽って答えた。こうして来た人に対して嘘をつき欺いたのだ。 阿難が仏陀に「羅雲が嘘をつきました」と告げると、仏陀は羅雲を呼んで、「お前は本当に嘘をついたのか？」と尋ねた。羅雲は「はい、その通りです」と答えた。「羅雲よ、なぜ嘘をついたのか？ 私が聖王の位を捨てたのは、その位が頼りにならず、すべて無常で永遠に続くものはないからだ。たとえ帝釈天や梵天のような存在でさえも頼りにはならない。ましてや聖王の位などどうして頼りにできるだろうか？ 羅雲よ、私は過去に数えきれないほどこのような位を捨ててきた。それなのに、お前はそれを恨むのか？」 仏陀は羅雲に言った。「水を持って来なさい。」羅雲はすぐに鉢に水を満たして如来に差し出した。如来はその鉢の水を受け取り、羅雲に言った。「この水が見えるか？」羅雲は「はい、見えます」と答えた。仏陀は言った。「この水が鉢いっぱいにあり、欠けたところがないのは、戒律を完全に守り、損なうところがないことを譬えている。」次に半分を捨てて、羅雲に言った。「この水が見えるか？」「はい、見えます」「この水は半分を失った。それは戒律が不完全であることを譬えている。」さらに残りの水をすべて捨てて、空の鉢を羅雲に示し、「この空の鉢が見えるか？」「はい、見えます」「戒律をすべて破ってしまったのは、この空の鉢のようだ。」そして鉢を地面に伏せて示し、「これが見えるか？」「はい、見えます」「戒律をすべて破った者は地獄に堕ちる。それはこの鉢の口が地面を向いていることの譬えだ。」 羅雲はこのように戒めを受けてから後、毛髪の先ほどの犯しも再びしなかった。それゆえに戒律を守ること第一と称されるのである。 また、別の話もある。舎利弗が羅雲を連れて舎衛城に托鉢に入ったときのこと。一人のバラモンが羅雲が後ろを歩いているのを見て、悪意を起こして羅雲の頭を打ち、血が流れて顔を汚した。羅雲は即座に悪念を起こした。「必ずや手段を講じてこの恨みに報いてやろう。バラモンという者たちは皆、打ち滅ぼして決して赦さない。」舎利弗は羅雲が心の中で思っていることを知り、彼の血を拭きながら言った。「お前の父が昔、須念王であった時のことを思い出しなさい。人が目を求めて来た時には、自らの目をえぐり出して与え、悔しがることもなかった。園で座禅していた時には、王が手足を切っても悔やむことはなかった。象であった時には、牙を人に与えても嫌がることはなかった。お前は今、どうしてそんな悪念を起こすのか？」羅雲は師の言葉を聞いて、自らを責めた。「私は今、どうしてあの人に対して悪心を抱いたのだろうか？」そして大地のように忍び、害そうとする心を毛髪の先ほども起こさなかった。その時、羅雲の頭を打ったバラモンは無間地獄に堕ちた。この因縁によって、羅雲が戒律を守ること第一であると知られるのである。

所以稱般咃比丘能隱形不現者，般咃者，道也。有雙生兒棄之於路，有人收取養長令大。各出家為道，無人與作字，即字為道生，胡言般咃也。時摩竭國數天雷暴雨，五穀不登。王名頻頭𠻬羅，是阿闍世王祖，募四遠曰：「有能却暴雨者，大與財寶。」時有婆羅門名曰梵志，善知呪術，來應募曰：「我能却雨。」王即聽，使現術止雨。時陰陽和調五穀大熟，梵志白王索止雨功報。王雖口許，竟不報惠。諸臣人民見王不與，各復許之。梵志家儉，每從索之，其於不與遍索不得。梵志大恚，誓作毒龍，滅人苗稼：「若有種五穀者，苗稼成好，大震雹殺，使根莖不立，何況有葉耶。」誓已命終，即生龍中，號名無葉。時摩竭國人民種作苗稼適生，龍即雹殺。如是經數年，人民飢困死亡者眾。佛愍傷之，欲化此龍，即將密迹、阿難、般咃至俱持國，詣龍所止。時龍見佛來惡心生，曰：「今當放雹殺此沙門。」即雨山石，佛右迴視密迹，密迹知佛意，即以金剛杵擬之墮大石山，塞其龍淵。龍大瞋怒，眼中火出。佛右迴視般咃比丘，般咃比丘即知佛意欲使降龍。般咃即以神足隱形，以水滅龍眼火。龍復於耳鼻口出火，亦以水滅此。比丘復以神力，於龍眼耳鼻口中反覆出入而龍不見，隱形在內現手於外。龍覩此變，即便心伏。佛復與三人等於前往反經行，石上有四人跡，而三人現。龍即問佛：「一人所在？」答曰：「是汝師跡。」又曰：「師名為誰？今何不現？」答曰：「名曰般咃。」佛欲使遠現，即知佛意，百步現形。龍遙見之，歡喜為禮，佛即授之八關齋法。自是以往風雨和調，五穀豐熟人民安寧。以是因緣，知般咃隱形第一也。

