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title: "中部經典 · 第一九　雙想經"
description: "中部經典是南傳佛教巴利三藏中的經藏部分，由通妙法师译为中文。它成书于佛陀入灭后的第一次结集，记录了佛陀及其弟子的言行。该经典共收录152部中长篇经文，内容涵盖四圣谛、八正道、缘起法、禅修方法及伦理规范等核心教义。作为原始佛教的重要文献，中部經典系统阐述了佛陀的中道思想，是研究早期佛教教义与实践的权威典籍，在南传上座部佛教中具有崇高地位，为修行者提供了完整的指导。"
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### 第十九　雙想經

> 第十九　双想経

如是我聞。——

> このように私はお聞きしました。

一時，世尊在舍衛國祇樹林給孤獨園。爾時，世尊告諸比丘言：「諸比丘！」彼等比丘應「世尊！」世尊乃說：

> その時、世尊はシャーラヴァスティー国の祇樹林給孤独園にいらっしゃいました。そこで世尊は比丘たちに告げられました。「比丘たちよ。」比丘たちは「世尊よ。」とお答えしました。世尊はこう説かれました。

「諸比丘！予先未成正覺，於菩薩時，予生如次之念：『今我自時時開始想念而住。』諸比丘！如是予其欲之想念、瞋之想念、害之想念，此為一分。其離欲之想念、無瞋之想念、無害之想念，此為第二分。諸比丘！如此，予住於不放逸、熱心、精勤而住。予欲之想念生，予以其如次了知之，即：『予此欲之想生，其是至害自、至害他、至害兩者。以滅慧、伴著煩勞，不資於涅槃者也。』諸比丘！予思：『是害自。』〔其欲念〕消失矣。諸比丘！當予思：『是害他。』〔其欲念〕消失矣。諸比丘！當予思：『是害兩者。』〔其欲想〕消失矣。諸比丘！當予思：『是滅慧、伴著煩勞、不資於涅槃者也。』〔即其欲想〕消失矣。諸比丘！如是，予隨捨反覆生起之欲想，驅逐之，其除去之。諸比丘！如是予於不放逸、熱心、精勤而住。瞋之想生起，其予如次了知，即：『予此瞋之想生。其是至害自、至害他、至害兩者。以滅慧、伴著煩勞、不資於涅槃者也。』諸比丘！當予思：『是害自』，〔其瞋想〕消失矣。諸比丘！當予思：『是害他』，〔其瞋想〕消失矣。諸比丘！當予思：『是害兩者。』〔其瞋想〕消失矣。諸比丘！當予思：『是滅慧、伴著煩勞、不資於涅槃者。』〔其瞋想〕消失矣。諸比丘！如是予隨捨反覆生起之恚想，驅逐之，以除去之。諸比丘！如是予於不放逸、熱心、精勤而住。害之想生，予如是了知，即：『予此害之想生，其至害自、至害他、至害兩者。以滅慧、伴著煩勞、不資於涅槃者也。』諸比丘！當予思：『是害自。』〔其害想〕消失矣。諸比丘！當予思：『是害他。』〔其害想〕消失矣。諸比丘！當予思：『是害兩者。』〔其害想〕消失矣。諸比丘！當予思：『是滅慧、伴著煩勞、不資於涅槃者。』〔其害想〕消失矣。諸比丘！如是予隨捨反覆生起之害想，驅逐之，以除去之。諸比丘！比丘多隨想、從隨觀、應此而心之傾向生。諸比丘！若比丘以隨想、隨觀：多作欲之想者，即捨離欲之想。多作欲之想者，彼其心即傾於欲之想。諸比丘！若比丘以隨想、隨觀：多作瞋之想者，以捨無瞋之想、多作瞋之想者，彼其心即傾於瞋之想。諸比丘！若比丘以隨想、隨觀：多作害之想者，彼即捨無害之想。多作害之想者，彼其心即傾於害之想。諸比丘！恰如雨季之最後月，於秋，穀物受稔時，牧牛者以護牛，彼以彼等之牛，從其處至此處，以鞭打之，控禦、阻止之，制御之。而此故，諸比丘！實彼牧牛者，〔若不然者〕，由其因緣或得笞刑、或縛刑、或強奪、或罵詈者也。諸比丘！如是予於不善法以見患、墮落、雜穢，於善法見遠離、功德、淨化力。

