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title: "道德經（老子河上公注） · 修觀第五十四"
description: "道德经是春秋时期老子所著的哲学经典，河上公注本是汉代河上公所作的权威注释版本。该书产生于先秦思想百家争鸣的背景下，以道为核心概念，阐述无为而治、道法自然的哲学思想，包含宇宙观、治国方略与修身智慧。河上公注本通过经世致用的解读，使深奥经义更易传播，虽非佛教典籍，但其清静无为的思想与佛教般若空观形成哲学对话，在大乘佛教中国化过程中成为重要的文化参照，为汉传佛教吸收本土思想提供了理论桥梁。"
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### 修觀

> 修観

善建者不拔，建，立也。善以道立身立國者，不可得引而拔之。善抱者不脫，善以道抱精神者，終不可拔引解脫。子孫祭祀不輟。為人子孫能修道如是，長生不死，世世以久，祭祀先祖，宗廟無絕時。修之於身，其德乃真，修道於身，愛氣養神，益壽延年。其德如是，乃為真人。修之於家，其德乃餘，修道於家，父慈子孝，兄友弟順，夫信妻貞。其德如是，乃有餘慶及於來世子孫。修之於鄉，其德乃長，修道於鄉，尊敬長老，愛養幼少，教誨愚鄙。其德如是，乃無不覆及也。修之於國，其德乃豐，修道於國，則君信臣忠，仁義自生，禮樂自興，政平無私。其德如是，乃為豐厚也。修之於天下，其德乃普。人主修道於天下，不言而化，不教而治，下之應上，信如影響。其德如是，乃為普傳。故以身觀身，以修道之身，觀不修道之身，孰亡孰存也。以家觀家，以修道之家，觀不修道之家。以鄉觀鄉，以修道之鄉，觀不修道之鄉也。以國觀國，以修道之國，觀不修道之國也。以天下觀天下。以修道之主，觀不修道之主也。吾何以知天下之然哉，以此。老子言，吾何知天下修道者昌，背道者亡。以此五事觀而知之也。

> よく立てる者は抜かれず、<note>建てるとは、立つことです。道をもって身を立て国を立てるのが上手な者は、引き抜くことができません。</note>よく抱く者は離れず、<note>道をもって精神を抱くのが上手な者は、ついに引き抜かれたり解き離されたりすることがありません。</note>子孫の祭祀は絶えることがない。<note>人の子孫としてこのように道を修めることができるならば、長生不死となり、代々久しく、先祖を祭祀し、宗廟は絶える時がありません。</note> これを身に修めれば、その徳は真実となる。<note>身において道を修めれば、気を愛し神を養い、寿命を延ばし年を増します。その徳がこのようであれば、真人となります。</note> これを家に修めれば、その徳は余りある。<note>家において道を修めれば、父は慈しみ子は孝行し、兄は友愛し弟は従順で、夫は誠実で妻は貞節です。その徳がこのようであれば、余った慶びが来る代の子孫にまで及びます。</note> これを郷に修めれば、その徳は長く続く。<note>郷において道を修めれば、長老を尊敬し、幼少を愛し養い、愚かな者を教え導きます。その徳がこのようであれば、覆わないところはありません。</note> これを国に修めれば、その徳は豊かとなる。<note>国において道を修めれば、君は信頼し臣は忠義で、仁義は自然に生まれ、礼楽は自然に興り、政治は公平で私心がありません。その徳がこのようであれば、豊かで厚いものとなります。</note> これを天下に修めれば、その徳は広く行き渡る。<note>君主が天下において道を修めれば、言葉を発さなくても教化が行き渡り、教えなくても治まり、下の者が上に応えることは、影が形に、響きが音に応えるように確かです。その徳がこのようであれば、広く伝わります。</note> ゆえに、身をもって身を観、<note>道を修めた身をもって、道を修めていない身を観れば、どちらが滅びどちらが存続するかがわかります。</note>家をもって家を観、<note>道を修めた家をもって、道を修めていない家を観ます。</note>郷をもって郷を観、<note>道を修めた郷をもって、道を修めていない郷を観ます。</note>国をもって国を観、<note>道を修めた国をもって、道を修めていない国を観ます。</note>天下をもって天下を観る。<note>道を修めた君主をもって、道を修めていない君主を観ます。</note> 私はどうして天下のありさまを知ることができるのか。この方法によってである。<note>老子は言います。私がどうして天下において道を修める者が栄え、道に背く者が滅びることを知ることができるのか。この五つの事柄によって観て知るのです。</note>