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title: "護法錄 · 仁和圓應庵記"
description: "護法錄是明代佛教重要文獻由宋濂著述袾宏輯錄錢謙益訂正該書誕生於明末佛教復興與儒釋道三教融合的歷史背景下主要內容為宋濂所撰寫的佛教碑銘傳記及序文等文章系統收錄了元代至明初高僧大德的生平事蹟與佛教思想同時強力駁斥了當時的排佛論調捍衛佛教正統地位該書不僅是研究宋明佛教史與儒釋關係的關鍵史料更因其文獻權威性被譽為佛教史傳之瑰寶在中國佛教思想史與文學史上均佔有重要地位"
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### 仁和圓應庵記

> 仁和圓應庵記

杭之仁和，去城東五里所，有浮屠庵曰圓應，乃雪庵禪師之所築也。其地當元季為戰鬥之區，莽無居人。及歸職方，而後遺民稍集，往往好勇嗜利，屠羊豕以成肆。師惻然憫之，托缽行化，有褚道真與金薌者首迎禮之。先是道真之家人夢異僧至其廬，倡偈為贈，及見師容貌服飾儼然，與夢中不殊。道真即言之于眾，翕然從化，遂與薌日乞食饋師，且請于右族胡國材，其建精舍一區。葉氏婦聞之，捐地為基，以尺計者，縱袤若干，橫延若干。于是道真因之鳩工，前敞修門，中峙佛殿，後聳堂宇，翼以兩廡，而外則垣墉四周。庀事于洪武甲寅春二月甲子，至秋七月某甲子遽訖功焉。屋以間計者二十，粟以斛計者一百，工以日計者五百。師欲垂示後人，乃不遠千里，介予學子童徽來請記。予竊疑之：「當兵戈始息，創殘猶未起，何暇從事于佛乎？縱師言之，而疇將聽之？」徽曰：「不然，師之事則有異于人者。師本辨章寶寶公之子，生有異徵。年十五，慨然慕道，思以善法度人，往依帝師法子朵兒班大師，薙落為僧，遂杖錫南游，遍參閩浙諸尊宿，得法于伏龍山千巖長公，去棲越之范蠡岩。岩有虎，一夕避去。師初不知書，靜定之久，發為頌贊，自然與道合，以是之故，人愈趨之，而庵成無難者。」予因歎曰：「人苦無志耳，果能以善導人，而人孰不化之？豈惟浮屠氏哉？然而浮屠氏以莊嚴樓閣為有為，縱有福報，亦人天小果耳，其中必有無為之道存。所謂無為之道者，無小、無大，無內、無外，無成、無壞，無欠、無餘，不為諸佛而有所增、不為凡夫而有所減。淵默不言而聲如怒霆，凝定未起而身遍沙界，是則所謂圓應者也。一庵云乎哉？惟師能契事理之不二者，必知予言為有據。」徽歸，尚以是語之。師舊名孛羅帖木兒，今改可傳，字無授，高昌人，雪庵乃其徒所號，蓋尊之也。

> 杭の仁和は、城の東五里ほどのところにあります。そこに圓應という浮屠庵があり、これは雪庵禅師が建てたものです。この地は元の末には戦闘の場となり、草むすばかりで住む人もいませんでした。明の統治下に戻った後、ようやく遺民たちが少しずつ集まりましたが、往々にして勇み肌で利を好み、羊や豚を屠って店を構える者もいました。 師はこれを深く哀れみ、托鉢しながら人々を教化しました。褚道真と金薌という者が最初に師を敬い迎えました。それに先立ち、道真の家族は異僧がその家に現れ、偈を贈る夢を見ていました。そして師の容貌や服装が夢の中の僧とまったく同じであるのを見て、道真はすぐに人々にこのことを話しました。人々は皆、喜んで師に従いました。道真と薌は毎日のように食を乞うて師に供え、また有力な家の胡国材に請うて精舎を一区画建てることにしました。葉氏の妻はこれを聞き、土地を寄進して基盤としました。土地の広さは、縦が何十メートル、横が何十メートルありました。 そこで道真は人夫を集め、工事を始めました。前に広い門を開き、中央に仏殿を建て、後ろに堂宇を高く構え、両側には廊下を配し、外には周囲に塀を巡らせました。工事は洪武甲寅年の春二月甲子に始まり、秋七月の某甲子に至って完成しました。堂宇は全部で二十間、米は百斛、工事は五百日を要しました。 師は後世に伝えようと、千里の遠路を厭わず、私の学生の童徽を介して私に記を求めました。私はひそかに疑問に思いました。「兵乱がようやく鎮まり、傷ついた者たちがまだ立ち直れない時に、どうして仏のことに心を費やす余裕があろうか。たとえ師が説いても、誰が聞くだろうか」と。徽が言いました。「そうではありません。師の事績には人とは異なるものがあります。師はもともと辨章の寶寶公の子で、生まれながらに異なる兆しがありました。十五歳のとき、慨然として道を慕い、善法で人々を救わんと思い、帝師の法子である朵兒班大師を頼って出家し、僧となりました。そして杖を携えて南遊し、閩や浙の多くの高僧を訪ね、伏龍山の千巖長公のもとで法を得ました。その後、越の范蠡岩に住みました。岩には虎がいましたが、ある夜、逃げ去りました。師はもともと文字を知らなかったのですが、静かに坐禅を重ねるうちに、自然と頌や讃が湧き出で、道と合致しました。このような理由から、人々はますます師に帰依し、庵の建立も難なく成し遂げられました。」 私はこれを聞いて嘆じました。「人はただ志がないだけだ。本当に善をもって人を導けば、誰が感化されないだろうか。仏教者だけに限ったことではない。しかし仏教者にとって荘厳な楼閣は「有為」であり、たとえ福報があったとしても、それは人天の小さな果報にすぎない。その中に必ず「無為」の道が存在するはずだ。いわゆる無為の道とは、小さくもなく、大きくもなく、内もなく、外もなく、成もなく、壊もなく、欠もなく、余もなく、諸仏のために増えることもなく、凡夫のために減ることもない。深く沈黙していてもその声は激しい雷のようであり、静かに座していてもその身は世界の果てに満ちている。これこそが「圓應」というものである。一つの庵など、どうして問題であろうか。ただ師だけが事理不二の境地にかなっている。必ず私の言葉が根拠あることを知っているだろう。」徽は帰るにあたり、この言葉を伝えるべきである。師の旧名は孛羅帖木兒、今は可傳と改め、字は無授、高昌の人である。雪庵というのは弟子たちが尊んでつけた称号である。