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title: "大般涅槃經疏 · 15 月喻品(一二)"
description: "大般涅槃经疏由隋朝天台宗五祖章安大师灌顶撰述，是注解北本《大般涅槃经》的重要疏钞。灌顶承袭其师智顗思想，依天台教观阐释经义，重点发挥如来常住、众生皆有佛性、一阐提也能成佛等核心教理。该疏系统论述了涅槃境界与佛性思想，融合南北朝佛学成果，是天台宗判教体系的关键著作，对隋唐以后中国佛教思想发展影响深远，被视为研究《大般涅槃经》的权威注疏。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cme55w9ay00mpjo04hi0o8b13"
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### 月喻品

> 月のたとえの章

前鳥喻俱游，橫論一時；今月喻隱顯，竪論前後。先橫次竪，自成次第。又俱游是自行隱顯，是適宜自行化他，復成次第。河西云：三品皆是一真應意，此乃一塗。問答既三，意寧一耶？自有兩問一答、一問兩答、一問一答。河西云：只是一句，餘之二句推文可解。今云：其問既異，答亦不同。前問共行，以鳥喻答之；今對三光以立三問，以月喻答之。然其問中非獨問月，備問三光。月取虧盈、日用長短、星以吉凶，雖有少殊，同況隱顯。在先答月，故以標品。私謂：月攝日星，故月題品。又名異義同，故月義便。梁武勅學士撰天地義，有三：一宣夜、二周髀、三靈憲。宣夜久廢不傳，諸學士推理不得。周髀者，是周公問殷齊論天地義，云：天如圓繖，邊下中高，為蓋天義。日月橫行，同於佛法。靈憲即是渾天義也。張衡作渾天圖云：日如雞子黃，天如雞子白。日從東出漸漸西沒，復從土下入地東出繞天地轉，故言日出扶桑、日入濛氾。日月竪行，《長阿含》及《樓炭》云「日月天子果報與四王同，壽五百歲。」舊云：二百五十。日形縱廣五十由旬，月形四十九由旬。星小者不減三由旬，方百二十里。日城為兩寶所成，二分火精、二分金精。月為二寶所成，二分瑠璃精、二分白銀精。星唯一寶所成，謂水精。繞須彌山，照四天下。《樓炭》第五云「劫初未有三光，眾生福力，感亂風吹火精、黃金二寶作日。日天子所居城郭七重，東西二千里，南北高下亦然，周圍八千。又亂風吹二寶瑠璃、白銀作月天子所居，其城七重，東西一千九百六十里，南北高下亦然，周圍七千八百四十里。又亂風吹水精作星天子所居，皆大風持，猶如浮雲右轉而行，大者周圍七百二十里，中者四百八十里，小者一百二十里。月以三事故缺減：一者角行；二、侍臣形服如瑠璃色在於月前；三、以日有六十光照之故減。有三事故增：一、月正行故增；二、十五日處正殿，侍臣不當前故增；三、日所放六十光照、月皆不受是故增滿。」此品正答云何如日月太白與歲星，既具答三光而以月喻當名者，如向分別。一者月在中，從中題品。又月有虧盈譬隱顯易見，有月譬文多，從易從多，以用題品。古來云：品後明日出時眾露悉除十行六字，屬〈菩薩品〉，出經者誤。招提云：非誤，只是歎經力用之文。興皇：不定，或屬前品、或屬後品。觀師云：屬前。今分為二：先答問、二結歎。經初約三光分為三段，用答三問。就月為六：一出沒、二虧盈、三大小、四善惡、五長短、六樂厭。初明出沒中，先譬、後合，如文。從「善男子如此滿月」下，次明虧盈，亦先譬、後合。《長阿含》云「從十六日去黑衣侍臣，初一日一兩上侍，至三十日諸臣併上，故稍稍虧。從月一日諸臣漸下，至十五日諸臣都下，故稍稍滿。」二云：日天子放六十種光，奪月故虧。若月天子處正殿後，光對日天，是故盛滿。三云：從月初一出白銀面，至十五日銀面全現、瑠璃全隱、從十六日出瑠璃面，至三十日瑠璃全現、白銀全隱。