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title: "中部經典 · 第三六　薩遮迦大經"
description: "中部經典是南傳佛教巴利三藏中的經藏部分，由通妙法师译为中文。它成书于佛陀入灭后的第一次结集，记录了佛陀及其弟子的言行。该经典共收录152部中长篇经文，内容涵盖四圣谛、八正道、缘起法、禅修方法及伦理规范等核心教义。作为原始佛教的重要文献，中部經典系统阐述了佛陀的中道思想，是研究早期佛教教义与实践的权威典籍，在南传上座部佛教中具有崇高地位，为修行者提供了完整的指导。"
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### 第三十六　薩遮迦大經

> 第三十六章　サッチャカ経

如是我聞。——

> このように私はお聞きしました。

一時，世尊在毘舍離城大林重閣講堂。爾時，世尊早晨著衣，執持衣鉢，往毘舍離城行乞。於是離繫派薩遮迦彷徉而詣大林之重閣講堂。尊者阿難遙見離繫派之薩遮迦來。見而白世尊曰：「世尊！彼好論巧論而受眾多人尊敬之離繫派薩遮迦來，世尊！彼以欲毀損佛、毀損法、毀損僧伽者也。世尊！世尊宜以慈愍與坐少時。」世尊乃坐所設之座。於是離繫派薩遮迦詣世尊之處，詣而問訊世尊，交談友誼親睦之語，而於一面坐。於一面坐之離繫派薩遮迦白世尊曰：

> ある時、世尊はヴェーサーリーの町の大林にある重閣講堂におられた。その朝、世尊は衣をまとい、鉢を持って、ヴェーサーリーの町に托鉢に出かけられた。 そのころ、離繋派のサッチャカが、ぶらぶらと大林の重閣講堂へやって来た。尊者アーナンダは、遠くから離繋派のサッチャカが来るのを見た。見て、世尊に申し上げた： 「世尊よ、あそこに来るのは、議論を好み、巧みな論法で多くの人々の尊敬を集めている離繋派のサッチャカです。世尊よ、彼は仏を貶め、法を貶め、僧伽を貶めようとしている者です。世尊よ、どうか慈しみをもって、しばらくお座りくださいませ。」 世尊は、用意された座に坐られた。そこで離繋派のサッチャカは世尊のところへやって来て、世尊に挨拶を交わし、親しげに友好的な言葉を交わしてから、一方に坐った。一方に坐った離繋派のサッチャカは、世尊にこう申し上げた：

「卿瞿曇！或沙門、婆羅門具足於身修習之行，然而不住於心修習行。卿瞿曇！實於彼等得身之苦受。卿瞿曇！若得身之苦受者，即生髀之痳痺，心臟破裂，又從口吐出熱血，及至狂氣、亂心也。卿瞿曇！於彼有隨彼身之心、服從身之力，何由是不修習心也。卿瞿曇！又或沙門、婆羅門，具足心修習之行，然而不住於身修習之行。卿瞿曇！實於彼等得心之苦受。卿瞿曇！若有得心之苦受者，即生髀之痳痺，心臟破裂，又從口吐出熱血，及至狂氣、亂心。卿瞿曇！於彼有隨彼心之身，服從於心之力，何由不修習身也。卿瞿曇！如是予生是念：『實卿瞿曇之聲聞雖具足心修習之行，然而不住於身修習。』」

> 「尊師瞿曇よ、或る沙門・婆羅門は、身体の修行を完成させても、心の修行には留まりません。尊師瞿曇よ、そのような者たちには、身体の苦しみが生じます。尊師瞿曇よ、身体の苦しみが生じれば、ももの麻痺が起こり、心臓が破れ、口から熱い血を吐き出し、その果てには狂気や心の乱れに至るのです。尊師瞿曇よ、彼らには身体に従う心があり、身体の力に服従しています。それはなぜかといえば、心の修行をしていないからです。尊師瞿曇よ、また或る沙門・婆羅門は、心の修行を完成させても、身体の修行には留まりません。尊師瞿曇よ、そのような者たちには、心の苦しみが生じます。尊師瞿曇よ、心の苦しみが生じれば、ももの麻痺が起こり、心臓が破れ、口から熱い血を吐き出し、その果てには狂気や心の乱れに至るのです。尊師瞿曇よ、彼らには心に従う身体があり、心の力に服従しています。それはなぜかといえば、身体の修行をしていないからです。尊師瞿曇よ、このように私は考えます。『尊師瞿曇の弟子たちは、心の修行を完成させても、身体の修行には留まらないのではないか』と。」

