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title: "醒世錄 · 時節"
description: "醒世錄由清代居士徐昌治輯錄編纂，是一部重要的佛教勸善典籍。該書成於清初，輯錄了歷代高僧大德、儒釋道三教關於因果報應、修身養性的箴言與事跡。內容旨在勸化世人明辨善惡、覺悟人生、斷惡修善，強調因果法則的真實不虛。其語言通俗，事例生動，在民間流傳甚廣。作為一部融匯三教思想的善書，醒世錄在佛教通俗教化領域地位顯著，對推動民間道德風尚與佛教倫理實踐產生了深遠影響，是研究清代佛教民間化與善書文化的重要文獻。"
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### 時節

依奘法師《西國傳》云：「時極短者，謂之剎那；毳毛從指開出，隨所出量，是怛剎那。百二十剎那，成一怛剎那；六十怛剎那，成一臘縛；七千二百剎那，三十臘縛，成一牟呼粟多；二百一十六千剎那，三十牟呼粟多，成一晝夜。一晝一夜，生滅無常。」如世尊說：「譬如四善射夫，各執弓箭，相背攢立，欲射四方。有一捷夫，來語之曰：『汝等今可一時放箭，我能遍接，俱令不墮。』於意云何？此捷疾不？」苾芻白佛：「甚疾。」世尊言：「彼人不及地行藥叉；地行捷疾，不及空行藥叉；空行捷疾，不及四大王眾天；彼天捷疾，不及日月二輪；二輪捷疾，不及堅行天子。此等諸天，展轉捷疾，壽行生滅，剎那流轉，無有暫停。」又依《安般經》云：「於一彈指頃，心有九百六十轉。一念有九十剎那，一一剎那中，復有九百生滅。」又《菩薩處胎經》云：「一彈指頃，有三十二億百千念。念念成形，形形皆有識。佛之威神，入微識中，皆令得度。」又《毗曇論》：「合有十二重：一、名剎那；二、名怛剎那；三、名羅婆；四、名摩睺羅；五、名日夜；六、名半月；七、名一月；八、名時；九、名行；十、名年；十一、名雙；十二、名劫。一剎那者，翻為一念；百二十剎那，為一怛剎，翻為一瞬；六十怛剎那，為一息，一息為一羅婆；三十羅婆，為一摩睺羅，翻為一須臾；三十摩羅睺，為一日夜；一日夜，計有六百三十八萬剎那。」《僧祗律》云：「二十念為一瞬；二十瞬名一彈指；二十彈指名一羅預；二十羅預名一須臾；一日一夜，有三十須臾。日極長時，晝有十八，夜有十二；極短時，晝有十二，夜有十八。又月盈至滿，謂之白分；月虧至晦，謂之黑分。白前黑後，合為一月；六月合為一行。日遊在內，北行也；日遊在外，南行也；總此二行，合為一歲。又分一歲以為六時，如漸熱、盛熱；如雨時、茂時；如漸寒、盛寒。總三月為一時；兩時為一行；兩行為一年；二年半為一雙。」此由閏故，以閏月兼本月，此謂「月雙」，非「閏雙」也。積此時數，劫有四種：一、別劫；二、成劫；三、壞劫；四、大劫。從人壽十歲，漸至八萬歲；八萬歲，又漸減至十歲，為一別。依《雜阿含經》云：「由旬城，高下亦爾，滿中芥子，百年取一，芥盡劫猶不盡。」按此即為「別劫」也。若據大劫，即以八十由旬城為量。成劫四十，壞劫四十。所以然者，世間成時，二十別劫；住時，二十別劫；壞時，二十別劫；空時，二十別劫。此中，以住合成，以空合壞，故各四十別劫。總此成、壞，合有八十別劫，為一大劫。故名「阿僧祗」。按「索訶世界」，一大劫中，千佛出世。釋迦牟尼如來，於住劫中，當第四佛，尚餘九百九十六佛，於後續次而出。依奘法師《西國傳》云：「數量之稱，謂踰繕那者，自古聖王，一日運行，十六里也。故《毗曇論》：『四肘為一弓；五百弓為一拘盧舍；八拘盧舍，為一由旬。』」一弓長八尺，五百弓長四百丈。一里有三百六十步，一步有六尺，合有二百一十六丈為一里。計前四百丈，為一拘盧舍，猶欠三十二丈，不滿二里，計一拘盧舍，減有二里，計八拘盧舍，減十六里。為一由旬。

