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title: "彌蘭王問經 · 第十二　念特相之問"
description: "彌蘭王問經是巴利三藏外的重要佛教典籍，作者為那先比丘，歷史背景設定在公元前2世紀，由印度希臘裔國王彌蘭與比丘那先進行佛法問答。主要內容以對話形式深入探討佛教核心教義，如無我、業報、涅槃等，以智慧辯證化解國王疑惑。此經在南傳佛教地位崇高，被譽為東方的蘇格拉底對話錄，不僅具哲學深度，更以生動比喻闡釋深奧佛法，是研究佛教與希臘文化交流的關鍵文獻，對理解早期佛教傳播有重要價值。"
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### 第十二　念特相之問

> 第十二 特相についての問い

王言：「尊者那先！念是以何為特相耶？」

> 王が言いました。「尊きナーガセーナよ。『心にとどめる』とは、どのような特徴があるのですか？」

長老言：「大王！念是以枚舉為特相，又以執持為特相。」

> 長老が申し上げました。「大王、『念』というものは、思い浮かべることが特徴であり、また注意を保つことも特徴なのです。」

「尊者！念如何以枚舉為特相耶？」

> 尊者よ、「念（サティ）」とは、どのようにして「気づくこと（念）」をその特徴とするのでしょうか？

「大王！念生之時，枚舉不善、無罪有罪、尊卑黑白之對照法，即此等是四念處，此是為四正勤，此等是四神足，此等是五根，此等是五力，此等是七覺支，此是聖八支道，此是奢摩他（止），此是毘婆奢那，此是明，此是解脫，此等是心所法。是故，修行者學習應學習之法，不學習不應學習之法，親近應親近之法，不親近不應親近之法。大王！如是之念是以枚舉為特相。」

> 大王、気づきが生じるとき、善と不善、罪のあるものと罪のないもの、尊いものと卑しいもの、白と黒を対比する法、すなわち、これらは四念処であり、これらは四正勤であり、これらは四神足であり、これらは五根であり、これらは五力であり、これらは七覚支であり、これは聖なる八支道であり、これは奢摩他（止）であり、これは毘婆奢那（観）であり、これは明であり、これは解脱であり、これらは心所法です。それゆえ、修行者は学ぶべき法を学び、学ぶべきでない法を学ばず、親しむべき法に親しみ、親しむべきでない法に親しみません。大王、このような気づきは、対比することを特相とします。

「尊者！請譬喻之。」

> 「尊者様、どうか譬えでお示しください。」

「大王！譬如〔轉輪王之〕理財官枚舉王之富力，理財官令轉輪王朝夕記憶：『大王！卿唯此象軍，卿唯此馬軍，唯有此車軍，唯有此步軍。大王！唯有此黃金，唯有此金貨，唯有此財寶，王憶記之！』枚舉王之富力。大王！念生之時，枚舉善不善、無罪有罪、尊卑、黑白之對照法，即〔枚舉〕此等是四念處，此等是四正勤，此等是神足，此等是五根，此等是五力，此等是七覺支，此是聖八支道，此是奢摩他（止），此是毘婆奢那（觀），此是明，此是解脫，此等是心所法。是故，修行者學習應學習之法，不學習不應學習之法，親近應親近之法，不親近不應親近之法。大王！如是之念是以枚舉為特相。」

> 「大王様、例えば、転輪聖王の財務官が王の財力を数え上げ、王に朝晩思い出させるように申し上げます。『大王様、あなた様にはこれだけの象軍、これだけの馬軍、これだけの車軍、これだけの歩兵隊がございます。大王様、これだけの金、これだけの金貨、これだけの財宝がございます。どうか王よ、お覚えください。』と、王の財力を逐一挙げるのです。 大王様、同じように、念が生じるときには、善と不善、罪あるものと罪なきもの、優れたものと劣ったもの、黒と白といった対照的な法を挙げて数えます。すなわち、これらは四念処、これらは四正勤、これらは四神足、これらは五根、これらは五力、これらは七覚支、これが聖なる八支道、これが奢摩他（止）、これが毘婆奢那（観）、これが明、これが解脱、これらは心所法であると。 ですから、修行者は学ぶべき法を学び、学ぶべきでない法を学ばず、親しむべき法に親しみ、親しむべきでない法に親しみません。大王様、このように、念とは「列挙すること」を特徴とするのです。」

「宜也，尊者那先！」

> 「その通りです、尊者ナーガセーナ！」

王言：「尊者那先！念如何以執持為特相耶？」

> 王が言った。「尊きナーガセーナよ、『念』とは、どのようにして『忘れずに保つ』という特徴を持つのですか？」

長老言：「大王！念生之時，追求饒益不饒益法之歸趣，〔追求〕『此等之法為饒益，此等之法為不饒益，此等之法為利益，此等之法為不利益。』是故修行者捨遣不饒益之法，執持饒益之法，捨遣不利益之法，執持利益之法。大王！如是之念是以執持為特相。」

> 長老が申しました。「大王よ、念が生じる時、人は益となるものと益とならぬものの行き着く先を求め、『これらの法は益となり、これらの法は益とならず、これらの法は利益となり、これらの法は利益とならぬ』と追求します。それゆえ修行者は、益とならぬ法を捨て去り、益となる法を執り持ち、利益とならぬ法を捨て去り、利益となる法を執り持ちます。大王よ、このように念とは、執り持つことを特相とするものです。」

「尊者！請譬喻之。」

> 「尊者様、どうか譬えでお示しください。」

「大王！譬如轉輪王之將軍寶知王之饒益與不饒益，知『此等於王饒益，此等於王不饒益，此等於王利益，此等於王不利益』，是故捨遣不饒益，執持饒益，捨遣不利益，執持利益。大王！念生之時，追求饒益不饒益法之歸趣，〔追求〕『此等之法是饒益，此等之法是不饒益，此等之法是利益，此等之法是不利益』，是故修行者捨遣不饒益之法，執持饒益之法，捨遣不利益之法，執持利益之法。大王！如是之念是以執等為特相。大王！依世尊而如是說：『諸比丘！我言：以念有利於一切。』」

> 「大王さま、たとえば転輪聖王の将軍の宝が、王の利益と不利益を知り、『これらは王にとって利益となり、これらは王にとって不利益となり、これらは王にとって益となり、これらは王にとって損となる』と理解し、それゆえに不利益を捨て去り利益を取り、損を捨て去り益を取るようなものです。大王さま、同じように、気づき（念）が生じるとき、修行者は利益と不利益の法の帰趨を追求し、『これらの法は利益であり、これらの法は不利益であり、これらの法は益であり、これらの法は損である』と見極めます。それゆえ、修行者は不利益の法を捨て去り、利益の法を取り、損の法を捨て去り、益の法を取るのです。大王さま、このように気づきは『把捉すること』を特徴とします。大王さま、世尊はこのように説かれました。『比丘たちよ、私は言う。気づきはあらゆることに役立つ、と。』」

「宜也，尊者那先！」

> 「その通りです、尊者ナーガセーナ！」