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title: "中部經典 · 第二七　象跡喻小經"
description: "中部經典是南傳佛教巴利三藏中的經藏部分，由通妙法师译为中文。它成书于佛陀入灭后的第一次结集，记录了佛陀及其弟子的言行。该经典共收录152部中长篇经文，内容涵盖四圣谛、八正道、缘起法、禅修方法及伦理规范等核心教义。作为原始佛教的重要文献，中部經典系统阐述了佛陀的中道思想，是研究早期佛教教义与实践的权威典籍，在南传上座部佛教中具有崇高地位，为修行者提供了完整的指导。"
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### 第二十七　象跡喻小經

> 第二十七　象の足跡のたとえ（小経）

如是我聞。——

> このように私はお聞きしました。

一時，世尊在舍衛城祇陀林給孤獨園。爾時，婆羅門生漏乘全白色，深幌之車乘，早晨從舍衛城出行。婆羅門生漏遙見出家行者卑盧帝伽從彼方而來，見而言出家行者卑盧帝伽曰：「越奢耶那大清早從何處來耶？」〔卑盧帝伽曰：〕「尊者！予從彼沙門瞿曇之處來。」〔婆羅門曰：〕「越奢耶那！沙門瞿曇其如何思之耶？汝認為沙門瞿曇是殊勝有智慧、為賢者乎？」〔卑盧帝伽曰：〕「尊者！想我是誰耶？我如何得知沙門瞿曇之殊勝智慧？得知沙門瞿曇之殊勝智慧者，實應與彼同等者也。」〔婆羅門曰：〕「然！越奢耶那汝非以最上讚辭以讚嘆沙門瞿曇耶？」〔卑盧帝伽曰：〕「尊者！想我是誰耶？以稱讚沙門瞿曇，我如何得為耶？彼尊者瞿曇是在可讚嘆者之中最被讚嘆者也，是人天中之最勝者也。」〔婆羅門曰：〕「越奢耶那汝見如何根據，於如是信仰沙門瞿曇耶？」〔卑盧帝伽曰：〕「尊者！恰如善捕象之師，往於象林於象林見寬長之大象足跡，即達結論『實大象也。』尊者！如是我於沙門瞿曇見為四足跡故，方以達此結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說，其僧團善從而行者也。』其四者何耶？

> ある時、世尊は舎衛城の祇陀林、給孤独園におられました。 そのとき、婆羅門の生漏は、真っ白な馬に引かれた車に乗り、朝早く舎衛城を出発しました。婆羅門の生漏は、遠くから修行者卑盧帝伽がこちらへ歩いてくるのを見て、声をかけました。「越奢耶那よ、こんなに朝早く、どこから来たのかね？」 卑盧帝伽は答えました。「尊者よ、私はあの沙門瞿曇のもとから来ました。」 婆羅門が尋ねました。「越奢耶那よ、沙門瞿曇についてどう思うかね？あなたは沙門瞿曇を、すぐれた智慧を持つ賢者だと思うかね？」 卑盧帝伽は言いました。「尊者よ、私は何者でしょうか。どうして私が沙門瞿曇のすぐれた智慧を知ることができるでしょう。沙門瞿曇のすぐれた智慧を知る人は、きっと彼と同等の人でなければなりません。」 婆羅門が言いました。「しかし、越奢耶那よ、あなたは最高の言葉で沙門瞿曇を讃えているのではないかね？」 卑盧帝伽は答えました。「尊者よ、私は何者でしょうか。どうして私が沙門瞿曇を讃え尽くすことができましょう。あの尊者瞿曇は、讃えられるべき人々の中で最も讃えられるべき方であり、人と天の中で最もすぐれた方なのです。」 婆羅門が尋ねました。「越奢耶那よ、どのような根拠から、あなたはそのように沙門瞿曇を信じるのかね？」 卑盧帝伽は答えました。「尊者よ、ちょうど象を捕らえる名人が象の林へ行き、そこで幅広く大きな象の足跡を見て、『これは確かに大きな象だ』と結論するようなものです。尊者よ、同じように私も沙門瞿曇において四つの足跡を見たので、『世尊は正しく目覚めた方であり、法は世尊によってよく説かれ、その僧団はよく実践している』という結論に達したのです。その四つとは何でしょうか。」