> 玄奘法師の『西国伝』によれば、「最も短い時間を刹那という。羊毛を指から抜き取る速さが怛刹那である。百二十刹那で一怛刹那となり、六十怛刹那で一臘縛となる。七千二百刹那、すなわち三十臘縛で一牟呼粟多となる。そして二百十六千刹那、すなわち三十牟呼粟多で一昼夜となる。この一昼夜の間にも、生滅は絶え間なく続き、無常である。」と説かれている。また、世尊は次のようにおっしゃった。「例えば、四人の練達の射手が、それぞれ弓矢を持ち、背中合わせに立ち、四方に向かって射ようとしている。そこに一人の俊足の者が来て言う。『あなた方は今すぐ一斉に矢を放ちなさい。私はそれらの矢をすべて受け止め、一本も落とさずにいられるでしょう。』さて、どう思うか。この俊足の者は速いと言えるか？」比丘たちは「非常に速いです」と答えた。すると世尊は言われた。「しかし、その者は地上を走る夜叉には及ばない。地上を走る夜叉の速さも、空中を飛ぶ夜叉には及ばない。空中を飛ぶ夜叉の速さも、四大王衆天の天人には及ばない。その天人の速さも、日月の二輪には及ばない。日月の二輪の速さも、堅行天子には及ばない。このように天々の速さは増していくが、寿命の流れというものは、刹那のうちに生滅を繰り返し、一瞬たりとも止まることがないのである。」 また、『安般経』には、「一弾指の間に、心は九百六十回の転換がある。一念には九十刹那があり、その一つ一つの刹那の中にも、さらに九百回の生滅がある。」とある。さらに『菩薩処胎経』には、「一弾指の間に、三十二億百千の念がある。その一つ一つの念が形を成し、その形一つ一つに識が宿っている。仏の威神力は、この微細な識の中にまでも入り込み、すべてを救済するのである。」と説かれている。また『毗曇論』では、「時間の単位には十二の階層がある。第一を刹那、第二を怛刹那、第三を羅婆、第四を摩睺羅、第五を日夜、第六を半月、第七を一月、第八を時、第九を行、第十を年、第十一を双、第十二を劫という。一刹那は一念と訳され、百二十刹那で一怛刹那となり、これは一瞬と訳される。六十怛刹那で一息、すなわち一羅婆となる。三十羅婆で一摩睺羅、すなわち一須臾となる。三十摩睺羅で一昼夜となり、一昼夜は六百三十八万刹那に相当する。」とある。『僧祇律』には、「二十念を一瞬とし、二十瞬を一弾指とする。二十弾指を一羅預とし、二十羅預を一須臾とする。一昼夜には三十須臾がある。最も昼が長い時は、昼が十八須臾、夜が十二須臾である。最も昼が短い時は、昼が十二須臾、夜が十八須臾である。」とある。また、「月が満ちていく期間を白分、欠けていく期間を黒分と呼ぶ。白分の前、黒分の後を合わせて一月とし、六月を一行とする。太陽が内側（北）を巡るのが北行、外側（南）を巡るのが南行であり、この二つの行を合わせて一年とする。さらに一年を六時に分け、次第に暑くなる時期、最も暑い時期、雨の時期、草木の茂る時期、次第に寒くなる時期、最も寒い時期とする。三か月を一時とし、二時を行、二行を一年、二年半を一双とする。」これは閏月によるもので、閏月を当月に加えるため、これを「月双」と呼び、「閏双」とは呼ばない。これらの時間を積み重ねて、劫には四種類がある。第一に別劫、第二に成劫、第三に壊劫、第四に大劫である。人間の寿命が十歳から次第に増えて八万歳に達し、再び十歳に減るまでを一別劫とする。『雑阿含経』によれば、「一由旬四方の城、高さも同じで、その中に芥子を満たし、百年に一粒ずつ取り出すと、芥子が尽きても劫は尽きない。」とあり、これが別劫である。大劫は八十由旬四方の城を基準として計る。成劫と壊劫はそれぞれ四十別劫である。なぜなら、世の中が形成される時に二十別劫、維持される時に二十別劫、壊れる時に二十別劫、空となる時に二十別劫かかるからである。このうち、維持と形成を合わせ、空と壊を合わせて、それぞれ四十別劫とする。これらの成劫と壊劫を合わせて八十別劫を一大劫とし、これを阿僧祇劫と呼ぶ。また、この索訶世界では一大劫の間に千仏が出現する。釈迦牟尼如来は、現在の住劫における第四番目の仏であり、なお九百九十六の仏が後続して次々に出現する。玄奘法師の『西国伝』によれば、「距離の単位である踰繕那とは、古代の聖王が一日に進む距離で、十六里に相当する。」とあり、『毗曇論』には「四肘を一弓とし、五百弓を一拘盧舎とし、八拘盧舎を一由旬とする。」とある。一弓は八尺、五百弓は四百丈である（尺、丈も距離の単位のため、日本の尺、丈とは異なる）。一里は三百六十歩、一步は六尺とすると、一里は二百十六丈となる。先の四百丈は一拘盧舎にあたるが、これは二里の二百三十二丈よりも三十二丈短い。従って一拘盧舎は二里よりもやや短く、八拘盧舎すなわち一由旬は十六里よりもやや短いことになる。