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title: "天樂鳴空集 · 色空"
description: "天樂鳴空集是明代居士鮑宗肇所述，由高僧智旭鑑定編訂的佛教典籍。該書誕生於明末佛教復興時期，融匯了淨土與禪宗思想，主要闡述念佛修行與般若空性的融合之道，強調通過持名念佛契入實相。內容包含詩偈、開示及修行要領，文辭優美，義理深邃，體現了當時禪淨雙修的思潮。作為明清佛教重要著述，它為淨土法門提供了理論依據，對後世修行者影響深遠，是研究漢傳佛教淨土思想與實踐的重要文獻。"
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### 色空

> 色即是空

嘗觀七佛偈，每以身心罪福如幻、如化、如泡、如沫，悉皆無實，則知佛佛相傳，唯傳空法。世尊出現，前後演唱盡談空耳，故曰：「破有法王出現世間。」又曰：「終歸於空。」蓋眾生生死輪轉，唯執有也。空者，非是撥有而空，亦非排遣分析而空，乃即有之空。故《法界觀》曰「色即是空者，謂色舉體不異空，全是盡色之空，故色盡而空現。」

> 私はかつて七仏の偈を拝読いたしました。その中で、身も心も、罪も福も、すべて幻のようであり、変化のようであり、泡のようであり、沫のようであって、ことごとく実体がないことを説いておられます。このことから、仏から仏へと伝えられたものは、ただ空の法のみであると知ることができます。 世尊がこの世に現れ、前後に説かれた教えも、すべて空について語られたものにほかなりません。だからこそ、経典には「有を破する法王、世間に出現したもう」と説かれ、「ついには空に帰す」とも説かれているのです。 そもそも衆生が生死の輪廻を繰り返すのは、ただ「有」に執着するからにほかなりません。しかし、ここで言う空とは、有を否定して空となすのではなく、また有を排斥したり分析したりして空とするのでもなく、有そのものが空であるという意味なのです。 それゆえ『法界観』には、「色即是空とは、色がその全体において空と異ならないことをいう。これは色を尽くした空のことであり、それゆえ色が尽きると空が現れる」と説かれているのです。

菩薩看色即是見空，觀空莫非見色，為一味法。未達者，乃欲棄有著空，永嘉所謂避溺投火也。妄見外法，縱然遂將心意捺伏，以佛語妄自和會心生法生、心滅法滅等，殊不知佛意乃指萬法無體，悉是心耳。

> 菩薩が色を見ることは、すなわち空を見ることです。空を観じることも、また色を見ないわけではありません。これらは一つの味わいの法なのです。まだ悟りに至らない人は、有を捨てて空に執着しようとしますが、これは永嘉大師が言うところの「溺れるのを避けて火に飛び込む」ようなものです。心の迷いが外の法を見ると、ただちに心を押さえつけてしまおうとし、仏の言葉を借りて「心が生じれば法が生じ、心が滅すれば法が滅する」と勝手に解釈します。しかし、仏の真意は、すべての法には実体がなく、すべては心に過ぎないと示しているのです。

如是種種錯解用力除遣，直至有頂，八萬大劫功力盡日細念復生，向來妄自謂出三界、破生死，豈知三界、生死儼在？乃至謗佛法，墮阿鼻。此係不達真空，極力修行，終作魔伴，故從上佛祖痛為呵斥。

> このような様々な誤解を力づくで除き去ろうとしても、有頂天に至るまでの八万大劫の修行の功徳が尽き果てた時、微細な想念が再び生じてくる。これまで妄りに三界を出て、生死を破ったと思い込んでいたが、どうして三界や生死がそのまま存在していることを知ろうか。さらには仏法を誹謗して、阿鼻地獄に堕ちることもある。これは真の空を悟らずに、力づくで修行を続けた結果、結局は魔の仲間となってしまうのである。それゆえに、昔からの仏や祖師方はこれを痛烈に戒められたのである。

夫佛祖正意，色、空原非二致，如金與器、如水與冰，唯是一法。迷時，唯見幻色，不見真空，如金作器，器顯金隱；如水為冰，冰成水奪。悟時，徹底唯空，本無外色，如見釵釧，渾身是金；如日銷融，全體是水。則知釵釧與冰，但有虛相、虛名，當體唯是水與金也。真如隨緣成立萬法，萬法但有虛相、虛名，當體唯是真如。達磨大師曰：「迷則色攝識，悟則識攝色。」若能如是，則亦空、亦色，即俗、即真，遮照同時，理事無礙，一生可以成辦大事。若昧斯旨，觸途壅滯，故教中稱為色陰。

> 仏祖の正しい意図について言えば、色と空は元来、別々のものではない。それは金と器、水と氷のようなものであり、ただ一つの法に過ぎない。迷っている時には、ただ幻の色だけが見え、真の空は見えない。例えば金で器を作れば、器は現れて金は隠れる。水が氷となれば、氷はできて水は見えなくなる。悟った時には、徹底的にただ空のみであり、もとより外に色はない。例えば飾りを見れば、その全体が金であることを知る。太陽が溶かすように、全体が水であることを知る。そうすれば、飾りや氷は、ただ虚ろな形と虚ろな名前を持つだけで、その本体はただ水と金であると分かる。真如は縁に従って万物を成立させるが、万物はただ虚ろな形と虚ろな名前を持つだけで、その本体はただ真如である。達磨大師は言った。「迷えば色が識を摂し、悟れば識が色を摂す。」もしこのようにできれば、また空でもあり色でもあり、俗でもあり真でもあり、否定と肯定が同時に働き、理と事が妨げ合わず、一生のうちに大事を成し遂げることができる。もしこの旨を暗くすれば、どの道にも行き詰まる。それゆえ教えの中では色陰と呼ぶのである。

陰者，覆蓋之義。不達自心，妄現外法，根境既立，此心頓隱，生死輪迴從茲而始，故曰：「照見陰空，度盡苦厄。」見陰空者，無明頓破，萬法銷亡，妙淨明心，廓然披露，是名達空、是名般若，本無三界可出、生死可亡，故曰：「一念得心，頓超三界。」

是故，見空者非是冥寂無知，但空而已，乃真心顯現時也。真心何由顯現？正萬法空盡時也，見空即是見心、見心即是見空，非異法也、非異時也。切勿謂：「我空則空矣，心則未見也。」此係心外見空，非真空，乃斷空也。又勿謂：「我心則見矣，法尚未空也。」此係法外見心，非真心，乃識心也。故曰：「是，則龍女頓成佛；非，則善星遭陷墜。」龍女達真空則頓同古佛，善星妄撥空而生身陷地獄也。

常觀梵剎之外先建三門，夫三者，乃空、無相、無作三法，謂之三解脫門，令其一入此門即當達此三法。今之入是門者，果能達否？慎毋口則談空、行則著有，故曰：「君子以空進其德，小人以空肆其欲。」入空門者，請諦審焉。

信士孫洪基助刻