> だから、バンダ比丘が姿を隠して現れないと言われる理由はこうです。「バンダ」とは「道」という意味です。ある時、双子の赤ん坊が道端に捨てられていました。それをある人が拾い上げ、育てて大きくしました。二人はそれぞれ出家して修行者となりましたが、名付ける人がいなかったので、「道生」と名付けました。インドの言葉で言うと「バンダ」となります。 さて、マガダ国では何度も雷雨が続き、五穀が実りませんでした。王の名はビンビサーラ、アジャータシャトルの祖父にあたります。彼は四方に呼びかけました。「この大雨を退けられる者には、多くの財宝を与えよう。」その時、ヴァラモン（バラモン）でヴァンジ（呪術）に優れた者がいて、応募して言いました。「私なら雨をやめさせられます。」王はそれを許し、彼に術を示させて雨を止めさせました。すると陰陽が和らいで五穀は大いに実りました。ヴァラモンは王に雨を止めた功績の報酬を求めました。王は口では承諾したものの、結局報酬を与えませんでした。臣下や民衆も王が与えないのを見て、それぞれ約束を反故にしました。ヴァラモンの家は貧しく、何度も要求しましたが、誰も与えず、どこにも得られませんでした。ヴァラモンは大いに怒り、「毒竜となって人々の作物を滅ぼしてやろう」と誓いました。「もし五穀を植える者がいれば、苗や作物が見事に育っても、大きな雹（ひょう）を降らせて殺し、根や茎さえ立たせないようにしてやる。ましてや葉など生やさせない。」誓いを終えて命終すると、すぐに竜に生まれ変わり、その名を「無葉（ムヨウ）」といいました。 その時、マガダ国の民が種をまいて苗が生えたところ、竜はすぐに雹でそれらを打ち砕きました。これが何年も続き、人々は飢えと苦しみで多くが亡くなりました。仏はこれを哀れみ、この竜を教化しようと思われました。そこで密迹（ミッチャク）、阿難（アナン）、バンダを連れて、俱持国（クジコク）の竜の住処へ向かわれました。竜は仏が来るのを見て悪心を起こし、「今こそ雹を降らせてこの沙門（シャモン）を殺してやろう」と思い、山のような石を降らせました。仏は右を振り返って密迹をご覧になりました。密迹は仏の意図を悟り、金剛杵（コンゴウショ）を振りかざして巨大な石山を落とし、竜の淵を塞ぎました。竜は大いに怒り、目から火を吹き出しました。仏は右を振り返ってバンダ比丘をご覧になりました。バンダ比丘は仏が竜を降伏させようとしているのを悟り、神通力で姿を隠し、水で竜の目の火を消しました。竜はさらに耳や鼻、口からも火を出しましたが、バンダはまた水でそれらを消しました。この比丘は神通力で、竜の目や耳の中を出入りし、姿は見せずに、中で手だけ外に現しました。竜はこの変化を見て、心から屈服しました。仏は三人と共に竜の前を行き来し、石の上には四人の足跡が残りましたが、三人だけ姿が見えました。竜は仏に尋ねました。「あと一人はどこにいるのですか？」仏は答えました。「それがあなたの師の足跡だ。」さらに竜は「師の名は何と言いますか？なぜ今お姿を現さないのですか？」と尋ねると、仏は「名をバンダという」と答えました。仏は彼に遠くまで姿を現させようと思われ、バンダはその意を悟り、百歩先に姿を現しました。竜は遠くからそれを見て、喜んで礼をしました。仏はすぐに彼に八斎戒を授けました。それ以来、風雨は穏やかになり、五穀は豊かに実り、人々は安らかになりました。この因縁によって、バンダが隠形（姿を隠すこと）において第一であることが知られるのです。

