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title: "大乘中觀釋論 · 觀聖諦品第二十四"
description: "大乘中觀釋論由古印度安慧菩薩造，宋代譯經僧惟淨等人漢譯，涵蓋第十至十八卷。該論屬中觀派重要釋經著作，以般若空性思想為核心，闡釋緣起性空、二諦圓融等教義，破斥邊見，彰顯中道實相。其內容深融唯識與中觀學說，反映瑜伽行中觀派的理論特色。作為大乘佛教論藏瑰寶，該論對漢傳佛教義學發展影響深遠，為研究中觀學派與唯識學交融的重要文獻。"
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### 觀聖諦品第二十四之一

復次有自部人說是頌言。

若一切法空 無生亦無滅以無生滅故 四聖諦亦無

> もしすべてのものが「空」であるならば、 生じることもなく、滅することもない。 生じることも滅することもないのならば、 四つの聖なる真理も存在しないことになる。

釋曰彼意所說以法空故如石女兒此若無者即有過失此中云何生法無體謂集諦無體故云何滅無體苦諦無體故若苦集無體滅亦無體滅無體故向滅道諦而亦無體是故頌言。

> 解説しよう。彼（ある宗派の教え）が言うには、「すべての現象は本来空であるから、石の娘（実在しないもの）のようなものである。もしこれ（現象の実体）が存在しないならば、過失が生じる。」と。 では、ここで言う「生ずる法に本体がない」とはどういうことか。それは、「集諦（苦しみの原因）に実体がない」ということである。では、「滅（苦しみの消滅）に実体がない」とはどういうことか。それは、「苦諦（苦しみの真実）に実体がない」ということである。もし苦諦と集諦に実体がなければ、滅諦にも実体はない。滅諦に実体がないならば、滅諦へと導く道諦にも実体がないことになる。だからこそ、

若知及若斷 修證等作用如是四聖諦 無體即不有

> もし知ることや断つこと、 修行や悟りの働きなどを、 このように四つの聖なる真理として捉えても、 それらには実体がなく、存在しないのである。

釋曰若苦等聖諦皆無體者即知苦斷集證滅修道而悉不有。

> 解説します。苦しみなどの聖なる真理（四聖諦）に実体がないのであれば、苦しみを知り、その原因を断ち、消滅を体得し、道を修めることも、すべて存在しないことになります。

復次頌言。

> さらに、この詩句はこう述べられています。

四聖諦若無 即無四聖果苦等諦若無 亦無向果者

> 四つの聖なる真理（四聖諦）がなければ、四つの聖なる果報（四聖果）も存在しません。 苦しみなどの真理がなければ、その真理に向かって修行し果報を得る人もいないのです。

釋曰四聖果者謂湏陀洹等果彼果無故無住果者湏陀洹等四是住果人無住果故亦無四向。

> 解説します。四つの聖なる果とは、須陀洹（すだおん）などの果報のことです。しかし、それらの果報は実在しないため、「住果（じゅか）」という状態もありません。須陀洹などは四つの修行段階にある人のことであり、「住果」がないのですから、四つの「向（こう）」も存在しないことになります。

復次頌言。

> さらに、次のように説かれている。

若無八聖人 是即無僧寶若無四聖諦 亦即無法寶

> もし八聖人がいなければ、すなわち僧宝は存在しません。 もし四聖諦がいなければ、すなわち法宝も存在しないのです。

釋曰以無向果及住果者亦無和合僧寶可有以無因待故方便道不成又離四聖諦即無法寶。

> 解説しよう。無向果（修行の結果を目指す者）と住果（すでに結果に安住する者）がいなければ、和合の僧宝も存在しえない。 なぜなら、それらがなければ「因」も「縁」も存在せず、修行の道（方便道）は成就しないからだ。 さらに、四つの聖なる真理（四聖諦）がなければ、法宝もありえない。

故下頌言。

> そこで、次の偈（うた）が説かれています。

若無法僧寶 云何當有佛若如汝所說 是即破三寶

> もし僧伽（僧の宝）がいなければ、どうして仏（仏の宝）がありえましょう。 あなたの言う通りだとすれば、それは三宝（仏・法・僧）を否定することになります。

釋曰能覺所覺若無體故亦無有佛次復云何。

> 解説します。「能覚」と「所覚」には本質的な実体がないため、「仏」もまた存在しないことになります。では、次にどのように考えるべきでしょうか。

故下頌言。

> そこで、次のような偈（げ）が説かれています。

若因果體空 即無法非法世俗諸所行 亦破一切法

> もし因果の本質が空であるならば、 「法」も「非」も存在しないことになる。 世間で行われている様々な実践行も、 あらゆる教えを否定することになる。

論者言此如是等汝說皆非彼諸法性即是空性空若不有破諸所成若或執著諸法皆空又即世閒若法非法一切所作果體法用耕植等事世俗所行皆悉破故。

> 論者が言うには、「あなたが述べたこれらの説はすべて正しくない。あらゆる法の本質は、まさに空性である。空性が存在しなければ、あらゆる成立は破壊されてしまう。あるいは諸法はすべて空であると執着すれば、世の中の善法・悪法、すべての行為や因果の仕組み、耕作などの世俗的な営みまでも、すべて破壊してしまうことになる。」

故下頌言。

> そこで、次の偈（うた）が説かれています。

諸法無自體 有執非道理此中佛所說 空故有行相

> あらゆる現象には実体がなく、 それに執着するのは道理に反する。 ここで仏が説いたように、 すべては空であるからこそ、様々な姿や働きが現れるのである。

釋曰不應如是破於空義所言空義者此中所謂空所緣義離色相故而能息滅一切戲論以無分別智說諸行相煩惱生等最勝解脫如是空義證成中道遠離二邊是中亦非所緣相應又復勝義諦中諸法皆空離二邊故諸說行相煩惱所知障等皆是空義彼世俗諦色等無體。

