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title: "空谷集 · 第二"
description: "空谷集是明代僧人释景隆所著的一部佛教典籍。明代佛教承袭宋元禅风，景隆禅师融会禅净二宗，其著作体现了这一时期的融合特色。该书内容主要为对禅宗公案与修行法要的评唱颂古，深入阐释心性空理与日常修行之关系，文字简练而义理深邃。在佛教史上，空谷集被视为研究明初禅宗思想与实践的重要文献，对后世禅学发展具有影响，为修行者提供了透彻的禅悟指南。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgmxw5fh05upl104qsztb0j4"
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## 空谷集卷中

### 尚直編

中吳沙門空谷景隆述

○小學一書晦菴謂死者形朽滅神飄散又言范文正公曰𠰥獨享富貴而不恤宗󷨋異日何以見祖宗于地下理學󷯢編晦菴又曰死則氣散泯然無跡有托生者是偶然聚得不散又去湊着那生氣亦䏻再生晦菴既謂形杇滅神飄散泯然無跡何人羞見祖宗于地下乎何物湊着生氣而再生乎自相矛盾󷭠䏻解釋也史記󵓕書曰魏武子謂󷧩顆曰吾死後可嫁吾妾未幾又曰吾死後須殺吾妾以為󶹩塟已而顆󶹩前命嫁之後顆為晋将臨敵秦将杜囬忽有一老人結草以󷩴囬顆乃擒囬顆扵夜間見老人来告曰我即嫁妾之亡父也公嫁我女故来報徳耳春秋左󷘰史記世家咸謂齊襄公殺公子彭生已而襄公獵扵貝丘󷚅一物謂群󶹩曰此大豕也群󶹩曰此非大豕即公子彭生也襄公不信援矢射之物立而泣之果彭生也如是死生之際󷮮感之事左󷘰載之益多禮記曰人死曰󷑮又曰鷹化為鳩雀化為鴿至扵蒙求󵓕書鮑靚記井羊怗識環󵓕事皆與晦菴極相違戾󶹩文正公與諸𦀇史則悖晦菴󶹩晦菴則悖文正公與諸𦀇史令人疑惑󶹩何而得定理嗚呼此事洞眀始得抵當安可世間之心猜疑而󵘸也橫渠謂󷑮神二氣之良䏻程子謂󷑮神造化之跡晦菴謂󷑮神氣之屈伸三人之󵘸𣅜是一氣之造化也夫此一氣包羅天地初無󲉞少充塞天地只此一氣更無兩箇一氣曰陽曰隂者只是此一氣展縮而得名也󷑮神既只是此一氣則𥁞天地閒只是一箇混茫更無兩箇盖為𥁞天地閒只是一氣故也然則何故有天神乎地祇乎五岳之神乎四瀆之神乎山川之神乎社稷之神乎無祀󷑮神乎󷭥代封禪乎古今祭祀乎󷑮神如是之多也較夫三人之󵘸則不侔󷭘禮記曰太皥為春帝句芒為神炎帝為夏帝祝融為神少皥為秋帝神蓐為神顓頊為冬帝玄冥為神𠰥󷯋三人所謂二氣良䏻造化之跡氣之屈伸然則何必太皥󵓕為四時之帝乎何必句芒󵓕為四時之神乎𮤚尹子曰󷑮者人死所變中庸曰󷑮神之為徳其盛󷭘乎楊子曰天地神眀不測者也𣅜與三人之󵘸大不󷭶󷭘晦菴謂死者形朽滅神飄散泯然無跡然則太皥󵓕以何為四時之帝乎句芒󵓕以何為四時之神乎此又不侔之極也理學󷥚編有問人死󵖷󵖵便散否晦菴荅曰固是散又問子孫祭祀却有感格者如何晦菴荅曰子孫是祖先之氣所以感格𠰥𢴃晦菴之󵘸則祭五岳四瀆山川社稷無祀󷑮神者既非其子孫𣅜無感格耶嗚乎姜源踏人跡而生后稷蕳狄吞鳥󲛸而生󷮼契伊尹生扵空桑誌公生扵鷹巢是誰之氣耶以誰為祖先耶爭如孔子曰未䏻事人焉䏻事󷑮未知生焉知死一句推開却無過咎理學󷯢編張程晦菴󵓕皆屑屑然以孔子原始反終推而廣之以論󷑮神此又事極計生也大凡事務不知則已何苦欲沽󷄅譽強而言之縛住後學迷塞其心不復求明也悲󵗡。