〔世尊曰：〕「阿義耶薩那！汝所聞之身修習是如何耶？」〔薩遮迦曰：〕「例如難陀瓦奢、其沙山奇奢、末迦利瞿舍梨子，卿瞿曇！實彼等裸形而不作法者、嘗手者。彼等請『來！』不受；請『留之！』不受；所持來者，不受；特設者，不受；特定處之請，不受；彼等從壺口或皿緣之直接，不受；於閾內，不受；在棒間，不受；在杵間，不受；二人食時〔唯其中一人與之〕，不受；由妊婦，不受；由授乳中之婦，不受；由曾為男人所擁抱之女人，不受；〔饑饉之時〕所集者，不受；立近狗處，不受；有蠅之群，不受；魚肉不食；穀酒、果酒、粥汁，不飲。彼等或一家受食者而住一吃食，或二家受食者，住二吃食，或七家受食者，住七吃食而過日。又，唯依一施而過日，又，唯依二施而過日，又依七施而過日。或從事於一日一食，或二日一食、或七日一食，如是半月一食之定期食之修行。」〔世尊曰：〕「阿義耶薩那！彼等唯以此而過日否？」〔薩遮迦曰：〕「卿瞿曇！實不然，卿瞿曇！彼等有時嚼殊妙之嚼食、噉殊妙之噉食、嚐殊妙之味食，飲殊妙之飲料。彼等依此得體力，增長、肥滿。」〔世尊曰：〕「阿義耶薩那！彼等先捨而後集。如是有此身之集散。復次，阿義耶薩那！汝所聽之心修習是如何耶？」離繫派薩遮迦關於心修習被世尊所問，亦不能說明。

> 〔世尊が言われた〕「アギヴェーサナよ、あなたが聞いたところの『身体の修行』とはどのようなものか。」〔サッチャカが答えた〕「例えば、難陀ヴァッチャ、仙のサンキッチャ、マッカリ・ゴーサーラのような者たちです。ゴータマ卿、実に彼らは裸形で作法を行わず、手で食べる者たちです。彼らは『来なさい』と言われても受けず、『置いていきなさい』と言われても受けません。持って来られたものは受けず、特別に用意されたものは受けず、特定の場所への招待も受けません。彼らは壺の口や皿の縁から直接受けることはなく、敷居の内側では受けず、棒の間では受けず、杵の間では受けず、二人が食事をしている時（そのうちの一人だけが与える）には受けません。妊娠中の女からは受けず、授乳中の女からは受けず、かつて男に抱かれたことのある女からは受けません。（飢饉の時に）集められたものは受けず、犬が近くに立っている所では受けず、蠅の群れがいる所では受けません。魚や肉は食べず、穀物酒、果実酒、粥汁は飲みません。彼らはある者は一軒から食物を受けて一日の食事とし、ある者は二軒から受けて二日の食事とし、ある者は七軒から受けて七日の食事として過ごします。また、ただ一度の施しだけで一日を過ごし、ただ二度の施しだけで二日を過ごし、ただ七度の施しだけで七日を過ごします。あるいは一日に一回の食事、あるいは二日に一回の食事、あるいは七日に一回の食事に励み、このように半月に一回の食事という定期的な断食の修行を行います。」〔世尊が言われた〕「アギヴェーサナよ、彼らはただこれだけで日々を過ごすのですか。」〔サッチャカが答えた〕「ゴータマ卿、実にそうではありません。ゴータマ卿、彼らは時に素晴らしい噛み物を噛み、素晴らしい食べ物を食べ、素晴らしい味わいのものを味わい、素晴らしい飲み物を飲みます。彼らはこれによって体力を得て、成長し、肥満するのです。」〔世尊が言われた〕「アギヴェーサナよ、彼らは先に捨てて後に集めるのです。このように身体の集まりと散り行きがあるのです。さらに、アギヴェーサナよ、あなたが聞いたところの『心の修行』とはどのようなものか。」離繋派のサッチャカは、心の修行について世尊に問われたが、説明することができなかった。

於是世尊言離繫派之薩遮迦曰：「阿義耶薩那！實汝先示身修習於聖者之律，非如法之身修習。阿義耶薩那！汝實不知身之修習，如何能知心之修習耶！阿義耶薩那！有如身不修習及心不修習，又有身修習及心修習。諦聽！善思念之，予今將說之。」「願樂欲聞！」離繫派薩遮迦應諾世尊。世尊乃曰：

> そこで世尊は、離繋派のサッチャカにこう言われました。「アジタセーナよ、あなたは確かに、聖者の教えにおける身体の修行について、本来の正しい身体の修行とは異なるものを示した。アジタセーナよ、あなたは身体の修行を理解していないのに、どうして心の修行を理解できるだろうか。アジタセーナよ、身体の修行が未熟であり心も未熟である場合と、身体の修行が成熟し心も成熟している場合がある。よく聞いて、心して考えなさい。今からお話ししましょう。」「喜んでお聞きいたしましょう。」と、離繋派のサッチャカは世尊に応えました。そこで世尊はこう説かれました。

