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title: "徑山集 · 圎覺閣記"
description: "徑山集是明代僧人釋宗淨編著的一部佛教典籍。該書彙編了與浙江徑山寺相關的歷史文獻、祖師語錄、詩文及寺院規制等內容。其編撰於明代中葉，反映了當時禪宗的興盛面貌與徑山寺作為江南重要禪窟的歷史地位。本書不僅是研究徑山寺歷史與明代禪宗思想的重要文獻，也是了解中國佛教寺院文化與祖師傳承的關鍵資料，在佛教史籍中具有獨特的史料價值。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgmz204d1ce8l104ujl5zcu2"
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### 圎覺閣記

> 円覚閣記

淳熈十年二月己未，徑山興聖萬壽禅寺西閣成。乙丑，上賜住持僧寳印《御註圎覺經》，且命寳印為之序。既進，上為嘉歎，召見錫𧶘甚寵。扵是道俗咸曰：「賜經與閣成同時，冝牓曰『圎覺之閣』，且刻石以侈盛事。」則文咸曰：「陸㳺冝為記。」寳印以眾言来諗㳺扵山隂澤中，㳺蹙然不敢辭。恭惟聖天子以聡明睿智之資，體堯蹈舜，深造道妙，悟一心扵萬法之中。既以博極皇墳帝典、𦏁圗魯史之秘，而象胥所傳、木葉旁行亦靡不究覧。以大圎覺為我世界悼士之陋，多岐私智，昧乎大同，乃以萬機之餘親御註釋。凡十二大士之所問、調御之所說、佛陁波離之所譯、宗密之所註、裴休之所言皆氷釋縷解扵宸華之下。

> 淳熙十年二月己未の日、徑山興聖萬壽禅寺の西閣が完成した。乙丑の日、上は住持の僧寶印に『御註圓覺經』を賜い、さらに寶印にその序文を作るよう命じられた。序文が獻上されると、上はこれを嘉し歎賞し、召し出して賜り物も非常に厚かった。そこで僧侶も在家も皆、「經を賜ることと閣の完成とが同時であるから、『圓覺の閣』と名付け、石に刻んでこの盛事を広く伝えるのが良いだろう」と言った。そして文人たちは皆、「陸游が記文を作るべきだ」と言った。寶印は人々の言葉を携えて、山陰の澤中にいる私・游のもとを訪ねて來た。私は恐れおののきながら辭することをしなかった。 謹んで思うに、聖なる天子は聰明睿智の資質をもって堯の道を體得し舜の跡を踏み、教えの妙を深く極め、萬法の中に一心を悟られた。すでに三皇五帝の典籍や河圖洛書・魯史の秘奧を廣く極め、さらに通譯が伝え來る木葉に書き寫された經典も、もれなく探究された。大いなる圓覺を以て我が世界を思い、士大夫の淺陋さを悼み、多岐にわたる私的な知惠が大同を晦ませているのを見て、萬機の餘暇に親しく御註釋をなされた。十二大士の問い、調御の説法、佛陀波利の譯、宗密の註、裴休の言説、すべてが天筆の下で氷解し絲の如く解きほぐされた。

十殿𠰥干楹，為叢林擁衛；構無垢軒并雲厨󵓕室𠰥干間，為怡賓安眾之所。百器具脩，常住賴之。徑前作大門樓，自書「天下徑山」之扁。其天王殿門之扁，則駙馬都尉沐公所書也。

> 十もの殿堂や軒が立ち並び、密やかな林のように本堂を守り囲んでいる。さらに「無垢軒」や雲厨（寺院の台所）など、訪れる賓客や僧侶たちが安らげるための建物もそろえられた。生活に必要な百の道具もすべて整えられ、寺院の運営はこれによって支えられている。参道の入口には大きな門楼が建てられ、自ら筆をとって「天下徑山」の扁額が掲げられた。天王殿の門の扁額は、駙馬都尉の沐公が書いたものである。

迨𡻕甲寅，公春秋𥨊高，倦扵接引，思休閑且預謀歸𡨜之地，迺即寺北偏作退居，號「圎照」，結窣堵波，號「壽塔」。乙卯秋既就，述偈而退。今天子改元正統之丁巳夏，偶逰京師，因𦾔𠵊余，来求紀。其作用之𡻕月，将立石寺中，以貽謀後。来俾有繩纘。予素重公平昔行願非小，今此盛舉，真菩薩心，信所茟之。

> 時は甲寅の年に至り、大師は年齢が次第に高くなり、人々を導くことに疲れを覚え、静かな隠退生活を望み、また終の棲家となる場所をあらかじめ計画されました。そこで、寺院の北側の片隅に隠居所を構え、「円照」と名づけました。また、卒塔婆（そとうば）を建立し、「寿塔」と名づけました。乙卯の秋、それが完成すると、偈（げ）を述べて隠退されました。 今の天子が元号を「正統」と改めた丁巳の夏、たまたま都に参られ、旧くからの親交がある私のもとを訪ねて来られ、その事績を記録するよう依頼されました。その建立の年月を記し、寺に石碑を立て、後世の人々に伝え、その志を継いでほしいというのです。私はかねてより大師の平素の行いと願いが決して小さなものではないことを尊んでおりました。このたびのこの盛大な行いは、まさに菩薩の心そのものと信じ、謹んでこの文章を記しました。

賜進士出身，前監察御史，中順大夫，大理少卿吴興楊復㤗之𢰅