> 『小学』という書物において、晦菴（朱熹）は「死者は形が朽ち滅び、神は散り失せる」と述べ、また范文正公（范仲淹）が「もし富貴を独り占めにして宗族を顧みなければ、いずれ地下で祖宗にどのような顔をして会えようか」と言ったと記している。『理学編』では晦菴はさらに「死ねば気は散って跡形もなくなる。生まれ変わるというのは、偶然に気が集まって散らず、さらに生気に触れて再生することができるのだ」と説いている。 晦菴はすでに「形は朽ち、神は散り失せ、跡形もなくなる」と言っているのに、いったい誰が地下で祖宗に会うことを恥じるというのか。いったい何が生気に触れて再生するというのか。これは自ら矛盾しており、到底説明がつかない。 『史記』には次のような話が載っている。魏武子がその子の顆に言った。「私が死んだら、私の妾を嫁がせよ」。しばらくしてまた言った。「私が死んだら、私の妾を殺して殉葬せよ」。後に顆は前の命令に従って妾を嫁がせた。その後、顆が晋の将軍として戦いに臨んだとき、秦の将軍である杜回が突然、老人に草を結びつけられて動けなくなり、顆は杜回を捕らえることができた。その夜、顆の夢に老人が現れて言った。「私はあの嫁がせた妾の亡き父です。あなたが私の娘を嫁がせてくれたので、恩返しに来ました」。 『春秋左氏伝』や『史記』の世家には、斉の襄公が公子彭生を殺した後、襄公が貝丘で狩りをしていたとき、あるものが突然現れ、従者たちが「これは大きな猪だ」と言うと、別の者が「これは大きな猪ではなく、公子彭生だ」と言った。襄公は信じず、矢を射かけると、そのものは立ち上がって泣いた。果たしてそれは彭生であった。このように、死生の境を越えて感応する事柄は、『左伝』にさらに多く記されている。 『礼記』には「人死して鬼となる」とあり、また「鷹が鳩に化け、雀が鴿に化する」とある。さらに『蒙求』や『鮑靚記』、井戸の羊、環を識るなどの故事も、すべて晦菴の説と大きく矛盾している。 文正公と諸々の経史は晦菴に背き、晦菴は文正公と諸々の経史に背いている。これでは人々は疑惑を抱き、どうして確かな道理を得られようか。ああ、この事柄は明らかに見極めて初めて確信が持てるのであって、どうして世間の心で推し量って軽々しく判断できようか。 横渠（張載）は「鬼神は二気の良能なり」と言い、程子（程顥・程頤）は「鬼神は造化の跡なり」と言い、晦菴は「鬼神は気の屈伸なり」と言った。三人の説はすべて一気の造化を指している。この一気は天地を包み込み、初めから少しも欠けることなく、天地に満ちている。ただこの一気のみであって、二つあるわけではない。一気を陽と陰と呼ぶのは、ただこの一気の伸縮によって名付けられたに過ぎない。 鬼神がただこの一気であるならば、天地の間はただ一つの混然たる気であり、二つはない。天地の間がただ一気であるがゆえにである。しかし、それならなぜ天神があり、地祇があり、五岳の神があり、四瀆の神があり、山川の神があり、社稷の神があり、無祀の鬼神があり、歴代の封禅があり、古今の祭祀があるのか。鬼神がこれほど多いのは、三人の説とは合わない。 『礼記』には「太皥は春の帝となり、句芒はその神となる。炎帝は夏の帝となり、祝融はその神となる。少皥は秋の帝となり、蓐収はその神となる。顓頊は冬の帝となり、玄冥はその神となる」とある。もし三人の言うように、二気の良能、造化の跡、気の屈伸であるならば、なぜ太皥が四時の帝であり、句芒が四時の神である必要があるのか。 『関尹子』には「鬼とは人の死して帰る所なり」とあり、『中庸』には「鬼神の徳なるや、これ盛んなり」とあり、楊子（揚雄）は「天地の神明は測りがたきものなり」と言っている。これらはすべて三人の説とは大きく異なっている。 晦菴が「死者は形が朽ち、神は散り失せ、跡形もなくなる」と言うならば、太皥は何をもって四時の帝となり、句芒は何をもって四時の神となるのか。これもまた合わないことこの上ない。 『理学編』に「人が死ぬと気はすぐに散るのか」という問いがあり、晦菴は答えて「もちろん散る」と言った。さらに「子孫が祭祀を行うと感応することがあるのはなぜか」と問われると、晦菴は「子孫は祖先の気を継いでいるので、感応するのだ」と答えた。晦菴の説によれば、五岳・四瀆・山川・社稷・無祀の鬼神を祭る者は、その子孫ではないから、すべて感応しないということになるのか。ああ、姜嫄が人の足跡を踏んで后稷を生み、簡狄が鳥の卵を飲んで契を生み、伊尹が空桑に生まれ、誌公が鷹の巣に生まれたのは、いったい誰の気によるのか。いったい誰を祖先とするのか。 むしろ孔子が「まだ人に仕えることができないのに、どうして鬼に仕えることができようか。まだ生を知らないのに、どうして死を知ることができようか」と言った一句を推し進めれば、過ちはない。『理学編』では張載・程子・晦菴らが皆、孔子の「原始反終」を推し広めて鬼神を論じているが、これもまた行き詰まって窮余の策を講じているに過ぎない。 およそ物事を知らないのであれば、それまでである。何故に名声を求めて強いて説き、後学を縛り、その心を迷わせ、再び明らかに求めさせないのか。悲しいことである。

○曰󷃪謂夢者神識也死而受苦者此神識也𥨸有󷭧焉曰子所󷭧者可得聞乎曰人生有󷨁夢也死則形氣既離何夢之有曰甚󷭘子之懵然不逹也子之所見正󷥚晦菴惟見形氣断滅也形氣既䏻作夢死而未󱌰者形亦尚存何以無夢乎至扵埋之火之何不知痛󷮊乎當知因有神識成此形氣形氣如屋神識如人去住由人屋是閑物也漢牟子曰人臨死則家人上屋呼之󵖷神還則復蘇不還則不蘇󵖷神固不滅󷭘但身自朽爛耳身譬五󵗳之根葉󵖷神譬五糓之種實其根𰱒生必當死種實豈有終󷭘牟子之語亦詳󷭘。

○󳼫齋先生曰伊川謂佛學有上逹無下學余謂伊川之言亦是亦非也吾宗以悟道為要不在學問佛言千日學慧不如一日學道󶹩上祖󷃪不許叅禪人看𦀇教語錄文字惟令一味叅究悟道實惟上達也以此論之伊川之言可謂是󷭘吾佛世尊󵘸諸𦀇卷積滿󷭝宮海蔵大部華嚴有四天下󳏧塵𰚆偈𣴑扵大夏者百千󷭛億分之一也豈無文字乎漢唐以来󷭥朝三蔵法󷃪洎扵佛圖澄和尚道安法󷃪遠公和尚支遁和尚生肇融󷯬二祖神光大󷃪杜順和尚智者大󷃪崇福蔵法󷃪清鿌𮗚國󷃪慈㤙基法󷃪圭峯密禪󷃪南山宣律󷃪󵓕其道則到果位之地其才則有孔孟之文󷜞豈無下學也以此論之伊川之言可謂非󷭘吾儕當自勉旃不可󷄅消嵗月禪宗𨿽謂不立文字然臨濟徳山是禪宗苐一󵓕宗󷃪觀其語録文󷜞𦀇教無所不通東坡謂雪竇語録有兩箇翰林學士之才梅屋常禪󷃪曰周武宗廢教沙門犯顏󷩴爭殆數十人唐高祖時傅奕排佛恵乗法󷃪󵓕皇皇論爭引義慷慨亦不失法王真子之識唐󲈦宗廢教而力爭者惟知玄法󷃪一僧而已佛運數否𨿽󷭠可免凡𥼶子者𠁅變故之際無一󷭟可紀佛法尊博如天亦吾󶰦失學之罪也余聞𭛩山一代住持忘其名凡有書記到山則以尊𪧐之禮待之侍僧譏其分別𭛩山曰書記是扶教門敵外侮之良将也吾以教門為重而然豈分別也汝󵓕小兒安知佛法大任之重乎侍僧再拜而已󷭘書記亦難任也具內外學始授其軄內學心要置之未論外學可與翰林頡頏庶堪措手不尓則反邀辱󷭘唐季已来永眀雪竇眀教大覺禮法󷃪式懴主寧僧錄圎法󷃪黃󷭝佛印寶覺靈源𫥢率覺範東山三佛大慧高菴真歇弘智應菴密菴橘洲石室北澗淮海如意󷭛松󷰛羙天󷭩幻住天如覺󷭩𡨜󷨭廣智梅屋古林南堂寳洲松月楚石古鼎夢堂見心恕中全室大璞一初同菴止菴用章竺󴦚行中祖芳随菴圎菴徳岩啟宗九臯𰁶宗𣅜敵外侮之良将也近代人物𨿽不逮扵古人然世與時遷人亦随之各當其代也。

