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title: "無量壽經起信論 · 積植德行第八"
description: "清代彭际清所著《無量壽經起信論》是净土宗重要注疏之一。作者以华严与净土融合的视角，阐释《无量寿经》深义，涵盖弥陀愿海、极乐庄严、往生正因等核心教理。此书立足于清代佛教复兴背景，融通性相二宗，强调信愿行三资粮，为净土修行提供系统理论依据。在汉传佛教中具有崇高地位，被誉为净土经典研究的关键论著，至今仍为学修者所重。"
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### 積植德行第八

> 積植徳行 第八

阿難！法藏比丘於其佛所，諸天魔梵龍神八部大眾之中，發斯宏誓。建此願已，一向專志莊嚴妙土，所修佛國開廓廣大超勝獨妙，建立常然無衰無變，於不可思議兆載永劫，積植菩薩無量德行，不生欲覺瞋覺害覺，不起欲想瞋想害想，不著色聲香味觸法，忍力成就不計眾苦，少欲知足無染恚癡，三昧常寂智慧無礙，無有虗偽諂曲之心，和顏愛語先意承問，勇猛精進志願無倦，專求清白之法以慧利羣生，恭敬三寶奉事師長，以大莊嚴具足眾行，令諸眾生功德成就，住空無相無願之法，無作無起觀法如化，遠離麤言自害害彼彼此俱害，修習善語自利利人人我兼利，棄國捐王絕去財色，自行六波羅蜜教人令行，無央數劫積功累德，隨其生處在意所欲，無量寶藏自然發應，教化安立無數眾生，住於無上正真之道，或為長者居士豪姓尊貴，或為剎利國君轉輪聖帝，或為六欲天主乃至梵王，常以四事供養恭敬一切諸佛，如是功德不可稱說。口氣香潔如優󰊇羅華，身諸毛孔出栴檀香，其香普熏無量世界，容色端正相好殊妙，其手常出無盡之寶，衣服飲食珍妙華香，繒葢幢幡莊嚴之具，如是等事超諸天人，於一切法而得自在。

> 阿難よ、法蔵比丘はその仏の御前において、天・魔・梵・龍・神・八部の大衆の中にあって、この大いなる誓いを立てられたのである。この誓いを建て終えられてからは、ひたすら心を一つのことに集中し、殊勝な浄土を荘厳することに専念された。修行によって成就される仏国は、広大で限りがなく、他のいかなるものよりも優れ、独り優れた妙を備え、永遠に安らかで、衰えることも変わることもない。計り知れない長い永劫の間、菩薩の無量の功徳を積み育てられ、欲望の思い、怒りの思い、害そうとする思いを生じることがなく、欲望の考え、怒りの考え、害そうとする考えも起こされなかった。色・声・香・味・触・法に執着せず、忍耐の力を成し遂げ、数々の苦しみを気に掛けず、欲が少なく満ち足りることを知り、汚れや怒りや愚かさに染まることがなかった。三昧は常に静かで、智慧は何ものにも妨げられることがなく、偽りやへつらいの心はなく、和やかな顔つきで慈しみの言葉をかけ、相手の心を先んじて汲み取り、勇ましく精進して、志と願いは倦むことがなかった。ひたすら清らかな教えを求め、智慧をもって多くの人々を利益し、三宝を敬い、師や長上に仕え、大きな荘厳をもってあらゆる行いを満たし、すべての衆生に功徳が成就するようにされた。空・無相・無願の教えに安住し、作為なく、起こることなく、すべての現象を幻のように観じ、粗野な言葉は遠く離れ、自らを害し他を害し、互いに害するようなことは一切されず、善い言葉を身につけて、自らも益し他も益し、人も我も共に利益されるようにされた。国を捨て、王位を捨て、財産や色欲を絶たれ、自ら六波羅蜜を実践し、他の人々にも行うよう教えられた。数え切れない劫の間、功徳を積み重ねられ、生まれるところはどこでも心のままに、無量の宝蔵が自然に現れ出た。数え切れない衆生を教化し安立して、この上ない正しい道に住まわせられた。あるいは長者や居士、高貴な家柄の尊い方となり、あるいは刹利の国の王や転輪聖帝となり、あるいは六欲天の天主、さらには梵王ともなって、常に四つの事柄をもってすべての諸仏に供養し敬われた。このような功徳は言葉に尽くしがたい。その口の香りは清らかで優鉢羅華のようであり、身の毛穴からは栴檀の香りが放たれ、その香りは無量の世界に広く薫じた。容色は端正で、相好は特に優れて殊勝であり、その手からは常に尽きることのない宝が現れ、衣服や飲食は珍しく妙で華やかに香り、絹の蓋や幢幡、荘厳の具など、これらの事柄はすべて天人のものを超え、あらゆる教えにおいて自在を得られたのである。

