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title: "南海寶象林慧弓詗禪師語錄 · 正月初三彌勒佛誕小參"
description: "南海寶象林慧弓詗禪師語錄是清代禪宗重要文獻由弟子傳一等編錄成書。該語錄記載了慧弓詗禪師在廣東南海寶象林的開示說法內容涵蓋參禪要領心性探究及日常生活修行等。其思想承襲臨濟宗風注重當下頓悟與實修實證語言直指人心。作為清代嶺南禪學的代表之作此語錄對研究明清佛教禪宗發展與地域化傳播具有重要史料價值是了解當時禪門實踐與思想流變的關鍵典籍之一。"
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### 正月初三，彌勒佛誕，小參

「今日正月初三，世傳彌勒尊佛寶誕芳晨，此事有意氣者便應疑著。何故？彌勒當來未曾來，彌勒現在今何在？若言在兜率，誕生便虛傳，即從在內院。且問諸大眾：還曾親見內院麼？若不曾親見，豈非夢裏話封侯？秪空笑破木人口。直饒彌勒真誕生，詗上座若見時，也要學雲門一棒便打殺。作麼聻？柱杖子不曾眼花。雖然，到如今也且隨因齋慶讚條例舉一則語，供養伊箇當來老大人及今現在諸大眾。昔梁朝傳翕大士尊號玄風，乃當來慈氏如來，為化有緣故，現肉身說法，常有偈云：『夜夜抱佛眠，朝朝還共起。起坐鎮相隨，語默同居止。殲毫不相離，如身影相似。欲識佛去處，秪這語聲是。』大士恁麼提唱，可謂剖盡婆心也。然但撿點將來，不無話作兩橛。我當時若在，便拽住問他：『能抱者是誰？所抱者何佛？』又云：『欲識佛去處，秪者語聲是。』不見教中云：『佛身充滿于法界。』若然充滿，則盡法界是箇佛身，又更擬去箇什麼處所？眾中莫有為大士作主者麼？試請出來顯手眼看。如或不然，詗上座將黑豆換諸大眾眼睛去也。聽取一偈：夜自眠，朝自起，語默動定全一體，休將一體分兩途，捉影尋聲迷至理。伶利人，急荐取，若於當下不能明，直饒當來龍華樹下正相逢，認著依然還不是。」良久，云：「會麼？分明秪在梨花上，隔斷東風何處尋？」

> 今日は旧正月の三日目、世に伝うるところでは弥勒尊仏の御誕生日にあたる佳き朝であります。この事柄について、志のある者は皆、疑いを抱くべきでありましょう。なぜでしょうか。弥勒仏は未来に来たるべき方で、まだ来られてはいません。では、現在の弥勒仏はどこにおられるのか。もし兜率天にいらっしゃるというなら、誕生の話は虚しい伝えに過ぎません。内院にいらっしゃるとしても、皆さんにお尋ねします。実際に内院をこの目で見たことがあるでしょうか。もし見たことがないのなら、それは夢の中で官位を語るようなもの、笑うべきは木人の口だけというものでしょう。たとえ弥勒仏が本当に誕生なさったとしても、私、詗上座が見たのなら、雲門禅師の例に倣って一撃を加えて打ち殺してみせましょう。どうしてかって？ 杖は決して目がくらんだりはしないからです。とはいえ、今日はこの機会に、斎に因んで慶讃の例に従い、一つの言葉を挙げて、未来の老大人と、今いらっしゃる皆さんに捧げましょう。 かつて梁の時代に伝翕大士という方がおられました。その尊号は玄風といい、未来の慈氏如来が、縁ある者を教化するために、肉身のまま説法を示されたのです。常に偈を残されました。「夜々佛を抱いて眠り、朝々共に起きる。起きても坐していても常に共にあり、言葉も黙も同じ処に留まる。少しも離れることなく、影が身に添うよう。佛の行く処を知りたければ、ただこの語声がそれである。」大士がこのように唱導されたことは、実に母心を尽くされたと言えましょう。しかしながら、よくよく検討してみると、言葉が二つに分かれている感が否めません。もし私がその場にいたなら、引き留めてこう問うたでありましょう。「抱いている者は誰か。抱かれている佛とは何か。」また、「佛の行く処を知りたければ、ただこの語声がそれである」とありますが、経典にはこう説かれていませんか。「佛身は法界に満ち満ちたまう」と。もし満ち満ちているのなら、法界全体が佛身であり、さらにどこへ行くというのですか。皆さんの中に、大士のために義理を立てる方はおられますか。試しに出てきて、その力量を見せてください。もしそうでなければ、私、詗上座が黒豆をもって皆さんの眼をすげ替えてしまいましょう。一つの偈を聞いてください。 夜は自ずから眠り、朝は自ずから起きる 言葉も黙も動きも定も、すべて一つの体 この一つの体を、分けて二つとするなかれ 影を捉え声を尋ねて、真理を迷うことなかれ 利根の人は、速やかにこれを悟れ もし当時にして明らかにできねば 未来に龍華樹の下で正しく遇うとも 認めたとしても、やはりそれではない しばらく間を置いて、こう言われた。「分かりますか。はっきりと梨の花の上にあるのに、東風に隔てられて、どこを尋ねればよいのか。」