---
title: "徑山集 · 雙溪化城接待寺記"
description: "徑山集是明代僧人釋宗淨編著的一部佛教典籍。該書彙編了與浙江徑山寺相關的歷史文獻、祖師語錄、詩文及寺院規制等內容。其編撰於明代中葉，反映了當時禪宗的興盛面貌與徑山寺作為江南重要禪窟的歷史地位。本書不僅是研究徑山寺歷史與明代禪宗思想的重要文獻，也是了解中國佛教寺院文化與祖師傳承的關鍵資料，在佛教史籍中具有獨特的史料價值。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgmz204d1ce9l104vgaqhx7n"
---

### 雙溪化城接待寺記

> 双溪化城接待寺記

徑山天下苐一禅剎，𥥆深修阻，高人逹士之所輻湊，余每恨無因至焉。去年春，奉詔祈澤山間，佛日禅師宣公獲知今承相魯國公居是山七年矣，忻然領予裴徊周覽。雲山重複，草木蓊薆，悅可人意。而又棟宇宏麗，器物潔齊，為之昭愕加歎。彼息心淨住，何為得此哉？乃言曰：「重跰而来者，窮其日力，食息無所。吾又扵雙谿之上築室百間，濟其所不及。皇帝甞錫『化城』二大字，因創重屋，尊而閣之。殿𥨊門廂庖廩湢浴靡不備。」願得識其寔，亟命箯輿並㳺，至則有遇，其言無不及也。余遂言扵師曰：「吾儒之道，食無求飽，居無求安，敏扵事，謹扵言，就有道而正焉。釋迦氏初至雪山，勞其筋骨，餓其體膚，既勤且勩，不減吾儒也。今為僧者，不耕而穫，拱坐得食，随寓随足，又為之菱舎，使朝不及餐扵此乎榖，夕不及宿扵此乎館，将翱将翔不至半塗而廢，得無過扵安且飽乎？夫登山者将為道謀乎？将為安飽乎？苟志扵道，則居不必安，食不必飽，孜孜求之。求之不得，不敢少怠。意會神契，斯有得矣。師謂何如？」師曰：「此吾考室之意也。能不媿此室，則在其人。」吁！彼能識師意歟？既畢力营繕，遠近信敬，翕然樂施。師又自裒其槖，合緍市田千畝為無𥁞供，扵是化城之居可久以大，而師所以待其徒之意始愜，不可不識也。師名可宣，吾蜀嘉㝎許氏子，別峰印公、橘洲曇公之弟。曇又其同氣也。禅印詩曇，有之似之，上雅聞其名，用錫佛日之號。奎畫蜫耀，草木生榮，年餘七十，甞手書《華厳》󵓕經𢇮藏茲山，又築窣覩波扵後，當相與為不朽云。

> 徑山は天下第一の禅刹であり、奥深く修行の道も険しい。高僧や賢者が集まる場所であるが、私にはこれまで訪れる機会がなく、それを常に残念に思っていた。昨年春、山間の雨乞いの勅命を受け、仏日禅師宣公に導かれて、今の丞相魯国公がこの山に七年住んでいることを知った。師は喜んで私を案内し、ゆっくりと見て回らせてくれた。 雲に囲まれた山々が重なり、草木は鬱蒼と茂り、心を和ませる。建物は壮大で美しく、器物は清らかに整い、私は驚きとともに讚嘆した。静かに心を落ち着けて暮らす者たちが、どうしてこのような場所を得られたのだろうか。 師が言うには、「はるばる歩いて来る者のために、力を尽くしても食べる場所も休む場所もありませんでした。そこで私は双谿のほとりに百もの部屋を建て、彼らの足りないものを補いました。皇帝から『化城』という二文字を賜り、そのため建物を重ね、尊んで安置しました。本殿、寝室、門、台所、倉庫、風呂、洗面所、全てが備わっています。」とのことだった。 私はその実情を知りたくて、急ぎ竹の輿に乗って一緒に行き、到着すると確かに出会い、その話はすべてに及んでいた。そこで私は師に言った。「我々儒家の道は、食べ物に飽きることを求めず、住まいに安らぎを求めず、仕事に敏く、言葉を慎み、道ある人に近づいて正すものです。お釈迦様も初めて雪山に至り、その骨や筋肉を苦しめ、身体を飢えさせ、勤めつつも苦しみ、我々儒家に劣りません。今の僧たちは、耕さずに収穫を得て、座ったまま食べ物を得て、行く先々で満ち足りています。さらに恵まれた宿舎を作り、朝に食事にありつけずともここで食べさせ、夕方に宿がなくともここで泊まらせ、のびのびと行き来しながらも、途中で力を尽くすことがない。これはあまりに安穏で満ち足りているのではないでしょうか。山に登る者は、道のためを思うのでしょうか。それとも安穏と満腹のためなのでしょうか。もし道を志すなら、住まいは必ずしも安らかでなく、食べ物は必ずしも満ち足りなくてもよく、ひたすら努力して求めなさい。求めても得られなくても、少しも怠ってはいけません。心が一致し、悟りが通じれば、そこに得るものがあるのです。師はどうお考えですか。」 師が言った。「それが、私がこの建物を計画した意味です。この建物に対して恥じない生き方ができるかどうかは、その人次第なのです。」 ああ、彼らは師の真意を理解できるだろうか。師は力を尽くして建築を成し遂げ、遠近の信仰者たちは皆、喜んで布施をした。師は自らの財布も取り出して、千畝の田んぼを買い、尽きることのない供養とした。こうして化城の住まいは長く大きく続くことができ、師の弟子たちに対する思いはようやく満たされた。これを記録せずにはいられない。 師の名は可宣、我ら蜀の嘉定の許氏の子である。別峰印公、橘洲曇公の弟であり、曇公はまた同氣の兄弟である。禅の印は詩人曇公に通じ、その風格がある。天子はその名声を聞き及び、仏日の号を賜った。天子の筆跡は輝き、草木も栄える。師は七十歳を超えても、自ら『華厳経』を書き写し、この山に収め、また後に塔を築いた。これらは共に不朽のものとなるであろう。

嘉㝎丙子季夏月吉，朝奉郎守軍器監󷨯侍左郎官眉山楊汝明記并書

> 嘉定・丙子の年、季夏の月の吉日、 朝奉郎・守軍器監・侍左郎官・眉山の楊汝明がこれを記し、書す。

## 徑山集上

> 径山集 上