「阿義耶薩那！如何是身不修習及心不修習？曰：於此，未聞之凡夫生樂受，彼得樂受而樂之受著者，即成為樂之愛著者。而且於彼，彼之樂受滅者，由樂受滅而苦受生，彼得苦受，即愁、煩、悲憤、打胸而泣、墮於愚癡。阿義耶薩那！於彼，彼已生之樂受，不修習身而著於心之因，已生苦受，不修習心而著於心之因。阿義耶薩那！於任何人對其人，如是從雙方，即從身不修習，已生樂受而執著於心，從心不修習已生苦受，執著於心者，阿義耶薩那！如是即有身不修習及心不修習也。阿義耶薩那！如何是身修習及心修習也。阿義耶薩那！於是，如聞法之聖聲聞，於樂受生，彼得樂受而不愛著於樂，即不成為樂受之愛著者。而且於彼，彼之樂受滅，由樂受之滅，而苦受生，彼雖得苦受，而不愁、不為所煩、不悲憤、不打胸而泣，不墮愚癡也。阿義耶薩那！於彼，彼已生樂受，因身修習，不著於心，已生之苦受，因心之修習，不著於心。阿義耶薩那！於任何人，對其人，如是從雙方，即從身修習，已生樂受不著於心，從心修習，已生之苦受，不著於心者，阿義耶薩那！如是者有身修習及心修習也。」

> 阿義耶薩那よ。では、なぜ「身を修習せず、心を修習しない」と言うのか。それはこういうことだ。ここで、まだ教えを聞いたことのない凡夫に、楽しい感覚が生じることがある。彼はその楽しい感覚を楽しみ、それに執着し、その楽しい感覚への愛着を育てる。そして、その楽しい感覚が消え去ると、楽しい感覚の消滅によって苦しい感覚が生じる。彼はその苦しい感覚に悩み、憂い、苦しみ、胸を打ち叩いて泣き叫び、混乱に陥るのだ。阿義耶薩那よ、このようにして、彼の中では、生じた楽しい感覚が、身を修習していないために心に執着し、生じた苦しい感覚が、心を修習していないために心に執着する。阿義耶薩那よ、誰であれ、この両方の面から、すなわち身を修習していないために生じた楽しい感覚が心に執着し、心を修習していないために生じた苦しい感覚が心に執着するならば、その人には、身の修習もなく、心の修習もないと言うのだ。 では阿義耶薩那よ、なぜ「身を修習し、心を修習する」と言うのか。それはこういうことだ。ここで、教えを聞いた聖なる弟子に、楽しい感覚が生じることがある。彼はその楽しい感覚を得ても、それに愛着せず、その楽しい感覚への愛着を育てない。そして、その楽しい感覚が消え去ると、楽しい感覚の消滅によって苦しい感覚が生じる。彼はその苦しい感覚を得ても、憂えず、悩まず、悲しまず、胸を打ち叩いて泣き叫ばず、混乱に陥らないのだ。阿義耶薩那よ、このようにして、彼の中では、生じた楽しい感覚が、身を修習しているために心に執着せず、生じた苦しい感覚が、心を修習しているために心に執着しない。阿義耶薩那よ、誰であれ、この両方の面から、すなわち身を修習しているために生じた楽しい感覚が心に執着せず、心を修習しているために生じた苦しい感覚が心に執着しないならば、その人には、身の修習があり、心の修習があると言うのだ。

〔薩遮迦曰：〕「予對於卿瞿曇如是信之：『實卿瞿曇有所修習之身及所修習之心。』」〔世尊曰：〕「阿義耶薩那！實由汝發此駁論誹謗之語，予更為汝說。阿義耶薩那！予剃除鬚髮，著袈裟衣，從在家為出家修行者，彼之予，或已生之樂受，不著於心，或已生苦之受，執著於心者無是事也。」〔薩遮迦曰：〕如此「於卿瞿曇實如已生樂受，著於心，如是不生樂受，又於卿瞿曇實如已生之苦受，而著於心，而苦受不生耶？」

