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title: "圓覺經句釋正白 · 普賢章"
description: "圓覺經句釋正白是清代僧人弘麗對佛教經典《圓覺經》的註釋著作。該書成於清代，屬漢傳佛教註疏傳統，旨在闡釋《圓覺經》的深奧義理，內容聚焦於圓覺境界、修行方法與如來藏思想。弘麗通過逐句解釋，融合禪宗與教下觀點，強調眾生本具佛性與頓悟修證。此作在佛教史上屬重要註釋文獻，有助於理解《圓覺經》的實修內涵，為研究清代佛教思想及圓頓教法提供參考，具較高學術與實踐價值。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmex1ru7d0axjjp0491gu2x2q"
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二、行斷絕妄清淨開二：一、離幻絕妄開二：一、決疑離幻開二：一、序述菩薩興問開四：一、序問躡次。

> 二、修行を断ち、妄想を絶ち、清らかになることを開くこと。その二つに分かれる。第一に、幻を離れ、妄想を絶つことを開くこと。その二つに分かれる。第一に、疑いを断ち、幻を離れることを開くこと。その二つに分かれる。第一に、序として、菩薩が問いを起こすことを述べること。その四つに分かれる。第一に、序として、前の内容を受けて問いを起こすこと。

於是。

> そこで。

此序顯普賢菩薩從如來因行成於順覺，悲念眾生迷無執有，不能俱遣有無，不得順覺無以修習。如來因行有所興問，希佛教益，令不迷無，乃不執有，知所離幻，成於順覺修習。

> この序文は、普賢菩薩が如来の修行に従って順覚を成就されることを明らかにしています。菩薩は衆生が迷い、無を執着せず有に執着することを悲しみ、有と無の両方を手放すことができない衆生は、順覚を得なければ修行を積むことができません。如来の修行に関して疑問が生じ、仏の教えを求めて利益を受け、迷いのない無を知り、有に執着せず、離れるべき幻を理解して、順覚を成就し修行することを願うのです。

二、序問周三。開二：一、序述儀音。開二：一、序問威儀。

> 二、序の問いを周さんに示す。二つに分ける。一、序で儀音を述べる。二つに分ける。一、序で威儀を問う。

普賢菩薩在大眾中即從座起，頂禮佛足，右遶三匝，長跪叉手而白佛言：

> 普賢菩薩が大衆の中で座を立ち、仏の足を頭で礼拝し、右に三度回り、ひざまずいて両手を合わせ、仏にこう申し上げました。

句釋準前。

> 意味を 解釈し、その前に準じて。

二、述請教益開二：一、請教所修開二：一、正問離幻。

> 二、教えを請い、利益を受けることを述べる。二つの部分に分かれる。一、教えを請う修行について述べる。二つの部分に分かれる。一、幻を離れることについて正しく問う。

大悲世尊！願為此會諸菩薩眾，及為末世一切眾生修大乘者，聞此圓覺清淨境界。云何修行？

> 大悲の世尊よ、どうかこの集まりの諸菩薩たちのため、そして末世のすべての衆生が大乗を修行する者のために、この円覚清浄の境界を聞いて、どのように修行すべきかをお示しください。

當文三句，正問離幻。大悲世尊一句，願為云云一句，聞此云云一句，例釋準前。圓覺清淨境界者，有無圓離，徧滿住持，十方隨順，如虗空性，常不動搖，無於起滅，知見云何？修行者，請決圓離有無，得於隨順修習。此句直問所修。

> ここに三つの文があります。これは正に「幻を離れる」ことについて問うものです。「大悲世尊」の一句は、「どうかお示しください」と願う一句です。「これを聞いて」という一句は、先の例に倣って解釈します。「円覚清浄境界」とは、有と無をどちらも離れ、全てに満ち渡り、十方に随順し、虚空の性質の如く、常に動かず、生滅もないものですが、それについての知見とはどのようなものでしょうか？修行者とは、有と無をともに離れた円覚についての決断を請い、随順して修習することを得ようとする者です。この句は、直接的に修行すべき対象を問うものです。