> \--- 比丘たちよ、私は悟りを開く前、まだ菩薩であった頃、こう考えました。『私は今、思いを巡らすことを繰り返して、そこに住もう。』 比丘たちよ、そのようにして、私の心には、欲の思い、怒りの思い、害そうとする思いが浮かぶことがありました。これは一方の側です。そして、欲を離れた思い、怒りを離れた思い、害そうとしない思いが浮かぶこともありました。これはもう一方の側です。 比丘たちよ、このように私は、怠ることなく、熱心に、精進して住んでいました。欲の思いが浮かんだなら、私はそれをこう知りました。「この欲の思いが私に浮かんだ。これは自分自身を害し、他者を害し、両方を害するものである。智慧を滅ぼし、煩いを伴い、涅槃へと至らしめるものではない」と。 比丘たちよ、私が「これは自分を害する」と考えると、その欲の思いは消え去りました。私が「これは他者を害する」と考えると、その思いは消え去りました。私が「これは両方を害する」と考えると、その思いは消え去りました。私が「これは智慧を滅ぼし、煩いを伴い、涅槃へと至らしめるものではない」と考えると、その思いは消え去りました。 比丘たちよ、このように私は、繰り返し浮かんでくる欲の思いを捨て去り、追い払い、除き去りました。同じように、怠ることなく、熱心に、精進して住んでいたのです。 怒りの思いが浮かんだ時も、私はそれをこう知りました。「この怒りの思いが私に浮かんだ。これは自分自身を害し、他者を害し、両方を害するものである。智慧を滅ぼし、煩いを伴い、涅槃へと至らしめるものではない」と。そして、「これは自分を害する」「これは他者を害する」「これは両方を害する」「これは智慧を滅ぼし、煩いを伴い、涅槃へと至らしめるものではない」と考えるたびに、その怒りの思いは消え去りました。このようにして、繰り返し浮かんでくる怒りの思いを捨て去り、追い払い、除き去りました。 害そうとする思いが浮かんだ時も、私はそれをこう知りました。「この害そうとする思いが私に浮かんだ。これは自分自身を害し、他者を害し、両方を害するものである。智慧を滅ぼし、煩いを伴い、涅槃へと至らしめるものではない」と。そして、「これは自分を害する」「これは他者を害する」「これは両方を害する」「これは智慧を滅ぼし、煩いを伴い、涅槃へと至らしめるものではない」と考えるたびに、その害そうとする思いは消え去りました。このようにして、繰り返し浮かんでくる害そうとする思いを捨て去り、追い払い、除き去りました。 比丘たちよ、人は、繰り返し思いを巡らし、繰り返し心を向けることに従って、心が傾いていくものです。 比丘たちよ、もし比丘が、欲の思いを繰り返し思い巡らし、それに心を向けているなら、欲を離れた思いは捨てられてしまい、心は欲の思いに傾いていきます。 比丘たちよ、もし比丘が、怒りの思いを繰り返し思い巡らし、それに心を向けているなら、怒りを離れた思いは捨てられてしまい、心は怒りの思いに傾いていきます。 比丘たちよ、もし比丘が、害そうとする思いを繰り返し思い巡らし、それに心を向けているなら、害そうとしない思いは捨てられてしまい、心は害そうとする思いに傾いていきます。 比丘たちよ、ちょうど、雨期の終わりの月、秋になって穀物が実る頃、牛を守る牧童が、牛たちをあちこちと鞭で打ちながら追い立て、抑え、制御するようなものです。そして、その牧童がきちんと牛を守らなければ、そのために罰を受けたり、縛られたり、財産を奪われたり、叱られたりするかもしれません。 比丘たちよ、まさにそのように、私は、善くない性質(法)には危険があり、堕落があり、汚れがあることを見ました。そして、善い性質(法)には、遠離があり、功徳があり、清らかにする力があることを見たのです。 ---

