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title: "禪林類聚 · 經教"
description: "禅林类聚由元代临济宗僧人道泰编集，是一部重要的禅宗语录类编著作。该书成书于元代，系统汇集了唐宋以来禅宗诸祖师的机缘语录、公案偈颂，并依内容分门别类。其内容涵盖参禅方法、心性讨论及修行要旨，反映了禅宗思想的精髓与传承。作为禅宗典籍的重要集成，它不仅保留了珍贵的禅门文献，更为后世学人提供了参究的指南，在佛教禅宗史上具有承前启后的重要地位，是研究禅宗思想和历史的重要依据。"
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### 經教

> 経典の教え

世尊滅後。諸聖弟子於畢鉢巖中結集法藏。阿難既陞座。形儀與佛無殊。大眾遂生三疑。一疑阿難成佛。二疑佛再現身。三疑他方佛化。阿難唱云。如是我聞。眾疑皆息。

> 世尊が亡くなられた後、聖なる弟子たちは畢鉢巖（ひつぱつがん）の中で法の教えを結集しました。阿難が座に上がると、その姿は仏とまったく変わらなかったため、集まった人々の間に三つの疑いが生じました。一つは阿難が仏になったのではないか。二つは仏が再び姿を現したのではないか。三つは他方の仏が現れたのではないか。そこで阿難が「如是我聞（かくのごとく私は聞きました）」と唱えると、人々の疑いはすべて消えました。

五祖演云。當時若有箇漢出眾云。大眾依而行之。各自散去。免見滿藏琅函攪人腸肚。然雖如是。猶未勦絕在。何也。阿難道如是我聞。白雲也道如是我聞。若道當時是。重古輕今。若道即今是。重今輕古。要會麼。優曇花不開。跡絕無香氣。

> 五祖演和尚はこう言われた。その場に一人でも、「皆さん、そのまま実践して、それぞれお帰りなさい」と言える者がいたなら、膨大な経典の山に人々の心がかき乱されることもなかっただろうに。しかし、そうは言っても、まだ完全に片付いたわけではない。なぜか。阿難も「如是我聞」と言い、白雲も「如是我聞」と言う。もし昔の者が正しいと言えば、古を重んじて今を軽んじることになる。もし今の者が正しいと言えば、今を重んじて古を軽んじることになる。わかるか。優曇花は咲かず、その跡も絶えて香りもない。

經首題󳯓字。

> 経典の冒頭の題字。

地藏琛。僧問。以字不成。八字不是。未審是甚麼字。琛云看取下註脚。　披雲寂因僧問。寂以頌答云。以字不成八不是。森羅萬象此中明。直饒巧說千般妙。不是謳歌不是經。

> 地蔵琛（じぞうちん）。ある僧が尋ねた。「『以』の字は成らず、『八』の字でもない。いったいこれは何という字でしょうか。」琛は答えた。「下の註脚を見てごらん。」 披雲寂（ひうんじゃく）のところに僧が尋ねた。寂は頌（じゅ）で答えた。 「以の字は成らず、八でもない。森羅万象はここに明らか。たとえ巧みに千通りの妙を説いても、それは謳歌でもなく、経でもない。」

羅漢南頌云。以字不成八字非。滿琅函載絕毫氂。看經到此須開眼。玉軸分明兩畔題。　雲居祐云。我佛金言義海深。開遮唯要悟真心。首標妙在當頭劄。密使泥牛曉夜吟。　地藏恩云。拈起題。摸不著。却看下頭註脚。了知字義炳然。大藏潛通廣略。徑山杲云。以字不成八字非。爍迦羅眼不能窺。一毛頭上重拈出。忿怒那吒失却威。　覺範洪云。以字不成。八字不是。法身睡著無遮閉。衲僧對面不知名。百萬人前呼不起。

> 羅漢南の頌に云く、字を以て成らず八字に非ず。満琅函に載するも毫氂を絶つ。経を看て此に到れば須らく眼を開くべし。玉軸分明に両畔に題す。 雲居祐云く、我が仏の金言、義海深し。開遮は唯だ真心を悟るを要とす。首標の妙は当頭の劄に在り。密かに泥牛をして暁夜に吟ぜしむ。 地蔵恩云く、題を拈起すれば摸著す可からず。却って下頭の註脚を見れば、字義の炳然たることを了知す。大蔵は潜かに広略に通ず。 径山杲云く、字を以て成らず八字に非ず。爍迦羅眼も覗ふこと能わず。一毛頭の上に重ねて拈出せば、忿怒の那吒も威を失却す。 覚範洪云く、字を以て成らず、八字に非ず。法身睡著して遮閉無し。衲僧面対するも名を知らず。百万人の前にして呼び起すこと能わず。

