---
title: "道德經（老子河上公注） · 益謙第二十二"
description: "道德经是春秋时期老子所著的哲学经典，河上公注本是汉代河上公所作的权威注释版本。该书产生于先秦思想百家争鸣的背景下，以道为核心概念，阐述无为而治、道法自然的哲学思想，包含宇宙观、治国方略与修身智慧。河上公注本通过经世致用的解读，使深奥经义更易传播，虽非佛教典籍，但其清静无为的思想与佛教般若空观形成哲学对话，在大乘佛教中国化过程中成为重要的文化参照，为汉传佛教吸收本土思想提供了理论桥梁。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmg365r2j000ol5047n951g2v"
---

### 益謙

> 謙虚に。

曲則全，曲己從眾，不自專，則全其身也。枉則直，枉，屈己而伸人，久久自得直也。窪則盈，地窪下，水流之；人謙下，德歸之。敝則新，自受弊薄，後己先人，天下敬之，久久自新也。少則得，自受取少則得多也，天道祐謙，神明託虛。多則惑。財多者，惑於所守，學多者，惑於所聞。是以聖人抱一為天下式。抱，守也。式，法也。聖人守一，乃知萬事，故能為天下法式也。不自見故明，聖人不以其目視千里之外也，乃因天下之目以視，故能明達也。不自是故彰，聖人不自以為是而非人，故能彰顯於世。不自伐故有功，伐，取也。聖人德化流行，不自取其美，故有功於天下。不自矜故長。矜，大也。聖人不自貴大，故能久不危。夫惟不爭，故天下莫能與之爭。此言天下賢與不肖，無能與不爭者爭也。古之所謂曲則全者，豈虛言哉。傳古言，曲從則全身，此言非虛妄也。誠全而歸之。誠，實也。能行曲從者，實其肌體，歸之於父母，無有傷害也。

> 曲がれば、かえって全うされる。<note>自分を曲げて人に従い、自分勝手にしないなら、その身を全うすることができる。</note> 曲げれば、かえって真っ直ぐになる。<note>自分を曲げて人を伸ばせば、長い間には自然と真っ直ぐになるものだ。</note> 窪んでいれば、かえって満たされる。<note>地面が窪んでいれば、水が流れ込む。人が謙虚であれば、徳が集まってくる。</note> 古びていれば、かえって新しくなる。<note>自分が損を引き受け、自分より先に他人を立てるなら、天下の人が敬い、長い間には自然と新しくなる。</note> 少なければ、かえって得るものがある。<note>自分が取るものを少なくすれば、得るものはかえって多くなる。天道は謙虚な者を助け、神明は虚ろな心に宿る。</note> 多ければ、かえって惑う。<note>財産が多い者は、それを守ることに惑い、学問が多い者は、その見聞に惑う。</note> それゆえ聖人は「一」を抱いて、天下の規範とする。<note>抱とは守ることであり、式とは規範のことである。聖人は「一」を守ることで、すべてのことを知ることができるので、天下の規範となることができるのだ。</note> 自分から見せようとしないから、かえって明らかになる。<note>聖人は自分の目で千里の彼方を見るのではなく、天下の人々の目を借りて見るからこそ、明らかに通じるのである。</note> 自分が正しいとしないから、かえって顕われる。<note>聖人は自分が正しくて人が間違っているとは思わないからこそ、世の中に顕われることができるのだ。</note> 自分を誇らないから、かえって功績がある。<note>伐は取ることである。聖人は徳をもって人々を教化しても、自分の手柄にしないからこそ、天下に功績があるのだ。</note> 自分を尊大にしないから、かえって長く保つ。<note>矜は大きいことである。聖人は自分を尊く大きく思わないからこそ、長く危うくならないのだ。</note> ただ争わないから、天下の誰も彼と争うことができない。<note>これは天下の賢者も不肖の者も、争わない者とは争うことができないということである。</note> 古の言葉に「曲がれば全うされる」と言うのは、どうして虚言であろうか。<note>昔からの言葉「曲がって従えば、身を全うできる」というのは、虚偽の言葉ではない。</note> 本当に全うされて、それに帰ってくるのである。<note>誠は実のことである。よく曲がって従うことを実践する者は、本当にその身を全うして、父母のもとに帰って、害されることがない。</note>