---
title: "中部經典 · 第二〇　想念止息經"
description: "中部經典是南傳佛教巴利三藏中的經藏部分，由通妙法师译为中文。它成书于佛陀入灭后的第一次结集，记录了佛陀及其弟子的言行。该经典共收录152部中长篇经文，内容涵盖四圣谛、八正道、缘起法、禅修方法及伦理规范等核心教义。作为原始佛教的重要文献，中部經典系统阐述了佛陀的中道思想，是研究早期佛教教义与实践的权威典籍，在南传上座部佛教中具有崇高地位，为修行者提供了完整的指导。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgn0i4tg1zktl404sj6cre7x"
---

### 第二十　想念止息經

> 第二十 想念止息経

如是我聞。——

> このように私はお聞きしました。

一時，世尊在舍衛城祇陀林給孤獨園。時世尊呼諸比丘言：「諸比丘！」彼等比丘應：「世尊！」於是世尊如次說。

> その時、世尊は舎衛城（しゃえじょう）の祇陀林（ぎだりん）の給孤独園（きっこどくおん）に滞在されました。世尊は比丘たちを呼んで、「比丘たちよ！」と言われました。比丘たちは「世尊よ！」とお答えしました。そこで世尊は次のようにお説きになりました。

「諸比丘！若比丘以實修增上心，應時時念於五相。何者為五？曰：諸比丘！此若比丘對於相而念相時，若生惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之念者，諸比丘！其時彼比丘依其相為他伴善念相也。依其相為他伴善念相之彼，即能捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之念而消失之。由此等之所捨，內心安立、靜止、以成一心，便得等持。諸比丘！恰如善巧之建築師、或其弟子，以小楔擊追出大楔，取出而除去，如是，諸比丘！比丘對於相而念相時，若生惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想生者，諸比丘！彼比丘應依其相為他伴善、念相。依其相為他伴善、念相之彼，即持捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想，而消失之，依此等之捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。

> 「比丘たちよ、もし比丘がより高い心を真に修めようとするならば、常に五つの対象について心に留めるべきである。その五つとは何か。 比丘たちよ、ここに比丘が、とある対象について心に留めているとき、貪りを伴い、怒りを伴い、痴を伴うような、悪しき不善の念が生じることがある。そのとき、比丘たちよ、その比丘は、その対象を離れて、別の、善を伴う対象について心に留めるべきである。 そのように、善を伴う別の対象について心に留めるとき、彼は、貪り・怒り・痴を伴う悪しき不善の念を捨て去り、それを消し去ることができる。それらの念を捨て去ることによって、心は内に立ち、静まり、一つにまとまり、定められる。 比丘たちよ、ちょうど、優れた大工かその弟子が、小さな楔を用いて大きな楔を打ち出し、それを取り除くように、そのとおりである。 比丘たちよ、そのように、比丘が、とある対象について心に留めているとき、貪り・怒り・痴を伴う悪しき不善の念が生じたならば、その比丘は、その対象を離れて、別の、善を伴う対象について心に留めるべきである。 そのようにして、善を伴う別の対象について心に留めるとき、彼は、貪り・怒り・痴を伴う悪しき不善の念を捨て去り、それを消し去ることができる。それらの念を捨て去ることによって、心は内に立ち、静まり、一つにまとまり、定められるのである。」

諸比丘！若比丘不由其相為他伴善、念相者，若惡不善之伴貪、伴瞋、伴癡之想念生者，諸比丘！彼比丘即應審查此等想念之患，即：『如是此等想念是不善、如是此等想念應令非難，如是此等想念是導於苦果者也。』彼審查此等想念之患，即捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之之想念而消失之。依此等之捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。諸比丘！恰如年少之青年男女，愛好裝飾，若以蛇之死屍、或狗之死屍、或人之死屍繫其頸，便惱、恥而忌避之，如是，諸比丘！若此比丘依其他伴善念相者，若惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念生者，彼之比丘即應審查此等想念之患，即：『如是此等想念是不善、如是此等之想念應是非難，如是此等之想念是導於苦果者也。』彼以審查此等想念之患，即捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失矣。依此等之捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。