楞嚴經云。佛告阿難云。吾不見時。何不見吾不見之處。若見不見。自然非彼不見之相。若不見吾不見之地。自然非物。云何非汝。

> 楞厳経にこうあります。仏は阿難に告げて言われました。「私が見ていないとき、なぜ私が見ていないところを見ないのか。もし見ていないものを見るなら、それは自然に、あの見ていない相ではない。もし私が見ていないところを見ないのなら、それは自然に物ではない。どうしてそれがあなたでないことがあろうか。」

雪竇顯頌云。全象全牛意不殊。從來作者共名模。如今要見瞿曇老。剎剎塵塵在半途。　佛心才云。雲収空闊天如水。月載姮娥四海流。慚愧牛郎癡愛叟。一心猶在鵲橋頭。　佛鑑懃云。說離百非存軌則。言無一法尚筌󱇮。毗耶默默曾緘口。摩竭寥寥鎮掩扉。　白雲端云。堂前露柱久懷胎。長下孩兒頗俊哉。未解語言先作賦。一操直取狀元來。湛堂準云。老胡徹底老婆心。為阿難陀意轉深。韓幹馬嘶芳草渡。載嵩牛臥綠楊陰。

> 雪竇顕の頌に云く。全象全牛、意殊なることなし。従来の作者、共に名模す。如今、瞿曇老を見んと要せば、刹刹塵塵、半途に在り。　仏心才云く。雲収まり空闊として天は水の如し。月は姮娥を載せて四海に流る。慚愧す、牛郎と痴愛の叟。一心なお鵲橋の頭に在り。　仏鑑懃云く。離を説き百非を離れて軌則を存し、一法も無しと言うも尚筌に止まる。毗耶は黙黙として曾て口を緘じ、摩竭は寥寥として鎮に扉を掩ず。　白雲端云く。堂前の露柱、久しく胎を懐く。長く下せる孩児、頗る俊なり哉。未だ語言を解せずして先ず賦を作る。一操、直ちに状元を取る。湛堂準云く。老胡、徹底的に老婆心あり。阿難陀が為に意、転た深し。韓幹が馬、芳草の渡りに嘶き、載嵩が牛、緑楊の陰に臥す。

楞嚴經。佛謂阿難曰。若能轉物。即同如來。

> 楞厳経。仏は阿難に言われた。もし物を転じることができれば、すなわち如来と同じである。

白雲端頌云。若能轉物即如來。春暖山花處處開。自有一雙窮相手。不曾容易舞三臺。　真如喆云。若能轉物即如來。處處門開見善財。花柳巷中呈舞戲。九衢承醉臥樓臺。　佛心才云。毛吞巨海。芥納須彌。乾坤大地直下同歸。一氣不言含有象。萬靈何處謝無私。　徑山杲云。若能轉物。即同如來。咄哉瞿曇。誑謼癡獃。

> 白雲端の頌にいう。「もし物を転じることができれば、すなわち如来である。春は暖かく山の花はいたるところに咲く。自ら一双の貧乏人の手を持ち、たやすく三台を舞ったことはない」。 真如喆がいう。「もし物を転じることができれば、すなわち如来である。いたるところに門が開き善財を見る。花柳の巷で舞の戯れを披露し、大通りの酒に酔って楼台に臥す」。 仏心才がいう。「毛が巨海を呑み、芥が須弥を納める。乾坤大地はまっすぐに同じく帰する。一気は言わずして象を含む。万物はどこで無私に感謝するのか」。 径山杲がいう。「もし物を転じることができれば、すなわち如来と同じである。ああ瞿曇よ、痴れ者をたぶらかすな」。

楞嚴經。佛謂阿難云。見見之時。見非是見。見猶離見。見不能及。

> 楞厳経。仏は阿難にこうおっしゃいました。「見るということが見られるとき、その見る働きは、もはや普通の見ることではない。見る働きは、見られるものを離れている。見る働きは、見られるものでは捉えきれない。」