〔世尊曰：〕「阿義耶薩那！如何有此？阿義耶薩那！予未成正覺於菩薩時，生是念：『在家雜鬧、塵勞之處，出家是空閑也，住此家是一向具足、一向清淨，難行如真珠光輝之梵行，然予剃除鬚髮，著袈裟衣，從在家為出家修行者。』阿義耶薩那！彼之予其後還在少年，有漆黑之髮，充滿幸福與健壯，於人生之春，於父母不樂，於涕淚慟哭之中，以剃除鬚髮，著袈裟衣，從在家為出家行者。彼之予如是為修行者，無論如何，為求一切善、為求無上寂靜最上道，往阿羅羅迦羅摩仙之處。往而言阿羅羅迦羅摩仙曰：『尊者迦羅摩，我願於此法、律，以行梵行。』阿義耶薩那！如是告已，阿羅羅迦羅摩答予曰：『尊者應住之，此法於其處，智者不久即等於其師，如得自知、自證、自達如是法也。』阿義耶薩那！如是不久即學得其法。阿義耶薩那！彼之予於舉唇狀態，所言之語之程度，即能言得智之言，以至言長老之言，『我之知見』以至共自他之處。阿義耶薩那！如是予生是念：『阿羅羅迦羅摩以信唯獨此法——予於自知、自證，自達——而不宣說，真實阿羅羅迦羅摩在知見此法也。』阿義耶薩那！如是予往阿羅羅迦羅摩之處。往而言阿羅羅迦羅摩曰：『尊者迦羅摩！於如何程度可宣說自知、自證、自達此法否？』阿義耶薩那！如是語已，阿羅羅迦羅摩以宣說是無所有處。阿義耶薩那！如是予生是念：『於阿羅羅迦羅摩無信，而予有信；阿羅羅迦羅摩無精進，而予有精進；阿羅羅迦羅摩無念，而予有念；阿羅羅迦羅摩無定，而予有定；阿羅羅迦羅摩無慧，而予有慧。然予，阿羅羅迦羅摩所宣說自知、自證、自達，賣力自證其法。』阿義耶薩那！如是予不久即自知、自證、自達其法。阿義耶薩那！於是予往阿羅羅迦羅摩之處。往而言阿羅羅迦羅摩曰：『尊者迦羅摩！如是程度可宣說自知、自證、自達此法否？』〔迦羅摩曰：〕『尊者！予如是程度宣說自知、自證、自達此法。』〔予曰：〕『尊者！予亦如是程度於自知、自證、自達此法。』〔仙曰：〕『如是尊者是同行者，我等誠是榮幸、誠是幸福也。如是予宣說自知、自證、自達其法，尊者在自知、自證、自達，以尊者在自知、自證、自達其法，予宣說自知、自證、自達。如是予所知其法，尊者亦知，又尊者所知其法，予亦知。如是如予，尊者亦然，如尊者，予亦然。來！尊者！我等兩人來守護此眾。』阿義耶薩那！如是，阿羅羅迦羅摩是予之師，然予是弟子，自以置為同等，對予為最上恭敬而尊崇之。阿義耶薩那！如是予生是念：『只要到達無所有處，此法不導厭離、不導離貪、不導滅盡、寂靜、智、覺、涅槃。』阿義耶薩那！如是予不尊重彼法，慊惡彼法而出去。

阿義耶薩那！如是予無論如何，為求一切善、為求無上寂靜最上道而往鬱陀伽羅摩弗之處。往而言鬱陀迦羅摩弗曰：『尊者！予願於此法、律，以行梵行。』阿義耶薩那！如是言時，鬱陀迦羅摩弗言予曰：『尊者！應住之此法於其處，智者不久於如是法，即等於其師，得自知、自證、自達如是法。』阿義耶薩那！如是予不久即學得其法。阿義耶薩那！彼之予舉唇狀態，於言所言之程度，即言得智之言，以至言長老之言，且『我之知見』至共自他之處。阿義耶薩那！如是予生是念：『羅摩唯獨信此法，於我不宣說自知、自證、自達，於羅摩真實知見此法也。』阿義耶薩那！於是予往鬱陀迦羅摩弗之處。往而言鬱陀迦羅摩弗曰：『尊者羅摩如何程度可宣說自知、自證、自達此法耶？』阿義耶薩那！如是言已，鬱陀迦羅摩弗宣說是非想非非想處。阿義耶薩那！如是予生是念：『羅摩無有信，然予有信。羅摩無有精進，然予有精進。羅摩無有念，然予有念。羅摩無有定，然予有定。羅摩無有慧，然予有慧。然予對羅摩宣說自知、自證、自達，努力自證其法。』阿義耶薩那！如是予不久即得自知、自證、自達其法。阿義耶薩那！於是予往鬱陀迦羅摩弗之處。往而言鬱陀迦羅摩弗曰：『尊者！羅摩如是程度宣說自知、自證、自達此法耶？』〔羅摩曰：〕『尊者！予宣說此程度是自知、自證、自達此法也。』〔予曰：〕『尊者！予亦於此程度自知、自證、自達此法。』〔羅摩曰：〕『尊者！如是，見尊者為同行者，我等誠是榮幸、誠是幸福也。如是，羅摩所宣說自知、自證、自達其法，以尊者在自知、自證、自達，尊者所自知、自證、自達其法，羅摩宣說自知、自證、自達。如是羅摩所知其法，尊者亦知。尊者所知其法，羅摩亦知。如是有如羅摩者，如是尊者亦有，如尊者有，羅摩亦有。來！尊者！汝應守護此眾。』阿義耶薩那！如是鬱陀羅摩弗是予之同行者，且從予以置於師之地位，對予以最上恭敬而尊崇之。阿義耶薩那！如是予生是念：『只要到達非想非非想處，此法不導厭離、不導離貪、不導滅盡、寂靜、智、覺、涅槃。』阿義耶薩那！如是予不尊重其法、嫌惡其法而出去。阿義耶薩那！如是予無論如何為求一切善、為求無上寂靜最上道，於摩揭陀國轉轉遊行，入於宇慮耶羅之西那聚落。其處是予所愛之地域，清適之林叢及水清澄，善築堤坡，誠是可愛之川流，四圍見有豐裕村落。阿義耶薩那！如是予生是念：『實此地域甚可愛，林叢清適、川流清澄、善築堤坡，應愛之，而且到處有豐裕之村落。實是欲精勤之善男子最適於精勤之地也。』阿義耶薩那！如是予『實是適於精勤』而坐其處。