諸比丘！又如是予於不放逸、熱心、精勤而住，離欲之想生，於是予如次了知之：『予此離欲之想生。其不至害自、不至害他、不至害兩者。以增廣慧、不以伴著煩勞而資於涅槃者也。諸比丘！若其一夜隨想、隨觀者，予由其因緣而不見恐怖。諸比丘！若以一晝隨想、隨觀者，予由其因緣而不見恐怖。諸比丘！若其以一晝夜隨想、隨觀者，予由其因緣而不見恐怖。但予過度隨想、隨觀者，予之身體即疲勞也。若身體疲勞者，即妨害於心也。若妨害於心者，心即遠棄等持矣！』諸比丘！如是予即於內安立心，令鎮靜，成為一心，令等持之。是故，不為令妨害予之心也。諸比丘！如是予於不放逸、熱心、精勤而住，無瞋之想生。予如次了知，即：『予此無瞋之想生。其不至害自、不至害他、不至害兩者。以增廣慧、不伴著煩勞而資於涅槃者也。諸比丘！若以一夜隨想、隨觀此者，予由其因緣不見恐怖。諸比丘！以一晝隨想、隨觀此者，予由其因緣，不見恐怖。諸比丘！若以一晝夜隨想、隨觀此者，予由其因緣，不見恐怖。但予若更過度長久隨想、隨觀者，予之身體即疲勞矣。若使身體疲勞者，即妨害於心。若妨害心者，心即遠棄等持。』諸比丘！如是予於內安立心，令鎮靜，成為一心，令等持之。是故，不為令妨害予之心。諸比丘！如是予於不放逸、熱心、精勤而住，無害之想生，以此予如次了知，即：『予此無害之想生。其不至害自、不至害他、不至害兩。以增廣慧、不伴著煩勞而資於涅槃者也。諸比丘！若以一夜隨想、隨觀此者，予由其因緣不見恐怖。諸比丘！若以一晝隨想、隨觀此者，予由其因緣不見恐怖。諸比丘！若以一晝夜隨想、隨觀此者，予由其因緣不見恐怖。但予若過度長久隨想、隨觀者，予之身體即疲勞矣。若使身體疲勞者即妨害於心。若妨害於心者，心即遠棄等持。』諸比丘！如是予於內安立心，令鎮靜，成為心一，令等持之。是故，不為令妨害予之心。諸比丘！比丘由多隨想、隨觀，應此而心之傾向生。諸比丘！若比丘多隨想、隨觀離欲之想者，捨欲之想念，以多作離欲之想念者，於彼其心即傾於離欲之想也。諸比丘！若比丘多隨想、隨觀無瞋之想者，即捨瞋之想，以作多無瞋之想者，於彼其心即傾於無瞋之想。諸比丘！若比丘多隨想、隨觀無害之想者，即捨害之想，多作無害之想者，於彼其心即傾於無害之想。諸比丘！恰如夏之最後月，一切穀類於村郊收穫時，牧牛者以護牛。彼或住於樹下，或住於露地，應念：『我有牛。』如是，諸比丘！應念：『有此等之法。』

