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title: "牧雲和尚嬾齋別集 · 以廬山摩巖石刻涪翁所書七佛偈為山翁和尚壽序"
description: "牧雲和尚嬾齋別集是明代臨濟宗高僧通明所著，由著名出版家毛晉編纂。該書成於明末清初，正值佛教禪宗發展與儒釋交融之際，內容收錄了通明禪師的詩文、書信、語錄及禪法開示，融合禪宗心要與文學藝術，展現了禪者對修行與世事的透徹智慧。此作不僅是研究明末禪宗思想與文人佛教的重要文獻，更體現了臨濟宗直指人心的宗風，在佛教典籍中具有承先啟後的地位，為後世學人提供了禪悟與實踐的珍貴參照。"
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### 以廬山摩巖石刻涪翁所書七佛偈為山翁和尚壽序

> 廬山摩巖石刻に記された涪翁の書による七仏偈を、山翁和尚の長寿を祝う序文とする

乙未之秋，客有來自青、徐間者，向余曰：「大覺山翁和尚將還廣陵矣。菊月是其誕，周行七步，獅子吼矣。法臘既高，指天指地，前無釋迦，後空彌勒，誠獨尊矣。子為同門稱最契，將何以壽之？」余茫然無所應。久之客去，乃思古今人情皆有好，或投所好則合，投所不好則暌。雖幅員之廣，君孤之奉，苟非其好，有不屑視者。是故君子觀其所好，則知其志之所存；誦其詩，讀其書，貴知其人也。昔者虞舜登庸，位在九五，苟拂其志，寧遵海濱？于是知舜之所好在親，而不在九五。伯夷、叔齊餓于首陽，采薇而歌，其所好在仁。求仁得仁，雖孤竹可不處，首陽可高臥。夫子曰：「富而可求也，雖執鞭之士，吾亦為之；如不可求，從吾所好。」繇是言之，人情之所好，其係亦大矣。《易》曰：「不事王侯，高尚其事。」乃宋之大儒，則又以子陵一釣當之。余故知富貴浮雲，曲肱樂道，彼六合之內，亦有然者。況沙門觀三界如幻，達萬法如夢，其心如枯木、石頭，世之榮名利祿無自而入，其有所好乎？雖然，枯木、石頭仍有所好也，特所好有異於世者。所異者何？法也。請言其法。蓋佛祖授受，俾人息妄緣，詣真際，解脫世間而登道岸者。是故沙門之於世也，無尊爵，無顯名，三衣麤疏，一缽五綴，亦甚卑也。至論其所好，所謂不事王侯，高尚其事，則其志有足取者。至以其法悟人博地儕於古佛而不下於先聖賢，此其法不又尊乎？識者曰：「出家乃大丈夫事，非將相之所能為。」誠然其語矣。今之沙門行其志於四方者眾矣，其孜孜以法求人如飢渴者，非我山翁和尚歟？余諳和尚胸中絕無他好者，是將何以壽之？乃若香華枝樂，名衣上服，檀越持矣；霞絛錦軸，鉅文宏詞，宰官懸矣；伊蒲之饌，甘美之果，弟子陳矣。余又思：擬將何物為和尚壽耶？一夕，坐中庭，偶見和尚為曉音禪客書草菴歌一篇，勁而古，視題款，乃初住道峰時作。余訝問音曰：「和尚在道峰住持事繁，何有餘暇作此？」音答曰：「此和尚中夜筆也。」余益訝之。音進曰：「和尚誨人不倦，筆硯布施至忘飲食，此未足盡。其尤好七佛偈，書蓋千百紙矣，隨人所須無吝。」余曰：「有是哉！」乃知和尚真得所好也，真能以法誘人也。憶在昭陽結冬，有貽余山谷七佛偈為廣鑑瑛禪師書刻於廬山巖石者，余亦珍而藏之，蓋六年矣。于是忭舞曰：「是可為和尚壽矣。」夫山谷，宋學士也，而有合于廣鑑，為書是偈，其亦尊於法耶？當其時，更有居士曰：「蘇子瞻以怪石供僧，佛印發于文，佛印鐫文于石。」說者曰：「沙門觀法果如幻耶？一怪石何好之甚也？」余曰：「是宜好，非爾所知也。夫子瞻與佛印為禪喜游，其心志一寓于石耳，非以石而能致沙門之好也。是故君子觀怪石之好，則知佛印之所存；觀七佛偈之好，則又知和尚之所存。怪石焉，七佛焉，前後一揆也。」余以是知和尚必與此刻為水乳，其他皆非所好，是則余雖持多年故紙為和尚壽，不愈於持香華諸供養耶？和尚聞之，其必囅然一笑。雖然，和尚適有是好、無是好，不能顯此刻；余適有是刻、無是刻，無以合於和尚。嗟嗟！和尚之好、山谷之書，相去蓋百年而乃合焉，猶旦暮遇也，其亦有待耶？余筆之於文，寧不為叢林盛事？

