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title: "石門文字禪 · 長沙岑大蟲真贊"
description: "石門文字禪是宋代高僧釋德洪的詩文集。德洪又稱惠洪，活躍於北宋末南宋初，與蘇軾、黃庭堅等文人交遊，是禪宗臨濟宗黃龍派的重要傳人。該書內容豐富，不僅收錄了大量詩歌、偈頌和文章，更以文字闡釋禪理，融通文學與佛學，體現了文字禪的獨特風格。書中強調不離文字而悟道，對宋代及後世禪宗思想影響深遠，是研究中國佛教史、文學史及文字禪思想的珍貴典籍。"
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### 長沙岑大蟲真贊并序

> 長沙岑大蟲真賛<note place="inline">並びに序</note>

余游長沙至鹿苑，見岑禪師畫像，想見其為人。昔如來世尊語阿難曰：「汝元不知一切浮塵諸幻化相，當處出生，隨處滅盡，幻妄稱相，其性真為妙覺明體。」龍樹菩薩曰：「諸法不自生，亦不從他生，不共不無因，是故說無生。」以佛祖之辯，談法之妙，其清淨顯露，如掌中見物，無可疑者。而末世眾生卒不明了者，蓋其迷妄之極，非其所聞之習故也。禪師憫之，故於所習之境譬之曰：「若心是生，則夢幻空花亦應是生；若身是生，則山河大地、森羅萬象亦應是生。」大哉言乎！與《首楞嚴》、《中觀論》相終始也。禪師大寂之孫，南泉之子，趙州之兄，開法於長沙之鹿苑。當時衲子倔強如仰山者，猶下之，而呼為岑大蟲。為之贊曰：

> 私は長沙を遊歴し、鹿苑に至り、岑禅師の肖像画を見て、その人柄を偲びました。 かつて釈迦如来が阿難に告げて言われました。「あなたは元より、すべての浮塵や幻化の相は、当処に生じ、随処に滅し尽きることを知らない。幻妄は相と称するが、その性は真実にして妙覚明体である」と。 龍樹菩薩は言われました。「諸法は自ら生ぜず、また他より生ぜず、共にも生ぜず、無因にもあらず、この故に無生と説く」と。 仏祖の弁才をもって仏法の妙を論じれば、その清浄にして顕露なることは、掌中の物を見るが如くで、疑うべきところはありません。しかるに末法の衆生がついに明了しないのは、その迷妄が極まりなく、聞き慣れたところのものではないからです。 禅師はこれを哀れみ、修行の境地について譬えて言われました。「もし心が生であるならば、夢幻や空華もまた生であるべきだ。もし身が生であるならば、山河大地や森羅万象もまた生であるべきだ」と。 なんと大きな言葉でしょうか！これは『首楞厳経』や『中観論』と終始をともにするものです。 禅師は大寂禅師（馬祖道一）の法孫であり、南泉禅師の弟子、趙州禅師の兄弟子にあたります。長沙の鹿苑で法を開き、当時の衲子たちは仰山禅師のように気性が剛い者でさえ、彼に敬意を払い、「岑大虫（岑の大虎）」と呼びました。 ここに賛を捧げます。

長沙大蟲，聲威甚重，獨眠空林，百獸震恐。寂子兒戲，見不知畏，引手捋鬚，幾缺其耳。大空小空，是虎是你。如備與覺，可撩其尾。嗟今衲子，眼如裴旻，但見其彪，安識虎真。我拜公像，非存非沒，百尺竿頭，行塵勃勃。

> 長沙大蟲、その威光は甚だ重く、独り空林に眠れば、百獣も震え恐れる。寂子は児戯の如く、見ても畏れを知らず、手を伸ばして鬚を撫で、ほとんどその耳を欠かせんとす。大空も小空も、虎はすなわち汝なり。もし備と覚の如くならば、その尾を撩(ゆす)ることを得ん。ああ、今の衲子どもは、眼も裴旻の如く、ただ彪(ひょう)を見るのみにして、どうして虎の真を識らんや。我、公の像を拝す、存するにあらず没するにあらず、百尺竿頭に、行塵勃勃たり。