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title: "古雪哲禪師語錄 · 闢亮公洞"
description: "古雪哲禅师语录是明代禅僧真哲的言行记录，由弟子传我等编集。明末佛教禅宗活跃，古雪真哲作为临济宗高僧，其语录蕴含了丰富的禅法思想。内容涵盖上堂说法、机锋对答、示众偈颂等，生动体现了直指人心、见性成佛的禅宗特色。该书是研究明代禅宗特别是临济宗发展的重要文献，对于了解当时禅风演变和修行实践具有较高价值，在佛教典籍中占有一定地位。"
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### 闢亮公洞有序

> 辟亮公洞（有序）

亮公，古之隱者也。亮公洞，西峰之古洞也。古之人道眼既明，直入千巖萬壑之間，茅茨石室，匿跡韜光，目視雲霄，窅忘人世，豈得與叔季沽名釣譽之徒同日而語哉？昔司馬子長之贊孔子也，則曰：「高山仰止，景行行止，雖不能至，而心鄉往之。」予於亮公亦然。頃因暇日，偕二三子趺坐龍舌石上，偶見其旁隱隱有石戶，乃相顧而笑曰：「此中幽邃如是，無迺亮公盤桓偃息之區乎？」遂命二三子剪荊茀，抉壤塊，平高就下，外實中虛，幽洞俄闢，曲徑亦成，迺顏其洞曰亮公，蓋亦竊慕其遺風云爾。客曰：「亮公之隱於西山也，埽蹤滅跡，人莫能知，矧已化去數百年矣，而師乃今以洞名之，得非為虛空安耳穴乎？」予曰：「噫！子何見之陋也？子徒索亮公於影象，庸詎知夫真亮公乎？夫亮公向馬駒一言之下，頓息萬機，則盡大地是一亮公，無古、無今，無隱、無顯，無在、無不在，即今松竹搖風、藤蘿抱石、鳥啼華笑、雲散月明，無非是亮公示現處，子何見之陋也？」客曰：「若是，則古洞儼然，亮公何在？」予曰：「伯牙與子期，不是閒相識。」客曰：「忽若覿面相逢時如何？」予曰：「直入深深處，衝開上上關。」客橫趨而去。予與諸子坐洞中，歠清茗，聽清泉，杳不知身之在人間世也。因援筆以志之，時乙酉又六月立秋後十日。

> 亮公は、昔の隠者である。亮公洞は、西峰にある古い洞窟である。昔の人は悟りの眼がすでに明らかになると、直接千巌万壑の間に分け入り、草ぶきの粗末な家や石の部屋に身を隠し、その才能を隠して光を潜め、目は雲霄を仰ぎ、深遠な境地にあって俗世を忘れて暮らしたものである。どうして末世の名声を貪る者たちと同日に論じられようか。 昔、司馬子長（司馬遷）が孔子を賛嘆して言った。「高い山は仰ぎ見られ、大きな道は歩まれる。たとえそこに至ることはできなくとも、心はその方向へ向かうものである。」私も亮公に対して同じ思いである。 先日、暇な日に、二、三の仲間と共に龍舌石の上に跏趺坐していたところ、ふとその傍らに石の戸がうっすらと見えた。皆で顔を見合わせて笑い、「この中はこんなにも幽邃（奥深く静か）である。まさに亮公が閑居し休息した場所ではないか」と言った。そこで仲間たちに命じて、茨を刈り、土塊を取り除き、高い所を平らにし低い所に土を置き、外を固くし中を空にすると、幽かな洞窟はたちまち開け、曲がりくねった小道もできあがった。そこでその洞窟に「亮公」と名付けた。これもまた、その遺風を慕ってのことである。 客が言った。「亮公が西山に隠れた時、蹤跡を消し去って人に知られることがなかった。ましてや、すでに数百年も経っておられます。それなのに師が今この洞窟に名を付けられるとは、虚空に耳の穴を付けるようなものではありませんか？」 私が言った。「ああ、あなたの見解はなんと浅いことか。あなたはただ亮公を形象の上にのみ求める。どうして真の亮公を知ることができようか。亮公は馬駒（馬祖道一禅師のこと）の一言の下で、瞬時に万機（すべての煩悩や分別）を止息した。その時、尽大地（この全世界）がそのまま亮公であり、古もなく今もなく、隠もなく顕もなく、在ることもなく在らざることもない。今、松竹が風に揺れ、藤蘿が岩に絡まり、鳥が啼き花が咲き、雲が散り月が明るいこと、すべてが亮公の示現のところである。あなたの見解はなんと浅いことか。」 客が言った。「そうであるならば、古い洞窟が厳然と存在するが、亮公はどこにいるのか。」 私が言った。「伯牙と子期とは、ただの知り合いではない。（琴の名手・伯牙は心の友・鍾子期にのみその心を理解された。真の理解者は常に心で通じ合うものだ。）」 客が言った。「もしふと面と向かって逢ったならばどうするのか。」 私が言った。「そのまま深い所に入り、上上の関を突き破るのみだ。」 客は横に向かって立ち去った。私は仲間たちと洞窟の中に座し、清茶を啜り、清泉の音を聞き、はるかに己の身が人間界にあることを忘れてしまった。そこで筆を取ってこれを記す。時は乙酉年（1669年）閏六月、立秋の日の後十日。

舊洞新開傍翠岑，廓然獨見亮公心，煙霞坐臥遺諠寂，日月聲名自古今。白石猶標無縫塔，寒泉時奏沒絃琴，半千年外風流在，未審何人和此音？

> 古い洞窟に新たな門を開き、青い山並みに寄り添う。広々とした境地に、ただ亮公の心だけが見える。煙霞の中に坐し臥し、世の喧噪を離れて静けさにあり、日月のように名声は古より今に伝わる。白い石はなお縫い目のない塔を示し、冷たい泉は時折、弦のない琴を奏でる。五百年の時を超えて風雅はなお在り、誰がこの音に和すのか、いまだ知られぬ。