阿義耶薩那！予實想到三種喻，其應可驚嘆，皆前未曾聞之喻也。阿義耶薩那！譬如置於水中之濕潤生木，而且有人執來良好鑽木，如云：『我起火、令現光。』阿義耶薩那！汝如何思惟耶？實彼人令此浸水濕潤之生木，以良好鑽木鑽之，得起火、現光耶？」〔薩遮迦曰：〕「卿瞿曇！否！不然！何以故！卿瞿曇！實其生木濕潤，且其浸於水中。如彼人雖得疲勞困憊〔亦不可能也〕。」〔世尊曰：〕「阿義耶薩那！如是任何之沙門或婆羅門，若不離身欲，且又於彼等之欲，欲貪、欲愛、欲昏睡、欲渴望、欲焰熱，於內不善捨之，不善令滅之，若彼等沙門婆羅門受激苦痛烈之受者，彼等不得知、見、無上等正覺。若彼等沙門婆羅門雖不受激苦痛烈之受，彼等亦不能到達知、見、無上等正覺。阿義耶薩那！於予現此前代未聞可驚嘆之第一喻。

阿義耶薩那！復次於予現前代未聞應驚嘆之第二喻，即阿義耶薩那！譬如有離於水之濕潤生木，以置於燥地，而且有人執來好鑽木，如云：『我以起火，令現光。』阿義耶薩那！此如何思惟耶？彼人能令此濕潤生木，雖離水置於燥地，得令起火發光耶？實彼人雖從此濕潤之生木離水而置於燥地，執好鑽木而鑽之，得令起火現光耶？」〔薩遮迦曰：〕「卿瞿曇！否！不然，何以故？卿瞿曇！雖離水置於燥地，此是濕潤之生木，如彼人即得疲勞、困憊〔亦不可能也〕。」〔世尊曰：〕「阿義耶薩那！如是實任何之沙門或婆羅門，不離身、及諸欲，而彼等於欲、欲貪、欲愛、欲昏睡、欲渴望、欲熾焰熱，於內不善捨之、不善滅之，若彼等沙門婆羅門歷受激苦痛烈之受，彼等亦不能到達知、見、無上等正覺。若彼等沙門婆羅門雖不受激苦痛烈之受，彼等亦不能到達知、見、無上等正覺。阿義耶薩那！於予現此前代未聞驚嘆之第二喻。

阿義耶薩那！復次，於予現前代未聞可驚嘆之第三喻，即阿義耶薩那！譬有離水乾燥之枯木，置於燥地，而且有人執來良好鑽木，如云：『我起火，令現光。』阿義耶薩那！此如何思惟耶？實彼人對此離水乾燥枯木，置於燥地，執好鑽木而鑽之，得起火、現光否？」〔薩遮迦曰：〕「然！卿瞿曇！何以故？卿瞿曇！此實乾燥之枯木，而且離水置於燥地者也。」〔世尊曰：〕「阿義耶薩那！如是，雖任何沙門或婆羅門，以離身及諸欲，而且彼等於欲，欲貪、欲愛、欲昏睡、欲渴望、欲焰熱，於內善捨之，善滅者，彼等沙門婆羅門，若受激苦痛烈之受，亦得到知、見、無上等正覺，若彼等沙門婆羅門不受激苦痛烈之受亦能得到知、見、無上等正覺。阿義耶薩那！於予現此前代未聞可驚嘆之第三喻。阿義耶薩那！於予現此等前代未聞可驚嘆之三喻也。

阿義耶薩那！彼予生是念：『然予以齒置於齒，以舌壓於上齶，以心受持心，制御、降伏之。』阿義耶薩那！彼予以齒置於齒，以舌壓於上齶，以心受持心，制御、降伏之。阿義耶薩那！彼以齒置於齒，以舌壓於上齶，以心受時心，制御、降伏之，予腋下出汗。阿義耶薩那！猶如強力之人，從力弱者，或把頭，或把肩而受持之，制御、降伏之，如此，阿義耶薩那！予以齒置於齒，以舌壓於上齶，以心受持心，制御、降伏，從腋下出汗。阿義耶薩那！於予有發心不動之精進，有確立不亂之念。而且予之身以彼苦之精勤，精勤於征服而激動，不得輕安，然而，阿義耶薩那！如是予已生之苦受不著於心。