右明法藏以無量心，發無量願，起無量行，無不一一稱真如法界。眾生無量，國土無量，菩薩隨順眾生，經不可說不可說那由他劫，入不可說不可說恒河沙佛土，悉以無量行海而嚴淨之。所以者何？以法界本無量故。如是嚴淨無量佛土，度脫無量眾生，而實無佛土可嚴，亦無眾生可度。所以者何？以法界即非法界故。故云：以大莊嚴具足眾行。又云：住空、無相、無願之法，無作無起，觀法如化。斯則悲智雙融，理事無礙，故能於一切法而得自在。一向出生菩薩經：佛言：我念過去廣大無量無邊阿僧祇劫，有佛號寶功德威宿劫王。彼佛將入涅槃，為眾廣說法本陀羅尼。時有輪王，名曰持火。王有太子，名曰不思議勝功德。生年十六，從彼如來聞是法本，即於七萬歲中精勤修習，未曾睡眠，亦不偃側，端坐一處，不貪財寶及以王位，不樂自身得值九十億百千那由他佛，諸佛說法盡能聞持修習，厭家薙髮而作沙門。作已，復於九萬歲中修習此陀羅尼，復為眾生分別顯示，一生之中力精教化，令八十億百千那由他眾生得發道心，積功累德至不退地。爾時不思議勝功德比丘豈異人乎？即阿彌陀如來是也。此明法藏所修本行，足與經文互證。一生尚爾，多生可知；一劫尚爾，多劫可知。

> ここに、法蔵（阿弥陀仏の因地の名）が無量の心をもって、無量の願を発し、無量の行を起こす。その一つ一つが、ことごとく真如法界にかなわないものはない。衆生も無量、国土も無量であるが、菩薩は衆生にしたがって、説くこともできないほどの那由他劫のあいだ、説くこともできないほどの恒河沙の仏土に入り、ことごとく無量の行の海をもって、その国土を荘厳し清めるのである。なぜか。法界がもともと無量であるからである。このように無量の仏土を荘厳し清め、無量の衆生を救い度するが、実際には、荘厳すべき仏土もなく、度すべき衆生もないのである。なぜか。法界はすなわち法界にあらざるものだからである。それゆえに「大いなる荘厳をもって、もろもろの行を具足す」といい、また「空・無相・無願の法に住して、作もなく起もなく、法の化のごときを観ず」というのである。これはすなわち、悲と智がともに融けあい、理と事が障りなく、それゆえに一切法において自在を得ることができるのである。 『一向出生菩薩経』にいう。仏の仰せには、「我れ、過去の広大無量無辺の阿僧祇劫を憶念す。そのとき宝功徳威宿劫王という仏がおられた。その仏はまさに涅槃に入らんとして、衆生のために広く法本陀羅尼を説かれた。そのとき、持火という名の輪王があった。王に太子があり、不思議勝功徳と名づけられた。生まれて十六歳にして、その如来よりこの法本を聞き、すなわち七万歳のあいだ、精進して修習し、いまだかつて睡眠せず、また横たわることもなく、端座して一処にあり、財宝や王位を貪らず、自身の命を愛楽せずして、九十億百千那由他の仏に値遇し、諸仏の説法をことごとく聞き持し修習し、家を厭いて髪を剃り、沙門となった。その後、また九万歳のあいだこの陀羅尼を修習し、さらに衆生のために分別して示し、一生のうちに力を尽くして教化し、八十億百千那由他の衆生をして道心を発せしめ、功徳を積み重ねて不退転の地に至らしめた。そのときの不思議勝功徳比丘は、どうして他人であろうか。すなわち阿弥陀如来である」と。 これは法蔵の修めたところの本行を示し、まさに経文と互いに証し合うものである。一生がすでにこのようであるならば、多生もまた知るべきである。一劫がすでにこのようであるならば、多劫もまた知るべきである。