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title: "請觀世音菩薩消伏毒害陀羅尼三昧儀 · 5 召請"
description: "北宋天台宗高僧遵式大师集录的《請觀世音菩薩消伏毒害陀羅尼三昧儀》，是一部重要的观音忏法仪轨。该仪轨以《请观音经》为核心，结合密咒与天台观想法，详细规定了礼拜、供养、持咒、忏悔等修行次第，旨在通过观世音菩萨的慈悲愿力消除业障、祛除病厄与灾祸。此仪轨体现了宋代天台宗显密圆融的特色，是汉传佛教观音信仰的重要实践指南，至今仍在佛教修持中具有深远影响。"
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### 第五召請

> 第五召請

疏云。請有三義。一為自請。二為他請。三護正法請。自請如斯那。為他如月蓋。護法如七言偈。自請是攝善法戒。為他是攝眾生戒。護法是攝正法戒。得意者三秖是一。欲使自身戒定慧明淨。即是攝善法。以己利他即攝眾生。心佛及眾生是三無差別。今逐行者傍正。或自為正餘為傍。乃至護法亦爾。自請復有三。延請祈請願請。為他護法亦此三也。延即屈伸俯仰延致之義對身業。如五體投地是也。祈即發口干求即口業。如四行偈是也。願即要心處所。即繫念是也。然別對雖爾通則必具。三業合行宜在得意。今義當延請。百錄云。令一人裝香火。各各互跪召請。輔行云。互跪之儀。三處翹聳。曲身合掌。目注金容。近代澆醨。都無跪相。慢幢未折。業海難傾。尚縱穢軀。安期大道。視斯明誡。切在勤拳。請云。

> 疏に曰く、「請」には三つの意味がある。第一に自らのための請、第二に他者のための請、第三に正法を護るための請である。自らのための請とは、例えば斯那（シナ）のように自らを高めること。他者のための請とは、月蓋（がつがい）のように他者を救うこと。正法を護るための請とは、七言偈のように法を守ることである。 自らの請は、戒・定・慧を自分でよく保つ「摂善法戒」にあたる。他者のための請は、他者のために自らの善を施す「摂衆生戒」である。護法の請は、正法を護る「摂正法戒」に相当する。真意をわかっていれば、この三つは本来一つである。自分自身の戒・定・慧を清らかにすること、それがすなわち摂善法であり、自らの善をもって他者を利益することが摂衆生であり、心も仏も衆生も本質的に差別のないことを理解することが摂正法である。 ただし、修行者の立場からは主従がある。例えば自らの請を主とし、他を従とする場合もあれば、護法を主とすることもある。さらに、自らの請にも「延請」「祈請」「願請」の三つがある。他者のための請や護法の請についても同様にこの三つが該当する。 「延」とは、礼拝など身の動きをもって仏を招き請うことで、身体の業に対応する。五体投地などがそれにあたる。「祈」とは、口を開いて何かを求めることで、口の業であり、四行偈のように唱えることである。「願」とは、心であり、心を集中して念じることを指す。これらは別々に説かれても、実際は一つの行いの中で三業がそろって働くものである。大切なのはその意味をよくわかっていることだ。 ここでは「延請」を主として用いる。「百録」に曰く、「一人に香を焚かせ、一同が互いに跪いて仏を召し請じる」とある。「輔行」にも、「互跪の作法は、三つの場所＝頭・両膝・両手を高くあげ、身体を曲げて合掌し、目は仏の尊顔に注ぐ」と説かれている。しかし、現代の人々は浅はかで、跪く姿勢すらできていない。慢心の幢（はた）が折れず、業の海を渡ることは難しい。なおも汚れた身に甘んじて、いったいどうして悟りの大道を願うことができようか。この明白な戒めをよく見て、大切なのは真心こめて励むことである。さあ、請するのだ。

一心奉請南無本師釋迦牟尼世尊三遍奉請前所禮三寶請佛想云　我三業性如虛空　釋迦如來亦如是　不起真際為眾生　與眾俱來受供養　請法云　法性如空不可見。常住法寶難思議　我今三業如法請　唯願顯現受供養　請僧同前請佛。但改名字為異耳。

> 一心に本師　南無釈迦牟尼世尊をお迎えいたします。 <note>三度お迎えする前、先に礼拝した三宝を招く想いを抱き、次のように唱えます。「私の身・口・意の三つの行いは、その本性が虚空のようなものです。釈迦如来もまた同様です。真実の境地を離れずに、衆生のためにおいでくださり、皆と共に来て供養をお受けください。」法をお招きする際にはこう唱えます。「法の本質は空であって見ることができません。常住の法宝は思い計ることもできません。私は今、身・口・意の三つの行いを整えて、法のままにお招きいたします。どうかどうか姿を現して、供養をお受けください。」僧をお招きする時も、お迎えする佛の場合と同じです。ただし、名前を変える点だけが異なります。</note>

諸本懺法。於奉請後說偈讚佛。惟此懺無讚歎文。今依三請觀音經。錄偈就刊于此。

> 諸々の懺法では、奉請の後に偈頌を説いて仏を讃えるものですが、ただこの懺法には讃嘆の文がありません。今、『三請観音経』に依って偈頌を録し、ここに刊行します。

大悲大名稱 吉祥安樂人常說吉祥句 救濟極苦者眾生若聞名 離苦得解脫亦遊戲地獄 大悲代受苦或處畜生中 化作畜生形教以大智慧 令發無上心或處阿修羅 軟言調伏心令除憍慢習 疾至無為岸現身作餓鬼 手出香色乳飢渴逼切者 施令得飽滿大慈大悲心 遊戲於五道常以善習慧 無上勝方便普教一切眾 令離生死苦常得安樂處 到大涅槃岸

> 大いなる慈悲の御名を持つ方 吉祥と安楽に満ちた人 常に吉祥の言葉を説き 極めて苦しむ者を救済する 衆生がその名を聞けば 苦しみを離れ解脱を得る また地獄に遊戯し 大いなる慈悲をもって代わりに苦しみを受ける あるいは畜生の中に身を置き 畜生の形に変じて 大いなる智慧を教え 無上の道心を発起させる あるいは阿修羅の中にあっては 柔らかな言葉で心を調伏し 高慢の習いを除かせ 速やかに無為の岸に至らせる 自ら餓鬼の身を現し 手から香りある乳を出し 飢えと渇きに苦しむ者に 施して満ち足らせ与える 大いなる慈しみと大いなる悲しみの心で 五つの道に遊戯し 常に善き習いの智慧と 無上の勝れた方便をもって あまねく一切の衆生を教え 生と死の苦しみを離れさせ 常に安楽のところを得て 大涅槃の岸に至らせる

讚歎已隨意陳情。

> <note>賛嘆し終えて、心のままに思いを述べる。</note>