尊者！我是王族之賢者，伶俐而以事論爭，見好穿鑿之性格者，想彼等以一定之慧，一定之見，纖細分析論難之行者。其彼等或時聞：『沙門瞿曇時實往某村里或某聚落。』彼等準備質問：『我等詣沙門瞿曇之處，以問此，我等如是問，彼如是答者，我等如是反駁彼，又我等如是問，彼如是答者，我等又如是以反駁彼。』而且彼等聞：『沙門瞿曇實來某村里、某聚落。』彼等詣沙門瞿曇之處。沙門瞿曇以法談對彼等開示、勸發、鼓勵、令歡喜。彼等由沙門瞿曇以法談之開示、勸發、鼓勵、令歡喜，即對沙門瞿曇不發問，何況能反駁彼否？卻斷然成為沙門瞿曇之第子。尊者！我於沙門瞿曇見此之第一足跡，於是我以達結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說者，其僧團善從而行也。』

> 尊者よ、私は王族の賢者であり、利発で議論を好み、難問を詮索する性格の者たちを知っています。彼らは一定の慧と一定の見解をもって、細かく分析し論難する修行者たちです。彼らはあるとき、「沙門ゴータマが実際に某かの村や集落へ来られた」と聞くと、こう質問しようと準備します。「私たちは沙門ゴータマのもとへ行き、これを問おう。私たちがこう問えば、彼はこう答えるだろう。そのとき私たちはこう反論しよう。また私たちがこう問えば、彼はこう答えるだろう。そのとき私たちはまたこう反論しよう」と。そして彼らは「沙門ゴータマが実際に某かの村や集落へ来られた」と聞くと、沙門ゴータマのもとへと向かいます。沙門ゴータマは法の話によって彼らを開示し、励まし、奮い立たせ、喜ばせます。彼らは沙門ゴータマの法の話によって開示され、励まされ、奮い立たされ、喜ばされると、もはや沙門ゴータマに質問をすることさえしません。ましてや反論などできるでしょうか。むしろ断然、沙門ゴータマの弟子となるのです。尊者よ、私は沙門ゴータマにこの第一の足跡を見ました。そこで私は結論に至りました。「世尊は正しく目覚めた方であり、法は世尊によってよく説かれ、その僧団はよく実践している」と。

尊者！再之，我是婆羅門之賢者，伶俐而以事論爭，見好穿鑿之性格者，想彼等以一定之慧，一定之見，纖細分析論難之行者。其彼等或時聞：『沙門瞿曇實往某村里、某聚落。』彼等準備質問：『我等詣沙門瞿曇之處，以問此，我等如是問，彼如是答者，我等如是反駁彼，又若我等如是問，彼如是答者，我等又如是反駁彼。』而且彼等聞：『沙門瞿曇實來某村里、某聚落。』彼等詣沙門瞿曇之處。沙門瞿曇以法談對彼等開示、勸發、鼓勵、令歡喜。彼等由沙門瞿曇，以法談開示、勸發、鼓勵、令歡喜，即對沙門瞿曇不發問，何況能反駁彼否？卻斷然成為沙門瞿曇之聲聞。卿！我於沙門瞿曇見此第二足跡，於此我以達結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所說，其僧團善從而行也。』

> 尊者よ、さらに私はこう考えます。私はバラモンの賢者であり、頭の回転が速く、議論で論じ合うことを好み、あら探しをする性格の者たち――彼らは決まった智慧と決まった見解をもち、細かく分析して論難する修行者たちです。彼らはあるとき、「沙門ゴータマが実際に某かの村や某かの集落へ来た」と聞くと、こう質問しようと準備します。「私たちは沙門ゴータマのもとへ行き、これを尋ねよう。私たちがこう問い、彼がこう答えるなら、私たちはこう反論しよう。また私たちがこう問い、彼がこう答えるなら、私たちはまたこう反論しよう」と。そして彼らは「沙門ゴータマが実際に某かの村や某かの集落へ来た」と聞いて、沙門ゴータマのもとへと向かいます。沙門ゴータマは法の話によって彼らに示し、励まし、背中を押し、喜ばせます。彼らは沙門ゴータマから法の話によって示され、励まされ、背中を押され、喜ばされると、もはや沙門ゴータマに質問を発することすらありません。ましてや反論などできるはずがありません。むしろ断固として沙門ゴータマの弟子となるのです。卿よ、私は沙門ゴータマにこの第二の足跡を見ました。これによって私は結論に達します。「世尊は正しく目覚めた方であり、法は世尊によって説かれ、その僧団は善き道を歩んでいる」と。