因須彌山者，為五風所吹，自然運轉。一持風、二住風、三動風、四轉風、五行風。世云六月一食者，書云：正由運行相遇，六月一周，陰陽相御，故有此食。經云：修羅所為。三「復次譬如滿月」者，明大小，先譬、次合。初譬中云鍑口者，關西謂釜為鍑，關東謂鍑為釜。四「復次如羅睺」去，是明善惡，亦明制戒。文為三：一制止、二輕重、三如來教戒，皆有譬合。五「復次如人見月」去，是明長短，亦有譬合。譬中諸天須臾見食者，此據四天王同見此月，忉利身光不須日月。六「復次譬如明月」下，是明樂厭，先譬、次合。文云「眾生若有貪恚愚癡，則不得稱為樂見者。為是眾生不樂見月？為是其月不樂見耶？」解言兩意。一云：直由三毒眾生不樂見月。二云：月名不樂見，如作盜人自名其月為不樂見。「復次譬如日出」去，是第二舉日，亦先譬、次合。三時異者，佛法無秋，故言三時。二云：佛法有秋，經言「秋耕為上」，又云「過夏名秋，秋雨連霔。」《金光明》云「三三本攝足滿四時，律明三時為簡賊住。」今言三時非簡賊住，為春秋同，不分為二。合譬有兩：初以如來壽命合、次以經教合，可尋。譬如眾星者，第三舉星喻，文為三：一舉眾星、二舉陰暗、三舉彗星，皆先譬後合。前二可見。第三譬中言黑月者，《優婆塞戒經》云「十六日至三十日名為黑月。」六卷云「支斗星」，梁武翻為惡相星，或作歲音、或作戍音，形如埽帚。世人或呼為刁、或呼為麻，謂其作除故布新之怪，即如辟支佛出無佛世。

> 前のたとえでは鳥が共に遊ぶことで、一時に並行する関係を論じました。今度のたとえでは月の隠れ現れることで、前後の縦の関係を論じます。まず横の関係、次に縦の関係と、自然に順序ができています。また、共に遊ぶことは自らの修行を表し、隠れ現れることは相手に合わせた教化を表しており、自らの修行と他者への教化という点でも順序ができています。河西の僧は「三つの品はすべて一つの真実の応身の意味であり、これは一つの見方に過ぎない」と言いました。問答が三つあるのに、その意味が一つであるはずがありません。二つの問いに一つの答え、一つの問いに二つの答え、一つの問いに一つの答え、というものがあります。河西の僧は「一つの文だけで、残りの二つの文は文脈から推測して理解できる」と言いました。今、私はこう言います。「その問いがすでに異なるなら、答えもまた同じではない。最初の問いは共に行くことであり、鳥のたとえで答えた。今度は三つの光りもの（太陽・月・星）を挙げて三つの問いを立て、月のたとえで答えた。しかし、その問いの中では月だけを問うたのではなく、三つの光りものすべてを問うている。月は満ち欠けを、日は長短を、星は吉凶を取るが、少し違いはあっても、いずれも隠れ現れることにたとえられる。先に月を答えたので、月を品の標題とした。」私はひそかに思うに、月は日と星を包含するので、月を品の標題としたのである。また、名前は異なっても意味は同じなので、月の意味が都合が良かったのである。梁の武帝は学者たちに命じて天地の道理について書かせた。三つの説があった。一つは宣夜説、二つ目は周髀説、三つ目は霊憲説である。宣夜説は古くに廃れ伝わらず、学者たちは推し量ることができなかった。周髀説は、周公が殷商に天地の道理を問うたもので、「天は丸い傘のようで、端は低く中心は高い。これは蓋天説である。日月は水平に運行する。これは仏法と同じである」という。霊憲説は渾天説である。張衡が渾天図を作って「日は卵の黄身のようであり、天は卵の白身のようである。日は東から出て徐々に西に没し、再び土の下を通って地中に入り、東から出て天地を巡る。だから、日は扶桑から出て、蒙氾に入るという。日月は縦に運行する」と言った。