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title: "彌蘭王問經 · 第十　信特相之問"
description: "彌蘭王問經是巴利三藏外的重要佛教典籍，作者為那先比丘，歷史背景設定在公元前2世紀，由印度希臘裔國王彌蘭與比丘那先進行佛法問答。主要內容以對話形式深入探討佛教核心教義，如無我、業報、涅槃等，以智慧辯證化解國王疑惑。此經在南傳佛教地位崇高，被譽為東方的蘇格拉底對話錄，不僅具哲學深度，更以生動比喻闡釋深奧佛法，是研究佛教與希臘文化交流的關鍵文獻，對理解早期佛教傳播有重要價值。"
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### 第十　信特相之問

> 第十　信の特相についての問い

王言：「尊者那先！信是以何為特相耶？」

> 王が申されました。「尊者ナーガセーナよ、信とは、どのような特徴があるのでしょうか。」

長老言：「大王！信是以淨為特相，又以躍入為特相。」

> 長老が言いました。「大王よ、信には清らかさという特徴があり、また心が飛び込むように入っていくという特徴があります。」

「尊者！信者如何是以淨為特相耶？」

> 「尊者よ、信者において『清らかさ』はどのように特徴づけられるのですか？」

「大王！信生之時，滅五蓋，離蓋之心是明澄、清淨、無濁。如是大王！信是以淨為特相。」

> 大王、信仰が生まれる時、五つの蓋（ごかい）が滅します。蓋から離れた心は、明らかで澄み、清らかで濁りがありません。このように、大王よ、信仰とは清らかさを特質とするものです。

「尊者！請譬喻之。」

> 「尊者様、どうか譬えでお示しください。」

「大王！譬如轉輪王率四支軍，於行軍途中，欲渡小河，其河水依象軍、依馬軍、依車軍、依步軍而振盪、攪拌、擾亂而成濁水。渡畢之時，轉輪王對從者言：『予欲飲水，持來！』而命飲用其水。王有淨化其水之摩尼珠，『尊知，大王！』其從者允諾轉輪王，將淨化其水之摩尼珠投入河水。投入其水，剎那間，苔草、綠葉類之水草消失，泥濘沈澱，水即明澄、清淨、無濁。是故，彼等從者捧上飲用之水於轉輪王，『王！請飲水。』『大王！可見心恰如無濁之水，可見修行者恰如彼等從者，可見煩惱恰如苔草和綠葉之水草與泥濘，可見信者恰如淨化水之摩尼珠；恰如淨化水之摩尼珠投入水中，剎那間，苔草、綠葉類之水草消失，泥濘沈澱，水即明澄、清淨、無濁。大王！信生之時，滅〔五〕蓋，離其蓋之心是明澄、清淨、無濁。』如是，大王！信者以淨為特相。」

> 「大王、例えば転輪王が四種の軍勢を率いて行軍する途中、小さな川を渡ろうとする時、その川の水は象軍・馬軍・車軍・歩兵によって揺れ動かされ、かき混ぜられ、乱されて濁ってしまいます。渡り終えた時、転輪王は従者に言います。『水が飲みたい、持って来なさい』と、その濁った水を飲むよう命じます。王にはその水を清める摩尼宝珠がありました。『かしこまりました、大王』と従者は王に答えて、水を清める摩尼宝珠を川に投げ入れます。それを水中に投げ入れると、瞬く間に苔や藻、水草は消え去り、泥は沈み、水は澄み渡り、清らかで濁りがなくなります。そこで従者たちは飲み水を転輪王に差し出して『王よ、どうぞお飲みください』と言います。大王、心は濁りのない水のようなものと見るべきです。修行者はあの従者たちのようなものと見るべきです。煩悩は苔や藻、水草や泥のようなものと見るべきです。信仰は水を清める摩尼宝珠のようなものと見るべきです。まさに水を清める摩尼宝珠が水中に投げ入れられると瞬く間に苔や藻、水草が消え去り、泥が沈み、水が澄み渡り清らかで濁りがなくなるように、大王、信仰が生じると〔五つの〕蓋は滅し、それらの蓋から離れた心は澄み渡り、清らかで濁りがなくなるのです。このように、大王、信仰する者には清らかさが特相としてあるのです。」

「尊者！信如何是以躍入為特相耶？」

> 「尊者よ。信とは、いったいどのように『飛び込むこと』を特徴とするのでしょうか？」

「大王！譬如修行者見他人解脫之心，或躍入（欣求）預流果，或一來果，或不還果，或阿羅漢果，到達未到達之處，獲得未獲得之處，作證未作證之處而作修行。大王！信是以躍入為特相。」

> 大王、例えば修行者が他人の解脱する心を見て、あるいは預流果へと心を躍らせ（欣求し）、あるいは一来果、あるいは不還果、あるいは阿羅漢果へと向かい、未だ達していないところに達し、未だ得ていないところを得、未だ証していないところを証しようとして修行するようなものです。大王、信とは、このように心を躍らせることを特相とするのです。

「尊者！請更譬喻之。」

> 「尊者様、もう少し譬えでお示しください。」

「大王！譬如山之上方將降大雨，其雨隨低處而流，充滿山間之峽谷、分岐之谷間，充滿河川，河水破壞兩岸而流。時，大王！眾人來，不知其河之深廣，怖畏躊躇而立於岸。時，有一人來，觀察己體力、力量，強結帶而後，躍入而渡〔彼岸〕。見其渡畢，大群之眾亦渡。大王！如是，修行者見他人解脫之心，或躍入（欣求）預流果，或一來果，或不還果，或阿羅漢果，到達未到達之處，獲得未獲得之處，作證未作證之處而作修行。大王！如是，信是以躍入為特相。大王！依世尊如是而說：

> 大王、例えば、山の上に大雨が降ると、その雨水は低い方へと流れ、山間の谷や支流の谷を満たし、やがて川となって両岸を削りながら流れていきます。その時、大王、人々がやって来て、その川の深さや広さを知らず、恐れおののいて岸辺に立ち尽くします。そこに一人の男が現れ、自身の体力や力をよく見極め、しっかりと帯を締めてから川に飛び込み、向こう岸へと渡ります。彼が無事に渡り終えるのを見て、大勢の人々も後に続いて渡ります。 大王、これと同じように、修行者は他人が心の解脱を遂げたのを見て、あるいは預流果、あるいは一来果、あるいは不還果、あるいは阿羅漢果へと飛び込み（欣求し）、まだ達していない境地に達し、まだ得ていないものを得、まだ証していないものを証して修行を積みます。 大王、このように、「信」とは躍り入むこと（飛び込むこと）を特相とします。大王、世尊はこのように説かれました。

依信渡暴流不放逸渡河精進超其苦依慧為清淨」

> 信仰によって荒れ狂う流れを渡り、 怠りなく川を渡る。 努力を重ねて苦しみを超え、 智慧によって清らかになる。

「宜也，尊者那先！」

> 「その通りです、尊者ナーガセーナ！」