鼓山珪頌云。拄杖頭邊無孔竅。大千沙界猶嫌少。毗婆尸佛早留心。直至而今不得妙。　海印信云。見不及處。江山滿目。不覩纖毫。花紅柳綠。白雲出沒本無心。江海滔滔豈盈縮。　徑山杲云。春至自開花。秋來還落葉。黃面老瞿曇。休搖三寸舌。

> 鼓山珪の頌に云く、杖の先には穴も窪みもない。三千大千の世界さえまだ少ないと感じる。毗婆尸仏は早くから心に留めていたが、今に至るまでその妙を得られない。 海印信に云く、見えないところには、山川が目の前に広がっている。わずかな塵も見えず、花は紅く柳は緑。白雲は出たり消えたり、もともと心がない。江海は滔々と流れ、増えも減りもしない。 径山杲に云く、春が来れば自然に花が咲き、秋が来ればまた葉が落ちる。黄色い顔の老瞿曇よ、三寸の舌を振り回すのはやめなさい。

楞伽經云。五法。三自性。二種無我。

> 楞伽経にはこう説かれています。五つの法、三つの自性、二つの無我。

鼓山珪頌云。破缾豈復作缾事。焦種不應上蘗芽。如彼虗空槃大子。毛輪垂髮翳開花。　徑山杲云。陝府鐵牛白癩。嘉州大象耳聵。兩箇病痛一般。咄哉漆桶不快。

> 鼓山の珪が頌して言う。「割れた瓶が再び瓶として用をなすことなどあろうか。焦げた種から芽が出るはずもない。それはあたかも、虚空に盤の大きな子がいるかのようであり、毛輪や垂髪が目を覆い、花が開くのを見るようなものだ。」 径山の杲が言う。「陝府の鉄牛は白い癩病にかかり、嘉州の大象は耳が聞こえない。二つの病はまったく同じだ。ああ、漆桶め、なんと鈍いことか。」

楞嚴經。七處徵心。

> 楞厳経。七つの場所で心を問いただす。

東林顏頌云。七處徵心欵便成。推窮尋逐案分明。都緣家賊難防備。撥亂乾坤見太平。

> 東林顔頌に云く、七処心を徴する欵い便ち成る。推窮尋逐して案分明なり。都て家賊防備し難きに縁る。乾坤を撥乱して太平を見る。

楞嚴經。八還辨見。

> 楞厳経。八還弁見。

東林顏頌云。明暗色空不可還。不可還者絕躋攀。夾截虗空成畔岸。一重水隔一重山。

> 東林の顔頌にこうある。明と暗、色と空はもとへ返せない。もとへ返せないものは、登ることもすがることもできない。虚空をはさみ切って岸辺とする。一重の水が一重の山を隔てている。

楞嚴經。富樓那問佛。清淨本然云何忽生山河大地。

> 楞厳経。富楼那が仏に問いました。「清らかで本来そのままであるはずのものが、どうして突然、山河や大地を生み出したのでしょうか。」

琅瑯覺云。山僧即不然。清淨本然云何忽生山河大地。　薦福信云。先行不到。末後太過。　五祖演云。金屑雖貴。落眼成翳。　佛眼遠云。既生山河大地。如何得復清淨本然。既復清淨本然。云何却見山河大地。大眾。如何即是。良久云。水自竹邊流去冷。風從花裏過來香。好大奇歸堂。

> 琅瑯の覚禅師はこう言った。「山僧はそうは見ない。清浄本然であるのに、どうして突然山河大地が生じるのか。」 薦福の信禅師はこう言った。「先を行く者は届かず、後から来る者は行き過ぎる。」 五祖の演禅師はこう言った。「金の屑は貴いといえども、目に入れば翳となる。」 仏眼の遠禅師はこう言った。「すでに山河大地が生じたならば、どうやって再び清浄本然に戻れるのか。すでに清浄本然に戻ったならば、どうして山河大地が見えるのか。大衆よ、どうすればよいのか。」 しばらくして言われた。「水は竹の辺りから流れて冷たく、風は花の中から吹いて香しい。なんと素晴らしいことか。堂に帰りなさい。」

