---
title: "牧雲和尚嬾齋別集 · 祭考澄宇公文"
description: "牧雲和尚嬾齋別集是明代臨濟宗高僧通明所著，由著名出版家毛晉編纂。該書成於明末清初，正值佛教禪宗發展與儒釋交融之際，內容收錄了通明禪師的詩文、書信、語錄及禪法開示，融合禪宗心要與文學藝術，展現了禪者對修行與世事的透徹智慧。此作不僅是研究明末禪宗思想與文人佛教的重要文獻，更體現了臨濟宗直指人心的宗風，在佛教典籍中具有承先啟後的地位，為後世學人提供了禪悟與實踐的珍貴參照。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgn0ikhw21u1l404ejfz2kmn"
---

### 祭考澄宇公文

> 申し上げます。

嗚呼！吾父逝世，彈指不覺，已逾十載，靈其在天，為復何邁？捐我二男，踽踽涼涼，靡瞻靡賴，一為立俗，一為入緇，誰復訓誡？永懷父德，生我撫我，實同昊天，胡為頂戴？男聞佛言：人各有靈，細而無倪，大而無外，有生即具，炳煥靈明，不從人貸。去來坐立，談笑詠歌，靡不由斯，迥無遮蓋。如金剛王，體性堅凝，生本固存，死亦無壞。故知父靈，雖曰陟天，實無不在。云何使男，側耳諦聽，不聞謦欬？云何使男，瞠目諦觀，莫睹色彩？嗚呼哀哉！又聞佛言：人之靈也，與佛平等，無偏無背，惟人昧之。轆轤四生，改形易態，惟人悟之，立地成佛。高出三界，縱歷世間，游戲而已，死生無礙。因思吾父，疇昔生時，有見於此，故治生居業，不計成敗。一廛容膝，貧而能樂，人所不逮；一杯寓意，青山白雲，人所不解。優哉游哉！聊以卒歲，抑何風概？彼不知者，宛如蜣蜋，逐逐世故，反以父為怪。曷知大人，浮雲視世，雖轗軻苦辛，而胸中常泰。嗚呼哀哉！惟我二男，幼於膝下，出入嬉戲，惟恃憐愛。長而無知，未能竭力，薪水少代。矧知吾父，任性樂天，終身困窮，不易其介。今也痛思，風木徒悲，蓼莪增愾。欲報父德，進退迴遑，不知所屆。設遵世禮，無益死生，報亦未能。籌之有再，是於清秋，八月之朔，拂拭精廬，灑掃庭內，向十方佛，宣啟法門，名曰懺悔。節以鼓鐘，和以梵唄，緇侶蹌蹌，行道禮拜。同願吾父，承佛神力，在天之靈，赫降法會。如佛所言，罪滅心亡，徹悟己靈，得不動一塵，而高出三界。庶幾二男，得致孝思，於心為快。今於父前，長跽陳詞，涕隕無奈。吾父生平，樂此旨酒，男故陳之，侑以藻菜。願父視男，屬毛離裏，為骨肉緣，莞爾笑受，是為大賚。勿以男之不肖，弗垂眄睞。嗚呼哀哉！伏惟尚饗。