> 斎先生が言われた。伊川（程伊川）は「仏教には上達（高い悟り）はあっても、下学（基礎的な学び）はない」と評した。私の考えでは、伊川の言葉は、一面では当たっているが、一面では外れている。 わが宗（禅宗）では、悟りを究めることを要とし、学問の有無を問題としない。仏陀も「千日、知恵を学ぶより、一日、道を学ぶに如かず」と説かれた。歴代の祖師方も、禅に参ずる者に経典や語録の文字を見ることを許さず、ただひたすらに参究して悟ることを求めさせた。これこそ真の上達である。この点から見れば、伊川の言葉は正しいと言えよう。 しかし、わが仏陀世尊の説かれた諸経典は、宮殿を満たし、海のごとく広大な蔵を成している。大部の『華厳経』に至っては、四天下の塵の数ほどの偈頌があり、漢土に伝わったものはその百千億分の一に過ぎない。これらが文字によるものではないと言えるだろうか。漢・唐の時代以来、三蔵法師をはじめ、仏図澄和尚、道安法師、遠公和尚、支遁和尚、生・肇・融・叡の四哲、二祖神光大師、杜順和尚、智者大師、崇福蔵法師、清涼観国師、慈恩基法師、圭峯密禅師、南山宣律師など、その道においては果位の地に至り、その才においては孔子や孟子にも匹敵する文才を持たれた方々がおられる。これに下学がないと言えるだろうか。この点から見れば、伊川の言葉は誤りであると言わねばならない。 我々は自らを励まし、月日を無為に過ごしてはならない。禅宗は「文字を立てず」と言われるが、臨済や徳山は禅宗第一の宗師である。その語録を見れば、経教に通じていないものはない。東坡（蘇軾）は雪竇の語録について「二人の翰林学士の才がある」と評した。梅屋常禅師は言われた。「周の武帝が仏教を廃した時、沙門が顔色を変えて争った者は数十人に及んだ。唐の高祖の時、傅奕が仏教を排撃した際には、恵乗法師らが堂々と論争を挑み、理義を引いて慷慨として論じ、法王の真の子たる識見を失わなかった。しかし、唐の武宗が仏教を廃した時に力強く争ったのは、知玄法師ただ一人の僧侶だけであった。仏法の運が衰えている時は、どうすることもできない。凡僧たる者、変故の際に一つとして記録すべき事績がないのは、仏法が天のように尊く広大であるにもかかわらず、我々が学びを失った罪である」 私はかつて、ある山の一代の住職（名前は忘れた）が、書記（文筆担当）が山に来ると、尊客の礼をもって遇したという話を聞いた。侍僧がその区別を批判すると、その住職は言われた。「書記は教えの門を支え、外からの侮りに立ち向かう良将である。私は教えの門を重んじてそうするのであって、区別をしているのではない。お前のような小僧に、仏法の大任の重さがわかるものか」。侍僧は再拝して退いた。書記という役目もまた難しい任務である。内学（仏教教学）と外学（世俗の学問）を備えて初めてその職に就くことができる。内学の心髕はさておき、外学は翰林学士と肩を並べるほどでなければ、手が付けられない。そうでなければ、かえって辱めを招くことになる。 唐末以来、永明、雪竇、明教、大覚、礼法師、式懴主、寧僧録、円法師、黄龍、仏印、宝覚、霊源、湛堂、覚範、東山三仏、大慧、高庵、真歇、弘智、応庵、密庵、橘洲、石室、北澗、淮海、如意、松源、美峯、天目、幻住、天如、覚初、広智、梅屋、古林、南堂、桜洲、松月、楚石、古鼎、夢堂、見心、恕中、全室、大璞、一初、同庵、止庵、用章、竺仙、行中、祖芳、随庵、円庵、徳岩、啓宗、九皐、呆庵などは、皆、外からの侮りに立ち向かった良将である。近代の人物は古人には及ばないが、世は時とともに移り、人もそれに従う。それぞれの時代に相応しい働きがあるのである。

○吾宗所謂無為者無為無不為無心而為為皆正事也豈是塊然不動乎言無學者學到󷭛法𥁞通至扵無學之地惟󷪱其理不取其語盖為一切法相咸同一相所謂無相此無相法性相皆空俱無自性俱不可得故也豈是󱠕󱠕度日作愚人乎大部諸𦀇皆言智為先󷮋𨿽修五波羅蜜乃至󷭛行𠰥無般𠰥皆名魔業𠰥忘失菩提心皆名魔業佛見心󷭡者則令其作死屍骸骨之觀想見心不󷭡者則令其數息如是調攝其心也祖󷃪凡見可扵機用發眀者則以禅機攝之凡見𭰖扵文義者則令其離文字而學道凡見不知文義者則令其學智慧而眀般𠰥不然則固守僻執一愚人耳嗚呼人心如是難調理也故勞大覺聖人󵘸許多𦀇教對機調治故云千𦀇󷭛論緣何事只為調治一󷪰心凡吾緇侶自宜量其材力立其志󷯼確乎𢦶徳體乎佛心然後或專扵悟道或󷨯明𦀇㫖或先學問而後發用請擇其道而行之如是修心以期成道弘󷘰教法以利扵人可謂為僧之本󵓕也。

> 我が宗でいう「無為」とは、無為にして無からず、無心にして為すところ、すべて正しい事柄である。どうしてただじっと動かないことだろうか。 「無学」と言うのは、学び究めて法に通じ、無学の境地に至ることをいう。ただその理を取って、言葉を取らない。すべての法相はみな同じ一つの相、すなわち「無相」という相であるからだ。この無相の法は、性も相も空であり、すべて自性がなく、すべて得ることができない。どうしてただぼんやりと日を過ごし、愚か者になることだろうか。 大部の諸経典はみな、智慧を先とすると言う。たとえ五波羅蜜を修め、ついには万行を修めても、般若がなければ、すべて魔の業という。菩提心を忘れれば、すべて魔の業という。仏は、心が散る者には、死屍や骸骨の観想をさせ、心が散らない者には、数息をさせる。このようにしてその心を調え整えるのである。 祖師は、機用に適う者が明らかになるのを見れば、禅機をもってこれを摂し、文義に溺れる者を見れば、文字を離れて学道するようにさせ、文義を知らない者を見れば、智慧を学んで般若を明らかにするようにさせる。そうでなければ、ただ偏った執着を固守する一愚人に過ぎない。 ああ、人の心はこのように調え難いものである。だから大覚の聖人は、多くの経教を設け、機根に応じて調え治めるのである。だから、「千経万論、何事を縁るか、ただ一つの心を調え治めるため」と言うのである。 凡そ我が僧侶たる者は、自らその材力を量り、その志を立て、確かに徳を積み、仏の心を体して、その後、あるいは悟道に専念し、あるいは経旨を明らかにし、あるいはまず学問をして後に発用する。その道を選んでこれを行い、このように心を修めて成道を期し、教法を弘めて人々に利益を与える。これこそ僧の本分と言えよう。

○宋理宗時靈󷭩痴絕冲禅󷃪令門下之僧常衣直裰󵓕服晝夜不釋其身臨󷨁則披五條袈裟囊佩大衣而臥。

> 宋の理宗の時代、霊痴絶冲禅師は、門下の僧たちに常に直裰を着用させ、昼夜を問わず身から離さず、臨終の際には五条袈裟をまとい、大衣を袋に入れて枕元に置いて眠るようにと命じました。

○聖朝洪󲈦間長興僧官林禅󷃪常衣直裰󵓕衣日夜不離扵體以一布囊安置𢦶牒佩之扵膺惟登厠澡浴二事則以此囊懸扵󷰘事畢復佩之宵𣆳不遺沒齒而後已。

> 聖朝の洪󲈦年間、長興の僧官、林禅󷃪常は、直裰󵓕衣を着て、日夜、体から離さず、一つの布の袋に度牒を納めて、胸に佩びていました。ただ、厠に登る時と沐浴の時だけ、この袋を柱に懸け、事が終わるとまた佩び直しました。夜も昼も忘れることなく、生涯を終えるまで続けました。