『長阿含経』と『楼炭経』には「日月の天子の果報は四天王と同じで、寿命は五百歳である。昔は二百五十歳と言われた。太陽の形は縦横五十由旬、月の形は四十九由旬である。星の小さいものでも三由旬を下らず、方百二十里である。太陽の都城は二つの宝、すなわち火の精と金の精の二分でできている。月の都城は二つの宝、すなわち瑠璃の精と白銀の精の二分でできている。星の都城はただ一つの宝、すなわち水の精でできている。須弥山を取り巻いて、四つの天下を照らす」とある。『楼炭経』の第五巻には「劫の初めには三つの光はなかった。衆生の福徳の力によって、乱風が火の精と黄金の二つの宝を吹いて太陽を作った。太陽の天子の住む城郭は七重で、東西二千里、南北も高さも同じで、周囲は八千里であった。また、乱風が瑠璃と白銀の二つの宝を吹いて月の天子の住まいを作った。その城は七重で、東西一千九百六十里、南北も高さも同じで、周囲は七千八百四十里であった。また、乱風が水の精を吹いて星の天子の住まいを作った。すべて大風に支えられ、浮雲のように右回りに運行する。大きなものは周囲七百二十里、中くらいのものは四百八十里、小さなものは百二十里である。月は三つの理由で欠ける。一つは斜めに運行するから。二つ目は、侍臣の姿形が瑠璃色で月の前にいるから。三つ目は、太陽の六十の光が月を照らすために減るからである。三つの理由で満ちる。一つは、月が真っすぐに運行するために増す。二つ目は、十五日に月が正殿にいて、侍臣が前にいないために増す。三つ目は、太陽が放つ六十の光を月がすべて受け止めないために満ちる」とある。この品は「なぜ日月、太白星、歳星のようであるのか」という問いに正しく答えている。三つの光りものすべてに答えながら、月のたとえを品の名前にしたのは、先に述べた区別による。一つには、月が真ん中にあるので、真ん中から品の名前を取った。また、月には満ち欠けがあるので、隠れ現れることのたとえとして分かりやすい。月のたとえの文が多いので、分かりやすく、多い方に従って品の名前を取った。昔から、「品の後の『明日出でて時、衆露悉く除かれる』という十行六字は、『菩薩品』に属するもので、経典を編纂した人の誤りである」と言われている。招提の僧は「誤りではない。ただ経典の力用を讃嘆する文である」と言った。興皇の僧は「定かではない。前の品に属するか、後の品に属するかである」と言った。観師は「前の品に属する」と言った。今、私は二つに分ける。第一に問いに答え、第二に結びの讃嘆である。経典の初めは三つの光りものに従って三段に分け、三つの問いに答えている。月については六つの段がある。一、出没、二、満ち欠け、三、大小、四、善悪、五、長短、六、楽しみと嫌悪である。初めに出現と没落を明らかにする。まず譬え、次にその意味を合わせる。文の通りである。「善男子、かくのごとき満月」から、次に満ち欠けを明らかにする。これもまず譬え、次にその意味を合わせる。『長阿含経』には「十六日から黑衣の侍臣が、初めの一日に一人か二人が上り、三十日にはすべての臣が上るので、徐々に欠ける。月の一日から諸臣が徐々に下り、十五日にはすべての臣が下るので、徐々に満ちる」とある。第二の説には「太陽の天子は六十種の光を放ち、月の光を奪うので欠ける。もし月の天子が正殿にいて、その光を太陽に向ければ、満ちる」とある。第三の説には「月の初めの一日から白銀の面が現れ、十五日には銀の面が完全に現れ、瑠璃の面は完全に隠れる。十六日から瑠璃の面が現れ、三十日には瑠璃の面が完全に現れ、白銀の面は完全に隠れる。須弥山によって、五つの風に吹かれて自然に運行する。一に持風、二に住風、三に動風、四に転風、五行風という」とある。