所以稱祝利般咃能化形體作若干變者，祝利者，極闇也。此比丘精神疎鈍，佛教使誦掃󰆠，得󰆠忘掃、得掃忘󰆠。六年之中專心誦此，意遂解悟，而自惟曰：「󰆠者篲、掃者除。篲者即喻八正道，糞者三毒垢也。以八正篲掃三毒垢，所謂掃󰆠義者正謂此耶。」深思此理，心即開解，得阿羅漢道。所謂化形體者，以四諦妙慧化五陰形也。正有此化，更復有餘。曰有婆羅門名曰梵天，亦名世典。所以名世典者，博覽群籍，圖書祕讖天文地理無不關練，故名世典也。自以德高，命敵而行：「誰能與我論者？」聞釋種比丘中最下者有祝利般咃，憂婆塞中最下者有瞿蜜多羅。「吾當與此二人共論。」即來與般咃共論。謂般咃曰：「能與我共論耶？」般咃曰：「我尚能與汝祖父梵天共論，何況汝盲無目人乎？」梵志尋言即詰曰：「盲與無目有何等異耶？」般咃默然不對，心念曰：「無以相詶，當以神足相答耳。」即以神足飛騰虛空去地四丈九尺，結跏趺坐。梵志仰瞻見其神變，敬情內發冀其清詶。時舍利弗在祇桓經行，以天耳聞梵志與般咃論，知其辭匱現變相答。「我若不往，比丘受屈、梵志不度。」即以神足作般咃形，使般咃本形不現。化形問梵志曰：「汝為是天、是人乎？」答曰：「是人。」又問：「人為是男子不？」曰：「是男子。」又問：「男子與人有何等異？」答曰：「不異。」又問：「人者統名；男子者據形言之。何得不異耶？向言盲者，謂不見今世後世善惡之報；無目者，謂無智慧之眼以斷結使也。」梵志心解，即得法眼淨。以是因緣知祝利般咃變形第一也。

> そこで、シュリハンドク（周利槃陀伽）がその体を変幻自在に変化させることで讃えられる理由を説こう。シュリとは、極めて暗い、すなわち愚かであるという意味である。この比丘は精神が鈍く、仏が「掃帚」と唱えさせたところ、「帚」を覚えれば「掃」を忘れ、「掃」を覚えれば「帚」を忘れる始末であった。六年の間、心を込めてこの言葉だけを誦し続けるうちに、ふと悟りが開けて、自らこう考えた。「帚とは箒のこと、掃とは払うことである。箒とは八正道に譬えられ、汚れとは三毒の垢である。八正道という箒で三毒の垢を掃き清めること、まさに『掃帚』という言葉の意味はこのことではないか。」この道理を深く思惟するうちに心は開け、阿羅漢の境地に達したのである。 さて、形を変えるということについて言えば、四諦の妙なる智慧をもって五蘊という形あるものを教化することを指す。このような教化の他にも、さらに異なる事例がある。あるバラモンがいて、梵天と名乗り、また世典とも呼ばれていた。世典と呼ばれたのは、あらゆる書物、図画や秘密の予言書、天文地理に至るまで、精通しないものはなかったからである。彼は自らの徳の高さを誇り、こう宣言した。「我と論争できる者は誰か。」そして聞くところによれば、釈迦族の比丘の中でも最も下位にシュリハンドクがおり、在家の信者の中でも最も下位にグハミトラ（瞿蜜多羅）がいると知り、「我はこの二人と論じよう」と考えた。そこでシュリハンドクの許へ赴き、「我と論じてくれるか？」と問うた。シュリハンドクは答えた。「我はそなたの祖父である梵天とさえ論じることができる。ましてや、目の見えないそなたのような者など問題にもならない。」これを聞いてバラモンは即座に詰め寄った。「『盲』と『目無し』には、どんな違いがあるのか？」シュリハンドクは黙したまま答えようとしなかったが、心の中で思った。「言葉で答えることはできない。神通力で応じるほかない。」そこで神通力によって虚空に飛び上がり、地を離れること四丈九尺の高さで結跏趺坐した。バラモンは仰ぎ見てその神通の変化に驚嘆し、心の内に敬意を湧き起こし、その明晰な応答を待ち望んだ。 その時、舎利弗は祇園精舎を経行しながら、天耳によってバラモンとシュリハンドクの論議を聞き、シュリハンドクが言葉に窮して神通変化で答えていることを知った。「私が参らねば、比丘は屈辱を受け、バラモンは救済されないだろう。」そこで神通力によってシュリハンドクの姿を現し、本来のシュリハンドクの姿を隠した。その化身がバラモンに問うた。「あなたは天でしょうか、人でしょうか？」答えて「人です。」と言う。「人は男子ですか？」「はい、男子です。」「男子と人とは、どのような違いがあるのですか？」「違いはありません。」「人の方が総称であり、男子とは形について言うものです。どうして異ならないと言えるのですか？先ほど『盲』と言ったのは、今世と来世の善悪の報いを見ないことを指し、『目無し』とは、智慧の眼が無くて煩悩を断ち切れないことを意味するのです。」バラモンは心が解け、たちまち清らかな法の眼を得た。この因縁によって、シュリハンドクが変幻（姿を変えること）において第一であることが知られるのである。