○虎丘行中仁禅󷃪凡得沈檀異香則以小合貯之置扵大香合中每旦持以行香至世尊前扵小合中另取好香一炷進之除外不復他用客至惟𤑔常香而已。

○世有一卷註觧金󷰞𦀇題名󲇞溪六祖大󷃪觧義口訣其註語并前後序総出一己之意更非二人之語此是宋神宗元豐間天台羅適所註假聖󷃪之名也無深理有淺義盖因淺俚之故世人多愛之󲏈󷭘。

○六祖大󷃪法寳壇𦀇苐十付囑章曰󷃪一日󷭾法海此𠁅起首至扵轉相教授勿失宗㫖共計七百七十九字此是金天教之人偽造邪言增入刊板未革之弊也詳覽壇𦀇之意只是一統󵘸去分為十󷜞者亦是金天所分也。

○世有後三卷蓮𦀇此是妄無所知匹夫所造樵歌牧唱也。

○世有金󷰧𦀇議論此是金天教之人偽造魔語也。

○世之妄著𦀇書者亹亹然不可勝計我亦何暇覽之偶覩四端而已彼𠰥實言某人所作此則任其胡言漢語何必論之既假佛祖之名安可不󵘸嗚呼妄談性理壞人心法玷辱佛祖罪󷭠大焉右言三󷃪之徳吾󶰦合遵四端之弊諸人合知是以茟之扵此。

○宋人眛佛者惟橫渠以至晦菴数人而已不眛佛者還多焉𰝩溪二蘇王荊公張九成吕東莱󵓕是也昔者漢唐已来而至扵宋黃󷭝佛印東林晦堂靈源大慧諸禅󷃪󵓕不以儒釋相分平󵓕開󷮋體佛之心也豈料他人󷭤我佛法作儒法用欲㱕功扵自己所以轉身排佛嗚呼此機已失不勝痛惜今後吾儕或得悟道設使納交扵他宗之子但以詩文交接慎勿漏泄玄機當以宋人為𢦶所謂前車既覆後車改轍孔子曰扵子吾改耳。

○國一禅󷃪以道學󷘰扵壽涯禅󷃪涯󷘰麻衣衣󷘰陳󷯗󷯗󷘰种放放󷘰󷘏修修󷘰李󲊸之李󷘰康節邵子也󷘏修又以所󷘰太極圖授扵𰝩溪周子已而周子扣問東林総禅󷃪太極圖之深㫖東林為之委曲剖論周子廣東林之語而為太極圖󵘸周子長扵禅學工夫是以工夫之道過扵邵子邵子長扵天時󷯐数是以數理之道過扵周子至扵道學則一也初無二󷗯。

○曰󷃪謂晦菴排佛者心病也所有心病乞󷃪言之曰汝但深扵佛學汎及百氏之書汝當自見亦見𰝩溪二程以及諸子所得道學之源𣴑󷭘曰諸子所得未暇問之𰝩溪程子所得之自乞󷃪言之曰僃󵘸則煩姑為畧󵘸𰝩溪姓周諱惇󰬇字󷮣𠦑㫪陵人也𥘉扣黃󷭝南禅󷃪教外別󷘰之𭥍南諭𰝩其略曰只消向你自家屋裏打󷪰孔子謂朝聞道夕死可󷭘畢竟以何為道夕死可耶顏子不改其樂所樂者何事但扵此究竟久久自然有箇契合𠁅出附章氏家譜𰝩一日扣問佛印元禅󷃪曰畢竟以何為道元曰滿目青山一任看𰝩擬議元呵呵咲而已𰝩󷑆然有省出資鍳并佛印語録後䟦𰝩聞東林総禅󷃪得竹林壽涯禅󷃪麻衣道者二󷃪心󷘰易學窮神極性由是扣之縂諭𰝩其略曰吾佛謂實際理地即真實無妄真而無妄即誠也大󵗡乹元萬物資始資此實理乹道變化各正性命正此實理天地聖人之道至誠而已必要着一路實地工夫直至于一旦豁然悟入不可只在言語上會云云𰝩一日與張子厚󵓕同󷫄東林論性総曰吾教中多言性故曰性宗所謂真如性法性性即理也有理法界事法界理事交徹理外無事事必有理諸子沉吟未决𰝩毅然出曰性體冲漠惟理而已何󷭧耶橫渠曰東林性理之論惟我󷮣󶡌䏻之出弘益紀聞𰝩問太極総曰易在先天無形有理盖太極即易也無形之理即無極也天地間只是一氣進退而為四時以一氣言之皆元之為也劉時中所得東林親筆論易之語又尹氏家塾及󷭖季明筆記詳備并有程子深愛元包四徳之語五峯胡先生序通書謂𰝩得太極圗扵󷘏脩脩得扵种放放得扵陳摶此其學之一󷃪也眀󵘸太極圗非𰝩所作陳摶之學得扵麻衣麻衣得扵壽涯禅󷃪󷃪出性斈󷚅要并正易心法𰝩問太極圖之所由総曰竹林壽涯禅󷃪得國一禅󷃪之心󷘰其来遠󷭘非言事物而言至理當時建圖之意󷭣吾教中依空立世界以無為󷭛有之祖以無為因無即所依之空以有為果有即二氣交運以真為體真即一真至理以假為用假即󷭛物化生故云無極之真妙合而凝云云𰝩復造佛印之室敘及悟由印曰吾多教人孔孟之大義今公所負可以起之冝力行無滯東林亦有諭𰝩倡儒為道學之語出松窓雜記𰝩諭學者曰吾此妙心實得啟迪扵南老發眀扵佛印易道義理廓逹之󵘸𠰥不得東林開遮拂拭断不䏻表裏洞然該貫弘博󷭘出尹氏家塾并性學󷚅要𰝩徃潮州靈山寺訪大顛禅󷃪遺跡見韓子上大顛書累幅併存及留衣亭肅然無恙故題詩曰退之自謂如夫子原道深排釋老非不識大㒹何似者數書󳏃重更留衣出性理羣書并靈山寺留衣亭真跡𰝩作愛蓮詩曰佛愛我亦愛清香蝶不偷一般竒絕𠁅不上婦人頭出鄭谷集𰝩性簡約平居𣽃如也晚年悉屏文字惟務靜󷣈而卒得道學之󷘰濂溪行状東林教人惟務靜󷣈𰝩溪之久不事筆硯終日端坐窓前草色同一生意盖是靜中有得弘益紀聞道學性理之始實倡扵涯󷃪而至于総󷃪総以授周子弘益紀聞陳忠肅公曰性理之󵘸東林授之𰝩溪𰝩溪廣之其言遍扵佛書瑩中録并性斈󷚅要後村劉先生詩云𰝩溪學得自高僧又云始知周孔外別自有󷭺豪出後村集。

