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title: "禪林類聚 · 家風"
description: "禅林类聚由元代临济宗僧人道泰编集，是一部重要的禅宗语录类编著作。该书成书于元代，系统汇集了唐宋以来禅宗诸祖师的机缘语录、公案偈颂，并依内容分门别类。其内容涵盖参禅方法、心性讨论及修行要旨，反映了禅宗思想的精髓与传承。作为禅宗典籍的重要集成，它不仅保留了珍贵的禅门文献，更为后世学人提供了参究的指南，在佛教禅宗史上具有承前启后的重要地位，是研究禅宗思想和历史的重要依据。"
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### 家風

> 家風

大隋真禪師。僧問如何是和尚家風。師云赤土𦘕簸箕。云未審此理如何。師云。簸箕有脣。米跳不出。

> 大隋の真禅師のもとに、ある僧が問うた。「和尚様の家風とはどのようなものでしょうか？」 師、答えて言う。「赤土で簸箕（ひき）を描くようなものだ。」 僧、問う。「その意味するところは、いったいどのようなものでしょうか？」 師、答えて言う。「簸箕には縁（ふち）があるので、米は跳び出せないのだ。」

南堂靜頌云。赤土𦘕簸箕。團團無縫罅。佛眼󳬇不見。海神不知價。簸土揚塵無處尋。山高海闊白雲深。　應庵華云。簸箕有唇。米跳不出。天下衲僧赤𩨘𩪸。更須撥轉上頭關。十方世界黑似漆。

> 南堂静の頌に曰く、 赤土で描いた箕（み）は、 まるくて、どこにも隙間がない。 仏の眼にも見えず、 海神も値段を知らない。 土をまき散らし塵をあげても、探す場所はない。 山は高く海は広く、白雲は深い。 応庵華の頌に曰く、 箕には縁（ふち）がある。 米粒は逃げ出せない。 天下の僧侶たちは、裸足で立ち尽くす。 さらに上にある関所を押し通さねばならない。 十方の世界は漆のように真っ暗だ。

韶山普禪師。僧問如何是和尚家風。師云。絕頂無根草。無風葉自搖。

> 韶山普禅師のもとに、ある僧が問うた。「和尚の家風とは、どのようなものでしょうか？」 師、答えて言う。「絶頂に根なき草、風なくとも葉はおのずから揺れる。」

丹霞淳頌云。妙峯孤頂偏肥膩。天產靈苗不觸地。翠葉無風常自搖。清香那逐春光媚。

> 丹霞淳禅師の頌に曰く、 妙峯の孤頂は偏に肥膩なり。 天産の霊苗、地に触れず。 翠葉は風無くして常に自ずから揺れ、 清香は春光を逐うて媚びることなし。

育王山通禪師。僧問如何是和尚家風。師云渾身不直五文錢。云太貧寒生。師云古代如此。云如何施設。師云隨家豐儉。

> 育王山の通禅師のもとに、僧が問うた。「和尚の家風はいかがですか。」 師、答えて言う、「この全身、五文銭の値打ちもない。」 僧、言う、「あまりに貧しく寒々としております。」 師、言う、「昔からこういうものだ。」 僧、言う、「では、どのように振る舞われるのですか。」 師、言う、「その家の豊かさや質素さに従うまでだ。」

丹霞淳頌云。祖代家風沒一文。清貧中是更清貧。著衣喫飯飯隨豐儉。物物頭頭用最親。

> 丹霞淳禅師の頌に曰く、 「祖代の家風、一文も無し。 清貧の中に、更に清貧あり。 衣を著、飯を喫する、豊かに従い儉しく従い、 物々頭々、用いること最も親し。」

雲門偃禪師。僧問如何是和尚家風。師云門外讀書人報來。

> 雲門偃禅師のもとに、ある僧が問うた。「和尚の家風とはどのようなものでしょうか？」 師は答えた。「門外で本を読んでいる人が、知らせてくれるだろう。」

徑山杲云。讀書人已在這裏。且作麼生與伊相見。乃顧視左右云。不是冤家不聚頭。

> 径山杲が言った。「書を読む人は、すでにここにいます。では、どのようにして彼と向き合うべきでしょうか。」そこで左右を見回して言った。「因縁のない者は、出会うことがない。」

智門祚頌云。叢林在處有家風。且與雲門事不同。門外若有讀書者。任是顏回亦不通。　佛慧泉云。讀書人到切須看。無絃難遇知音者。端的家風說與君。沒階趨進翼如也。

> 智門の祚が頌で言った。 「叢林には、それぞれの場所に家風がある。 しかし、これは雲門のやり方とは異なる。 門の外に、もし書を読む者がいても、 たとえ顔回のような賢者であっても、理解することはできない。」 佛慧の泉が言った。 「書を読む者よ、よくよく見極めなければならない。 弦のない琴は、その音を知る者に出会うことが難しい。 確かな家風を、あなたに説いて示そう。 階段もなく進みゆく様は、翼を広げたがごとくである。」