卿！再之，我更是或居士之賢者……乃至……或沙門之賢者，伶俐而以事論爭，見好穿鑿之性格者，想彼等以一定之慧，一定之見，纖細分析論難之行者。其彼等或時聞：『沙門瞿曇實往某村里、某聚落。』彼等準備質問：『我等詣沙門瞿曇之處，以問此，我等如是問，彼如是答者，我等如是反駁彼，若又我等如是問，彼如是答者，我等又如是反駁彼。』而且彼等聞：『沙門瞿曇實來某村里、某聚落。』彼等詣沙門瞿曇之處。沙門瞿曇以法談對彼等開示、勸發、獎勵、令歡喜。彼等由沙門瞿曇以法談之開示、勸發、獎勵、令歡喜，即對沙門瞿曇不發問，何況能反駁彼否？卻斷然請沙門瞿曇容受以捨家出家為修行者。沙門瞿曇受彼等出家，彼等如是住於出家同等之孤獨、別住、不放逸、苦行、精勤，善男子，由在家為出家修行者，不久，即得於現法自知、自證、自達。完成無上梵行之目的。彼等曰：『我等實幾乎滅亡，實幾乎破滅，蓋我等前非沙門，而自稱為沙門；非婆羅門而自稱謂婆羅門；非應供自稱謂應供。今我等實成為沙門，今我等實成為婆羅門，今我等實成為應供者也。』尊者！我於沙門瞿曇見此〔第三……乃至……〕第四足跡，於此我達結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說，其僧團善從行之也。』尊者！我於沙門瞿曇見此等四足跡故，於此我至如是結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說，其僧團善從而行也。』」

如是語時，婆羅門生漏，從全白色、深幌之車乘而下，偏袒一肩，向世尊之處合掌禮拜三次發感嘆語曰：「南無世尊應供等正覺者！南無世尊應供等正覺者！南無世尊應供等正覺者！我等或許於某地某時見世尊瞿曇、或許其時予得與世尊共語也？」如是婆羅門生漏詣世尊之處，詣而問訊世尊，交換歡喜親睦之語後坐於一面。於一面坐之婆羅門生漏將其與出家行者卑盧帝伽之共語如是奉告世尊。世尊聞此對婆羅門生漏如是曰：「婆羅門！於其程度以象跡喻尚未充分具足。婆羅門！更有廣大具足之象跡喻，予將說，諦聽！」「願樂欲聞」婆羅門生漏應諾世尊。世尊乃曰：

「婆羅門！譬如捕象師往象林，於象林見延長廣大之一大象跡，彼真善捕象師者不立即作此結論『實是大象也。』何以故？婆羅門！於象林名矮小牡象有大足，然此實有可能為彼等之足跡也。彼更於象林追尋時見延長廣大之象跡，又見高處有被大象薙折之痕跡，彼若真善捕象師者，不立即作此結論『實是大牡象也。』何以故？婆羅門！於象林名大突牙牝象有大足，然此實有可能為彼等之跡也。彼於象林追尋時見延長廣大之象跡，又見高處有被象牙薙刮掀折之痕跡，彼若真善捕象師者，不立即作此結論：『實是大牡象也。』何以故？婆羅門！於象林名大長鼻牡象有大足，此實有可能為彼等之跡也。彼於象林追尋時見延長廣大之象跡，又見高處有被象牙剃刮掀折，折枝痕跡。彼見牡象於樹下，或空曠處，漫步，或立，或坐，或臥，於是始達結論：『實是大牡象者。』婆羅門！如此，如來、應供、等正覺者、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、覺者、世尊出現於此世。彼以俱此天之世界、俱魔之世界、俱梵天之世界、俱沙門婆羅門之世界、俱人天之世界，自知、自證而宣說。彼初善、中善、終亦善，有義、有文，以說法，以教完全清淨之梵行。而且生於居士或居士子，或其他之族者，以聽聞其法。彼以聽其法，得信於世尊。彼如是得信，作是念：『在家是雜鬧、塵勞之處，出家是空閑寂靜也。在家者難行完全清淨如真珠清磨之梵行，然！我以剃除鬚髮，著袈裟衣，由在家為出家修行者。』彼於後或捨小財物，或捨多財物，或捨小親族，或捨多親族，剃除鬚髮，著袈裟衣，由在家為出家修行者。