○程子洛中人諱顥字伯淳號眀道弟諱󷯾字󷛁󶡌󷰱伊川子野曾先生曰程氏顥󰬇同受學扵𰝩溪𰝩溪首令尋仲𡰱󷜶子所樂何事學成各以斯文為己任出史畧󵓕程子以太極圖授之后山先生后山曰余𮗚周程推己教人之所以及反觀孔孟以来實未𡮢有此𡨜默危坐做工夫尋樂𠁅以為斯文之窮究信乎周程體道之源固有所別𣴑󷭘趙󵘸之心學淵源後䟦眀道深味扵華嚴合論自謂有所心融意會為喜以其所由書扵雲盖寺雲盖寺碑刻墨蹟明道以亡母壽安院君忌辰往西亰長慶寺修𡨋福躬預齋席見眾僧入堂周旋𡵯武威儀濟濟伐鼓敲鐘內外整肅一坐一起並凖清規乃嘆曰三代禮樂𥁞在是󷭘弘益紀聞靈源清禅󷃪荅伊川書曰妄承過聴以知道者見期𨿽未一奉目擊之歡聞公留心此道甚久天下大宗󷃪󷭥扣迨遍乃猶以鄙人未見為不足頃年間聞先󷃪言公見𠁅今覧公所作法要後序深觀信入真實不󷄅也出靈源語録。○先󷃪即晦堂心禅󷃪也晦堂𡮢以心法授伊川已而伊川多入靈源之室嘉泰普燈錄云程伊川徐󷃪川朱世󷭺洪駒父咸問道扵靈源禅󷃪故伊川之作文註書多取佛祖󷭟意信源𣴑之有󶹩也石塘胡汲仲先生曰孟子沒一千五百餘年道潛統絕子周子出然後潛者復光絕者復續河南程氏二子得周子之󷘰周子之󷘰出扵北固竹林寺壽涯禅󷃪而為首倡程子四󷘰而得朱氏文公文公復得張󷭦夫󷫊究此道方得󷑆然𠁅乃云前日所聞竹林遺語未之契者𣅜不我欺元来此事與禅學十分相似學不知禅禅不知學互相排擊都不曾劄着病𠁅亦可咲也胡氏大同論歐陽玄曰程子平生愛讀佛書但不及朱子之博覽歐陽記録伊川曰眀道先生出入釋老幾十年伊川所作明道行状東林諭𰝩有一中散為󷭛事末復合為一理及天理之性人欲之私天地󷭛物本吾一體元包四徳誠通誠復󵓕󷭟二程󷘰其學故伊川著書立言皆本其意或全用其語如易󷘰序體用一源顯微無間此二句出唐清涼國󷃪華嚴𦀇󶳼𰝩溪太極圖󵘸無極之真妙合而凝此二句出華嚴𦀇法界𮗚無極而太極󵓕語全是東林口訣周子通書𰝩洛集󵓕皆根扵此周程󷪱用佛語多󷥚此也。

○晦菴深諱周程明露佛語故云周子之學莫知其󷃪󷘰之所自又云周子之學得之扵天且夫周子通書󷃪友󷜞云至難得者道徳有扵身而已󷭘求人至難得者有扵身非󷃪友則不可得也晦菴之言悖扵周子之語󷭘意在絕其所得之自殊不知昧扵天理愈令莭病󷮮焉有𠰥韓子見大顛後所有󷭦佛之󷭟後人刪而去之晦菴校韓文尚留韓子上大顛三通書後人再刊又将此三通書一併刪去故知後人既服晦菴之藥執迷扵排佛尤甚扵晦菴爭知晦菴設此關竅曲排之也後人不識其所以然󷭤謂是實󶹩實而排之所謂一人󷘰󷄅󷭛人󷘰實也嗟乎晦菴設箇關竅在此後人尚識不破爭得如󷯞蕳張拙白居易杜鴻漸李習之韓昌黎陸亘陳操李附馬楊大年富鄭公楊次公郭公輔趙清獻公周𰝩溪張無盡馮濟川張九成吕居仁諸大儒󵓕䏻叅吾宗之禅關乎󷭦佛法眀佛理惟未透禅𨵿者有𠰥許玄度習鑿齒宗炳劉遺民雷此宗王󷮋周顗沈休文張󵘸李太白王摩詰栁子厚王渤李源吕蒙󷛁范仲淹范蜀公文潞公張約齋吕東莱󵓕是也以佛學為通家之好者有𠰥曹子建王珣王珉文中子杜子羙杜牧之孟浩然劉禹錫劉長卿司空曙司空圖李群玉皮日休許渾賈島項斯鄭谷󵓕是也佛法󵡢非大道曷䏻感諸名賢如是崇尚者也諸賢才徳眀敏豈不逮扵後世排佛之人乎󵡢不取扵諸賢之大公甘屈扵一人半人之己意者實未思之誤也。

○曰󷃪謂諸子㕘禅眀佛理者皆賢徳君子也惟柳子在八關十六子之列乎曰柳子明理君子也有人謂韓子文󷣈扵柳柳子詩󷣈扵韓二子之名並驅扵世此亦評之未詳也文勢雄健者韓過扵柳也理學妙密者柳過扵韓也後世理學不通者不䏻窮柳子之文二󷑐子王󷯳公軰優扵理學所謂合莭󷭘其與劉禹錫易地而官以便其奉養此徳又餘人之所難行也惟失所扵王󳏇文故著其名扵十六子之列栁子扵徳宗貞元十九年為監察御史裏行彼時王󶡌文韋執𧨏用事二人竒栁子之才擢為禮部貟外郎欲大用之非妄求也俄而𠦑文敗栁子與劉禹錫󵓕七人俱貶栁子為永州司馬至憲宗元和十年徙栁州刺史也栁子與薛孟容書曰宗元狠忤貴近𨂻不測之事此丈人所聞見不敢與他人道又與裵𡎖書曰僕早𡮢與㳺者居𫞐衡之地十薦賢幸乃一售不得譸張排恨僕可出而辯之󵗡又與李夷簡書曰宗元得罪之由󷗯謗之自以閤下之眀其知久󷭘又祭妻父楊詹事文曰宗元謗言未明󵖮伏逾紀即此𮗚之亦足以見其被排謗之機󷜞󷜞然眀且著󷭘何待史氏之󵘸乎况栁文篇篇正大學海瀰𭰹断無𨦣氣猖狂之󱊿過扵他人遠󷭘實有道之人也嗚呼鳳凰不與眾羽同類眾羽亦不識鳳凰之貴故有󷭧忌之惡也伺求栁子之過乗便而搦之可󷣈道󵗡歐陽唐書重而擠之溫公通鑑晦菴綱目󶹩而抑之󷭻其羙徳也賴有天不可欺𡨋𡨋之中各有前程去𠁅。