二、反彰離幻開二：初、幻滅難開二：一、設難同幻。

> 二、幻を離れることを反らに彰すことを開き、二つの段階に分ける。初めに、幻が滅することを難じ、二つの段階に開く。一に、幻と同じであると難を設ける。

世尊！若彼眾生知如幻者，身心亦幻，云何以幻還修於幻？

> 世尊よ、もしあの衆生が、すべては幻であると知る者であるならば、その身心もまた幻であります。どうして幻を用いて、さらに幻を修めることができるのでしょうか。

當文三句，設難同幻。世尊一句，若彼云云一句，云何云云一句。若彼眾生者，若，擬辭。知如幻者，者字即人字，言知如幻之人。如幻，指所緣境。身心亦幻者，言知幻人之身心，亦塵緣影像，無有實性。此句指身心同幻。云何者，疑問之辭。以幻者，以幻身心為能修性。還修於幻者，遠離如幻之妄境。此句彰疑幻不能離幻。伏請世尊開示離幻妄之身心，以成離幻。

> この文には三つの句があり、問いを立てて幻と同じであると難じている。世尊の一句、「若彼」云云という一句、「云何」云云という一句である。 「若彼衆生」の「若」は、仮定の言葉である。「知如幻者」の「者」の字はすなわち「人」の字であり、幻の如くであると知る人のことを言う。「如幻」とは、心がとらえる対象の境涯を指す。「身心亦幻」とは、幻であると知る人の身心もまた、塵（じん）と縁（えん）の影像であり、実の性（さが）はないことを言う。この句は、身心もまた幻であることを示す。 「云何」は、疑問を表す言葉である。「以幻者」とは、幻の身心をもって修める性質となすこと。「還修於幻」とは、幻のような誤った境涯から遠ざかること。この句は、幻をもってしては幻を離れることができないという疑いを示す。 伏してお願いします、世尊よ。幻なる誤った身心を離れる方法を開示してください。それによって幻を離れることを成就させたまえ。

二，設難同滅。

> 二、反論を立て、同じく消え去ること。

若諸幻性一切盡滅，則無有心，誰為修行？云何復說修行如幻？

> もし幻の性質がすべて消え尽きてしまえば、心も存在しないことになる。それでは、誰が修行をするというのか？また、なぜ修行も幻のようであると言うのか？

當文二句，設難同滅。若諸云云一句，云何云云一句。若諸幻性者，該指自他依正。一切盡滅者，幻性虗妄，非常住法。則無有心者，如幻之心，應同幻滅。誰為修行者，心為能修，既無於心，更誰為於修行？此句彰滅無修。云何復說修行如幻者，說修行如幻，則有於修行，此之修行，更屬誰為？此句彰修非滅。伏請世尊，開示諸幻盡滅，覺心不動，為所修法。合文上科，共成初難幻滅科竟。

> ここに二つの文がある。それは、疑いを提起して、両方を打ち消すものである。「若諸」から始まる一文と、「云何」から始まる一文である。 「若諸幻性」とは、自分と他人、依報と正報を含む、すべての幻のような性質を指す。「一切盡滅」とは、幻のような性質は虚妄であり、常住の法ではないことを意味する。「則無有心」とは、幻のような心は、幻とともに消滅すべきものである。「誰為修行」とは、心が修行の主体であるが、心がすでにないのであれば、誰が修行するというのか。この文は、滅尽すれば修行がないことを明らかにする。 「云何復說修行如幻」とは、修行が幻のようであると言うならば、修行があることになるが、この修行は、いったい誰がするものなのか。この文は、修行があるとすれば、それは消滅ではないことを示す。 どうか世尊よ、すべての幻が尽き滅びても、覚りの心は動じないということを、修行の学ぶべき法として示してください。この文は、前の文と合わせて、最初の「幻滅」の疑義を提示する章節を終えるものである。

次迷修難。

> 次に、迷いを修めるのは難しい。

若諸眾生本不修行，於生死中常居幻化，曾不了知如幻境界，令妄想心云何解脫？

> もしもすべての衆生が元々修行をせず、生死の流れの中で常に幻のようなものに住み、かつて幻の境界であることを悟らなかったならば、その妄想の心はどのようにして解脱できるのでしょうか？

