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title: "石門文字禪 · 遠遊堂記"
description: "石門文字禪是宋代高僧釋德洪的詩文集。德洪又稱惠洪，活躍於北宋末南宋初，與蘇軾、黃庭堅等文人交遊，是禪宗臨濟宗黃龍派的重要傳人。該書內容豐富，不僅收錄了大量詩歌、偈頌和文章，更以文字闡釋禪理，融通文學與佛學，體現了文字禪的獨特風格。書中強調不離文字而悟道，對宋代及後世禪宗思想影響深遠，是研究中國佛教史、文學史及文字禪思想的珍貴典籍。"
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### 遠遊堂記

> 遠遊堂記

宣和元年秋八月，朝奉郎夏公自天府謫官祁陽，明年三月至自三峴，館于靈泉寺。寺臨大江，江流湍急，斷岸千尺，萬峰環之如趨如揖如翔如集，公構堂其西，盡收其形勝靖深，以宜茂林脩竹虛明，以隔囂聲塵氛，而名之遠遊。重九後二日，余從公登焉。對立凝睇晴嵐，夕暉浮動乎綠疏青瑣之上，促榻對語，笑響散落乎千巖萬壑之間。於是隱几，枵然忘言。蓋其倚功名於憂患之外，玩雲川以自娛，心飽新得，百想俱滅。然知國知兵，百未一施，而沉冥小邑，如對彭澤之狄梁公、通泉之郭代公，乃名所居之堂為遠遊。何哉？嗟呼！世之識真者，寡所從來舊矣。袁天綱識武后於襁褓，驚曰：「貴武氏者，此兒也。」使天綱果識真，當曰亡武氏可也。賀知章果識真，當曰游仙可也。夫一塵翳目，天地四方易位。袁、賀方眩夢幻，以其禍為貴，以游為謫要，不足怪也。公今去國之遠，而能酬酢風月，安樂泉石，酒後耳熱，侍兒扶掖而歌，則忘其身之為逆旅，謂之謫，可乎？公嘗首肯余論，祝余為之記。公諱倪，字均甫，其先江南人。嘉祐為名臣之後，凜凜有祖風者也。

> 宣和元年の秋八月、朝奉郎の夏公は天府より祁陽に左遷された。翌年三月、三峴より靈泉寺にやって來て宿とした。寺は大江に面し、流れは急で、斷岸は千尺、萬の峰がこれを取り囲み、走るが如く、揖するが如く、翔るが如く、集まるが如くである。公はその西に堂を建て、その形勝の靜けさを全て收め、茂林や修竹にふさわしい明るさで、騷がしい音や塵を隔てるようにした。そしてそれを「遠遊」と名付けた。 重陽の後の二日目、私は公に従ってそこに登った。立ち盡くして晴れた山氣を見つめると、夕日が綠の窓や青い飾りの上に浮かんでいる。寢臺を寄せて向かい合って話すと、笑い聲は千の巖や萬の谷の間に散らばった。この時、凭れ掛かり、虛ろな心で言葉を忘れた。彼は功名を憂いの外に置き、雲や川を眺めて自らを楽しみ、心は新たな得がたいもので滿たされ、百の想いは全て消え去った。しかし、國を知り兵を知るその才はまだ一も發揮されず、小さな邑に沈み、まるで彭澤の狄梁公や通泉の郭代公に對するかのようである。それなのに、どうして彼は自分の住む堂を「遠遊」と名付けたのだろうか。 ああ！世の中で真を識る者は、昔から少なかったのだ。袁天綱は武后を幼子の頃に見分けて、驚いて言った。「武氏を貴くする者は、この子だ」と。もし天綱がよく真を識っていたなら、「武氏を滅ぼす者」と言えたはずだ。賀知章がよく真を識っていたならば、「游仙」と言えたはずである。一つの塵が目を覆えば、天地や四方も位置を變える。袁や賀は夢幻に眩んで、その禍を貴いとし、遊びを貶められたものだとしたのだから、怪しむに足りない。今、公は國を遠く離れて、しかも風月に應じ、泉石に安らぎ、酒の後のほてりに、侍兒に支えられて歌う。その身が旅の宿に過ぎないことを忘れているのだ。これを「貶められた」と言えるだろうか。公はかつて私の論にうなずき、私に記を書くよう託した。公の諱は倪、字は均甫、その先祖は江南の人である。嘉祐の名臣の後裔で、厳かな風格に祖の風を備えている。