> 乙未年の秋、青州・徐州あたりから来た客があり、私にこう語ったものでした。「大覚山の翁和尚は、まもなく広陵へ戻られるそうです。菊月がご生誕の月で、そのときは周囲七歩を行じ、獅子吼を上げられます。法臘もすでに高い。天を指し地を指して、前には釈迦もなく、後には弥勒もない、まことに独尊であられます。あなたは同門のなかでも最も親しいとされていますが、いったい何をもってご長寿を祝われるおつもりですか」 私は茫然として何も答えられませんでした。その客が去ってからしばらくして、こう思いました。古今の人情にみな好みがあり、好みに合えば親しみ、合わなければ離れるものである。たとえ天下の広さ、天子の尊き身分であっても、もしその好みに合わなければ、顧みようとしないこともある。だから君子はその人の好みを見れば、その志がどこにあるかを知るのである。その詩を朗誦し、その書物を読み、その人を知ることを貴ぶのである。 昔、虞舜が位に登ったとき、その位は天子の位にあった。もしその志に背くことがあれば、どうして海辺に住むことを肯んじただろうか。これによって舜の好みは位にあるのではなく、親にあることが知られる。伯夷・叔斉は首陽山で餓え、薇を採りながら歌をうたった。その好みは仁にあった。仁を求めて仁を得たのであるから、たとえ孤竹の国にいなくともよし、首陽山に高臥してもよしとしたのである。 夫子は言われた。「富というものが求めて得られるものならば、たとえ鞭を執る者でも、私もそれをするであろう。もし求めて得られないものであれば、我が好みに従おう」と。ここから言えば、人情の好みというものの繫がりは、また大きいのである。 易経に言う。「王侯に仕えず、その事を高尚にす」と。そして宋の大儒（范仲淹）は、厳子陵の一竿の釣りを以てこれに当てたのである。私はここから知る。富貴は浮雲のごとく、肱を曲げて道を楽しむことを。この六合（天地四方）の内にも、またそのような人がいることをである。 まして沙門は三界を幻のごとく観じ、万法を夢のごとく達する。その心は枯木や石のようであり、世の栄名利禄は入り込むところがない。何か好きなものがあるだろうか。 とはいえ、枯木・石のような者にも、なお好きなものはある。ただ好きなものが世間とは異なっているだけである。異なるところは何か。法である。 その法について述べよう。仏祖が受け伝えたというのは、人に妄りの縁を息めさせ、真際に至らせ、世間の束縛から解き放たれて道の岸に登らせるものである。それゆえ沙門は世間に対し、高貴な爵位もなく、輝かしい名声もなく、三衣は粗末で、一鉢は継ぎだらけ、まことに卑しい身分である。しかしその好みについて論ずれば、いわゆる「王侯に仕えず、その事を高尚にす」であり、その志には取るべきところがある。さらにその法をもって人を悟らせれば、凡夫であっても古仏に等しく、先聖・先賢に劣らない。この法はまた尊くないだろうか。 識者は言う。「出家というのは大丈夫の事業であって、将相のなせるわざではない」と。誠に当たった言葉である。 今の沙門で、四方にその志をめぐらし、飢え渇きのごとくに法をもって人を求める者。それはわが山翁和尚ではないか。私は和尚の胸中に、他のいっさいの好みがまったくないことをよく知っている。いったい何をもってご長寿を祝えばよいだろうか。 香華や枝楽、名衣や上服があれば、檀越が捧げている。霞絛や錦軸、大病や宏辞があれば、宰官が掲げている。伊蒲の膳、甘美な果物があれば、弟子たちが供えている。私はまた思う。いったい何の物をもって和尚の長寿を祝うべきかと。 一夜、中庭に坐していたとき、偶然にも和尚が曉音禅客のため草菴歌一篇を書かれたのを見た。その筆致は勁く古風であり、題した文字を見れば、初めて道峰に住したときの作であった。私は驚いて曉音に尋ねた。「和尚は道峰で住持の務めが多く、いかなる暇があってこれを書かれたのか」と。曉音は答えた。「これは和尚が中夜に書かれた筆です」と。私はますます驚いた。曉音はさらに言った。「和尚は人を教えるのに倦むことがなく、筆や硯に施すこと、飲食を忘れるほどです。それもまだ尽くしてはいません。特に七仏偈を好み、書くことすでに千百枚に及びます。人の求めに応じて惜しむことがありません」 私は「そんなことがあるのか」と、これによって和尚がまことにその好みを得ていることを知った。まことに法をもって人を導くことができるのである。思い起こせば、昭陽の冬に結冬していたとき、山谷（黄庭堅）の書いた七仏偈で、広鑑瑛禅師のために書かれて廬山の岩に刻まれているものが私に贈られた。私も大切にしまっておいて、すでに六年になる。 そこで私は喜び踊って言った。「これをもって和尚の長寿を祝うことができます」と。 山谷は宋の学士であって、広鑑と心が合い、この偈を書かれた。そのゆえんも尊法によるのである。その時代には、また居士蘇子瞻（蘇軾）が怪石を僧に供え、佛印（了元）がそれを文に発し、佛印は文を石に刻んだ。 ある人が言った。「沙門は法を観ずることが果たして幻のようであるなら、一つの怪石にどうしてそれほど好むことがあろうか」と。 私は言う。「これは好むべきものです。あなたの知るところではありません。子瞻と佛印は禅悦の友であり、その心と志は一に石に寄せられたのです。石という物が沙門の好みをひきつけるからではありません。だから君子は怪石の好みを見れば佛印の志すところを知り、七仏偈の好みを見れば和尚の志すところを知るのである。怪石も七仏偈も、前と後とは一つの道理で同じです」 私はこれによって知る。和尚は必ずこの石刻と水の乳のごとく合われるであろう。その他はみな好みではない。それならば、私は多年手にしてきたこの古紙をもって和尚の長寿を祝うことは、香華などの供養をもってするよりもすぐれているのではないか。 和尚はこれを聞かれれば、必ず囅然として笑われることであろう。とはいえ、和尚がたまたまこの好みをもち、この好みがなければ、この石刻を顕すことができない。私がたまたまこの石刻をもち、この石刻がなければ、和尚と合することができないのである。 ああ。和尚の好みと山谷の書とは、時代にして百年の隔たりがあるのに、それでいて合し、ちょうど朝に出会い夕に出会うようにである。それにも待つところがあろうか。私がこれを文にして書きのこすことは、どうして叢林の盛事とならないだろうか。