當文二句，次迷修難。若諸云云一句，曾不云云一句。本不修行者，本，由也。由於迷妄，不務遠離諸幻境界。常居幻化者，輪轉因果，虗妄生滅，此句生死所由。曾不了知者，無所從有其了知。此以了知原始於心，既幻滅無心，即無所原，始得曾有其了知。如幻境界者，能所緣境。令妄想心者，能所緣心。云何解脫者，了知幻妄，則除攀緣，無所分別，息心達本，得乃解脫。既無了境幻妄之知，則逐境生心，益滋妄想，何能息滅？有其解脫，出所輪迴，此句解脫無因。伏請世尊開示離諸身心之得無所離，即除諸幻。前合初難幻滅科共成，反彰離幻科竟。在初疑難同幻非所修，同滅無所修。次疑難同輪由迷幻，以極彰顯諸幻妄法，定非在所修習者。伏請世尊開示離幻為順覺方便，順覺乃因地法行，是所修法。連合正問離幻科攝屬，請教所修科竟。

> ここに二つの文がある。次に、迷いを修行するのが難しいことを説く。「若諸」云々という一句と、「曾不」云々という一句である。「本不修行者」の「本」は「由」の意味である。迷妄に由って、諸々の幻の境界を遠離することを務めない。「常居幻化者」とは、因果の中を輪廻し、虚妄に生滅することをいう。この句は生死の所以である。「曾不了知者」とは、どこからともなく了知があるということである。これは了知が元々心から生じることを知る。すでに幻が滅すれば心はなく、すなわち元はないので、初めて「曾て了知あり」と言えるのである。「如幻境界者」とは、能縁と所縁の境である。「令妄想心者」とは、能縁と所縁の心である。「云何解脫者」とは、幻妄を了知すれば、攀縁を除き、分別するところがなく、心を息めて本源に達し、解脱を得るのである。すでに境が幻妄であると了知する智がなければ、境に随って心を生じ、益々妄想を滋養し、どうして息滅することができようか。解脱があり、輪廻を出離する、この句は解脱に因がないことを明かす。「伏請世尊開示離諸身心之得無所離」とは、すなわち諸幻を除くことである。前の初めの難問「幻は滅すれば修するところなし」の科と合わせて、反って「離幻」の科を彰明し終えたのである。初めの疑難は「同幻は修するところに非ず、同滅は修するところなし」であり、次の疑難は「同輪は迷幻に由る」ことであり、もって諸々の幻妄の法は、必ず修習するところに非ざることを極めて彰明したのである。「伏請世尊開示離幻為順覚方便」とは、順覚はすなわち因地の法行であり、これが修する所の法である。合わせて正問の「離幻」の科に連なり、教えを請いて修するところを問う科を終えたのである。

二，請益得離。

> 二、教えを請い、離れることを得る。

願為末世一切眾生，作何方便漸次修習，令諸眾生永離諸幻？

> 末世のすべての衆生のために、どのような方便を用いて、段階的に修行を積ませ、彼らが永遠にすべての幻覚から離れることができるようにすべきでしょうか？

當文二句，請益得離。願為云云一句，令諸云云一句。作何方便者，教之以修何法，成就離幻方便。漸次修習者，離於所離，離乃能離，緣塵幻垢，增進清淨。此句請有開示。永離諸幻者，不迷所修，隨順淨覺，得乃無離。此句結益得離。前合請教所修科，共成述請教益科竟。連合序問威儀科，攝屬序述儀音科竟。

> ここで述べられている二つの文は、悟りを得るための教えを請い求めるものです。「どうかその教えを説いてください」という一文と、「すべての人々のために」という一文です。「どのような方法を用いるべきか」とは、幻を離れる方法を成就するために、どのような修行をすべきかを教えていただくことを指します。「徐々に修行を積む」とは、離れるべきものを離れ、離れるという働きそのものも離れ、外界の対象や煩わしい塵の幻のような汚れから離れて、清らかさを増し進めていくことです。この一文について、さらなる教えを請い求めています。「すべての幻を永遠に離れる」とは、修行していることに迷わず、清らかな悟りの本質に従い、得るべきものを得て、もはや離れる必要がない境地を指します。この一文は、離れることの利益をまとめたものです。前半では修行の方法を請い求める部分をまとめ、これに続いて教えを請い求める利益の部分が完結しました。さらに、冒頭の礼儀作法の部分と合わせて、序説と儀礼の説明の全体が完結したことになります。