白雲端頌云。混混玲瓏無背面。拈起有時成兩片。且從依舊却相當。免被傍人來󳬇見。　佛鑑懃云。因風吹火徒為妙。借手行拳未足多。清淨本然隨口道。忽生大地與山河。　大洪遂云。當明不犯體全彰。進步剛然要論量。妍醜只因逢古鏡。回頭滿面負慚惶。　天童覺云。見有不有。翻手覆手。琅瑘山裏人。不落瞿曇後。　東林顏云。清淨本然徧法界。山河大地即皆現。性覺必明認影明。眼耳便隨聲色轉。

> 白雲端の頌に云く。混混玲瓏として背面無し。拈起すれば有時は両片と成る。且く従りて依舊に却つて相当たれ。傍人の来たり見ることを免れん。仏鑑懃に云く。風に因つて火を吹くは徒に妙たり。手を借りて拳を行ずるは未だ多しとせず。清浄本然は口に随つて道う。忽ち大地と山河とを生ず。大洪遂に云く。当明は体を犯さず全彰たり。進歩剛然として要らず論量せん。妍醜は只だ古鏡に逢うに因る。頭を回らせば満面に慚惶を負う。天童覚に云く。見有れば有らず。手を翻し手を覆す。琅瑘山裏の人。瞿曇の後を落ちず。東林顔に云く。清浄本然は法界に徧し。山河大地即ち皆現ず。性覚は必ず明らかなりと影明を認む。眼耳便ち声色に随つて転ず。

圓覺經。佛謂清淨慧菩薩曰。居一切時不起妄念。於諸妄心亦不息滅。住妄想境不加了知。於無了知不辨真實。

> 円覚経。仏は清浄慧菩薩に告げて言われた。「すべての時に妄念を起こさず、もろもろの妄心をもまた滅ぼそうとしない。妄想の境にとどまっても、そこに分別の心を加えず、分別のないところにおいても、真実かどうかを論じない。」

黃龍心頌云。黃花漠漠。翠竹󱸡󱸡。嶺南地暖。塞北地寒。遊人去後無消息。留得溪山到老看。　鼓山珪云。舉手攀南斗。翻身倚北辰。出頭天外看。誰是我般人。　天童覺云。巍巍堂堂。磊磊落落。閙處刺頭。穩處下脚。脚下線斷我自由。鼻端泥盡君休斷。莫動著。千年故紙中合藥。　徑山杲云。荷葉團團團似鏡。菱角尖尖尖似錐。風吹柳絮毛毬走。雨打梨花蛺蝶飛。　正堂辯云。張果老踏破葫蘆。呂洞賓失却寶劒。兩箇撒手相逢。囊篋更無一線。何僊姑鐵笛橫吹。解道長江淨如練。

> 黄龍心の頌に云く。黄の花は漠漠として、翠の竹はざわざわと。嶺南の地は暖かく、塞北の地は寒い。遊人（修行者）は去った後、消息もない。ただ溪山だけが残り、老いるまで眺められる。 鼓山珪の云く。手を挙げて南斗を攀じ、身を翻して北辰に倚る。天の外に頭を出して見る。誰か我のような人はいるか。 天童覚の云く。巍巍堂堂として、磊磊落落と。賑やかな所にも刺さるように現れ、落ち着いた所に足を下ろす。足元の線が切れて我は自由。鼻先の泥が尽きたら君は断つな。動かすな。千年の古い紙の中で薬を調合する。 徑山杲の云く。荷葉は団団として鏡のように丸く、菱角は尖尖として錐のように尖る。風が柳絮を吹けば毛毬が転がり、雨が梨花を打てば蛺蝶が飛ぶ。 正堂辯の云く。張果老は葫芦を踏み破り、呂洞賓は宝剣を失った。二人が手を放して出会えば、囊も箱も一本の線もない。何僊姑は鉄の笛を横に吹き、長江の清らかで白絹のようだと歌う。

維摩經云。其施汝者不名福田。供養汝者墮三惡道。

> 維摩経にはこう説かれています。「あなたに施しをする者は、福徳の田（功徳を生む田んぼ）とは言えない。あなたを供養する者は、三つの悪い世界（三悪道）に堕ちてしまう」と。

