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title: "牧雲和尚嬾齋別集 · 與周貞可"
description: "牧雲和尚嬾齋別集是明代臨濟宗高僧通明所著，由著名出版家毛晉編纂。該書成於明末清初，正值佛教禪宗發展與儒釋交融之際，內容收錄了通明禪師的詩文、書信、語錄及禪法開示，融合禪宗心要與文學藝術，展現了禪者對修行與世事的透徹智慧。此作不僅是研究明末禪宗思想與文人佛教的重要文獻，更體現了臨濟宗直指人心的宗風，在佛教典籍中具有承先啟後的地位，為後世學人提供了禪悟與實踐的珍貴參照。"
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### 與周貞可

從上古人為此一大事，皆以真實心未透生死，但有咨參；生死既透，始有擔荷分。又時中恒生慚愧，念此一大事乃佛祖捨身歷劫積誠所致，今我亦得與聞，良非易得者。如此作念，真如人過獨木橋或恐失腳，不得不把緊、不得不真實；生死之疑未泮，不得不著忙。蓋此事非人前支撐一兩轉語以為禪，及至孤燈獨炤則又無禪，明知所得在光影邊，殊不濟事，不肯放下，死死窮究，秪圖口頭，此何益哉？又參禪人雖不提起戒行邊事，古人亦無不收斂者，若一味種種恣意以為無礙，則無礙者乃無忌耳。此等行履不惟在俗，即在緇流不善體究，總流入莽莽蕩蕩，撥因果以為游戲，乃波旬屬，非佛兒孫也。時中慎之念之，始不孤一番道聚。若以我言為逆耳，則足下之禪不妨說去弄去，第恐叫苦有日。然此瑣瑣，豈可為足下道？所謂若藥不暝眩，厥疾不瘳耳。倘珍重己靈，幸莫謂我饒舌。

> 古より、人々はこの一大事のために、皆、真心をもって生死を明らかにしようとしてきました。生死の真理がいまだ透けて見えないうちは、ただ師を訪ねて問い尋ねるのみです。生死の真理が明らかになってこそ、初めて荷担する力が生まれます。 また、常に深い反省の念を抱き、この一大事は仏祖が身を捧げ、長い間、真心を積み重ねて成し遂げられたものであると念じなさい。今、私もこの教えを聞くことができるのは、実に容易なことではありません。そのように心に刻めば、まるで人が丸木橋を渡るように、足を踏み外すことを恐れ、しっかりと握り締めずにはおれず、真剣にならずにはおれません。生死の疑いが解けない限り、焦らずにはいられないのです。 なぜなら、この一大事は、人前でいくつかの言葉をやり取りして禅としたり、また、一人で lampshade のように孤独に灯りを掲げる時には、そこに禅が無いというものではないからです。自分の悟りが言葉や感覚に過ぎないと知りながら、現実の役に立たないのに、それを手放さず、ただ口先だけの言葉を求めても、一体何の益があるでしょうか。 また、参禅する人は、戒律の実践を特に語らないけれども、古人も皆、戒律から外れることはありませんでした。もし、ただ自分の好き勝手に振る舞い、それで無碍だと思うならば、その無碍とは実に、ただの無分別の放埒に過ぎません。このような行いは、在家の人だけでなく、出家の僧侶でも、よく考えて修行しなければ、結局は無頓着で、因果の道理を撥ねつけ、遊び半分にしてしまいます。これは魔の仲間であり、仏の子孫ではありません。 常にこのことを心に留め、よくよく反省するならば、初めてこの一度の善き出会い（道場）が無駄になりません。もし私の言葉を聞き苦しいと感じるならば、あなたの禅は、どうぞ語り、弄んでいればよいでしょう。しかし、そのうち必ず苦しみの声をあげる日が来るでしょう。 こうした細々としたことを、そもそもあなたに申し上げるべきではないのでしょう。「薬が効くためには、目まいを起こすほどでなければ治らない」という言葉の通りです。もし、ご自身の尊い命を大切に思われるなら、私の余計なお世話と思わないでいただきたい。

又

> また

僧回得書，首尾一覽，足見於法不苟，於心無欺，維持世界，超越生死，全賴此一點直心。但所言乾淨一著，談何容易？胸中一絲毫滯礙，未為乾淨耳。四維當時欲付囑者，正見四維之不濟處，無驗人眼，總被足下筆便口利所惑。其後足下自顧未大了當此絕好消息，如自瞞自欺，便非端人正士，佛祖亦救不得也。不料被山野覷破定盤星，肯欺人乎？八月間復得脫落，未為到家，所謂但有箇窮究念頭，那得放下？既曰放下，又安有窮究哉？疑難兩行不悖，殊不知若真窮究，正忌足下如是分析。又云：宗門不過要人明心見性，心性既明，則此身有生死，此性無生死。山野道足下如此說話，正未明心見性在，病根正在此也。又云：所見如此，明知未了當，卻又無疑。此亦足下向蘊此見，以為了手，無人點破，故無疑也。今山野既為決破非到家消息，安得無疑？然到此為足下說玄也不得，說妙也不得，說超佛越祖也不得，惟在自己肯信人指點，著著實實參去，直待大死一番，始可來山野處求倒，斷斷斷不相負。古云：「參須實參，悟須實悟，閻羅大王不怕多語。」