二，序結終始。

> 第二に、序文と結びをもって、全体の始まりと終わりを整えること。

作是語已，五體投地，如是三請，終而復始。

> このように申し上げた後、五体投地（ごたいとうち）して、このように三度お願いし、終わってはまた繰り返した。

句釋例前。前合序述儀音科，共成序問周三科竟。連合序問躡次科，入總序述菩薩興問科竟。

> 科判の説明に先立ち、まず序分・述儀音・科の構成を示す。これらを合わせて、序分・質問・周囲の三つの科が完成する。続いて序分と質問を結びつけ、次の科に進み、全体の序分・述・菩薩の興問の科が完了する。

二、序述世尊垂答開二：一、長行例示開二：初、序讚許開二：一、讚請教益開二：一、讚請所修。

> 二、釈尊がお答えになる順序を示す。二つの部分に分かれる。第一に、長行（散文）で例を示す。これも二つに分かれる。初めに、序説として、ほめ言葉とお許しの言葉を述べる。これも二つに分かれる。その初めに、請う者をほめ、教えの利益を述べる。これも二つに分かれる。その初めに、ほめて、修行の内容を請われることを示す。

爾時，世尊告普賢菩薩言：善哉，善哉！善男子！汝等乃能為諸菩薩及末世眾生，修習菩薩如幻三昧方便漸次。

> その時、世尊は普賢菩薩に告げられた。「善きかな、善きかな。善男子よ。あなたがたは、よくぞ諸の菩薩と末世の衆生のため、菩薩の幻のごとき三昧を修習する方便と漸次を問うた。」

當文三句讚請所修，通列二句汝等云云。一句如幻三昧者，知一切法如幻體性，則不迷輪得正住持。

> ここに三つの句をもって、修行の功徳を讃え請い求めます。まず二つの句を挙げて、「汝ら」と説きます。その一つは「如幻三昧」についてです。これは、すべての法が幻のようなものであると知ることで、その体性を悟り、迷いの輪廻に惑わされることなく、正しく安住し続けることを意味します。

二，讚益得離。

> 二、その功徳をたたえ、迷いから離れることを得る。

令諸眾生，得離諸幻。

當文一句讚益得，離合文上科共成。讚請教益科竟。

二、許答囑受。開二：一、囑令諦聽。

汝今諦聽，當為汝說。

句。釋例前。

二、受教默然。

時，普賢菩薩奉教歡喜，及諸大眾默然而聽。

句釋例。前合文上科，共成許答囑受科竟。前合讚請教益科，共成初序讚許科竟。

次述正答開二：一、示教所修開二：一、幻滅覺顯開二：一、示幻生滅開二：一、幻生因覺開二：初、標。

善男子！一切眾生種種幻化，皆生如來圓覺妙心。

當文二句：初、標。善男子！一句一切云云，一句皆生如來云云者，示幻生所因，顯幻滅所還，令不疑幻滅無心，迷於修習。

次喻。

猶如空華，從空而有。

當文一句，次喻空華雖從空有，然無裂空之空華。喻明幻化雖依覺生，無有動覺之幻化。合文上科，共成幻生。因覺科竟。

二、幻滅還覺開二：一、即喻顯空。

幻華雖滅，空性不壞。

當文一句，即喻顯空。空性不壞者，無有隨空華滅之虗空。

二，合喻彰覺。

眾生幻心，還依幻滅，諸幻盡滅，覺心不動。

當文二句合喻，彰覺眾生云云一句，諸幻云云一句。還依幻滅者，境生心生，境滅心滅。一切心生，由境幻生；一切心滅，由境幻滅。非別有依，何別有滅？此句合明上喻空華滅句。覺心不動者，諸幻生，非動覺生；諸幻滅，無動覺滅。此句合明上喻空性不壞句，以決幻性盡滅，無心修行之疑。合文上科，共成幻滅還覺科竟。前合幻生因覺科攝屬，示幻生滅科竟。