> 比丘たちよ、またこのように、私は怠ることなく、熱心に、精を出して安住していたとき、欲望を離れる想いが生じました。そのとき、私はこう知りました。『私にこの欲望を離れる想いが生じた。これは自分を害さず、他者を害さず、両者を害さない。智慧を増大させ、煩わしさを伴わずに涅槃へと資するものである。』比丘たちよ、もし一晩中この想いについて考え、観察しても、私はその理由によって恐怖を見ません。比丘たちよ、もし一日中考え、観察しても、私はその理由によって恐怖を見ません。比丘たちよ、もし一昼夜考え、観察しても、私はその理由によって恐怖を見ません。しかし、私はあまりにも長く考え、観察しすぎると、私の身体は疲れてしまいます。身体が疲れるならば、心が妨げられます。心が妨げられるならば、心は集中（等持）から遠ざかってしまいます。そこで比丘たちよ、私は心を内に据え、静め、一つにまとめ、集中させました。それゆえ、私の心は妨げられることがなかったのです。 比丘たちよ、このように、私は怠ることなく、熱心に、精を出して安住していたとき、怒りのない想いが生じました。私はこう知りました。『私にこの怒りのない想いが生じた。これは自分を害さず、他者を害さず、両者を害さない。智慧を増大させ、煩わしさを伴わずに涅槃へと資するものである。』比丘たちよ、もし一晩中この想いについて考え、観察しても、私はその理由によって恐怖を見ません。比丘たちよ、もし一日中考え、観察しても、私はその理由によって恐怖を見ません。比丘たちよ、もし一昼夜考え、観察しても、私はその理由によって恐怖を見ません。しかし、私があまりにも長く考え、観察しすぎると、私の身体は疲れてしまいます。身体が疲れるならば、心が妨げられます。心が妨げられるならば、心は集中から遠ざかってしまいます。そこで比丘たちよ、私は心を内に据え、静め、一つにまとめ、集中させました。それゆえ、私の心は妨げられることがなかったのです。 比丘たちよ、このように、私は怠ることなく、熱心に、精を出して安住していたとき、害さない想いが生じました。私はこう知りました。『私にこの害さない想いが生じた。これは自分を害さず、他者を害さず、両者を害さない。智慧を増大させ、煩わしさを伴わずに涅槃へと資するものである。』比丘たちよ、もし一晩中この想いについて考え、観察しても、私はその理由によって恐怖を見ません。比丘たちよ、もし一日中考え、観察しても、私はその理由によって恐怖を見ません。比丘たちよ、もし一昼夜考え、観察しても、私はその理由によって恐怖を見ません。しかし、私があまりにも長く考え、観察しすぎると、私の身体は疲れてしまいます。身体が疲れるならば、心が妨げられます。心が妨げられるならば、心は集中から遠ざかってしまいます。そこで比丘たちよ、私は心を内に据え、静め、一つにまとめ、集中させました。それゆえ、私の心は妨げられることがなかったのです。 比丘たちよ、比丘が多く考え、観察することによって、その心の傾向が生じます。比丘たちよ、もし比丘が欲望を離れる想いを多く考え、観察するならば、欲望の想いを捨てて、欲望を離れる想いを多く作るならば、その心は欲望を離れる想いへと傾きます。比丘たちよ、もし比丘が怒りのない想いを多く考え、観察するならば、怒りの想いを捨てて、怒りのない想いを多く作るならば、その心は怒りのない想いへと傾きます。比丘たちよ、もし比丘が害さない想いを多く考え、観察するならば、害する想いを捨てて、害さない想いを多く作るならば、その心は害さない想いへと傾きます。 比丘たちよ、ちょうど夏の最後の月、すべての穀物が村の郊外で収穫される時、牛飼いは牛を守っています。彼は木の下にいたり、あるいは露地にいたりして、『私には牛がいる』と念じています。同じように、比丘たちよ、『これらの法がある』と念じるべきです。

諸比丘！予有發勤、勇猛、精進。有確立不亂之念。有輕安不激之身。有等持一向之心。諸比丘！如是予即離欲、離不善之法、有尋、有伺，從離生喜樂以成就初禪而住。於次尋伺已息，內澄靖，心成一向，無尋、無伺，從定生喜樂以成就第二禪而住。次不染於喜，捨住，正念正智而以身正受樂，彼聖者之所謂『捨、念、樂住』成就第三禪而住。於次以捨樂、捨苦，先已滅喜憂，不苦，不樂，捨念清淨，成就第四禪而住。

