---
title: "牧雲和尚嬾齋別集 · 觀魚"
description: "牧雲和尚嬾齋別集是明代臨濟宗高僧通明所著，由著名出版家毛晉編纂。該書成於明末清初，正值佛教禪宗發展與儒釋交融之際，內容收錄了通明禪師的詩文、書信、語錄及禪法開示，融合禪宗心要與文學藝術，展現了禪者對修行與世事的透徹智慧。此作不僅是研究明末禪宗思想與文人佛教的重要文獻，更體現了臨濟宗直指人心的宗風，在佛教典籍中具有承先啟後的地位，為後世學人提供了禪悟與實踐的珍貴參照。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgn0j59627sxl404l10g7q7m"
---

### 觀魚

> 魚を観ること

小池良不寬，中有數尾魚。莫知其誰饋，畜之傍我廬。魚躍時洋洋，予覺日于于。相忘不知樂，各自遂厥初。微物信亦神，呼吸波光舒。曉窗騰竹霧，恆疑其巨噓。尾赬曾無勞，水清行自如。悠然非江湖，潛處歲月餘。鯨鯢沉巨浸，任竿難放渠。眾鱗在他水，往往登庖廚。皆因身味厚，自致戕全軀。所以達生士，掩材類山㯉。一龍復一蛇，世罟不能漁。隱見終天年，淡漠神明居。得非其慮遠，所適為之殊。

> 小さな池は広くもないが、その中に数匹の魚がいる。誰がくれたのかは知らないが、私の庵のそばで飼っている。魚は時おり洋洋と跳ね、私はそれを眺めてのんびりと日を過ごす。互いに忘れ合って楽しみとも思わず、それぞれが生まれつきのままに生きている。小さな生き物もまた、実に神妙で、呼吸するたび波の光がゆるむ。明け方の窓辺に竹の霧が立ちのぼり、いつもそれが魚の大きな吐息ではないかと思う。尾を赤く染めても労する様子はなく、水が清ければ自由に泳ぎ回る。悠然として江湖ではなく、潜んで暮らすこと幾年余り。鯨や大魚は深い海に沈み、竿で釣ろうにもとても引き上げられない。他の水にいる多くの魚たちは、しばしば厨房に上がることになる。みな身の味が厚いために、自ら身体を傷つけることになる。だからこそ達生の士は、材を隠すこと山の雑木のようである。一たびは龍となり一たびは蛇となり、世の網で漁ることはできない。隠れ現れつつ天年を終え、淡々と神明の住まいに身を置く。まさにその思慮が遠いのであって、行き着く先が異なるのだ。