> 比丘たちよ、もし比丘が、善なる友や善なる対象に頼っていても、悪しき不善の想い、貪欲を伴う想い、怒りを伴う想い、愚かさを伴う想いが生じたならば、その比丘は、これらの想いの危険性をよく観察すべきである。すなわち、「これらの想いは不善である。これらの想いは非難されるべきである。これらの想いは苦しみの結果をもたらすものである」と。 その比丘がこれらの想いの危険性を観察すると、悪しき不善の想い、貪欲を伴う想い、怒りを伴う想い、愚かさを伴う想いは消え去る。これらの想いを捨て去ることによって、心は内に安らぎ、静まり、一つにまとまり、深い禅定（等持）を得るのである。 比丘たちよ、ちょうど若い男女が、飾りを好む者が、蛇の死骸や犬の死骸や人間の死骸を首に掛けられたならば、嫌悪し、恥じ、忌み嫌うであろう。同じように、比丘たちよ、もし比丘に、善なる友や善なる対象に頼っていても、悪しき不善の想い、貪欲を伴う想い、怒りを伴う想い、愚かさを伴う想いが生じたならば、その比丘は、これらの想いの危険性をよく観察すべきである。すなわち、「これらの想いは不善である。これらの想いは非難されるべきである。これらの想いは苦しみの結果をもたらすものである」と。 その比丘がこれらの想いの危険性を観察すると、悪しき不善の想い、貪欲を伴う想い、怒りを伴う想い、愚かさを伴う想いは消え去る。これらの想いを捨て去ることによって、心は内に安らぎ、静まり、一つにまとまり、深い禅定（等持）を得るのである。

諸比丘！若比丘審查此等想念之患時，惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念生者，諸比丘！彼之比丘應對此等之想念，不應憶念、思念，彼對此等之想念不令憶念，思念時，即捨此等惡不善，伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。依此等之捨，內心安立，靜止，以成一心，便得等持。諸比丘！恰如具眼者，不欲見其眼前之色，彼即或閉眼、或轉眼其他，如是，諸比丘！若彼審查此等想念之患時，惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念生者，彼之比丘應對此等之想念，不應憶念、思念，彼對此等之想念，不憶念、思念者，即捨此等惡不善，伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。依此等之捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。

> 比丘たちよ、もし比丘がこれらの思考の危険をよく観察しているときに、悪しき不善の、貪りを伴い、怒りを伴い、迷いを伴う思考が生じたならば、その比丘はそのような思考に対して、それに注意を向けず、それについて考えないようにすべきである。そうして注意を向けず、考えないようにしていると、それらの悪しき不善の、貪りを伴い、怒りを伴い、迷いを伴う思考は捨て去られ、消え去るのである。このように捨て去ることによって、心は内にしっかりと立ち、静まり、一つにまとまり、安定した集中（等持）が得られるのである。 比丘たちよ、ちょうど目の見える人が、見たくないものの前にあるとき、目を閉じたり、あるいは他の方へ目をそらしたりするように、比丘たちよ、それと同じように、もし比丘がこれらの思考の危険を観察しているときに、悪しき不善の、貪りを伴い、怒りを伴い、迷いを伴う思考が生じたならば、その比丘はそのような思考に対して、注意を向けず、考えないようにすべきである。そうして注意を向けず、考えないようにしていると、それらの悪しき不善の、貪りを伴い、怒りを伴い、迷いを伴う思考は捨て去られ、消え去るのである。このように捨て去ることによって、心は内にしっかりと立ち、静まり、一つにまとまり、安定した集中（等持）が得られるのである。

諸比丘！若比丘對此等之想念不憶念、思念時，惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念生者，彼比丘對此等之想念應憶念想、行之止息。彼對此等之想念，彼以念想、行之止息，即捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。依此等之捨，內心安立、靜思，以成一心，便得等持。諸比丘！譬如有人急行，彼思之：『我何故於急行耶？我今寧徐行之。』彼即徐行。於彼又思之：『我何故於徐行耶？我今寧立止之。』彼即立止。彼復思之：『我何故立止耶？我今寧坐之。』彼即坐之。彼復思之：『我何故而坐耶？我今寧可臥之。』如是彼即臥之。諸比丘！如是，實彼人即如次第避粗威儀，以作細威儀，諸比丘！若彼對此等之想念，比丘不憶念、思念而惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念生者，諸比丘！彼之比丘對此等之想念，應念想、行之止息。如是為之比丘即捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。依此等之捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。