阿義耶薩那！彼之予生是念：『然予住於止息禪。』阿義耶薩那！彼予遮斷口及鼻之出入息。阿義耶薩那！彼予遮斷口及鼻之出入息時，有絕大之風聲由耳而出。恰如打鐵工吹鞴之風有甚大之聲，如此，阿義耶薩那！於予遮斷口及鼻之出入息時，由耳而出，有絕大之風聲。阿義耶薩那！於予有發勤不動之精進、確立不亂之念，而且於予之身以彼苦之精勤，於精勤所征服，激動而不得輕安。然而，阿義耶薩那！如是予已生之痛苦受，不著於心。

阿義耶薩那！彼予生是念：『然予住於止息禪。』阿義耶薩那！彼予遮斷口、鼻、耳之出入息。阿義耶薩那！彼予遮斷口、鼻及耳之出入息時，有絕大之風騷擾予頭。阿義耶薩那！猶如強力之人，以利劍之先端破碎予頭，如此，予遮斷口、鼻及耳之出入息時，有絕大之風騷擾於頭。阿義耶薩那！然而予有發勤不動之精進、確立不亂之念，而且予之身以彼苦之精勤，於精勤征服之、激動而不得輕安。然而，阿義耶薩那！予已生之痛苦受，不著於心。

阿義耶薩那！彼予生是念：『然予住於止息禪。』阿義耶薩那！彼予遮斷口、鼻及耳之出入息。阿義耶薩那！彼予遮斷口、鼻及耳之出入息時，於頭有絕大之頭痛。阿義耶薩那！猶如強力者以硬革紐打於頭之頭巾，如是予遮斷口、鼻及耳之出入息時，於頭有絕大之頭痛。阿義耶薩那！予有發勤不動之精進、確立不亂之念，而且予之身以彼苦之精勤，於精勤征服之，激動而不得輕安。阿義耶薩那！然而，予已生之苦受，不著於心。

阿義耶薩那！彼予生是念：『然予住於止息禪。』阿義耶薩那！彼予遮斷口、鼻及耳之出入息。阿義耶薩那！彼予遮斷口、鼻及耳之出入息時，有絕大之風切開腹部。阿義耶薩那！猶如精巧之屠牛者，或其弟子以銳利之屠刀切開腹部，如是有甚大之風切開予腹。阿義耶薩那：予有發勤不動之精進、確立不亂之念。而且予之身以彼苦之精勤，於精勤征服之，激動而不得輕安。阿義耶薩那！然而，此已生之苦受不著於心。

阿義耶薩那！彼予生是念：『然，予住於止息禪。』阿義耶薩那！彼予遮斷口、鼻及耳之出入息。阿義耶薩那！彼予遮斷口、鼻及耳之出入息時，於身有絕大之熱。阿義耶薩那！猶如二人之強力者，從力弱者執各一面之腕，於炭窩焦燒之，如此，予遮斷口、鼻及耳之出入息，於身有絕大之熱。阿義耶薩那！然而卻有發勤不動之精進、確立不亂之念。雖然予之身以彼苦之精勤，於精勤征服之、激動而不得輕安，阿義耶薩那！然而，如是予已生之苦受，不著於心。阿義耶薩那！諸天見予而作是念：『沙門瞿曇已死矣！』又或諸天以作是念：『沙門瞿曇還未死，然必死。』又或諸天作是念：『沙門瞿曇還未死，亦不會死。沙門瞿曇是阿羅漢，彼實如是住於阿羅漢。』

阿義耶薩那！彼予生是念：『然，予絕一切食。』阿義耶薩那！於此，諸天來言予曰：『卿！卿勿絕一切食，卿若絕一切食者，我等從卿之毛孔注入天食，卿以此可過日。』阿義耶薩那！彼予思惟之：『予宣言絕一切食，而且彼等諸天欲從予之毛孔注入天食，予若受此而過日者，予應偽行者。』阿義耶薩那！彼予避彼等諸天之言，以言：『足矣！』