> 嗚呼、父は逝き、指を弾く間のうちに、すでに十余年が過ぎた。御霊は天に在しまして、今いずくにか遊ばすや。二人の子を遺して、ただ寂しく侘しく、仰ぐべきも頼るべきもない。一人は世に立ち、一人は僧門に入ったが、誰か再び教え戒めてくれる者があろうか。永く父の徳を懷えば、我を生み我を養いたもうこと、実に天のごとし。どうして敬い戴かずにおられようか。 子、仏の言葉を聞くに、人にはそれぞれ霊があり、微細にして限りなく、広大にして外なるものなし。生を受けたる時より具わり、燦然と明らかにして、人から借りるものにあらず。去来坐立、談笑詠歌、すべてこれによらずということはなく、少しも覆い隠されることがない。金剛王のごとく、体性は堅く凝り、生まれながらに本来存し、死してもまた壊れることがない。ここをもって知る、父の霊は、天に昇りたもうと言えども、実に在らざるところなしと。 されど、なぜに子に、耳を傾けてよく聴けども、咳払いの声をも聞かせたまわず、目を見開いてよく観れども、その姿かたちを見せたまわぬのか。嗚呼、哀しいかな。 また仏の言葉を聞くに、人の霊は仏と平等にして、偏りも背きもない。ただ人がこれに暗いのみである。くるくる巡る四つの生まれ変わり、形を変え態を改む。ただ人がこれに悟れば、立ちどころに成仏する。三界を高く超え、たとえ世の中を経めぐるとも、游戯するのみ。死も生も障りとなることはない。 ここにおいて思うに、父がかつて在世のころ、すでにこの理を見ておられた。されば生計を営み家業を治めるにも、成敗を顧みなかったのである。狭い家に身を置き、貧しくともよく楽しみ、人の及ばざるところであった。酒杯一つに思いを託し、青き山、白き雲を友とし、人の解せざるところであった。ゆったりと楽しみ、そのまま歳を送りたもうた。なんと気概のあろうことか。 知らざる者は、まるで糞虫のごとく世間のことに忙しく追い、かえって父を奇異の目で見た。どうして悟ろうか、大人は世を浮雲のごとく見なし、たとえ苦難に遭い辛労すとも、胸中は常に安らいでおられたことを。 嗚呼、哀しいかな。ただ我ら二人の子は、幼きより膝下にあって、出はいり遊び戯れ、ただ慈しみにすがってきた。長ずるも無知にして、力を尽くすことができず、家政の手伝いもわずかに過ぎなかった。いわんや父が任性楽天にして、終身かえって困窮せられながら、その節操を変えられなかったことを知ろうとは。 今痛切に思えば、風木の悲しみは空しく、蓼莪の思いに嘆きが増すばかり。父の徳に報いんとすれども、進退きわまり、いずくに至るべきか知らない。たとえ世の礼をいましめたとて、生死に益することなく、報いることもできぬ。考えを重ねること二度、ここに清秋八月の朔日、精舎を掃き清め、庭内を灑掃し、十方の仏に向かいて法門を開き、名づけて懺悔とす。 鐘鼓を節とし、梵唄を和とし、僧侶らは整然と進み、道を行じ礼拝する。同じく願う、父は仏の神力を受け、天における御霊ぞ、赫々たる光を法会に降したまえ。仏の言うままに、罪滅し心亡じ、己が霊を徹悟し、動かざること一塵にして、三界を高く超えんことを。 ここをもって庶幾くは、我ら二人の子、孝思を致し、心を快くせんことを。今父の御前において、長く跪きて言葉を述べ、涙は流れてとどまらない。父は生前この美酒を楽しまれた。子、ここにこれを捧げ、青き菜を添えて供す。願わくは父、子が父の子たるを、肉縁骨肉の縁あるを御覧じ、ほほえみて受け取りたまえ。これこそ大きな恵みなれば。子の不肖をもて、目もくれずにせぬことなかれ。 嗚呼、哀しいかな。伏して惟うに、どうか御霊を鎮めまつる。

又祭考文

> 「また、父の霊を祭る文」

嗚呼痛哉！我父謝世，屈指廿載。逝暑如斯，抑何速也？墓木拱矣，風其寧歟？霜露零矣，蒸嘗時歟？藐然之孤，其何恃歟？辛巳之秋，增哀戚也。母氏劬勞，復奄化也。掩卷蓼莪，不可讀也。父兮母兮，畜我不卒。瓶罄罍恥，徒悲傷也。今者八月，卜葬祖塋，合之兆也。長夜漫漫，同窀穸也。九原棲神，神斯安也。翩翩魂氣，無不之也。自古自今，恒不磨也。屬毛離裏，承休蔭也。陵谷滄桑，願無移也。大德沙門，營法事也。調御丈夫，被神力也。我父之靈，爰其在也。撫我恤我，伏惟鑒也。嗚呼哀哉！

> ああ、悲しきかな！我が父はこの世を去り、数えて二十年が過ぎました。過ぎゆく歳月のなんと速いことでしょう。墓の木もすっかり大きくなりましたが、風は静かに吹いているでしょうか。霜や露が降りる季節となりましたが、お供えは滞りなく行われているでしょうか。頼りない孤児である私は、何を頼りにすればよいのでしょうか。辛巳の年の秋、さらに悲しみが深まりました。母もまた労苦の末に、ついに世を去られました。『蓼莪』の詩を開くたび、読むに堪えません。父よ母よ、私を育ててくださいましたが、ついにその恩に報いることはできませんでした。瓶が尽きれば甕も恥じるというように、ただ悲しみに暮れるばかりです。そして今、八月に祖父母の墓所に葬り、夫婦を同じ墓に合わせまつります。長い夜は続き、ともに同じ墓に眠ることとなりました。あの世に魂は鎮まり、ここに安らかにおわします。ひらひらと漂う魂は、どこへでも赴くことでしょう。古より今に至るまで、永遠に滅びることはありません。父母の身体から生まれた我が身は、そのご恩蔭を受け継いでおります。山や谷が変わり、世の中が移り変わろうとも、どうかこの思いが動くことのないように。高徳の僧侶が、法要を営んでくださいます。仏陀の御力が、ここに加えられます。我が父の霊よ、ここにおわします。我を慰め、我を慈しみたまえ。伏してお願い申し上げます。ああ、悲しきかな！