世間では六月に一度日食があると言う。書物には「正に運行が重なることによる。六月で一巡する。陰と陽が互いに制御し合うので、この食がある」とある。経典には「阿修羅の仕業である」とある。三、「また、例えば満月のごとし」とは、大小を明らかにする。まず譬え、次にその意味を合わせる。初めの譬えの中の「鍑口」とは、関西では釜を鍑と呼び、関東では鍑を釜と呼ぶ。四、「また、例えば羅睺のごとし」からは、善悪を明らかにし、戒律を制定することも明らかにする。文は三つからなる。一に制止、二に軽重、三に如来の教戒である。すべてに譬えとその意味の合わせがある。五、「また、例えば人の月を見るがごとし」からは、長短を明らかにする。これにも譬えとその意味の合わせがある。譬えの中の「諸天が須臾の間に食を見る」とは、これは四天王がこの月を共に見るとする。忉利天の身の光は日月を必要としないからである。六、「また、例えば明月のごとし」からは、楽しみと嫌悪を明らかにする。まず譬え、次にその意味を合わせる。文には「衆生に貪り、怒り、愚かさがあれば、楽しく見るものとは言えない。これは衆生が月を楽しく見ないのか。それともその月が楽しまれないのか。」という解釈が二つある。一つには「ただ三毒の衆生が月を楽しく見ないだけである」と言う。二つには「月は楽しまれないと呼ばれる。例えば盗人が自分自身の月を『楽しまれない月』と呼ぶようなものである」と言う。「また、例えば日の出のごとし」からは、第二に太陽を挙げる。これもまず譬え、次にその意味を合わせる。三時の違いについて、仏法には秋がないので三時と言う。第二の説には「仏法には秋もある。経典に『秋の耕すは最上なり』とあり、また『夏を過ぎて秋と名づけ、秋の雨は降り続く』とある。『金光明経』には『三三は本として摂め、四時を満たす』とあり、律には三時を説いて、賊住を区別する。」今、三時を説くのは賊住を区別するためではなく、春と秋を同じとして二分しないためである。意味を合わせた譬えには二つある。初めに如来の寿命を合わせ、次に経典の教えを合わせる。これは文脈から察することができる。「例えば衆星のごとし」とは、第三に星のたとえを挙げる。文は三つからなる。一に衆星を挙げ、二に陰暗を挙げ、三に彗星を挙げる。すべてまず譬え、次にその意味を合わせる。前の二つは見ての通りである。第三の譬えの中の「黒月」とは、『優婆塞戒経』には「十六日から三十日までを黒月と名づける」とある。六巻本には「支斗星」とあり、梁の武帝は「悪相星」と翻訳し、歳の音とも、戍の音とも読む。形は箒のようである。世間では刁と呼んだり、麻と呼んだりする。これは古いものを除き新しいものを生み出す怪しい出来事を作ると言われる。つまり、辟支仏が仏のいない世に現れるようなものである。

「復次善男子譬如日出」下，第二結歎前喻。文為三：一歎、二勸信、三結。歎又二：先歎滅惡、次歎義深。「以是義」下，勸信，又二：先勸信、次勸學。結歎，如文。今用此三文，結三光喻，歎教理行。結日喻歎常住教，結月喻歎常住理，結星喻歎常住行。

> また、善き男子たちよ。例えば日の出のように。以下、第二に前の譬えをまとめて讃える。 文は三つに分かれる。一に讃嘆、二に勧信、三に結び。讃嘆はさらに二つ。先に悪を滅することを讃え、次に義の深さを讃える。「この義をもって」の下は勧信。これもまた二つ。先に信を勧め、次に学びを勧める。結びの讃嘆は文の通りである。 今、この三つの文を用いて、三つの光の譬えをまとめ、教え・理・行を讃える。すなわち、日の譬えを結んで常住の教えを讃え、月の譬えを結んで常住の理を讃え、星の譬えを結んで常住の行を讃える。