阿義耶薩那！彼予生是念：『然，予一掬一掬，漸以攝少食，或綠荳汁、或烏豌豆汁、或小豌豆汁、或豌豆汁。』阿義耶薩那！彼予一掬一掬，漸次攝少食，或綠荳汁、或烏豌豆汁、或小豌豆汁、或豌豆汁。阿義耶薩那！彼或綠荳汁、或烏豌豆汁、或小豌豆汁、或豌豆汁，一掬一掬，漸次攝少食，予之身體極為瘦弱。因彼之少食，猶如阿須帝伽草之節，或伽羅草節，予之肢節如是也。因彼之少食，如是予之臀部猶如駱駝之足。因彼少食，如是予之脊柱凹凸猶如紡錘之連鎖。因彼少食，如是予之肋骨腐蝕破碎，猶如朽屋之桷腐蝕破碎。因彼少食，如是可見予之眼光深陷於眼窠，猶如深井底於深窪之水光。因彼少食，如是予之頭皮皺縮凋萎，猶如切未熟之苦瓠，因受風熱而皺縮凋萎。阿義耶薩那！彼予『觸至腹皮』即可『摩到脊柱』，『觸到脊柱』即可『摩到腹皮』。阿義耶薩那！彼予因如是少食，予之腹皮接著脊柱。阿義耶薩那！彼予因少食『予排糞或排尿』於其處頭向前倒。阿義耶薩那！彼予慰藉此身體，以掌摩擦肢體。阿義耶薩那！以彼掌摩擦肢體，予因彼少食，身毛腐蝕，其毛根皆由身而脫落也。阿義耶薩那！見予者人人有作是語：『沙門瞿曇是黑者。』又或有人作是言：『沙門瞿曇不是黑者，沙門瞿曇是褐色者。』又或有人作是言：『沙門瞿曇不是黑，又不是褐色，沙門瞿曇是黃金色也。』阿義耶薩那！如是予清淨、皎潔之皮膚因彼少食而損壞也。

阿義耶薩那！彼予生是念：『凡過去之沙門或婆羅門雖有受激苦痛烈之受，如是〔予之〕苦行為最高，無有比此更上者！凡未來沙門或婆羅門雖有受激苦痛烈之受者，〔予之〕苦行為最高無有比此更上者。凡現在之沙門或婆羅門雖受激苦痛烈之受者，如是〔予之〕最高，無有比此更上者。然予以此過酷之苦行，尚未到達超越人法、特殊最聖之知見，故想達到菩提，應有其他之道。』如是阿義耶薩那！予作是思念：『予父釋迦王行耕事時，予坐於畦畔之閻浮樹蔭下，離欲、離不善法、有尋、有伺，由離生喜樂成就初禪之記憶，彼時予作是念此應是到菩提之道耶？』阿義耶薩那！彼予隨念智生：『此乃至菩提之道也。』阿義耶薩那！如是予思惟之：『予除欲及不善法，有恐怖其他之樂否？』阿義耶薩那！彼予其次思惟之：『予除欲及不善法，無恐怖其他之樂也。』

如是，阿義耶薩那！予思惟之：『以如是極為瘦弱之身，難逮得彼樂，然，予攝粗食乳糜？』阿義耶薩那！然彼予攝粗食乳糜。阿義耶薩那！彼時予有五比丘為侍者彼等云：『沙門瞿曇若逮得法，彼應對我等言。』阿義耶薩那！然，予由攝粗食乳糜，彼等五比丘即厭惡予，言：『沙門瞿曇放逸而捨棄精勤，趣於奢侈。』而后行去。

阿義耶薩那！如是予攝粗食乳糜，得體力，離欲、離不善法，有尋、有伺，由離生喜樂成就初禪。阿義耶薩那！然而，予已生之樂受不著於心。予尋伺已息，於內清淨，心成一處，無尋、無伺，由定生喜樂，成就第二禪而住。阿義耶薩那！然而，如是予已生之樂受不著於心。予不染於喜，而住於捨，正念、正智，以身正受樂，聖者之所謂『捨、念、樂住』成就第三禪而住。阿義耶薩那！如是予已生之樂受不著於心。予捨樂、捨苦，先已滅喜憂，捨不苦不樂，念清淨成就第四禪而住。阿義耶薩那！如是予已生之樂受不著於心。

如是予心等持、清淨、皎潔、無穢、無垢、柔軟、堪任而心得確立不動，予使吾心向於憶宿命智。彼予憶念種種之宿命，即憶念一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十生、五十生、百生、百千生、無量成劫、無量壞劫、無量成壞劫。憶念於其處，予有如是名、如是姓、如是種族、如是食、如是苦樂之受，如是以命終。彼予於其處死，生於彼處。於彼處有如是名、如是姓、如是種族、如是食、如是苦樂之受，如是以命終。彼予於死彼處，生於此處。如是其一一之相及詳細之狀況與俱種種宿命。阿義耶薩那！於是夜之初更，予到達此第一智。無智滅而智生，闇滅明生。此時予實唯住於不放逸、熱心、精勤也。阿義耶薩那！然而，如是予已生之樂受不著於心。