如是彼出家，具足比丘應學之生活規定，以捨殺生，以離殺生。以捨刀杖，有慚愧，有同情心，住於憐愍一切有情生類。捨棄不與取，離不與取，以受與物，以期與而取，以自住非盜之淨物。捨非梵行，梵行者，離不淨行者，離淫欲之在俗法。以捨妄語，離妄語，為真實語者，真實而得可信賴，得可依，不欺世間者。捨棄兩舌，離兩舌，聞此語彼，無破壞彼等間，又從彼聞語此等，無破壞此等之間；如是或為離者之和解者，或為合者之援助者。語好和順、樂和順、喜和順，和順之語者。捨粗惡語、離粗惡語。以語柔和而順耳、樂入於心、優雅而甚多人歡喜、甚多人喜好，如是之語者。捨戲語、離戲語。應語之時而語者，以說事實者，以說義利者，以說法者，以說律者。以語時隨足保持之語，語有理由、有辨別、俱義利之語者。彼離害種子類、植物類。一日一食，夜不食，離非時食。以離觀聽歌舞、音樂、演藝等。離保持華鬘、塗香、脂粉扮飾、莊嚴住。離高牀、大牀。離受金銀。離受生穀類。離受生肉。離受婦女、童女。離受婢僕。離受山羊、羊。離受雞、豚。離受象、牛、牡馬、牝馬。離受田野、地處。離為使節使丁。離買賣。離詐秤稱，離詐貨幣、詐度量。離詐欺瞞著、奸詐、邪曲。離斷、殺、縛、路賊、掠奪、暴行。彼以衣覆身為足，以施食護腹為足，彼之行處，唯此俱行。恰如有翼之鳥飛翔，如常俱其翼而飛，如是比丘當以覆身之衣，護腹之食為滿足，彼之行處，唯此俱行。彼具足聖戒聚，於內受無瑕樂者。彼以眼見色，不執於相，不執於隨相。彼之令防護眼根而住者，若侵來貪欲、憂慼、惡不善之法，從事為其防護，以護眼根，為於眼根之防護。以耳聞聲……乃至……以鼻嗅香……以舌味味……以身觸之所觸……以意識法，不執相，不執隨相。彼若不防護意根而住者，貪欲、憂慼、惡等不善法之侵來，從事為其防護，以護意根，為於意根之防護。彼成就此聖之根防護者，內受無穢之樂。彼於正智出入，於正智觀前觀後，於正智屈伸，於正智執持大衣及衣鉢，於正智噉飲嚼味，於正智行糞尿，於正智行、住、坐、眠、寤、及語、默。

彼具足此聖戒聚、具足此聖根防護、具足此聖正智，以孤獨之牀座為友，至閑林、樹下、山巖、石室、山峽、塚間、林叢、露天、及藁所積之處。彼食後從行乞而歸，置身端正，面前布置結跏趺坐之念。彼於世間捨貪欲、離貪欲，以心而住，從貪欲淨化心。捨瞋恚，以住不瞋恚心，憐愍一切生類，以淨化瞋恚心。捨惛沈掉舉、離惛沈掉舉而住，有觀想，有念，有正智，從惛沈掉舉以淨化心。捨調悔，不調悔而住，內有寂靜心，淨化調悔心。捨疑、離疑而住，無猶豫、於善法從疑淨化心。