○晦菴所用佛語𠰥󷄅靈不昧此句出唐譯大智度論并禅書不可限量出華嚴󷮝積大集󵓕𦀇似是而非出鐔津集大學補闕全是禅語畧畨変之始言一理終散為萬事末復合為一理真實無妄真實之理有是理而復有是事天地之理至實無妄聖人之心至實無妄𣅜是東林口授周子語意䏻知覺所知覺楞嚴𦀇󵓕千聖相󷘰心法󷑆然有悟𠁅又非見聞思󷮓之可及也物我一理固有之性心之體用吾心正而天地之心亦正󷭛物之本原一心之妙用活潑潑地徹頭徹尾做工夫到這裏咬菜根無縫󷘳三句語劄着病𠁅一刀兩叚一棒一條痕一摑一掌血𣅜出禅書并諸𦀇註復卦引楞嚴𦀇語為證󷭣云非惟年有變月亦有之云云出周易附録纂註晦菴註書惟毛詩一𦀇乃是學力註成簡用佛法自餘四書󵓕註并諸製作皆用佛法汎以佛𦀇禅語改頭󷭿面󷘓變其語而󷪱其意如是用者遍扵群書晦菴如是所用佛語又諱周程明露佛語不識晦菴是何心󵗡。

○晦菴早󶹩學扵延平李先生久之恨不發眀及詢長者咸指之禅學已而遍謁禅老與吕東莱張南軒同問道扵大慧禅󷃪出大恵年譜後晦菴十八嵗󶹩劉屏山㳺屏山意其必留心舉業遂搜其篋惟有大慧禅󷃪語錄一帙耳次年登科出尤焴所作大恵語録序并拱辰集󵓕書晦菴󷗯書扵開善󷮀禅󷃪曰熹向蒙大慧禅󷃪開示狗子佛性話頭未有悟入󷩫授一言警所不逮󷮀荅書曰把這一𫝹提撕狗子話不要商量𭄫猛直前一刀兩叚晦菴覽之有省出資鍳拱𫝕集性理羣書晦菴扵竹林小軒誦佛𦀇作詩曰端居獨無事𦕅披釋氏書暫息塵累牽󷰠然與道俱門掩竹林幽禽鳴山兩餘了此無為法身心同晏如出未子大全集并道餘錄晦菴有書啟國清禅󷃪曰寒山子詩󷚇成日幸早見𭔃字蹟見󷰅本寒山詩後晦菴𭔃山居僧詩曰方丈翛然屋數椽檻前𣴑水自清漣蒲團竹几通宵坐掃地焚香白晝眠地窄不容揮麈客室空𨚗許散花天箇中有句無人薦不是諸方五味禅出事文類聚陸文安公九淵每與晦菴爭論太極圖󵘸盖知晦菴有禅學故謂晦菴有悟人譏之出史畧󵓕有問今士大夫都入禅家去者何也晦菴荅曰是他高似你你平生讀許多書記誦文󷜞所藉以取功名利祿之計者到這裏都靠不得所以被他降下了王介甫平生學許多道理臨了捨宅為寺本朝李文靖公王文政公劉元城吕申公都是甚麼人也都去入他禅學佛𦀇󵘸六根六識四大十二緣生之論皆極精妙故前軰謂孔子所不及也四大即是󵖷󵖵十二緣生出華嚴合論佛󵘸本言盡去世間󷭛事後却󵘸出實際理地不受一塵󷭛事門頭不捨一法逹磨盡󷘓窠臼倡為禅宗視義學尤為高妙金剛𦀇大意只在須菩提問云何應住云何降伏其心兩句上故󵘸不應住法生心不應住色生心云云禅宗有云有物先天地無形本𡨜󷯚䏻為󷭛象主不逐四時凋撲落非他物󷑡橫不是塵山河及大地全露法王身𠰥人識得心大地無寸土看他是甚麼樣見識今區區小儒怎生出得他手宜其為他揮下也朱子語錄并易觧歐陽玄雜記性理羣書晦菴如是愽扵佛學又教人棄扵佛學此亦不識晦菴是何心󵗡言語煩者不𭣣鳴道集道餘錄剖過者亦不𭣣惟竹軒誦佛𦀇之詩蕳逕亦𭣣扵此右言晦菴自用佛語又諱周程眀露佛語自博扵佛學又教人棄扵佛學此二󷜞󳏧露晦菴心病也汝𠰥浃洽貫通全體皆見始知周程張謝㳺楊晦菴󵓕著書立言凡扵󵘸道理𠁅寸寸莭莭皆是佛𦀇禅語之意豈不見陳忠肅公謂性理之󵘸東林授之𰝩溪其言遍扵佛書也近有一箇半箇󷚅禅語曰此一篇與宋儒言語相合這幾句亦與宋儒相合嗚呼曾不知宋儒言語盡是禅宗𣴑󷭤出去者也曰󷃪之所言皆出吾儒之書非存私也非不公也且言世之排佛者可是學力之未愽乎可是理學之未通乎可是學佛未至而反排乎可是紀昌之用心乎可是局扵此量不䏻化之而大通乎嗚呼尚亦不敢䡖扵常人安忍欲沽自己之幻名曲排三界大聖人度人之大法乎吾為之憂憂彼排者󷭻󰡷隂徳至扵至也。

○曰中也亦知周程道學得扵禅宗󷘰至晦菴不越其教不知晦菴何以昧佛之徳反而排之所以問也獲聆斯語已知其心󷭘曰𰝩溪窮究道學扵黃󷭝佛印東林三禅󷃪也夫三󷃪者端人也其󷪱友必端󷭘𰝩溪󷪱友亦必端󷭘况程子多㳺禅室多讀佛書固知程子必是慎徳君子不肻叛佛晦菴立言汎用佛理反而排之者󳆨人不識也是故遮掩周程佛學之根然亦遮掩不盡中庸或問謂楊氏󵓕受學扵程門其言𣅜佛老之餘緒多󵘸㳺楊謝氏󵓕言出扵佛老晦菴眀知周程楊󵓕道學出扵禅宗適之所謂其所排者設墻壍也。

○曰󷃪謂讀佛書便識晦菴心病󷨔󷭧󷃪欲羅籠人入佛之意不知然否曰𠰥爾則私意也子以實問我以實荅佛法如大路凡欲扵此路行者亦不挋之不欲扵此路行者亦不邀之學佛者得佛法之饒益佛亦無喜背佛者不得佛法之饒益佛亦無慍󶹩佛背佛在乎人之有善根無善根而已安可力󷗯其然歟北𬈑有鯤化而為𩿾聴其自化也豈人力䏻󳆨其化焉人之󶹩佛亦何益扵我乎人之背佛亦何󰡷扵我乎。

○曰佛𦀇中語有與老󷭸相似者晦菴謂佛𦀇剽󷨔其󵘸此意何如曰佛是天上天下三界大聖人也大道周圎󷭛徳統僃見人之所不見眀人之所不眀故有窮妙道之極談罄秘󱅓之玄奥豈藉老󷭸之言以為用乎而况󷭥朝三蔵法󷃪多生西竺未𡮢善吾中國之書惟觧中國之語是故到吾中國󷘓譯梵𦀇而為中國之語而已󷘓譯梵𦀇者如畨󳬛所用通事人也只将梵語轉作唐言孰敢變󷰥佛聖人所󵘸之󷭟而壞其𦀇㫖乎佛生周𫞃王時老子生周定王時老子後扵佛四百餘年󷭘且夫前人󷨔後人之語耶後人󷨔前人之語耶顛倒𫟎唐惑諸後學道家除老𨵿󷭯列之外諸𦀇皆是後人採摭佛𦀇之意造成而已晦菴欲蔽佛之光眀千方百計反而抑之也人𨿽可瞞天不可欺也󳼫齋先生曰佛出西方豈應扵此剽󷨔晦菴抵之太過不公󷭘出列子註。

