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title: "道德經（老子河上公注） · 後己第六十六"
description: "道德经是春秋时期老子所著的哲学经典，河上公注本是汉代河上公所作的权威注释版本。该书产生于先秦思想百家争鸣的背景下，以道为核心概念，阐述无为而治、道法自然的哲学思想，包含宇宙观、治国方略与修身智慧。河上公注本通过经世致用的解读，使深奥经义更易传播，虽非佛教典籍，但其清静无为的思想与佛教般若空观形成哲学对话，在大乘佛教中国化过程中成为重要的文化参照，为汉传佛教吸收本土思想提供了理论桥梁。"
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### 後己

> 人後に

江海所以能為百谷王者，以其善下之，江海以卑，故眾流歸之，若民歸就王。故能為百谷王。以卑下，故能為百谷王也。是以聖人欲上民，欲在民之上也。必以言下之；法江海處謙虛。欲先民，欲在民之前也。必以身後之。先人而後己也。是以聖人處上而民不重，聖人在民上為主，不以尊貴虐下，故民戴而不為重。處前而民不害。聖人在民前，不以光明蔽後，民親之若父母，無有欲害之心也。是以天下樂推而不厭。聖人恩深愛厚，視民如赤子，故天下樂推進以為主，無有厭也。以其不爭，天下無厭聖人時，是由聖人不與人爭先後也。故天下莫能與之爭。言人皆有為，無有與吾爭無為。

> 江や海が、なぜあらゆる谷川の王たり得るのかと言えば、それはそれらが低いところに身を置くことを良しとするからです。<note>江や海は低きに在るが故に、多くの流れがそこに集まる。民が王のもとに集うようなものです。</note>それゆえ、あらゆる谷川の王となることができるのです。<note>低く下に在るがゆえに、百の谷川の王となることができるのです。</note> ですから、聖人は民の上に立とうと望むならば、<note>民の上に在ろうと望むのです。</note>必ず言葉ではへりくだらなければなりません。<note>江や海のように謙虚な姿勢をとるのです。</note>民の先に立とうと望むならば、<note>民の前に在ろうと望むのです。</note>必ず自らは後ろに身を置かなければなりません。<note>まず人を先にし、自分は後にするのです。</note> このようにして、聖人は上に立っていても民は重荷に感じず、<note>聖人が民の上にあって主となっても、尊貴を振りかざして下の者を虐げないので、民は彼を戴き、重荷とは感じません。</note>前に立っていても民は害を被ることがありません。<note>聖人が民の前に立っても、自らの光で後ろの者を覆い隠さないので、民は彼を親のように慕い、害そうとする心は起こらないのです。</note> それゆえ、天下の人々は喜んで彼を推し進め、厭うことがありません。<note>聖人の恩は深く愛は厚く、民を赤子のように見るので、天下の人々は喜んで彼を主として推し進め、厭う者はないのです。</note>なぜなら、彼は争わないからです。<note>天下が聖人を厭わないのは、聖人が人と先を争わないからです。</note>それゆえ、天下に彼と争える者は誰もいないのです。<note>人々は皆、何かを為そうとしますが、私の「無為」と争う者は誰もいない、ということです。</note>