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title: "牧雲和尚嬾齋別集 · 普見法門念佛疏"
description: "牧雲和尚嬾齋別集是明代臨濟宗高僧通明所著，由著名出版家毛晉編纂。該書成於明末清初，正值佛教禪宗發展與儒釋交融之際，內容收錄了通明禪師的詩文、書信、語錄及禪法開示，融合禪宗心要與文學藝術，展現了禪者對修行與世事的透徹智慧。此作不僅是研究明末禪宗思想與文人佛教的重要文獻，更體現了臨濟宗直指人心的宗風，在佛教典籍中具有承先啟後的地位，為後世學人提供了禪悟與實踐的珍貴參照。"
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### 普見法門念佛疏

> 普見法門念仏疏

昔善財童子參德雲比丘于妙高峰頂，七日不見，善財悽惶憶念，乃於別峰之上見德雲比丘徐步經行，善財稽首問菩薩行，答言：「聖者！我證念佛法門，每舉一念，即見東方無數佛，亦見南方無數佛，亦見西方無數佛，亦見北方無數佛，乃至上下十方佛，舉念即見，念無盡，見佛亦無盡。」善財聞已，即證普見法門。惟我古南依憑村鎮，鄉風古樸，無郡邑奢靡之習，衲子過門，往往曰：「何住此村院為也？」余獨居而樂之。及歲乙酉，干戈紛作，他處受兵者十不遺一，獨此鎮晏然無恙，院中朝梵夜禪，香火如昔，得非此方信根深大而默有神相歟？今監院德悟更欲因陵為高，將率閑鎮具佛種性者，皆一心念佛，自一念至十念，自十至百，自百至千，自千至萬，自萬至無數，無盡念之誠，無論歲月，念佛既無盡，見佛亦無盡。今之古之，善財所證，人皆證之，同遊華藏，共休淨域，豈特弭亂乎哉？或者進曰：「師，臨濟之裔也，主張斯道，棒亦可，喝亦可，勸人念佛，何為也哉？」余應之曰：「永明，宗門之傑也，錢王崇事之，而晝夜彌陀千萬聲者，獨何歟？蓋有見矣。」

> 昔、善財童子は徳雲比丘を妙高峰の頂上に訪ねたが、七日間も会えず、善財は悲しみに暮れながら思いを巡らせていた。すると別の峰の上で、徳雲比丘がゆっくりと歩く経行の姿を見ることができた。善財は頭を下げて菩薩の行いについて尋ねると、次のように答えられた。 「聖者よ、私は念仏の法門を悟りました。一つの念を起こすごとに、東方の無数の仏を見、南方の無数の仏も見、西方の無数の仏も見、北方の無数の仏も見ます。さらには上下十方の仏を、念を起こせば即座に見ることができるのです。念に尽きることがなければ、見る仏もまた尽きることがありません。」 善財はこの言葉を聞いて、すぐに普見法門を悟ったのである。 私の古南という地は、小さな村に依り添うようにしてあり、郷土の風習は古く素朴で、都会のぜいたくな暮らしのようなものはない。僧侶たちが門の前を通りかかると、よくこう言うものだ。「なぜこんな村の小院に住むのか」と。しかし私はただ一人でいて、その暮らしを楽しんでいる。 やがて乙酉の年、戦乱が方々で起こり、他の土地では兵火を受けて十分の一も生き残らないという有様だったが、ただこの村だけが安らかで無事であった。院の中では朝の読経、夜の坐禅が続けられ、香や灯明の供養も昔と変わらず行われた。これはひとえに、この地の人々の仏への信仰の根が深く、ひそかに神の加護があったからではないだろうか。 今、監院の徳悟はさらに高みを目指して、この村に住む仏の種を持つ人々を率いて、皆が一心に仏を念じることを願っている。一つの念から十念へ、十から百へ、百から千へ、千から万へ、万から無数へと。尽きることのない誠の念いをもって、年月を問わず念佛を続ければ、念佛が尽きないように、見る仏もまた尽きることがないだろう。 昔も今も、善財が悟ったことを、人は皆悟ることができる。共に華蔵の世界を遊覧し、共に浄土に安らいで休むことができる。これはただ戦乱を鎮めるだけにとどまるものだろうか。 ある人が進み出てこう言った。「和尚様は臨済宗の流れを汲む方です。この道を導くにあたって、棒を使ってもよいでしょうし、喝をかけてもよいでしょう。それなのに、なぜ人に念佛を勧めるのですか。」 私はこれに答えて言った。「永明延寿禅師は禅宗における傑物でした。銭王はこれを深く敬い尊んだが、その永明が昼夜問わず百万遍の阿弥陀仏の名号を唱えていたのは、なぜだったのか。そこには確かな深い見識があったからなのだ。」