> 比丘たちよ、わたしは怠ることなく努力し、勇猛に精進した。乱れることのない正念を確立した。心が穏やかで、落ち着いた身体を持っていた。心は一つに集中し、定まっていた。 比丘たちよ、このようにしてわたしは、欲望から離れ、不善の法から離れ、思考と考察を伴い、離欲から生じる喜びと安楽を体験する初禅を成就して安住した。 さらに、思考と考察が静まり、内側が清らかに澄みわたり、心が一つに統一され、思考も考察もない、禅定から生じる喜びと安楽を体験する第二禅を成就して安住した。 さらに、喜びに対する執着を離れ、落ち着いて安住し、正念と正しい理解を保ち、身体で安楽を感じる。聖者たちが「捨てて、正念をもって、安楽に住する」と称える第三禅を成就して安住した。 さらに、安楽も捨て、苦しみも捨て、すでに喜びと憂いを滅ぼし、苦しくもなく楽しくもない、清らかな正念による捨ての境地である第四禅を成就して安住した。

如是心乃等持、清淨、皎潔、無穢、無垢、柔軟、堪任而以得確立不動，予心以向憶宿命智。如是予以憶念種種宿命。即：二生、二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十生、五十生、百生、千生、百千生、種種成劫、種種壞劫、種種成壞劫。而且予於其處有如是名、如是姓、如是種族、如是食、如是苦樂之受、如是以有命終。『於其處死，於彼處生。於彼處有如是名、如是姓、如是種族、如是食、如是苦樂之受、如是以有命終。又於彼處死、於此處生。』如是予俱其一一之相及詳細之狀況，以憶念種種宿命也。於此予於夜之初更，到達第一智。於此無智滅而智生；闇滅而明生。此實唯對不放逸、熱心、精勤而住者而顯現者也。

> このように心は集中し、清らかで、皎潔(こうけつ)で、汚れがなく、穢れがなく、柔軟で、しかも確固として動かずに確立されたならば、わたしは心を宿命智(しゅくみょうち)へと向ける。こうしてわたしは様々な前世のありさまを思い起こす。すなわち、一つの生、二つの生、三つの生、四つの生、五つの生、十の生、二十の生、三十の生、四十の生、五十の生、百の生、千の生、百千の生、様々な宇宙の形成される時代、様々な宇宙の壊れる時代、様々な宇宙の形成され壊れる時代を思い起こす。 そして、その場所で、わたしはこのような名前であり、このような姓であり、このような生まれであり、このような食べ物であり、このような苦楽の感覚を受け、そしてこのようにして寿命を終えたのであった。『その場所で死んで、別の場所に生まれた。その場所ではこのような名前であり、このような姓であり、このような生まれであり、このような食べ物であり、このような苦楽の感覚を受け、そしてこのようにして寿命を終えた。またその場所で死んで、この場所に生まれた。』このように、一つひとつの様相や詳細な状況とともに、様々な前世を思い起こすのである。 こうして、夜の初更(しょこう)のときに、わたしは第一の智(ち)に達した。ここに無知は滅び、知恵が生まれた。闇は滅び、光明が生まれた。これは実に、怠けずに、熱心に、精進して住する人にのみ現れるものである。

如是心乃等持、清淨、皎潔、無穢、無垢、柔軟、堪任而得確立不動，予心以向有情生死智。即：予於清淨，以超人之天眼見有情之生死，以知各自隨其業而有卑賤、高貴，美麗、醜陋、幸福、不幸。『實此等有情是以身為惡行、以口為惡行、以意為惡行，以誹謗聖者，抱著邪見，持邪見業。彼等身壞命終而生於惡生、惡趣、墮處、地獄、又其他此等之有情，以身為善行、口為善行、意為善行，不誹謗聖者，以抱正見、持正見業。彼等身壞命終而生於善趣天界。』如是予以清淨、超人之天眼，見有情之生死，以知各自隨其業而有卑賤、高貴、美麗、醜陋、幸福、不幸。於此，予於夜之第二更到達第二智。於此無智滅而智生；闇滅而明生。此實唯對不放逸、熱心、精勤而住者而顯現者也。