○曰除晦菴外亦有排佛者此復何如曰自無主見不䏻識其道之深淺惟憑晦菴之󵘸󶹩而排之是為随人脚根轉也曰亦有不因晦菴之󵘸自欲排者此復何如曰󷰚如世人惟識常見之物不識難見之物忽遇眀月之珠夜光之󷰙光華璀璨𣴑輝奪目不識是寶󷭧之為恠尋握利󷟌猛力而拒之爭知此物䏻使貧者富賤者貴有如是功與徳也亦猶瞽者不見日月之光欲令盡天下人𣅜瞽其目同󵘸日月無光眀也。

○曰󷃪謂或者曲罪柳子辯之眀󷭘爭柰亦罪王維乎曰王維𨺻扵漁陽不得已而𠁅之落他網中不得不爾然後潜求良筞󷑆身還國之計也曰王維何不就死胡為而存之曰此時玄宗蒙塵扵蜀肅宗攝朝二主𣅜未遑寧𠁅王維安忍棄君而就死地乎顏淵告孔子曰子在囬何敢死此之謂也蘇󲈦𨺻扵匈奴𨿽持漢節亦受匈奴之制落他網中不得不爾此亦不忍棄君而就死地也王維蘇󲈦易地則𣅜然惜乎後世不求其長而求其短故罪王維𠰥以天理神眀之鑑鑑之則不可罪王維也。

○曰󷃪謂劉坦之󵓕惟識杜公之學未識李公之學然二公之學何以異焉曰韓子亦言李杜文󷜞光󵙶󷭛丈曾無優劣之分但子羙長扵作法見識蒼古太白長扵神妙見識廓逹󷨯有道味如󷭝之無形跡可見而䏻裂山填水興雲布雨活法變化不同凡獸之𬒳人捕縛者也後世仰之彌高莫䏻近傍所以譭之選詩𥙷註坦之去󷪱之間極欠仔細唐詩未暇論之宋詩惟收晦菴之作宋人為用佛家性理故不類古詩所以元人非之當知唐詩可學宋詩難學元人不䏻継宋反以非之亦氣運之變也然晦菴詩文專用佛家性理巴巴挈挈認着影響不知實𠁅如眀教禅󷃪之所謂似是而非也坦之獨󷪱其詩不識坦之󶹩何立意盖坦之不眀道眼故不䏻将宋人稱斤定兩逐箇識破由是區區蒲伏扵晦菴脚根之下也嗚呼苟䏻󶹩佛法大海中󷮦拶得透囬視晦菴自知之󷭘近世逹之者未言成道元本中峯且言宋景濂亦䏻黙而識之不露齒也。

○曰󷃪謂晦菴欲掩濂溪之學得扵禅宗故言周子之學得之扵天󷃪之󴨐論愚猶未逹再乞眀誨啟沃愚懷曰佛是三界大聖人尚󶹩然燈佛授記作佛孔子為萬世󷃪法亦問扵老子學之不厭誨人不倦好古敏而求之者也玄󷯓禅󷃪曰無󷃪自悟者天然外道也古之聖人尚𠋣河圖洛書以成文籍觀天地察物理以定隂陽量日影筭盈󷰰以成󷍓数未甞得之扵天也子夏荅魯哀公曰臣聞黃帝學乎太真堯學乎伊壽舜學乎務成跗禹學乎西王國湯學乎威子伯文王學乎鉸時子斯󲈦王學乎郭政周公學乎太公󷯫自開闢已来豈有得之扵天者乎周子惟有淳厚之徳扵黃󷭝佛印𠁅得些子禅學扵東林禅󷃪𠁅得󷘰易學并󵘸眀太極圖之意旨由是為一代名公短中求長而已何以昧其根本而謂得之扵天斯言大謬欺紿後學甚󷭘。

○曰󷃪謂隂符𦀇近老荘何以󷭣焉曰其文高古其旨眀道作者非黃帝則老𮤚非老𮤚則󷭯列餘人不䏻也邵子謂七國時書亦非也伊川謂非商末則周末斯言庶幾󷭘晦菴謂唐李筌所作何其昧󵗡古人亦無此作况唐人乎晦菴又言此書有強兵戰󷣈之術斯言益昧󷭘此書全󵘸道理断無兵機𨿽甞有云天發殺機󷭝蛇起陸人發殺機天地反覆天人合發󷭛化定基此言心法幾󳏧一動一靜與天時𣴑行之道㝠一脗合無過與不及之謂也豈兵󷭨之謂乎且兵法起扵黃帝其書𨿽不及見大率不外乎大公󷯫之三畧六𮧲孫子󲈦之十三篇也至扵吳起司馬法尉繚子之兵法亦不外乎此孫龐樂毅起翦頗牧韓信霍生諸葛魏武謝安桓溫之用兵亦不外乎此唐太宗與李靖講眀至󷭘得󷭘征伐之理興仁義去暴󷭡正國土以救民不得已而用之豈合宜之事乎故云戰徳𢧐仁義未言𢧐兵也武𦀇格𢧐之理觀天時察地利任之以勇智固之以仁信秉之以忠義正兵竒兵之變臨事󷭿󷭨擊其󷄅避其實以佚待勞以近待遠以飽待飢無恃強以勇進無怯威以速退可攻則攻可守則守活法變化󷭨用無窮以隂符𦀇較之猶天之與淵大不󷭶󷭘盖晦菴有󳑧學之才󷨯得些子佛學後人不逮故服其言不䏻擇其善不善也。

○曰󷝳無𡨜滅之理晦菴曾用否曰用󷭘󷄅無𡨜滅之理者靜而無𫝹也晦菴云人生而靜天之性也感扵物而動性之欲也詩󷘰序又云靜䏻生動便是漸漸恁地消去又漸漸恁地長隂符𦀇註此即變用󷄅無𡨜滅之語惟變其語不變其理晦菴如是明擠暗用脉脉不断盖晦菴󷭤󷄅無𡨜滅之理以為󵘸性理之根本故也曰󷃪言至󷭘吾儕不䏻自省覺爾。

○凡慢佛者鮮有不嬰折挫者焉或󷗯名位不進或進而復墜設不墜亦貧困或中途天閼或子孫乖蹇如是隂󳓸天譴也世人酣迷不䏻覺察耳盖受晦菴之所󶧠也晦菴亦償此感於趙宋光宗紹熈間累官州邑而已寧宗召除煥章閣待制󷨯侍講甫四十六日󷮱卒理宗追諡文公焉嗚呼以其文義欲欺三界大聖人度人出生死成道果生福徳開智慧眾徳統備之大法耶豈非深悖天理乎曰晦菴亦論性論道豈惟文義乎曰𰝩溪問性於東林󷰒󷃪󷃪曰性即理也東林以性之瑣末應酧而已理之一言豈䏻盡性之道󵗡猶曾子曰夫子之道忠恕而已󷭘忠恕之言豈䏻盡夫子之道󵗡此亦應酧而已𰝩溪以性即理之一言󷪱足於心授之程子後来晦菴𠋣恃其󵘸乃曰性即理者為千萬世󵘸性之根基中庸曰天命之謂性率性之謂道晦菴註云命猶令也性即理也率循也如是亦兼訓字而已󷭘以即理之所言指之為性循此即理󷮥之為道晦菴以此所言釋副中庸之義也嗚呼安得子思子再生於世論此道󵗡。