同安丕禪師。僧問如何是和尚家風。師云。金雞抱子歸霄漢。玉兔懷胎入紫微。云忽遇客來將何祗待。師云。金果早朝猿摘去。玉花晚後鳳𭊷來。

> 同安丕禅師に、ある僧が問うた。「和尚の家風（教えの流儀・日常のあり方）とはどのようなものですか？」 師が答えられた。 「金色の雄鳥が子を抱いて天の川へ帰り、 玉のような月の兎は子を宿して、紫微（天の中心）へと入っていくのだ。」 僧がさらに問うた。「もし突然、客人（求道者）が訪ねてきたら、どのようにおもてなしされるのですか？」 師が答えられた。 「金色の果実は早朝に猿が摘み取り、 玉のような花は夕方遅くに鳳凰が運んでくるのだ。」

圓悟勤云。峭措不妨峭措。風流且是風流。偏正五位君臣。言中不妨諦當。雖然如是。曹洞門下光前絕後。臨濟宗風豈容回互。若有人問蔣山。如何是和尚家風。對他道開口見膽。忽遇客來如何祗待。跳底金剛圈。吞底栗棘蓬。　微庵勤云。廣福即不然。有問如何是和尚家風。只向道翠竹叢邊歌欵乃。碧巖深處臥煙蘿。忽遇客來將何祗待。沒底藍兒盛白月。無心盌子貯清風。　徑山杲云。同安家風不妨奇恠。徑山家風又且不然。或有問如何是和尚家風。即向他道齋時一鉢和羅飯。禪道是非都不知。忽遇客來將何祗待。蒸餅䬪飥。

> 圓悟勤が言った。「峭措（しょうそ）はまさに峭措。風流はなおのこと風流。偏正五位や君臣の教えは、言葉の中にしっかりと真実が込められている。とはいえ、曹洞門下は古を超え、後の世にも類を見ない。臨済宗の風は、どうしてごまかしを許すものか。もし誰かが蔣山に問うて『和尚の家風はいかがですか』と言ったなら、『口を開けば肝が見える』と答えよ。ところが、もし客が来たならどう迎えるのか？跳び越えるのは金剛の輪、飲み込むのは栗棘の蓬だ。」 微庵勤が言った。「広福はそうではない。もし『和尚の家風はいかがですか』と問われれば、『翠竹のほとりで歌う欸乃（あいたい）、碧岩の奥で煙蘿（えんら）に臥す』と答えよう。客が来たなら何でもてなすのか？底なき籃（かご）に白月を盛り、無心の碗（わん）に清風をたくわえる。」 徑山杲が言った。「同安の家風は確かに奇抜だ。だが徑山の家風はまた別だ。もし誰かが『和尚の家風はいかがですか』と問えば、『斎の時は一鉢の和羅飯（からはん）、禅道も是非も知らぬまま』と答えよう。客が来たなら何でもてなすのか？蒸し餅（むしもち）や托t'uo（たく）だ。」

丹霞淳頌云。日午煙凝山突屼。夜央天淡月嬋娟。混然寂照寒宵永。明暗圓融未兆前。

> 丹霞淳禅師の頌に曰く、 「真昼の煙、山々に立ちこめて、 夜半の空、淡く澄みわたる月、美しく照る。 混然一体として静かに照らす、長き冬の夜。 明暗が一つとなる、その兆しが現れる前。」

石門蘊禪師。僧問如何是和尚家風。師云。物外獨騎千里象。萬年松下擊金鐘。

> 石門蘊禅師のもとに、ある僧が問うた。「和尚の家風とはどのようなものでしょうか？」 師、答えて曰く、「物の外に、独りで千里の象にまたがり、万年の松の下で金の鐘を打つ。」 （現代的解釈：師は、世俗を超えた自由闊達な境地──あらゆるわずらわしさから離れて、悠然と大いなる力を操り、永遠の静けさの中で真実の響きを打ち鳴らすような生き方─を、象徴的な言葉で示したのである。）

丹霞淳頌云。夜明簾外月󳬿朧。騎象翻身擊寶鐘。洪韻上騰三界外。聾夫何事睡猶濃。

> 丹霞淳禅師の頌にこうある。 「夜明けの簾の外、月は朧なるかな。 象に騎りて身を翻し、宝鐘を撃つ。 その洪韻は三界の外にまで上りゆくに、 聾の夫は何とて、なお深く眠るのか。」

大陽玄禪師。僧問如何是和尚家風。師云。滿瓶傾不出。大地沒飢人。

> 大陽玄禅師のもとに、ある僧が問いかけた。「和尚の家風とは、どのようなものでしょうか？」 師は答えた。「満ちた瓶からは、一滴も注ぎ出せない。しかし、大地には飢えた人はいない。」

丹霞淳頌云。荊山美玉何須辨。赤水玄珠不用拈。罔象無心黃帝重。卞和有智楚王嫌。

> 丹霞淳禅師の頌に曰く、 「荊山の美玉、何ぞ弁ずるを須いん。 赤水の玄珠、拈ずるを用いず。 罔象、無心にして黄帝これを重んじ、 卞和、智ありて楚王これに嫌う。」

## 禪林類聚卷第七

> 禅林類聚 巻第七