所以稱釋王比丘豪族富貴天姓柔和者，凡姓有四：剎帝利、婆羅門、長者、居士也。所以言貴者，以作沙門同一釋姓，是以稱貴耳。喻如四恒水，牛口、師子口、馬口、象口，各有五百支，合入大海共為一水，無若干味。故海得稱大，致貴於百川也。釋姓亦如是，故稱為豪貴第一也。

> そこで、釈迦族の王（釋王）の比丘たちが、豪族で富貴であり、その天性が柔和であると言われる理由を説明しましょう。そもそも姓には四種類あります。それは、クシャトリア（武士階級）、バラモン（司祭階級）、長者、そして在家の信者（居士）です。彼らが「貴い」と言われるのは、沙門となって同じ「釈（釈迦）」という姓を名乗るからであり、それによって貴ばれるのです。ちょうど、牛の口、獅子の口、馬の口、象の口という四つの大河が、それぞれ五百の支流を持ちながら、海に流れ込めば一つの水となり、様々な味がなくなるように。それゆえ、海は「大いなるもの」と称され、多くの川の中でも特に尊ばれるのです。釈迦族の姓もこれと同じで、「最も高貴で第一」と称されるのです。

真淨王有三弟，最小弟名誤淨，有小兒年四歲。時真淨王在正殿上坐，會諸群臣。王自惟曰：「我兒不出家者，我應當作聖王。我兒。既生，應當為聖王，然復出家去，我何用是天冠為？」即脫天冠著地，有應作者便作。諸臣愁悒各無歡心。時釋王小兒在前遊行，見地天冠，即舉著頭上坐地，以左手拄肩，右手摩捋髭鬚。王與諸臣驚怪所以。王曰：「此小兒天使其然，或能作聖王。我兒聖王相盡在此兒許，故使其然耳。」眾臣僉然曰：「或能如王所言。」王念曰：「悉達既出家。」又見小兒之相，即自廢王位。乃經八年，聞悉達以成佛，度三迦葉師徒得千比丘，并優波提舍、拘律陀師徒二百五十人，合千二百五十比丘，從摩竭國欲還至釋翅舍，先遣優陀夷白還消息。真淨聞之歡喜踊躍，即還著天冠，平治道路、掃灑燒香以待如來。如來既至，王見諸比丘，雖復心精無表容貌。「當選諸釋五百人姿容可者出為沙門侍從世尊。」釋王比丘最在其先。時佛在精舍大眾之中，告諸比丘，普論種姓所以豪貴意。時真淨王來至眾中，向釋王比丘禮。諸眾皆怪所以。佛知此意，欲解眾疑，故問王曰：「何以禮此比丘？」答曰：「所以禮者，以此比丘有二事勝我。夫天有三：一日舉天、二日生天、三日清淨天。我正有舉天，此比丘有生天、有清淨天。所以言生天，以年四歲時，舉吾天冠著己頭上。自然生意，無有與者，故曰生天。清淨天者，今已漏盡結解，無復塵垢，故曰清淨天也。以是二事勝我，故為作禮耳。」以是因緣，知釋王比丘豪族第一也。