二、示覺隱顯開二：一、示覺由隱開二：一、隱成依幻。

依幻說覺，亦名為幻。

當文一句，隱成依幻。依幻說覺者，本幻影之身心生滅有無。說於覺性有無亦名為幻者，所說之覺，總屬妄覺生滅知見，故乃隨相生滅，乍有乍無，不得名覺，總名為幻。

二，釋明依幻。

若說有覺猶未離幻，說無覺者亦復如是。

當文二句，釋明依幻。若說云云一句，說無云云一句。若說有覺者本幻現之身心，說有覺知心性猶未離幻者，身心幻垢，總出無明妄計。今執身心說有覺性，豈不還依無明？此句有幻。說無覺者本幻滅之身心，說無覺知心性亦復如是者，如說有覺之未離幻，葢身心既屬無明，身心滅但是無明滅，何關於覺？今乃於身心滅說無於覺，豈不迷無明以當覺性？此則即是無明，故未離幻。此句無幻。合文上科，共成示覺由隱科竟。

二，示覺緣顯。

是故幻滅名為不動。

當文一句，示覺緣顯。是故者，依幻說覺，未得離幻之故。幻滅者，於幻無依，身心寂滅，忘諸能所，離於言說。名為不動者，能所清淨，言語道斷，即是實相住持。前合示覺由隱科，共成示覺隱顯科竟。連合示幻生滅科，攝屬幻滅覺顯科竟。答所請問之云何修行於圓覺境界者。

二、離幻除幻開二：一、標指應離開二：一、應離妄境。

善男子！一切菩薩及末世眾生，應當遠離一切幻化虗妄境界。

當文二句，應離妄境。善男子！一句一切云云，一句應當遠離者，應，宜也，決示修習在於離幻。一切幻化云云者，該指自他依正所有色法。

二、本離妄心開二。一、推本全一。

由堅執持遠離心故。

當文一句，推本全一。由者，本也。堅者，八識堅住，不變體性。執持者，八識含藏種子，受熏名目。遠離心者，七識不緣外境，無始時來，唯執八識體性為我。故者，與由字義相呼應，推明得遠離幻。由於八七全一，冥用不行，以故六識無依，不起分別，隨順圓照，遠離虗妄。

二、詳次離用開二：一、離能幻用開二：一、離六分別。

心如幻者，亦復遠離。

當文一句，離六分別心如幻者，六用意識分別妄心。亦復遠離者，六識逐境緣生，既知境性虗妄，斷攀緣想，末那歸於種位，即除對境分別，六識用冥，故乃遠離。

二，離七執我。

遠離為幻，亦復遠離。

當文一句，離七執我，遠離為幻者，七為六依，六離緣染。依七執內，自我緣念，真如成性，故七識即屬遠離心。然七識所內執我，屬八見分，無自體性，故名為幻。亦復遠離者，七緣六，八為相。六離緣染，無於幻相。七離外種半分末那，內種半分末那所有執心，亦漸虗明，故乃遠離。合文上科，共成離能幻用科竟。

二、離所幻用開二：一、離八妄性。

離遠離幻，亦復遠離。

當文一句，離八妄性。離遠離幻者，言離於遠離之幻，以八識妄性屬根本無明，非同七識依他。又性唯無覆，心具徧行，於善惡染淨因緣平等無違拒，非同七識不緣外境一類，執八識見分為內自我。又八識同五現量，不同七識非量，種種各別，故與遠離七識異住。為離幻者，八識妄性迷心相有，心相清淨迷有為妄，無體依住安立相分，故云幻。亦復遠離者，所妄生於八識，能妄由七強執，無七強執八即無，於轉現相、智相續相無所資熏，滋妄種性，故乃遠離。

二，離性清淨。

得無所離，即除諸幻。

當文一句，離性清淨，得無所離者，斷本無明，住自覺性，照境不二，即除諸幻者，無二能所，見相冥寂，顯發清淨，得無離性。合文上科，共成離所幻用科竟。前合離能幻用科攝屬詳。次離用科竟。以識乃有為性，屬生滅法，故云用。連合推本全一科，管於本離妄心科竟。接合應離妄境科，該在標指應離科竟。

