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title: "大昭慶律寺志 · 駱駸曾贈仁宇上人住持本山序"
description: "大昭慶律寺志由清代学者吴树虚编纂，是一部记载杭州大昭庆律寺历史与文化的佛教寺志。该书成于清代，反映了当时佛教律宗的发展状况与寺院经济、文化面貌。内容涵盖寺院沿革、高僧传记、建筑布局、宗教仪轨及历代碑刻文献，是研究清代律宗与江南佛教的重要史料。该志不仅具有地方志的详实特征，更在佛教文献中占据独特地位，为探讨中国近世佛教制度、寺院生活与社会互动提供了权威参考。"
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駱駸曾〈贈仁宇上人住持本山序〉　四方縉紳先生，凡有事於武林西湖者，咸稅駕於昭慶。當路貴人干旄相望，旦晚晉接無虛晷。每歲推賢而才者二人主之，其任最劇且艱。今年仁宇上人適當厥任，同衣敏如輩丐言為賀。余嘗考古住持之義，而慨今之不古若也。古者住持，專於流通佛法，住佛地，持佛戒，闡揚宗旨，為人天導師。一時王公大人無不分庭抗席，講賓主之好。昔蘇子瞻守杭日，從部內耆宿共參密契，屈二千石之尊，下交野衲於破鐺敗壁前，恐不得當如參寥、辨才其人者，風軌可挹。近世士大夫，我慢相高，傲然芥視諸衲子。每前旌及門，主者披緇道左，率眾趨蹌，僕僕送迎，惟恐獲罪。欲復抗顏持佛威儀、同世法講，均敵禮不可得，何況揚拳豎佛，高坐說法，大揚宗風？此於住持名義，幾如魯季之告朔矣。然一二賢者處此，能向糾紛中得大解脫，不離世相，亦不著世相，從境現心，從心攝境，打成一片。高高下下，隨機應接，譬如浮雲卷舒，變態千萬，空際無一物，將迎送趨蹌盡成妙用。此非世間大智慧人未解辦此。仁宇慷慨歷落，直心白意，向人輒傾肝膽，與近來禪和口說三昧、胸藏萬斛塵垢者迥別。且才具明敏，遇事立解，若利刃之截物。以此處盤根錯節間，當有躊躇滿志者。余不賀仁宇之得住持，賀住持之得仁宇也。遂走筆書贈。

> 駱駸曾が〈仁宇上人に本山の住持を務めることを贈る序〉に曰く、世の官人や学者たちで、杭州の西湖に用事のある者は、皆、昭慶寺に宿を取る。権力者たちは旗を連ねて訪れ、朝から晩まで応対が絶え間ない。毎年、賢明で才ある二人がこの任を務めるが、その責務は最も激しく困難である。今年、仁宇上人がこの任に当たることとなり、同僚の敏如らが言葉を乞うて祝福とした。 私はかつて住持の意味を調べ、現代が古のようでないことを嘆いた。古の住持は、専ら仏法の流布に専念し、仏の境地に住し、仏の戒律を守り、宗旨を宣揚し、人天の導師であった。当時の王公貴人は皆、対等に席を並べ、賓主の交わりを楽しんだ。昔、蘇子瞻が杭州の太守であった時、領内の高僧たちと共に密かに仏法を極め、二千石の地位を屈して、破れた釜や壊れた壁の前で野の僧と交わり、参寥や辨才のような人物を得ることの難しさを惜しんだ。その風儀は今もなお慕わしい。 近世の士大夫は、我慢を競い合い、傲然として僧侶たちを塵芥のように見なす。旗を先頭に門に至れば、住持は縁側で墨衣をまとい、大衆を率いて慌ただしく迎え送り、罪を得ることを恐れる。かつてのように仏の威儀を保ち、世俗の礼法と対等に交わり、対等な礼を求めることはもはや不可能であり、ましてや拳を振りかざし、高座に説法し、宗風を大いに宣揚するなどなおさらである。これは住持の名義にとって、まるで魯の国が告朔の礼を廃したようなものである。 しかし、中には賢者がいて、このような状況にあっても、煩雑さの中から大いなる解脱を得て、世の相を離れず、また世の相に執着せず、境によって心を現し、心によって境を収め、一つに打ち込む。高低さまざまに、機に応じて応対し、それはまるで浮雲が巻き舒し、千変万化し、虚空には何ものもないように、迎え送りの慌ただしさも全て妙用となる。これは世間の大智慧ある人でなければ、なし得ないことである。 仁宇上人は、気概に溢れ、爽やかで、直心に真心を尽くし、人に向かえばすぐに肝胆を傾ける。これは、最近の禅僧たちが口では三昧を説きながら、心に万斛の塵芥を蓄えているのとは全く異なる。また、才覚は明敏で、事に臨めば即座に解決する。それはまるで鋭利な刃物が物を断つかのようである。このように盤根錯節の間にあることで、悠々と満足するに足るだろう。私は仁宇上人が住持を得たことを祝うのではない、住持が仁宇上人を得たことを祝うのである。そこで筆を走らせて贈る言葉とする。

《靜志居詩話》云：辛丑夏，留湖上昭慶僧舍。時錢受之、曹潔躳、周元亮、施尚白諸先生，後先來杭。有持元〈西湖竹枝詞〉請受之甲乙。先生曰：「和者雖多，要不若老鐵。」次日，羣公泛舟於湖，曹潔躳引盃曰：「老鐵之外，誰為擅場？請各舉一詩，不當者罰。」周元亮舉陸仁作，施尚白舉張簡作，南昌王于一舉嚴恭作，吳袁令昭舉強珇作，武進鄒訏士舉申屠衡作，錢唐胡彥遠舉徐夢吉作，蕭山張南士舉繆侃作，山陰祁奕喜舉釋文信作，錢唐諸駿男舉馬琬作。余曰：「諸公所舉皆當，然未若吳興沈性之作，不獨寄託悠遠，且合竹枝縹渺之音。」曹先生曰：「然。」諸公與余各浮一大白。

> 『静志居詩話』に次のようにある。辛丑年の夏、西湖の畔にある昭慶寺の僧舎に滞在した。その時、銭受之・曹潔躳・周元亮・施尚白といった諸先生方が相次いで杭州を訪れた。ある者が元の『西湖竹枝詞』を持ち出し、銭受之にその優劣を評価してもらった。先生は言われた。「和作は多いけれども、やはり鉄笛道人（楊維禎＝老鉄）の作には及ばない」と。 翌日、一行は湖に舟を浮かべた。曹潔躳が杯を掲げて言った。「老鉄の他に、誰が最も優れているでしょうか。皆さま、それぞれ一首を挙げてください。適切でなければ罰杯です」と。周元亮は陸仁の作を、施尚白は張簡の作を挙げた。南昌の王于一は厳恭の作を、呉の袁令昭は強珇の作を、武進の鄒訏士は申屠衡の作を、銭唐の胡彦遠は徐夢吉の作を、蕭山の張南士は繆侃の作を、山陰の祁奕喜は僧・文信の作を、銭唐の諸駿男は馬琬の作を挙げた。 私（朱彝尊）が言った。「皆さまの挙げられた作はどれも適切です。しかし、呉興の沈性の作には及びません。ただ趣きが深く遠いだけでなく、竹枝詞特有の幽玄な響きをもよく表現しています」と。曹潔躳先生は「その通りです」と頷かれた。そこで諸先生方と私は、それぞれ杯を一気に飲み干した。