○曰晦菴門弟子蔡仲黙󵓕不甚排佛何以󷃪󶰦之不同耶曰自東漢南北朝而来諸子𨿽通佛學未克多以佛理著書作文惟以佛理脩心養道吟詠性情而已宋儒潜心佛學著書立言皆用佛理所以儒學至宋大變變為道學發明六𦀇四書也晦菴宗扵程子是故今日惟󵘸周程所得之源不言諸子之所󶹩也請觀𢧐國之下荀卿吕不韋司馬遷賈𧨏董仲舒劉向楊雄班固󵓕語不越六𦀇孔孟老󷭯之意至扵永平年間佛法入中國之後范曄曹植許玄度陶淵明王維李翱󵓕語已入佛學󷭘故有評佛論㱕去来󷭟結廬在人境中嵗頗好道復性書󵓕語至扵楊億楊傑二󷑐𰝩溪橫渠二程及上蔡龜山東菜南軒晦菴󵓕語渾用佛學故有𡨜黙危坐做工夫尋樂𠁅識神靈性󷄅而靈𡨜而妙返本還源用力之久一旦豁然貫通焉無極而太極無極之真體用一源󵓕語所以晦菴與門弟子皆未排佛晦菴盖為汎用佛意欲掩佛學之徳全㱕自己之功故立排佛之言栽扵書中令人信伏後人披覽承󷄅接響排之而已排佛用此逢蒙之計者起扵張子厚謝良佐楊中立張󷭦夫󵓕廣之扵晦菴也曰然則張子厚󵓕排佛之語吾󷃪何不辯眀而󷛁之曰屏山李學士鳴道集言之詳󷭘曰韓子排佛之語吾󷃪何不辯眀而󷛁之曰當時大顛禅󷃪言之詳󷭘曰石介󵘸恠吾󷃪何不辯眀而󷛁之曰如意󷯷禅󷃪荅石記言之詳󷭘至扵󷰲禅󷃪甄正論嵩禅󷃪輔教編非韓篇相國無盡張公護法論妙眀成禅󷃪折疑論靜齋劉學士三教平心論千瀨慶禅󷃪顯正論󷯷禅󷃪辯偽録少󷃪󲵐公道餘録諸公互加發眀益詳󷭘先徳未言者今日為子言之而已。

○曰中也𨿽不敏亦知佛法不可排也世之排者󷗯令後學失其善心扵天理何如󵗡曰佛法者生育天地之大本主宰󷭛化之靈󷭨上窮空界下徹地輪莫非佛法之所統攝如是大道何愳排乎󷰚如大海䏻容百川之水亦容諸雑󷮲𣴑𠰥󷮲𠰥清咸成一味有如是徳故名為海佛法亦然毀譽不動以見佛法之大也詩曰公孫碩膚赤舄几几此之謂也觀其力排之意速去佛法掃土而盡爭知愈排愈盛愈抑愈揚如張一掌擬掩太陽󶰦奮身努力而不䏻掩太陽少許之光眀惟󰡷自己之徳耳又如仰面噀天自污其首逆風揚塵自坌其己然則何益󷭘當知排佛法者眾人也王天下者聖人也大道在聖人作興此天地一定之理堯典曰放勳欽眀文思安安允󵝀克讓光𬒳四表格于上下泰誓曰天佑下民作之君作之󷃪惟其克相上帝寵綏四方盖言元后行道以身先之也󷭥代帝王祖述其道撫育󷭛󳬛其揆一也佛法大道之學教人為善也是以󷭥朝崇尚至我聖朝以皇極而󷗯治以佛心而󷗯仁太祖皇帝加板的嗒和尚為國󷃪太宗皇帝加大寶法王為上󷃪仁宗皇帝加光法󷃪為國󷃪宣宗皇帝加慈㤙和尚為法王今上皇帝加楊國󷃪為上󷃪聖量高眀天然正性󳭪弘佛法利益世人佛法󵡢無益扵天下安得如是之感乎。

○曰󷃪謂佛法利益世人不知有何利益曰㕘禅悟道者得眀心見性之益窮究經教者得眀通玄𭥍之益依法脩行者得漸入菩提之益持𢦶𫝹佛者得生淨土之益持𢦶禅定者得生天上之益㱕依信受者得善根福慧之益善心󷭦佛者得善因福果之益依信佛法者不作諸惡得不煩刑法之益佛法行于世間得隂翊皇度之益此是體乎三教聖人之心與天地神眀至公無私之意余以慈悲方便令汝知之慎勿亦效逢蒙紀昌之用心也自喪其徳惟是一身之咎󵡢或教壞世人倣而排之是則𭠡因帶果罪不可逃󷭘曰罪福果報死生󵓕事此皆佛書之語吾儒不信也曰豈特佛書有是語乎大禹󷯑曰恵迪吉󶹩逆凶伊訓曰作善降之百祥作不善降之百殃坤之文言曰積善之家必有餘慶積不善之家必有餘殃子曾子曰人之好善福𨿽未至去禍遠󷭘人之為惡凶𨿽未至去禍近󷭘豈非罪福果報乎繫󷭟曰死生之󵘸精氣為物㳺󵖷為變孔子又謂子路曰未知生焉知死豈非論死生之事乎子乃輕扵聖人之訓重扵後人之言謂無罪福果報死生󵓕事壞其心術也不愧罪福則無徳󷭘無徳安䏻進道大󵗡佛法眾徳統僃世人獲其善利不知報㤙反生排謗甚扵子之刃父也汝知之乎曰余改轍󷭘豈復𨂻彼蹊乎復持此意諭諸朋軰令彼知非免罹害徳之咎益感吾󷃪之徳其深興󷘰不可極其涯󷮷󷭘。

○曰󷃪謂三教聖人各出隻手扶持大道以成天下之化權此切論也仰󷯿聖上制法行事三宗並弘夫天下之人咸推此理即契天地聖人之心也曰子言善󷭘皇上明逾日月量同天地道齊堯舜徳󷯷商周恊和󷭛󳬛平󷜞百姓追囬上古四五千年之淳朴󷭾醒末學二三百載之沉迷車同𮜿書同文混一區宇儒崇仁老崇理咸契佛心上符列聖之鈞󷯑廣𬒳至仁之厚徳仰󷩫淳風政化永𡸁󷭛世無疆之大猷聖子神孫克紹一定不遷之洪業鈞陶󷭛化時歌有道之昇平共樂泰和日頌無為之至治永貽厥徳克配天心者焉。