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title: "西谿梵隱志 · 大青嶺　趙西塢　東穆塢"
description: "西谿梵隱志由清代學者吳本泰撰寫，釋智一編纂，是一部記錄杭州西谻地區佛教寺院與人文地理的專志。該書成於清初，詳載西谻一帶古剎興廢、高僧事跡、山水風物及歷代文人題詠，融合了佛教史志與地方文獻的雙重價值。書中不僅保存了明清之際江南佛教的寺院經濟、宗派傳承與宗教活動史料，還反映了佛教與士人文化的交融。作為研究區域佛教史與地方文化的重要典籍，它為探討清代佛教寺院生態及杭州宗教地理提供了權威參考，在佛教方志學中佔有獨特地位。"
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### 大青嶺　趙西塢　東穆塢

> 大青嶺　趙西塢　東穆塢

白栗又二里曰大青嶺其西三里為趙西塢東三里為東穆塢

> 白栗からさらに二里進むと、大青嶺という場所がある。その西へ三里行ったところが趙西塢であり、東へ三里行ったところが東穆塢である。

青嶺有千訓盧太尉墳其葬甚奓翁仲碑版已蕪滅

> 青山深く、千の道が連なる地に、盧太尉の墓がある。その葬りは大層豪勢だったが、石人や石碑はすでに荒れ果て、文字もかすれて消えようとしている。

西有趙太師墓宋之同姓王也或以為趙與懽亦無確據與懽三為臨安府尹惠濟饑民數敢直言國事時相忌之理宗書安貧樂道植節秉忠字以賜卒諡清敏贈太師

> 西の方に趙太師の墓がある。宋の時代、同じ姓を持つ王のものである。あるいは趙与懽のものとも言われるが、確かな証拠はない。趙与懽は三度臨安府の府尹となり、飢えた民を救済し、国事について何度も率直に意見を述べたため、時の宰相に疎まれた。理宗は「安貧楽道、植節秉忠」の言葉を書いて彼に賜った。死後、清敏と諡され、太師を追贈された。

東穆有太保洪鐘神道松楸列植五里嘉靖三年九月諭祭賜諡襄惠賜錢唐穆塢之阡王文成守仁銘曰

> 東穆有位太保，名洪鐘。他的神道兩旁，松樹和楸樹整齊地種植了五里之遠。嘉靖三年九月，皇帝下令祭祀，並賜予諡號「襄惠」，還賜予葬費，安葬於錢唐穆塢的墓地。王守仁（文成公）為他撰寫墓誌銘，銘文說：

桓桓襄惠　嶷然人傑自其始仕　聲聞已揭於臬於藩　圻漕是督亟命於南　亟召於北司空司寇　邦憲是肅帝曰司寇　爾總予師寇賊奸宄　惟爾予治既搜既遏　豕斃狐逸暨其成功　堅以老乞聖化維新　聿懷舊臣公不可作　維時之屯

> 桓桓たる襄惠公、そびえ立つ人傑なり その初めて仕えしより、声望すでに高し 按察使となり、藩屏となり、漕運を督す 南に召され、北に召さる 司空・司寇となり、国の法を正しくす 帝、司寇に曰く、汝、我が軍を統べよ 寇賊・奸宄、汝においてこれを治めよ すでに追い、すでに防ぎ、猪は斃れ、狐は逃る その功成りし後、堅く老を乞いて辞す 聖化、新たになり、旧臣を懐かしむ 公は再び起つことあたわず、ただ時勢の艱難あるのみ