松源岳云。還見維摩心肝五臟麼。移花兼蝶至。買石得雲饒。

> 松源岳雲、還って維摩の心肝五臓を見るか。花を移せば蝶も共に至り、石を買えば雲も得て饒し。

保寧勇頌云。無邊無際休斟酌。潮去潮來本自平。清濁淺深并苦淡。一般滋味逈分明。　徑山杲云。獨坐許誰知。青山對落暉。花須連夜發。不待曉風吹。　鼓山珪云。入林不動草。入水不動波。鑊湯無冷處。合眼跳黃河。

> 保寧勇の頌に云く。無辺無際、斟酌すること休めよ。潮去り潮来るも本より自ずから平らかなり。清濁浅深ならびに苦淡、一般の滋味はるかに分明なり。径山杲云く。独坐、誰か知ること許さん。青山、落暉に対す。花は須らく連夜に発くべし。暁風の吹くを待たず。鼓山珪云く。林に入りて草を動かさず。水に入りて波を動かさず。鑊湯に冷ゆる処無し。眼を合せて黃河を跳ぶ。

維摩經云。不斷煩惱而得涅槃。

> 維摩経にはこう説かれています。「煩悩を断ち切ることなくして、涅槃を得る」と。

白雲端頌云。朝生暮死千萬徧。一日幾回相見面。展陣開旗放出來。一指動時客戲見。

> 白雲端の頌に云く。朝に生まれ暮に死ぬること千萬遍。一日に幾度か顔を合わせる。陣を展べ旗を開いて放ち出せば、一指動く時、客戯れに見る。

維摩經云。觀身實相。觀佛亦然。

> 維摩経にはこう説かれています。「自分の体の真実の姿を観るように、仏をもそのように観るのです。」

或庵體頌云。眼空四海恣縱橫。鼻孔遼天信脚行。拏得電光為火把。却來日午打三更。

> または庵の体頌に云く。眼は四海に空しくして縦横に恣にし、鼻孔は天に遼かにして脚に信せて行く。電光を拏得して火把と為し、却って来って日午に三更を打つ。

法華經云。大通智勝佛。十劫坐道場。佛法不現前。不得成佛道。

> 法華経にこう説かれています。「大通智勝仏は、十劫の間、道場に座って修行されたが、仏法が現れることがなく、仏の道を成し遂げることはできなかった。」

白雲端云。直饒得現前。也未得成佛道。何謂如此。欲得不招無間業。莫謗如來正法輪。　應庵華云。衲僧門下却較些子。且和泥合水一句作麼生道。一朝權在手。看取令行時。

> 白雲端禅師はこう言われた。「たとえ悟りの境地が目の前に現れたとしても、それだけではまだ仏の道を成し遂げたことにはならない。なぜそうなのか。無間地獄の業を招きたくなければ、如来の正しい法の輪をそしってはならない。」 応庵華禅師はこう言われた。「禅僧の門下では、むしろ少しばかり勝っている。さて、泥にまみれ水に溶け合う一句をどう説こうか。ひとたび権を手にしたならば、令の行われる時を見よ。」

保寧勇頌云。三際斷時凡聖盡。十身圓處剎塵周。無私應物隨高下。未過僧祇大劫修。　鼓山珪云。種穀不生豆苗。蒸砂豈能成飯。大通智勝如來。一箇擔板底漢。　徑山杲云。宴坐道場經十劫。一一從頭俱漏泄。世間多少守株人。掉棒擬打天邊月。

> 保寧勇の頌に云く。三際断ずる時、凡聖尽く。十身円かなる処、刹塵周し。無私に物に応じて高下に随う。未だ僧祇大劫の修を過ぎず。鼓山珪云く。穀を種えて豆苗生ぜず。砂を蒸して豈に飯を成すを得んや。大通智勝如来、一箇の担板の漢。径山杲云く。道場に宴坐して十劫を経る。一一頭より倶に漏泄す。世間に多少の守株の人。棒を掉って天辺の月を打たんと擬す。