> 比丘たちよ、もし比丘がこれらの想念を念じず、考えないときに、悪しき不善の想念、貪りを伴う想念、怒りを伴う想念、愚かさを伴う想念が生じたならば、その比丘はこれらの想念に対して、念じ、行いを止め滅することをなすべきである。彼がこれらの想念に対して、念じ、行いを止め滅するならば、悪しき不善の想念、貪りを伴う想念、怒りを伴う想念、愚かさを伴う想念を捨てて、それらを消滅させるのである。このように捨てることによって、内心は安定し、静かに思い、ひとつの心となり、平静を得るのである。 比丘たちよ、たとえば、ある人が速く歩いているとする。彼はこう思う。『なぜ私は速く歩いているのだろうか。今、私はゆっくり歩こう。』そこで彼はゆっくり歩く。さらに彼はこう思う。『なぜ私はゆっくり歩いているのだろうか。今、私は立ち止まろう。』そこで彼は立ち止まる。さらに彼はこう思う。『なぜ私は立ち止まっているのだろうか。今、私は座ろう。』そこで彼は座る。さらに彼はこう思う。『なぜ私は座っているのだろうか。今、私は臥そう。』そこで彼は臥すのである。比丘たちよ、このようにして、その人は次第に粗い姿勢を避けて、細やかな姿勢をとるのである。 比丘たちよ、もし比丘がこれらの想念を念じず、考えないときに、悪しき不善の想念、貪りを伴う想念、怒りを伴う想念、愚かさを伴う想念が生じたならば、比丘たちよ、その比丘はこれらの想念に対して、念じ、行いを止め滅することをなすべきである。このようにする比丘は、悪しき不善の想念、貪りを伴う想念、怒りを伴う想念、愚かさを伴う想念を捨てて、それらを消滅させるのである。このように捨てることによって、内心は安定し、静かに思い、ひとつの心となり、平静を得るのである。

諸比丘！若更對此等之想念，比丘以念想、行之止息，若惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念生者，諸比丘！彼比丘，齒以齒相著，以舌逼上齶，彼應以〔正〕心制〔邪〕心，降伏而滅之。彼齒以齒相著，以舌逼上齶，彼以〔正〕心制〔邪〕心，降伏而令滅，即捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。依此等捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。諸比丘！恰如強力之人，對軟弱者，或捉頭、或捉肩，制伏撲滅之，如是，諸比丘！若對此等想念，念其想、行之止息，於彼比丘若惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念生者，諸比丘！彼比丘若齒以齒相著，以舌逼上齶，彼應以〔正〕心制〔邪〕心，降伏而滅之。如是齒以齒相著，以舌逼上齶，以〔正〕心制〔邪〕心，降伏而滅之，即捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。如是依此等之捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。

諸比丘！若比丘對於相思念想而惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念生時，彼應由其相思念他之伴善之想者，於彼即捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。依此等之捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。其次彼審查此等想念之患，即捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。依此等捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。復次、彼對此等之想念、不憶念、思念，又捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。依此等捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。復次，對次等之想念，彼念想行之止息，即捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。依此等之捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。復次，彼齒以齒相著，以舌逼上齶，若彼以〔正〕心制〔邪〕心，降伏而滅之者，即捨惡不善、伴貪、伴瞋、伴癡之想念而消失之。依此等之捨，內心安立、靜止，以成一心，便得等持。諸比丘！謂此比丘乃住想念法門之道者。彼想念所欲之想念，彼而思考此乃不欲之所想念，即應不想念之。彼斷渴愛、解縛、彼征服慢、成就苦滅之際。」

世尊如是說已。彼等比丘歡喜信受世尊之所說。