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title: "牧雲和尚嬾齋別集 · 虞山興福禪寺復殿東舊產疏"
description: "牧雲和尚嬾齋別集是明代臨濟宗高僧通明所著，由著名出版家毛晉編纂。該書成於明末清初，正值佛教禪宗發展與儒釋交融之際，內容收錄了通明禪師的詩文、書信、語錄及禪法開示，融合禪宗心要與文學藝術，展現了禪者對修行與世事的透徹智慧。此作不僅是研究明末禪宗思想與文人佛教的重要文獻，更體現了臨濟宗直指人心的宗風，在佛教典籍中具有承先啟後的地位，為後世學人提供了禪悟與實踐的珍貴參照。"
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### 虞山興福禪寺復殿東舊產疏

> 虞山興福禪寺復殿東舊產疏

世間法，其常耶？二切有為法，如夢幻泡影；其非常耶？是法住法位，世間相常住。以常而論，則古今天地、古今日月、古今人物、古今山河，無動無變；以幻言之，不特滄桑瞬息，即十方佛土，猶如空花，亂起亂滅，而昧者不覺，往往認玉山銀海為不朽，取著夢境，興牛山之涕，可不哀耶？然究其極，變幻常住，本一相無二，第迷悟不同，有如諸天共寶器食，隨其福業，飯色有精粗之異，惟達法大士入三摩提，作水月觀，則於道不期精粗焉。興福，古名破山寺，自昔倪州牧德光舍宅，常少府遊于斯，有「山光潭影」之句，膾炙人口。雖其間法運有隆替，乃至今一燈炳然，青山如故，可謂千年常住矣。寺之規制，古甚宏敞，其佛殿東自空心潭以南，達于寺路，林木翳然，相傳古時地藏殿基，于是久已屬於長者家。萬曆間，吳越忠懿王所造舍利銅塔，從是涌出，聞見信然。長者念茲為三寶之地也，矢志讓於寺，寺僧感之，願償其價而不得，朝夕往觀，亭亭林樹，為寺左屏翰。名流碩德，探奇覽勝，咸謂設非寺蓄，亦宜珍護，況茲本佛地，而滄桑變幻，長者既不肯久留於俗，劫火洞然，我土安隱，寺眾敢不復領常住之業乎？是不免告夫布金檀越，所冀結現生緣，隆古佛地，無論將來證真解脫，即載名貞石，當與舍宅居士共傳不朽。

> 世の中の出来事は、永遠に変わらないものなのでしょうか。いや、すべての因縁によって起こる現象は、夢や幻、泡や影のようなものです。では、永遠に変わらないものはないのでしょうか。いや、真理はそれぞれの場所に安定して存在し、この世の姿は本来、永遠に変わらないのです。 永遠の視点から見れば、古今の天地も、古今の日月も、古今の人物も、古今の山河も、すべて少しも動かず変わりません。しかし、幻の視点から言えば、海が桑の畑に変わるような変化は瞬時にして起こるだけでなく、十方の仏の国土さえも、空に浮かぶ花のように、乱れ咲き乱れ消えていくのです。それなのに、迷いの者はこれに気づかず、しばしば玉の山や銀の海のようなものを不滅だと思い込み、夢の世界に執着して、むなしい悲しみに落ち込むのです。なんと哀れなことではありませんか。 しかし、その究極を追究すれば、変化も常住も、もともと一つの姿であり、二つではありません。ただ迷いと悟りの違いがあるだけです。例えていえば、天の人々が共に宝の器で食事をするとき、その人の福徳や業によって、ご飯の色に精粗の違いがあるようなものです。ただ、真理に達した大いなる者は、三昧に入り、水に映る月を観るように物事を見るので、道においては精粗を問題にしないのです。 興福寺は、古くは破山寺と呼ばれていました。昔、倪州の郡守であった徳光という人が邸宅を寄進して寺としたのです。常建という少府がここに遊び、「山の光、潭の影」という詩句を残し、人々の口に広く知れ渡りました。その間、仏法の運命に盛衰はありましたが、今日まで一筋の灯がかがやき続け、青い山は昔のままです。まさに千年の常住と言えるでしょう。 寺の規模は、昔はたいそう広々としたものでした。仏殿の東、空心潭から南に、寺の道に至るまでの間は、木々が茂り、伝えられるところでは、古く地蔵殿のあった場所で、長い間すでに長者の所有となっていました。万暦の頃、呉越の忠懿王が造った舎利銅塔が、この地から湧き出てきたのです。見聞した人々は皆、信じざるを得ませんでした。長者は、ここが三宝の地であることを思い、心に誓って寺に譲り渡そうとしました。寺の僧侶たちはその志に感じ入り、代金を払おうとしましたが、長者は受け取ろうとしませんでした。 僧侶たちは朝夕この地を訪れて眺めると、そびえ立つ林の木々は、寺の左側の防壁のようでした。名のある人々や高徳の僧侶たちは、不思議を探し、素晴らしい景色を訪ねて、みな言いました。「たとえ寺の所有でなくても、大切に守るべきである。ましてやここはもともと仏の地であり、世の移り変わりの中にあって、長者は俗世に長く留めることを望まず、劫の火が燃え盛っても、我が土は安らかである。寺の僧侶たちよ、どうして再び常住の業を引き継がないことがあろうか」と。 そこで、この土地を取り戻すためには、施主の方々に寄付をお願いするよりほかはありません。願わくば、現世での縁を結び、古の仏の地を栄えさせたいのです。将来、真の解脱を証するのはもちろんのこと、ただ名を石碑に刻まれるだけでも、邸宅を寄進した居士とともに、不朽の名声を伝えることができるでしょう。