如是予心等持、清淨、皎潔、無穢、無垢、柔軟、堪任而得確立不動，吾引心向有情生死智。彼予清淨而以超人之天眼見有情之生死，知卑賤、高貴、美麗、醜陋、幸福、不幸福者，各隨其業：『實此等之有情身為惡行、口為惡行、意為惡業，誹謗聖者，抱著邪見、持邪見業。彼等身壞命終生於惡生、惡趣、墮處、地獄。又實此等有情以身為善行、口為善行、意為善行、不誹謗聖者，抱著正見，持正見業。彼等身壞命終而生善趣、天界。』如是彼予以清淨超人之天眼見有情之生死，知卑賤、高貴、美麗、醜陋、幸福、不幸福者，各隨其業也。阿義耶薩那！於是夜之中更，予到達第二智。無智滅而智生，闇滅而明生。其時予實住於不放逸、熱心、精勤。阿義耶薩那！然而，如是予已生之樂受不著於心。

如是予心等持、清淨、皎潔、無穢、無垢、柔軟、堪任而得確立不動，心向漏盡智。彼予如實知『此是苦』，如實知『此是苦之集』，如實知『此是苦之滅』，如實知『此是苦滅之道』，如實知『此等是漏』，如實知『此是漏之集』，如實知『此是漏之滅』，如實知『此是漏滅之道也』。予如是知、如是見，予從愛欲漏心解脫，予從有漏心解脫，予從無明漏心解脫也。予已有『解脫』之智。知『生已盡，梵行已成，所作已作，到達無更此存在之狀態。』阿義耶薩那！於是夜之後更，予到達第三智，無智滅而智生，闇滅而明生。其時予恰住不放逸、熱心、精勤也。阿義耶薩那！如是予已生樂受，不著於心。

阿義耶薩那！予對幾百眾說法時，人人皆如以為：『沙門瞿曇為自己說法。』然！阿義耶薩那！彼等不應如是思之，因如來只要令眾知之而說法者也。阿義耶薩那！予於如是說法已，於彼前之定相，停立於內心，令止靜，成一向，而得定。如是久遠、永遠而住。」〔薩遮迦曰：〕「對於阿羅漢等正覺者應信之，如是對於卿瞿曇是可信者也。卿瞿曇以知晝間睡眠者否？」〔世尊曰：〕「阿義耶薩那！予於夏最後月，食後，由行乞而還，以展延四疊大衣，右脇而臥，有正念、有正智，而知入於睡眠。」〔薩遮迦曰：〕「卿瞿曇！有沙門、婆羅門云此為住於癡。」〔世尊曰：〕「阿義耶薩那！更云何是癡，云何非癡耶？阿義耶薩那！諦聽！善思念之！予將說。」「願樂欲聞！」離繫派之薩遮迦應諾世尊。世尊乃曰：

「阿義耶薩那！若人穢污而起後有，結果有恐怖之苦，招未來之生老死不捨漏者，予謂彼為癡者。何以故？阿義耶薩那！因不捨漏而有癡者也。阿義耶薩那！若人捨污穢起後有之恐怖、苦之結果、招未來生老死之漏者，予謂彼非癡者。何以故？阿義耶薩那！由捨漏，是非有癡者也。阿義耶薩那！如來是捨彼污穢起後有之恐怖、苦之結果、招未來生老死之漏，猶如斷根、絕本之陀羅（棕櫚）成為無存在者也，於未來無生起之法。阿義耶薩那！恰如斷陀羅之頭，不能再繁茂，如是，阿義耶薩那！如來捨穢污起後有之怖畏、苦之結果、招未來生老死之漏，皆如斷根絕本之陀羅，成為無存在者，未來無生之法也。」

如是說時，離繫派之薩遮迦白世尊曰：「卿瞿曇！應驚嘆哉！卿瞿曇！未曾有哉！卿瞿曇！如是駁論，重語駁論，雖以誹謗之言道而對論之，卿瞿曇之皮膚色清雅，顏色輝耀，恰如於應供、等正覺者。卿瞿曇！予對富蘭那迦葉記憶以論謀論。彼從予令以論謀論，以他而避其他，移於外論，以現忿怒，瞋恚，不滿。然如是駁論重語駁論，雖以誹謗言道而對論之，卿瞿曇之皮膚色清雅，顏色輝耀，恰如於應供、等正覺者。卿瞿曇！予又記憶對於未迦利瞿舍梨子……阿耆多翅舍欽婆羅……迦羅鳩馱迦旃延……刪闍耶毘羅梨弗……離繫派之尼乾陀若提子以論謀論。彼從予以論謀論之，以他回避其他，移於外論，以現忿怒、瞋恚、不滿。然如是駁論以重語駁論之，雖以誹謗之言道而對論之，卿瞿曇之皮膚色清雅，顏色輝耀，恰如於應供、等正覺者。卿瞿曇！然我等行矣！我等甚忙，多所用。」〔世尊曰：〕「然者阿義耶薩那！隨意之！」如是離繫派之薩遮迦歡喜世尊之所說，隨喜從座起而去！