金剛經云。一切賢聖皆以無為法而有差別。

> 金剛経にこう説かれています。「すべての賢者や聖なる人々は、無為の法によって違いが生まれるのです」と。

應庵華云。應庵也著一隻眼。東弗于逮。西瞿耶尼。南贍部洲。北鬱單越。到處去來。不如在此。

> 応庵華がこう言いました。「応庵も一つの目を持っている。東の弗于逮、西の瞿耶尼、南の贍部洲、北の鬱単越。どこへでも行き来するが、ここにいるには及ばない。」

保寧勇頌云。仁者見之謂之仁。智者見之謂之智。寒時向火熱乘凉。健即經行困打睡。困打睡。仰面看天。開口取氣。　覺海元云。一金成萬器。皆用匠者智。何必毗耶城。人人說不二。

> 保寧勇の頌にこうあります。「仁者はこれを見て仁と言い、智者はこれを見て智と言う。寒いときは火に当たり、暑いときは涼をとる。元気なときは歩き、疲れたら眠る。疲れて眠るときは、天を仰いで口を開けて息をする」と。 覚海元はこう言います。「一つの金から多くの器ができる。みな工匠の知恵によるものだ。どうしてわざわざ毘耶城で、誰もが不二を説く必要があろうか」と。

金剛經云。若為人輕賤。是人先世罪業應墮惡道。以今世人輕賤故。先世罪業即為消滅。

> 金剛経にこう説かれています。もし人が軽んじられ蔑まれるなら、その人は前世の罪の業によって本来なら悪い世界に堕ちるはずであった。しかし、今の世で人に軽んじられ蔑まれることで、前世の罪の業は消え去るのです。

雲居膺云。動即應墮惡道。靜即為人輕賤。　崇壽稠云。心外有法。應墮惡道。守住自己。為人輕賤。雪竇顯頌云。明珠在掌。有功者賞。胡漢不來。全無伎倆。伎倆既無。波旬失途。瞿曇瞿曇。識我也無。復云。勘破了也。　白雲端云。水不洗水誰不知。旋嵐常靜太驅馳。千年曆日如能筭。免被巡官掌上推。無盡居士云。四序炎凉去復還。聖凡只在剎那間。前人罪業今人賤。倒却前人罪業山。　天童覺云。綴綴功過。膠膠因果。鏡外狂奔演若多。杖頭擊著破竈墮。竈墮破。來相賀。却道從前孤負我。

> 雲居の膺が言った。「動けばすぐに悪道に堕ちる。静かなら人に軽んじられる」。崇寿の稠が言った。「心の外に法があるとすれば、悪道に堕ちる。自分を守り通せば、人に軽んじられる」。雪竇の顕の頌に言う。「明珠は掌の中にあり、功ある者は賞される。胡も漢も来なければ、まったく技倆がない。技倆がなければ、波旬も道に迷う。釈迦よ釈迦よ、私を見分けることもできない」。また言う。「見破ってしまった」。白雲の端が言う。「水が水を洗わぬことを誰が知らないだろう。旋嵐が常に静かとは、あまりに走り回ることだ。千年の暦を計算できれば、巡官に掌で押されることもあるまい」。無尽居士が言う。「四季の暑さ寒さは去ってはまた戻る。聖も凡もただ刹那の間にある。前の人の罪業を今の人が軽んじる。前の人の罪業の山を倒してしまえ」。天童の覚が言う。「こまごまと功過を綴り、ねばねばと因果に絡む。鏡の外を狂奔する演若多。杖の先で打ち当てる破竈堕。竈が堕ちれば、皆が祝いに来る。それなのに、これまでは私を裏切っていたと言う」。