> 真浄王（しんじょうおう）には三人の弟がいました。末の弟は誤浄（ごじょう）といい、四歳になる幼い子どもがいました。 ある時、真浄王は正殿に座って群臣を集めました。王はこう考えました。「もし我が子（悉達太子）が出家しなければ、私は聖王となるはずだった。しかし、我が子は生まれながら聖王となるべきでありながら、出家してしまった。ならば、私はなぜこの天冠（王冠）をいただく必要があろうか。」 そう言って、天冠を脱ぎ捨て地面に置き、「しかるべき者が位に就くがよい」と言いました。臣下たちは皆、嘆き悲しみ、心が晴れませんでした。 その時、釈迦族の王の幼い子ども（誤浄の子）が前を遊び歩いていて、地面に置かれた天冠を見つけました。それを手に取ると、自分の頭にのせて地面に座り、左手で肩をつき、右手で髭（ひげ）を撫でさすりました。王と群臣たちは驚き怪しみました。 王は言いました。「この子は天がそうさせているのだ。あるいは聖王となるかもしれない。我が子（悉達）にあった聖王の相（すがた）は、すべてこの子に備わっている。だから、このようなことをさせるのだ。」 群臣たちも皆、「王のおっしゃる通りかもしれません」と同意しました。 王は考えました。「悉達はすでに出家した。」 また、この子どもの相を見て、王は自ら王位を退きました。 それから八年が過ぎ、悉達が仏陀となり、三迦葉（さんかしょう）の師弟千人と、優波提舎（うはだいしゃ）・倶律陀（くりゅうだ）の師弟二百五十人、合わせて千二百五十人の比丘を率いて、マガダ国から釈翅舎（しゃくししゃ）に帰ろうとしているとの知らせが届きました。先に、優陀夷（うだい）を遣わして帰還の知らせを知らせました。 真浄王はこれを聞いて喜び勇み、すぐに天冠をかぶり直し、道を整え、掃き清めて香をたき、如来を待ちました。 如来が到着すると、王は比丘たちを見ました。彼らは心は清らかでも、外見にはそれが現れていませんでした。 そこで王は「釈迦族の中から、容姿の整った者を五百人選び、沙門として世尊に仕えさせよう」と言いました。 こうして釈迦族の王の子どもである比丘（釈王比丘）が、その先頭に立ちました。 その後、仏は精舎（しょうじゃ）の大衆の中で、比丘たちに種姓（家柄）がなぜ尊いのかについて説かれました。 その時、真浄王が大衆の中に来て、釈王比丘に礼をしました。皆はその理由を不思議に思いました。 仏はこの思いを察し、皆の疑いを解こうとして、王に問いました。「なぜこの比丘に礼をされるのですか。」 王は答えました。「私が礼をするのは、この比丘に、私に勝る二つの優れた点があるからです。天には三種類あります。一つ目は挙天（きょてん）、二つ目は生天（しょうてん）、三つ目は清浄天（しょうじょうてん）です。私はただ挙天のみを持っていますが、この比丘は生天と清浄天の両方を持っています。 『生天』というのは、彼が四歳の時、私の天冠を自分で取って頭にのせたことです。それは自然に生じた意志であり、誰かから与えられたものではありません。だから生天と言うのです。 『清浄天』というのは、今、彼はすでに煩悩（ぼんのう）が尽き、心の結び目が解け、塵や汚れがなくなりました。だから清浄天と言うのです。 この二つの点で私に勝っているため、私は彼に礼をしたのです。」 この因縁によって、釈王比丘が豪族の中でも第一であることが知られました。

## 分別功德論卷第五

> 分別功徳論 巻第五

按此論，丹藏為三卷，《開元錄》云四卷，而注云或三卷或五卷者，但分卷有異耳，文無增減焉。錄有注敘云：「右此一論，釋《增一阿含經》義。從初〈序品〉至〈弟子品〉過半，釋王比丘即止。」《法上錄》云：「竺法護譯者，不然。此中牒經、解釋文句，並同本經。似與《增一阿含》同一人譯。」而餘錄並云失譯，且依此定。《僧祐錄》云：「迦葉、阿難撰者，此亦不然。如論第一卷中引外國師及薩婆多說，故知非是二尊所撰。」

> この論によれば、蔵経は三巻であるが、『開元録』には四巻と記されている。ただし、注釈には「三巻または五巻のものもある」と書かれており、これは単に巻の区切り方が異なるだけで、内容に増減はない。 『録』の注釈には次のように説明がある。「この論は、『増一阿含経』の意味を解説したものである。初めの〈序品〉から〈弟子品〉の半ばまでで、王比丘の解釈の部分で終わっている。」『法上録』には「竺法護が翻訳した」とあるが、これは誤りである。本文に引用されている経文や解説の文句は、すべて元の経典と同じであり、『増一阿含経』と同一人物が翻訳したと思われる。しかし、他の『録』では全て「訳者不明」とされており、ここでもそれに従う。 『僧祐録』には「迦葉と阿難が編纂した」とあるが、これも誤りである。なぜなら、この論の第一巻には外国の師やサバータ（説一切有部）の説が引用されているからであり、したがって、迦葉と阿難の二人によって編纂されたものではないことがわかる。