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title: "玉岑山慧因高麗華嚴教寺志 · 序二"
description: "玉岑山慧因高丽华严教寺志由明代李翥编纂清代丁丙增补是一部记载杭州玉岑山慧因寺历史的重要佛教寺志该书详述了该寺自宋代以来作为华严宗根本道场的兴衰沿革特别是与高丽僧侣交流及华严经典传播的史实内容涵盖寺院建筑高僧传记宗教活动与文物碑刻等是研究中国华严宗史中韩佛教交流与江南佛教历史不可或缺的文献具有极高的史料与宗教文化价值"
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### 序

> 序文

高麗慧因寺，盛于晉水禪師，名于三韓弟子，而韻于東坡居士。居士取赤山土，以實六橋之隄。形家言「斷其左臂，不利于寺」，誓身為伽藍神以護之。居士精神，泰山喬嶽東廡魏楚；即南高峰右峙，且培塿視之，何啻赤山一簣土耶？第寺廢于勝國殘季，皇明鼎新，圖籍未定。山遍為歌鐘之北邙，田沒于大力之趨負。袈𧘡一幅，地僅如丸掌。即經無際、易菴、今本源三師之剏豎，不能及當年什一。入寺俳佪，御筆琅函、金書寶軸，什九又歸烏有，不勝悲悼。吾友李飛侯遊屐戾止，感居士之志，纂輯遺文，集為一編。且搜摭景物，得十則，各附以詩。求同志者更相酬和，長篇短什，隨興所發，彙而成帙，以侈觀美。且曰：「凡一切法施、無畏施、財施，俱寓無力可辦；獨有心施一著，寓之于詩。倘宰官富人見而生悲憫心，破慳嗇心，亦興觀羣怨之一助也。」予嘆曰：「即今兄士聞此，舒亶、李定不能禁其捉筆，況同志乎？」則是編之成，雖謂居士護教力亦可。天啟丁卯仲秋，荊溪蔣如奇書于歸雲樓

> 高麗の慧因寺は、晋水禅師によって栄え、三韓の弟子たちによって名を知られ、東坡居士によってその名を響かせた。居士は赤山の土を取って、六橋の堤を築いた。形家は「左の臂を断つことは寺にとってよくない」と言ったので、居士は自ら伽藍神となって寺を守ることを誓った。居士の精神は、泰山や喬岳、東廡の魏楚のように雄大である。南高峰が右に峙していても、それを培塿のように見なすならば、赤山の一簣の土など何ほどでもないではないか。ただ、寺は勝国の末に廃れ、皇明が新たに起こったが、図籍はまだ定まっていない。山はことごとく歌鐘の北邙となり、田は大力の趨負に没してしまった。袈裟の一幅ほどの地は、ただ丸い掌ほどのみである。無際・易菴・今本源の三師が創建したといっても、当年の十分の一にも及ばない。寺に入って佇めば、御筆の琅函や金書の宝軸も、その大半はすでに烏有に帰しており、悲悼に堪えない。わが友の李飛侯が遊屐をもってここに至り、居士の志に感じて遺文を纂輯し、一編に集めた。さらに景物を捜摭して十則を得て、それぞれに詩を附した。同志に酬和を求め、長篇短什、興の赴くままに発して、彙めて帙となし、観美を侈しくしようとした。そして言うには、「およそ一切の法施・無畏施・財施は、いずれも力がなくては办じがたい。ただ心施の一著だけは、詩に寓することができる。もし宰官や富人がこれを見て悲憫の心を生じ、慳嗇の心を破るならば、これもまた興観群怨の一助であろう」と。私は嘆じて言った。「ただいま兄士がこれを聞けば、舒亶や李定もその筆をとることを禁じえないだろう。まして同志ならなおさらである。」とすれば、この編の成ったことは、居士の護教の力と言ってもよい。天啓丁卯の仲秋、荊渓の蔣如奇が帰雲楼にて書した。