> このように、心は平静であり、清らかで、澄み切り、汚れも濁りもなく、柔らかく、よく整えられ、動じないものとなって、私は心を、生きとし生けるものの生死を知る智慧に向けました。すなわち、私は清らかな超人的な天眼をもって、生きとし生けるものの生死を見、一人ひとりがその行い（業）に応じて、卑しい者や高貴な者、美しい者や醜い者、幸せな者や不幸な者として生まれてくるのを知りました。 「まことに、これらの生きとし生けるものは、身体で悪い行いをし、言葉で悪い行いをし、心で悪い行いをし、聖者を誹謗し、誤った見解（邪見）を抱き、その邪見に基づいて行動した。それらの者たちは、身体が壊れて命が終わると、悪い生まれ、悪い世界、堕ちる場所、地獄に生まれる。また、他の生きとし生けるものは、身体で善い行いをし、言葉で善い行いをし、心で善い行いをし、聖者を誹謗せず、正しい見解（正見）を抱き、その正見に基づいて行動した。それらの者たちは、身体が壊れて命が終わると、善い世界、天界に生まれる。」 このように、私は清らかな超人的な天眼をもって、生きとし生けるものの生死を見、一人ひとりがその行い（業）に応じて、卑しい者や高貴な者、美しい者や醜い者、幸せな者や不幸な者として生まれてくるのを知りました。 ここにおいて、私は夜の第二の時（更）に、第二の智慧（智）に達しました。ここにおいて、無知（無智）は滅び、智慧が生じました。闇は滅び、光明が生じました。これはまことに、怠らず、熱心に、精進して修行する者にのみ現れるものです。

如是心乃等持、清淨、皎潔、無穢、無垢、柔軟、堪任而得確立不動，予心以向漏盡智。即：予如實知『此是苦』，如實知『此是苦之集』，如實知『此是苦之滅』，如實知『此是苦滅之道』，如實知『此等是漏』，如實知『此是漏之集』，如實知『此是漏之滅』，如實知『此是漏滅之道』。予於彼如是知、如是見，由愛欲之漏心解脫；由存在之漏心解脫；由無明之漏心解脫。解脫已，『解脫』之智生。了知『生已盡、梵行已成、所作已作、更到無此存在之狀態。』諸比丘！於此，予於夜之三更到達第三智。於此處無智滅而智生，闇滅而明生。此實唯對不放逸、熱心、精勤住者而顯現者也。

諸比丘！譬喻森林幽谷之中，有一大深沼，於其邊住有大鹿群。因此而一人出，彼不欲為〔鹿群之〕利益，不欲饒益、不欲安穩，以塞彼〔鹿群〕平穩安全之好行道，以開惡道，以配置所馴練之牡獸及牝獸。諸比丘！如是實彼大鹿群其後遭遇災禍、不幸、損滅。諸比丘！又因此而一人出，欲為彼大鹿群之利益、欲饒益、欲安穩，開彼〔鹿群〕平穩安全所好行之道，塞惡道，以除去馴練牡獸或牝獸。諸比丘！如是實彼大鹿群其後達到增大、興隆、成滿。

諸比丘！予為教其意義，以說此譬喻。其意義者，即：諸比丘！大深沼者，即是欲也。大鹿群者即是有情也。不欲利益、不欲饒益、不欲安穩之人者，即是惡魔。諸比丘！惡道者，即是八邪道，即：邪見、邪思惟、邪語、邪業、邪命、邪精進、邪念、邪定也。馴練之牡獸者，即是歡喜貪染也。馴練之牝獸者，即是無明也。諸比丘！欲利益、欲饒益、欲安穩之人者，即是如來、應供、等正覺者。平穩安全而好行之道者，即是八支聖道。即：正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定也。諸比丘！如是予開平穩安全而好行之道，塞惡道，除去馴練之牡獸、除去馴練之牝獸。諸比丘！由師欲聲聞之饒益、為慈愍依慈愍而為事者，實依予而為。諸比丘！有此等之樹下，有此等之空閑處。諸比丘！禪思勿放逸、勿後悔。實是我所教誨也。」

世尊如是說已。彼等比丘歡喜信受世尊之所說。