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title: "徹庸和尚谷響集 · 谷響集序"
description: "徹庸和尚谷響集是明代高僧徹庸周理所撰，其弟子洪如編錄。該書收錄於曹溪一滴卷八，後附淨土偈一卷。內容融合禪宗心要與淨土法門，倡導禪淨雙修，反映了明末佛教內部宗派融合的趨勢。書中通過問答、詩偈等形式，闡釋佛法真諦，指導修行實踐，語言簡練而義理深邃。作為明末雲南地區重要的佛教著作，該集對研究當時禪學思想與淨土信仰的交互影響具有重要價值，是了解漢傳佛教明清時期發展脈絡的重要文獻之一。"
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### 谷響集序

吾滇自飲光入定，華首門前天高日午，袈裟石上花放鳥啼。爾後代有名賢闡揚宗教，最著若盤龍、古庭，瞬目揚眉穿人鼻孔，無那末法沉淪牽纏義海。雖正法眼藏尚在西南，而拈花公案寥寥絕響，不啻法堂前草深一丈而已。所幸產我徹公，手提正令，善吹無孔笛，直教頑石點頭，吞盡棘栗蓬，嬴得木人眨眼。然且不惜婆心，放出辣手結集《曹溪一滴》，與諸方換卻眼睛，為前人重開生面，功亦偉矣！法莫尚焉！

緣公也，家世力農，不習儒業，幼歲出家，質鈍語蹇，因禮觀音號，豁然開朗，十八歲見頓悟要論《維摩經》，知所用心處；又以空觀習定，大有得力處；及讀大慧、中峰諸書，乃知用無所用、得無所得處，而未敢足也。邂逅密藏和尚印證四楞，始覺帖地，此廿五以後十年行徑。歲丁巳，余兄弟延為先君轉經，即皈依，恐後不啻針芥投，而水乳合也，天緣哉！

甲戌秋，家不退小草出山邀之來南，禮普陀，請大藏。時密雲和尚佩祖心印說法於天童，公往謁，童一見便問：「萬里到此，費卻多少草鞋錢？」公曰：「某甲乘船而來。」又問：「來此作甚麼？」曰：「有事借問得否？」童曰：「你在甚麼處？」曰：「和尚還見麼？」童擬取杖，公便喝，童打，公接住送一送，童曰：「你作甚麼？」公曰：「和尚要杖，便送還。」童大喜，遂許入室。氣吞諸方，咸稱吾道南矣！久留之不可，以請藏，期迫還。金陵諸縉紳，若今大宗伯增城、葉公總制修齡、楊公直指二瞻、趙公吾卿、學士昆華、王公給諫敬與戈公武部蘭室、阮公國博、完璞趙公皆引為方外交。而戈公深心信向，即楊大年於廣慧，趙清獻於佛慧，不是過序。公所著《夢語》喚醒人人，而師在妙峰與諸高足三三兩兩語東話西。無住上人為公法子，不愧家風，編次其語，題曰「谷響集」，問序于余，以附《曹溪一滴》後。天法不孤起，時亦待人，吾不知飲光再來與否？而臨濟嫡骨血仍還之西南，俾盤龍、古庭林林鼎立，從前拈花公案殊不寂寞，何快如之？余自媿佛頂著糞，公為我懺悔乃可。

> 甲戌の秋、家不退小草が山を出て南に招き、普陀山に礼拝し、大蔵経を請うた。その時、密雲和尚は祖師の心印を帯びて天童山で説法していた。公が謁見すると、和尚はすぐに尋ねた。「万里の道をここまで来るのに、どれほどの草鞋代がかかったか？」公は答えた。「私は船で参りました。」和尚はさらに問うた。「ここに来て何をするのか？」公は言った。「一つお尋ねしてもよろしいでしょうか？」和尚は言った。「お前はどこにいるのか？」公は言った。「和尚様はお見えになりませんか？」和尚が杖を取ろうとすると、公は喝を入れた。和尚が打とうとすると、公はそれを受け止め、そっと押し返した。和尚は言った。「お前は何をしているのか？」公は答えた。「和尚様が杖をお求めなので、お返ししたまでです。」和尚は大いに喜び、すぐに入室を許した。その気魄は諸方を圧倒し、皆が「我が道が南に伝わった」と称賛した。長く留めることはできず、大蔵経を請う期日が迫っていたので帰還した。金陵の諸縉紳、すなわち現在の大宗伯増城、葉公総制修齢、楊公直指二瞻、趙公吾卿、学士昆華、王公給諫敬与、戈公武部蘭室、阮公国博、完璞趙公らは皆、方外の友として引き立てた。中でも戈公は深く心から信頼し、かつて楊大年が広慧に、趙清献が仏慧に帰依したのに勝るとも劣らないほどであった。公の著した『夢語』は人々を目覚めさせ、師は妙峰山で高弟たちと三々五々、東を語り西を論じた。無住上人は公の法嗣として家風に恥じず、その語録を編み『谷響集』と題し、私に序文を求め、『曹溪一滴』の後に附けようとした。天の法は孤りで起きるものではなく、時には人を待つ。私は飲光が再び来るかどうか知らないが、臨済の嫡流の血脈が再び西南に戻り、盤龍、古庭らが林立し、かつての拈花公案が再び賑わうことほど、何が嬉しいことがあろうか。私は仏頂に糞を塗るような恥ずかしさを覚えるが、公が私のために懺悔してくださればよい。

崇禎九年丙子初夏西南學人陶珙沐手書于水部公署

## 曹溪一滴卷之八徹庸和尚谷響集

侍者洪如隨錄