二、喻顯得離開二：初、喻。

譬如鑽火，兩木相因，火出木盡，灰飛烟滅。

當文二句，初喻譬如鑽火一句，兩木云云一句。初句立喻，次詳喻。鑽火喻應離幻境，兩木相因喻八七冥，一火出喻離六分別，木盡喻離七我執，灰飛喻離八妄性，烟滅喻離性清淨。此中喻意，漸次法因火從木出，猶六依七根，故火喻六、木喻七。灰雖木燼成本土質，猶七冥性歸種八識，故灰喻八。烟本火出猶諸幻，以分別見生，故烟喻諸幻。然常情法必烟先滅後乃灰飛，今言灰飛烟滅者，以灰存即土留礙，有土留礙則木依根，有木依根即火存熾，有火存熾烟何得滅？故必灰飛始得烟滅，方足喻當離性清淨。以離性清淨者，離於離性則乃清淨。離性是灰飛義，清淨是烟滅義。

後合。

以幻修幻，亦復如是。諸幻雖盡，不入斷滅。

當文二句，後合以幻云云一句，諸幻云云一句。以幻合喻兩木相因。修幻及亦復如是，合喻火出木盡，灰飛烟滅。此句合明諸幻雖盡云云。此句結顯以離幻除幻，得乃淨覺常住，故不入於斷滅。葢堅執持遠離心，是以幻。離諸妄境妄心，是修幻。合文上科共成，喻顯得離科竟。前合標指應離科，攝屬離幻除幻科竟。答所請問，云何以幻之諸疑難者，連合幻滅覺顯科，管於示教所修科竟。

二，示益得離。

善男子！知幻即離，不作方便；離幻即覺，亦無漸次。一切菩薩及末世眾生依此修行，如是乃能永離諸幻。

當文四句，示益得離。善男子！一句知幻云云，一句離幻云云，一句一切云云。一句知幻即離者，幻體無明，知性覺照，不相對立。不作方便者，決定知，即決定離。若有未離，還由未知。葢以幻從無明立，知破無明性，幻無依立，故乃即離。無功用行，不別有其方便。此句決之，務知於幻，以離於幻，不須外覓方便。答：請作何方便之問。離幻即覺者，幻無體性，迷覺建立。不迷於覺，斯離於幻。既離於幻，原住自覺。何不即覺，亦無漸次者，全幻全覺，無二住地。彼離此即，不異境界。故乃即離即即，無於漸次。若未即覺，還未離幻。此句決之，務離於幻，以即於覺，不須外覓漸次修習。答：請漸次修習之問。依此者，依於離知即覺之為修行。如是者，得能離知即覺以為修行。乃能云云者，則能離幻清淨，得入正覺，平等住持。此句決修離幻。前合示教所修科入總長行列示科竟。

二、重頌總挈。開二：一、序欲重宣。

爾時，世尊欲重宣此義，而說偈言：

例釋準前。

二、述說偈言。開二：一、挈旨所修。開二：一、挈旨幻滅覺顯。開二：一、挈旨幻生因覺。

普賢汝當知， 一切諸眾生， 無始幻無明，皆從諸如來， 圓覺心建立， 猶如虗空華。依空而有相。

二、挈旨幻滅還覺。

空華若復滅， 虗空本不動。 幻從諸覺生，幻滅覺圓滿， 覺心不動故。

二、挈旨離幻。除幻開二：一、挈旨標指應離。

若彼諸菩薩， 及末世眾生， 常應遠離幻，諸幻悉皆離。

二，挈旨喻顯得離。

如木中生火， 木盡火還滅。

二，挈旨得離。

覺即無漸次， 方便亦如是。

方便亦如是者，離即無方便也。重頌文竟。前合長行共成序述世尊垂答科竟。連合序述菩薩興問科，攝屬決疑離幻科竟。言決疑者，以菩薩問，意在請決圓覺境界云何修行，於幻垢身心申所疑難，見諸幻妄非所修所。世尊答教，幻滅覺顯，乃為決所修行。