彼捨此等五蓋、心穢、慧羸、離欲、離不善法、有尋、有伺，離生喜樂，成就初禪而住。婆羅門！此謂如來之足跡、如來之行跡、如來之鑿道。然猶聖弟子未達結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說，其僧團善從而行也。』婆羅門！更又比丘尋伺已息，於內清淨，心置一處，無尋、無伺，定生喜樂，成就第二禪而住。婆羅門！此亦謂如來之足跡、如來之行跡、如來之鑿道。然猶聖弟子未達結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說，其僧團善從而行也。』婆羅門！更又比丘不染於喜，住於捨，於正念、正智，以身正受樂，聖者之所謂『捨、念、樂住』成就第三禪而住。婆羅門！此亦謂如來之足跡、如來之行跡、如來之鑿道。然猶聖弟子未達結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說者，其僧團善從而行也。』婆羅門！又比丘捨樂、捨苦，先已以滅喜憂，不苦不樂，捨、念、清淨，成就第四禪而住。婆羅門！此謂如來之足跡、如來之行跡、如來之鑿道。然猶聖弟子未達結論：『世尊是等正覺者，法由世尊所善說，其僧團善從而行也。』

彼如是心等持，清淨、皎潔、無穢、無垢、柔軟、堪任而得確立不動，心向憶宿命智。彼憶念：『種種宿命，即：一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十生、五十生、百生、千生、百千生、種種成劫、種種壞劫、種種成壞劫。於其處，予有如是名、如是姓、如是種族、如是食、如是苦樂之受、如是以命終。於其處死，於彼處生。於彼處有如是名、如是姓、如是種族、如是食、如是苦樂之受、如是以命終。彼於彼處死，於此處生。』如是憶念其相及詳細狀況與俱種種之宿命。婆羅門！此謂如來之足跡、如來之行跡、如來之鑿道。然猶聖弟子未達結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說，其僧團善從而行也。』

彼如是心等持，清淨、皎潔、無穢、無垢、柔軟、堪任、得確立不動、心向有情生死智。彼以清淨、超人之天眼，見有情之生死，知卑賤、高貴、美麗、醜陋、幸福、不幸福，各隨其業：『實此等之有情身為惡行、口為惡行、意為惡行，誹謗聖者、抱邪見、持邪見業。身壞命終生惡生、惡趣、墮處、地獄。又其他此等之有情，身為善行、口為善行、意為善行，不誹謗聖者，抱正見、持正見業。身壞命終生善趣、天界。』如是彼以清淨、超人之天眼見有情之生死。知其卑賤、高貴、美麗、醜陋、幸福、不幸福，各隨其業。婆羅門！此謂如來之足跡、如來之行跡、如來之鑿道。然猶聖弟子未達結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說，其僧團善從而行也。』

彼如是心等持，清淨、皎潔、無穢、無垢、柔軟、堪任，以得確立不動，彼心向漏盡智。彼如實知『此是苦』，如實知『此是苦之集』，如實知『此是苦之滅』，如實知『此是苦滅之道』。又如實知『此等是漏』，如實知『此是漏之集』，如實知『此是漏之滅』，如實知『此是漏滅之道』。婆羅門！此謂如來之足跡、如來之行跡、如來之鑿道。聖弟子嘗未達如是之結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說，其僧團善從而行也。』如是知，如是見，彼心解脫愛欲之漏、心解脫有漏、心解脫無明之漏、解脫已，知『於解脫而解脫』，知『生已盡，梵行已成，應作已作，不更到此之存在。』婆羅門！此謂如來之足跡、如來之行跡、如來之鑿道。婆羅門！如是，聖弟子達結論：『世尊是正等正覺者，法由世尊所善說，其僧團善從而行行也。』婆羅門！如是實無遺憾廣說象跡喻。」

如是說時，婆羅門生漏白世尊曰：「善哉！瞿曇！善哉！瞿曇！恰如倒者起，覆者露現，如迷途者得教其道，如闇中持燈，使有眼者見色。如是，由尊者瞿曇以種種方便之法示。我歸依尊者瞿曇及其法，歸依其僧伽。尊者瞿曇容我從今以後終生歸依為優婆塞。」