金剛經云。收衣鉢。洗足已。敷座而坐。

> 金剛経に云く。衣鉢を収め、足を洗い終えて、座を設けて坐られた。

水庵一頌云。食訖跏趺坐石牀。斗間劒氣燭天光。幾多業識茫茫者。衲被蒙頭在醉鄉。

> 水庵の一頌に云く。食訖われば跏趺して石牀に坐す。斗間の剣気、天光を燭す。幾多の業識茫茫たる者、衲被もて頭を蒙りて酔郷に在り。

金剛經云。於是中無實無虗。

> 金剛経にはこう説かれています。「そこで示されているものには、実体もなく、虚ろなものでもない」と。

佛慧泉頌云。菩提無實亦無虗。幾箇男兒是丈夫。丹穴不歸金鸑鷟。碧潭空浸玉蟾蜍。

> 仏慧泉の頌にこうあります。菩提に実体はなく、また虚ろでもない。幾人かの男児が真の丈夫である。丹穴に帰らない金の鸑鷟、碧潭に空しく浸る玉の蟾蜍。

金剛經云。過去心不可得。現在心不可得。未來心不可得。

> 金剛経にこう説かれています。「過去の心はつかまえられない。現在の心もつかまえられない。未来の心もつかまえられない。」

或庵體頌云。三清道士無僊骨。八教闍黎毀梵書。黑漆崑崙舞華鼓。天親無著暗嗟吁。

> ある庵の偈にこうあります。「三清の道士には仙骨がない。八教の闍黎は梵書を謗る。黒漆の崑崙が華鼓を舞わせれば、天親も無著もひそかに嘆息する。」

文殊所說般若經云。清淨行者不入涅槃。破戒比丘不入地獄。

> 文殊の説いた般若経にはこうあります。「清らかな行いをする者は涅槃に入らず、戒を破った僧は地獄に落ちない」と。

祖印明頌云。養就家欄水牯牛。自歸自去有來由。而今穩臥深雲裏。秦不管兮漢不收。　保寧勇云。平生踈逸無拘檢。酒肆茶坊信意遊。漢地不收秦不管。又騎驢子過揚州。　徑山杲云。壁上安燈盞。堂前置酒臺。悶來打三盞。何處得愁來。　鼓山珪云。鵠白烏本玄。松直棘自曲。清淨比丘僧。却須入地獄。

> 祖印明の頌に云く。家の欄に水牯牛を養い育てれば、自ら帰り自ら去り、来由がある。今は深い雲の中に穩やかに臥している。秦も管せず、漢も收めない。 保寧勇の云く。平生は疎逸で拘検がなく、酒肆や茶坊を信意に遊ぶ。漢地も收めず、秦も管せず。また驢子に騎って揚州を過ぎる。 徑山杲の云く。壁の上に燈盞を安んじ、堂の前に酒臺を置く。悶え來れば三盞を打つ。何れの處にか愁いを得ん。 鼓山珪の云く。鵠は白く烏は本より玄し。松は直く棘は自ら曲がる。清淨の比丘僧は、却って地獄に入らねばならぬ。

華嚴經云。我今普見一切眾生。具有如來智惠德相。但以妄想執著而不證得。

> 華厳経にこう説かれています。「私は今、すべての生きとし生けるものが、如来の智慧と功徳の姿をそなえているのを広く見渡している。しかし、妄想と執着のために、それを悟り得ることができないのだ。」

天童覺頌云。天盖地載。成團成塊。周法界而無邊。扸隣虗而無內。及盡玄微。誰分向背。佛祖來償口業債。問取南泉王老師。人人只喫一莖菜。

> 天童覚の頌に云く。天は蓋い地は載せ、団を成し塊を成す。法界に周ねくして辺無く、隣虚を扸ちて内無し。玄微を尽くして、誰か向背を分かつ。佛祖来たりて口業の債を償う。問え、南泉王老師に取りて。人人ただ一茎の菜を喫す。

栢巖禪師。僧問如何是教。師云貝葉收不盡。

> 栢巖禅師にある僧が「教えとは何ですか」と尋ねました。師は「貝葉（経典の葉）にも書き尽くせないものだ」と答えました。

丹霞淳頌云。四十九年成露布。五千餘軸盡言詮。妙明一句威音外。折角泥牛雪裏眠。

> 丹霞淳禅師の頌にこうあります。 四十九年の説法はすべて露布となり、 五千余巻の経典はことごとく言葉の説明にすぎない。 妙明の一句は威音王の外にあり、 角の折れた泥牛は雪の中で眠る。