復次頌言。

> さらに、この詩句はこう述べられています。

諸佛依二諦 為眾生說法一是世俗諦 二是勝義諦

> すべての仏陀は、世俗諦と勝義諦という二つの真理に基づいて、人々のために法を説かれます。 第一に世俗諦、第二に勝義諦です。

釋曰世俗諦者所謂世閒言說如說色等生住滅故又如說言提婆達多來去沒囉賀摩達多解脫此等世閒言說不虛此即說彼是名世俗諦法如世假聚等法先無體故勝義諦中相似有性有體無體皆是世俗言說分別無始已來世相續故亦無少分假聚法等色體可說本來無體亦無色法次第相續色法無體故即是破散而彼色法若其無體即破散者是故非彼勝義諦相所言勝義諦者如前所說不隨他緣息諸戲論無戲論故即無分別無種種性此真實相名勝義諦又勝義諦者謂諸法因皆如實住此說名諦又勝義諦者謂境界智於勝義諦中相應和合又勝義諦者有彼勝義而能隨順無生等法宣說聞思修所成慧又勝義諦者能為勝義遮遣一切顛倒因故。

復次頌言。

若人不了知 二諦差別法彼不解真實 甚深佛法義

釋曰謂於法等執意深重難解諸佛甚深法義不能於其無分別智所行境界有所起時與無生滅相應於此無體境界雖有所得然復與彼非境界相而共和合作是說言世俗生等諸法皆無起如是執執此一切皆是空者此等所計不解諸佛依世俗說持戒修定隨順諸法有生住滅若謂勝義諦中如是種法計為有者彼即不解真實之義何以故謂諸佛世尊依止二諦宣說諸法。

如前頌言。

若不依世俗 即不說勝義不得勝義故 即不證涅槃

釋曰勝義諦中超越一切語言境界若復遮遣世俗諦中一切物體此即亦復不證勝義謂以勝義諦中方便宣說有世俗諦是故今此依勝義諦宣說世俗諸有行相。

復次有外人言諸物體皆空謂見諸蘊自體空故或即蘊有空或異蘊有空或蘊中有空。

論者言汝如是見皆增上慢不正見故以此惡見壞於空義如是亦能於無分別慧命作諸障難云何壞邪。

故頌遣言。

呪師法不成 不善攝蛇毒惡見壞於空 其義亦如是

釋曰呪法不成自害其命空見亦然此中所說如下頌言。

故諸佛世尊 不欲為說法眾生不能解 以法為非法於甚深空義 而實不能入以如是因故 不壞復云何

復次頌言。

汝謂我著空 不空亦不有以空不有故 不應生毀責

釋曰著空之過還歸於汝若他所計自體有成者非正理門皆是計執成斷空故是故諸法自體無性亦非有空勝義諦中自體無性故此復云何。

故下頌言。

以有空義故 一切法得成若不有空者 一切法不成

釋曰一切法者謂世出世閒諸所有法勝義諦中有體無體皆離自性譬如幻士有為法中生滅對待四聖諦等一切皆成世俗法中亦非有滅此等諸義如前廣說。

復次頌言。

汝今自有過 而返謂我有譬如乘馬人 自忘其所乘

釋曰如此中說一切無生皆悉空故應如是解諸說亦然。

復次頌言。

汝若見諸法 皆有自體者法若非因緣 還成汝自見

釋曰若見諸法有自體時即緣無對待此復云何。

故下頌言。

因果有定性 作作者亦然乃至生滅等 汝悉破果法

釋曰此即因緣二無對待而可得故如空花等諸法無體自性空故於中起相自生怖畏若離怖者其復云何。

故下頌言。

若從因緣生 諸法即無體緣亦是假名 非一異可有

釋曰勝義諦中緣即非緣於無生中自生怖畏但依世俗而有所成是中亦無自體可生所見皆空勝義諦中離自性故諸有施設世出世閒所成諸法但為世閒假有所得若中道義生即無生是中亦無二邊可離若如是解即因緣法亦定有因然本無生自性空故是中亦無生法可有設使勤勞施設所成皆如兔角體不有故此即證成中道之義離二邊故是故當知諸法自體一切有生皆非道理若或執彼無自性者亦非道理若謂諸法非因緣生即彼自性定無所作或謂無所作者即彼諸法時處力能決定不有以無差別故或謂諸法常有自體此亦不然。

故下頌言。

若不從緣生 無少法可有由從緣生故 彼皆如幻士

釋曰此中意者無自性故今此若謂諸法常有自體可得還成過失。

故下頌言。

若一切不空 無生亦無滅以無生滅故 四聖諦亦無

釋曰若生滅無體此復云何。

故下頌言。

若不從緣生 云何當有苦無常是苦義 彼體無所有

釋曰何所以邪無所得故。

復次頌言。

苦體若不有 云何當有集是故若無集 此即破於空

釋曰彼法自體因無對待滅亦無體。

復次頌言。

苦若有定性 自性無所作自體若有著 此即破於滅

釋曰云何定住法中有滅可成。

復次頌言。

道若有定性 修即不可得道若是可修 定性無所有

釋曰諸法若於彼善法中有所生起有即無常然彼諸法若有自體即無所得諸法亦無生法可成謂以生法無自體故亦不離所修。

復次頌言。

若彼苦與集 及滅無所有而滅苦道諦 云何當可得

復次頌言。

若苦法不生 滅法云何有苦自體無知 彼法復云何

釋曰若苦自體不隨知者是即不能了知苦諦作者自體亦隨住故。

## 大乘中觀釋論卷第十六

甲辰歲高麗國大藏都監奉𠡠彫造