洛浦安禪師。僧問如何是一大藏教收不得者。師云。雨滋三草秀。片玉本來輝。

> 洛浦安禅師に、ある僧が尋ねた。「一大蔵教でも収めきれないものとは何でしょうか」。師は答えた。「雨が三草を潤して美しく育てる。一片の玉はもともと輝いている」。

投子青頌云。畢鉢巖花曉帶春。香風時結鷲峯層。須知玉像鉼中塔。別有輝天照地燈。

> 投子青の頌に云く。畢鉢巖の花は暁に春を帯び、香風は時に鷲峰の層を結ぶ。須く知るべし、玉像の鉼中の塔、別に天を輝かし地を照らす灯あり。

同安丕禪師。僧問。依經解義三世佛冤。離經一字即同魔說。此理如何。師云。孤峯逈秀不掛煙蘿。片月橫空白雲自異。

> 同安の丕（ひ）禅師に、ある僧が尋ねた。「経典に依ってその意味を解すれば、三世の仏の冤（あだ）となる。経典の一字を離れれば、すなわち魔の説と同じである。この理はどうでしょうか。」 師は言った。「孤峰ははるかに秀（ひい）でて、煙る蔦（つた）も掛からない。一片の月が空に横たわれば、白雲はおのずから異なっている。」

丹霞淳頌云。雲自高飛水自流。海天空闊漾孤舟。夜深不向蘆灣宿。迥出中間與兩頭。

> 丹霞淳禅師の頌にこうあります。雲は自ら高く飛び、水は自ら流れる。海と空は広く開け、一艘の小舟が漂う。夜が更けても葦の入り江には泊まらない。中道と両端をはるかに超えていく。

首山念禪師。僧問。一切諸佛皆從此經出。如何是此經。師云低聲低聲。云如何受持。師云不污染。

> 首山念禅師。ある僧が尋ねた。「すべての仏はこの経典から出たといいます。この経典とは何でしょうか」。師は言った。「声を低く、声を低く」。僧が「では、どうやって受け持てばよいのでしょうか」と言うと、師は答えた。「汚さないことだ」。

投子青頌云。水出崑崙山起雲。釣人漁父昧來因。只知洪浪巖巒闊。不肯拋絲棄斧聲。

> 投子の青による頌にこうあります。「水は崑崙の山から流れ出て雲が立ちのぼる。釣り人や漁師はその由来を知らない。ただ広大な波と切り立った岩ばかりを見て、糸を投げ捨て斧の音を絶とうとはしない」と。

洞山聦禪師云。一大藏教是箇之字。

> 洞山聡禅師はこう言いました。「一大蔵教は、ただの『之』という一字にすぎない。」

白雲端頌云。點畫分明無道理。老胡幾度提不起。不如分付王將軍。無限風流歸手裡。

> 白雲端の頌にこうあります。 点画は分明なれども道理は無し。 老胡は幾度か提げ起せず。 いっそ王将軍に分付せん。 無限の風流、手の裡に帰す。

洞山詮禪師。僧問。經云清淨行者不入涅槃。破戒比丘不入地獄時如何。師云。度盡無遺影。還他越涅槃。

> 洞山詮禅師に、ある僧が尋ねた。「経典には、清らかな行いをする者は涅槃に入らない、戒を破った比丘は地獄に落ちないと説かれています。これはどういうことでしょうか」。師は答えた。「すべてを救い尽くして、その姿も残らない。それこそが涅槃を超えているのだ」。

丹霞淳頌云。相好巍巍大丈夫。一生無智恰如愚。從來佛祖猶難望。地獄天堂豈可拘。

> 丹霞の淳による頌にこうあります。「姿かたちは立派で雄々しい大丈夫。しかし生涯、知恵がなく、まるで愚か者のようだ。昔から仏や祖師でさえ見上げるばかり。地獄や天国など、どうしてとらえられようか。」

法眼益禪師。僧問。承教有言。從無住本立一切法。如何是無住本。師云。形興未質。名起未名。

> 法眼益禅師に、ある僧が尋ねた。「教えに、『無住を根本として、すべての法が成り立つ』とあります。無住の根本とは何でしょうか。」師は答えた。「形は生じても、まだ実体はない。名は起こっても、まだ名づけられていない。」

天童覺頌云。沒蹤跡。斷消息。白雲無根。清風何色。散乾蓋而非心。持坤輿而有力。洞千古之淵源。造萬像之模則。剎塵道會也。處處普賢。樓閣門開也。頭頭彌勒。

> 天童覚の頌にこうあります。 「跡形もなく、消息も絶えた。 白雲には根がなく、清風には色もない。 天蓋を散らしても心ではなく、大地を支える力がある。 千古の淵源を見通し、万物の模範を形作る。 塵の数ほどの道が集まる場では、どこにいても普賢菩薩。 楼閣の門が開けば、至るところに弥勒菩薩。」